伝統芸能の家元たちへのインタビュー集。

日本舞踊の西川流・西川扇蔵さん(十代目)、花柳流・花柳壽輔さん(四代目)、坂東流・坂東三津五郎さん(十代目)、藤間流・藤間紫さん(創流)、吾妻流・吾妻徳彌さん(六代目)、林流の林与一さん(二代目)、深水流・朝丘雪路さん(創流)、能楽の観世流・観世清和さん(二十六世)、三味線の冨士元派・新内仲三郎さん(六代目)、歌舞伎の市川流・市川團十郎さん(十二代目)が、家元という人生をどう歩んできたか語っています。

西川扇蔵さんが十歳の頃、七代目松本幸四郎さんが他流の重鎮たちに「この子が西川流の家元」と西川さんのことを紹介してくれたというエピソードの中で、

「ご自宅に稽古に伺った帰り、七代目さんが玄関まで来てくれ、子供の私に丁寧にお辞儀をしてくれた。後で、偉い人は礼儀正しいのです、と周囲に教わりました」
(P12から引用)

とおっしゃっているのがとても印象的。

実るほど頭を垂れる稲穂かな、という言葉を思い出させます。

観世清和さんの、

「忘れてならないのは、世阿弥の教えです。『家、家にあらず。継ぐをもって家とす』。精神だとか心を継ぐのであり、継ぐべき人間に素質、素養がなければならない、と言っている」(P50から引用)

という言葉や、

「家元という立場においては、権威とか権力が集中してしまうので、そのときこそ己にかえって目を周囲に行き届かせる」
(P51から引用)

というのは家元という立場にある方だけでなく色んな組織のトップに立つ人に必須の心得だと思います。

また観世清和さんの言葉ですが、幼少時の能の稽古についてのエピソードで語られた、

「大きな声を出すと脳に振動を与え、響く。これが大事。七分の力ではなく、十分でやることを覚えさせなければいけません」
(P56から引用)

という言葉に、日頃、七分の力どころかいい加減に生きている我が身を反省させられました。

坂東三津五郎さんも、お父様から受けた稽古についてのエピソードで、

「痛いところで止めろというのです。極限の状態というのか、そこまで行かなければ腰が座らない。痛い形をしても、痛く感じなくなるようにする稽古ですね。踊りで、お客さまが見ていい形というのは、役者には苦しい形です。楽な姿勢は決して感銘を受けるものではないと思います」
(P75~76から引用)

とおっしゃっており、この言葉からも、自らの限界を超えようとする努力の大切さを感じます。

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