ニコラウス・ゲイハルター監督 『いのちの食べかた』
2009年7月11日 映画 コメント (2)
魚、野菜、動物をどのように流通させ食品として加工・調理するのか・・・というシーンはないので「いのちの食べかた」という邦題はいささか不適当かもしれませんが(現代は「OUR DAILY BREAD」)、魚や野菜や動物がどのような手順で命を奪われるのかがわかるドキュメンタリーです。
本物の血や内臓が映し出されるので、そういったものが苦手だという方は見ない方が良いと思います。
商品として誕生し、育ち、選別され、殺され、まだピクピク動いているうちに吊るし上げられ、切断される。
このドキュメンタリーにはナレーションがありません。
淡々と映像が映し出され、動物の体を運ぶ機械の音が聴こえます。
人間の声は聴こえません。
この演出によって、動物はもがいて抵抗しようとするのに人間は感情を露わにすることなく手際よく仕事として命を捌いていく・・・ということがダイレクトに伝わってきます。
人間たちの手つきからも、表情からも、命をいただく、という慈しみは感じられません。
人間が動物の体を食べるシーンは何度かありますが、「いただきます」など感謝の言葉を言うシーンはありません。
・・・このドキュメンタリーを見てしまったら・・・、もはや食事前に「いただきます」と言うのを怠ることは出来なくなります。
わたしは動物にばかり注目してこのレビューを書いてしまいましたが、このドキュメンタリーは野菜も扱っています。野菜は動物と違って鳴き叫んだりは出来ませんが、刈り取られる時はやっぱり痛いんだろうな・・・。魚だってそう。
このドキュメンタリーを見たからと言って、「もう動物も野菜も魚も食べない」というわけにはいきません。生きるためには食べなければいけない。けれど自分は最初から肉となっていたものを食べているのではなく、命をいただいて生かしていただいているのだ、ということを忘れずにいなくては・・・。
本物の血や内臓が映し出されるので、そういったものが苦手だという方は見ない方が良いと思います。
商品として誕生し、育ち、選別され、殺され、まだピクピク動いているうちに吊るし上げられ、切断される。
このドキュメンタリーにはナレーションがありません。
淡々と映像が映し出され、動物の体を運ぶ機械の音が聴こえます。
人間の声は聴こえません。
この演出によって、動物はもがいて抵抗しようとするのに人間は感情を露わにすることなく手際よく仕事として命を捌いていく・・・ということがダイレクトに伝わってきます。
人間たちの手つきからも、表情からも、命をいただく、という慈しみは感じられません。
人間が動物の体を食べるシーンは何度かありますが、「いただきます」など感謝の言葉を言うシーンはありません。
・・・このドキュメンタリーを見てしまったら・・・、もはや食事前に「いただきます」と言うのを怠ることは出来なくなります。
わたしは動物にばかり注目してこのレビューを書いてしまいましたが、このドキュメンタリーは野菜も扱っています。野菜は動物と違って鳴き叫んだりは出来ませんが、刈り取られる時はやっぱり痛いんだろうな・・・。魚だってそう。
このドキュメンタリーを見たからと言って、「もう動物も野菜も魚も食べない」というわけにはいきません。生きるためには食べなければいけない。けれど自分は最初から肉となっていたものを食べているのではなく、命をいただいて生かしていただいているのだ、ということを忘れずにいなくては・・・。
コメント
☆☆☆
わたしもさいきん↑それ思ってたんですよ。
″前世ブタだったかもしれないから、自分で
自分を食べてるみたいで食べられない″って
肉食べずに野菜系だけの人が居るんやけど・・・。
その食べ方は否定しないけど、
前世ブタだった可能性があるなら、
前世ニンジンだった可能性もおなじように
あるよなーーと思って・・・・・。
わたしは両方食べます。
食べられなくなったら、出家します。
俗世で生きる限りは食べないと行けないと思う。
>自分を食べてるみたいで食べられない″って
>肉食べずに野菜系だけの人が居るんやけど・・・。
すごいですねそれ。
そういうのを聞くと、
確かに逆に「前世野菜だったかもしれないから、
自分で自分を食べてるみたいで食べられない」って、
肉だけ食べてる人もいるかも!? なんて想像してしまいます。
わたしも両方食べます。
好き嫌いありませんし。
・・・あ、でも焼きイモは苦手です。
(わたしの前世は焼きイモ!?)
レッドアイやんが出家!
そういうキャラに転向するのも面白い・・・かも? ←無責任