やっぱりこれはすごいですよね。
 塗るつけまつげ。
 浮気性のわたしが、もう一体何年使い続けているのかわかりません。
 汗でも雨でも落ちないのにメイク落としではするりと落ちます。オイルクレンジングでは勿論のこと、ミルククレンジングでもジェルクレンジングでもするりと落ちます。
 滲まないし。よっぽど雑なつけ方をしなければ、だまにもならないし。自然な長さと濃さになる・・・。どこのドラッグストアでも大抵売っている手軽さもまた良し。ハードコンタクトの方にはこのマスカラは繊維があるため向かないでしょうが、わたしはソフトコンタクトなので楽ちん。
 今使っているのがそろそろ切れかけているのですが、わたしはまたこれを買ってしまいそうです。 
 わたしも底辺女子高生でした。懐かしいなぁ。あの頃。この本を読むと思い出します。地味で自分に自信がなくて女の子とばかり喋って・・・勉強も人並み以下にしかできなかった。少しスカート丈を短くするだけでも「周りがどう思うか」「変じゃないか」とドキドキ。次の日には今まで通りの丈に戻して、残念だけど妙にホッとしてしまったり。
 底辺女子高生は幽霊にだってなれる! 男の子が自分に話しかけてくると、まるで「自分のことが見える人間にめぐり会った幽霊」のように驚いてしまう。勿論、うまく対応できない。特に相手が好きな男の子であったなら、とってもとっても言葉少なになってしまう。
 若かった。青かった。そんな頃を思い出させてくれるエッセイ集です。勿論底辺でない青春を過ごした方には「ふぅん」と思う程度でしょうけれど。また、底辺と言ってもそんなに暗くはないので、壮絶な青春を過ごした方にはいささか平凡に思えるかもしれません。
 作者である豊島さんの凄いところはやはり長距離の家出を決行したことなのですが、わたしは友達と「おやすみ」で別れられる幸福を書いているところが一番好きです。わたしも寮生活などをしてみたかったなぁ・・・(豊島さんは家出をした後、寮に入ったそうです)。このエッセイでは寮生活がどのようなものか少し知ることもできます。
 とはいえ豊島さんはお写真を拝見したところお顔は不細工ではないし、勉強もしっかりやっておられたそうです。わたしの考える底辺は「顔も不細工で勉強もできず地味」なのでこのエッセイはそもそも底辺女子高生はない、と思ってしまいます。
 わたしは御本人が描いたイラストが好きです☆
 イラストに結構なページ数が割かれています(^皿^)
 表紙の女の子の表情もタイトルにぴったり・・・。あらまぁ。
 これは少し前の出来事。

 わたしはVivienne Westwoodが好き。
 わたしが最近失恋した男の子の彼女もVivienne Westwoodが好き。
 ある日わたしは意を決してVivienneのお洋服を買ったのです。
 お財布にはとっても痛いお値段でした。
 でも可愛かったのです。
 ボウタイつきのシャツ。
 初めて買ったVivienneでございました。
 買ってから数日が経ち、そろそろ大学に着て行こうかと思っていた時。
 先述した男の子の彼女が同じシャツを着ていました・・・。
 彼女はわたしがその男の子のことを好きであったことを知っています。
 なぜならその男の子が周りに言いふらしていたからです。
 もしわたしがそのシャツを着て大学へ行ったら?
 嗚呼。
 わたしは、着ることができませんでした。
 「彼女の真似をすることで彼女に近づきたい」とか「彼女に近づくことで彼女の彼氏であるその男の子に近づきたい」というのではなく、純粋に好きで買ったのだから堂々と着れば良かったのに。
 お部屋で着てはみたのです。
 でも、大学へは着て行けない。
 街へ着て行って、彼女や彼女の友達、最悪の場合その男の子と偶然出逢ってしまったら?
