ピーター・ウェーバー監督 『真珠の耳飾りの少女』
2009年6月14日 映画
家事意欲を刺激される映画です。
・・・こんな感想を求めてこの映画が制作されたわけではないと思うのですが。
冒頭で主人公グリート(彼女が後の「真珠の耳飾りの少女」)が野菜を切って食事の準備をするシーン。
野菜の瑞々しさを映し出す映像美についつい見惚れてしまいます。
ただ野菜を食べやすい形にしているだけなのに。
更に、食材をお皿に盛り付けるグリートの楚々とした手つき。
「普段何とも思わず行っていることだけれど、この一連の作業はじっくり観察すれば実は美しい行為なのではないか? 生きる糧をより美味しく食べる為に行っているのだし」と思わせてくれます。
グリートがフェルメールの屋敷に使用人として雇われ、洗濯をするシーン。
桶を火で熱し続けながらその桶にお湯を注ぎ、金色の水飴を思わせる石鹸を桶に入れ、その桶にシーツを入れる。棒のようなものでシーツを押さえつけることで桶の中にシーツを沈めながら、シーツをゆっくりかき回す。
その作業をしているうち、グリートは湯気で火傷。けれど手を止めるわけにはいかない。雇い主の清潔の為にも、シーツの汚れを落とし、洗濯板(板ではなく盤?)で丹念にこすり洗いをする。
その「面倒臭い」と評すことが出来る作業のおかげで、そのシーツを使う人は快適に眠ることが出来る。
グリートがフェルメールのアトリエを掃除するシーン。
「窓を拭いてもよろしいでしょうか。(アトリエ内の)光が変わりますが」とフェルメールの妻に尋ねるところからも彼女の美的感覚が優れていることがわかるシーンなので、わたしはこのシーンが特に好きです。
窓に少しの汚れも残さぬよう、窓枠に沿って窓を濡れた布で拭いていき、しばらくしたらその布を水洗いし、再び窓を拭いていく。
これは単なる拭き掃除ではなく、窓から部屋の中へと差し込む光を変える作業・・・。そう考えるともはや掃除が儀式とさえ思えてきます。
他にも、グリートが市場へ肉を買いに行き、店主が古い肉を渡してきたのでグリートが「この肉は新鮮じゃない」と見破るシーンなど・・・普段家事をしている人にとって「そうそう、グリートその調子」と微笑むシーンが沢山あります。
だからわたしはこの映画を家事奨励映画のように思ってしまっています。
勿論この映画は、グリートが実家の窮乏から家を出る際グリートに青い荷物を持たせていることからもわかる通り、グリートがやがて「真珠の耳飾りの少女」となるという運命を随所で暗示させていく映画だ・・・とわたしは思います。
フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」は、モデルの少女が群青色の美しいターバンを巻いていることから、別名「青いターバンの少女」とも言われているのです。そのターバンの色と、グリートが家を出る際持っている青い荷物はとてもよく似ています。
わたしはこういう演出の行き届いた映画が好きです。ただ単に伏線を張るだけでなく、それら全てがかすかな残酷さと美しさを兼ね備えている。
・・・こんな感想を求めてこの映画が制作されたわけではないと思うのですが。
冒頭で主人公グリート(彼女が後の「真珠の耳飾りの少女」)が野菜を切って食事の準備をするシーン。
野菜の瑞々しさを映し出す映像美についつい見惚れてしまいます。
ただ野菜を食べやすい形にしているだけなのに。
更に、食材をお皿に盛り付けるグリートの楚々とした手つき。
「普段何とも思わず行っていることだけれど、この一連の作業はじっくり観察すれば実は美しい行為なのではないか? 生きる糧をより美味しく食べる為に行っているのだし」と思わせてくれます。
グリートがフェルメールの屋敷に使用人として雇われ、洗濯をするシーン。
桶を火で熱し続けながらその桶にお湯を注ぎ、金色の水飴を思わせる石鹸を桶に入れ、その桶にシーツを入れる。棒のようなものでシーツを押さえつけることで桶の中にシーツを沈めながら、シーツをゆっくりかき回す。
その作業をしているうち、グリートは湯気で火傷。けれど手を止めるわけにはいかない。雇い主の清潔の為にも、シーツの汚れを落とし、洗濯板(板ではなく盤?)で丹念にこすり洗いをする。
その「面倒臭い」と評すことが出来る作業のおかげで、そのシーツを使う人は快適に眠ることが出来る。
グリートがフェルメールのアトリエを掃除するシーン。
「窓を拭いてもよろしいでしょうか。(アトリエ内の)光が変わりますが」とフェルメールの妻に尋ねるところからも彼女の美的感覚が優れていることがわかるシーンなので、わたしはこのシーンが特に好きです。
窓に少しの汚れも残さぬよう、窓枠に沿って窓を濡れた布で拭いていき、しばらくしたらその布を水洗いし、再び窓を拭いていく。
これは単なる拭き掃除ではなく、窓から部屋の中へと差し込む光を変える作業・・・。そう考えるともはや掃除が儀式とさえ思えてきます。
他にも、グリートが市場へ肉を買いに行き、店主が古い肉を渡してきたのでグリートが「この肉は新鮮じゃない」と見破るシーンなど・・・普段家事をしている人にとって「そうそう、グリートその調子」と微笑むシーンが沢山あります。
だからわたしはこの映画を家事奨励映画のように思ってしまっています。
勿論この映画は、グリートが実家の窮乏から家を出る際グリートに青い荷物を持たせていることからもわかる通り、グリートがやがて「真珠の耳飾りの少女」となるという運命を随所で暗示させていく映画だ・・・とわたしは思います。
フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」は、モデルの少女が群青色の美しいターバンを巻いていることから、別名「青いターバンの少女」とも言われているのです。そのターバンの色と、グリートが家を出る際持っている青い荷物はとてもよく似ています。
わたしはこういう演出の行き届いた映画が好きです。ただ単に伏線を張るだけでなく、それら全てがかすかな残酷さと美しさを兼ね備えている。
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