倫理について感情をまじえずにあくまで科学的に、しかし慎重に語った本です。
 例えばES細胞研究などの生命に手を加える研究を非難する時、その人の脳の中では何が起きているのか。脳はどのようにして善悪を判断しているのか。
 著者の意見ではES細胞研究は悪いことではありません。受精卵に手を加え研究に使うことは倫理に反することではない、なぜならその存在は体外受精のために作られる受精卵と何ら変わらないから。受精卵がいつか人間になる可能性を持ったものだとしても、その段階で人間として認めることはできない。
 わたしにとってこの意見は目から鱗でした。今まで何となく、感情的に、「科学者は命を軽視している。人間には立ち入ってはならない領域がある」とこうした研究を非難・批判してきましたが、感情を抜きにしてよくよく考えようと思います。確かに受精卵を人間として認めることはできません・・・受精卵が人間になろうとする存在であるとは言っても、それゆえに「生きている。人間である。生まれてくる権利がある」と認めてしまうと、中絶手術を禁止しなければならないどころか卵子や精子の時から人間であるということになってしまいそうだから。そうなってしまうと卵子や精子を使わずに捨てることは保護責任者遺棄罪、死体遺棄罪、ひいては殺人罪にまであたってしまうのでは? えらいことです。中学生くらいから子どもを生み続けないと逮捕されるようになってしまいます。どこかで線引きをしなければいけません。何週目までは受精卵は受精卵であって人間ではない、けれど何週目以降はそれは胎児であり人間であると認められる、という風に。
 同様にわたしはこのことについても考えてしまいます。普段自分が飲んでいる薬も使っている化粧品も動物実験などで安全が確認された後手元に届いているということに。動物実験をいけないものだとすれば多くの研究が困難となり、それだけ医学の発展が遅れてしまうことはわかります。動物を実験に使うことは動物を殺して食べることと変わらないのかもしれません。けれどどうもわたしの脳にはその辺の線引きがうまくできないようです。普段スーパーでお肉を買って食べているくせに。矛盾している。これがわたしの脳が科学者になれない理由でしょうね。わたしの脳を作っているニューロンが、わたしにそう判断させているのでしょうか。それともわたしの脳の構造が、脳の各部位の発達具合がそうさせているのでしょうか。うーん、そうなると脳によって賢さや倫理観が決められるのかという新たな問題が生じてきます。
 他にも薬で能力を高めることの是非や老化研究についても書いていて興味深い本でした。

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