 そう思うと・・・もう着られませんでした。
 わたしはわたしの姉ともお洒落の趣味が同じなのです。全く同じ服の同じ色のものを買ってしまったこともありました。そういった時に姉は「あんたはすぐわたしの真似をする」と言います。わたしはそう言われる時のショックを心から消せていないのです。勿論その時はわたしは姉に「真似じゃないよ。本当に好きだから買ったんだよ!」と反論するのですが、やはり心に寂しさのようなものが残って。
 結局そのシャツは、Vivienneが好きな別の友達に譲ってしまいました。
 そんなことがあったので、Vivienneのあのオーブ(土星マークのこと)を見る度に切なくなってしまいます。

 けれど。
 Vivienneを嫌いになったりはしませんよ☆
 今もわたしはVivienneが好きで、バッグを欲しいと思っています。
 「それを身につけていることで人にどう思われるか」なんて気にしていたら、自分の好きなものや好きなことそのものに自分という人間を諦められてしまうような気がします。
 わたしはVivienneを好きでいたいし、Vivienneに諦めて欲しくはない。
 だから今度Vivienneを買ったら、もしも今欲しいあのバッグを買うことが出来たら、堂々と大学に持って行こうと思います。
 大分先のことになるかもしれませんが。
 だって高いんだもの!(^U^;)
 当方、気長にVivienneへ片思い中です♪
 大学の構内で「ニャア」という声を聞きました。
 振り向くと植え込みのかげに小さな子猫が。
 黒と黄色がまだら模様になっている毛の子猫。
 生後1か月を過ぎたくらい? ふわふわの毛並み。
 最初見た時は変わった色のわたあめかと思いました。(^v^)
 わたしが「ニャア」と言うと子猫はわたしの方を見て、「?」という表情をして周りをきょろきょろ見回しました。あんまり可愛いのでまた「ニャア」と言ってみると、今度は間違いなくわたしの目を見て「??? 変だな変だな」という顔をしました。可愛い〜とわたしが笑っているうちに、子猫は植え込みの木に登り、細い枝に乗りました。大人の猫には乗れないような枝。それがまた子猫の可愛らしさを引き立たせました。ビー玉のような、小さくて黒く澄んだ子猫の瞳。
 わたしはすっかり夢中になっていたようで、背後から掃除のおばちゃんが「子猫は可愛かろ〜」と声をかけてくるまでその場所に留まってしまいました(急いで別の場所に移動しなければならなかったのに)。
 ああ、あのしっぽだけでも触りたかった。
 にゃんこ・・・。
 今日は知人の飼い猫が死んだという知らせを聞いて悲しくなっていたのですが、「年寄り猫が死んでもどこかで生まれている子猫がおるんやな」としみじみ思いました。
 普段なら子猫を見つけると「母猫はどうしたのかな・・・」「捨て猫かな・・・」などと連れて帰れない罪悪感を感じてしまうのですが、今回は嬉しさを感じながらその場を去ることができました。
 良かった。
 この世に子猫や子犬など、色んな生き物の赤ちゃんがいてくれて良かった。
 カラーの無声映画のような雰囲気を持つ短編小説集。非現実的なのに、音や色や匂いや感触が直接伝わってくるかのようです。
 主人公たちは現実から浮遊(浮遊した後は地に落ちるだけということを意味)した存在にはなりたくないけれど、地につま先しかつけていられないような人たち。短編の1つ『ある映画の記憶』の主人公などは懸命にかかともつけようとしている感じですが、『睡蓮』の主人公である理瀬は物語が終わったのち浮遊してしまったかもしれません。
 恩田さんは少ない描写で人物の魅力を伝えるのがうまい方ですね。リフレイン(同じ言葉を繰り返すこと)を効かせるのもうまい。それを活かすため短編『春よ、こい』が書かれたのだと思います。本当にリフレインが素晴らしい効果になっている。短編でしか書けない透明さを表現していると思います。直接関係がないのでここで紹介するのは恐縮ですが、映画『花とアリス』の持つ薄くて綺麗な色や澄んだ空気を彷彿とさせます。けれど2人の女の子を主人公にしているとは言え、若干視点をころころ変え過ぎたり時間を移動させ過ぎているような感じがします。そのように構成していることでこの小説のテーマである冬から春への移り変わりが活きてくるとは思うのですが、最初読んだ時「押し付けがましい」という印象を拭えませんでした。何度か繰り返し読んだことでこの作品を好きにはなれたのですが、「この短編集の中で1番好き」にはなれませんでした。この小説の後半だけページの色がピンクなら違っていたかもしれないけれど(無理ですかね・・・)。
 わたしがこの短編集の中で1番好きなのは『イサオ・オサリヴァンを捜して』。こういうBGMの静かそうな、品のあるSF小説が好きなものですから。わたしもイサオを捜しに行きたくなりました。2番目に好きなのは、『国境の南』。静かすぎる、穏やかすぎる、そんな狂気の物語。結末ではわたしも主人公同様、冷や汗を感じました。
