「いじめられる方が悪い」のか?
2004年10月23日 昼に模試が終わり、スクールバスの発車時刻が夕方だったので電車で帰ったところ、中学校時代わたしに色々と言ってきた男子生徒たちと同じ車両に乗り合わせてしまった。こっちを見て笑いながら何か言ってきたまでは良かったが、何とケータイを向けてきた。
車内は非常に混雑していたので別の車両に移動することも出来ず、写真を撮られまくってしまった。彼らは近隣の高校の友達に回すと言いながら尚もわたしにケータイを向け続けた。
中学校を卒業して3年が経過、全く精神的な成長を遂げていないのはある意味称賛に値するかもしれない。いい加減にしろと睨んだら「撮られる方が悪い」と言ってのけたのにも驚いた。
彼ら曰く「撮られる方が悪い=いじめられる方が悪い」というわけで、それならば撮る=いじめる側に否はないのか、それを考えたことすら無いのかと非常に腹が立った。
また、思いやりの心を持たない彼らに同情さえした。彼らは普段もあらゆるところで人を傷付けているのだろう。恐らくは彼らにとって大切な人間さえ。
画像を回されるのも下卑た話題の種にされるのも不愉快極まりないが(その辺はする方の勝手だが)、同時に彼らを哀れにも思う。彼らは人の心に鈍感なまま一生を終えるかもしれないのだ。ただ、悔しさは無論あるので、それは勉強の方に昇華させてもらうが。
車内は非常に混雑していたので別の車両に移動することも出来ず、写真を撮られまくってしまった。彼らは近隣の高校の友達に回すと言いながら尚もわたしにケータイを向け続けた。
中学校を卒業して3年が経過、全く精神的な成長を遂げていないのはある意味称賛に値するかもしれない。いい加減にしろと睨んだら「撮られる方が悪い」と言ってのけたのにも驚いた。
彼ら曰く「撮られる方が悪い=いじめられる方が悪い」というわけで、それならば撮る=いじめる側に否はないのか、それを考えたことすら無いのかと非常に腹が立った。
また、思いやりの心を持たない彼らに同情さえした。彼らは普段もあらゆるところで人を傷付けているのだろう。恐らくは彼らにとって大切な人間さえ。
画像を回されるのも下卑た話題の種にされるのも不愉快極まりないが(その辺はする方の勝手だが)、同時に彼らを哀れにも思う。彼らは人の心に鈍感なまま一生を終えるかもしれないのだ。ただ、悔しさは無論あるので、それは勉強の方に昇華させてもらうが。
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