読む、書く、読む、書く…のスタイルが確立している方の読書内容はさすがに違うな、と感心しながらわたしはこの本を読みました。
 面白い本を、だいたい1ページごとに紹介してくれているので、わたしは「読書メーター」にログインした状態のスマホを片手にこの本のページを捲り、「おっ! これも読みたい!」と心に引っかかった本を見つける度に、その本を「読書メーター」の「読みたい本」に登録していきました。おかげさまでわたしの「読みたい本」の冊数が一気に増えました。

 「読書日記」とサブタイトルにはあるけれど、この本は日々の細かな記録というよりも、その月に読んだ本とその月に起きた出来事をまとめて「○月某日」ごとに紹介しているので、エッセイとしても読みやすかったです。
 特に、「わたしには霊感がないけど、もしなにかへんなものを見ても、性格的にぜんぜん気づかないかもな、と思ったことがあった。ちいさな緑色のおじさんが壁を這ってても、知らずに本を読んでるかもしれないし、風呂の湯の下から長い髪の女が顔を出しても、本読んでるかもしれない」(P83から抜粋)という一文には、大いに笑わせていただきました。

 さて、桜庭さんのこの「読書日記」はシリーズもののようですが、この本に収録されているのは、2010年8月~2011年12月の内容。
 …3.11の地震についての記述は、2011年4月のページから始まります(一ヶ月遅れずつの掲載ですので)。
 桜庭さんが東京でその大きな揺れを体験したまさにその時の心境や、地震から一週間ほど経ってTVアニメ(ちなみに桜庭さん自身の『GOSICK』のアニメ)が3.11の前みたいにいつも通り元気よく始まった途端これまでせき止めていた緊張・怒り・悲しみが決壊して大声で泣いてしまい「ここは被災地じゃないのに」「恵まれているのに」「東京で働きながら泣くなんて自分勝手すぎるぞ」と思ったが泣くのを止められなかった…(P144から抜粋)という記述を読んでいると、胸が痛くなりました…。
 …東北の人は泣いていいけど東京の人は泣いちゃいけない、なんて事はわたしは無いと思うし、東京の人だって余震に怯えたり、節電によっていつもよりずっとずっと暗い街の様子を恐れたり、色々あったんだから、泣いていいよとわたしは思ってしまうけれど…。…でも、東北で作った電気を東京の人が使ってきたのは事実だからこそ、自分だって地震の被害に遭っているのに、どこか罪悪感を抱いてしまったのでしょうね、きっと…。励ます言葉が見つからず、わたしもこのページをもって、この本を読むのを一時中断してしまいました…。
 それ以降のページを捲っていくと、桜庭さんが被災地を歩いて現地の人たちと交わした会話や(P193~P198掲載の「六月十八日」)、福島県南相馬市で保護された野良犬の里親になった時の話が書かれていて…(P219~P224掲載の「七月二十二日」)。
 その後のページでもその犬との触れ合いや3.11に関することが少しずつではあるけれど書かれていて、その中でも桜庭さんが本を読むこと・本を書くことと向き合っていて…、でも暗くはならず、ユーモアを織り交ぜながら書いてくれていて…。

 だから、桜庭さんの「書くことだけじゃない。読むこともまた、人の祈りの声に耳を澄ます行為で、同時に、なにかを強く願うこと」(P192から抜粋)という一文が、わたしの心に強く響きました…。

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