 恩田さんの代表作の1つ『六番目の小夜子』の番外編が書き下ろしされているのも嬉しいものです。それがこの本のタイトルにもなっている『図書室の海』。平凡な学校で引き継がれている、変わった伝統。それを感じながら学校生活を送る生徒たち。図書室のあの特別な感じ、まどろみ・・・、よく出ていますね。読むととても心地よくなります。また図書室に行きたいなあ、と。図書館ではなく図書室へと。
 各ページに情報がぎっしり詰め込まれているし難しい用語も出てくる、なのに面白いです。読みやすいです。第3部だけでも読む価値があります。
 なぜこの本が面白いのか。読みやすいのか。
 それはアルコール・煙草・お茶・カフェイン・塩・砂糖などもドラッグである、としているからです。無くても死にはしないのに、無いと楽しくないもの。ついつい摂取してしまうもの。摂取し過ぎてしまうもの。嗚呼、依存物質。これらが無い社会はもはや考えられない、とわたしは思います。
 世界中で依存物質が何のために用いられてきたか、政治的に(特に課税できるという点において)どのような役割を果たしたか。それらをこの本によって知ったことで、わたしは先に挙げた依存物質とより良い付き合い方ができるようになりました。煙草を吸っている友人にさりげなく禁煙をすすめるようになれましたし。特に第3部P268の『サイコアクティヴ・ドラッグの規制カテゴリー』でドラッグが分類されていることが理解を助けてくれました。ここで「無制限成人利用」に分類されている煙草がいつか「純粋禁止」になることを願っております。
 P99にはアブサンについても書いてありますよ(幻覚物質を含んだエメラルドグリーンのお酒。どうもわたしは昔の映画を観たり文学を読んだせいで、なんだかアブサンには魔力と魅力を感じてしまいます。危険、危険)。
 
 昨夜の放送で初めて『のだめカンタービレ』のドラマを拝見しました。わたしは漫画のファン。ドラマも観ようと思っていたのに初回をうっかり見逃してしまったのです。
 上野樹里さんは白目をむいたり「むきゃー」と奇声を発したり、よく転んだり、体当たりの演技ですね。観ているうちに演技とは思えなくなり、のだめ本人がドラマに出ているのと思いました。完璧です。
 玉木宏さんは外見的には千秋っぽくないのですが(千秋にしては優しそう)、ストレスを感じた時にひくついたり、呆然としたり怯えたり、カッと目を見開いてのだめを突き飛ばす時の表情が千秋そのものです。モノローグを言う時の口調もぶっきらぼうで俺様な感じで、まさに千秋。
 伊武雅刀さんも峰パパを楽しそうに演じていらっしゃいますね。峰くんを見る優しい目、のだめの不幸の手紙書きを手伝っている姿、まるで峰パパが伊武さんに乗り移っているかのようでした。
 竹中直人さんは・・・のだめにキスを迫るシーンのあのキモチワルいこと! 顎を引いて、目を見開いて、唇を動かしチュッチュッと音を立てながら、ゆっくりとのだめに近づいていく。迫力があり過ぎて笑っていいのか怖がっていいのかわかりませんでした。あのキモチワルさは犯罪の域に達しています。ミルヒーのキモチワルさをここまで表現できるのは竹中さんしかいないでしょう(褒めてるんですよ)。
 さて。
 千秋の師匠であるセバスチャーノ・ビエラ役の方が映った時、わたしの頭上に「???」が瞬きました。
 (ビエラ先生にしては髪の毛がないなあ。厳格そうだし。あれ? わたしこの人知ってる。でも俳優さんじゃない。何だか近くで見たことがあるような。誰だっけ・・・はっ!)
 その瞬間、頭上の「???」が「!」に変わりました。

 チ ェ コ フ ィ ル の 主 席 指 揮 者 じ ゃ な い で す か ?

 マーツァルさんっっ・・・??
 ズデニェク・マーツァル。名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の現・主席指揮者。わたしは去年彼のコンサートに行きましたよ。彼のスメタナの組曲「おとぎ話」は、チェコの妖精や人形たちが舞台上で踊っているのが見えるかのようでした。妖精はきらきらした粉を撒き、薄い水色と青のヴェールがオーロラのように舞台上で揺らいでいる、そんな光景も想像できました。古いお城の姿も見えるようでした。チェコ・フィルの18番であるドヴォルザークの(チェコ・フィルはドヴォルザークが作りました)交響曲第9番「新世界」もとても美しかった。
 彼がなぜ日本のドラマに? チェコ・フィルは最近日本全国を公演で精力的に回っているので、そのプロモーションでしょうか。
 彼を知らないのだめファンが彼を俳優と勘違いし、髪型のことで馬鹿にしているのが何だか悔しいです〜。(><) ←自分も最初「ビエラ先生にしては髪の毛がない」と思っていたくせに・・・。
 今は回想シーンでのご出演ですが、最終回あたりでは是非とも演奏していただきたいです。演奏する曲はエルガーの「威風堂々」がいいな☆
 でも。
 一つ問題がございます。
 ビエラ先生は半ズボンが似合う人。おもちゃが大好き。
 マーツァルさんも半ズボンを履くのでしょうか? アヒルのおもちゃも持って。
 ・・・。
 まさかね。
 ・・・まさか!?
 厳格そうに見えてマーツァルさん、意外とお茶目なのかも。
 B級映画の面白さ、ここにあり!
