ロバート・ゼメキス監督 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』
2007年7月2日 映画
今自分が生きている現在は、この映画のマーティのように、過去の自分や未来の自分が懸命に与えてくれた現在なのかもしれない。
現在の自分にはそれを知る由はないけれど。もしかしたら現在の自分の後ろでは、過去或いは未来の自分が、現在の自分を見守ってくれているのかもしれない。
この映画のPART1のマーティも、まさか自分の後ろに未来の自分(PART2のマーティ)がいて、自分を応援しているなんて思いもよらない。PART2のマーティ自身も未来を変えるために頑張っている途中で、PART1のマーティを「俺も頑張ってるけど、あいつも頑張ってるんだな」と言っているかのような優しい目で見ている。
このシーン大好き。
過去の自分にとっても未来の自分にとっても、今自分が生きている現在って大事なんだな、と気づくことができるから。
そして、マーティにドクがいるように、自分にも自分の未来を心配してくれる人がいるということにも気づける・・・この映画大好きです。
悪役が毎回馬糞を浴びるのもスカッとしますし。(^皿^) アメリカ映画の良さがありますよね。悪役を追いかけたり逆に追いかけられて殺されそうになったりスリル満点で、何度も途方に暮れて・・・しかし最後には悪役が馬糞を浴びる!
でもそれでめでたしめでたし、とはいかないのです。新たな試練が待っているのです。
PART2で、ドクが誤って開拓時代にタイムスリップしてしまったのです。PART1でもPART2でも自分を救ってくれたドクを、今度はマーティが助けに行かなければなりません。デロリアンに乗って。
・・・でもデロリアン、故障しやすいからなあ。大丈夫かなあ。ドラえも〜ん、のび太よりマーティにタイムマシンを貸してあげて。
現在の自分にはそれを知る由はないけれど。もしかしたら現在の自分の後ろでは、過去或いは未来の自分が、現在の自分を見守ってくれているのかもしれない。
この映画のPART1のマーティも、まさか自分の後ろに未来の自分(PART2のマーティ)がいて、自分を応援しているなんて思いもよらない。PART2のマーティ自身も未来を変えるために頑張っている途中で、PART1のマーティを「俺も頑張ってるけど、あいつも頑張ってるんだな」と言っているかのような優しい目で見ている。
このシーン大好き。
過去の自分にとっても未来の自分にとっても、今自分が生きている現在って大事なんだな、と気づくことができるから。
そして、マーティにドクがいるように、自分にも自分の未来を心配してくれる人がいるということにも気づける・・・この映画大好きです。
悪役が毎回馬糞を浴びるのもスカッとしますし。(^皿^) アメリカ映画の良さがありますよね。悪役を追いかけたり逆に追いかけられて殺されそうになったりスリル満点で、何度も途方に暮れて・・・しかし最後には悪役が馬糞を浴びる!
でもそれでめでたしめでたし、とはいかないのです。新たな試練が待っているのです。
PART2で、ドクが誤って開拓時代にタイムスリップしてしまったのです。PART1でもPART2でも自分を救ってくれたドクを、今度はマーティが助けに行かなければなりません。デロリアンに乗って。
・・・でもデロリアン、故障しやすいからなあ。大丈夫かなあ。ドラえも〜ん、のび太よりマーティにタイムマシンを貸してあげて。
あのキャラって実在の人物だったのかと思わせるクオリティの良さ
2007年6月30日コメント (2) 留学生に「コレ美しいですよ。本人がいっぱい出てくる。きれいな外人いっぱいですよー」とすすめられた動画。
「え? 何?」とおそるおそる聞いたら「外人の、コスプレの動画ですよー」とのこと。
見てみました。
ニコニコ動画の『超面食いが選んだコスプレ集 修正再up』。http://www.nicovideo.jp/watch/sm437063
見たら「本人がいっぱい出てくる」の意味がわかりました。
きれ〜い。
前半はファイナルファンタジーのコスプレをしている外人さん。後半からはセーラームーンとかジブリのコスプレが入ってきます。セーラージュピターとか子どもの頃のハウルとか非常に素晴らしい。実写版映画を作るなら是非この人たちにこの役でやって欲しい(無理か・・・)。
日本人のコスプレイヤーさんも可愛いけれど、外人のコスプレイヤーさんは世界観を表現するのがすごく巧いですね。コスプレじゃなくて完全に本人だ。
にしてもこの動画、BGMとかアニメーションとか加工の仕方が面白い♪
