*注意*
 長文すぎる長文です。
 読み終えることができた方には感謝状を贈りたいくらい。

 エリザベートの魂を、瀕死の彼女が埋葬されたいと望んだ地・ギリシアのコルフ島へ連れて行けたらいいのに。オーストリア皇后として棺に閉じ込めるのではなく、解き放てたらいいのに。
 どうして彼女は心臓を刺されているのに平然と歩き続けたのでしょうか?
 この本が示してくれた1つの答えは、彼女がとうに異界の住人だったから、というものでした。確かに、自分が死にそうだというのに慌てている周りの人に「何事です」と尋ねるだなんて奇妙です。痛い、とも刺された、とも言わずに次に乗るべき船へ向かって歩き続けた彼女・・・。オーストリア皇后という日々から逃れるため、わざと病気になるよう体を傷つけたり美貌を損うよう自分を痛めつけた彼女だから、早く死んでしまいたくて歩き続けたのかもしれません。或いは刺されたことに無関心で、痛みにも無関心で、自分が死ぬということにも大して心が動かなかったのかもしれません。
 彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう要請したのはなぜなのでしょうか?
 突然現れたその男が自分を刺したことで、自分は間違いなく死に至るだろうというのに。彼女はその男が自分に死を与えてくれたことに感謝していたのでしょうか? 愛する人たちが去ってしまったこの世界から自分も去りたかったのでしょうか? 彼女はこの世界で苦しみばかりを感じていたのでしょうか?
 ・・・わたしはそうは思いません。まず1つめの、なぜ彼女が歩き続けたのかについて。彼女は船に乗って自分の居場所を探しに行きたかっただけだと思うのです。ずっと旅を続けていた彼女でしたが、どこへ行っても彼女は滞在中のオーストリア皇后エリザベートであり、ハンガリーに行けばハンガリー女王でありハンガリーの恋人エルジェーベトになれるけれど、「シシィ」と呼ばれていた昔の自由な自分に戻れる場所がわからなくなっていたのだと思います。生まれ育ったバイエルンに帰ってももう昔には戻れない。15歳のあの日から全てが変わってしまった。彼女の姉と結婚するはずだった23歳の皇帝フランツ・ヨーゼフは、見合いの席に同席した彼女に一目惚れし結婚を申し込んでしまった。断ることは許されない。乗馬が好きで詩を書くのが好きで空想が大好きで勉強が嫌いで行儀良くすることが嫌いで作り笑いも嫌いだった彼女は、厳しい皇后教育をされ皇后として振る舞うことだけを求められ綺麗なドレスを着せられ微笑みを求められた。それらから逃げるために自分を傷つけ、その代償に旅に出られるようになった彼女。彼女は「シシィ」を殺してしまった、とこの本には書かれています。・・・でも、それは違うと思います。「シシィ」が「オーストリア皇后エリザベート」に殺されてしまったのなら、彼女が旅に出る必要なんてない。「シシィ」を生かし続けるために、彼女は歩き続けたのだと思います。「シシィ」が生きられる場所を求めて。
 2つめの、なぜ彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう望んだのかについて。それは彼女がマイノリティとされる人々を愛していたからだと思います。身体障害者、負傷兵、政治亡命者、コレラ患者、危篤患者、精神病者(P124から引用)、この本には書かれていないけれど知的障害者や同性愛者や犯罪者にも彼女は共感と理解を示しました。彼女はオーストリア皇后でありハンガリー女王ではあったけれど君主制を嫌う熱烈な共和主義者でもありました。ソルフェリーノ戦争の際救護所を作り早く戦争を終わらせるよう皇帝に働きかけたり、普墺戦争(プロイセンとオーストリアの戦争)の際看護婦として病院を慰問して回りマリア・テレジアを彷彿とさせるパフォーマンスを行いハンガリーの支援を勝ち取ったり、そしてその支援の見返りにハンガリーを独立させることまで成し遂げました。精神病院を慰問した際など、彼女に向かって「なんて無礼な女なの。その女は偽者です。わたしがエリザベートです」と精神病を患う女性が言い放った時、彼女はその女性に労わりの言葉をかけたそうです。彼女は自分と同じように何かに苦しんでいる人を更に苦しめるようなことはしませんでした。その人が少しでも幸せになれるよう自分に出来ることをしたいと思っていたのです。そんな彼女だから、自分を刺してしまった男の恩赦を願ったのは当然だとわたしは思うのです。皇后であり女王である彼女を殺してしまったら、その男が死刑か終身刑になるのは目に見えていますから。結局彼女の死後、彼女のその要請は叶わず男は終身刑になってしまったのですが、彼女自身は男が救われることを願っていた・・・とわたしは思わずにはいられないのです。
 真実は彼女にしかわかりません。彼女の気持ちは彼女だけのものですから。
 なんだか少々この本の悪口を言ってしまったようですが、勿論この本に感謝もしていますよ。悪く評されがちな彼女の姑・ゾフィーの名誉を回復させる文章を紹介してくれましたし、皮肉なことに生涯美貌を保った彼女の写真も絵も沢山見ることが出来ましたし、彼女が自己嫌悪を持ちつつも自己愛もちゃんと持っていたことを教えてくれました。皇帝が彼女に寄せた友情と愛を感じることができました。そして皇帝以外に彼女を女王以上の存在として愛した人たちの存在を知ることができました。それから・・・エリザベートが最期に言った言葉を知ってわたしは不謹慎にも嬉しくなったのです。
 ああ、彼女には留まりたいと思える場所があったのだ、と。
 彼女を本当にそこへ連れて行くことは不可能です。だからわたしは彼女が愛した、想像という手段によって彼女を連れて行きましょう。コルフ島の海辺へ。わたしは想像します。彼女が鳥になって自由に飛んでいる姿や(どんな鳥でもいいけれど、ハプスブルクのシンボル・双頭の鷲だけは嫌ですよ)、乗馬を思いっきりしている姿、風変わりな父親と彼女がツィターやマンドリンを弾いて笑っている姿、彼女がコルフ島に埋葬され棺が朽ち彼女が土と同化できることなどを。・・・所詮はただの想像でしかないのですけれど。実際は彼女の遺体は彼女が嫌ったオーストリア皇后の遺体としてお墓にあるのです。けれど無力さを感じても、ついついわたしはそんな想像をしてしまうのです。わたしは彼女が大好きですから。

コメント

nophoto
うま。
2007年6月5日23:01

ナウシカの様なひとなのね。
恥ずかしながら名前くらいしか聞いたことないし
何にも知らなかったよ。

G−dark
G−dark
2007年6月5日23:30

 メーヴェあげたら絶対喜ぶよ(^v^)
 とことん、抑圧される人たちに共感するタイプの人だったみたい。
 それは純粋にそういう人たちを守ろうとするナウシカとは違って「自分も抑圧される者の1人だから」っていう意識があったからのようだけど、ナウシカに通じるとこあるよね^^ 戦ってるナウシカっぽい。

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