カーク・ワイズ監督 「ノートルダムの鐘」
2006年4月7日 映画
カジモドはあなた自身でもある。「お前はここから出ることはできない」とフロローに教え込まれ、?聖域?の中に20年も閉じ込められている。だがカジモドを閉じこめているのはフロローではなく自分自身。カジモドは大聖堂に住みながらも人間は平等ではないことを知っている。だが町を見下ろして人間の何たるかを知り、自分以外の人間も醜いと考えることはなかった。自分一人が醜いのだと信じて閉じこもってしまっている。お祭りの様子を見て、お祭りに行きたいと思いながらも。自分を傷つけるものはフロローしかいない大聖堂の中が自分にとって一番快適な場所だと思い込んでいる。
カジモドはある年の祭りの日に自分の力で大聖堂を出て行く。醜い彼はすぐに笑いものにされ恐れられ傷つくが、だがそこで彼はエスメラルダに出逢う。フィーバスに出逢う。外に出る限り人に評価されることは避けられない、だがそれで全ての人が彼を嫌うとは限らない。自分以外の人間が他の全ての人間に好かれているかと言ったら決してそうではないように。エスメラルダは美しく奔放だがジプシーという身の上から役人に嫌われる。フィーバスも美しく勇敢だが兵隊という身の上から人々に嫌われる。そして彼が絶対の存在であると信じていたフロローは兵隊にも人々にも嫌われている。
この映画は壮大な?解放?の物語である。だがカジモドは誰かによって救われたのではない、自分の足で大聖堂を出て行くことによって自分を救ったのだ。これを読んでいるあなたにも、カジモドに鐘を撞くという仕事があったように、自分の存在を自分を知らない誰かに届ける力があるはず。外に出てみればいい。やってみれば簡単なことだ。カジモドはフロローと対決するが、超えられない存在だと思い込んでいたのに闘ってみればフロローより自分の方が強かったのだ。あなたもあなたにとってのフロローを、超えることができるかもしれない。
カジモドはある年の祭りの日に自分の力で大聖堂を出て行く。醜い彼はすぐに笑いものにされ恐れられ傷つくが、だがそこで彼はエスメラルダに出逢う。フィーバスに出逢う。外に出る限り人に評価されることは避けられない、だがそれで全ての人が彼を嫌うとは限らない。自分以外の人間が他の全ての人間に好かれているかと言ったら決してそうではないように。エスメラルダは美しく奔放だがジプシーという身の上から役人に嫌われる。フィーバスも美しく勇敢だが兵隊という身の上から人々に嫌われる。そして彼が絶対の存在であると信じていたフロローは兵隊にも人々にも嫌われている。
この映画は壮大な?解放?の物語である。だがカジモドは誰かによって救われたのではない、自分の足で大聖堂を出て行くことによって自分を救ったのだ。これを読んでいるあなたにも、カジモドに鐘を撞くという仕事があったように、自分の存在を自分を知らない誰かに届ける力があるはず。外に出てみればいい。やってみれば簡単なことだ。カジモドはフロローと対決するが、超えられない存在だと思い込んでいたのに闘ってみればフロローより自分の方が強かったのだ。あなたもあなたにとってのフロローを、超えることができるかもしれない。
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