原作…志名坂高次 作画…粂田晃宏『モンキーピーク』第12巻の感想
2019年10月25日 漫画
※注※
結末を明かすネタバレがあります!
未読の方は要注意!
『モンキーピーク』、ついに完結。
完結を機に、わたしは改めて、第1巻から第12巻(最終巻)まで読み直してみました。
その結果、「正義とは何なのか?」と問われているかのような気分になりました。
安斎の目指す「正義」は、「我々の会社が存続することで、今後沢山の人たちを薬で救える。藤谷製薬が作った薬で8人が死んだといっても、たかだか8人に過ぎない。藤谷製薬の方が遥かに社会的価値が高い。そして、自分が生き残るためなら、薬害事件に全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
林さんたちの目指す「正義」は、「悪いことをした人間は裁きを受けなければならない。だから、藤谷製薬の社員を、必ず殺す〝S〟、出来たら殺す〝A〟、出来るだけ生き残らせてこの薬害事件の語り部として生かす〝Z〟に分ける。〝S〟と〝A〟を可能な限り残酷で特殊なやり方で殺することで、悪は必ず滅ぶ、という伝説を作り上げ、この薬害事件が何百年と語り継がれるようにしたい。そのためには、薬害事件と全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
…わたしは正直言って、どちらの「正義」もいけ好かないな、と思います。
それぞれの「正義」には、一見正しそうに思える面もあります。
安斎の言う通り、もしかしたら藤谷製薬が今後生み出す薬で非常に沢山の人たちの命を救えるのかもしれません。
だとしたら、その藤谷製薬の貴重な人材を次々に殺害し、会社として存続できないほどの大ダメージを与える林さんたちの行動は、その本来救えるはずだった人たちを間接的に殺すことになるのかもしれません。
また、林さんの言う通り、もしかしたら薬害事件被害者たちの家族が起こしたこの連続殺人事件は、世の中の様々な「悪」に対して「悪は必ず報いを受ける」という非常に強い警告となり、犯罪抑止力となるのかもしれません。
また、憎い社員を直接自分の手にかけることで復讐を果たし、家族の仇討ちが出来たぞ、と林さんたちの気持ちが少しは晴れるのかもしれません。
世の中には絶対的な「正義」の基準は無く、結局、人間一人一人によって「何が正義か」はまるっきり異なるわけですから、安斎の「正義」も、林さんの「正義」も正義であると言えるのでしょう。
けれど、わたしにはどちらの「正義」も不愉快。
安斎の「正義」は、多数のために少数を切り捨てることを躊躇しないからです。
命を救う薬を作り出す会社の社員でありながら、たった一つの命さえ大切に扱えない冷酷さがあります。
また、林さんたちの「正義」は、自分たちが殺す社員たちにも家族が居て、遺族となる人たちがかつて自分たちが家族を亡くした時のように悲しくて苦しくて辛い思いをするということに考えが至っていない、とわたしには思えます。
逃げようとする社員の背中を斬りつけたり、食料と水と通信手段を絶って心身共に追い詰めたり…。
狂気の沙汰としか思えません。
なぜ自分たちが大きな猿に殺されるのか訳がわからないまま、喉の渇き、飢え、疲労、恐怖、猜疑心、凍傷といった極限状態に追い詰められて無残に殺されていった社員の心情を想像すると、ここまでむごいことをしなくても、と震えてきます。
しかも、安斎の「正義」も、林さんたちの「正義」も、無関係な人たちまで殺すことを厭いませんでした。
この山でまさかこんな殺戮が繰り広げられているとは知らずにただ偶然やって来ただけの登山客も。
救助隊も。
警官隊も。
みんなそれぞれ、安斎や林さんたちに殺されてしまいました。
そこにも正義はあるのか!?とわたしは安斎と林さんたちに問いたいです。
きっと、両者とも「ある」と答えるでしょう。
そして、歴史というのはそうした「正義」と「正義」がぶつかり合う争いの中、勝った方の都合の良いように書き換えられていくもの。
やりようによっては、安斎だって、林さんたちだって、ヒーローに成り得たはず。
…何だか嫌な感じ。
頭では理解出来ますが、心では納得したくありません。
そんな理不尽なこの世界において、わたしは佐藤さんの「決意」に惹かれました。
いよいよ絶体絶命の状況に追い込まれた佐藤さん。
自分も仲間もほとんど死にかかっている状態なのに、無情にもまたあの恐ろしい猿が近づいて来ています。