 「何じゃこりゃ!」な笑いを保証します。
 地球は突如、地球外の何かに侵略されました。隕石は節操なく降ってくるし雨は全て酸性雨。空気も汚染され、選ばれた生き物は空へ吸い上げられます。死んだ人はゾンビとなり、生きている人を食べます。
 ヒーローは・・・何だか冴えない感じのおじさん。終末思想の持ち主。救世主を自称。三又戟のような形の銃がお気に入り。もみ上げと繋がっているあごヒゲやまん丸の目が可愛い。普段は動作がの〜んびり。でもむちゃ強いです! 何あの身体能力!? 町一番の変わり者という設定とはいえジャンプして回転して逆さ体勢のまま銃を発射。しかも百発百中。「ウワァ〜」と言いながら起き上がってきたゾンビに頭突き。またゾンビが起き上がってくると頭突き。頭突き。ゾンビたちを車で轢き、フロントガラスが血まみれになって前が見えずこりゃ困ったこれじゃ逃げられん、という時にサッとワイパーを動かしたり・・・笑いどころ満載です。飛び掛ってくる魚ゾンビにはグーでパンチ! パンチ! 銃でバキュン。
 (監督はB級パニックアクションを作りたかったんじゃない。こりゃコメディだ)とワタクシは早いうちに確信致しました。痛みが治まっているとはいえ既に陣痛が始まっている妊婦が階段を駆け上がったり、ゾンビがコミカルにブルブル震えたり、胴体から下しかないのに動いているゾンビの脊髄をやたら強調したり、監督の趣味全開です。四の五の考察は要りません。監督の趣味です。
 生き残りは前述のヒーローとミスコン優勝者のヒロインと、妊娠中の元ミスコン優勝者とその夫と、ビビリな中年男性警察官とその部下で怖すぎて銃を撃てない若手女性警察官。町に閉じ込められたことが判明した上、敵はゾンビだけだと思っていたのに真の敵はエイリアンだとわかり、ヒーロー以外は大混乱。酸性雨がまた降ってきました。濡れた服を着たままだと火傷するのでみんな服を脱ぎだしました。みんな下着姿に。・・・なんとヒーローは、ただ1人だけ全裸になりました。その後彼は無人になった町のお店へ行って、新しい服を調達しましたが。・・・全裸の時に酸性雨降ってきたら大変じゃありませんか?
 ヒロインがゾンビの頭にスコップを垂直に刺し、ゾンビがスコップが天井にひっかかって前に進めなくなるのも面白いです。ヒロインがゾンビを一掃した時にオーストラリアの国旗が映し出されるのもセンスありますね(この映画はオーストラリアの映画です)。
 今ならGyaOでこの映画を観ることができるので興味のある方は是非(11/16(木)正午まで)。超低予算、スタッフも少ない(監督も製作も脚本も音楽もVFXも2人だけでやっている)中で作ったとは思えない出来栄えです。CGは自宅パソコンで作ったとか。
 特にラストは絶品。
 ブラックユーモアが好きな方、特に映画『ダークシティ』が好きな方におすすめ。
 ミスコン優勝者にはこんな仕事が待ってい・・・る?
 深夜営業で店員は男だらけでシェフパティシエはゲイ、そんなお菓子屋さんを舞台にした漫画です。店内でお召し上がりのお客様にはアンティーク食器を出す洋菓子店『アンティーク』。
 まさに出来立て!のハーゲンダッツアイスに匹敵しうるほど美味しそうな洋菓子の数々。アンティークの食器の見事なこと。食器好きの皆様、是非、1巻P31に描かれている食器の模様と形をご覧ください。美の極み。ワタクシはこれを見た後デパートの某有名食器ブランドに似たようなものがないか買い求めに参りましたが、ここまで素晴らしいものは見つけることができませんでした。2巻P157の飴がけされたクロカンブッシュには薔薇まで乗っていて・・・! たまりません。
 先述の通りこの漫画にはBL要素があるのですが、直接的な描写はありませんのでご安心を。いえ・・・あると言えばあるのですが無粋なネタバレになってしまうので詳しく書くのはやめておきましょう。暗さもある漫画なのです。しかしキャラクターたちは辛い過去を抱えながら前向きに生きています。
 この漫画を読む時には必ず是非、美味しいケーキと紅茶、それから素敵な食器も忘れずにどうぞ。
 わたしはこのニュースを聞いて「おおーようやく!」と感嘆の声をあげました。
