元監察医の方が書いた本。
 わたしは以前この方の別の本(『死体は悲しい愛を語る』)を読んだことがありますが、この本のほうが、親が子を思う情念についてよく書かれていると感じました。

 明らかにもう死んでいる我が子を抱きしめる。
 まだあたたかいのだから死んでいない、早く治療して、と医師にすがりつく。
 親が怪我をして、子がそのお見舞いに来ているのに、そんな状況でもやっぱり親は子を心配する。

 そういう話がこの本のメインテーマになっているようです。

 そういういわゆる美談だけでなく、親に虐待されて餓死した子どもの遺体にはたいてい打撲のあとなどがあるという話や、家族と同居していた高齢者が家族の中で阻害されて自殺するという話や、以前検死で担当した方の今度は遺族自身の検死をした時の話なども(もっともこの件についてはその遺族自身が故人を殺した犯人でもあったそうなのですが)、この本には含まれているので、読んでいて人間社会の現実というか、業の深さを思い知らされました。

 監察医という仕事は患者の病気を治すわけではないけれども、亡くなった方の声なき声を聞いて死因を探り、もし他殺だったとしたらそこに必ず犯人がいるのだから、この仕事は社会秩序の維持に役立っているのだ…という内容もこの本の中で書かれています。
 本当に重要なお仕事ですね。

 なお、わたしが一番ハッとしたのは、この本のP67に書かれている内容。
 「最期は穏やかな死に顔で、と願うであろう。誰しも苦痛に満ちた顔であってはならないと思うだろう。しかし、われわれが想像するような表情は死体にはない。死後、神経が麻痺してしまうからみな穏やかな顔になるのである。この世に神様がいるとしたら、神様はなんと粋なはからいをしたのだろうと思う」(P67から抜粋)
 この文を読んで…、今までわたし自身が見送ってきた方たちの死に顔がみんな穏やかだったことを思い出しました。
 なるほど、神経の麻痺。
 死ぬ時は苦しいし痛いし怖かったはずなのに、みんな穏やかな死に顔だったのは、そういうことだったんですね…。
 でも、それを見て遺族が少しでも救われるような思いがするのなら、神経の麻痺も悪くないですね…。

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