鈴木 光司 『リング』
2007年6月25日 おすすめの本一覧 *注* 物語の核となる事、結末についても明かしています。
ネタバレが嫌いな方は以下の文章を読まないでください。
怖いものの正体が貞子であるならば、この小説の題は『貞子』になっているはず。『リング』という題の意味、読んでみてわかりました。
伝染していくウイルスの環。
子どもを産めない貞子の体に、当時絶滅寸前だった天然痘ウイルスが侵入。念写能力を持ち男性でも女性でもない貞子と天然痘ウイルスとが融合し、新たなウイルスが誕生した。しかし貞子は古井戸の底に落とされてしまっていて、誰にも気づかれず死んでいく運命。ウイルスは死んだ体の中では生きられない。ウイルスの本能は、増えること。貞子は自分の念写能力を使って我が子であるウイルスを産み、死んでいった。
ウイルスはビデオテープに産み付けられ、ビデオを見た者の体内に侵入し、その者が1週間以内にビデオをダビングしまだビデオを見ていない者に見せなければ必ず死に至らしめる。
貞子の死に様については書かれていないのですが、貞子は井戸の底で笑いながら死んでいったかもしれない、とわたしは思いました。好奇心で自ら進んでビデオを見て後悔する者がいるでしょうから。それを想像すると、貞子は笑ったのではないでしょうか。貞子の母の念写能力を最初はちやほやしておいて後から批難し母を自殺に追いやった者たちへの、復讐になるから。この力は本物だ、お前たちが偽物と指差したこの力によって死ぬがいい、生きたければわたしの子どもを増やすがいい、と。子どもを産めない体の自分がこの体の自分にしか産めない子どもを産み、その子どもが、自分が母から念写能力を受け継いだのと同じように、いやそれ以上に強い力を持って増えていくのは愉快でたまらなかったでしょう。人々が血眼になってダビングを繰り返し、まだビデオを見ていない人間が少なくなり、やがて臨界を迎える日を想像しながら息絶えたのではないか・・・そんな気がしてなりません。
ビデオの重要な部分に全く関係のない映像を重ね録りしてもウイルスが機能していることから、このウイルスの強力さが窺い知れます。ウイルスは貞子という人間によって産み出されたのですから、それに対抗しうる人間が存在しないとは限りませんが、そういった人間は非常に稀でありほとんどの人間はダビング以外になす術がないでしょう。恐怖心があるため自らこんなビデオに重ね録りをしようとする人間はこれ以上現れないかもしれませんが、最初の重ね録りによってウイルスが変異を起こす可能性も十分に考えられます。でも変異して弱体化するわけじゃない。変異し、更に強力に。ワクチンを作りようがない。作りようもない。
しかしこの小説の主人公・浅川が最後に取った行動は正しかったと思います。社会的には間違いなく責められる行為でしょう。「自分の家族を犠牲にすれば多くの人が死なずに済んだのに、社会も混乱しなかったのに、ウイルスを撒き散らした!」と処罰されることになるかもしれません。けれど、それでも彼の取った行動は人間として当然です。自分の家族が人類の防波堤になる必然性なんかない。1人の人間として、人類の命よりも家族の命を優先するのは決して間違っていない。それにこのウイルスの片親となった天然痘ウイルスだって、今は人間によって根絶されています。このウイルスだって人間の叡智で何とかなるかもしれない。それに希望を託し、浅川は家族が死んでしまわないよう、ウイルス増殖に手を貸すのです。
わたしには貞子も怖いとは感じられませんでした。わたしはこれまで『リング』の映画などを観てこなかったのですが、観なくて良かったと今は思います。顔を覆い隠すほど長いねっとりとした黒髪で、井戸から這い出してくる・・・そんな不気味なイメージが定着しているのは残念です。もしかしたら続きの小説にそんな場面が登場するのかもしれませんが、現時点ではわたしはその有無を知りません。原作であるこの小説の貞子、全然怖くないですよ。美人だし(ここを強調してしまう自分、俗物だわ。おっさん精神の塊だわ)。子どもを産みたくても産めない女性の情念が伝わってきて・・・、貞子が子どもを生めて良かったなあと思いました。たとえ生まれたのが人間を殺すウイルスであっても。殺人を犯した人の母親を責める道理がないように、貞子を責める道理はないと思います。どんな子どもが生まれるかわかっていて産んだことも・・・責める権利は誰にもない。中絶を強要する権利は誰にもない。
ウイルスの正体が元は人間の遺伝子だったかもしれない、という説をうまく利用した小説でした。思念は生き物、という描写も興味深かったです。今までに見たことのない世界を覗いた感じ。続きが気になります。
