泰、芳、慶、才、奏の人々にまつわる短編集。
 どの国の話も、国を治めることの難しさについて書かれています。

 中でも才についての章「華胥」(かしょ)は、読んでいて辛かった…。
 
 玉座に座ってからというもの、才の王・砥尚(ししょう)は、善い王であろう、理想の国を作ろう、悪政をしいた先代の王・扶王(ふおう)とは違う政をしよう、と夢を抱いてきました。
 華胥の夢を。
 特に、王は、民へ課す税を軽くするなどの政策を行いました。
 先代の王が民に課した税が重かったため、自分の代ではそうすまいとしたから。
 ところが…、王は天に見放されました。
 才の麒麟は失道の病にかかってしまいました。
 これは王朝の終焉を意味します。
 けれども、王にしてみれば訳がわかりません。
 自分は決して先代の王とは逆の、理想の国つまり華胥の国を作ろうとしているのに、なぜ、と。
 みるみる衰弱していく麒麟に責められ、民や官吏に失望され、王は混乱し追い詰められていきます。
 そして王は、禅譲という形で位を退きました。
 …禅譲。それは、麒麟を生き残らせ、王だけが死ぬ退位の方法。
 …失道の病は放っておけばやがて麒麟を死に至らしめます。麒麟が死ねば王も死に、王のいない国は荒れてしまう。新しい麒麟が生まれて新しい王を選ぶまでには月日を要す。新しい王が立つまでの間に、国はどんどん荒れてしまう。
 …だから王は禅譲という道を選びました。
 「責難は成事にあらず」という遺言を残して。
 
 …王は、先代の王が行ったことを責めても何かを成す事は出来ない、先代の王とは違う政をと努力してきたけれどそれは自分なりに考え抜いた政ではなくただただ先代の政とは違う政を目指しただけのものだった、自分なりの政が出来なかったから自分は天命を失ったのだ、と王は気づいたけれど、気づいた時にはもはや手遅れだったのですね…。 
 王が死んでしまった後で、周囲の人々が語る「扶王の課した税は重かった。だから軽くすべきだと砥尚様は考えたわけですよね。すると国庫は困窮し、堤ひとつ満足に作ることができなくなりました。飢饉が起こっても蓄えがなく、民に施してやることもできなかった」(P289から抜粋)という話や、「税は軽いほうがいい、それはきっと間違いなく理想なんでしょう。でも、本当に税を軽くすれば、民を潤すこともできなくなります。重ければ民は苦しい、軽くても民は苦しい」(P290から抜粋)という話を読んでいて、折しも消費税増の話で持ちきりの日本という国に住むわたしは、やりきれない思いでいっぱいになってしまいました…。
 …才の王がもっと早くそれに気づけたなら良かったのに…。

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