水俣にて思う

2006年5月4日
 水俣市立水俣病資料館に行って来ました。
 行くのはこれで4回目になりますが、今回初めてじっくり考えることができたように思います。
 3回目行った時は国やチッソの対応、加害者と被害者が共に暮らしていたということにただならぬショックを受けたため、自分なりに考えるということができなかったものですから。
 もともとわたしの地元は水俣に近く、海がつながっているため水俣病になった方も数人いらっしゃいます。わたしの父の亡くなった叔母も水俣病で、赤ちゃんが胎児性水俣病となり生まれてすぐ死んでしまったということを経験されています。一度きりとはいえお会いしたのに、それからもずっとわたしは他人事のように受け止めてきました。なぜ? 水俣湾と地元の海はつながっている。それなのに地元の魚を食べるのは平気でも水俣で捕れた魚を食べるのは怖い。もう水銀の濃度は他の海と変わらないくらいになっていると知っていたのに。わたしはそんな自分を許せませんでした。
 だから3回目に行った時は資料館へ行く前に、最も汚染のひどかった漁村に行って魚を食べました。美味しかったですよ。もちろん体は何ともありません。食べたおかげで患者の方や遺族の方のお話を自分のこととしても聞くことができたように思います。その日のうちに水俣の水を飲み野菜も食べ、もちろん健康そのもの。今の水俣の水は大丈夫なんですよ。
 今日が4回目の来館。水俣湾埋立地(エコパーク水俣)も歩きました。今後水俣市あるいは熊本県あるいは国はどうするんでしょうね、今もまだ水俣湾の底にあるヘドロ内の有機水銀を。処理はしてありますが処理とは呼べない処理ですもの。684億円も使って何をしたかと言えばビニールシートをひいて上に土をかぶせて、はいおしまい。腐食するのですぐだめになります。どうするの? 
 どうもできないですよね。
 環境は一度壊したら元に戻すことができないから。
 できるのはとにかく再発防止。他の全ての地域でも。
 某原子力発電所も廃水を垂れ流しているけどどうしてニュースにならないのでしょう? 自分がその水を飲んでいるかもしれないのに。飲んだらもう戻れないのに。
 無関心が一番怖い。

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