ネタバレが嫌いな方は以下の文章を読まないでください。
怖いものの正体が貞子であるならば、この小説の題は『貞子』になっているはず。『リング』という題の意味、読んでみてわかりました。
伝染していくウイルスの環。
子どもを産めない貞子の体に、当時絶滅寸前だった天然痘ウイルスが侵入。念写能力を持ち男性でも女性でもない貞子と天然痘ウイルスとが融合し、新たなウイルスが誕生した。しかし貞子は古井戸の底に落とされてしまっていて、誰にも気づかれず死んでいく運命。ウイルスは死んだ体の中では生きられない。ウイルスの本能は、増えること。貞子は自分の念写能力を使って我が子であるウイルスを産み、死んでいった。
ウイルスはビデオテープに産み付けられ、ビデオを見た者の体内に侵入し、その者が1週間以内にビデオをダビングしまだビデオを見ていない者に見せなければ必ず死に至らしめる。
貞子の死に様については書かれていないのですが、貞子は井戸の底で笑いながら死んでいったかもしれない、とわたしは思いました。好奇心で自ら進んでビデオを見て後悔する者がいるでしょうから。それを想像すると、貞子は笑ったのではないでしょうか。貞子の母の念写能力を最初はちやほやしておいて後から批難し母を自殺に追いやった者たちへの、復讐になるから。この力は本物だ、お前たちが偽物と指差したこの力によって死ぬがいい、生きたければわたしの子どもを増やすがいい、と。子どもを産めない体の自分がこの体の自分にしか産めない子どもを産み、その子どもが、自分が母から念写能力を受け継いだのと同じように、いやそれ以上に強い力を持って増えていくのは愉快でたまらなかったでしょう。人々が血眼になってダビングを繰り返し、まだビデオを見ていない人間が少なくなり、やがて臨界を迎える日を想像しながら息絶えたのではないか・・・そんな気がしてなりません。
ビデオの重要な部分に全く関係のない映像を重ね録りしてもウイルスが機能していることから、このウイルスの強力さが窺い知れます。ウイルスは貞子という人間によって産み出されたのですから、それに対抗しうる人間が存在しないとは限りませんが、そういった人間は非常に稀でありほとんどの人間はダビング以外になす術がないでしょう。恐怖心があるため自らこんなビデオに重ね録りをしようとする人間はこれ以上現れないかもしれませんが、最初の重ね録りによってウイルスが変異を起こす可能性も十分に考えられます。でも変異して弱体化するわけじゃない。変異し、更に強力に。ワクチンを作りようがない。作りようもない。
しかしこの小説の主人公・浅川が最後に取った行動は正しかったと思います。社会的には間違いなく責められる行為でしょう。「自分の家族を犠牲にすれば多くの人が死なずに済んだのに、社会も混乱しなかったのに、ウイルスを撒き散らした!」と処罰されることになるかもしれません。けれど、それでも彼の取った行動は人間として当然です。自分の家族が人類の防波堤になる必然性なんかない。1人の人間として、人類の命よりも家族の命を優先するのは決して間違っていない。それにこのウイルスの片親となった天然痘ウイルスだって、今は人間によって根絶されています。このウイルスだって人間の叡智で何とかなるかもしれない。それに希望を託し、浅川は家族が死んでしまわないよう、ウイルス増殖に手を貸すのです。
わたしには貞子も怖いとは感じられませんでした。わたしはこれまで『リング』の映画などを観てこなかったのですが、観なくて良かったと今は思います。顔を覆い隠すほど長いねっとりとした黒髪で、井戸から這い出してくる・・・そんな不気味なイメージが定着しているのは残念です。もしかしたら続きの小説にそんな場面が登場するのかもしれませんが、現時点ではわたしはその有無を知りません。原作であるこの小説の貞子、全然怖くないですよ。美人だし(ここを強調してしまう自分、俗物だわ。おっさん精神の塊だわ)。子どもを産みたくても産めない女性の情念が伝わってきて・・・、貞子が子どもを生めて良かったなあと思いました。たとえ生まれたのが人間を殺すウイルスであっても。殺人を犯した人の母親を責める道理がないように、貞子を責める道理はないと思います。どんな子どもが生まれるかわかっていて産んだことも・・・責める権利は誰にもない。中絶を強要する権利は誰にもない。
ウイルスの正体が元は人間の遺伝子だったかもしれない、という説をうまく利用した小説でした。思念は生き物、という描写も興味深かったです。今までに見たことのない世界を覗いた感じ。続きが気になります。
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