朱色が混じった金と、黒。これはわたしの花街のイメージです。ですからこの映画『SAYURI』のスタッフロールの背景としてこの色合いが使われていて、わたしはとても嬉しいです。朱色と金色は他の色と混ざることができ、他の色と混ざらなくても元々とても美しい色。それに対して、黒はどんな色とも交われない最も孤独な色でありながら最も誇り高い色。それはあたかも花街に生きる女性たちを表わしているようです。
 密集して建っている置屋、格子窓、闇に浮かび上がる赤い提灯、白粉、紅、櫛、簪、きらびやかな着物、家具、扇、唐傘、おこぼ(履き物)。綺麗ですね。けれどそれらよりももっと綺麗なのが女性たち。
 この映画の物語は、置屋に売られ女中をし辛い日々を過ごしていた千代という女の子が自分にかき氷を買ってくれた男性にもう一度会うために芸者「さゆり」になる、というもの。その出逢いのシーンでわたしはハッとしました。それまでは暗かった千代の表情が、渡辺謙さん演じる会長さんと出逢った後ぱっと明るくなるのです。それ以降顔つきが全然違うのです。生きる目的を持っている人特有の顔。この映画には「恩人」という言葉がよく出てくるのですが、千代にとって会長さんは紛れもない恩人なのです。
 そんな目的を持ったチャン・ツィイーさん演じるさゆりがコン・リーさん演じる初桃より優位に立ったのは当然。さゆりはいつか会長さんに近づいてみせるという未来への希望を持っているのに対し、初桃は恋人と結ばれきれない現在を悲しんでいるのですから。この映画では「喪失感」という言葉も使われます。未来への希望を抱いている者と絶望を抱いている者、どちらが将来的に力を増すかは言うまでもありません。しかし、優位に立った時点で既にさゆりは「明日は我が身」と感じています。そして、やがてさゆりも初桃が感じていたような悲しみを味わうことになります。
 置屋が燃えるシーンは映画『吉原炎上』を彷彿とさせました。女の情念は炎ということでしょうね。さゆりの情念は水なのですが。それに対して初桃は炎の女。水揚げを終えた後のさゆりのどこか現実でない世界に行きたがっているような、且つ「もう何も失うものはない」と言うかのようなどこかホッとしたような表情も説得力がありました。それ以降さゆりは以前のような明るい笑顔をしなくなっています。笑顔と引き換えに芸者の道を究めることができたのですが・・・。
 そのような心模様を描くことができている映画ですので、わたしは好きです。日本人が作れば日本を描いた映画、外国人が作れば紛い物、などという風にはわたしは思いません。日本らしさは感じませんが(何だか中国のように見える箇所がいくつかあります)日本人が見落としがちな日本の美(その美は特に、外国よりも色が暗いことや季節によって空気が非常に冷たくなったり暑くなったりすることからきている)を教えてくれる映画だと思います。チャン・ツィイーさん、コン・リーさん、ミシェル・ヨーさんなど中国の美人女優を一つの映画で見ることができるという点においても注目すべき映画です。桃井かおりさんも置屋の気だるい女主人がよく似合っていました。
 ただ、わたしは結末には納得はいかないのですけれど。結末を見て「ああ、ハリウッド映画だものね。こうなった方がハリウッド映画らしいものね」とがっかりしてしまいました。原作小説の通りにする必要はないし、結末がもっと違うものなら芸術性の高い映画になったと思いますのに・・・。だからこそ、冒頭で述べたスタッフロールの背景の色合いに救われる思いがしました。
 最後に考えたいのは、なぜ会長さんが千代にかき氷を買い与えたのかということ。泣いている千代を見つけ、「うちにも君と同じくらいの女の子がいるんだ」と言って会長さんも一緒にかき氷を食べ、その後千代に「これで何かお食べ」と1か月分の食べ物が買えるくらいの大金を渡しています。・・・もしかしたら・・・会長さんは娘さんを亡くしたのかもしれないなぁ、とわたしは想像してしまいます。もう娘さんはいないのに「〜いるんだ」と言っているような気がして。勝手で申し訳ないのですけれど。

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