著…星海ユミ『ヤンキーショタとオタクおねえさん』1〜6巻を読んだ感想
2020年2月22日 漫画 コメント (2)
※注※
以下のレビューはネタバレを含みます!
「龍桜くんの恋を応援する会」があったら是非入りたい!
いやむしろ作りたい!
会長になりたい!
そう思わせる漫画です。
以下はあらすじ。
龍桜(りゅうおう)くんは8歳の頃、いつも一緒に遊んでくれた優しい大人の女性・かづ子のことを大好きになりました。
龍桜くんは家族の都合で引っ越すことになり、「おねえさんだいきです」というメッセージ付きの絵をかづ子にプレゼントし、「ぜったいまたね」と誓いました。
「す」を入れ忘れるという痛恨のミスに気づかぬまま。
お姉さん大好き!という気持ちを大事に持ち続けた龍桜くんは11歳になり、なんと!
かづ子の家の隣に引っ越して来ました。
それからというもの、龍桜くんはかづ子にべったり!
かづ子のすること全てに龍桜くんは「何するの」「何コレ」と興味津々。
かづ子が外出する時は龍桜くんは「どこ行くの」「オレも行く」とくっついて来ます。
かず子がBL系イベントに行く時も、オタク仲間とのカラオケに行く時も、同人誌即売会に行く時も、当然のような顔をしてくっついて来ます。
かづ子の家にもいつもやって来ます。
「遊びに行く」「宿題を見てもらう」などの口実をなんやかんや付けて。
口実が見つからない時は「なんか…しにきた…」と無理やり口実を捻り出します。
龍桜くんとかづ子の様子を見て何かにピーンと勘づきながら見守っているかづ子の母や龍桜くんの両親、龍桜くんの同級生たち、かづ子の友達や同僚たち、様々な分野で謎の超スキルを持つオタク友達「パンパンマンさん」といった個性豊かなキャラクターたちに囲まれて、コメディ漫画としても楽しめますし、
龍桜くんの純粋な恋心に萌えることも出来ます。
何なのでしょうね、この感覚は?
『クレヨンしんちゃん』でしんちゃんがななこおねいさんに夢中になっているのをテレビ画面越しに観るのとは、似て非なる感覚なんですよ!
しんちゃんはななこおねいさんに夢中だけど、ななこおねいさん以外の綺麗なおねいさんにも声をかけたりしますよね?
でも、龍桜くんはかづ子のことしか見ていません。
同級生の女の子のことも、他の年上の女性のことも、全く眼中に無し。
一途なのです。
また、ななこおねいさんはしんちゃんが自分に強烈な憧れを抱いていることに気づきながらも上手く野原家一同と交流しているけれど、かづ子は巻き込まれ系天然鈍感ヒロインなので龍桜くんの片思いの相手が自分だと分かっていないし元々人付き合いが苦手。
この漫画の読者としては、龍桜くんだけでなくかづ子のことも応援したくなります。
かづ子が「自分と龍桜くんは3年前から親しくしていた」ということを分かっていないのもじれったいです。
かづ子ー! 早く気づいてー!
8歳の頃の龍桜くんは坊主頭。
11歳現在の龍桜くんは金髪。
しかも8歳の頃の龍桜くんが「おねえさんだいきです」というメッセージをかづ子に残したものだから、かづ子は「3年前に会った男の子の名前はだいきくん」と誤解したまま!
大いなる勘違い!
このじれったさはラブコメの醍醐味ですね。
龍桜くんはまだ未成年なので、今すぐ両想いにはなれないでしょうが、龍桜くんとかづ子の絆がゆっくり育まれて、やがて恋が実ることを「龍桜くんの恋を応援する会」会長としては願うばかりです!
ちなみに会長の近所には、夫より妻の方が15歳以上歳上というご夫婦がいます。
現在、夫が50代、妻が70代。
結婚したのは夫が30代、妻が50代の頃。
結婚するまでは様々な人から反対されたそうですが、このご夫婦は非常に仲睦まじいですよ。
このご夫婦の様子を見ていると、龍桜くんとかづ子もいつかこんな風に…と会長は勝手に妄想して萌えております。
以下のレビューはネタバレを含みます!
「龍桜くんの恋を応援する会」があったら是非入りたい!
いやむしろ作りたい!
会長になりたい!
そう思わせる漫画です。
以下はあらすじ。
龍桜(りゅうおう)くんは8歳の頃、いつも一緒に遊んでくれた優しい大人の女性・かづ子のことを大好きになりました。
龍桜くんは家族の都合で引っ越すことになり、「おねえさんだいきです」というメッセージ付きの絵をかづ子にプレゼントし、「ぜったいまたね」と誓いました。
「す」を入れ忘れるという痛恨のミスに気づかぬまま。
お姉さん大好き!という気持ちを大事に持ち続けた龍桜くんは11歳になり、なんと!
かづ子の家の隣に引っ越して来ました。
それからというもの、龍桜くんはかづ子にべったり!
かづ子のすること全てに龍桜くんは「何するの」「何コレ」と興味津々。
かづ子が外出する時は龍桜くんは「どこ行くの」「オレも行く」とくっついて来ます。
かず子がBL系イベントに行く時も、オタク仲間とのカラオケに行く時も、同人誌即売会に行く時も、当然のような顔をしてくっついて来ます。
かづ子の家にもいつもやって来ます。
「遊びに行く」「宿題を見てもらう」などの口実をなんやかんや付けて。
口実が見つからない時は「なんか…しにきた…」と無理やり口実を捻り出します。
龍桜くんとかづ子の様子を見て何かにピーンと勘づきながら見守っているかづ子の母や龍桜くんの両親、龍桜くんの同級生たち、かづ子の友達や同僚たち、様々な分野で謎の超スキルを持つオタク友達「パンパンマンさん」といった個性豊かなキャラクターたちに囲まれて、コメディ漫画としても楽しめますし、
龍桜くんの純粋な恋心に萌えることも出来ます。
何なのでしょうね、この感覚は?
『クレヨンしんちゃん』でしんちゃんがななこおねいさんに夢中になっているのをテレビ画面越しに観るのとは、似て非なる感覚なんですよ!
しんちゃんはななこおねいさんに夢中だけど、ななこおねいさん以外の綺麗なおねいさんにも声をかけたりしますよね?
でも、龍桜くんはかづ子のことしか見ていません。
同級生の女の子のことも、他の年上の女性のことも、全く眼中に無し。
一途なのです。
また、ななこおねいさんはしんちゃんが自分に強烈な憧れを抱いていることに気づきながらも上手く野原家一同と交流しているけれど、かづ子は巻き込まれ系天然鈍感ヒロインなので龍桜くんの片思いの相手が自分だと分かっていないし元々人付き合いが苦手。
この漫画の読者としては、龍桜くんだけでなくかづ子のことも応援したくなります。
かづ子が「自分と龍桜くんは3年前から親しくしていた」ということを分かっていないのもじれったいです。
かづ子ー! 早く気づいてー!
8歳の頃の龍桜くんは坊主頭。
11歳現在の龍桜くんは金髪。
しかも8歳の頃の龍桜くんが「おねえさんだいきです」というメッセージをかづ子に残したものだから、かづ子は「3年前に会った男の子の名前はだいきくん」と誤解したまま!
大いなる勘違い!
このじれったさはラブコメの醍醐味ですね。
龍桜くんはまだ未成年なので、今すぐ両想いにはなれないでしょうが、龍桜くんとかづ子の絆がゆっくり育まれて、やがて恋が実ることを「龍桜くんの恋を応援する会」会長としては願うばかりです!
ちなみに会長の近所には、夫より妻の方が15歳以上歳上というご夫婦がいます。
現在、夫が50代、妻が70代。
結婚したのは夫が30代、妻が50代の頃。
結婚するまでは様々な人から反対されたそうですが、このご夫婦は非常に仲睦まじいですよ。
このご夫婦の様子を見ていると、龍桜くんとかづ子もいつかこんな風に…と会長は勝手に妄想して萌えております。
原作…志名坂高次 作画…粂田晃宏『モンキーピーク』第12巻の感想
2019年10月25日 漫画
※注※
結末を明かすネタバレがあります!
未読の方は要注意!
『モンキーピーク』、ついに完結。
完結を機に、わたしは改めて、第1巻から第12巻(最終巻)まで読み直してみました。
その結果、「正義とは何なのか?」と問われているかのような気分になりました。
安斎の目指す「正義」は、「我々の会社が存続することで、今後沢山の人たちを薬で救える。藤谷製薬が作った薬で8人が死んだといっても、たかだか8人に過ぎない。藤谷製薬の方が遥かに社会的価値が高い。そして、自分が生き残るためなら、薬害事件に全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
林さんたちの目指す「正義」は、「悪いことをした人間は裁きを受けなければならない。だから、藤谷製薬の社員を、必ず殺す〝S〟、出来たら殺す〝A〟、出来るだけ生き残らせてこの薬害事件の語り部として生かす〝Z〟に分ける。〝S〟と〝A〟を可能な限り残酷で特殊なやり方で殺することで、悪は必ず滅ぶ、という伝説を作り上げ、この薬害事件が何百年と語り継がれるようにしたい。そのためには、薬害事件と全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
…わたしは正直言って、どちらの「正義」もいけ好かないな、と思います。
それぞれの「正義」には、一見正しそうに思える面もあります。
安斎の言う通り、もしかしたら藤谷製薬が今後生み出す薬で非常に沢山の人たちの命を救えるのかもしれません。
だとしたら、その藤谷製薬の貴重な人材を次々に殺害し、会社として存続できないほどの大ダメージを与える林さんたちの行動は、その本来救えるはずだった人たちを間接的に殺すことになるのかもしれません。
また、林さんの言う通り、もしかしたら薬害事件被害者たちの家族が起こしたこの連続殺人事件は、世の中の様々な「悪」に対して「悪は必ず報いを受ける」という非常に強い警告となり、犯罪抑止力となるのかもしれません。
また、憎い社員を直接自分の手にかけることで復讐を果たし、家族の仇討ちが出来たぞ、と林さんたちの気持ちが少しは晴れるのかもしれません。
世の中には絶対的な「正義」の基準は無く、結局、人間一人一人によって「何が正義か」はまるっきり異なるわけですから、安斎の「正義」も、林さんの「正義」も正義であると言えるのでしょう。
けれど、わたしにはどちらの「正義」も不愉快。
安斎の「正義」は、多数のために少数を切り捨てることを躊躇しないからです。
命を救う薬を作り出す会社の社員でありながら、たった一つの命さえ大切に扱えない冷酷さがあります。
また、林さんたちの「正義」は、自分たちが殺す社員たちにも家族が居て、遺族となる人たちがかつて自分たちが家族を亡くした時のように悲しくて苦しくて辛い思いをするということに考えが至っていない、とわたしには思えます。
逃げようとする社員の背中を斬りつけたり、食料と水と通信手段を絶って心身共に追い詰めたり…。
狂気の沙汰としか思えません。
なぜ自分たちが大きな猿に殺されるのか訳がわからないまま、喉の渇き、飢え、疲労、恐怖、猜疑心、凍傷といった極限状態に追い詰められて無残に殺されていった社員の心情を想像すると、ここまでむごいことをしなくても、と震えてきます。
しかも、安斎の「正義」も、林さんたちの「正義」も、無関係な人たちまで殺すことを厭いませんでした。
この山でまさかこんな殺戮が繰り広げられているとは知らずにただ偶然やって来ただけの登山客も。
救助隊も。
警官隊も。
みんなそれぞれ、安斎や林さんたちに殺されてしまいました。
そこにも正義はあるのか!?とわたしは安斎と林さんたちに問いたいです。
きっと、両者とも「ある」と答えるでしょう。
そして、歴史というのはそうした「正義」と「正義」がぶつかり合う争いの中、勝った方の都合の良いように書き換えられていくもの。
やりようによっては、安斎だって、林さんたちだって、ヒーローに成り得たはず。
…何だか嫌な感じ。
頭では理解出来ますが、心では納得したくありません。
そんな理不尽なこの世界において、わたしは佐藤さんの「決意」に惹かれました。
いよいよ絶体絶命の状況に追い込まれた佐藤さん。
自分も仲間もほとんど死にかかっている状態なのに、無情にもまたあの恐ろしい猿が近づいて来ています。
佐藤さんは、もうダメだ…と絶望するのではなく、かつての仲間「遠野」の遺品を手に取りました。
遠野の遺品は、焼け焦げて半分に壊れたメガネただ一つ。
佐藤さんは遠野のメガネを握り締めて、「戦わなくちゃ、わたしも」と覚悟を決めました。
死ぬのがとても怖かったはずなのに、それでも猿を倒すため、自ら作った爆弾を爆発させて死んでいった遠野の姿を思い浮かべて。
佐藤さんは立ち上がりました。
左手には火のついた縄を、右手には火薬を持って。
佐藤さんは「やれる…やれる…っ私はやれる!!」と自らを鼓舞。
そして、「行こう! 遠野!!」と心の中で叫びました。
佐藤さんはそのまま猿へ向かって突進。
すぐに爆発が起きました。
自分に命のバトンを託すため死んでいった遠野の死を絶対に無駄にはしない、そのためなら自分の身体を一部失っても構わない、猿に致命傷を与えるため決して自分の手から火薬を放さず確実に猿の至近距離で爆発させる、絶対に猿を倒す! と全身全霊で叫ぶかのような佐藤さんの目を、わたしは好ましく思いました。
ただ、くれぐれも言っておきたいのですが、わたしは特攻を良しとするわけではありません。
特攻は美談じゃない。
これまでも、そしてこれからも、美談にしてはいけないのです。
美談にしてしまったら、また戦争が起きて、また特攻が繰り返されてしまうから。
わたしはただ、佐藤さんがあの時、死んでいった仲間の姿を思い浮かべ、仲間の名前を呼んで突撃していったことが、素直に嬉しかったのです。
遠野の死は無駄ではなかったと思えるから。
「成長」と言うと口はばったい言い方ですが、まさに佐藤さんの成長を見せてもらった気がします。
元から肝が据わった女性ではあったけれど、良い意味でとても変わりました。
『モンキーピーク』第1巻〜第12巻まで、正直言って、あまりの残酷描写の多さに、読んでいてしんどい所も多々ありましたが、わたしは佐藤さんのあの目、そしてあの叫びに、心地よい衝撃を覚えました。
ここまで読んできて良かったです。
「正義」をぶつけ合っていた安斎と林さんたちは両者とも死亡。
しかし、佐藤さんは生き延びました。
右目と右腕を失ったものの、これからもたくましく生きていってくれそうです。
結末を明かすネタバレがあります!
未読の方は要注意!
