著…安生正『生存者ゼロ』
未知の感染症に立ち向かう人々を描いた小説。

それまで普通に暮らしていた人間がみるみるうちに無残な遺体へと変わり、その原因も治療法も不明、あっという間にパンデミック発生…という絶望的な状況においても諦めない登場人物たち。

奇しくも、新型肺炎ウイルスの患者数増加によって、今まさに日本を含む世界各国が戸惑いと恐怖を感じているところなので、わたしは登場人物たちの苦しみが他人事とは思えません。

この小説における感染症の原因は割とすぐに判明するため、パニックエンターテインメントを期待して読むと盛り上がりに欠けるため期待外れかもしれませんが、読んでいてイライラするほど愚鈍な政治家たちの姿が描かれているので、現実に警鐘を鳴らす小説として読むと読み応えがあります。

特に、感染症学者が首相から「細菌とウイルスの違いはなんだ」と問われる描写が印象的。

細菌とウイルスが違うものだということさえ分からない人が国の代表として感染症対策の舵を握っている…、ゾッとします。

それを受けて、感染症学者は、

「所詮、政治家とはその程度だ。ずぶの素人が、パンデミックの議論をしようとしているのか。彼らが背負っているのは国家の危機ではなく面子だ」
(P54から抜粋)

と考えます。

そう。単なる素人ならまだしも、面子を気にして初動対応が遅れるから、政治家は厄介です。

そういう政治家を国民が投票で選んだのだから仕方が無いのかもしれませんが…。

また、この小説の中では、中国をはじめとする各国やWHOが日本の感染症対応に不信感を抱く様子が描かれます。
 
この小説の中で起きていることと、今まさに現実で起きていることは異なっており、現実では日本を含む世界各国が、12月の時点で発症者が出ていたのに隠そうとしていた中国にも、緊急事態宣言を見送って中国に忖度したであろうWHOにも、特に初動対応に関して不信感を抱いているのですが、国同士が「面子」を守ろうとしている間にも罪なき命が失われていく点は小説も現実も共通しています。

くれぐれも、この小説のP465のような出来事が日本で起きないことを祈ります。

P465には、ある母親がその「感染症」によって死にかけながらも、我が子だけはなんとか助けようと、必死で我が子を生物研修者へ差し出すというシーンが描かれているからです。

そんな思いは誰にもさせてはいけません。

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