この本は、タイトルにこそ「謎」という言葉を使っていますが、フェルメールの「同時代から無視された孤高の天才」などのイメージについては異を唱えています。
 その理由は、まず、17世紀の画家にしてはフェルメールについての当時の記録が少なくないこと。最年少にして聖ルカ組合の理事を務めるなど、同時代の周囲の人々から評価されていたこと。また、フェルメールについて「忘れられた画家だったが再発見された」というイメージを定着させた美術評論家トレ=ビュルガーには画商としての顔もあり、自分の持つフェルメール作品の価格高騰を狙って大げさな論文を書いたのだろう…とする説があること。
 しかし、フェルメールが本当にカメラ・オブスキュラを使ったかどうかハッキリしないことや(ちなみに著者は否定派)、フェルメール作品には非真作・贋作が多いこと、かつて専門家が真作であると絶賛した作品が後に別人が描いた絵であったことが判った例が決して少なくない…ということにもこの本は言及しています。
 ハン・ファン・メーヘレンによる贋作事件についても、P85~P90でその事件の経緯が述べられています。フェルメールの名作として誉れ高かった「エマオのキリスト」を含む数点の作品が、実はハン・ファン・メーヘレンという贋作者によるものだった、という驚きの事件です!
 …ということはつまり、口に出すのも恐れ多いことではありますが、現在真作として美術館に飾られているような絵も、本当は違うかもしれない可能性が無いわけではない…というわけですよね…。
 特に著者は、1673年~1674年に描かれたとされる「ギターを弾く女」については辛辣なコメントを述べています。「画面からは微妙な色の階調が完全に失われている。~(中略)全盛期のフェルメールとは大違いだ」(P72から抜粋)と。また、1675年に描かれたとされる「ヴァージナルの前に座る女」に至ってはけちょんけちょんで、著者は「生き生きとした光の反射や、微妙な質感はまったく見られない。これが本当にあのフェルメールなのか?」「もしフェルメールに弟子がいたら、そいつの作品じゃないかと思うくらいです」(共にP73から抜粋)と批判しています。
 …余談ですが、個人的にはわたしもそう思うんです…。特に「ギターを弾く女」は、フェルメールがよく描いた、白の毛皮縁付きの黄色いサテンのガウンを描くことによってフェルメールっぽさを出すことをあざとく狙って別人が描いた絵のような気がしてならなくって…。もちろん断定は出来ませんが…。
 著者もまた、「これらの作品は、フェルメールの“模索”を示しているのではないでしょうか?」(P73から抜粋)と言い添えることで、これら2つの作品を非真作と断定することを避けています。もし断定してしまったらおおごとですものね…。
 しかし、著者は「ダイアナとニンフたち」、「赤い帽子の女」、「フルートを持つ女」、「聖女プラクセデス」、以上の4作品については、フェルメールの作品ではないだろうという推測をほとんど確信として持っていることをP78~P81で述べています。
 いずれにしても、やはりフェルメールについては、未だハッキリと判っていないことが多いです。
 だからこそ、この本のタイトルには「謎」という言葉を敢えて用いねばならなかったのでしょうね。

 ページを捲れば捲るほど面白い本です。
 フェルメールの絵(とされる絵、と申し添えた方がいいのかな? と、なんだか怖くなってしまいますね。笑)がカラーで載っているので、ページを捲っているだけでも目の保養になります。
 また、文章は専門用語を多用しておらず、非常に読みやすいです。
 絵と文章によって、フェルメールの生涯、画風の移り変わり、フェルメールの絵の盗難史までもを知ることが出来ます。
 なお、巻末にはフェルメール作品を所蔵している世界中の美術館一覧も載っているので、興味とお金と時間のある方は、この本を片手に世界旅行をするのも粋かと存じます。…ああ、もしそんな方が居たら、羨ましくって噛みついてやりたいっ!(笑)

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