『モンキーピーク』、ついに完結。
完結を機に、わたしは改めて、第1巻から第12巻(最終巻)まで読み直してみました。
その結果、「正義とは何なのか?」と問われているかのような気分になりました。
安斎の目指す「正義」は、「我々の会社が存続することで、今後沢山の人たちを薬で救える。藤谷製薬が作った薬で8人が死んだといっても、たかだか8人に過ぎない。藤谷製薬の方が遥かに社会的価値が高い。そして、自分が生き残るためなら、薬害事件に全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
林さんたちの目指す「正義」は、「悪いことをした人間は裁きを受けなければならない。だから、藤谷製薬の社員を、必ず殺す〝S〟、出来たら殺す〝A〟、出来るだけ生き残らせてこの薬害事件の語り部として生かす〝Z〟に分ける。〝S〟と〝A〟を可能な限り残酷で特殊なやり方で殺することで、悪は必ず滅ぶ、という伝説を作り上げ、この薬害事件が何百年と語り継がれるようにしたい。そのためには、薬害事件と全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
…わたしは正直言って、どちらの「正義」もいけ好かないな、と思います。
それぞれの「正義」には、一見正しそうに思える面もあります。
安斎の言う通り、もしかしたら藤谷製薬が今後生み出す薬で非常に沢山の人たちの命を救えるのかもしれません。
だとしたら、その藤谷製薬の貴重な人材を次々に殺害し、会社として存続できないほどの大ダメージを与える林さんたちの行動は、その本来救えるはずだった人たちを間接的に殺すことになるのかもしれません。
また、林さんの言う通り、もしかしたら薬害事件被害者たちの家族が起こしたこの連続殺人事件は、世の中の様々な「悪」に対して「悪は必ず報いを受ける」という非常に強い警告となり、犯罪抑止力となるのかもしれません。
また、憎い社員を直接自分の手にかけることで復讐を果たし、家族の仇討ちが出来たぞ、と林さんたちの気持ちが少しは晴れるのかもしれません。
世の中には絶対的な「正義」の基準は無く、結局、人間一人一人によって「何が正義か」はまるっきり異なるわけですから、安斎の「正義」も、林さんの「正義」も正義であると言えるのでしょう。
けれど、わたしにはどちらの「正義」も不愉快。
安斎の「正義」は、多数のために少数を切り捨てることを躊躇しないからです。
命を救う薬を作り出す会社の社員でありながら、たった一つの命さえ大切に扱えない冷酷さがあります。
また、林さんたちの「正義」は、自分たちが殺す社員たちにも家族が居て、遺族となる人たちがかつて自分たちが家族を亡くした時のように悲しくて苦しくて辛い思いをするということに考えが至っていない、とわたしには思えます。
逃げようとする社員の背中を斬りつけたり、食料と水と通信手段を絶って心身共に追い詰めたり…。
狂気の沙汰としか思えません。
なぜ自分たちが大きな猿に殺されるのか訳がわからないまま、喉の渇き、飢え、疲労、恐怖、猜疑心、凍傷といった極限状態に追い詰められて無残に殺されていった社員の心情を想像すると、ここまでむごいことをしなくても、と震えてきます。
しかも、安斎の「正義」も、林さんたちの「正義」も、無関係な人たちまで殺すことを厭いませんでした。
この山でまさかこんな殺戮が繰り広げられているとは知らずにただ偶然やって来ただけの登山客も。
救助隊も。
警官隊も。
みんなそれぞれ、安斎や林さんたちに殺されてしまいました。
そこにも正義はあるのか!?とわたしは安斎と林さんたちに問いたいです。
きっと、両者とも「ある」と答えるでしょう。
そして、歴史というのはそうした「正義」と「正義」がぶつかり合う争いの中、勝った方の都合の良いように書き換えられていくもの。
やりようによっては、安斎だって、林さんたちだって、ヒーローに成り得たはず。
…何だか嫌な感じ。
頭では理解出来ますが、心では納得したくありません。
そんな理不尽なこの世界において、わたしは佐藤さんの「決意」に惹かれました。
いよいよ絶体絶命の状況に追い込まれた佐藤さん。
自分も仲間もほとんど死にかかっている状態なのに、無情にもまたあの恐ろしい猿が近づいて来ています。
佐藤さんは、もうダメだ…と絶望するのではなく、かつての仲間「遠野」の遺品を手に取りました。
遠野の遺品は、焼け焦げて半分に壊れたメガネただ一つ。
佐藤さんは遠野のメガネを握り締めて、「戦わなくちゃ、わたしも」と覚悟を決めました。
死ぬのがとても怖かったはずなのに、それでも猿を倒すため、自ら作った爆弾を爆発させて死んでいった遠野の姿を思い浮かべて。
佐藤さんは立ち上がりました。
左手には火のついた縄を、右手には火薬を持って。
佐藤さんは「やれる…やれる…っ私はやれる!!」と自らを鼓舞。
そして、「行こう! 遠野!!」と心の中で叫びました。
佐藤さんはそのまま猿へ向かって突進。
すぐに爆発が起きました。
自分に命のバトンを託すため死んでいった遠野の死を絶対に無駄にはしない、そのためなら自分の身体を一部失っても構わない、猿に致命傷を与えるため決して自分の手から火薬を放さず確実に猿の至近距離で爆発させる、絶対に猿を倒す! と全身全霊で叫ぶかのような佐藤さんの目を、わたしは好ましく思いました。
ただ、くれぐれも言っておきたいのですが、わたしは特攻を良しとするわけではありません。
特攻は美談じゃない。
これまでも、そしてこれからも、美談にしてはいけないのです。
美談にしてしまったら、また戦争が起きて、また特攻が繰り返されてしまうから。
わたしはただ、佐藤さんがあの時、死んでいった仲間の姿を思い浮かべ、仲間の名前を呼んで突撃していったことが、素直に嬉しかったのです。
遠野の死は無駄ではなかったと思えるから。
「成長」と言うと口はばったい言い方ですが、まさに佐藤さんの成長を見せてもらった気がします。
元から肝が据わった女性ではあったけれど、良い意味でとても変わりました。
『モンキーピーク』第1巻〜第12巻まで、正直言って、あまりの残酷描写の多さに、読んでいてしんどい所も多々ありましたが、わたしは佐藤さんのあの目、そしてあの叫びに、心地よい衝撃を覚えました。
ここまで読んできて良かったです。
「正義」をぶつけ合っていた安斎と林さんたちは両者とも死亡。
しかし、佐藤さんは生き延びました。
右目と右腕を失ったものの、これからもたくましく生きていってくれそうです。
菅野文『薔薇王の葬列』1〜12巻を読んだ感想
2019年8月30日 漫画
当初、わたしはこの漫画を、大事に大事に日数をかけて読むつもりでした。
けれど、1巻を読み始めたら、もう、続きが気になって気になってページを捲る手が止まらない!
結局わたしは今日だけで1〜12巻まで一気に読み切ってしまいました…。
不覚…!
ペース配分が全然うまくいきませんでした。
けれど、反省はしていますが後悔はしていません。
昼ドラの登場人物も真っ青になりそうなくらい愛憎と陰謀がドロドロ渦巻く世界観に、超美麗な絵が合わさって、更に、どの登場人物にも光と闇両方の性質が描かれていてみんなそれぞれ魅力的で…。
わたくし、どハマりいたしました。
「またエドワードって名前の人が出てきた! また出てきた! えっ、この人もエドワード? リチャードも複数いる! エリザベスも多い!!」と混乱しそうになったので、わたしは自分なりに人物相関図をノートに描きながらこの作品を読み進めていきました。
その人物相関図に、登場人物たちの関係も書き込んでいくと、「この人とこの人が憎しみ合っていて、この人がこの人に片思いしていて実は両想いで、えっ…これ三角関係とか四角関係どころの状況じゃないんだけど何角関係なの!?」と驚くくらいたっぷり書き込む結果となり、かなり真っ黒な人物相関図が出来上がりました。
わたしはランカスター家のエドワード王子が一番好きです。
傲慢なところはあるけれど、好きな人をただひたすら一途に想い、思いを遂げるチャンスがあった時も、大大大好きだからこそ襲ったり出来ず、そのせっかくのチャンスをフイにしたのも好感が持てます。
6巻でエドワード王子が言った「神なんて信じるな! くだらん。決められた運命などくそくらえだ! 欲しいものは己の力で手に入れろ!」というセリフも好き。
王という重責から逃れたがっている人や、逆に王を裏切って自分が王に成り代わろうと謀略の限りを尽くす人たちより、エドワード王子の王族としての生き様の方が遥かに好印象でした。
自分が何者なのか葛藤する登場人物たちの中にあって、ほとんど揺らぐことのない「自分」を持ち続けた人だとも思います。
エドワード王子のあの様子なら、もし好きな人がひた隠しにしてきた「真実」を知ったとしても、きっとやっぱり気持ちは変わらなかったのではないか…とわたしは思います。
だから7巻は読むのが辛かった。
辛かったけれど、エドワード王子にとってせめてもの救いになっていれば幸いです。
けれど、1巻を読み始めたら、もう、続きが気になって気になってページを捲る手が止まらない!
結局わたしは今日だけで1〜12巻まで一気に読み切ってしまいました…。
不覚…!
ペース配分が全然うまくいきませんでした。
けれど、反省はしていますが後悔はしていません。
昼ドラの登場人物も真っ青になりそうなくらい愛憎と陰謀がドロドロ渦巻く世界観に、超美麗な絵が合わさって、更に、どの登場人物にも光と闇両方の性質が描かれていてみんなそれぞれ魅力的で…。
わたくし、どハマりいたしました。
「またエドワードって名前の人が出てきた! また出てきた! えっ、この人もエドワード? リチャードも複数いる! エリザベスも多い!!」と混乱しそうになったので、わたしは自分なりに人物相関図をノートに描きながらこの作品を読み進めていきました。
その人物相関図に、登場人物たちの関係も書き込んでいくと、「この人とこの人が憎しみ合っていて、この人がこの人に片思いしていて実は両想いで、えっ…これ三角関係とか四角関係どころの状況じゃないんだけど何角関係なの!?」と驚くくらいたっぷり書き込む結果となり、かなり真っ黒な人物相関図が出来上がりました。
わたしはランカスター家のエドワード王子が一番好きです。
傲慢なところはあるけれど、好きな人をただひたすら一途に想い、思いを遂げるチャンスがあった時も、大大大好きだからこそ襲ったり出来ず、そのせっかくのチャンスをフイにしたのも好感が持てます。
6巻でエドワード王子が言った「神なんて信じるな! くだらん。決められた運命などくそくらえだ! 欲しいものは己の力で手に入れろ!」というセリフも好き。
王という重責から逃れたがっている人や、逆に王を裏切って自分が王に成り代わろうと謀略の限りを尽くす人たちより、エドワード王子の王族としての生き様の方が遥かに好印象でした。
自分が何者なのか葛藤する登場人物たちの中にあって、ほとんど揺らぐことのない「自分」を持ち続けた人だとも思います。
エドワード王子のあの様子なら、もし好きな人がひた隠しにしてきた「真実」を知ったとしても、きっとやっぱり気持ちは変わらなかったのではないか…とわたしは思います。
だから7巻は読むのが辛かった。
辛かったけれど、エドワード王子にとってせめてもの救いになっていれば幸いです。
著…森恒二『自殺島』
2019年8月19日 漫画
※注 ネタバレを含みます!
自殺未遂を繰り返した人間が送られる「自殺島」。
この島には、電気・水道・ガスといったライフラインは存在しません。
昔この島に住んでいた人たちが使っていたお店・学校・病院といった建物と、こんな看板が立てられているのみ。
「あなた方は生きる権利と義務を放棄して本島にいます。あなた方のIDは我が国で死亡と言う形で消滅しており我が国におけるすべての権利をあなた方は有しておりません。あなた方は我が国における義務や権利を遵守する必要はありません。あなた方は本島及び周囲1km以内の海域において自由です。あなた方は本島から周囲1km以上の周辺海域に侵入する事は出来ません。それ以上の海域は領海侵犯となり、それを侵犯した場合生命の保証は致しません。
日本国政府」
自殺未遂者たちはこの状況により更に絶望し、一人、また一人と自殺していきます。
しかし、中にはこの状況の中でも「生きよう」とする人たちも現れます。
この漫画には、大きく分けて2つのグループが登場します。
仮にグループA、グループBとします。
グループAには、狩の達人「セイ」や、みんなの兄貴分的な「リョウ」、知識豊富な「スギ」といったリーダー格のメンバーがいます。
男性も女性もそれぞれ役割分担がありますが、女性が性処理の役目を強制されることはありません。
時折男性が女性を襲おうとしても、他の男性が止めに入ります。
仕事として自ら売春をする女性が現れてからは、それ以外の女性に無理やり乱暴しようとする男性は居なくなったようです。
リーダー格に不安があれば他のメンバーが代わってリーダーになる、という仕組みも出来ました。
グループBは「サワダ」の独裁状態。
「サワダ」はまずニワトリやヤギを捕らえて卵や乳を得たことでこのグループBのリーダーとなった後、男性はヤギを追い魚を獲り家を直し畑を耕す、女性は貝を採りバナナを収穫し食事を作り男性を慰める、という徹底した役割分担を定めました。
グループBのメンバーたちは自分で物事を考えなくても、「サワダ」の指示通りに働けばいい、といった風に洗脳されています。
サワダの言う通りにしていれば、モテない男性でも女性を抱けるので、男性にとっては良いグループ。
しかし、このグループに女性の人権はありません。
一見、このグループは、「性処理の役目がある分、女性は重労働を免除されている」ように見せかけられてはいます。
けれど、女性たちを全裸にして外を歩かせて、男性の盾代わりとして利用するなど、ロクなグループではありません。
しかもサワダは、人間の肉を食べます。
どう考えたってまともじゃない。
また、このグループでは、サワダが他のメンバーとリーダーを交代することはありません。
グループAは「合議制の村」ですが、グループBは「サワダの独裁王国」であると言えます。
グループAもグループBも、元々は自殺未遂者たちなのに、どうしてこんなに差がついたのでしょうか。
それはきっと、人間は集団になると必ずリーダーを必要とし、そのリーダーに良くも悪くも影響されてしまうから。
この「自殺島」へ送られたことでお互いに協力し合い、果物を採集し、海で魚を獲り、動物を狩り、獲物を捌き、火を起こし、畑を耕し…、と努力を重ねているのは共通しているのですが、リーダーによって随分生き方に差が出てしまうのは、人の業というものでしょう。
グループAのメンバーたちだって、もしサワダがリーダーになっていたらサワダに洗脳されていたかもしれませんし、グループBのメンバーたちだって、もしセイたちがリーダーになっていたら、グループAの振る舞いを非難して女性たちを救い出そうとしていたかもしれません。
現実世界においても、「誰を自分たちのリーダーにするか」について、よく考えないといけません。
また、もし「自分がリーダーになる」なら、自分はグループAとグループBどちらを目指したいのか、また、全く違うタイプのグループCを目指したいのか、ビジョンをしっかり持っていなければなりません。
でなければ、設計図無しでめちゃくちゃな家を建てたみたいに、グループはいつか必ず崩壊します。
自殺未遂を繰り返した人間が送られる「自殺島」。
この島には、電気・水道・ガスといったライフラインは存在しません。
昔この島に住んでいた人たちが使っていたお店・学校・病院といった建物と、こんな看板が立てられているのみ。
「あなた方は生きる権利と義務を放棄して本島にいます。あなた方のIDは我が国で死亡と言う形で消滅しており我が国におけるすべての権利をあなた方は有しておりません。あなた方は我が国における義務や権利を遵守する必要はありません。あなた方は本島及び周囲1km以内の海域において自由です。あなた方は本島から周囲1km以上の周辺海域に侵入する事は出来ません。それ以上の海域は領海侵犯となり、それを侵犯した場合生命の保証は致しません。
日本国政府」
自殺未遂者たちはこの状況により更に絶望し、一人、また一人と自殺していきます。
しかし、中にはこの状況の中でも「生きよう」とする人たちも現れます。
この漫画には、大きく分けて2つのグループが登場します。
仮にグループA、グループBとします。
グループAには、狩の達人「セイ」や、みんなの兄貴分的な「リョウ」、知識豊富な「スギ」といったリーダー格のメンバーがいます。
男性も女性もそれぞれ役割分担がありますが、女性が性処理の役目を強制されることはありません。
時折男性が女性を襲おうとしても、他の男性が止めに入ります。
仕事として自ら売春をする女性が現れてからは、それ以外の女性に無理やり乱暴しようとする男性は居なくなったようです。
リーダー格に不安があれば他のメンバーが代わってリーダーになる、という仕組みも出来ました。
グループBは「サワダ」の独裁状態。
「サワダ」はまずニワトリやヤギを捕らえて卵や乳を得たことでこのグループBのリーダーとなった後、男性はヤギを追い魚を獲り家を直し畑を耕す、女性は貝を採りバナナを収穫し食事を作り男性を慰める、という徹底した役割分担を定めました。
グループBのメンバーたちは自分で物事を考えなくても、「サワダ」の指示通りに働けばいい、といった風に洗脳されています。
サワダの言う通りにしていれば、モテない男性でも女性を抱けるので、男性にとっては良いグループ。
しかし、このグループに女性の人権はありません。
一見、このグループは、「性処理の役目がある分、女性は重労働を免除されている」ように見せかけられてはいます。
けれど、女性たちを全裸にして外を歩かせて、男性の盾代わりとして利用するなど、ロクなグループではありません。
しかもサワダは、人間の肉を食べます。
どう考えたってまともじゃない。
また、このグループでは、サワダが他のメンバーとリーダーを交代することはありません。
グループAは「合議制の村」ですが、グループBは「サワダの独裁王国」であると言えます。
グループAもグループBも、元々は自殺未遂者たちなのに、どうしてこんなに差がついたのでしょうか。
それはきっと、人間は集団になると必ずリーダーを必要とし、そのリーダーに良くも悪くも影響されてしまうから。
この「自殺島」へ送られたことでお互いに協力し合い、果物を採集し、海で魚を獲り、動物を狩り、獲物を捌き、火を起こし、畑を耕し…、と努力を重ねているのは共通しているのですが、リーダーによって随分生き方に差が出てしまうのは、人の業というものでしょう。
グループAのメンバーたちだって、もしサワダがリーダーになっていたらサワダに洗脳されていたかもしれませんし、グループBのメンバーたちだって、もしセイたちがリーダーになっていたら、グループAの振る舞いを非難して女性たちを救い出そうとしていたかもしれません。
現実世界においても、「誰を自分たちのリーダーにするか」について、よく考えないといけません。
また、もし「自分がリーダーになる」なら、自分はグループAとグループBどちらを目指したいのか、また、全く違うタイプのグループCを目指したいのか、ビジョンをしっかり持っていなければなりません。
でなければ、設計図無しでめちゃくちゃな家を建てたみたいに、グループはいつか必ず崩壊します。
著…森野萌『花野井くんと恋の病』
2019年6月13日 漫画
※注※
ネタバレがあります!
