マツコ・デラックス 『続・世迷いごと』
2012年3月23日 おすすめの本一覧
「今の女優について何を語れっていうのよ、おもしろいオンナがいないじゃな~い!」というマツコの嘆きが聴こえてくる一冊。
マツコって女優について考察するのが好きですよね。女優について書く時、文章がいきいきとするもの。
わたしは将来的に小池栄子が怪演女優に化けると予想しているので、マツコが「日本のソフィア・ローレンを目指してほしいのよ」(P141)と書いてくれていて、嬉しかった。
でも、そうしてマツコが、「小池栄子がソフィア・ローレンのように使われる芸能界であってほしい」(P137)と書き、「日本にちゃんとした脚本家がいて、ちゃんとした演出家がいて、ちゃんとそれにお金を出すところがあれば、小池栄子がやる役ってゴマンとあるはず」(P140~P141)と書いている、まさにこの本の中で、奇しくもマツコ自身が「タレントを押さえてからドラマの内容を考えるというシステムがダメよ」(P191)などと断じざるを得ない、芸能界って一体何なんでしょうね…。
特にこの業界のやりきれなさについて書いたのが、7章『業と純情の近似性-誰が彼女たちを追い詰めたのか-』。この章では、加護亜依、後藤真希、華原朋美のことが考察されています。彼女たちは、がむしゃらというよりもムチャクチャに働いたので、その分周囲の人間は稼いだし、面白がっていたのに、うまみが無くなった途端、無残なまでにソッポ向かれてしまった人たち。そうしてボロボロになるのは1つの有名税だ、と割り切ろうとする人もいるだろうけれど、やっぱり彼女たちは哀れ。今、人気の子役たちだって、将来は同じような運命を辿ってしまうかもしれない。末路、とは書きたくないです。加護亜衣も、後藤真希も、華原朋美も、生きている限りやり直しはきくんだから、応援したい。AKBからAV女優になってしまった中西里菜=やまぐちりこのことも、どうして周りは守ってあげなかったのかな。高橋みなみの件についても、本人は悪くないのだから、たとえ不自然な庇い方になろうとも守ってあげて欲しい。
さて。なぜわたしが特にこの7章に注目したかというと、実は他にも理由があるのです。
この章のP101で「あの島田紳助さん」とわざわざ『あの』も『さん』も付けて島田紳助の名前を登場させているのに、5章『男性司会者についての考察-ヒデちゃんという王道-』でみのもんたと中山秀征と関口宏については書いても、島田紳助については一切触れないことに、物凄く違和感を覚えるから。本当は書きたい、でも書いたらだめ、という葛藤が、まさにこのP101の僅かな一文「あの島田紳助さん」に集約されている気がする。いつかマツコに島田紳助について書いて欲しい。
マツコって女優について考察するのが好きですよね。女優について書く時、文章がいきいきとするもの。
わたしは将来的に小池栄子が怪演女優に化けると予想しているので、マツコが「日本のソフィア・ローレンを目指してほしいのよ」(P141)と書いてくれていて、嬉しかった。
でも、そうしてマツコが、「小池栄子がソフィア・ローレンのように使われる芸能界であってほしい」(P137)と書き、「日本にちゃんとした脚本家がいて、ちゃんとした演出家がいて、ちゃんとそれにお金を出すところがあれば、小池栄子がやる役ってゴマンとあるはず」(P140~P141)と書いている、まさにこの本の中で、奇しくもマツコ自身が「タレントを押さえてからドラマの内容を考えるというシステムがダメよ」(P191)などと断じざるを得ない、芸能界って一体何なんでしょうね…。
特にこの業界のやりきれなさについて書いたのが、7章『業と純情の近似性-誰が彼女たちを追い詰めたのか-』。この章では、加護亜依、後藤真希、華原朋美のことが考察されています。彼女たちは、がむしゃらというよりもムチャクチャに働いたので、その分周囲の人間は稼いだし、面白がっていたのに、うまみが無くなった途端、無残なまでにソッポ向かれてしまった人たち。そうしてボロボロになるのは1つの有名税だ、と割り切ろうとする人もいるだろうけれど、やっぱり彼女たちは哀れ。今、人気の子役たちだって、将来は同じような運命を辿ってしまうかもしれない。末路、とは書きたくないです。加護亜衣も、後藤真希も、華原朋美も、生きている限りやり直しはきくんだから、応援したい。AKBからAV女優になってしまった中西里菜=やまぐちりこのことも、どうして周りは守ってあげなかったのかな。高橋みなみの件についても、本人は悪くないのだから、たとえ不自然な庇い方になろうとも守ってあげて欲しい。
さて。なぜわたしが特にこの7章に注目したかというと、実は他にも理由があるのです。
この章のP101で「あの島田紳助さん」とわざわざ『あの』も『さん』も付けて島田紳助の名前を登場させているのに、5章『男性司会者についての考察-ヒデちゃんという王道-』でみのもんたと中山秀征と関口宏については書いても、島田紳助については一切触れないことに、物凄く違和感を覚えるから。本当は書きたい、でも書いたらだめ、という葛藤が、まさにこのP101の僅かな一文「あの島田紳助さん」に集約されている気がする。いつかマツコに島田紳助について書いて欲しい。
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