佐藤さんは、もうダメだ…と絶望するのではなく、かつての仲間「遠野」の遺品を手に取りました。
遠野の遺品は、焼け焦げて半分に壊れたメガネただ一つ。
佐藤さんは遠野のメガネを握り締めて、「戦わなくちゃ、わたしも」と覚悟を決めました。
死ぬのがとても怖かったはずなのに、それでも猿を倒すため、自ら作った爆弾を爆発させて死んでいった遠野の姿を思い浮かべて。
佐藤さんは立ち上がりました。
左手には火のついた縄を、右手には火薬を持って。
佐藤さんは「やれる…やれる…っ私はやれる!!」と自らを鼓舞。
そして、「行こう! 遠野!!」と心の中で叫びました。
佐藤さんはそのまま猿へ向かって突進。
すぐに爆発が起きました。
自分に命のバトンを託すため死んでいった遠野の死を絶対に無駄にはしない、そのためなら自分の身体を一部失っても構わない、猿に致命傷を与えるため決して自分の手から火薬を放さず確実に猿の至近距離で爆発させる、絶対に猿を倒す! と全身全霊で叫ぶかのような佐藤さんの目を、わたしは好ましく思いました。
ただ、くれぐれも言っておきたいのですが、わたしは特攻を良しとするわけではありません。
特攻は美談じゃない。
これまでも、そしてこれからも、美談にしてはいけないのです。
美談にしてしまったら、また戦争が起きて、また特攻が繰り返されてしまうから。
わたしはただ、佐藤さんがあの時、死んでいった仲間の姿を思い浮かべ、仲間の名前を呼んで突撃していったことが、素直に嬉しかったのです。
遠野の死は無駄ではなかったと思えるから。
「成長」と言うと口はばったい言い方ですが、まさに佐藤さんの成長を見せてもらった気がします。
元から肝が据わった女性ではあったけれど、良い意味でとても変わりました。
『モンキーピーク』第1巻〜第12巻まで、正直言って、あまりの残酷描写の多さに、読んでいてしんどい所も多々ありましたが、わたしは佐藤さんのあの目、そしてあの叫びに、心地よい衝撃を覚えました。
ここまで読んできて良かったです。
「正義」をぶつけ合っていた安斎と林さんたちは両者とも死亡。
しかし、佐藤さんは生き延びました。
右目と右腕を失ったものの、これからもたくましく生きていってくれそうです。
結末を明かすネタバレがあります!
未読の方は要注意!
『モンキーピーク』、ついに完結。
完結を機に、わたしは改めて、第1巻から第12巻(最終巻)まで読み直してみました。
その結果、「正義とは何なのか?」と問われているかのような気分になりました。
安斎の目指す「正義」は、「我々の会社が存続することで、今後沢山の人たちを薬で救える。藤谷製薬が作った薬で8人が死んだといっても、たかだか8人に過ぎない。藤谷製薬の方が遥かに社会的価値が高い。そして、自分が生き残るためなら、薬害事件に全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
林さんたちの目指す「正義」は、「悪いことをした人間は裁きを受けなければならない。だから、藤谷製薬の社員を、必ず殺す〝S〟、出来たら殺す〝A〟、出来るだけ生き残らせてこの薬害事件の語り部として生かす〝Z〟に分ける。〝S〟と〝A〟を可能な限り残酷で特殊なやり方で殺することで、悪は必ず滅ぶ、という伝説を作り上げ、この薬害事件が何百年と語り継がれるようにしたい。そのためには、薬害事件と全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。
…わたしは正直言って、どちらの「正義」もいけ好かないな、と思います。
それぞれの「正義」には、一見正しそうに思える面もあります。
安斎の言う通り、もしかしたら藤谷製薬が今後生み出す薬で非常に沢山の人たちの命を救えるのかもしれません。
だとしたら、その藤谷製薬の貴重な人材を次々に殺害し、会社として存続できないほどの大ダメージを与える林さんたちの行動は、その本来救えるはずだった人たちを間接的に殺すことになるのかもしれません。
また、林さんの言う通り、もしかしたら薬害事件被害者たちの家族が起こしたこの連続殺人事件は、世の中の様々な「悪」に対して「悪は必ず報いを受ける」という非常に強い警告となり、犯罪抑止力となるのかもしれません。
また、憎い社員を直接自分の手にかけることで復讐を果たし、家族の仇討ちが出来たぞ、と林さんたちの気持ちが少しは晴れるのかもしれません。
