1巻の感想→http://20756.diarynote.jp/201206240128565113/
 2巻の感想→http://20756.diarynote.jp/201206272213437710/

 3巻が最も好きです。
 「他人をどう葬るか。自分はどう死ぬか」が3巻のテーマだと思います。

 まず、他人を葬ることについて。
 グレンが「仲間は埋葬する! 燃やしたりしない!」と叫ぶのも印象的ですが、やはりアンドレアが妹エイミーにしたことが最も鮮烈に目に焼きつきます。
 これまでエイミーの誕生日はいつも忙しくて傍にいてやれず、やっと一緒に誕生日を祝えると思った最中、突然エイミーはウォーカーに襲われて死んでしまいます。
 アンドレアはエイミーの遺体に、誕生日プレゼントとして渡すはずだったネックレスを着けてやります。
 誰もが、エイミーがウォーカーとなって皆を襲うのを恐れ、エイミーの遺体を処理(頭部を潰す)しようとしますが、アンドレアは首を縦に振りません。
 アンドレアは、エイミーの遺体が徐々にウォーカーへと変化していくのを、傍らで見つめ続けました。
 エイミーの瞳の色は変化し、元々真っ白だった肌からは更に血の気が引いていきます。
 そしてついに、姉であるアンドレアに食いつこうとしました。
 アンドレアは「愛してるわ」と言い、かつては妹だった哀れなウォーカーの頭を撃ちます。
 …愛しているからこそ、自分の手で葬るのですね…。他の誰でもない、自分の手で。
 アンドレアにとって妹は他の誰よりも大切な存在なのに、その頭を撃ちぬかなくてはなりません。本当はとうに死んでいるけれど、今は目を開き、手足も動かしている妹に、とどめを刺さなくてはなりません。愛しているから。
 たとえもう妹に自分の声が届かなくても、最期に「愛してるわ」と伝えずにはいられなかった。
 …このシーンは強烈です。見ていて涙が出ました。

 次に、自分がどう死ぬかについて。
 これについては、やがて自分がウォーカーになるのを予期して皆から離れたジムの行動も考察したいところですが、やはりCDC(疫病対策センター)にて自殺したジェンナー博士の心理状態が興味深いです。
 他の研究員たちがウォーカーに襲われたり、絶望して自殺してしまったため、地下にてたった一人で研究を続けてきたジェンナー博士。
 主人公リックが、もうモーガン(1巻で登場する、かつての妻を撃てなかった男)が聴いていないかもしれないのにトランシーバーに向かって話さずにはいられなかったのと同じように、ジェンナー博士もまた、もう誰も聴いていない・見ていないかもしれない画面に向かって、研究の進行状況や自分の心情を語り続けずにはいられませんでした。
 そうしないと正気を保っていられなかったのでしょう。けれど、リックたちがCDCに到着した時、ジェンナー博士は既に正気ではなくなっていました。
 ウォーカーに襲われて、やがて自分もウォーカーになるか。或いは、極めて苦痛の少ない方法で自殺するか。
 ジェンナー博士は後者を選びました。しかも、自分だけではなく、リック達をも道連れにしようとしました。
 必死の抵抗により、なんとかリック達はCDCから逃げ出せましたが、仲間の1人が自分の尊厳を守るため「ウォーカーになりたくない」と言い、ジェンナー博士と共に自殺しました。
 …自分だったらどちらを選ぶのか…。考えさせられました。映画『バイオハザード』なら、変異した後も人格を保っていられることがあるのですが、この『ウォーキング・デッド』の場合、ウォーカーに噛まれたら身も心もウォーカーになりきって、かつて愛した人まで襲ってしまうのが悲劇ですよね…。だから、ジェンナー博士の出した結論は間違いとは言えません。けれど、わたしだったら多分最期まで頑張るかも。みっともなくてもいい、苦しくてもいいから、最期まで、与えられた命を生き抜こうとするかも。

 そして、わたしが3巻で一番いいシーンだと思ったのは、ジェンナー博士と共に自殺しようとしているアンドレアをデールが説得するシーン。
 アンドレアは本気で死ぬつもりでした。妹を失い、唯一の希望だったCDCが機能停止していることを知り、完全に絶望していたから。
 デールはそんなアンドレアにこう言うのです。「君が死ぬなら僕も死ぬ」と。アンドレアは驚いて、「あなたは逃げて」と言うのですが、デールは動こうとしません。だから仕方なくアンドレアは生きることにしたのです。
 …こういう自殺の思いとどまらせ方があるんですね…。実際に使うにはかなりハイリスクな言葉だけれど(逆に相手を完全なる失望に追いやり「嘘つき!」と言われた後自殺されるかも)、どんな薄っぺらい言葉で偽善的に説得するよりも、ガツンと心にきます。

 

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索