芝山努監督 『映画 ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』
2008年6月18日 映画
この映画に登場する「種まく人」はわたしが理想とする神の姿にかなり近いです。
「種まく人」は生きものを懲らしめることも、救うこともありません。
「種まく人」はただ、生きものが生きられる環境を創るだけ。
「種まく人」は環境が出来上がるまでの間は、その土地を守ります。
「種まく人」は環境が出来上がった後は、そこに留まることなく去り、また新たな土地に命を生み出していきます。
「種まく人」が去ったということは、そこに生きる生きものに全てが委ねられたということ。戦争をしようが、環境破壊をしようが、絶滅しようとも・・・全てが委ねられているのです。
けれど「種まく人」は生きものを身捨てているわけではありません。見守っています。この生きものには生きる資格がない、とかこの世界はもう駄目だ、などと悲観せず、その世界がどうなるか見守っているのです。手を出したりしません。
それがわたしの理想にかなり近いのです。
わたしは大人になった今でも時々「どうして神様は助けてくれないの?」と不満を感じることがあります。
けれど、自分にとっての救いは誰かにとっての苦しみになるかも知れません。それを考えると、「神様がいたかどうかもわからない」世界に生まれてきて良かったと思えるのです。
何が起こったとしても神様のせいにせず、自分で解決策を考えられるから。
多分、神様がいちいち助けてくれていたら、いつまで経っても成長できません。
神様がいたかどうかもわからない世界にいることによって、神様に自分で考えるチャンスを与えてもらっている気がします。
ただ、わたしはこの考えを他人に押し付けるつもりはありません。
犯罪に巻き込まれたり、病気になったり、被災した人などは神様に救いを求めて当たり前。
人それぞれ理想の神の姿は違って当たり前。
わたしは他の人がどんな神を理想とするのか知りたいので、今後は宗教の勉強もしようかなと思います。(人間に罰を与えたり御褒美をくれる「神様」は信用できませんけどね・・・)
「種まく人」は生きものを懲らしめることも、救うこともありません。
「種まく人」はただ、生きものが生きられる環境を創るだけ。
「種まく人」は環境が出来上がるまでの間は、その土地を守ります。
「種まく人」は環境が出来上がった後は、そこに留まることなく去り、また新たな土地に命を生み出していきます。
「種まく人」が去ったということは、そこに生きる生きものに全てが委ねられたということ。戦争をしようが、環境破壊をしようが、絶滅しようとも・・・全てが委ねられているのです。
けれど「種まく人」は生きものを身捨てているわけではありません。見守っています。この生きものには生きる資格がない、とかこの世界はもう駄目だ、などと悲観せず、その世界がどうなるか見守っているのです。手を出したりしません。
それがわたしの理想にかなり近いのです。
わたしは大人になった今でも時々「どうして神様は助けてくれないの?」と不満を感じることがあります。
けれど、自分にとっての救いは誰かにとっての苦しみになるかも知れません。それを考えると、「神様がいたかどうかもわからない」世界に生まれてきて良かったと思えるのです。
何が起こったとしても神様のせいにせず、自分で解決策を考えられるから。
多分、神様がいちいち助けてくれていたら、いつまで経っても成長できません。
神様がいたかどうかもわからない世界にいることによって、神様に自分で考えるチャンスを与えてもらっている気がします。
ただ、わたしはこの考えを他人に押し付けるつもりはありません。
犯罪に巻き込まれたり、病気になったり、被災した人などは神様に救いを求めて当たり前。
人それぞれ理想の神の姿は違って当たり前。
わたしは他の人がどんな神を理想とするのか知りたいので、今後は宗教の勉強もしようかなと思います。(人間に罰を与えたり御褒美をくれる「神様」は信用できませんけどね・・・)
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