1〜3巻まで読みました。
「運命の人」に強くこだわるロマンチストなイケメン男子高校生・花野井くんが、彼女に重たくし過ぎて失恋するところからこの漫画は始まります。
世の中には「ただしイケメンに限る」という言葉があって、法に触れたりしない限りたいていのことはイケメンなら許されたりするのが世のことわりなのですが、さすがにイケメンでも依存症レベルと言えるほど彼女にのめり込んでしまう重さがあっては、「ただしイケメンでも不可」だったようです。
彼女に振られたショックが強すぎて、雪が降りしきる中、傘もささずに屋外のベンチに座り続ける花野井くん。
それを見かねた平凡な女子高生・ほたるが傘を差し出した翌日、なんと花野井くんはほたるの教室を訪ねてきて、クラスメイトたちの目の前でほたるに告白。
ほたるに気に入られるように、ほたるの好みに合うように、早速髪型を変え、ピアスを外した花野井くん。
ほたるが「無理に私に合わせようとしなくていいよ。花野井くんは花野井くんの好きなもの大事にしよう?」と言うと、なんと花野井くんは「ほたるちゃんが気になるならピアスは戻すよ」と言うではありませんか!
違ーーーう!
ほたるが言いたいのは、そういうことじゃないんだって!
自分自身の気持ちを大切にしてって言っているのに!
その後、花野井くんは、雪が積もって尚降り続けている夜の校庭でほたるのヘアピンをたった一人で探すという行動にも出るのでした。
心配して校庭まで駆けつけたほたるは、コートも着ず、帽子も被らず、手袋もせずにヘアピンを探す、凍えた花野井くんを発見…。
花野井くんは「君が笑ってくれるかと思って」とほたるに微笑みました。
そんなこと続けてたら死ぬぞ!? と読者がツッコミを入れていると、
なんと花野井くんは「君が笑ってくれるなら死んだっていい」と言い始めたではありませんか!
馬鹿あー!!命をもっと大事にしろよー!!と読者がツッコミを入れているうちに、
ほたるが「片っぽしか幸せになれないなら恋なんてこれからも絶対にしない!!」と叫び、
ほたるは花野井くんを職員室に引っ張っていって、ストーブの前に座らせ、毛布で体を包み、タオルで頭を拭いてあげました。
ほたる、いい子…!
この手の漫画って、もし女の子側がろくでもない奴だったら、「ヤンデレイケメンに尽くされる女のストーリー」で終わってしまいがちなのですが、ほたるが優しくて誠実な子だから安心して読んでいられます。
中でもわたしがお気に入りなのは、花野井くんが「ほたるちゃんに」と買ってきた肉まんを、ほたるが「一緒に食べよう」と半分こするシーン。
(1巻収録)
半分こ、って良い言葉ですよね。
好きな人と、美味しい食べ物を半分こすると、気持ちも通じ合えるような気がします。
花野井くんは、今後何をしたいか聞いたほたるに「最終的には同じお墓に入れたら幸せかな…」と答えちゃうし、
自室の本棚にカーテンで隠された段があると思ったら「ここはほたるちゃんゾーンだから」とにこっと微笑むような、
(まさかと思いますが、もしや隠し撮りしたほたるの写真をぎっしり入れたアルバムがみっちり入っているのでは…)
結構、
いや、
底知れぬサイコ…いやいや訂正、大分重篤な恋の病にかかった男なのですが、
ほたると一緒に居ることが花野井くんにとってある種のセラピーになるでしょうし、
ほたるには、過去に友達と恋愛絡みのことで気持ちが行き違ってしまい、謝ることが出来ないまま友達とお別れしたという、恋に対して苦い経験があるようですから、ほたるにとっても花野井くんと一緒に居ることが何らかの心の癒しに繋がるはず。
ほたるが余りにも警戒心が無さ過ぎて、わたしは読んでいて「こ、これは男性にとっては拷問みたいな状況なのでは…? この2人っきりのこのシチュエーションで彼女に手を出すなって言われても、好きな女の子に対して相当ドMじゃないと、いや相当ドMだとしても理性を保つのは相当辛くない?」とむしろ花野井くんが気の毒になってきたので、ほたるのペースは大事ですが可能な範囲で花野井くんの想いが成就しますように!
4巻以降の続きが楽しみです。
ネタバレがあります!
1〜3巻まで読みました。
「運命の人」に強くこだわるロマンチストなイケメン男子高校生・花野井くんが、彼女に重たくし過ぎて失恋するところからこの漫画は始まります。
世の中には「ただしイケメンに限る」という言葉があって、法に触れたりしない限りたいていのことはイケメンなら許されたりするのが世のことわりなのですが、さすがにイケメンでも依存症レベルと言えるほど彼女にのめり込んでしまう重さがあっては、「ただしイケメンでも不可」だったようです。
彼女に振られたショックが強すぎて、雪が降りしきる中、傘もささずに屋外のベンチに座り続ける花野井くん。
それを見かねた平凡な女子高生・ほたるが傘を差し出した翌日、なんと花野井くんはほたるの教室を訪ねてきて、クラスメイトたちの目の前でほたるに告白。
ほたるに気に入られるように、ほたるの好みに合うように、早速髪型を変え、ピアスを外した花野井くん。
ほたるが「無理に私に合わせようとしなくていいよ。花野井くんは花野井くんの好きなもの大事にしよう?」と言うと、なんと花野井くんは「ほたるちゃんが気になるならピアスは戻すよ」と言うではありませんか!
違ーーーう!
ほたるが言いたいのは、そういうことじゃないんだって!
自分自身の気持ちを大切にしてって言っているのに!
その後、花野井くんは、雪が積もって尚降り続けている夜の校庭でほたるのヘアピンをたった一人で探すという行動にも出るのでした。
心配して校庭まで駆けつけたほたるは、コートも着ず、帽子も被らず、手袋もせずにヘアピンを探す、凍えた花野井くんを発見…。
花野井くんは「君が笑ってくれるかと思って」とほたるに微笑みました。
そんなこと続けてたら死ぬぞ!? と読者がツッコミを入れていると、
なんと花野井くんは「君が笑ってくれるなら死んだっていい」と言い始めたではありませんか!
馬鹿あー!!命をもっと大事にしろよー!!と読者がツッコミを入れているうちに、
ほたるが「片っぽしか幸せになれないなら恋なんてこれからも絶対にしない!!」と叫び、
ほたるは花野井くんを職員室に引っ張っていって、ストーブの前に座らせ、毛布で体を包み、タオルで頭を拭いてあげました。
ほたる、いい子…!
この手の漫画って、もし女の子側がろくでもない奴だったら、「ヤンデレイケメンに尽くされる女のストーリー」で終わってしまいがちなのですが、ほたるが優しくて誠実な子だから安心して読んでいられます。
中でもわたしがお気に入りなのは、花野井くんが「ほたるちゃんに」と買ってきた肉まんを、ほたるが「一緒に食べよう」と半分こするシーン。
(1巻収録)
半分こ、って良い言葉ですよね。
好きな人と、美味しい食べ物を半分こすると、気持ちも通じ合えるような気がします。
花野井くんは、今後何をしたいか聞いたほたるに「最終的には同じお墓に入れたら幸せかな…」と答えちゃうし、
自室の本棚にカーテンで隠された段があると思ったら「ここはほたるちゃんゾーンだから」とにこっと微笑むような、
(まさかと思いますが、もしや隠し撮りしたほたるの写真をぎっしり入れたアルバムがみっちり入っているのでは…)
結構、
いや、
底知れぬサイコ…いやいや訂正、大分重篤な恋の病にかかった男なのですが、
ほたると一緒に居ることが花野井くんにとってある種のセラピーになるでしょうし、
ほたるには、過去に友達と恋愛絡みのことで気持ちが行き違ってしまい、謝ることが出来ないまま友達とお別れしたという、恋に対して苦い経験があるようですから、ほたるにとっても花野井くんと一緒に居ることが何らかの心の癒しに繋がるはず。
ほたるが余りにも警戒心が無さ過ぎて、わたしは読んでいて「こ、これは男性にとっては拷問みたいな状況なのでは…? この2人っきりのこのシチュエーションで彼女に手を出すなって言われても、好きな女の子に対して相当ドMじゃないと、いや相当ドMだとしても理性を保つのは相当辛くない?」とむしろ花野井くんが気の毒になってきたので、ほたるのペースは大事ですが可能な範囲で花野井くんの想いが成就しますように!
4巻以降の続きが楽しみです。
原作…白井カイウ 作画…出水ぽすか『約束のネバーランド』1〜14巻までの感想
2019年6月9日 漫画
※注※
ネタバレがあります!
「もし自分がこの子どもたちと同じ立場だったらどうするだろうか? そもそも自分の境遇の真実に自力で気づけるだろうか? 仮に気づいたとして、諦めずにいられるだろうか? 友達を見捨てることなく、全員で助かろう、と必死で戦えるだろうか?」
と唸りながらコミックス1巻を読み始めたわたしは、気づいたら14巻まで一気に読み終えていて、今は15巻の発売を待ち切れずにいます。
〈こういう人におすすめ〉
例えば、映画『トゥルーマン・ショー』が好きだ、という方なら、きっとこの漫画のことも気に入るはず。
「自分の人生は他人に用意されたものだった」と気づき、どんなに外の世界に辛いこと悲しいこと悲しいことが沢山あって、どんなに今まで居た世界が安全だったとしても、その心地良い世界から外の世界へ脱出して自分の人生を手に入れようとするところが、この漫画と共通しています。
また、映画『ミネハハ 秘密の森の少女たち』が好きだ、という方にもこの漫画はおすすめ。
ある人物が巨額の費用と時間と人員を費やして子どもたちを育成しているけれど、子どもたちは不気味な門と森に阻まれて敷地から逃げることが出来ず、ほとんどの子どもたちは大人になる前に死亡、そしてごく一握りの子どもたちは大人になると加害者側に加担する、というところが、この漫画と共通しています。
また、漫画『食糧人類』が好きだという方にもこの漫画はおすすめ。
自分たちに人間としての基本的人権というものは全く認められておらず、家畜として飼育されていつかは怪物に食べられるのだ、しかも自分たちが食べられることで死を免れる人間たちが居て彼らは自分たちの逃亡を阻止したいのだ、と悟った上で、友達と協力しながら怪物に立ち向かい、怪物を滅ぼそう、とするところが、この漫画と共通しています。
と、ここまで書けばこの『約束のネバーランド』のストーリーが概ね伝わると思います。
〈ストーリーの見どころ〉
『約束のネバーランド』に登場する子どもたちは「自分たちは孤児院で育てられている孤児だ」と思い込まされていました。
「里親が決まれば孤児院から出て行けるのだ」と。
「それまでは、〝ママ〟と呼ばれる孤児院の職員によって愛情たっぷりに育ててもらえて、血は繋がらないけれど兄弟姉妹同然のみんなと暮らせるのだ」と。
「先に里親が決まって孤児院から出て行ったみんなが手紙のひとつも出してくれないのは、みんなが外の世界で幸せになって孤児院のことを忘れてしまったからだ」と。
けれど、そうではありませんでした。
「孤児院」ではなく、「農園」。
「孤児」ではなく、「家畜」。
「里親のもとへ行く」のではなく、「農園から出荷される」。
「孤児院の職員」ではなく、飼育を監督する「飼育監」。
手紙は「出さない」のではなく、「出せない」。
先に「里親」のもとへ行ったみんなはもう居ない。
この世のどこにも居ない。
とっくに「鬼」の胃袋の中。
その残酷な真実を知った子どもたちは、最年長者でもまだ12歳にも満たない、ごく幼い存在。
子どもたちは怖くて怖くてたまらなかったけれど、これ以上誰かを食べられてしまう前に、「みんなで逃げよう」と誓います。
「農園」から脱走した子どもたちが運動神経も頭脳も助け合いの精神もずば抜けて優れていることや、子どもたちを支援してくれるごく僅かな人間と鬼に出会えたおかげで、子どもたちは絶えず襲いかかってくる鬼たちから逃れ、途中少しずつ仲間を失いながらも、生き延びていきます。
その中で、
自分たちは鬼に食べられたくない。
けれど、自分たちだって他の生き物を殺して食べている。
自分たちと鬼に大した違いは無い。
お世話になった鬼もいる。
鬼を絶滅させること無く、共存出来る道は無いのか?
と悩む子どもがいる一方、鬼の絶滅を願う子どもも居るので、彼らが今後どんな道を切り拓いていくのか気になります。
〈鬼を絶滅させるべきか? 共存すべきか?〉
多分、どちらの言い分も間違っていません。
また、鬼は見た目こそ人間からすれば異形だけれど、やっていることは現実の人間がやっていることと変わらないので、子どもたちがあくまで鬼の絶滅を願うなら、それは子どもたちより上の世代が作り上げた人間社会の有様を皮肉っているようにも思えます。
鬼が子どもたちを「農園」で育てているのと、人間が牛、豚、鳥、魚といった生き物を「養殖」しているのは変わらないし、
「養殖物」よりも「天然物」を美味しいと感じる者がいるのも変わらないし、
鬼が子どもたちを「儀式」で殺すのと、人間が生き物たちを殺すのは変わらないし、
鬼の中には子どもたちを「遊びの狩り」で殺す者も居るけれど、人間の中にだって生き物たちを「遊びの狩り」で殺す者も居るし、
鬼が子どもたちを「食べる」のと、人間たちが生き物たちを「食べる」のは、やっぱり変わらないし、
鬼の中にもはっきりとした身分制度があって、上位の鬼はより美味しいものを食べて着飾って裕福な暮らしが出来るけれど、下位の鬼は量産された質の低い食べ物しか手に入れられないのも、人間社会と似ているし、
貴族鬼の間で「最高級食材」の話が出た途端、それまで食べていた恐らく「並よりは良い食材」を、貴族鬼が「もういいわ!」と食べ残すシーンが描かれるけれど、それも気軽に食べ物を廃棄する人間と変わらないし、
「ボクを殺したらボクのパパが……」なんて親の威光を盾に命乞いをする鬼も、
自分たちは子どもたちを殺しまくっているくせにいざ仲間を殺されたら泣く鬼も、
燃えるような戦いを楽しみたいからという理由で、敢えて子どもたちに有利な状況を作り出してやって自らを窮地に追いやるという、自殺衝動とも解釈出来る行動を取る鬼も、
人間に見えます。
もともと鬼が人間っぽいのか、人間を食べているうちに人間っぽくなってしまったのかは分かりませんが。
この漫画の続きがとても気になります。
鬼の正体が気になるし、子どもたちが生き延びて大人になれるかどうかも気になるし、たとえ偽善的だったとしても「共存」が本当に可能なのかも気になります。
これまで現実の歴史の中で、「共存」することがいかに難しいかが示されてきたけれど、せめて漫画の中でくらい「みんなで幸せになる」結末があって欲しいです。
〈気になる点〉
しかし、わたしがコミックス派でまだ連載最新話まで読んでいないから勝手に疑問視しているだけかもしれないですが、いくつか気になる点があります。
なお、ストーリーの面白さに注目してもらうため、ここまでは敢えて子どもたちや鬼たちの名前を明記しなかったのですが、ここからはそれぞれのキャラクターの名前を具体的に書いていこうと思います。
●パルウゥスはどうなった?
「鬼が鬼の死体を食べるとその意識や能力を受け継ぐ」というルールがあるのに、子どもたちがレウウィス大公を倒した後、レウウィス大公の肩にいつも乗っていたパルウゥスを仕留めなかったのが、どうにも危険な伏線のような気がしてなりません。
パルウゥスがレウウィス大公の死体を食べたら、レウウィス大公以上の強敵を生み出したことになるのでは…?
●レウウィス大公が最期に見た走馬灯の中になぜムジカの姿があった?
レウウィス大公の視界にはムジカだけでなくソンジュの姿もあるのに、明らかにムジカに注目が集まっている様子。
もしかしたら、エマが救いたがっているムジカこそが世界の真実を握っている重要な存在なのかもしれません。
●鬼は元々は人間か?
