横溝正史『深夜の魔術師 (横溝正史探偵小説コレクション)』
2013年7月12日 おすすめの本一覧
『深夜の魔術師』、『広東の鸚鵡』、『三代の桜』、『御朱印地図』、『砂漠の呼声』、『焰の漂流船』、『慰問文』、『神兵東より来る』、『玄米食夫人』、『大鵬丸消息なし』、『亜細亜の日月』を収録した、横溝正史の短編小説集。
横溝節と言えばいいのでしょうか。どの作品も、絶妙な語り口で楽しませてくれます。
けれど、どの作品も戦争の影響を受けています。
例えば『慰問文』では、女学生が兵隊さんへ慰問袋(手ぬぐいなどの日用品を入れる)を贈るというエピソードが登場。
女学生は「あたしいままで、戦争は兵隊さんたちにおまかせしておけばいいと思っていたのよ。でも、今度のことではじめて、その間違いがわかったわ。戦っているのはみんななのね。男も女も老人も子供も、みんなみんな戦っているのね。そして皆さん、ちゃんとその覚悟が出来ていらっしゃるのね。あたしそれがわかって嬉しいの」(P177から抜粋)と発言します。
他の作品についても、日本軍の行いを正義と言ったり、日本軍の御用船を神兵とか称したり、イギリス軍のことを悪く言ったり、「欲しがりません勝までは」という標語を紹介したりしています。
…この時代の作家は、創作の制限を受けていたので、どうしてもこういう内容の作品を書かざるを得なかったんでしょうね…。
けれど、そういった状況のもとでも、横溝正史が『三代桜』のような作品を書いたのには驚かされました。
『三代桜』も、一見、当局受けを狙った作品のように思えます。
「ああして出征なされても、あとには奥さんが残っていなはる。奥さんのお腹には子供さんも宿っている。何も思い残すことはあらしまへん」(P107から抜粋)とか、「わたしは配偶(つれあい)を国に捧げました。息子を、孫を皇国(みくに)に捧げました。わたしはそれを少しも悲しいとは思いまへん」「差し上げますわ。奥さま、差し上げますわ。征一はあなたの曾孫です。大きくなったらきっと奥さまの志をついで、お国のために働いてくれますわ」(P118から抜粋)といった言葉が登場するので。
ところが、きちんと読んでみれば、決してそうではないことがわかります。
『三代桜』は、戦地で命を落とした男性にまつわるエピソード。
その男性は生前、こんなことをしました。
戦友の妊娠中の奥さんが「やがて生まれてくる子供のために、名前をつけてくれ」と戦友へ宛てて手紙を送ってきたけれど、残念ながら戦友は重傷を負っていて手紙を読むことすら出来ない有様。
だから男性は、この状況を妊娠中の奥さんに正直に告げるわけにはいかない、と思い、戦友の代筆という名目で、男の子が生まれたら征一と命名せよ、と返事を書きました。
ところが。
戦友は戦死したというのに、しばらくして戦友の奥さんからまた戦友宛てに手紙が届いてしまいました。
どういう事情があったのかわかりませんが、戦友の奥さんへ戦死通知が届かなかったようなのです。
戦友の奥さんから戦友へ宛てた手紙には、赤ん坊を抱いた写真が入っていました。
やがて男性はこんな手紙を自分の祖母へ送りました。
「お祖母さん、僕はちかごろ毎日この写真を胸に抱いて戦っています。この坊やに名前をつけたのはかくいう僕です。僕は坊やの写真を見るたびに、だんだんこの坊やが自分の子供であるような気がして参りました。写真の中から回らぬ舌で、お父さん、お父さんと呼んでくれるような気がします。僕も征一や、征一やと呼んでやります。お祖母さん、そういうわけで僕はいまとても楽しく軍務にはげんでいます」(P116から抜粋)と。
…楽しく軍務にはげんでいます、と結んだことで、一見、当局受けを狙ったエピソードのように見えるのですが、実際は違うようにわたしは思います。
軍務が楽しかったのは、軍務が終わって日本に帰ったら征一に会えると思ったからではないでしょうか。
自分が名付け親となった、この世でたった一人の赤ちゃんに。
写真を通してではなく、実際に征一に会って、名前を呼んでやりたかったから。
それが楽しみで、だからこそ自然と軍務も楽しくなったのではないでしょうか。
…それなのにこの男性も、戦友同様、戦地で命を落としてしまいました。
征一に会えることなく。
これを悲劇と呼ばずして何と呼びましょう。
…この『三代桜』という作品、戦争の悲惨さがはっきりと書かれているように思えます。
男性のお祖母さんや、戦友の奥さんのセリフによって、うまくカモフラージュしてあるけれど。
