ジュゼッペ・トルナトーレ監督 『マレーナ』
2009年4月17日 映画 コメント (4)
こんな方におすすめ:色っぽい美女を見たい方
こんな方にはおすすめしません:非情な展開が嫌な方
女性は女性に対してどこまでも残酷になれる生き物だ・・・、とわたしはこの映画を見ながら改めて感じました。
この映画の冒頭には、虫眼鏡を使って太陽光で蟻を焼き殺す少年たちが登場します。けれど相手の痛みを思いやれないのは大人も同じ。
マレーナは夫と父を戦争によって失いました。町の人々はこれまでずっと彼女を異質な者として見るばかりだったので、彼女が孤独な身となってからも、彼女の心に寄り添ってくれる人は誰もいませんでした。それでも戦争は彼女の気持ちことなどお構いなしにまだまだ続きます。食糧もお金も頼れる人もない戦時中を女一人で生きていくために、マレーナがその美しさを活用して娼婦という道を選択したからといって誰が責められましょうか。
けれど女性たちは群衆の前で彼女の髪を引っ張り、メッタ打ちにし、お腹を蹴り、彼女が口元や膝から血を流し始めてもおかまいなしに暴力をふるい続け、男性も見ている前で彼女の胸を露出させ、泣き叫んで抵抗しようとする彼女を抑えつけながら彼女の髪をほとんど坊主頭の短さに切り・・・、「この町から出て行け!」と叫ぶのでした。
それを男性たちも止めません。
この映画の主人公である少年すらも止めません。
容赦ない制裁を受けたために立ち上がることも容易にはかなわず、ガクガク震え、嗚咽しながらも裸の胸を隠そうとする彼女に、誰も服を着せてあげないし傷も手当てしてくれません。
ただ見ているだけ。
・・・この映画って、「少年が年上の美女に恋をして、その恋心を打ち明けることも出来ずただ彼女を見守り続けた映画」とロマンティックに評されることも多いのですが、少年はただ見ていただけではありませんか!
ただ見ていただけ。
少年は彼女が町から追われた後、戦地から生きて帰ってきた彼女の夫に「みんな彼女を悪く言うけれど、僕は真実を知っている。彼女はあなた一人を愛していた」と教えてくれたけれど・・・。
彼女が悲鳴をあげている間、少年はただ見ていただけではありませんか。
その時少年自身も、彼女をその沈黙と視線によって追い詰める人々のうちの一人になっていたではありませんか。
少年の視線に他の人のような冷たさがないと理解する余裕など、その時の彼女には無かったことでしょう。
そういうこともあってこの映画は見ていると辛くなる映画です。
けれど、彼女は美しい。
集団リンチを受けた町に戻ってくるという彼女の度胸も称賛に値します。
けれど、彼女の心にまで深い深い傷を負わせた女性たちは、町へ戻ってきた彼女の服装が地味になったこと、目尻にシワが出来たこと、彼女が太ったことを見て笑みを浮かべました。そして女性たちは、彼女が女性たちに「こんにちは」と挨拶したその瞬間、満足そうに安堵したように微笑んだのでした。
・・・その微笑みにゾッとします。
女性たちは、「彼女が自分たちと同じ町の女になった」と思ったのでしょうか? それとも「彼女は自分たちが暴力をふるったことを許した」と思ったのでしょうか? ・・・許せるはずなんて無いのに。
けれど女性たちが微笑まなかったら彼女は再び町を追われることになったかもしれないから、女性たちを非難するわけにもいきません・・・。
・・・う~ん・・・。
・・・。
・・・嫌です、やっぱり。
非難したいです!