6つの塔のあるお寺にあった図が、まるでツノがある人×他の生き物=ツノがある人と他の生き物を混ぜた姿の鬼、を示しているかのように見えます。
なお、ツノがある人×蛇のような生き物=× だった模様。
掛け合わせても上手くいかない例があったのかも。
●ノーマンは本当に元のノーマンか?
一時は生存が絶望視されたノーマンが鬼に喰われることなく生還しているのは嬉しい限りですが、他の子どもたちに対して平気でメスを入れて人体改造を施してきた新型農園で、ノーマンだけ人体改造を免れたとは考えにくいです。
ノーマンと同時期に新型農園で実験に加わっていたヴィンセントの頭に傷跡があるのだから、ノーマンも実は頭に傷跡があるのかも…。
●子どもたちは「品種改良」されてはいないのか?
現実の人間たちは、これまで沢山の動物に品種改良を重ねてきました。
例えば牛なら、より乳量が増えるように、或いは肉質が良くなるように。
鬼たちが「農園」を営み始めて、かれこれ1000年もの時が経っているそうですから、何らかの品種改良が人間にも加えられている可能性は高いです。
ということは、エマたちが仮に人間の世界へと脱出出来たとしても、純粋な人間たちと自分たちに違う点があり、人間社会に受け入れてもらえない可能性もあります。
そうでないことを祈ります。
●「ママ(飼育監イザベラ)が産んだのは誰なのか?
イザベラが産んだのはレイです。
では、レイの父親は誰なのでしょう?
イザベラが飼育監として認められるためには、「子どもを産んでママになる」という条件をクリアする必要がありました。
かといって、「農園」や「本部」の様子を見る限り、自由に恋愛させて子どもを授からせてくれるような雰囲気は全くありません。
下手に異性と出会わせて脱走のきっかけになっても困るはず。
となるとイザベラは人工授精で身ごもった可能性があります。
人工授精の様子は実際イザベラの回想の中でも描かれています。
人工授精に用いる受精卵を準備するためには卵子と精子が必要になるわけですが、前述した掛け合わせの話を考慮すると、組み合わせ次第では美味しい「食材」に適さない可能性があります。
ということは、ここからは何の根拠もない推測ですが、既に「出荷」されて鬼の胃袋に入って特に美味だった人間を「またあの肉が食べたい」とクローンとして量産する可能性は0ではありません。
どう育つか分からない子どもを新たに生み出すよりも、こう表現するとかなり残酷ですが、クローンなら効率良く意図した通りの子どもが誕生しそう。
その仮定が正しいなら、イザベラは代理母で、レイは誰かのクローンなのかもしれません。
だから、子どもたちは優秀な子ばかりなのかもしれません。
レイ、エマ、ノーマンが非凡なのは勿論、ドン、ギルダ、フィルも優秀だし、他の子たちも、記憶力・理解力・判断力・運動神経・容姿・優しさ(コニーはきっと「優しさ」に該当)など、必ず一つ以上の面が特に優れている子どもばかりなのは、優秀な子どもが選抜されてクローン化されているのかも…。
例えば馬だって、肉用になる馬、乗馬用になる馬、競馬で活躍した後はその優秀な血統を絶やさないように種馬として活躍する馬、など様々ですよね。
平凡な遺伝子の人間は「量産型農園」に、秀でた遺伝子の人間は「高級農園」に送られるのかも…。
そうだとしたらゾッとします。
白井カイウ先生がコミックス5巻で「レイの誕生日は1月15日」「ただしレイの本当の誕生日は別にある」と書いていることから、もしかしたら「今回のレイ」の誕生日が1月15日で、「オリジナルのレイ」の誕生日が別にあることを示しているのかもしれません…。
でも、それ凄く怖いですよね。
何度生まれても、どれだけ代を重ねても、毎回大人になれずに、毎回食べられるだなんて。
そんな残酷なことを1000年も繰り返してきたのでしょうか?
ネタバレがあります!
「もし自分がこの子どもたちと同じ立場だったらどうするだろうか? そもそも自分の境遇の真実に自力で気づけるだろうか? 仮に気づいたとして、諦めずにいられるだろうか? 友達を見捨てることなく、全員で助かろう、と必死で戦えるだろうか?」
と唸りながらコミックス1巻を読み始めたわたしは、気づいたら14巻まで一気に読み終えていて、今は15巻の発売を待ち切れずにいます。
〈こういう人におすすめ〉
例えば、映画『トゥルーマン・ショー』が好きだ、という方なら、きっとこの漫画のことも気に入るはず。
「自分の人生は他人に用意されたものだった」と気づき、どんなに外の世界に辛いこと悲しいこと悲しいことが沢山あって、どんなに今まで居た世界が安全だったとしても、その心地良い世界から外の世界へ脱出して自分の人生を手に入れようとするところが、この漫画と共通しています。
また、映画『ミネハハ 秘密の森の少女たち』が好きだ、という方にもこの漫画はおすすめ。
ある人物が巨額の費用と時間と人員を費やして子どもたちを育成しているけれど、子どもたちは不気味な門と森に阻まれて敷地から逃げることが出来ず、ほとんどの子どもたちは大人になる前に死亡、そしてごく一握りの子どもたちは大人になると加害者側に加担する、というところが、この漫画と共通しています。
また、漫画『食糧人類』が好きだという方にもこの漫画はおすすめ。
自分たちに人間としての基本的人権というものは全く認められておらず、家畜として飼育されていつかは怪物に食べられるのだ、しかも自分たちが食べられることで死を免れる人間たちが居て彼らは自分たちの逃亡を阻止したいのだ、と悟った上で、友達と協力しながら怪物に立ち向かい、怪物を滅ぼそう、とするところが、この漫画と共通しています。
と、ここまで書けばこの『約束のネバーランド』のストーリーが概ね伝わると思います。
〈ストーリーの見どころ〉
『約束のネバーランド』に登場する子どもたちは「自分たちは孤児院で育てられている孤児だ」と思い込まされていました。
「里親が決まれば孤児院から出て行けるのだ」と。
「それまでは、〝ママ〟と呼ばれる孤児院の職員によって愛情たっぷりに育ててもらえて、血は繋がらないけれど兄弟姉妹同然のみんなと暮らせるのだ」と。
「先に里親が決まって孤児院から出て行ったみんなが手紙のひとつも出してくれないのは、みんなが外の世界で幸せになって孤児院のことを忘れてしまったからだ」と。
けれど、そうではありませんでした。
「孤児院」ではなく、「農園」。
「孤児」ではなく、「家畜」。
「里親のもとへ行く」のではなく、「農園から出荷される」。
「孤児院の職員」ではなく、飼育を監督する「飼育監」。
手紙は「出さない」のではなく、「出せない」。
先に「里親」のもとへ行ったみんなはもう居ない。
この世のどこにも居ない。
とっくに「鬼」の胃袋の中。
その残酷な真実を知った子どもたちは、最年長者でもまだ12歳にも満たない、ごく幼い存在。
子どもたちは怖くて怖くてたまらなかったけれど、これ以上誰かを食べられてしまう前に、「みんなで逃げよう」と誓います。
「農園」から脱走した子どもたちが運動神経も頭脳も助け合いの精神もずば抜けて優れていることや、子どもたちを支援してくれるごく僅かな人間と鬼に出会えたおかげで、子どもたちは絶えず襲いかかってくる鬼たちから逃れ、途中少しずつ仲間を失いながらも、生き延びていきます。
その中で、
自分たちは鬼に食べられたくない。
けれど、自分たちだって他の生き物を殺して食べている。
自分たちと鬼に大した違いは無い。
お世話になった鬼もいる。
鬼を絶滅させること無く、共存出来る道は無いのか?
と悩む子どもがいる一方、鬼の絶滅を願う子どもも居るので、彼らが今後どんな道を切り拓いていくのか気になります。
〈鬼を絶滅させるべきか? 共存すべきか?〉
多分、どちらの言い分も間違っていません。
また、鬼は見た目こそ人間からすれば異形だけれど、やっていることは現実の人間がやっていることと変わらないので、子どもたちがあくまで鬼の絶滅を願うなら、それは子どもたちより上の世代が作り上げた人間社会の有様を皮肉っているようにも思えます。
鬼が子どもたちを「農園」で育てているのと、人間が牛、豚、鳥、魚といった生き物を「養殖」しているのは変わらないし、
「養殖物」よりも「天然物」を美味しいと感じる者がいるのも変わらないし、
鬼が子どもたちを「儀式」で殺すのと、人間が生き物たちを殺すのは変わらないし、
鬼の中には子どもたちを「遊びの狩り」で殺す者も居るけれど、人間の中にだって生き物たちを「遊びの狩り」で殺す者も居るし、
鬼が子どもたちを「食べる」のと、人間たちが生き物たちを「食べる」のは、やっぱり変わらないし、
鬼の中にもはっきりとした身分制度があって、上位の鬼はより美味しいものを食べて着飾って裕福な暮らしが出来るけれど、下位の鬼は量産された質の低い食べ物しか手に入れられないのも、人間社会と似ているし、
貴族鬼の間で「最高級食材」の話が出た途端、それまで食べていた恐らく「並よりは良い食材」を、貴族鬼が「もういいわ!」と食べ残すシーンが描かれるけれど、それも気軽に食べ物を廃棄する人間と変わらないし、
「ボクを殺したらボクのパパが……」なんて親の威光を盾に命乞いをする鬼も、
自分たちは子どもたちを殺しまくっているくせにいざ仲間を殺されたら泣く鬼も、
燃えるような戦いを楽しみたいからという理由で、敢えて子どもたちに有利な状況を作り出してやって自らを窮地に追いやるという、自殺衝動とも解釈出来る行動を取る鬼も、
人間に見えます。
もともと鬼が人間っぽいのか、人間を食べているうちに人間っぽくなってしまったのかは分かりませんが。
この漫画の続きがとても気になります。
鬼の正体が気になるし、子どもたちが生き延びて大人になれるかどうかも気になるし、たとえ偽善的だったとしても「共存」が本当に可能なのかも気になります。
これまで現実の歴史の中で、「共存」することがいかに難しいかが示されてきたけれど、せめて漫画の中でくらい「みんなで幸せになる」結末があって欲しいです。
〈気になる点〉
しかし、わたしがコミックス派でまだ連載最新話まで読んでいないから勝手に疑問視しているだけかもしれないですが、いくつか気になる点があります。
なお、ストーリーの面白さに注目してもらうため、ここまでは敢えて子どもたちや鬼たちの名前を明記しなかったのですが、ここからはそれぞれのキャラクターの名前を具体的に書いていこうと思います。
●パルウゥスはどうなった?
「鬼が鬼の死体を食べるとその意識や能力を受け継ぐ」というルールがあるのに、子どもたちがレウウィス大公を倒した後、レウウィス大公の肩にいつも乗っていたパルウゥスを仕留めなかったのが、どうにも危険な伏線のような気がしてなりません。
パルウゥスがレウウィス大公の死体を食べたら、レウウィス大公以上の強敵を生み出したことになるのでは…?
●レウウィス大公が最期に見た走馬灯の中になぜムジカの姿があった?
レウウィス大公の視界にはムジカだけでなくソンジュの姿もあるのに、明らかにムジカに注目が集まっている様子。
もしかしたら、エマが救いたがっているムジカこそが世界の真実を握っている重要な存在なのかもしれません。
●鬼は元々は人間か?
6つの塔のあるお寺にあった図が、まるでツノがある人×他の生き物=ツノがある人と他の生き物を混ぜた姿の鬼、を示しているかのように見えます。
なお、ツノがある人×蛇のような生き物=× だった模様。
掛け合わせても上手くいかない例があったのかも。
●ノーマンは本当に元のノーマンか?
一時は生存が絶望視されたノーマンが鬼に喰われることなく生還しているのは嬉しい限りですが、他の子どもたちに対して平気でメスを入れて人体改造を施してきた新型農園で、ノーマンだけ人体改造を免れたとは考えにくいです。
ノーマンと同時期に新型農園で実験に加わっていたヴィンセントの頭に傷跡があるのだから、ノーマンも実は頭に傷跡があるのかも…。
●子どもたちは「品種改良」されてはいないのか?
現実の人間たちは、これまで沢山の動物に品種改良を重ねてきました。
例えば牛なら、より乳量が増えるように、或いは肉質が良くなるように。
鬼たちが「農園」を営み始めて、かれこれ1000年もの時が経っているそうですから、何らかの品種改良が人間にも加えられている可能性は高いです。
ということは、エマたちが仮に人間の世界へと脱出出来たとしても、純粋な人間たちと自分たちに違う点があり、人間社会に受け入れてもらえない可能性もあります。
そうでないことを祈ります。
●「ママ(飼育監イザベラ)が産んだのは誰なのか?
イザベラが産んだのはレイです。
では、レイの父親は誰なのでしょう?
イザベラが飼育監として認められるためには、「子どもを産んでママになる」という条件をクリアする必要がありました。
かといって、「農園」や「本部」の様子を見る限り、自由に恋愛させて子どもを授からせてくれるような雰囲気は全くありません。
下手に異性と出会わせて脱走のきっかけになっても困るはず。
となるとイザベラは人工授精で身ごもった可能性があります。
人工授精の様子は実際イザベラの回想の中でも描かれています。
人工授精に用いる受精卵を準備するためには卵子と精子が必要になるわけですが、前述した掛け合わせの話を考慮すると、組み合わせ次第では美味しい「食材」に適さない可能性があります。
ということは、ここからは何の根拠もない推測ですが、既に「出荷」されて鬼の胃袋に入って特に美味だった人間を「またあの肉が食べたい」とクローンとして量産する可能性は0ではありません。
どう育つか分からない子どもを新たに生み出すよりも、こう表現するとかなり残酷ですが、クローンなら効率良く意図した通りの子どもが誕生しそう。
その仮定が正しいなら、イザベラは代理母で、レイは誰かのクローンなのかもしれません。
だから、子どもたちは優秀な子ばかりなのかもしれません。
レイ、エマ、ノーマンが非凡なのは勿論、ドン、ギルダ、フィルも優秀だし、他の子たちも、記憶力・理解力・判断力・運動神経・容姿・優しさ(コニーはきっと「優しさ」に該当)など、必ず一つ以上の面が特に優れている子どもばかりなのは、優秀な子どもが選抜されてクローン化されているのかも…。
例えば馬だって、肉用になる馬、乗馬用になる馬、競馬で活躍した後はその優秀な血統を絶やさないように種馬として活躍する馬、など様々ですよね。
平凡な遺伝子の人間は「量産型農園」に、秀でた遺伝子の人間は「高級農園」に送られるのかも…。
そうだとしたらゾッとします。
白井カイウ先生がコミックス5巻で「レイの誕生日は1月15日」「ただしレイの本当の誕生日は別にある」と書いていることから、もしかしたら「今回のレイ」の誕生日が1月15日で、「オリジナルのレイ」の誕生日が別にあることを示しているのかもしれません…。
でも、それ凄く怖いですよね。
何度生まれても、どれだけ代を重ねても、毎回大人になれずに、毎回食べられるだなんて。
そんな残酷なことを1000年も繰り返してきたのでしょうか?
原作…志名坂高次 作画…粂田晃宏『モンキーピーク』1〜9巻の感想
2019年2月9日 漫画
※注
以下のレビューにはネタバレが含まれています!
薬害疑惑のある製薬会社の社員たちが、会社の変革に向けて団結すべく、登山を始めるところからスタートする漫画。
この登山は、単なる会社のレクリエーションの一環のはずでした。
目的地まで登ったら、テントを張って休み、夜が明けたら下山して、また日常生活が送れる…はずでした。
突然現れた巨大な猿がナタで社員たちを惨殺し始めるまでは。
全員、携帯電話を担当者(既に死亡)に預けており、みんなの携帯電話を入れたはずの袋が消えてしまったため、外部との連絡手段が全くありません。
遺体を見つけた社員たちは動揺しながらも何とか下山しようとするけれど、偽の標識にまんまと騙されて、道に迷い、また猿に殺されます。
社員たちはパニックになってお互いを巻き込む形で階段から落ち、怪我人も死者も続出。
二手に分かれて助けを呼ぼうと試みるけれど、その間も猿は容赦なく襲撃してきます。
主人公・早乙女(営業)と安斎(法務)が襲われている社員たちを助けようと駆けつけるけれど、間に合わず。
早乙女と安斎が目にしたのは、逃げようとして背中を切りつけられた人や、怪我をして動けなかった人や意識の無かった人まで殺された凄惨な現場…。
早乙女と安斎が二人掛かりで猿に反撃するけれど、人間以上に大きなこの猿はビクともせず。
社員たちは猿から逃れるため、山小屋を目指して必死に歩き続けるけれど、どんどん水が残り少なくなっていき、食料も無く、不安と苛立ちも募っていきます。
それでも、社長がしっかりとリーダーシップを発揮してくれたので、みんながバラバラになることはありませんでした。
みんな慣れない登山で心身ともに疲れ、脱水症状になりながらも、どうにか山小屋まで辿り着きますが、山小屋にあった水を猿に捨てられ、社長が猿に弓で射られ…、どんどん人数が減っていきます。
猿は槍まで持って襲ってきました。
ナタ。
弓。
槍。
ここまで武器を器用に使うとなると、単なる「巨大な猿」ではないことが明白になってきました。
猿の格好をして誤魔化してはいるけれど、その一部の中身は人間。
そこにあるのは、社員たちに対する「殺す」という強烈な意思。
「威嚇する」でもなく、「怪我をさせる」でもなく。
目的は「殺す」こと。
猿の正体は人間なのか?
