さくらももこ 『コジコジ』
2007年2月16日 漫画
さくらももこさんが経験した片想いの切なさが込められている漫画だと思います。
好きな人へ届かない「片」想い。友達に届かない「片」想い。家族に届かない「片」想い・・・。
そういう思い出すと今も心が痛いけれどたまらなく純粋な気持ちが込められているから、この漫画は子どもにも大人にも読まれているのかもしれません。
てるてる坊主のテル子が風の子供のふうたくんに寄せる想いなんて初恋の切なさそのもの。「好き」とも「ありがとう」とも言えないまま、「またね」と別れた思い出そのもの。
いつもは好色な雪だるまのコロ助(あんまりな説明ですがホントウです。天使のことを考えながら「あれがオレの女だったらなァ」と考える雪だるまなんてコロ助くん以外に聞いたことございやせん)がもう自分を覚えていないかもしれない人間の男の子に会いに行き、「きみに会いに来てよかったよ きみの心とボクの心はまだ つながってるんだ」と心の中でつぶやき、男の子と言葉を交わすことなく帰るエピソードも・・・切ないじゃありませんか。まるで大人になり俗世の穢れた悦びにまみれた人が(・・・)、心の中に誰にも汚すことのできない、誰にも奪うこともできないたからものを持っているかのような・・・。
わたしが一番好きなのはスージーのエピソード。普段は美しくもなく善良でもないスージーは、三日月の夜に美しく善良な女性になる不思議なキャラクターです。三日月の夜の彼女はひたむきに人を愛することができるけれど、夜が明けると元の姿と性格に戻ってしまうため、せっかく手に入れた愛を失ってしまいます。元に戻っている時は・・・いえ、彼女の場合どちらが本当の彼女なのかわからないのですから「普段の」とした方が良いでしょう、普段の彼女は愛なんてなくていいし愛なんて気持ち悪いという考えなのですが三日月の夜の彼女は愛を失ったことに深く傷つくのです。つまり普段の彼女は三日月の夜の彼女を嫌いで、三日月の夜の彼女は普段の彼女のことが嫌い。どちらも自分のはずなのに・・・。三日月の夜の彼女はコジコジに「スージーはいつでもスージーでしょ ちがう?」と言われて驚き、「・・・じゃあ今のスージーといつものスージーとどっちがいい?」と尋ねます。コジコジは「別にいつもと同じだと思うけど・・・スージーはスージーだから普通だね」と答えます。このコジコジのセリフは、さくらももこさんが誰かに言って欲しかったセリフであり自分が誰かに言いたいセリフなのではないかとわたしは思います。わたしも言って欲しかったし言いたいセリフだから・・・そう思うだけですけれど。すみませんな野暮なことを思ってしまって。でも本当に、このエピソード大好きです。だってこの時スージーは「片」想いじゃなくなったから。
テル子はふうたくんとまた再会できただけだし、コロ助は男の子にコロ助が今も男の子を大切に思っていることを伝えなかったけれど・・・「両」想いではないけれど・・・もう「片」想いじゃない。
誰かからの自分への想いを受け取れたから。
『コジコジ』は優しい世界観でほっとさせてくれるだけでなく、ニヒルでクールな笑いがあり、「片」想いが「片」想いでなくなる一瞬を描いていて、だからわたしはこの漫画をずっと好きだと思います。
好きな人へ届かない「片」想い。友達に届かない「片」想い。家族に届かない「片」想い・・・。
そういう思い出すと今も心が痛いけれどたまらなく純粋な気持ちが込められているから、この漫画は子どもにも大人にも読まれているのかもしれません。
てるてる坊主のテル子が風の子供のふうたくんに寄せる想いなんて初恋の切なさそのもの。「好き」とも「ありがとう」とも言えないまま、「またね」と別れた思い出そのもの。
いつもは好色な雪だるまのコロ助(あんまりな説明ですがホントウです。天使のことを考えながら「あれがオレの女だったらなァ」と考える雪だるまなんてコロ助くん以外に聞いたことございやせん)がもう自分を覚えていないかもしれない人間の男の子に会いに行き、「きみに会いに来てよかったよ きみの心とボクの心はまだ つながってるんだ」と心の中でつぶやき、男の子と言葉を交わすことなく帰るエピソードも・・・切ないじゃありませんか。まるで大人になり俗世の穢れた悦びにまみれた人が(・・・)、心の中に誰にも汚すことのできない、誰にも奪うこともできないたからものを持っているかのような・・・。
わたしが一番好きなのはスージーのエピソード。普段は美しくもなく善良でもないスージーは、三日月の夜に美しく善良な女性になる不思議なキャラクターです。三日月の夜の彼女はひたむきに人を愛することができるけれど、夜が明けると元の姿と性格に戻ってしまうため、せっかく手に入れた愛を失ってしまいます。元に戻っている時は・・・いえ、彼女の場合どちらが本当の彼女なのかわからないのですから「普段の」とした方が良いでしょう、普段の彼女は愛なんてなくていいし愛なんて気持ち悪いという考えなのですが三日月の夜の彼女は愛を失ったことに深く傷つくのです。つまり普段の彼女は三日月の夜の彼女を嫌いで、三日月の夜の彼女は普段の彼女のことが嫌い。どちらも自分のはずなのに・・・。三日月の夜の彼女はコジコジに「スージーはいつでもスージーでしょ ちがう?」と言われて驚き、「・・・じゃあ今のスージーといつものスージーとどっちがいい?」と尋ねます。コジコジは「別にいつもと同じだと思うけど・・・スージーはスージーだから普通だね」と答えます。このコジコジのセリフは、さくらももこさんが誰かに言って欲しかったセリフであり自分が誰かに言いたいセリフなのではないかとわたしは思います。わたしも言って欲しかったし言いたいセリフだから・・・そう思うだけですけれど。すみませんな野暮なことを思ってしまって。でも本当に、このエピソード大好きです。だってこの時スージーは「片」想いじゃなくなったから。
テル子はふうたくんとまた再会できただけだし、コロ助は男の子にコロ助が今も男の子を大切に思っていることを伝えなかったけれど・・・「両」想いではないけれど・・・もう「片」想いじゃない。
誰かからの自分への想いを受け取れたから。
『コジコジ』は優しい世界観でほっとさせてくれるだけでなく、ニヒルでクールな笑いがあり、「片」想いが「片」想いでなくなる一瞬を描いていて、だからわたしはこの漫画をずっと好きだと思います。
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