この作品は、横溝正史の、戦争や、戦争を肯定する人々への精一杯の抵抗だったのではないでしょうか。
横溝節と言えばいいのでしょうか。どの作品も、絶妙な語り口で楽しませてくれます。
けれど、どの作品も戦争の影響を受けています。
例えば『慰問文』では、女学生が兵隊さんへ慰問袋(手ぬぐいなどの日用品を入れる)を贈るというエピソードが登場。
女学生は「あたしいままで、戦争は兵隊さんたちにおまかせしておけばいいと思っていたのよ。でも、今度のことではじめて、その間違いがわかったわ。戦っているのはみんななのね。男も女も老人も子供も、みんなみんな戦っているのね。そして皆さん、ちゃんとその覚悟が出来ていらっしゃるのね。あたしそれがわかって嬉しいの」(P177から抜粋)と発言します。
他の作品についても、日本軍の行いを正義と言ったり、日本軍の御用船を神兵とか称したり、イギリス軍のことを悪く言ったり、「欲しがりません勝までは」という標語を紹介したりしています。
…この時代の作家は、創作の制限を受けていたので、どうしてもこういう内容の作品を書かざるを得なかったんでしょうね…。
けれど、そういった状況のもとでも、横溝正史が『三代桜』のような作品を書いたのには驚かされました。
『三代桜』も、一見、当局受けを狙った作品のように思えます。
「ああして出征なされても、あとには奥さんが残っていなはる。奥さんのお腹には子供さんも宿っている。何も思い残すことはあらしまへん」(P107から抜粋)とか、「わたしは配偶(つれあい)を国に捧げました。息子を、孫を皇国(みくに)に捧げました。わたしはそれを少しも悲しいとは思いまへん」「差し上げますわ。奥さま、差し上げますわ。征一はあなたの曾孫です。大きくなったらきっと奥さまの志をついで、お国のために働いてくれますわ」(P118から抜粋)といった言葉が登場するので。
ところが、きちんと読んでみれば、決してそうではないことがわかります。
『三代桜』は、戦地で命を落とした男性にまつわるエピソード。
その男性は生前、こんなことをしました。
戦友の妊娠中の奥さんが「やがて生まれてくる子供のために、名前をつけてくれ」と戦友へ宛てて手紙を送ってきたけれど、残念ながら戦友は重傷を負っていて手紙を読むことすら出来ない有様。
だから男性は、この状況を妊娠中の奥さんに正直に告げるわけにはいかない、と思い、戦友の代筆という名目で、男の子が生まれたら征一と命名せよ、と返事を書きました。
ところが。
戦友は戦死したというのに、しばらくして戦友の奥さんからまた戦友宛てに手紙が届いてしまいました。
どういう事情があったのかわかりませんが、戦友の奥さんへ戦死通知が届かなかったようなのです。
戦友の奥さんから戦友へ宛てた手紙には、赤ん坊を抱いた写真が入っていました。
やがて男性はこんな手紙を自分の祖母へ送りました。
「お祖母さん、僕はちかごろ毎日この写真を胸に抱いて戦っています。この坊やに名前をつけたのはかくいう僕です。僕は坊やの写真を見るたびに、だんだんこの坊やが自分の子供であるような気がして参りました。写真の中から回らぬ舌で、お父さん、お父さんと呼んでくれるような気がします。僕も征一や、征一やと呼んでやります。お祖母さん、そういうわけで僕はいまとても楽しく軍務にはげんでいます」(P116から抜粋)と。
…楽しく軍務にはげんでいます、と結んだことで、一見、当局受けを狙ったエピソードのように見えるのですが、実際は違うようにわたしは思います。
軍務が楽しかったのは、軍務が終わって日本に帰ったら征一に会えると思ったからではないでしょうか。
自分が名付け親となった、この世でたった一人の赤ちゃんに。
写真を通してではなく、実際に征一に会って、名前を呼んでやりたかったから。
それが楽しみで、だからこそ自然と軍務も楽しくなったのではないでしょうか。
…それなのにこの男性も、戦友同様、戦地で命を落としてしまいました。
征一に会えることなく。
これを悲劇と呼ばずして何と呼びましょう。
…この『三代桜』という作品、戦争の悲惨さがはっきりと書かれているように思えます。
男性のお祖母さんや、戦友の奥さんのセリフによって、うまくカモフラージュしてあるけれど。
この作品は、横溝正史の、戦争や、戦争を肯定する人々への精一杯の抵抗だったのではないでしょうか。
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