だとしたら誰が何のために自分たちを殺そうとしているのか?
それがハッキリしないまま、みんな「この中に実は猿の仲間が居て、猿の手引きをしているのでは?」とお互いを疑うようになっていきます。
社長亡き後、リーダーシップを発揮するようになった安斎のやり方を気に入らない者もいます。
猿だけでなく、滑落する恐怖、疲労、睡眠不足、脱水症状、ハンガーノック、低体温症、凍傷、更に不運なことに風や雨や雷までもが襲ってくる中、お互いを信頼しきれないのは非常に辛いものがあります。
やがて、猿が一匹だけではなく、複数いることが判明。
猿の正体が猿の格好をしたただの人間である場合もありますが、別格の、まるで魔物のような猿の存在も明らかになり、事態はどんどん絶望的になっていきます。
こうした極限状態を描いたサバイバル系の漫画は世の中に沢山ありますが、わたしはこの漫画を読みながらまるで歴史の本を読んでいるかのような気分になりました。
「これくらいの山ならへっちゃらでしょ」と山を甘く見る者。
他の者をあからさまに足手まとい扱いして馬鹿にする者。
危険と分かっていながら、誰かを助けに行こうとする者。
毒物が混入されているかもしれない食べ物を、自分が毒味する、と志願する者。
怪しい行動をとった者を容赦ない拷問にかける者。
どさくさに紛れて殺人を行い、猿の仕業であるかのように見せかけようとする者。
仲間を助けるため、猿と刺し違えてでも猿を殺そうとする者。
弱い立場の者をうまく騙して利用しようとする者。
偶然現れた登山者がせっかく電話を持っていたのに、正常な思考が出来ず、貴重なその電話を奪い取って放り投げてしまった者。
全員で平等に分けるべき飲み物を盗む者。
自分の罪を他人に着せる者。
足手まといの者を盾にして自分は助かろうとする者。
生き残るため、死者から持ち物を奪う者。
爆弾を作り、猿と共に自爆することで、仲間を助けようとする者。
自分の行いを「絶対正義」と正当化する者。
誰かを囮にして自分だけ助かろうとする者。
どんなに極限状態に追い込まれても、互いに助け合おうとする者。
生き残ることよりも猿への敵討ちを優先する者。
復讐とは無関係な、何の罪もない登山者や、救助にやって来た人たちを、自分の計画を遂行するために殺す者…。
この漫画の舞台は山だけれど、この山で行われている人間模様は、これまで地球上で人類が幾度となく繰り広げてきたことと同じ。
人間の正の部分と負の部分を両方見せつけられます。
この漫画にはレイプや子殺しが出てこないことがせめてもの救いですが、登山メンバー次第ではそういう状況にも成り得たかもしれません。
それでも山は人間の行いをただじっと見つめ続けるのでしょう。
けれど、人類の中には、この漫画の早乙女たちのように、どんな窮地においても善良であり続ける人たちが存在しており、そのおかげで今まで人類は絶滅を免れてきたのだろうな…、とわたしは早乙女たちの言動を見ながら思いました。
刺し違えてでも敵を倒そうとする若者たちの姿には、不謹慎かもしれませんがわたしは特攻隊の若者の姿を重ねずにはいられませんでした。
また、おそらく当初、この登山計画は薬害をもたらした社員たちへの復讐のため猿側の人間が計画したものだったとしても、偶然山にやって来ただけの登山者たちや、救助隊、警察など、薬害に全く関係のない人たちをも殺戮して、どんどん被害を拡大させて、もはや猿側からしても収集がつかなくなっていく描写が、第二次世界大戦でどんどん追い詰められていく日本の姿と重なりました。
なんてむごい。
誰かが自分の命を犠牲にしなくても、争わずにいられて、みんなで笑って暮らせる世の中に出来たらどれほど良いでしょう。
そうして沢山の若い命が散っていっても、この漫画のように訳も分からぬまま命を奪われる人は、現実世界でもちっともいなくなっていません。
毎日ニュースを見ていると、毎日どこかで誰かが誰かを殺しているし、この漫画の中だって、誰かが命がけで猿を倒しても、また別の猿が現れてまた誰かを殺します。
この漫画が現実と重なって見えて、読んでいるととても辛いですが、登場人物たちがせめて一人でも多く生き残ってくれることをわたしは願います。
なお、この漫画は現在、単行本が9巻まで発売されたばかり。
10巻以降の発売が早くも待ち遠しいです。
登山初日のメンバーは40人居たのが、9巻現在において生き残りはたったの8人…。
しかもその8人の中には猿の仲間がいます。
どうにか早乙女たちに救われて欲しいです。
もし全滅なんてしてしまったら、まるで命がけのバトンを繋ぐかのように犠牲となっていった人たちが報われないから。
以下のレビューにはネタバレが含まれています!
薬害疑惑のある製薬会社の社員たちが、会社の変革に向けて団結すべく、登山を始めるところからスタートする漫画。
この登山は、単なる会社のレクリエーションの一環のはずでした。
目的地まで登ったら、テントを張って休み、夜が明けたら下山して、また日常生活が送れる…はずでした。
突然現れた巨大な猿がナタで社員たちを惨殺し始めるまでは。
全員、携帯電話を担当者(既に死亡)に預けており、みんなの携帯電話を入れたはずの袋が消えてしまったため、外部との連絡手段が全くありません。
遺体を見つけた社員たちは動揺しながらも何とか下山しようとするけれど、偽の標識にまんまと騙されて、道に迷い、また猿に殺されます。
社員たちはパニックになってお互いを巻き込む形で階段から落ち、怪我人も死者も続出。
二手に分かれて助けを呼ぼうと試みるけれど、その間も猿は容赦なく襲撃してきます。
主人公・早乙女(営業)と安斎(法務)が襲われている社員たちを助けようと駆けつけるけれど、間に合わず。
早乙女と安斎が目にしたのは、逃げようとして背中を切りつけられた人や、怪我をして動けなかった人や意識の無かった人まで殺された凄惨な現場…。
早乙女と安斎が二人掛かりで猿に反撃するけれど、人間以上に大きなこの猿はビクともせず。
社員たちは猿から逃れるため、山小屋を目指して必死に歩き続けるけれど、どんどん水が残り少なくなっていき、食料も無く、不安と苛立ちも募っていきます。
それでも、社長がしっかりとリーダーシップを発揮してくれたので、みんながバラバラになることはありませんでした。
みんな慣れない登山で心身ともに疲れ、脱水症状になりながらも、どうにか山小屋まで辿り着きますが、山小屋にあった水を猿に捨てられ、社長が猿に弓で射られ…、どんどん人数が減っていきます。
猿は槍まで持って襲ってきました。
ナタ。
弓。
槍。
ここまで武器を器用に使うとなると、単なる「巨大な猿」ではないことが明白になってきました。
猿の格好をして誤魔化してはいるけれど、その一部の中身は人間。
そこにあるのは、社員たちに対する「殺す」という強烈な意思。
「威嚇する」でもなく、「怪我をさせる」でもなく。
目的は「殺す」こと。
猿の正体は人間なのか?
だとしたら誰が何のために自分たちを殺そうとしているのか?
それがハッキリしないまま、みんな「この中に実は猿の仲間が居て、猿の手引きをしているのでは?」とお互いを疑うようになっていきます。
社長亡き後、リーダーシップを発揮するようになった安斎のやり方を気に入らない者もいます。
猿だけでなく、滑落する恐怖、疲労、睡眠不足、脱水症状、ハンガーノック、低体温症、凍傷、更に不運なことに風や雨や雷までもが襲ってくる中、お互いを信頼しきれないのは非常に辛いものがあります。
やがて、猿が一匹だけではなく、複数いることが判明。
猿の正体が猿の格好をしたただの人間である場合もありますが、別格の、まるで魔物のような猿の存在も明らかになり、事態はどんどん絶望的になっていきます。
こうした極限状態を描いたサバイバル系の漫画は世の中に沢山ありますが、わたしはこの漫画を読みながらまるで歴史の本を読んでいるかのような気分になりました。
「これくらいの山ならへっちゃらでしょ」と山を甘く見る者。
他の者をあからさまに足手まとい扱いして馬鹿にする者。
危険と分かっていながら、誰かを助けに行こうとする者。
毒物が混入されているかもしれない食べ物を、自分が毒味する、と志願する者。
怪しい行動をとった者を容赦ない拷問にかける者。
どさくさに紛れて殺人を行い、猿の仕業であるかのように見せかけようとする者。
仲間を助けるため、猿と刺し違えてでも猿を殺そうとする者。
弱い立場の者をうまく騙して利用しようとする者。
偶然現れた登山者がせっかく電話を持っていたのに、正常な思考が出来ず、貴重なその電話を奪い取って放り投げてしまった者。
全員で平等に分けるべき飲み物を盗む者。
自分の罪を他人に着せる者。
足手まといの者を盾にして自分は助かろうとする者。
生き残るため、死者から持ち物を奪う者。
爆弾を作り、猿と共に自爆することで、仲間を助けようとする者。
自分の行いを「絶対正義」と正当化する者。
誰かを囮にして自分だけ助かろうとする者。
どんなに極限状態に追い込まれても、互いに助け合おうとする者。
生き残ることよりも猿への敵討ちを優先する者。
復讐とは無関係な、何の罪もない登山者や、救助にやって来た人たちを、自分の計画を遂行するために殺す者…。
この漫画の舞台は山だけれど、この山で行われている人間模様は、これまで地球上で人類が幾度となく繰り広げてきたことと同じ。
人間の正の部分と負の部分を両方見せつけられます。
この漫画にはレイプや子殺しが出てこないことがせめてもの救いですが、登山メンバー次第ではそういう状況にも成り得たかもしれません。
それでも山は人間の行いをただじっと見つめ続けるのでしょう。
けれど、人類の中には、この漫画の早乙女たちのように、どんな窮地においても善良であり続ける人たちが存在しており、そのおかげで今まで人類は絶滅を免れてきたのだろうな…、とわたしは早乙女たちの言動を見ながら思いました。
刺し違えてでも敵を倒そうとする若者たちの姿には、不謹慎かもしれませんがわたしは特攻隊の若者の姿を重ねずにはいられませんでした。
また、おそらく当初、この登山計画は薬害をもたらした社員たちへの復讐のため猿側の人間が計画したものだったとしても、偶然山にやって来ただけの登山者たちや、救助隊、警察など、薬害に全く関係のない人たちをも殺戮して、どんどん被害を拡大させて、もはや猿側からしても収集がつかなくなっていく描写が、第二次世界大戦でどんどん追い詰められていく日本の姿と重なりました。
なんてむごい。
誰かが自分の命を犠牲にしなくても、争わずにいられて、みんなで笑って暮らせる世の中に出来たらどれほど良いでしょう。
そうして沢山の若い命が散っていっても、この漫画のように訳も分からぬまま命を奪われる人は、現実世界でもちっともいなくなっていません。
毎日ニュースを見ていると、毎日どこかで誰かが誰かを殺しているし、この漫画の中だって、誰かが命がけで猿を倒しても、また別の猿が現れてまた誰かを殺します。
この漫画が現実と重なって見えて、読んでいるととても辛いですが、登場人物たちがせめて一人でも多く生き残ってくれることをわたしは願います。
なお、この漫画は現在、単行本が9巻まで発売されたばかり。
10巻以降の発売が早くも待ち遠しいです。
登山初日のメンバーは40人居たのが、9巻現在において生き残りはたったの8人…。
しかもその8人の中には猿の仲間がいます。
どうにか早乙女たちに救われて欲しいです。
もし全滅なんてしてしまったら、まるで命がけのバトンを繋ぐかのように犠牲となっていった人たちが報われないから。
※注※
ネタバレ全開です。
未読の方はご注意を。
1巻発売当初からずっと読んできましたが、ついに6巻で、この漫画のタイトルの意味がはっきりしました。
突如地球へと飛来した異星人によって、一部の人類が食糧にされている…わけではなかったのです。
人類そのものが食糧でした。
しかも太古の昔から。
昔々…、地球からはるか遠くの星で、高い文明を築いた異星人がいました。
異星人はあまりにも貪欲な上に生殖力も高かったため、増え過ぎて、食べ過ぎて、自分たちの星の資源を食い尽くしてしまいました。
異星人は母星と似た移住先となる星を探し、まだ人類が存在していない頃の地球に辿り着きました。
そして、異星人が移住してきた後の食糧にするために、人類の祖先を品種改良し、人類を創造。
そして地球上に人類が大勢増えた頃、異星人がはるか遠くの星から移住するために地球へ飛来し、予定通り人類を食べ始めました。
人類が絶滅してしまうと自分たちも食べるものが無くなって絶滅してしまうので、人類の養殖場を作り、人類の更なる品種改良と繁殖を行ってきました。
…それが真実だったのです。
この6巻ではついに異星人たちの暴走が始まりました。
幼稚園の子どもが異星人に無残に食い殺される描写もあり、思わず目を背けたくなります。
しかし、考えてみれば、わたしたちだって他の生き物に対して同じようなことをしていますよね。
異星人が人間を養殖していたように、人間だって他の生き物を養殖しています。
この漫画の中では、無理やり繁殖させられる男女の苦しみも描かれますが、それだって、人間が他の生き物に強いていることと同じです。
牛だって豚だって鶏だって魚だって、また、他の多くの生き物だって、人間に食べられるための、或いは毛皮を奪われたり、実験動物にされるための子どもを産まされ続けています。
幼稚園の子どもが異星人に食べられるシーンは何度見ても残酷だけれど、わたしたちだって、仔牛や仔羊や若鶏などを食べています…。
とは言え、「人類は食糧用に作られたのだから文句言わずに異星人に食べられてね」と言われて「はい分かりました」と受け入れられるわけありませんよね。
地球上の生き物同士が食べたり食べられたり食物連鎖するのは受け入れられますが、地球からはるか遠くからやって来た異星人の面倒を地球で見る義理はそもそも無いのです。
この状況って、たとえるなら、聞いたこともない遠くの街から、親戚でもない全く知らない人たちが我が家に突然上がり込んで来て、家族をぼりぼり食べ始めて、「ホモ・サピエンスが誕生するより前のあなたたちの先祖に良くしてやったんだから、あなたたちをもっと食べさせて。あなたたちの子どもたちも食べさせて」と無茶な要求をしているのと同じですよ。
「はいどうぞ」とは差し出せないですよ。
むしろ、何言ってんだこの野郎、出て行け!!いや、その前に家族の仇を討ってやる!!って話ですよ。
この漫画もいよいよ次が最終巻。
主人公たちには異星人と戦って勝利して欲しいです。
ネタバレ全開です。
未読の方はご注意を。
1巻発売当初からずっと読んできましたが、ついに6巻で、この漫画のタイトルの意味がはっきりしました。
突如地球へと飛来した異星人によって、一部の人類が食糧にされている…わけではなかったのです。
人類そのものが食糧でした。
しかも太古の昔から。
昔々…、地球からはるか遠くの星で、高い文明を築いた異星人がいました。
異星人はあまりにも貪欲な上に生殖力も高かったため、増え過ぎて、食べ過ぎて、自分たちの星の資源を食い尽くしてしまいました。
異星人は母星と似た移住先となる星を探し、まだ人類が存在していない頃の地球に辿り着きました。
そして、異星人が移住してきた後の食糧にするために、人類の祖先を品種改良し、人類を創造。