 オルハン・パムク氏。大好きな作家さんです。わたしが好きな氏の作品は『私の名は紅』。死亡した人物・細密画師の「優美さん」について人間たちが独白していくという構成も斬新ながら、章と章の間、文字と文字の間に感じられる美意識が素晴らしい。トルコの細密画に、画師から画師へ受け継がれてきた美意識。それをオルハン・パムク氏も持っています。氏の小説は緻密で優美。氏もまた「優美さん」なのです(でも長生きして良い作品を書き続けてくれなきゃ困るわよ)。
 受賞おめでとうございます。
 村上春樹氏は残念でしたが絶対に次があると思います。
 世界中にまだ読んでいない傑作がたくさんあると思うとワクワクします☆
 檜谷昭彦さんの現代語訳は非常に読みやすいです。
 福沢諭吉さんってこんなに格好いいことを仰っていたのですね。さすが1万円札になった方です(←厳密に言うと1万円札にはなっていません。印刷されたのです)。
 「わたしは言いたい。孟子でも孔子でも遠慮があるものか」(P108から抜粋)。もしも西洋文化と日本文化が逆だったとしたら、例えば親鸞が西洋人でルターが日本人であったら日本の先生がたは親鸞を褒め称えルターを劣ったものと見なすだろうということも仰っています。外国に憧れるあまり安易に外国の方が素晴らしいと決め付けるな、と。
 『学問のすすめ』は小難しい漢文などの学問ではなく、まずはそろばんや帳簿のつけ方などの実用の学問をすすめる本。・・・わたしはこの本はまずは難しい学問を修めることをすすめる本だと勘違いしておりました。そして福沢諭吉さんはそういう本を書いたからこそ有名になった方なのだと勘違いしておりました。訂正して謝罪します。実用の学問をすすめた上で、志を高く持ち難しい学問もして更に文明を発展させ社会を平穏にせよ、しかし論語読みの論語知らずにはなるなという本なのですね。敬服致します。役人は多すぎる、と民間化の大切さを説いたり赤穂浪士は本当に義士なのか。敵討ちは間違いだ、と論じたり、また学者を批評したければ学者になれと言うくだりは・・・ロックです。ロックンロールです。
 わたしは身分の高低はその人に学問の力があるかないかによって決まる、人間は万物の霊長である、外国人を雇うことは日本の資金を外国に捨てているようなものだ、とする考え方には異論を唱えたいのですが、それらを抜きにしても面白い本です。
 また、福沢諭吉さんは素晴らしいことを仰いました。「自分に害を加える悪人がそうそういるわけもない。恐れず遠慮せず、真情を率直にあらわしてつき合うべきだ」(P222〜223から抜粋)と。
 若者必携の指南書と言えましょう。
 とはいえわたし「文章ではさほど意味のないことでも、〜」(P150)のところ思わず笑いましたよ。文章ではさほど意味のないってそんな。意外とジョークを言う方だったのかもしれない・・・!?
 *注*15歳未満の方はこの記事を読まないでください。

 スケベでもエッチでもエロでもありません。偏愛且つ純愛映画です。開始から1分しないうちにわたしは「この映画を絶対に好きになる」と確信しました。

 華やかな母、華やかな姉を持ちながら容姿に恵まれなかったリー。彼女は自分に自信がなく、うつむいてばかり。いつも猫背。男性経験も就職経験もゼロ。小学7年生から自傷行為を繰り返していて、家族に自傷しているところを見つかり精神病院に入院。退院後、社会復帰するため就職先を探していた時、グレイ法律事務所の「秘書募集」の広告を見つけます。
 面接の結果は、見事採用! 秘書。その言葉の響きに彼女はうっとり。グレイ弁護士に貧乏ゆすりやだらしない服装や鼻をすする癖や声の小ささなどを注意されながら、彼女は仕事を覚えていきます。仕事をしていく中で彼女はグレイ弁護士も苦しみを抱えている男性なのだということに気づきます。他人にはわかってもらえない苦しみを同じように抱える者同士の親近感。自傷について親身になってくれる彼に、彼女は恋をするようになります。彼に「もう自傷はしないと誓ってくれ」と言われ、彼女はその日から自傷しなくなりました。
 しかし他のことは改善されても彼女のタイピングのミスは直りません。最初のうちはミスしたところに赤ペンで印をつけ「やり直せ」と言っていた彼でしたが、彼女のミスは直らない。とうとう彼は・・・彼女がミスする度に・・・お尻ぺんぺんの罰を与えるようになるのです。
 彼女は大変なショックを受けます。しかし! 自傷したい気持ちをしばらく抑えていた彼女です。お尻が痛いけれど、何と! 喜びに震えるようになります。サドとマゾが出逢ったのです。運命的な出逢いですね。(^−^)b