世の中には絶対的な「正義」の基準は無く、結局、人間一人一人によって「何が正義か」はまるっきり異なるわけですから、安斎の「正義」も、林さんの「正義」も正義であると言えるのでしょう。
けれど、わたしにはどちらの「正義」も不愉快。
安斎の「正義」は、多数のために少数を切り捨てることを躊躇しないからです。
命を救う薬を作り出す会社の社員でありながら、たった一つの命さえ大切に扱えない冷酷さがあります。
また、林さんたちの「正義」は、自分たちが殺す社員たちにも家族が居て、遺族となる人たちがかつて自分たちが家族を亡くした時のように悲しくて苦しくて辛い思いをするということに考えが至っていない、とわたしには思えます。
逃げようとする社員の背中を斬りつけたり、食料と水と通信手段を絶って心身共に追い詰めたり…。
狂気の沙汰としか思えません。
なぜ自分たちが大きな猿に殺されるのか訳がわからないまま、喉の渇き、飢え、疲労、恐怖、猜疑心、凍傷といった極限状態に追い詰められて無残に殺されていった社員の心情を想像すると、ここまでむごいことをしなくても、と震えてきます。
しかも、安斎の「正義」も、林さんたちの「正義」も、無関係な人たちまで殺すことを厭いませんでした。
この山でまさかこんな殺戮が繰り広げられているとは知らずにただ偶然やって来ただけの登山客も。
救助隊も。
警官隊も。
みんなそれぞれ、安斎や林さんたちに殺されてしまいました。
そこにも正義はあるのか!?とわたしは安斎と林さんたちに問いたいです。
きっと、両者とも「ある」と答えるでしょう。
そして、歴史というのはそうした「正義」と「正義」がぶつかり合う争いの中、勝った方の都合の良いように書き換えられていくもの。
やりようによっては、安斎だって、林さんたちだって、ヒーローに成り得たはず。
…何だか嫌な感じ。
頭では理解出来ますが、心では納得したくありません。
そんな理不尽なこの世界において、わたしは佐藤さんの「決意」に惹かれました。
いよいよ絶体絶命の状況に追い込まれた佐藤さん。
自分も仲間もほとんど死にかかっている状態なのに、無情にもまたあの恐ろしい猿が近づいて来ています。
佐藤さんは、もうダメだ…と絶望するのではなく、かつての仲間「遠野」の遺品を手に取りました。
遠野の遺品は、焼け焦げて半分に壊れたメガネただ一つ。
佐藤さんは遠野のメガネを握り締めて、「戦わなくちゃ、わたしも」と覚悟を決めました。
死ぬのがとても怖かったはずなのに、それでも猿を倒すため、自ら作った爆弾を爆発させて死んでいった遠野の姿を思い浮かべて。
佐藤さんは立ち上がりました。
左手には火のついた縄を、右手には火薬を持って。
佐藤さんは「やれる…やれる…っ私はやれる!!」と自らを鼓舞。
そして、「行こう! 遠野!!」と心の中で叫びました。
佐藤さんはそのまま猿へ向かって突進。
すぐに爆発が起きました。
自分に命のバトンを託すため死んでいった遠野の死を絶対に無駄にはしない、そのためなら自分の身体を一部失っても構わない、猿に致命傷を与えるため決して自分の手から火薬を放さず確実に猿の至近距離で爆発させる、絶対に猿を倒す! と全身全霊で叫ぶかのような佐藤さんの目を、わたしは好ましく思いました。
ただ、くれぐれも言っておきたいのですが、わたしは特攻を良しとするわけではありません。
特攻は美談じゃない。
これまでも、そしてこれからも、美談にしてはいけないのです。
美談にしてしまったら、また戦争が起きて、また特攻が繰り返されてしまうから。
わたしはただ、佐藤さんがあの時、死んでいった仲間の姿を思い浮かべ、仲間の名前を呼んで突撃していったことが、素直に嬉しかったのです。
遠野の死は無駄ではなかったと思えるから。
「成長」と言うと口はばったい言い方ですが、まさに佐藤さんの成長を見せてもらった気がします。
元から肝が据わった女性ではあったけれど、良い意味でとても変わりました。
『モンキーピーク』第1巻〜第12巻まで、正直言って、あまりの残酷描写の多さに、読んでいてしんどい所も多々ありましたが、わたしは佐藤さんのあの目、そしてあの叫びに、心地よい衝撃を覚えました。
ここまで読んできて良かったです。
「正義」をぶつけ合っていた安斎と林さんたちは両者とも死亡。
しかし、佐藤さんは生き延びました。
右目と右腕を失ったものの、これからもたくましく生きていってくれそうです。
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