そして地球上に人類が大勢増えた頃、異星人がはるか遠くの星から移住するために地球へ飛来し、予定通り人類を食べ始めました。
人類が絶滅してしまうと自分たちも食べるものが無くなって絶滅してしまうので、人類の養殖場を作り、人類の更なる品種改良と繁殖を行ってきました。
…それが真実だったのです。
この6巻ではついに異星人たちの暴走が始まりました。
幼稚園の子どもが異星人に無残に食い殺される描写もあり、思わず目を背けたくなります。
しかし、考えてみれば、わたしたちだって他の生き物に対して同じようなことをしていますよね。
異星人が人間を養殖していたように、人間だって他の生き物を養殖しています。
この漫画の中では、無理やり繁殖させられる男女の苦しみも描かれますが、それだって、人間が他の生き物に強いていることと同じです。
牛だって豚だって鶏だって魚だって、また、他の多くの生き物だって、人間に食べられるための、或いは毛皮を奪われたり、実験動物にされるための子どもを産まされ続けています。
幼稚園の子どもが異星人に食べられるシーンは何度見ても残酷だけれど、わたしたちだって、仔牛や仔羊や若鶏などを食べています…。
とは言え、「人類は食糧用に作られたのだから文句言わずに異星人に食べられてね」と言われて「はい分かりました」と受け入れられるわけありませんよね。
地球上の生き物同士が食べたり食べられたり食物連鎖するのは受け入れられますが、地球からはるか遠くからやって来た異星人の面倒を地球で見る義理はそもそも無いのです。
この状況って、たとえるなら、聞いたこともない遠くの街から、親戚でもない全く知らない人たちが我が家に突然上がり込んで来て、家族をぼりぼり食べ始めて、「ホモ・サピエンスが誕生するより前のあなたたちの先祖に良くしてやったんだから、あなたたちをもっと食べさせて。あなたたちの子どもたちも食べさせて」と無茶な要求をしているのと同じですよ。
「はいどうぞ」とは差し出せないですよ。
むしろ、何言ってんだこの野郎、出て行け!!いや、その前に家族の仇を討ってやる!!って話ですよ。
この漫画もいよいよ次が最終巻。
主人公たちには異星人と戦って勝利して欲しいです。
原作…塚脇永久 漫画…伊藤龍 『蟻の王』
2018年2月22日 漫画
※注※
以下のレビューにはネタバレ及び残酷な表現を含みます。
エロ・グロ・バイオレンスが絶妙なバランスで混ぜ合わされた漫画。
イケメンと美女はとことん美しく、ブサイクはとことんブサイクに、悪党はとことん悪党に描く作品です。
3巻から登場する人物・枕田総司(まくらだ そうし)がわたしの一番のお気に入り。
総司は、18歳にして、既に20人以上を残虐な手口で殺害した人物ではありますが、彼女なりの「正義」には共感できます。
女の子が生まれることを望んでいた総司の母親は、総司が男の子として生まれたことが許せず、なんとハサミで総司の男性器を切断。
でもそんなことをしたって男の子を女の子に出来るはずはありません。
総司の下半身には、その傷跡を見た者が悲鳴をあげて嘔吐するほど、醜い傷跡が残ってしまいました。
総司を男の子とも女の子とも呼べない体にした母親は失踪。
残された総司は毎晩父親に弄ばれ、
結果、
総司は父親を殺しました。
以後、総司は子どもを傷つける男たちを殺害し続けました。
6巻で登場する、アイドルを目指す女の子たちに枕営業を強要するドブサイクな変態プロデューサーに対して、
総司は「アタシ断然その男ブッ殺したくなっちゃった こうなりゃいくとこまでイクわよ!」とハサミ片手に宣言。
総司が仲間たちと共にプロデューサー宅に侵入し、プロデューサーにハサミを向けるシーンは最高だし、
プロデューサー宅に火をつけた後、ハッとした表情の総司が現場に戻ってきたので、てっきりプロデューサーの息の根を止めるのかと思ったら、殺す価値すらないプロデューサーには目もくれず、アイドル志望の女の子が大事にしている家族写真のアルバムまで燃えてしまわないように、アルバムを大切に大切に抱えて去っていくシーンも素晴らしいです。
3巻で、貧しくていじめられている女の子の髪の毛を、総司がお姫様みたいに可愛く編み込んでリボンも結んでくれるシーンも素敵。
男性でも女性でもなく、男性でもあり女性でもある、そんな魅力のキャラクターです。
以下のレビューにはネタバレ及び残酷な表現を含みます。
エロ・グロ・バイオレンスが絶妙なバランスで混ぜ合わされた漫画。
イケメンと美女はとことん美しく、ブサイクはとことんブサイクに、悪党はとことん悪党に描く作品です。
3巻から登場する人物・枕田総司(まくらだ そうし)がわたしの一番のお気に入り。
総司は、18歳にして、既に20人以上を残虐な手口で殺害した人物ではありますが、彼女なりの「正義」には共感できます。
女の子が生まれることを望んでいた総司の母親は、総司が男の子として生まれたことが許せず、なんとハサミで総司の男性器を切断。
でもそんなことをしたって男の子を女の子に出来るはずはありません。
総司の下半身には、その傷跡を見た者が悲鳴をあげて嘔吐するほど、醜い傷跡が残ってしまいました。
総司を男の子とも女の子とも呼べない体にした母親は失踪。
残された総司は毎晩父親に弄ばれ、
結果、
総司は父親を殺しました。
以後、総司は子どもを傷つける男たちを殺害し続けました。
6巻で登場する、アイドルを目指す女の子たちに枕営業を強要するドブサイクな変態プロデューサーに対して、
総司は「アタシ断然その男ブッ殺したくなっちゃった こうなりゃいくとこまでイクわよ!」とハサミ片手に宣言。
総司が仲間たちと共にプロデューサー宅に侵入し、プロデューサーにハサミを向けるシーンは最高だし、
プロデューサー宅に火をつけた後、ハッとした表情の総司が現場に戻ってきたので、てっきりプロデューサーの息の根を止めるのかと思ったら、殺す価値すらないプロデューサーには目もくれず、アイドル志望の女の子が大事にしている家族写真のアルバムまで燃えてしまわないように、アルバムを大切に大切に抱えて去っていくシーンも素晴らしいです。
3巻で、貧しくていじめられている女の子の髪の毛を、総司がお姫様みたいに可愛く編み込んでリボンも結んでくれるシーンも素敵。
男性でも女性でもなく、男性でもあり女性でもある、そんな魅力のキャラクターです。
平野耕太『ドリフターズ』
2017年11月29日 漫画
島津豊久公が主人公として活躍するこの漫画、出来るなら関ヶ原の退き口で亡くなった薩摩義勇士たちにも読んでいただきたいです。
豊久公ご本人のことは現代の鹿児島県で生きるわたしは勿論直接存じ上げてはおりませんが、もしこの漫画のように異世界に赴かれたならば、きっとこのように敵大将を討ちにいったことでしょう。
女子供や降伏した者に刃を向けるのは恥。
狙うは敵大将の首!
さすがは「鬼島津」と呼ばれる島津家の一員です。
撤退する時でさえ敵陣に背を向けない。
撤退する時は、モーセが海を割るかの如く敵兵の波を割って敵陣を前進突破。
撤退中でありながらもなお敵に深手を負わせ、恐怖のどん底に陥れる。
並の軍人には捨てがまり戦法は遂行出来ない。
骨の髄までマッチョな集団!
嗚呼、本当にこの漫画、黄泉へと全巻お届け出来たら良いのに!
そして、義勇士たちが関ヶ原において捨てがまり戦法を用いて尊いバトンを繋いでくれたおかげで島津義弘公が無事に薩摩へ帰れたこと、あなた方がいなければ今頃「鹿児島県」というものは存在していなかったであろうことを感謝申し上げ、焼酎を好きなだけ飲んでいただきたい!
↑わたしの全財産が何度か吹っ飛ぶほど飲まれそうだ!
さて、この漫画には島津豊久公のほか、織田信長公、那須与一、ジャンヌ・ダルク、ジル・ド・レ、ハンニバル・バルカ、スキピオ・アフリカヌス、菅野直大尉、安倍晴明、アナスタシア皇女、ラスプーチン、源義経、明智光秀、土方歳三、山口多聞少将、アドルフ・ヒトラーなど、国籍も人種も性別も時代も問わず多くの有名人物が登場し、戦いを繰り広げます。
なんといっても敵の総大将の存在が圧倒的!
手を当てることで傷を癒す力を有し、手のひらに聖痕があり、パンや魚といった食料を無限に増やせる能力を持ち、「無花果(いちじく)が実る前に立ち枯れにせよ」と語り、「救世主」の経験があり、人間の原罪について語る人物…。
…この特徴を持つ歴史上の人物を、わたしはたった一人しか知りません。
世界中のほとんどの人が知っている、たった一人の人物。
もし作者に「この人物をこういう風に描いて良いのですか? ヴァチカンに怒られませんか?」と聞いたら、作者は「イエス!」と答えるのでしょうか。
続巻が待ちきれません。
豊久公ご本人のことは現代の鹿児島県で生きるわたしは勿論直接存じ上げてはおりませんが、もしこの漫画のように異世界に赴かれたならば、きっとこのように敵大将を討ちにいったことでしょう。
女子供や降伏した者に刃を向けるのは恥。
狙うは敵大将の首!
さすがは「鬼島津」と呼ばれる島津家の一員です。
撤退する時でさえ敵陣に背を向けない。
撤退する時は、モーセが海を割るかの如く敵兵の波を割って敵陣を前進突破。
撤退中でありながらもなお敵に深手を負わせ、恐怖のどん底に陥れる。
並の軍人には捨てがまり戦法は遂行出来ない。
骨の髄までマッチョな集団!
嗚呼、本当にこの漫画、黄泉へと全巻お届け出来たら良いのに!
そして、義勇士たちが関ヶ原において捨てがまり戦法を用いて尊いバトンを繋いでくれたおかげで島津義弘公が無事に薩摩へ帰れたこと、あなた方がいなければ今頃「鹿児島県」というものは存在していなかったであろうことを感謝申し上げ、焼酎を好きなだけ飲んでいただきたい!
↑わたしの全財産が何度か吹っ飛ぶほど飲まれそうだ!
さて、この漫画には島津豊久公のほか、織田信長公、那須与一、ジャンヌ・ダルク、ジル・ド・レ、ハンニバル・バルカ、スキピオ・アフリカヌス、菅野直大尉、安倍晴明、アナスタシア皇女、ラスプーチン、源義経、明智光秀、土方歳三、山口多聞少将、アドルフ・ヒトラーなど、国籍も人種も性別も時代も問わず多くの有名人物が登場し、戦いを繰り広げます。
なんといっても敵の総大将の存在が圧倒的!
手を当てることで傷を癒す力を有し、手のひらに聖痕があり、パンや魚といった食料を無限に増やせる能力を持ち、「無花果(いちじく)が実る前に立ち枯れにせよ」と語り、「救世主」の経験があり、人間の原罪について語る人物…。
…この特徴を持つ歴史上の人物を、わたしはたった一人しか知りません。
世界中のほとんどの人が知っている、たった一人の人物。
もし作者に「この人物をこういう風に描いて良いのですか? ヴァチカンに怒られませんか?」と聞いたら、作者は「イエス!」と答えるのでしょうか。
続巻が待ちきれません。
花沢健吾『アイアムアヒーロー 22』
2017年5月4日 漫画
※注※
結末に関するネタバレを含みます。
最終巻読破済またはネタバレ上等!な方だけ下記レビューをお読みください。
わたしも他のアイアムアヒーローファンと同じく、1〜22巻まで色々な想像をしながら読んできたので、そもそもZQNって何だったのか?という謎を残したままの完結には正直戸惑いました。
しかも、おばちゃんが若い女性へと奇跡のアンチエイジングを果たし、出産し、次の子までもお腹に宿すという展開になってびっくり!
えー!誰の子ー!?と思っていたら、読者の気持ちを代弁するかのように苫米地が、
「あの気のいいお兄ちゃんの子供を授かったと思ったら…次は誰の子だろうね?」
とおばちゃん(若返っているので厳密に言えばもうおばちゃんでは無いのですが、ここはややこしくなるので「おばちゃん」と呼び続けさせてください)に聞いてくれました。
気のいいお兄ちゃんって誰?
もしかしたら、コロリ隊長!? と更にびっくりしていると、おばちゃんは赤ちゃんを抱っこしながら、
「はっ! 全部私の子だよ。種なんてどうでもいいんだよ。なんなら、あんたのももらってやるよ!」
と、にんまり笑いました。
負けたーーー!
おばちゃんに完敗です!
そう、赤ちゃんの父親が誰かなんて、おばちゃんにはどうでもいい。
だって、生まれてくる子はみーんなおばちゃんの子なんだから。
おばちゃんは仲間の仇を討とうとクルスに立ち向かっていった勇敢な女性。
そんな女性の生む子たちですもの、次世代を切り拓くたくましい人間に育つはず。
未来は明るい。
人類は滅ばない。
ZQNの謎は深まるばかりだけれど、おばちゃんのおかげで読後感が爽やかでした。
ありがとう、おばちゃん。
結末に関するネタバレを含みます。
最終巻読破済またはネタバレ上等!な方だけ下記レビューをお読みください。
わたしも他のアイアムアヒーローファンと同じく、1〜22巻まで色々な想像をしながら読んできたので、そもそもZQNって何だったのか?という謎を残したままの完結には正直戸惑いました。
しかも、おばちゃんが若い女性へと奇跡のアンチエイジングを果たし、出産し、次の子までもお腹に宿すという展開になってびっくり!
えー!誰の子ー!?と思っていたら、読者の気持ちを代弁するかのように苫米地が、
「あの気のいいお兄ちゃんの子供を授かったと思ったら…次は誰の子だろうね?」
とおばちゃん(若返っているので厳密に言えばもうおばちゃんでは無いのですが、ここはややこしくなるので「おばちゃん」と呼び続けさせてください)に聞いてくれました。
気のいいお兄ちゃんって誰?
もしかしたら、コロリ隊長!? と更にびっくりしていると、おばちゃんは赤ちゃんを抱っこしながら、
「はっ! 全部私の子だよ。種なんてどうでもいいんだよ。なんなら、あんたのももらってやるよ!」
と、にんまり笑いました。
負けたーーー!
おばちゃんに完敗です!
そう、赤ちゃんの父親が誰かなんて、おばちゃんにはどうでもいい。
だって、生まれてくる子はみーんなおばちゃんの子なんだから。
おばちゃんは仲間の仇を討とうとクルスに立ち向かっていった勇敢な女性。
そんな女性の生む子たちですもの、次世代を切り拓くたくましい人間に育つはず。
未来は明るい。
人類は滅ばない。
ZQNの謎は深まるばかりだけれど、おばちゃんのおかげで読後感が爽やかでした。
ありがとう、おばちゃん。
ダーウィンズゲーム 10 (少年チャンピオン・コミックス)
2016年10月11日 漫画
1~10巻、一気に読みました。
「早く続きが読みたい!」と11巻の発売日を調べようとして、10巻が2016年10月7日に発売されたばかりだということにハッとしました。
11巻を早く読みたいので、誰かタイムマシン貸して下さい!!
この漫画、どの登場人物も肝が座っていて格好良いのですが、中でもシュカちゃんが素敵です。
もし、他の人が時速100kmで走っているとするならば、シュカちゃんは速すぎてメーター振り切れてて計測不能。
そのくらいキャラが立っています。
6巻で、シュカちゃんは雪蘭から、
「お主その歳で死ぬのが怖くないのか?」
と問われ、
「死ぬのが嫌なら生まれて来なければ良かったんじゃない? 生き物なんてその内全部死んじゃうんだから」
と答えました。
こういうセリフをサラッと言い放てるのが凄い。
「早く続きが読みたい!」と11巻の発売日を調べようとして、10巻が2016年10月7日に発売されたばかりだということにハッとしました。
11巻を早く読みたいので、誰かタイムマシン貸して下さい!!
