かつては、一人で暮らす老後はみじめだと考えられてきました。
でも今の時代は違います。
むしろおひとりさまだからこそ、「家にいて何かあっては心配だ」という家族の反対によって施設や病院での死を余儀なくされることなく、住み慣れた自宅での死を選択できたりします。
また、家族がいる場合でも、元気なうちからいざという時のことを家族と話し合い、事前指示書やエンディングノートに自分の意思を書くなど書面にしておくことで、在宅療養が可能となる。
…という本。

「遅かれ早かれ「なにかある」のです。なにかあった時、本人がいちばん安心できる場はどこかを想像し、その実現のためにどうすべきかを逆算して考えることが必要」
(P27から引用)

「それが自宅であるなら、できるだけ元気なうちに地域の在宅ホスピス緩和ケアチームまたは訪問看護ステーションなどを探し、在宅療養をサポートしてくれるネットワークをイメージしておくことです。さらに「最期まで家にいたい、家で死にたい」という自分の意思をはっきり家族に伝え、これが死ぬ前の最後の願いであると宣言することです。もちろん途中で考えが変わって入院することがあるかもしれませんが、その時はその時です。できれば自分の意思を書面に書いておきましょう。事前指示書やエンディングノートという形でもかまいません」
(P36から引用)

「そこをわかっていただけない家族に対し、私は「ある意味、もっとも安心・安全なのは刑務所だと思いますが、刑務所に自ら行きたいという人はいると思いますか?」などと尋ねることがあります」
(P79から引用)

などの記述が、自分の親や自分自身の老後を考える上で参考になりました。

死について考えることは、生について考えることでもあります。

小笠原先生のおっしゃる「納得死」、親にもして欲しいし、わたしもしたい。

それは納得して生きることにも繋がるから。

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