「え? 何?」とおそるおそる聞いたら「外人の、コスプレの動画ですよー」とのこと。
見てみました。
ニコニコ動画の『超面食いが選んだコスプレ集 修正再up』。http://www.nicovideo.jp/watch/sm437063
見たら「本人がいっぱい出てくる」の意味がわかりました。
きれ〜い。
前半はファイナルファンタジーのコスプレをしている外人さん。後半からはセーラームーンとかジブリのコスプレが入ってきます。セーラージュピターとか子どもの頃のハウルとか非常に素晴らしい。実写版映画を作るなら是非この人たちにこの役でやって欲しい(無理か・・・)。
日本人のコスプレイヤーさんも可愛いけれど、外人のコスプレイヤーさんは世界観を表現するのがすごく巧いですね。コスプレじゃなくて完全に本人だ。
にしてもこの動画、BGMとかアニメーションとか加工の仕方が面白い♪
中谷 彰宏 『人のために何ができるか お客様を元気にする50の具体例』
2007年6月28日 おすすめの本一覧
33番の、「元気をオマケしよう」。
1から50まである具体例の中で、わたしは一番これを気に入りました。
ただ商品を売るだけではなくて、サービスを提供するだけじゃなくて、その先を目指す。商品を売ることによって相手を元気にする、サービスを提供することによって相手を元気にする。
当たり前のことだけれど、結構忘れがち。
最近わたし自身、バイトでもこのDiaryNoteでも普段の人間関係でも「元気をオマケする」ことを忘れていたなと反省しました。
自分も相手も楽しくなれた方がいい。
自分が悲しい気分の時に無理して笑う必要はないけれども。健康に悪いから。でもそういう時も、「これからみんなで幸せになる」という目標がなきゃ。
仕事でも人間関係でも、漫然とやっている、ということは必ず相手に伝わってしまって、結果として自分も嫌な気分になってしまう。自己嫌悪にもなる。そうならないために、「元気のオマケ」。元気、をメインにしてしまうと疲れてしまうのであくまでオマケ。仕事やバイトなら商品やサービスと一緒に渡す。普段の人間関係なら・・・笑顔と一緒に渡す? ですよね。多分、元気というものは笑顔にしかくっつかない。無表情や怖い顔や暗い顔にはくっつかないでしょうね。
そういえば英語圏のお店って午前中に行くと店員さんが「Have a nice day♪」って言ってくれますよね。あれ、好きです。日本でも出来たらいいのに。バイト先で「いってらっしゃいませ」って言ってみようか・・・バイト先をメイド喫茶と化す気か!? はっ! 今改めてメイド喫茶の素晴らしさに気づきました(ちょっと違う?)。
元気をもらったら、自分も誰かにあげたくなるから不思議。
この本を書いた中谷さんも実際に読んだ人を元気にできるのだから、やっぱりすごいや。
1から50まである具体例の中で、わたしは一番これを気に入りました。
ただ商品を売るだけではなくて、サービスを提供するだけじゃなくて、その先を目指す。商品を売ることによって相手を元気にする、サービスを提供することによって相手を元気にする。
当たり前のことだけれど、結構忘れがち。
最近わたし自身、バイトでもこのDiaryNoteでも普段の人間関係でも「元気をオマケする」ことを忘れていたなと反省しました。
自分も相手も楽しくなれた方がいい。
自分が悲しい気分の時に無理して笑う必要はないけれども。健康に悪いから。でもそういう時も、「これからみんなで幸せになる」という目標がなきゃ。
仕事でも人間関係でも、漫然とやっている、ということは必ず相手に伝わってしまって、結果として自分も嫌な気分になってしまう。自己嫌悪にもなる。そうならないために、「元気のオマケ」。元気、をメインにしてしまうと疲れてしまうのであくまでオマケ。仕事やバイトなら商品やサービスと一緒に渡す。普段の人間関係なら・・・笑顔と一緒に渡す? ですよね。多分、元気というものは笑顔にしかくっつかない。無表情や怖い顔や暗い顔にはくっつかないでしょうね。
そういえば英語圏のお店って午前中に行くと店員さんが「Have a nice day♪」って言ってくれますよね。あれ、好きです。日本でも出来たらいいのに。バイト先で「いってらっしゃいませ」って言ってみようか・・・バイト先をメイド喫茶と化す気か!? はっ! 今改めてメイド喫茶の素晴らしさに気づきました(ちょっと違う?)。
元気をもらったら、自分も誰かにあげたくなるから不思議。
この本を書いた中谷さんも実際に読んだ人を元気にできるのだから、やっぱりすごいや。
鈴木 光司 『リング』