この漫画、どの登場人物も肝が座っていて格好良いのですが、中でもシュカちゃんが素敵です。
もし、他の人が時速100kmで走っているとするならば、シュカちゃんは速すぎてメーター振り切れてて計測不能。
そのくらいキャラが立っています。
6巻で、シュカちゃんは雪蘭から、
「お主その歳で死ぬのが怖くないのか?」
と問われ、
「死ぬのが嫌なら生まれて来なければ良かったんじゃない? 生き物なんてその内全部死んじゃうんだから」
と答えました。
こういうセリフをサラッと言い放てるのが凄い。
食糧人類-Starving Anonymous-(1) (ヤンマガKCスペシャル)
2016年10月10日 漫画 コメント (2)
人間が人間を食用に飼育する、という漫画。
飼育室で沢山の人間を監禁。
栄養をたっぷり与え、肥らせる。
やがて解体。
「食用」ではなく「生殖種」として選ばれた人間は無理やり発情させられ、性行為と妊娠と出産を繰り返し、限界がきて子どもを作れない体になったら即廃棄。
…と、かなりえげつない内容の漫画ではあるのですが、でもこれって人間が人間以外の生き物に対して常日頃していることですよね。
殺して食べるために牛、豚、鶏、魚などを育てて、いつか殺して食べるための子を生み出すための繁殖も行っています。
おかげさまでわたしたちはスーパーなどで手軽に肉や魚を買い、調理し、食べることが出来るわけですが、殺される側にとってはたまったもんじゃありませんよね。
この漫画の主人公たちが果たして逃げられるのか、続きが楽しみです。
飼育室で沢山の人間を監禁。
栄養をたっぷり与え、肥らせる。
やがて解体。
「食用」ではなく「生殖種」として選ばれた人間は無理やり発情させられ、性行為と妊娠と出産を繰り返し、限界がきて子どもを作れない体になったら即廃棄。
…と、かなりえげつない内容の漫画ではあるのですが、でもこれって人間が人間以外の生き物に対して常日頃していることですよね。
殺して食べるために牛、豚、鶏、魚などを育てて、いつか殺して食べるための子を生み出すための繁殖も行っています。
おかげさまでわたしたちはスーパーなどで手軽に肉や魚を買い、調理し、食べることが出来るわけですが、殺される側にとってはたまったもんじゃありませんよね。
この漫画の主人公たちが果たして逃げられるのか、続きが楽しみです。
ジャスミン・ギュ『Back Street Girls』
2016年7月9日 漫画
極道の親分がアイドルのプロデューサーになりたがっている。
↓
大きなヘマをやらかした下っ端極道が親分に「命だけは助けてください!何でもします!」と土下座。
↓
親分が一言。
「アイドルやれよ」
↓
下っ端極道はその言葉の意味が分からず困惑。
↓
親分「まぁ強要はしないよ、他にも選択肢はあるからな…。足切るとか使える臓器全部売るとかさ。ほら、選べよ。アイドル、足、臓器。5秒やる、選べなかったら殺すぞ。はい、1、2、3…」
アイドルになるか。
足を切られるか。
臓器を抜かれるか。
それとも敢えて沈黙し、殺されるか。
なんちゅー4択!?
しかも考える時間は5秒しか貰えない!
かくして、下っ端極道たちは「アイドル」を選択。
タイで性転換手術と全身整形を施され、
親分の、アメと鞭の指導どころか鞭と鞭と鞭しかないスパルタプロデュースのもと、洗脳教育とヴォイストレーニングとダンスレッスンを叩き込まれ、
アイリちゃん、マリちゃん、チカちゃん、の可愛い女の子3人組のアイドルグループ「ゴクドルズ」結成!
…というギャグ漫画。
この3人、けなげ!
色っぽい女性や、元カノに出会っても、「俺は本当は男なんです」とは明かせないし、もし明かしたとしても、もはや身体は女。想いの遂げようもない。
かつての自分を知っている飲み屋の大将などは、「しばらく来てねーな…。きっと殺されたんだろうね…。すげーいいヤツだったよ。俺はヤクザが大嫌いなんだけどアイツは好きだったよ」と涙を流して偲んでくれるけれど、今も生きていて性転換して全身整形して秋葉原でアイドルやってます、なんて言えない!
親分は3人の労をねぎらうどころか、ライブにインパクトを出すためだけに「ちょっとだけ足の骨折ろうよ。いやほらなんかアイドルのドキュメンタリー見たらさー、調子悪いのに頑張って舞台上がるんだよ。そーゆーのいいじゃん?やってみようよそれ。ファン泣くぞ?」と言い出し、しかも本当に故意に足を折る鬼畜!
ファンだけじゃなくて読み手のこっちも泣くぞぉぉぉ!!
誰か3人をこの鬼プロデューサーから救い出してくれるヒーローは現れないのでしょうか?
ドラえもんが「性別戻し機」とか出してくれないでしょうか?←そんなひみつ道具ありません!
でも、けなげな3人を熱烈に愛するファンの皆さんもまた、けなげ。
アイリが変なファンに絡まれて涙ぐんでいたら助けてくれるファンもいるし、部屋中にマリのポスターを貼りまくってポスターに話しかけ続けて家庭崩壊してもそれでもマリ一途のファンもいるし、渋〜い大物俳優もチカのサインが貰えると思ったらニッコニコ笑顔が止まらないし、3人がそれぞれアルコールを飲んだり痔の薬を買ったりタバコを吸っている写真が出回っても「合成だ!」「てか痔なんか若い女性にもあるわ!」と愛することをやめないファンもいるし、突然アイリが卒業を発表したらショックを受けて入院しその後アイリを励ますために病院から飛び出してきたファンもいるし、
…うーん、
ファンのためには3人がこのままアイドルを続けた方が良い気もする?
と、3人のアイドル活動を応援しながら読んでいたら、気づけば1~4巻全て読み終えていました。
5巻以降も早く読みたい!
↓
大きなヘマをやらかした下っ端極道が親分に「命だけは助けてください!何でもします!」と土下座。
↓
親分が一言。
「アイドルやれよ」
↓
下っ端極道はその言葉の意味が分からず困惑。
↓
親分「まぁ強要はしないよ、他にも選択肢はあるからな…。足切るとか使える臓器全部売るとかさ。ほら、選べよ。アイドル、足、臓器。5秒やる、選べなかったら殺すぞ。はい、1、2、3…」
アイドルになるか。
足を切られるか。
臓器を抜かれるか。
それとも敢えて沈黙し、殺されるか。
なんちゅー4択!?
しかも考える時間は5秒しか貰えない!
かくして、下っ端極道たちは「アイドル」を選択。
タイで性転換手術と全身整形を施され、
親分の、アメと鞭の指導どころか鞭と鞭と鞭しかないスパルタプロデュースのもと、洗脳教育とヴォイストレーニングとダンスレッスンを叩き込まれ、
アイリちゃん、マリちゃん、チカちゃん、の可愛い女の子3人組のアイドルグループ「ゴクドルズ」結成!
…というギャグ漫画。
この3人、けなげ!
色っぽい女性や、元カノに出会っても、「俺は本当は男なんです」とは明かせないし、もし明かしたとしても、もはや身体は女。想いの遂げようもない。
かつての自分を知っている飲み屋の大将などは、「しばらく来てねーな…。きっと殺されたんだろうね…。すげーいいヤツだったよ。俺はヤクザが大嫌いなんだけどアイツは好きだったよ」と涙を流して偲んでくれるけれど、今も生きていて性転換して全身整形して秋葉原でアイドルやってます、なんて言えない!
親分は3人の労をねぎらうどころか、ライブにインパクトを出すためだけに「ちょっとだけ足の骨折ろうよ。いやほらなんかアイドルのドキュメンタリー見たらさー、調子悪いのに頑張って舞台上がるんだよ。そーゆーのいいじゃん?やってみようよそれ。ファン泣くぞ?」と言い出し、しかも本当に故意に足を折る鬼畜!
ファンだけじゃなくて読み手のこっちも泣くぞぉぉぉ!!
誰か3人をこの鬼プロデューサーから救い出してくれるヒーローは現れないのでしょうか?
ドラえもんが「性別戻し機」とか出してくれないでしょうか?←そんなひみつ道具ありません!
でも、けなげな3人を熱烈に愛するファンの皆さんもまた、けなげ。
アイリが変なファンに絡まれて涙ぐんでいたら助けてくれるファンもいるし、部屋中にマリのポスターを貼りまくってポスターに話しかけ続けて家庭崩壊してもそれでもマリ一途のファンもいるし、渋〜い大物俳優もチカのサインが貰えると思ったらニッコニコ笑顔が止まらないし、3人がそれぞれアルコールを飲んだり痔の薬を買ったりタバコを吸っている写真が出回っても「合成だ!」「てか痔なんか若い女性にもあるわ!」と愛することをやめないファンもいるし、突然アイリが卒業を発表したらショックを受けて入院しその後アイリを励ますために病院から飛び出してきたファンもいるし、
…うーん、
ファンのためには3人がこのままアイドルを続けた方が良い気もする?
と、3人のアイドル活動を応援しながら読んでいたら、気づけば1~4巻全て読み終えていました。
5巻以降も早く読みたい!
ひよどり祥子『死人の声をきくがよい』
2016年1月31日 漫画
日本らしい、じめっとした空気と仄暗さを感じさせるホラー漫画。
見ていて「痛い!!痛いよ!!」とこっちが悲鳴をあげたくなるくらい残酷なやり方で登場人物たちが殺されていきます。
異常者や、或いは、人ならざるものたちに。
顔を食いちぎられたり、脳味噌が吹っ飛んだり、尻子玉を抜かれたり(肛門から内臓を引きずり出されることを意味します。痛いし死ぬしお尻の穴からだから恥ずかしいし最悪!)、
というだけでも恐ろしいのに、
連続幼女殺人鬼の霊(死刑執行済み)が幼女に取り憑いて、幼女の友達の幼女(ややこしくてすみません)に「あいかちゃんが今はいてるパンツちょうだい。パンツだよパンツ。ホラ早く脱いでよ。グフフフフフフ」と迫るシーンときたら!
鳥肌が一気にぞわぞわっと立ちました!
気持ち悪すぎる!!
そんなおどろおどろしいこの漫画の中で清涼剤となるのが「早川さん」の存在です。
早川さんは主人公の幼馴染。
黒髪ストレートロングの美少女。
残念ながら早川さんは異常者に殺されてしまいます。
しかし早川さんはその後も幽霊となって主人公の側に居続けます。
この早川さんになら取り憑かれたいな、と女のわたしでも思います。
だって、早川さんは可愛いから。
可愛いは正義!
見ていて「痛い!!痛いよ!!」とこっちが悲鳴をあげたくなるくらい残酷なやり方で登場人物たちが殺されていきます。
異常者や、或いは、人ならざるものたちに。
顔を食いちぎられたり、脳味噌が吹っ飛んだり、尻子玉を抜かれたり(肛門から内臓を引きずり出されることを意味します。痛いし死ぬしお尻の穴からだから恥ずかしいし最悪!)、
というだけでも恐ろしいのに、
連続幼女殺人鬼の霊(死刑執行済み)が幼女に取り憑いて、幼女の友達の幼女(ややこしくてすみません)に「あいかちゃんが今はいてるパンツちょうだい。パンツだよパンツ。ホラ早く脱いでよ。グフフフフフフ」と迫るシーンときたら!
鳥肌が一気にぞわぞわっと立ちました!
気持ち悪すぎる!!
そんなおどろおどろしいこの漫画の中で清涼剤となるのが「早川さん」の存在です。
早川さんは主人公の幼馴染。
黒髪ストレートロングの美少女。
残念ながら早川さんは異常者に殺されてしまいます。
しかし早川さんはその後も幽霊となって主人公の側に居続けます。
この早川さんになら取り憑かれたいな、と女のわたしでも思います。
だって、早川さんは可愛いから。
可愛いは正義!
ナカタニD.『リバーシブルマン』
2015年5月10日 漫画
1〜2巻まで読みました。
「ウラガエリ」がテーマの漫画。
人間は生まれる時は母親の体を脱ぎ捨て、死ぬ時は自分の体を脱ぎ捨てて本来の魂になっていく、という考え方をもとに、この漫画のウラガエリは、理性とか自らの限界のようなものを全て脱ぎ捨てます。
見た目は普通の人間と大して変わらないのに、苦痛や恐怖や悲しみも感じない怪物になり、血が噴き出すどころかありとあらゆる内臓が飛び出すほど凄惨な犯罪をいくつも重ねていくのです。
この漫画は、ウラガエリそうになったけれど自らの意思の強さによって人間の側に留まった人や、ウラガエリではない普通の人たちが、ウラガエリに対抗していくストーリーです。
グロテスクな殺人描写や、とことん不快ではっきり言ってキモい人間がたくさん出てくる漫画でもあります。ですが、そういう人間はちゃんと痛い目にあってくれる(性犯罪をしていた、或いはこれからしようとしていた男性の性器がちょん切られたりします)ので、読んでいて痛快な気分になることもありました。
登場人物たちが今後どうなっていくのか気になるので、近いうちに続きが読みたいです。
わたしは登場人物の中でキューが一番好き。
あの、ぶっ飛びつつも彼なりの美学に徹しているところが好き。
「ウラガエリ」がテーマの漫画。
人間は生まれる時は母親の体を脱ぎ捨て、死ぬ時は自分の体を脱ぎ捨てて本来の魂になっていく、という考え方をもとに、この漫画のウラガエリは、理性とか自らの限界のようなものを全て脱ぎ捨てます。
見た目は普通の人間と大して変わらないのに、苦痛や恐怖や悲しみも感じない怪物になり、血が噴き出すどころかありとあらゆる内臓が飛び出すほど凄惨な犯罪をいくつも重ねていくのです。
この漫画は、ウラガエリそうになったけれど自らの意思の強さによって人間の側に留まった人や、ウラガエリではない普通の人たちが、ウラガエリに対抗していくストーリーです。
グロテスクな殺人描写や、とことん不快ではっきり言ってキモい人間がたくさん出てくる漫画でもあります。ですが、そういう人間はちゃんと痛い目にあってくれる(性犯罪をしていた、或いはこれからしようとしていた男性の性器がちょん切られたりします)ので、読んでいて痛快な気分になることもありました。
登場人物たちが今後どうなっていくのか気になるので、近いうちに続きが読みたいです。
わたしは登場人物の中でキューが一番好き。
あの、ぶっ飛びつつも彼なりの美学に徹しているところが好き。
岡野雄一『ペコロスの母に会いに行く』
2015年1月29日 漫画
コミックエッセイ。
他人様のお母さんを「可愛い」なんて言っては失礼かもしれないですが、作者・岡野さんのお母さん・みつえさんがほんわか可愛いので、ページを捲っているだけで何だか心が和みます。
認知症になった母の介護が大変だ!と嘆くタイプのコミックエッセイではなく、むしろ、あとがきで岡野さんが「忘れることは、悪いことばかりじゃない」とおっしゃっている通り、認知症になった母もまた母なのだと受け入れようとしている好印象を受けました。
『ペコロスの母に会いに行く』というタイトルも、うまいタイトルを付けたなーと感心させられました。
「母に会いに行く」とは、単に施設に入居している母の面会に行くというだけではなくて、認知症の影響によって会う度に違う歳の女性になっている母と向き合うことで、まるで時代を超えて色んな「母」に会いに行っているような気がします。
今では年老いて認知症となった母、老いてはいてもまだ認知症が進行していなかった頃の母、夫や子どもたちと暮らしていた頃の母、まだ赤ちゃんだった我が子を亡くした頃の母、まだ嫁入り前の娘だった頃の母、兄弟たちの子守や親の手伝いでなかなか学校にも行けない少女だった頃の母…。
どれもこれも「母」の歴史ですものね。
歴史に名を残すような何か偉大なことを成し遂げた女性というわけでなくても、普通の一人のおばあちゃんにも何十年という人生の歴史がある、ということを教えてくれる一冊です。
エピソードの中では特にP62〜P63に掲載されている「命がすれ違う」というエピソードが素敵です。
命のバトンタッチは決して悲しいものではなく、むしろ希望に満ちたものなのですね。
他人様のお母さんを「可愛い」なんて言っては失礼かもしれないですが、作者・岡野さんのお母さん・みつえさんがほんわか可愛いので、ページを捲っているだけで何だか心が和みます。
認知症になった母の介護が大変だ!と嘆くタイプのコミックエッセイではなく、むしろ、あとがきで岡野さんが「忘れることは、悪いことばかりじゃない」とおっしゃっている通り、認知症になった母もまた母なのだと受け入れようとしている好印象を受けました。
『ペコロスの母に会いに行く』というタイトルも、うまいタイトルを付けたなーと感心させられました。
「母に会いに行く」とは、単に施設に入居している母の面会に行くというだけではなくて、認知症の影響によって会う度に違う歳の女性になっている母と向き合うことで、まるで時代を超えて色んな「母」に会いに行っているような気がします。
今では年老いて認知症となった母、老いてはいてもまだ認知症が進行していなかった頃の母、夫や子どもたちと暮らしていた頃の母、まだ赤ちゃんだった我が子を亡くした頃の母、まだ嫁入り前の娘だった頃の母、兄弟たちの子守や親の手伝いでなかなか学校にも行けない少女だった頃の母…。
どれもこれも「母」の歴史ですものね。
歴史に名を残すような何か偉大なことを成し遂げた女性というわけでなくても、普通の一人のおばあちゃんにも何十年という人生の歴史がある、ということを教えてくれる一冊です。
エピソードの中では特にP62〜P63に掲載されている「命がすれ違う」というエピソードが素敵です。
命のバトンタッチは決して悲しいものではなく、むしろ希望に満ちたものなのですね。
石井あゆみ 『信長協奏曲 5巻』
2013年1月29日 漫画
木下藤吉郎が、ついに羽柴秀吉へ改名。
丹羽長秀の「羽」、柴田勝家の「柴」、明智光秀の「光」を一字ずつ取り、最後に木下藤吉郎の「吉」を残して、羽柴秀吉に!
