小山ゆう 『あずみ』
2011年11月6日 漫画
今、第38集まで読みました。
純粋な千代蔵が好きです。
この漫画、後半のぐだぐだ感(仲間ができる→仲間が死ぬ、の無限ループ)が前半の流れの良さを殺しているようにも思えますが、あずみの千代蔵へ対する母性を読めただけでも後半には存在する価値あり。
体ではなく、心を求めてくる千代蔵の、なんて愛しいことでしょう。
わたしはうっかりwikipediaを見てしまって、いずれは千代蔵が死ぬことを知り、非常にショックです。
『あずみ』は主要登場人物さえも死ぬのが当たり前とさえ言える漫画だから、仕方無いことだけれど…。
作者の登場人物の死なせっぷり、例えば俊次朗の死に方はある意味あっぱれでした。かつてはあずみと恋に落ちた男だけれど、しばらくあずみに会わない間にすっかり変わってしまって、仲間を麻薬漬けにして強制労働させ、恩師を監禁し、自らも麻薬におぼれて、幻覚相手に演説しながら転落死。その遺体の傍をあずみが通ったけれどあずみには気づいてもらえない。…漫画家の冨樫義博さんとも通ずるような、作者の、登場人物への容赦の無さは、変な言い方ですが潔ささえ感じるほどです。
登場人物の死、と言えば、わたしはきくの描写が忘れられないです。
きくの死は辛い。余りにも。
当初はあずみを殺そうと狙う刺客の1人だったけれど、あずみに惹かれ、大変な努力によってお頭の洗脳から解き放たれた、きく。
大好きなあずみと旅ができる! という嬉しさを、隠すことなく素直に表現していたきくには、わたしはとても好感を持ちました。
けれど、きくは熱発している最悪のタイミングで捕らえられ、敵に殴られ、強姦され続け、やっと助けに来たあずみと対面した時には既に命を落としていました。
無残な死体となって。
必死に生きようとしたのに…。
殺されるまでの間に、きくは心の中で「あずみと生きたい」と叫び続けていました。
その感情描写が…忘れられません。
突きつけられるからです。
『殺される』ということは、たまらなく恐ろしいことなのだ、と…。
純粋な千代蔵が好きです。
この漫画、後半のぐだぐだ感(仲間ができる→仲間が死ぬ、の無限ループ)が前半の流れの良さを殺しているようにも思えますが、あずみの千代蔵へ対する母性を読めただけでも後半には存在する価値あり。
体ではなく、心を求めてくる千代蔵の、なんて愛しいことでしょう。
わたしはうっかりwikipediaを見てしまって、いずれは千代蔵が死ぬことを知り、非常にショックです。
『あずみ』は主要登場人物さえも死ぬのが当たり前とさえ言える漫画だから、仕方無いことだけれど…。
作者の登場人物の死なせっぷり、例えば俊次朗の死に方はある意味あっぱれでした。かつてはあずみと恋に落ちた男だけれど、しばらくあずみに会わない間にすっかり変わってしまって、仲間を麻薬漬けにして強制労働させ、恩師を監禁し、自らも麻薬におぼれて、幻覚相手に演説しながら転落死。その遺体の傍をあずみが通ったけれどあずみには気づいてもらえない。…漫画家の冨樫義博さんとも通ずるような、作者の、登場人物への容赦の無さは、変な言い方ですが潔ささえ感じるほどです。
登場人物の死、と言えば、わたしはきくの描写が忘れられないです。
きくの死は辛い。余りにも。
当初はあずみを殺そうと狙う刺客の1人だったけれど、あずみに惹かれ、大変な努力によってお頭の洗脳から解き放たれた、きく。
大好きなあずみと旅ができる! という嬉しさを、隠すことなく素直に表現していたきくには、わたしはとても好感を持ちました。
けれど、きくは熱発している最悪のタイミングで捕らえられ、敵に殴られ、強姦され続け、やっと助けに来たあずみと対面した時には既に命を落としていました。
無残な死体となって。
必死に生きようとしたのに…。
殺されるまでの間に、きくは心の中で「あずみと生きたい」と叫び続けていました。
その感情描写が…忘れられません。
突きつけられるからです。
『殺される』ということは、たまらなく恐ろしいことなのだ、と…。
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