戸塚滝登『子どもの脳と仮想世界 教室から見えるデジタルっ子の今』
2018年4月9日 おすすめの本一覧
「現実世界よりも仮想世界の方がはるかに巨大で美しいんです。現代っ子たちにとってはリアルな自然よりもサーチエンジンからのぞくバーチャル世界の方こそ、手を伸ばせば届く身近な〝自然〟なんですよ」
(P51から抜粋)
という文を読み、そういう時代を生きていることが恐ろしくなってきました。
「少々どっきりする言い方ですが、脳から見れば私たちの身体などは単なる脳の収納庫、つまり五感をやりとりするための付属物に過ぎないはずです。身体とは「脳の容れ物」と考えて差し支えないはずです。それは(脳にとって)必要不可欠ではなく、容れ物のように他のものと交換したってかまわないはずです。肉体の容器から、機械の容器へ移し換えたって大丈夫なはずです」
(P73から抜粋)
OMG!
そんな時代もいつか到来するのでしょうか。
がん部分を切除したり、糖尿病や凍傷などでダメージを受けた部分を切除したり、といったことは今も行われているけれど、「容れ物」を気軽に交換する時代がいつか来る?
そして、「子ども」は子どもの身体を持った脳のことで、「大人」は大人の身体を持った脳のことだ、と認識されて当たり前の時代がいつかやってくる?
…わたしは長年自分の身体にお世話になっていて、喜びも悲しみも怒りも悔しさも痛みも何もかも自分の身体のおかげで実感することが出来たので、今後も出来る限り長く自分の身体を大事にしていきたいし、未来を生きる子どもたちには答えをインターネットで検索するのでなく自分なりの答えを自分で考えられるようになって欲しいです。
この本に「「わかる」ことはできても、「感じる」ことができない」(P232から抜粋)という表現が使われているけれど、子どもたちにはそうなって欲しくないです。
現実世界は辛く厳しく理不尽なことだらけで、仮想世界のほうが一見居心地が良さそうに見えるけれど、仮想世界は結局のところ誰のものにもなってくれず、現実世界にある自分の身体や思考は自分だけのものなのだから。
(P51から抜粋)
という文を読み、そういう時代を生きていることが恐ろしくなってきました。
「少々どっきりする言い方ですが、脳から見れば私たちの身体などは単なる脳の収納庫、つまり五感をやりとりするための付属物に過ぎないはずです。身体とは「脳の容れ物」と考えて差し支えないはずです。それは(脳にとって)必要不可欠ではなく、容れ物のように他のものと交換したってかまわないはずです。肉体の容器から、機械の容器へ移し換えたって大丈夫なはずです」
(P73から抜粋)
OMG!
そんな時代もいつか到来するのでしょうか。
がん部分を切除したり、糖尿病や凍傷などでダメージを受けた部分を切除したり、といったことは今も行われているけれど、「容れ物」を気軽に交換する時代がいつか来る?
そして、「子ども」は子どもの身体を持った脳のことで、「大人」は大人の身体を持った脳のことだ、と認識されて当たり前の時代がいつかやってくる?
…わたしは長年自分の身体にお世話になっていて、喜びも悲しみも怒りも悔しさも痛みも何もかも自分の身体のおかげで実感することが出来たので、今後も出来る限り長く自分の身体を大事にしていきたいし、未来を生きる子どもたちには答えをインターネットで検索するのでなく自分なりの答えを自分で考えられるようになって欲しいです。
この本に「「わかる」ことはできても、「感じる」ことができない」(P232から抜粋)という表現が使われているけれど、子どもたちにはそうなって欲しくないです。
現実世界は辛く厳しく理不尽なことだらけで、仮想世界のほうが一見居心地が良さそうに見えるけれど、仮想世界は結局のところ誰のものにもなってくれず、現実世界にある自分の身体や思考は自分だけのものなのだから。
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