石川 拓治 『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』
2008年12月21日 おすすめの本一覧
木村さん自身のすごさを伝えつつも、木村さんを支えた人たちのすごさも伝えてくれる本です。
まず、御家族がすごい。
「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」。
木村さんが御家族への罪悪感から「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いた際、娘さんが言った言葉だそうです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代に服にツギをあて、学用品をまともに買えず、PTA会費を払えず、外食が出来ず、健康保険証もなく、父親は周りから「カマドケシ(竈消し。竈の火を消してしまう、家の生計をダメにする人ということ)」という最悪のあだ名で呼ばれ「頭がおかしくなった」と言われている・・・そんな状況のなかこう言った娘さんはすごいです。
わたし自身田舎の出身ですから、御家族がどれほど苦しまれたか想像に難くありません。
奥さんもよく、娘さんたちを連れて出て行きませんでしたね・・・。この本に書かれていないだけかもしれませんが。出て行こうにも、木村さんが婿養子である為、奥さんに「実家に帰る」という手段がなかったのかもしれませんが。少なくとも離婚はしていないようです。
こういった場合わたしの地元なら離婚して当たり前。家族が精神を病むなんて珍しくありません。田舎という狭いコミュニティは、変わりものに対して極めて残酷なのです。
御家族の苦しみを知っているからこそ木村さんも「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いたのです。
それでも娘さんは「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」と言ったし、奥さんも離婚しなかった。
そして、無農薬で栽培したリンゴの花が咲いた時、木村さんと奥さんの二人でその可憐な花が咲くのを感じた。
きっと娘さんもその花を見たでしょうね。
・・・鳥肌ものです。
木村さんもおっしゃっていますが、木村さんは一人だけの力で現在に至ったのではないのです。
木村さんがリンゴの木を自然から切り離すことは出来ないと気付いたのと同じように、木村さん自身もまた周りの人たちから切り離すことはできません。
木村さんのお母さんはこっそり玄関の前に米や味噌を置きに来てくれたそうですし、木村さんがアルバイトをしていたキャバレーのホステスさんはお弁当を作ってくれたそうですし、近くの畑の持ち主は木村さんの畑から害虫がもれるところなど見なかったということを近所の農家にも話してくれたそうですし・・・。挙げようとすればキリがありません。
わたしはそうした木村さんを支えた人がこの本のあとがきを書けば良かったのではないかな・・・と思います。茂木さんには申し訳ないですが。
まず、御家族がすごい。
「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」。
木村さんが御家族への罪悪感から「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いた際、娘さんが言った言葉だそうです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代に服にツギをあて、学用品をまともに買えず、PTA会費を払えず、外食が出来ず、健康保険証もなく、父親は周りから「カマドケシ(竈消し。竈の火を消してしまう、家の生計をダメにする人ということ)」という最悪のあだ名で呼ばれ「頭がおかしくなった」と言われている・・・そんな状況のなかこう言った娘さんはすごいです。
わたし自身田舎の出身ですから、御家族がどれほど苦しまれたか想像に難くありません。
奥さんもよく、娘さんたちを連れて出て行きませんでしたね・・・。この本に書かれていないだけかもしれませんが。出て行こうにも、木村さんが婿養子である為、奥さんに「実家に帰る」という手段がなかったのかもしれませんが。少なくとも離婚はしていないようです。
こういった場合わたしの地元なら離婚して当たり前。家族が精神を病むなんて珍しくありません。田舎という狭いコミュニティは、変わりものに対して極めて残酷なのです。
御家族の苦しみを知っているからこそ木村さんも「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いたのです。
それでも娘さんは「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」と言ったし、奥さんも離婚しなかった。
そして、無農薬で栽培したリンゴの花が咲いた時、木村さんと奥さんの二人でその可憐な花が咲くのを感じた。
きっと娘さんもその花を見たでしょうね。
・・・鳥肌ものです。
木村さんもおっしゃっていますが、木村さんは一人だけの力で現在に至ったのではないのです。
木村さんがリンゴの木を自然から切り離すことは出来ないと気付いたのと同じように、木村さん自身もまた周りの人たちから切り離すことはできません。
木村さんのお母さんはこっそり玄関の前に米や味噌を置きに来てくれたそうですし、木村さんがアルバイトをしていたキャバレーのホステスさんはお弁当を作ってくれたそうですし、近くの畑の持ち主は木村さんの畑から害虫がもれるところなど見なかったということを近所の農家にも話してくれたそうですし・・・。挙げようとすればキリがありません。
わたしはそうした木村さんを支えた人がこの本のあとがきを書けば良かったのではないかな・・・と思います。茂木さんには申し訳ないですが。
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