ぬいぐるみを拾う、石でガラスを割るなど、ある程度の知能を残しているゾンビたちとの戦いを描く、アメリカのTVドラマ『ウォーキング・デッド』。
 1巻だけ見ましたので、ひとまず1巻についての感想を。

 まず言いたいことは。
 馬がかわいそう!!!
 たぶん「主人公が保安官だから馬に乗せたい」という制作サイドの思惑で、主人公は馬に乗り、ゾンビたち(以下「ウォーカー」)が巣くう都市アトランタに行くのだけれど、主人公だけ助かって、馬は生きたままウォーカーたちにむっしゃむっしゃ食べられてしまう!!
 「やい! コラ、主人公! せめて馬を銃で撃ってとどめを刺してやれよ!!」とわたしは本気でTVドラマに怒ってしまいました…。
 もちろん、撮影に使われた馬が実際に生きたまま食べられたわけではない、とはわかっているのですが…。
 それに、現実世界でも人間が馬だけでなく牛、豚、鶏、魚、ありとあらゆる食べ物を殺して食べているわけだし、みんな楽に死ねるはずなんてなく苦しみ抜いて死んでいくのだし、特に毛皮を剥ぐのなんて残酷極まりないのだけれど…。
 馬が死んでいくのを見て、悲しくなってしまった。
 この悲しみさえも人間のエゴだ。

 しかしゾンビものなのですから、グロいのは当たり前ですね。
 このTVドラマも、相当グロいです。
 なんたって、主人公たちの行動がグロい。
 ウォーカーたちをやり過ごすために、自分たちが倒したウォーカーの体を斧でバラバラに切断し、自分たちの服にウォーカーの血を塗りたくり、更に、ウォーカーの手・足・腸を、まるでお守りのように首からぶら下げ、さも自分たちもウォーカーであるかのように装ったのですから。
 当然ウォーカーは元々は生きた人間だったので、主人公たちはウォーカーの財布の中身から生前の名前などを読みあげ、その死を悼んだ後、「彼はドナー登録者だ」と前置きしてから体をバラバラにするのですが…。
 遺体を傷つけてまで人は生きねばならぬのでしょうか。
 けれど、非常時においては、生きたいという本能の方が、倫理より遥かに強烈なエネルギーを生むのでしょうね…。

 うーん。
 馬の件については動物愛護団体から、遺体を傷つけた件については宗教団体から苦情がきそうなTVドラマです。

 けれど、良いところも沢山あるTVドラマだと思います。
 人間の心理をしっかり描けているから。
 まず、妻がウォーカーになり、肉を求めて街を彷徨うようになったため、ひと思いに殺して楽にしてやりたいと思ったけれど、いざ妻を銃で撃つ段階になったら妻との思い出が溢れてきて、妻を撃てなくなった男の心理。
 次に、夫の同僚と不倫する妻の心理。ちなみにこの妻は主人公の妻です。生きるか死ぬかの状況下では、人間の性欲は平常時より増幅するのです。
 次に、非常時であるにも関わらず、「誰がリーダーか決めよう」と言い出し、他の仲間に暴力を奮う凶暴な男の心理。どんな時にも暴力で他人を支配しようとする人間はいるのです。生きている人間=安全、とは限りません。むしろ生きている人間の方がよっぽどたちが悪いことだってあるのです。
 そして、その凶暴な男を連れて逃げるかその場に捨て置くかという判断を委ねられた男の心理。この男は、凶暴な男を助けに戻ります。立派。…でも、助けられませんでしたけどね。もしかしたらDVDの2巻で助けるのかもしれません。

 それと、わたしは別の面にも注目しました。
 言葉ってすごい力を持っているなぁ、と今更ながら感心させられたからです。

 このTVの冒頭で、主人公は映画『バイオハザード』のように病院で目覚めるのですが、病院のドアに誰かが「DON’T OPEN.DEAD INSIDE(開けるな。中に死者がいる)」と書いてくれていました。
 それを読んだから、主人公は不用意にドアを開けずに済みました。
 その言葉を書いてくれなかったら、主人公は早々にウォーカーに食べられていたかもしれません。
 それを書いた人はとっくに死んでいるという設定なのだろうけれど、言葉によって主人公は救われた。
 言葉って、すごい…。
 人は、死んでからも、人を救うことが出来るのです。

 また、主人公は途中で立ち寄った民家で、心中の現場を目撃します。
 たぶん、ウォーカーになりたくないが為に夫が妻の頭部を銃で撃ち、自分の頭も撃った現場。
 その民家の壁には「GOD FORGIVE US(主よ我らを赦したまえ)」と書いてありました。
 キリスト教では自殺は禁じられていますからね。
 けれど、そうせねばならぬほどその夫婦が追い詰められたことが、その言葉によって読みとれるのです。
 たとえ、主人公が生前のその夫婦と何の関わりも持っていなくても。

 言葉って、すごい。 

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