障害者の生と性の研究会 『障害者が恋愛と性を語りはじめた』
2008年5月12日 おすすめの本一覧 恋愛と性によって感情に起伏が生まれる、リハビリへの意欲に繋がる、ということにも言及している本です。この本を著した会の名前からわかるように、この本は性が生を支えるというスタンス。
初版は1994年発行。
「最低限の生活ができれば十分。恋愛と性なんて無くても死なない。けしからん」という意識が「人として当たり前。本人がするかしないかを選べる」という意識へ変わっていくために、この本も一役買ったのではないかと思います。
特にわたしが興味深く思ったのは、障害者が性的欲求を一人で満たせない場合の介助は誰が担うべきかという問題について書いているところ。恋人、配偶者、介護ボランティア、など様々考えられ、それらについても言及されているのですが、この本ではソープランド利用がかなりページを割いて提案されています。
なぜかというと、性は身近な人との関係をぎこちなくする可能性があるから。例えばP14〜21に登場するカップルの場合、彼氏が身動き出来ないがゆえに彼女が性的リーダーシップを取らねばならず負担になっています。P60〜67に登場する障害者と介護者の場合は、障害者が介護者にアダルトビデオを買いに行かせる、性器を洗わせる、などを頼みそれ以上をも頼んでしまい関係がギクシャクしてしまいました。
そうなってしまうよりはプロのいるソープランドへ、という考え方のようです。
しかし男性の障害者はそれで良くても、女性の障害者となるとそうはいきません。性の欲求を満たそうとする以前に、施設職員が「子宮をとってしまった方がいいのではない?」と言うような時代もあったのです(P90~92)。もしかしたら今でもそんな考えを持つ職員がいるのかもしれません・・・。
P94〜95では本人の同意が無いのにも関わらず担当精神科医や医学部教授が何の異常もない子宮を本当に摘出したケースが紹介されています。担当精神科医曰く「生理の処理の介助が大変」、医学部教授曰く「本人のため、それしかない」。・・・こういった子宮摘出(摘出と言うと必要な処置という印象がするから嫌ですね)は昔から何例もあります。けれど前例があるからといって、その方法が正しいとは誰も言えません。P95〜96ではこの精神科医たちに賛同した人たちの「きれいごとを言うな」などという意見が紹介されています。それらの意見に対して施設職員の一人は「〜(中略)子宮をとったからといって、本人にとっても介護者にとっても、すべてが解決するわけではないんです」と言います。わたしもそう思います。本人の気持ちを無視しているから。もしかすると摘出する側は、女性障害者が暴れるのは自分たちの対応に落ち度があるのではなく生理が悪いのだ、と言い訳したいのではないでしょうか。切り取ってしまったものは元には戻らないのに・・・。この本では触れられていませんが、男性障害者の場合も切除される例がいくつもあり、如何にこれまで障害者の性が認められていなかったかがわかります。
性を認めないのはすなわち生を認めないことになるでしょう。
・・・なんだかブルーな気持ちにさせてしまうことを書いてしまいました。m(><)m
この本は実際はもっと軽い語り口ですので読みやすいですよ。官能小説並みにダイレクトな表現が使われているので、読む場所にはくれぐれも注意ですが(^皿^)
初版は1994年発行。
「最低限の生活ができれば十分。恋愛と性なんて無くても死なない。けしからん」という意識が「人として当たり前。本人がするかしないかを選べる」という意識へ変わっていくために、この本も一役買ったのではないかと思います。
特にわたしが興味深く思ったのは、障害者が性的欲求を一人で満たせない場合の介助は誰が担うべきかという問題について書いているところ。恋人、配偶者、介護ボランティア、など様々考えられ、それらについても言及されているのですが、この本ではソープランド利用がかなりページを割いて提案されています。
なぜかというと、性は身近な人との関係をぎこちなくする可能性があるから。例えばP14〜21に登場するカップルの場合、彼氏が身動き出来ないがゆえに彼女が性的リーダーシップを取らねばならず負担になっています。P60〜67に登場する障害者と介護者の場合は、障害者が介護者にアダルトビデオを買いに行かせる、性器を洗わせる、などを頼みそれ以上をも頼んでしまい関係がギクシャクしてしまいました。
そうなってしまうよりはプロのいるソープランドへ、という考え方のようです。
しかし男性の障害者はそれで良くても、女性の障害者となるとそうはいきません。性の欲求を満たそうとする以前に、施設職員が「子宮をとってしまった方がいいのではない?」と言うような時代もあったのです(P90~92)。もしかしたら今でもそんな考えを持つ職員がいるのかもしれません・・・。
P94〜95では本人の同意が無いのにも関わらず担当精神科医や医学部教授が何の異常もない子宮を本当に摘出したケースが紹介されています。担当精神科医曰く「生理の処理の介助が大変」、医学部教授曰く「本人のため、それしかない」。・・・こういった子宮摘出(摘出と言うと必要な処置という印象がするから嫌ですね)は昔から何例もあります。けれど前例があるからといって、その方法が正しいとは誰も言えません。P95〜96ではこの精神科医たちに賛同した人たちの「きれいごとを言うな」などという意見が紹介されています。それらの意見に対して施設職員の一人は「〜(中略)子宮をとったからといって、本人にとっても介護者にとっても、すべてが解決するわけではないんです」と言います。わたしもそう思います。本人の気持ちを無視しているから。もしかすると摘出する側は、女性障害者が暴れるのは自分たちの対応に落ち度があるのではなく生理が悪いのだ、と言い訳したいのではないでしょうか。切り取ってしまったものは元には戻らないのに・・・。この本では触れられていませんが、男性障害者の場合も切除される例がいくつもあり、如何にこれまで障害者の性が認められていなかったかがわかります。
性を認めないのはすなわち生を認めないことになるでしょう。
・・・なんだかブルーな気持ちにさせてしまうことを書いてしまいました。m(><)m
この本は実際はもっと軽い語り口ですので読みやすいですよ。官能小説並みにダイレクトな表現が使われているので、読む場所にはくれぐれも注意ですが(^皿^)
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