そして、実際に彼女のような運命を辿った女性たちのために祈りたいです。
イエス・キリストがかつて娼婦へ言ったとされる言葉を思い出しながら・・・。
「もう、それでいい。
わたしはあなたの悲しみを知っている」。
こんな方にはおすすめしません:非情な展開が嫌な方
女性は女性に対してどこまでも残酷になれる生き物だ・・・、とわたしはこの映画を見ながら改めて感じました。
この映画の冒頭には、虫眼鏡を使って太陽光で蟻を焼き殺す少年たちが登場します。けれど相手の痛みを思いやれないのは大人も同じ。
マレーナは夫と父を戦争によって失いました。町の人々はこれまでずっと彼女を異質な者として見るばかりだったので、彼女が孤独な身となってからも、彼女の心に寄り添ってくれる人は誰もいませんでした。それでも戦争は彼女の気持ちことなどお構いなしにまだまだ続きます。食糧もお金も頼れる人もない戦時中を女一人で生きていくために、マレーナがその美しさを活用して娼婦という道を選択したからといって誰が責められましょうか。
けれど女性たちは群衆の前で彼女の髪を引っ張り、メッタ打ちにし、お腹を蹴り、彼女が口元や膝から血を流し始めてもおかまいなしに暴力をふるい続け、男性も見ている前で彼女の胸を露出させ、泣き叫んで抵抗しようとする彼女を抑えつけながら彼女の髪をほとんど坊主頭の短さに切り・・・、「この町から出て行け!」と叫ぶのでした。
それを男性たちも止めません。
この映画の主人公である少年すらも止めません。
容赦ない制裁を受けたために立ち上がることも容易にはかなわず、ガクガク震え、嗚咽しながらも裸の胸を隠そうとする彼女に、誰も服を着せてあげないし傷も手当てしてくれません。
ただ見ているだけ。
・・・この映画って、「少年が年上の美女に恋をして、その恋心を打ち明けることも出来ずただ彼女を見守り続けた映画」とロマンティックに評されることも多いのですが、少年はただ見ていただけではありませんか!
ただ見ていただけ。
少年は彼女が町から追われた後、戦地から生きて帰ってきた彼女の夫に「みんな彼女を悪く言うけれど、僕は真実を知っている。彼女はあなた一人を愛していた」と教えてくれたけれど・・・。
彼女が悲鳴をあげている間、少年はただ見ていただけではありませんか。
その時少年自身も、彼女をその沈黙と視線によって追い詰める人々のうちの一人になっていたではありませんか。
少年の視線に他の人のような冷たさがないと理解する余裕など、その時の彼女には無かったことでしょう。
そういうこともあってこの映画は見ていると辛くなる映画です。
けれど、彼女は美しい。
集団リンチを受けた町に戻ってくるという彼女の度胸も称賛に値します。
けれど、彼女の心にまで深い深い傷を負わせた女性たちは、町へ戻ってきた彼女の服装が地味になったこと、目尻にシワが出来たこと、彼女が太ったことを見て笑みを浮かべました。そして女性たちは、彼女が女性たちに「こんにちは」と挨拶したその瞬間、満足そうに安堵したように微笑んだのでした。
・・・その微笑みにゾッとします。
女性たちは、「彼女が自分たちと同じ町の女になった」と思ったのでしょうか? それとも「彼女は自分たちが暴力をふるったことを許した」と思ったのでしょうか? ・・・許せるはずなんて無いのに。
けれど女性たちが微笑まなかったら彼女は再び町を追われることになったかもしれないから、女性たちを非難するわけにもいきません・・・。
・・・う~ん・・・。
・・・。
・・・嫌です、やっぱり。
非難したいです!
そして、実際に彼女のような運命を辿った女性たちのために祈りたいです。
イエス・キリストがかつて娼婦へ言ったとされる言葉を思い出しながら・・・。
「もう、それでいい。
わたしはあなたの悲しみを知っている」。
コメント
キレイやったけど・・・なんか後味悪かったですね・・・。
amazonのレビューの1つに、「イタリアで公開された時は103分だったが外国で公開される時に92分にカットされている。カットされた場面で映画の印象が変ってしまう。見るなら103分のオリジナルバージョンを」(原文のまま引用)というレビューが投稿されています。
わたしが見たのは92分のバージョンですが、レッドアイさんがご覧になったのも92分のものですか?
本来の103分のこの映画を見たいです・・・。
もう少し後味が良いといいなぁと思いつつ・・・。
それが92分のやつだったので、
レッドアイやんが見たのも92分のかもしれませんね。
う~ん、日本では103分バージョンを見るのは難しいかもしれませんね・・・。