*注*ネタバレがあります!




 この映画を見ていて、わたしは「自分は最期の瞬間誰の名を呼ぶのだろう・・・誰に救いを求めるのだろう」と考えずにはいられませんでした。


 「Mama,be with me.(=お母さん、わたしのそばにいて)」
 もう悲鳴さえあげられなくなった婦人警官シビルは、そう言って焼かれていきます。
 自分こそが正義と信じて疑わぬ人々によって、彼女は命を奪われるのです。


 間違いなく自分は今死ぬ、そう悟った時人は母が傍らにあることを望むのでしょうか。
 余談ですが、わたしが勤めている介護施設にて過日利用者さまの1人が亡くなった際、その方が亡くなりそうだということは他の利用者さまには一切お伝えしていないのに(看取りのために入所された方なので他の利用者さまとは面識もなかったはずです)、その最期の日と前後して数名の利用者さまが「お母さんと会いに家へ帰る」とおっしゃいました。その数名の利用者さまは普段そんなことをおっしゃらないのに。亡くなった利用者さまには入所時から意識が無かったらしく、わたしだけでなく他の職員もその方とは一度もお話することが出来なかったようなのですが・・・、わたしは他の数名の利用者さまを通してその方の声を聞いた気がしました。


 この映画は「宗教は人を無慈悲に殺すこともある。人にとっては母こそが救いである」と言いたいのかもしれません。
 だからこそこの映画の主人公は母親であり、この主人公が娘を救うため奮闘するのでしょうし、この映画の世界でどれだけ残酷なことが起ころうと神が現れないのもそのためかもしれません。神はいるかもしれないけれど神は人を救わない、そう言いたいのかもしれません。人それぞれ異論はあるでしょうけれど。
 わたしはこの映画の元となったゲームを一度もプレイしたことが無いので、もしかしたらわたしの解釈は間違っているかもしれませんが・・・、この映画は灰と霧の暗闇に包まれたこのサイレントヒルという町において母だけが光だと言っているような気さえします。


 観終わった後「あ~怖かった」で終わらない、何だか考えさせられる映画です。

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