2007年6月25日 おすすめの本一覧 *注* 物語の核となる事、結末についても明かしています。
ネタバレが嫌いな方は以下の文章を読まないでください。
怖いものの正体が貞子であるならば、この小説の題は『貞子』になっているはず。『リング』という題の意味、読んでみてわかりました。
伝染していくウイルスの環。
子どもを産めない貞子の体に、当時絶滅寸前だった天然痘ウイルスが侵入。念写能力を持ち男性でも女性でもない貞子と天然痘ウイルスとが融合し、新たなウイルスが誕生した。しかし貞子は古井戸の底に落とされてしまっていて、誰にも気づかれず死んでいく運命。ウイルスは死んだ体の中では生きられない。ウイルスの本能は、増えること。貞子は自分の念写能力を使って我が子であるウイルスを産み、死んでいった。
ウイルスはビデオテープに産み付けられ、ビデオを見た者の体内に侵入し、その者が1週間以内にビデオをダビングしまだビデオを見ていない者に見せなければ必ず死に至らしめる。
貞子の死に様については書かれていないのですが、貞子は井戸の底で笑いながら死んでいったかもしれない、とわたしは思いました。好奇心で自ら進んでビデオを見て後悔する者がいるでしょうから。それを想像すると、貞子は笑ったのではないでしょうか。貞子の母の念写能力を最初はちやほやしておいて後から批難し母を自殺に追いやった者たちへの、復讐になるから。この力は本物だ、お前たちが偽物と指差したこの力によって死ぬがいい、生きたければわたしの子どもを増やすがいい、と。子どもを産めない体の自分がこの体の自分にしか産めない子どもを産み、その子どもが、自分が母から念写能力を受け継いだのと同じように、いやそれ以上に強い力を持って増えていくのは愉快でたまらなかったでしょう。人々が血眼になってダビングを繰り返し、まだビデオを見ていない人間が少なくなり、やがて臨界を迎える日を想像しながら息絶えたのではないか・・・そんな気がしてなりません。
ビデオの重要な部分に全く関係のない映像を重ね録りしてもウイルスが機能していることから、このウイルスの強力さが窺い知れます。ウイルスは貞子という人間によって産み出されたのですから、それに対抗しうる人間が存在しないとは限りませんが、そういった人間は非常に稀でありほとんどの人間はダビング以外になす術がないでしょう。恐怖心があるため自らこんなビデオに重ね録りをしようとする人間はこれ以上現れないかもしれませんが、最初の重ね録りによってウイルスが変異を起こす可能性も十分に考えられます。でも変異して弱体化するわけじゃない。変異し、更に強力に。ワクチンを作りようがない。作りようもない。
しかしこの小説の主人公・浅川が最後に取った行動は正しかったと思います。社会的には間違いなく責められる行為でしょう。「自分の家族を犠牲にすれば多くの人が死なずに済んだのに、社会も混乱しなかったのに、ウイルスを撒き散らした!」と処罰されることになるかもしれません。けれど、それでも彼の取った行動は人間として当然です。自分の家族が人類の防波堤になる必然性なんかない。1人の人間として、人類の命よりも家族の命を優先するのは決して間違っていない。それにこのウイルスの片親となった天然痘ウイルスだって、今は人間によって根絶されています。このウイルスだって人間の叡智で何とかなるかもしれない。それに希望を託し、浅川は家族が死んでしまわないよう、ウイルス増殖に手を貸すのです。
わたしには貞子も怖いとは感じられませんでした。わたしはこれまで『リング』の映画などを観てこなかったのですが、観なくて良かったと今は思います。顔を覆い隠すほど長いねっとりとした黒髪で、井戸から這い出してくる・・・そんな不気味なイメージが定着しているのは残念です。もしかしたら続きの小説にそんな場面が登場するのかもしれませんが、現時点ではわたしはその有無を知りません。原作であるこの小説の貞子、全然怖くないですよ。美人だし(ここを強調してしまう自分、俗物だわ。おっさん精神の塊だわ)。子どもを産みたくても産めない女性の情念が伝わってきて・・・、貞子が子どもを生めて良かったなあと思いました。たとえ生まれたのが人間を殺すウイルスであっても。殺人を犯した人の母親を責める道理がないように、貞子を責める道理はないと思います。どんな子どもが生まれるかわかっていて産んだことも・・・責める権利は誰にもない。中絶を強要する権利は誰にもない。
ウイルスの正体が元は人間の遺伝子だったかもしれない、という説をうまく利用した小説でした。思念は生き物、という描写も興味深かったです。今までに見たことのない世界を覗いた感じ。続きが気になります。
