わたしはこれまで、大切な人が亡くなる度、火葬の時に最も悲しみを感じてきました。
 燃えてしまうから。
 かつてわたしと繋いでくれた手、同じ景色を見ていた目・・・、それら全てが燃やされてしまうから。
 その人と一緒に、思い出まで亡くしてしまう気がして。


 『医龍』10巻を読んでから、わたしは今までは感じなかった悲しみも感じることが出来るようになりました。
 思い出が失われるのは火葬の時だけではない・・・ということに気づかされたのです。


 「――もう少ししたら、少しずつ・・・
  少しずつ・・・ 死んでいく・・・
  脳細胞と一緒に・・・ ママの中の思い出が・・・」
  (『医龍』10巻 木原先生のモノローグより引用)


 心臓が停止し、脳に酸素が送られなくなり、脳細胞が死んでいく・・・その時間の短さにわたしは泣くようになりました。


 だからこの巻を読み返すのはとても辛いです。この巻では、木原先生の母親が交通事故に遭い、心臓が破裂し、心停止してしまうから。木原先生の「・・・なんで・・・なんでこんなことに・・・・・・なんで?」というセリフも、「昨日に、戻りたい・・・」というセリフも、わたし自身言ってきたから。
 けれど、わたしは木原先生が母親に呼びかけるシーンが好きでたまらなくて、何度もこの巻を読み返しています。
 はっきり言ってわたしは木原先生が好きではありません。木原先生は赤ちゃんの手術が失敗する(そうなったら当然赤ちゃんは死ぬ)ことを願ったりしますし。けれどこのシーンでは別。このシーンにおいては、わたしは木原先生のことが嫌いではなくなります。
 心停止から3分経ってしまった自分の母親の蘇生を祈りながら、木原先生はこう言うのです。


 「・・・一緒に家へ、帰ろう」


 亡くなってしまった大切な人たちにわたしがもう言うことが出来ないセリフを、木原先生は言ってくれます。又、生きている大切な人たちにはこのセリフを言うことが出来る、と気付かせてくれます。そして、このセリフによって母親が蘇生するという奇跡を起こしてくれます。
 勿論、現実ではこうは上手くいかないでしょう。聴覚は最後まで残るから意識が無くても音は聞こえている・・・というのはよく知られた話ですし、実際脳に大ダメージを受け意識不明となっている人に声をかけるとその人が涙を流したことがありました。けれど、声をかけたところで病態が劇的に改善するわけではないし、脳死を免れるわけでもないでしょう。
 けれど、漫画の世界では違います。大切な人の体がどれだけ破壊されていようとも、「生き返ってくれるかもしれない」という希望を持つことが出来ます。そして、漫画の世界ではその悲願が叶うのです。
 だからわたしはこの巻が大好きです。繰り返し読み続けるのです。

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