わたしは思春期の頃よくカヒミ・カリィさんの曲を聴いてはそのウィスパー・ボイスに癒されていたのですが、カヒミさんいつの間にか母親になっていたんですね。おめでとうございます!
 このエッセイを読んで初めて知りましたが、カヒミさんはずいぶん幼い頃にお母様を亡くしていらっしゃったんですね…。
 カヒミさん自身が母親になった今、「母が抱いていたであろう、大切な幼い子ども二人を育て上げられずに自分の命を失う無念さ、その気持ちを思うと、私の心は深く痛み、けれども同時に、何故か心の底からゆっくり癒されていくように感じる。どんな状態の時でも、きっと、母は眠る私を見つめていた時、いま私が娘を見つめる時と同じような温かい気持ちだったのではないだろうか。~(中略)私が母を愛する時、私は母から愛されているような気持ちになるのだ」(P10から抜粋)とおっしゃっているのが凄く素敵だし、亡くなったおばあさまのことを思い出して「祖母のことを思うと涙が止まらなくなることがある。けれど、その時の涙はいつもより温かい。それは娘がポロポロと泣いて、抱きしめた時に私の頬に感じる温かさと一緒なのだ」(P31から抜粋)という感性も優しくて綺麗。
 愛って受け継がれていくものなんですね…。
 カヒミさんの子育てについての考え方も好き。「〝子を育てている〟というよりも、〝育っている子のお世話をしている〟という方がしっくりくる」(P11から抜粋)、わたしもいつか子どもを産むことがあったらそんな想いを抱い
た母親になりたいなぁ!

 それと、この本の中で、カヒミさんは河合隼雄さんがおっしゃったことについて紹介しています。
 「「--のぞみはもうありません」と面と向かって言われ、私は絶句した。ところがその人が言った。「のぞみはありませんが、光はあります」なんとすばらしい言葉だと私は感激した。このように言ってくださったのは、もちろん、新幹線の切符売場の駅員さんである--『考える人2008年冬号』(新潮社)」(P178から抜粋)
 オチの決まり方が素晴らしいったらない。
 何よりとっても良い言葉。
 望みはもうありません。望みはありませんが、光はあります。…言った駅員さん本人がビックリするかもしれないなぁ。

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