帰省中、母と色々な話をしました。
2008年11月23日 わたしは金曜日から、鹿児島にある実家へ帰省しております。
今回の帰省で、母と色々な話をしました。
主にわたしが幼かった頃についての話を。
50歳を過ぎた現在も保育士を続けている母は、特にわたしが3~5歳くらいの頃仕事のストレスで参っておりました。
わたしが母に遊んで欲しいと思い母に声をかけると、母は怒鳴りました。
わたしは「母に遊んでもらうことはいけないことなのだ」と思い、6歳年上の姉と共に、父に遊んでもらってばかりでした。
わたしは余り寂しさを感じませんでした。
わたしは朝から夕方まで幼稚園で過ごし、幼稚園の先生や友達や幼稚園で飼っている動物たちと過ごせて楽しかったです。幼稚園から実家へ帰ると、祖母や近所の野良猫たちや近所の子どもたちと遊べて楽しかったです。夜になる頃には父が仕事から帰ってきて、やはり楽しかったです。
母はというと、保育児を保護者が迎えに来るのが遅くなったりすると母の帰りが夜遅くなりましたし、幼い頃のわたしにとって母は何だかよくわからない存在でした。
今もよく覚えています。
ある日、わたしは姉と父と3人で同じ布団で寝ていました。わたしが真夜中に目を覚ますと、その布団の隣に母が布団を敷いて1人で寝ていました。わたしは母を見て不思議に思いました。「この人は誰なんだろう?」と。
その日は何とも思わなかったのですが、今思えば異常なことなのかもしれません。
母に怒鳴られるとわたしは「この人に遊んで欲しいと思うわたしは悪い子なんだろうな」と思い、母に「お前とお姉ちゃんのお父さんだからお父さんと離婚しないんだよ」と言われるとわたしは「わたしがいなければ少しは離婚しやすいだろうに、申し訳ないな」と思ってきました。
母を恨むのではなくて、自分が母に悪いことをしているのだと思ってきました。
幼い頃からわたしと遊んできてくれた野良猫(うさぎのようなしっぽだったので、名前は「うさぎしっぽ」でした)がわたしの家の庭で瀕死になった際、母がその猫を「ここで死なれたら後が困る」と海へ捨てに行った時も、わたしはただ泣きながら母を追いかけるだけで、母を責めはしませんでした。
わたしが数年間育てた金魚の水槽のポンプを母が停止させ、金魚が死んでしまった時もわたしは黙って金魚を庭に埋めただけ。
母を責めてしまったら母に嫌われてしまうのだと思っていました。
好きだから嫌われたくありませんでした。
そういったこともあってか、わたしは最近、現在の彼氏に「もっと俺にわがままを言っていいのにどうして我慢するのか」ということを聞かれた際、なぜだか母とのそういったエピソードを思い出し、ワ~ッと泣いてしまいました。
わたしは自分はこれまで父や祖母など色んな人に甘えることが出来たので自分は愛情面に満足しているものと思っていたのですが、わたしはもっと母に甘えたかったのかもしれません。
今回の帰省中に母が不意に、
「お前とお姉ちゃんが小さかった頃、辛抱させてすまなかった」と言ってくれました。
なぜ急に言ってくれたのかよくわかりませんが、
それを聞いて、
「あれ? お母さんが謝ってる。わたしが悪いんじゃなかったんだ」と心が軽くなりました。
帰省して良かったです。
今回の帰省で、母と色々な話をしました。
主にわたしが幼かった頃についての話を。
50歳を過ぎた現在も保育士を続けている母は、特にわたしが3~5歳くらいの頃仕事のストレスで参っておりました。
わたしが母に遊んで欲しいと思い母に声をかけると、母は怒鳴りました。
わたしは「母に遊んでもらうことはいけないことなのだ」と思い、6歳年上の姉と共に、父に遊んでもらってばかりでした。
わたしは余り寂しさを感じませんでした。
わたしは朝から夕方まで幼稚園で過ごし、幼稚園の先生や友達や幼稚園で飼っている動物たちと過ごせて楽しかったです。幼稚園から実家へ帰ると、祖母や近所の野良猫たちや近所の子どもたちと遊べて楽しかったです。夜になる頃には父が仕事から帰ってきて、やはり楽しかったです。
母はというと、保育児を保護者が迎えに来るのが遅くなったりすると母の帰りが夜遅くなりましたし、幼い頃のわたしにとって母は何だかよくわからない存在でした。
今もよく覚えています。
ある日、わたしは姉と父と3人で同じ布団で寝ていました。わたしが真夜中に目を覚ますと、その布団の隣に母が布団を敷いて1人で寝ていました。わたしは母を見て不思議に思いました。「この人は誰なんだろう?」と。
その日は何とも思わなかったのですが、今思えば異常なことなのかもしれません。
母に怒鳴られるとわたしは「この人に遊んで欲しいと思うわたしは悪い子なんだろうな」と思い、母に「お前とお姉ちゃんのお父さんだからお父さんと離婚しないんだよ」と言われるとわたしは「わたしがいなければ少しは離婚しやすいだろうに、申し訳ないな」と思ってきました。
母を恨むのではなくて、自分が母に悪いことをしているのだと思ってきました。
幼い頃からわたしと遊んできてくれた野良猫(うさぎのようなしっぽだったので、名前は「うさぎしっぽ」でした)がわたしの家の庭で瀕死になった際、母がその猫を「ここで死なれたら後が困る」と海へ捨てに行った時も、わたしはただ泣きながら母を追いかけるだけで、母を責めはしませんでした。
わたしが数年間育てた金魚の水槽のポンプを母が停止させ、金魚が死んでしまった時もわたしは黙って金魚を庭に埋めただけ。
母を責めてしまったら母に嫌われてしまうのだと思っていました。
好きだから嫌われたくありませんでした。
そういったこともあってか、わたしは最近、現在の彼氏に「もっと俺にわがままを言っていいのにどうして我慢するのか」ということを聞かれた際、なぜだか母とのそういったエピソードを思い出し、ワ~ッと泣いてしまいました。
わたしは自分はこれまで父や祖母など色んな人に甘えることが出来たので自分は愛情面に満足しているものと思っていたのですが、わたしはもっと母に甘えたかったのかもしれません。
今回の帰省中に母が不意に、
「お前とお姉ちゃんが小さかった頃、辛抱させてすまなかった」と言ってくれました。
なぜ急に言ってくれたのかよくわかりませんが、
それを聞いて、
「あれ? お母さんが謝ってる。わたしが悪いんじゃなかったんだ」と心が軽くなりました。
帰省して良かったです。
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