 手枷を嵌められたまま書類を口に咥えて運んできて、彼に渡す。これはお尻ぺんぺんが始まる前のことですが、「書類をゴミと一緒に捨ててしまったから探してくれ」と言われればゴミ箱の中に入ることだって彼女はへっちゃら。へっちゃらどころか充実した表情をしています。人参を咥えさせられて檻の中に入れられるのもオールオッケー。食事を極端に少なく制限されるのも彼女は大変喜びました。
 彼だって彼女が好き。しかし2人が1つになるのを阻むのは雇い主と使用人の関係だけではありません。グレイ弁護士は弁護士という社会的な職業に就いていながらも社会と隔絶して生きている人。禁欲的な生活を自らに課し、室内で趣味の菌栽培をし室内で体を鍛え室内で仕事をする人。表情もほとんど変わらない。笑っていても笑うのは口元だけ。目は微かに優しくなるだけ(この辺が非常にセクシーですが)。大声をあげて笑うということと完全に無縁の人です。心を開かせるのは容易ではありません。それは彼女だってよくわかっています。けれど彼をたまらなく好きで好きでたまらなくて、ある日彼に想いを打ち明けます。結果は、解雇。「2度とわたしの前に現れないでくれ」と彼は言い放つのです。
 彼女は幼なじみとエッチすることで彼への想いを断ち切ろうとします。彼以外の男性が与える痛みによって。幼なじみと婚約までしました。けれど断ち切ることは出来ませんでした。深く深くグレイ弁護士を愛しているから。
 ウェディングドレスを着た彼女は走ります。彼の弁護士事務所へ。新しい秘書がいるけれどそんなの気になりません。彼の部屋へ駆け込み、再び想いを伝えます。「わたしを愛していると言うのならわたしが戻るまでここを動くな」と言って彼は部屋を出て行きます。
 そして彼女は。従いました。動きませんでした。椅子に座り机に手を置いた体勢のまま全く動きません。幼なじみにそこから引き剥がされても全力で抵抗し、元の体勢に戻ります。トイレにも行かず。当然失禁し放題。不眠不休。彼女の目は輝いています。耐え抜けば、耐え抜けば、きっと彼に想いが届くと信じて。野次馬も集まってきます。食事は家族が届けてくれました。そして3日が経過。
 結末はあなたの目と耳で確かめてくださいませ。

 彼女が父親と和解したり過保護な母親から自立していく姿も、この映画の見所です。
 観終わった時、わたしは猛烈に感動していました。
 今日はとあるイベントの会場整備とドリンク配布の短期バイトに応募をしました。嘘です。応募をしてくれたのは友達です。ありがとう友よ! 
 採用されたら2人でバドガールになるのだわ(違います)と思いながら、本日の眠い眠いお昼の授業を迎えました。
 ぽかぽか陽気。エアコンは除湿。気持ちいい。眠いです。
 眠気対策にノートに絵を描き始めてみると、楽しくて止まらなくなりました。ニヤニヤしているわたしを見た先生が不審そうな目をしていらっしゃいました。どうぞお構いなく。
 描いたのはアンパンマンと美形化バタ子さんと擬人化美形バイキンマン。お話も考えてみました。KAT-TUNの上田くん似に美形化したバタ子さんが「たまにはアンパンマンの顔をりんごで作ろうかしらん」とりんごの皮を剥き出します。それを何も気づかずニコニコと見ているアンパンマン。hyde似に美形化したバイキンマンが事態をいち早く察し、パン工場内のりんごを全て強奪するのですが、何も気づかぬアンパンマンは「アーンパンチ」とバイキンマンを倒してしまい、バイキンマンは「俺様が助けなかったらアンパンアップルマンになってたんだぞっ」とさめざめと男泣きする・・・という内容でございました。強奪されたりんごはパン工場に戻ってきて、バタ子さんは嬉々としてりんごの皮を剥く。剥くのでございます。そして。
 そして、の続きを描き終える前に授業が終わってしまいました。途中まで描いたアンパンマンは・・・ほっぺからりんごの枝が生えてました。キャー! バタ子さん、あなた皮だけ剥いたのね!
 さて、夕方になってバイトの採用の電話が来ましたよ♪ 真実でもあり嘘でもあります。わたしはうっかり電話に出られなかったので、友達から採用を伝えるメールがきました。ありがとう友よ!
 しかし仕事は会場整備でもドリンク配布でもありません。
 パン作りの助手に任命されました。
 あれ?
