「全てを抱き締めて ひとり遠い場所へ
  貴女に気付かれぬ様に 忘却の果てまで、、、」



 
 『小夜曲~悲愴~』はそんな歌詞で締めくくられます。

 この曲の歌詞に登場する「花」「私」はRaphaelの華月としての彼を指し、「貴女」はファンを指します。

 以下は私の解釈ですが、彼はこのような意味の歌詞が綴っています。
 どんなに綺麗であろうともただの花でしかない私を貴女は愛おしんでくれた。摘み取られ、いつか散っていく私なのに貴女は見つめ続けてくれた。かつての美しさを失っていく私を貴女は憐れんでくれた。
 けれど私は気づいている。貴女の想いが冷めていることを。もうあの頃のように愛おしんでくれることはない。優し過ぎる貴女は私にそれを気づかれないようにしている・・・。今も愛している振りをしている・・・。けれど私はもう気づいてしまっている・・・。
 だから私は貴女に何も告げず消えていく。貴女を悲しめぬように、貴女の心から消えていく。私を忘れてしまえばいい。そうすれば貴女はもう苦しまなくて良いのだから。


  
 華月くんは20歳にもならないうちにこの曲を書きました。
 それはそうです。
 彼は20歳になれなかったのですから。
 トトロの見える大人になりたい、汚い大人になりたくない・・・と悩んだ彼にとって、「花」の失っていく美しさは子どもの持つ純粋さだったかもしれません。彼は純粋さを保って大人になろうとしたけれど、その難しさに苦しんでいました。それに彼は「花」の無力さにも苦しんでいました。「ゆきこちゃん」の一件によって無力さを強烈に実感したのかもしれません。自分を深く愛してくれたファン・ゆきこちゃんの死に自分は気づくこともなく、亡骸に会いに行っても彼女はもう自分を見つめてくれることはなく、今自分が出来るのは彼女の為に『雪の人形』を書くことくらいで、けれど『雪の人形』を書いたことで一部のファンから糾弾されてしまい、訳がわからなくなった。それでも彼は音楽を続けようとした。けれど理想と現実への苦しみを緩和する為飲んだ薬が、彼の時間を19歳で止めた。・・・事実とは違うかもしれませんが、わたしには今もそう思えるのです。
 『小夜曲~悲愴~』は彼が彼の時間が止まってしまうずっと前に書いた曲ですが、わたしにはこの曲が彼の最期を暗示していたかのように聴こえてしまいます。時間を止めたいわけではなかったのに、周りの人が気づいた時にはただ一人息が止まってしまっていた悲しい最期を。
 けれどこの曲が彼にぴたりと当て嵌まるわけではありません。なぜなら彼は忘却の果てになどいっていないのですから。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索