というくだりは、読んでいて気持ちが良いくらい、秀吉の気質をよく表しているように思います。
また、生き別れの弟として名乗り出てきた忍に、「ガキの頃のことなど覚えておらんなぁ。わしが生きる上でなんの必要もない」とキッパリ言い放つあたりも、わたしが抱いている秀吉のイメージ(表面上はニコニコと振る舞いながらも、実は冷徹で極めて頭が良い)にぴったり。
そして秀吉はこの忍へ対して、「お前と関わり合うことがわしにとって利となるのかそれとも害なのか、重要なのはそれだけよ…!」と更に言います。
結局この忍、秀吉の役に立つことを条件として、弟の「秀長」として織田家に仕えることになりました。
…うーん、この秀長、顔も背格好もまるっきり秀吉とは似ていません。
何か裏がありそうな予感が…。気のせいでしょうか…。
それからまた物語は進んで…、斉藤道三以来の第二のタイムスリップ仲間として、松永久秀が登場。
平成でのご職業はヤクザだったらしく、背中には立派な獅子の刺青が。
眉毛が非常に立派しすぎて、眉尻が何とも言えず特徴的。
惜しむらしくは、この人も日本史にうといという事!
残念!
サブローはいつになったら本能寺の変の犯人を知ることが出来るのでしょうか。
浅井長政の心の揺れ動きが描かれているという点においても、わたしはこの5巻が好きです。
同盟関係にある信長を裏切るのか、裏切らないのか。市に対してどう振る舞えば良いのか…、という悩みが、ページを捲る度に伝わってきて苦しくなります。
ただ、この漫画におけるお市は、長政のことも信長のことも大事だけれど、信長のことが一番大事という考え方なので、だからこそ長政が報われない感じがして切ない…。
お市が信長へ両端をしっかりと結んだあずき袋を贈り、それを見て長政が裏切って自分が袋の鼠になっていることを知った信長が突如逃げに転じた「金ヶ崎の退き口」も、この5巻において描かれています。
秀吉はその「金ヶ崎の退き口」の殿軍をかって出ます。
信長の背中を襲って、今川義元を討たれた恨みを晴らそうという狙いが見え見えです。
秀吉のそういう狡猾さは、もはや潔いほどで、読んでいて清々しいくらいです。
しかし、秀吉は信長を裏切る気満々だったのに、その不穏な気配に気づいた明智光秀と竹中半兵衛に見張られてしまい、秀吉は信長を裏切ろうにも裏切れず、逃げる信長の背中を守るために尽力する羽目に。
わたしは史実での羽柴秀吉は嫌いですが、この漫画での羽柴秀吉は応援していきたいです。
丹羽長秀の「羽」、柴田勝家の「柴」、明智光秀の「光」を一字ずつ取り、最後に木下藤吉郎の「吉」を残して、羽柴秀吉に!
というくだりは、読んでいて気持ちが良いくらい、秀吉の気質をよく表しているように思います。
また、生き別れの弟として名乗り出てきた忍に、「ガキの頃のことなど覚えておらんなぁ。わしが生きる上でなんの必要もない」とキッパリ言い放つあたりも、わたしが抱いている秀吉のイメージ(表面上はニコニコと振る舞いながらも、実は冷徹で極めて頭が良い)にぴったり。
そして秀吉はこの忍へ対して、「お前と関わり合うことがわしにとって利となるのかそれとも害なのか、重要なのはそれだけよ…!」と更に言います。
結局この忍、秀吉の役に立つことを条件として、弟の「秀長」として織田家に仕えることになりました。
…うーん、この秀長、顔も背格好もまるっきり秀吉とは似ていません。
何か裏がありそうな予感が…。気のせいでしょうか…。
それからまた物語は進んで…、斉藤道三以来の第二のタイムスリップ仲間として、松永久秀が登場。
平成でのご職業はヤクザだったらしく、背中には立派な獅子の刺青が。
眉毛が非常に立派しすぎて、眉尻が何とも言えず特徴的。
惜しむらしくは、この人も日本史にうといという事!
残念!
サブローはいつになったら本能寺の変の犯人を知ることが出来るのでしょうか。
浅井長政の心の揺れ動きが描かれているという点においても、わたしはこの5巻が好きです。
同盟関係にある信長を裏切るのか、裏切らないのか。市に対してどう振る舞えば良いのか…、という悩みが、ページを捲る度に伝わってきて苦しくなります。
ただ、この漫画におけるお市は、長政のことも信長のことも大事だけれど、信長のことが一番大事という考え方なので、だからこそ長政が報われない感じがして切ない…。
お市が信長へ両端をしっかりと結んだあずき袋を贈り、それを見て長政が裏切って自分が袋の鼠になっていることを知った信長が突如逃げに転じた「金ヶ崎の退き口」も、この5巻において描かれています。
秀吉はその「金ヶ崎の退き口」の殿軍をかって出ます。
信長の背中を襲って、今川義元を討たれた恨みを晴らそうという狙いが見え見えです。
秀吉のそういう狡猾さは、もはや潔いほどで、読んでいて清々しいくらいです。
しかし、秀吉は信長を裏切る気満々だったのに、その不穏な気配に気づいた明智光秀と竹中半兵衛に見張られてしまい、秀吉は信長を裏切ろうにも裏切れず、逃げる信長の背中を守るために尽力する羽目に。
わたしは史実での羽柴秀吉は嫌いですが、この漫画での羽柴秀吉は応援していきたいです。
石井あゆみ『信長協奏曲 4巻』
2013年1月24日 漫画
ついにお市が浅井長政にお嫁入り!
この漫画においてお市は、馬上で立ち上がって裾を乱すようなおてんば姫として描かれており、当初お市は浅井長政との婚姻話にむくれていました。
サブローが「浅井さんちの長政くんは武将としてもなかなか評判がいいし…あ! そうだ何よりね! 顔が! かなりの男前だってもっぱらの評判で…」と猛プッシュしますが、お市は「男は顔ではありませぬ」とバッサリ。
うむ。その意見には同意致します!
しかしお市が嫁いでくれないことには話が進みません!
本物の信長である明智光秀に諭され、お市は「その浅井某とやらの元へお市は嫁ぎます! 兄上と織田家のために、嫁ぎます!」と決意。
良かった良かった。
…ん?
某とは何ごとぞ!!
…でも後に登場した長政さまが、なかなかの男前に描かれていたから、良し!
やがて、サブロー率いる織田家の一行が、なんと本能寺前を通過することに。
この期に及んでもサブローはまだ、誰が信長を本能寺で討つのか、犯人の名前をまっっったく思い出せません。
そして、明智光秀が「もし…本当にその“本能寺の変”とやらが起こるというのなら、わしが止めまする…! 誰にも、殿を殺させなどいたしませぬ…!!」とサブローに誓うという、何とも奇妙な展開に。
さて、4巻に入って新登場した侍女おゆきは、実は上杉謙信が放ったくのいち。
おゆきは、「この書物は織田家秘伝の兵法書にちがいない…」と、サブローがこれまで全くと言って良いほど読んでいなかった高校の日本史の教科書を、サブローの部屋から盗み出すことに成功。
「早く謙信さまにお届けしたい…きっとよろこんでいただける…!」と胸をときめかせるおゆきちゃんは、何だか可愛らしいです。
ところがおゆきちゃんがウッカリしてつまづいた拍子に、日本史の教科書は焚き火の中に落ちてしまい、綺麗さっぱり燃えてしまいました。
というわけで、もはや誰が信長を討つのかは、サブローにも全くわからなくなってしまいました。
ただ、これはあくまでわたしの想像ですが、斉藤道三のようにサブローと同じく平成の世もしくは昭和などからタイムスリップしてきた人物が、「明智光秀」の名をビシッとサブローに告げてくれないかなと、わたしは勝手に期待しています。
更に、幼いながらも少々理屈っぽい、けれども愛らしい蘭丸も登場。
巻末あたりでは宣教師ルイス・フロイスも登場。
有名人オールスターズといったところですね!
にわか歴女のわたくしとしましては、この漫画を読んでいるとニヤニヤが止まりません。
そのうち上杉謙信も出てくるのでしょうか?
楽しみです!
この漫画においてお市は、馬上で立ち上がって裾を乱すようなおてんば姫として描かれており、当初お市は浅井長政との婚姻話にむくれていました。
サブローが「浅井さんちの長政くんは武将としてもなかなか評判がいいし…あ! そうだ何よりね! 顔が! かなりの男前だってもっぱらの評判で…」と猛プッシュしますが、お市は「男は顔ではありませぬ」とバッサリ。
うむ。その意見には同意致します!
しかしお市が嫁いでくれないことには話が進みません!
本物の信長である明智光秀に諭され、お市は「その浅井某とやらの元へお市は嫁ぎます! 兄上と織田家のために、嫁ぎます!」と決意。
良かった良かった。
…ん?
某とは何ごとぞ!!
…でも後に登場した長政さまが、なかなかの男前に描かれていたから、良し!
やがて、サブロー率いる織田家の一行が、なんと本能寺前を通過することに。
この期に及んでもサブローはまだ、誰が信長を本能寺で討つのか、犯人の名前をまっっったく思い出せません。
そして、明智光秀が「もし…本当にその“本能寺の変”とやらが起こるというのなら、わしが止めまする…! 誰にも、殿を殺させなどいたしませぬ…!!」とサブローに誓うという、何とも奇妙な展開に。
さて、4巻に入って新登場した侍女おゆきは、実は上杉謙信が放ったくのいち。
おゆきは、「この書物は織田家秘伝の兵法書にちがいない…」と、サブローがこれまで全くと言って良いほど読んでいなかった高校の日本史の教科書を、サブローの部屋から盗み出すことに成功。
「早く謙信さまにお届けしたい…きっとよろこんでいただける…!」と胸をときめかせるおゆきちゃんは、何だか可愛らしいです。
ところがおゆきちゃんがウッカリしてつまづいた拍子に、日本史の教科書は焚き火の中に落ちてしまい、綺麗さっぱり燃えてしまいました。
というわけで、もはや誰が信長を討つのかは、サブローにも全くわからなくなってしまいました。
ただ、これはあくまでわたしの想像ですが、斉藤道三のようにサブローと同じく平成の世もしくは昭和などからタイムスリップしてきた人物が、「明智光秀」の名をビシッとサブローに告げてくれないかなと、わたしは勝手に期待しています。
更に、幼いながらも少々理屈っぽい、けれども愛らしい蘭丸も登場。
巻末あたりでは宣教師ルイス・フロイスも登場。
有名人オールスターズといったところですね!
にわか歴女のわたくしとしましては、この漫画を読んでいるとニヤニヤが止まりません。
そのうち上杉謙信も出てくるのでしょうか?
楽しみです!
石井あゆみ『信長協奏曲 3巻』
2013年1月22日 漫画
サブローはあっさりと今川義元を討ち取りました。
今川義元の顔さえ登場せぬまま、サクッと桶狭間の戦い終了!
…桶狭間の戦いと言えば、『SPEC 天』で瀬文さんが未詳のデスク上に合戦ミニチュアをセッティングし、「折しも降った激しい雨が、人馬の音をかき消した…!」と霧吹きをシュッシュッとしながら合戦の様子を再現しようとしていた、あの桶狭間の戦いではありませんか…! ←別の作品の話をしてすみません。でも瀬文さん大好きです。
さて、読み手としては、この漫画において、織田の奇襲に驚愕する今川義元の姿とか、混乱する今川軍とか、そういうのを描いて欲しかったので、この展開は、正直言うと肩透かしをくったような気分…。
せっかくの見せ場を敢えて軽く流した作者の真意は一体…?
織田家は籠城するものと高をくくり、今川軍に「織田家籠城と決定。安心して進軍なされよ」と矢文を放ってしまった木下藤吉郎は、敗戦の跡地で「義元公…織田家籠城というのは……誤りでした」と呆然と立ち尽くします。
心から今川義元に詫びる藤吉郎なのに、今川の忍は藤吉郎を疑い、「義元公はお主を信頼していた。お主が籠城といえばそれを信じる」と責め、裏切り者として殺そうとします。
それを藤吉郎は返り討ちにしますが、負傷しました。
…なるほど、こうして藤吉郎はサブローへの憎悪を募らせていくのですね。
作者は、こういう話の持って行き方が巧いですね。
それにしても、松平竹千代改め徳川家康は、サブローがあげたエロ本の影響で、すっかり女好きになってしまいました。
女性たちを大勢侍らせていて、家康が移動すればハーレムもまた移動する、といった具合。
家康が帰蝶やお市を気に入らないか心配です。
竹中半兵衛も登場して、しかも端正な顔立ちである上、切れ者であるという風に描かれていて、読み手としては嬉しい!
そしてやっと3巻目にして、本物の信長が再び登場。
…本物の信長が、なんと「明智光秀」を名乗り、サブローに仕える、という展開に…!
本物の信長は、サブローに対して害意が無いかのように見えますが、それに付き従う沢彦和尚がどう考えても怪しい…。
しかしながら、ここにきてようやく、この漫画のタイトルが「信長協奏曲」である意味がわかって参りました。
本物の信長と、にせの信長とが作り出す物語…ということですね。
不協和音を奏でなければ良いのですが。
またまだこの漫画から目が離せません。
今川義元の顔さえ登場せぬまま、サクッと桶狭間の戦い終了!
…桶狭間の戦いと言えば、『SPEC 天』で瀬文さんが未詳のデスク上に合戦ミニチュアをセッティングし、「折しも降った激しい雨が、人馬の音をかき消した…!」と霧吹きをシュッシュッとしながら合戦の様子を再現しようとしていた、あの桶狭間の戦いではありませんか…! ←別の作品の話をしてすみません。でも瀬文さん大好きです。
さて、読み手としては、この漫画において、織田の奇襲に驚愕する今川義元の姿とか、混乱する今川軍とか、そういうのを描いて欲しかったので、この展開は、正直言うと肩透かしをくったような気分…。
せっかくの見せ場を敢えて軽く流した作者の真意は一体…?
織田家は籠城するものと高をくくり、今川軍に「織田家籠城と決定。安心して進軍なされよ」と矢文を放ってしまった木下藤吉郎は、敗戦の跡地で「義元公…織田家籠城というのは……誤りでした」と呆然と立ち尽くします。
心から今川義元に詫びる藤吉郎なのに、今川の忍は藤吉郎を疑い、「義元公はお主を信頼していた。お主が籠城といえばそれを信じる」と責め、裏切り者として殺そうとします。
それを藤吉郎は返り討ちにしますが、負傷しました。
…なるほど、こうして藤吉郎はサブローへの憎悪を募らせていくのですね。
作者は、こういう話の持って行き方が巧いですね。
それにしても、松平竹千代改め徳川家康は、サブローがあげたエロ本の影響で、すっかり女好きになってしまいました。
女性たちを大勢侍らせていて、家康が移動すればハーレムもまた移動する、といった具合。
家康が帰蝶やお市を気に入らないか心配です。
竹中半兵衛も登場して、しかも端正な顔立ちである上、切れ者であるという風に描かれていて、読み手としては嬉しい!
そしてやっと3巻目にして、本物の信長が再び登場。
…本物の信長が、なんと「明智光秀」を名乗り、サブローに仕える、という展開に…!
本物の信長は、サブローに対して害意が無いかのように見えますが、それに付き従う沢彦和尚がどう考えても怪しい…。
しかしながら、ここにきてようやく、この漫画のタイトルが「信長協奏曲」である意味がわかって参りました。
本物の信長と、にせの信長とが作り出す物語…ということですね。
不協和音を奏でなければ良いのですが。
またまだこの漫画から目が離せません。