 リアルバタ子になります☆ りんごの皮剥きなら任せて頂戴。
 最近わたしはジョエル・シュマッカ監督の映画『オペラ座の怪人』を観たのですが、ファントムの歌がどうもわたしが抱くファントムのイメージと合いませんでした。勿論あれはあれでクリスティーナが手に入らないことへの苛立ちやラウルへの嫉妬も出ていて素晴らしいのですけれど、ファントムが人間らしすぎる感じがします。冷たいながらもわずかに温かい血が通った人間の歌のようで。
 その後Dのこの曲『闇より暗い慟哭のアカペラと薔薇より赤い情熱のアリア』を聴き、わたしは「これぞファントム!」と感激しました。わたしの抱くファントムのイメージは冷たい血の持ち主。恋焦がれても怒りや喜びを感じてもかえって血を冷たくさせていくようなイメージ。血は冷たいけれど凍りつくことなく流れているのです。
 ヴォーカルのASAGIさんは高音と低音、ビブラートとシャウトを巧みに歌い分け、ファントムの感情の振り幅が大きいこととそれにも関わらずファントムが心揺れながらも微動だにしないことを表現している・・・とわたしは感じます。特に「一度だけ愛されてみたい この醜い仮面の下までも」と歌うところなどはエロチシズムを漂わせていて、なんだかもう香りまで漂ってきて、わたしはメロメロになりました(笑)。「さあ行くがいい ずっと君が光に包まれる様に・・・」と歌うところも説得力があります。演奏も緩急のつけ方や音の切り方がかなりいかしてます。
 ファントムを見事に表現していてメロメロになれる1曲。
 シャウトをしている時も品のあるASAGIさんはとてもすごい人だと思います。一体何オクターブ声が出るのか知りたいです。最初のビブラートで胸を射抜かれましたw こんな声が出る上に美形で知的でしかも眼鏡男子(オフィシャルHPの氏の日記参照)だなんて・・・「キング・オブ・ファントム」の称号を勝手に贈らせていただきます☆
 日々の節約の甲斐あって、とうとう電子ピアノ本体とペダルを買えるだけのお金が貯まりました。
 しかし今。
 ワタクシは貯金箱を前にして悩んでおります。
 買ってしまったら約7万円ものお金がパッと無くなってしまうわけですから。
 貧乏学生にとっては大金です。
 とはいえ電子ピアノ本体もピアノも欲しいのであります。
 う〜む・・・。自問自答。
Granado Espada 無料体験プレイ♪レポート
 *注*現在の有料MMOはほとんどのプレイヤーを廃人(寝ることも食べることもせずネットゲームに熱中する人)にします。「プレイ○分につき○○円」ではなく「○ヶ月利用権を持つことで○○円」とする課金システムがその原因です。ゲームは楽しいもの。楽しいからこそ「払うお金が同じならより長い時間遊ぼう」としてしまうのです。課金システムが前者のように改められない限りMMOをする=廃人になる、なのです。この記事はMMORPG『Granado Espada』無料体験プレイのレポートであり、決してプレイをおすすめするものではありません。

 ←自主規制により画像を横向きにしました☆

 美麗。美麗でございます。
 本日ワタクシはMMORPG『グラナド・エスパダ』(公式ホームページ・・・http://www.granadoespada.jp/index.asp)の無料体験プレイを遊びました。
 このゲームは特に屋内のグラフィックが美しいです。蝋燭の灯、窓ガラス、絨毯、階段の手すりに至るまで、質感が見事に再現されています。あまりの美しさに、ワタクシは冒険することなぞすっかり忘れて画面に見入ってしまいました。
 キャラの衣装はゴスロリ風、中世騎士風などゴージャスなものばかり。勿論、女性キャラの衣装の胸元の開き具合もゴージャスです☆
 このゲームの最大の特徴は何といっても同時に3人のキャラクターを操作できること。このシステムのおかげで戦闘に緩急がつきます。ウィザード(魔術師)とウォーロック(魔導士)を組み合わせて魔法チームを作っても良いですし、ファイター(戦士)とマスケッティア(銃士)を組み合わせて銃撃チームを作っても良いです。また、自分が作ったキャラ同士は兄弟・姉妹であるという設定を生かして同じ職業で同じ顔のザ・三つ子ちゃんチームを作るのも楽しいですね。同じキャラでも武器の構え(スタンス)を変えることで繰り出す技が変わり、他のMMOに比べ戦闘が非常に楽しいです。
 ワタクシは職業はスカウト(道具士)、性別は男のキャラを作成致しました。名前はイサオ。全国のイサオさんに愛を込めてイサオと命名致しました。嘘です。スカウトの男性のあご髭が『銀魂』の近藤勲局長を彷彿とさせたからです。イサオくんを皆様に紹介したかったのですが、照れ屋の彼はカメラから逃げ続けてしまいました。この日記に添付してある画像はかろうじて撮れたものです。左下でひっそりと人間椅子になっているのがイサオくんです・・・。(><)

 正式に遊びたい気持ちは山々なのですが、最初に申しましたように現在の有料MMOはほとんどのプレイヤーを廃人にします。ですからワタクシは無料体験プレイに留めます。さようならイサオくん。元気でね。

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 現在はこのゲーム、アイテム課金制となりました☆
 イサオくんも元気に生存しております。今日もイサオくんはお姉さまに椅子として扱われるのでございます。めでたしめでたし。
 Q.問題です。1か月以上家を留守にした場合、郵便受けはどうなるでしょう?
 A.バクハツする

 わたしは8月初めから今日までずっとアパートを留守にしていました。帰ってみると・・・郵便受けが郵便物を詰め込まれすぎて大バクハツしておりました! チラシや封書がギュウギュウに押し込まれ、郵便受けから勢いよくはみだしていたのです。この様子だと郵便受けから落ちたものもあったでしょう。そういうものは清掃業者さんが片付けてくれたかもしれません。郵便受けはそうならないように、大バクハツしながらも、TOEICの受験票をしっかり守っていてくれました。大量のチラシの中から受験票が見つかり、わたしはとても嬉しいです。
 かわいそうな郵便受け。ありがとう郵便受け。今度はもっと早く帰るよ。
 ふと思ったのですが、1か月以上留守にして更に郵便物がたまったらどうなるのでしょうか? 事件と間違えられて、部屋に突入されたりして。部屋はきれいに片付けておかなくっちゃ。
 音叉やチューナーがなくても楽器を調律できる。曲を作る時も楽譜を書く時も、楽器で音を確かめなくても良いので速く作業が進む。絶対音感って便利だな、わたしも欲しいな、と常々思ってまいりました。
 しかしこの本を読んだことでわたしは絶対音感は必ずしも「絶対」ではないということや絶対音感を持つがゆえに苦しむ人もいるということに気づきました。一般人にとっても音楽家にとっても、絶対音感はあっても良いし無くても良いものだと思うようになりました。
 一口に絶対音感と言っても程度は人それぞれ。例えばヴァイオリンの音が8分の1(半音をさらに4等分した音の高さ)低いと指摘したモーツァルトのように「同じオクターブのドとドでも何分の1ほどこちらのドの方が高い」などと微妙な高低を当てられる人もいれば、自分が弾いている又は弾いたことのある楽器の音しか高低を当てられない人もいます。また前者の場合、よく聴こえすぎるがゆえに何度も何度も楽器の調律をしてしまったり、音楽が聞こえてくると聴くことに集中してしまい他のことは何も出来なくなる人がいるようです。
 絶対音感があると音楽を音符の集まりではなく音の集まりとして聴けるのですが、それは音楽を楽しんだり作ったり演奏する力とは関係ないようです。音楽を愛せるか否かは絶対音感の有無に関係なし。絶対音感を持たない者の一人として、とても安心しました。
 昨夜未明、ワタクシの部屋からお弁当箱が発掘されました。
 お弁当箱が最後に目撃されたのは9月3日昼ごろ。その後9日間行方がわからなくなっていました。
 ここは南国。湿気がいっぱい。
 「パンドラよその箱を開けてはならぬ」
 荘厳な声がワタクシの脳内に響きます。
 嗚呼、でもワタクシは思い出してしまったのです。
 9月3日昼のお弁当のメニューを。
 ワタクシが魚を食べ、「○○教授が魚の皮はダイオキシンの問題があるから食べるなって言ってた」と魚の皮を箱に入れたことを。
 嗚呼、神よワタクシは開けなくてはなりません。
 今日開けねば明日はもっと酷くなるでしょう。
 でも怖いので1日おいてみることにしました。
 そして観念して先ほどお弁当箱を開けてみました。
 2秒ほど思考停止した後、ワタクシはぱっとフタを閉めました。
 さあ箱の中に希望は残っているのでしょうか?
 残っているのは白・黒・黄・緑色をした長〜い毛のような・・・カビ。カビ。カビー!! 魚の皮から生えた、カビの丸い塊・・・。
 ワタクシの顔中のうぶ毛が立ち上がりました。
 震える手で魚の皮ごとカビを捨て、お弁当箱を洗い、熱湯&ハイターで消毒しました。
 そして全てを終えた後、ワタクシは映画『スタンド・バイ・ミー』の主役のように失神しました・・・いえ失神はしませんでした。咳をしました。カビの正体は主に食品に生息し呼吸器アレルギーの原因菌となるアスペルギルスであると思います。
 嗚呼、今なら失神できそう。
 わたしは父の姉、つまり伯母が苦手です。父も伯母が苦手です。伯母を産んだ祖母さえも伯母が苦手です。理由は伯母が気性の荒い人だから。とにかく何にでも怒って怒鳴るので、伯母といると周りはビクビクし通しです。
 わだかまりが溜まっていき、数年前とうとう伯母の方から我が家は絶縁を言い渡されました。それからしばらく経って、伯母の子どもが結婚した時などは伯母と父が連絡を取るようになったものの、やはり絶縁状態は続いています。
 さて現在祖母は入院しており、今日わたしは病院へお見舞いに行きました。
 すると祖母の病室に伯母の姿が・・・。
 何年ぶりに会うのでしょう。
 伯母はわたしを睨んでいるかのようにじぃっと見ています。
 だ、誰かライフカードをください。退却? 突撃? どうするのわたし!?
 わたしは思い切って「こんにちは〜♪」とにこにこ笑って挨拶してみました。すると伯母はつられてしまったようで、「こんにちは」と返してくれました。その後少しお喋りをしました。
 やった! 苦手を克服しました!☆
 やはりケンカも人間関係も先制パンチが大事ですね(ケンカはだめよ)。
 でも伯母にグチグチ言われました。(^^;)

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