ネタバレが嫌いな方は以下の文章を読まないでください。
怖いものの正体が貞子であるならば、この小説の題は『貞子』になっているはず。『リング』という題の意味、読んでみてわかりました。
伝染していくウイルスの環。
子どもを産めない貞子の体に、当時絶滅寸前だった天然痘ウイルスが侵入。念写能力を持ち男性でも女性でもない貞子と天然痘ウイルスとが融合し、新たなウイルスが誕生した。しかし貞子は古井戸の底に落とされてしまっていて、誰にも気づかれず死んでいく運命。ウイルスは死んだ体の中では生きられない。ウイルスの本能は、増えること。貞子は自分の念写能力を使って我が子であるウイルスを産み、死んでいった。
ウイルスはビデオテープに産み付けられ、ビデオを見た者の体内に侵入し、その者が1週間以内にビデオをダビングしまだビデオを見ていない者に見せなければ必ず死に至らしめる。
貞子の死に様については書かれていないのですが、貞子は井戸の底で笑いながら死んでいったかもしれない、とわたしは思いました。好奇心で自ら進んでビデオを見て後悔する者がいるでしょうから。それを想像すると、貞子は笑ったのではないでしょうか。貞子の母の念写能力を最初はちやほやしておいて後から批難し母を自殺に追いやった者たちへの、復讐になるから。この力は本物だ、お前たちが偽物と指差したこの力によって死ぬがいい、生きたければわたしの子どもを増やすがいい、と。子どもを産めない体の自分がこの体の自分にしか産めない子どもを産み、その子どもが、自分が母から念写能力を受け継いだのと同じように、いやそれ以上に強い力を持って増えていくのは愉快でたまらなかったでしょう。人々が血眼になってダビングを繰り返し、まだビデオを見ていない人間が少なくなり、やがて臨界を迎える日を想像しながら息絶えたのではないか・・・そんな気がしてなりません。
ビデオの重要な部分に全く関係のない映像を重ね録りしてもウイルスが機能していることから、このウイルスの強力さが窺い知れます。ウイルスは貞子という人間によって産み出されたのですから、それに対抗しうる人間が存在しないとは限りませんが、そういった人間は非常に稀でありほとんどの人間はダビング以外になす術がないでしょう。恐怖心があるため自らこんなビデオに重ね録りをしようとする人間はこれ以上現れないかもしれませんが、最初の重ね録りによってウイルスが変異を起こす可能性も十分に考えられます。でも変異して弱体化するわけじゃない。変異し、更に強力に。ワクチンを作りようがない。作りようもない。
しかしこの小説の主人公・浅川が最後に取った行動は正しかったと思います。社会的には間違いなく責められる行為でしょう。「自分の家族を犠牲にすれば多くの人が死なずに済んだのに、社会も混乱しなかったのに、ウイルスを撒き散らした!」と処罰されることになるかもしれません。けれど、それでも彼の取った行動は人間として当然です。自分の家族が人類の防波堤になる必然性なんかない。1人の人間として、人類の命よりも家族の命を優先するのは決して間違っていない。それにこのウイルスの片親となった天然痘ウイルスだって、今は人間によって根絶されています。このウイルスだって人間の叡智で何とかなるかもしれない。それに希望を託し、浅川は家族が死んでしまわないよう、ウイルス増殖に手を貸すのです。
わたしには貞子も怖いとは感じられませんでした。わたしはこれまで『リング』の映画などを観てこなかったのですが、観なくて良かったと今は思います。顔を覆い隠すほど長いねっとりとした黒髪で、井戸から這い出してくる・・・そんな不気味なイメージが定着しているのは残念です。もしかしたら続きの小説にそんな場面が登場するのかもしれませんが、現時点ではわたしはその有無を知りません。原作であるこの小説の貞子、全然怖くないですよ。美人だし(ここを強調してしまう自分、俗物だわ。おっさん精神の塊だわ)。子どもを産みたくても産めない女性の情念が伝わってきて・・・、貞子が子どもを生めて良かったなあと思いました。たとえ生まれたのが人間を殺すウイルスであっても。殺人を犯した人の母親を責める道理がないように、貞子を責める道理はないと思います。どんな子どもが生まれるかわかっていて産んだことも・・・責める権利は誰にもない。中絶を強要する権利は誰にもない。
ウイルスの正体が元は人間の遺伝子だったかもしれない、という説をうまく利用した小説でした。思念は生き物、という描写も興味深かったです。今までに見たことのない世界を覗いた感じ。続きが気になります。
ば〜らが咲いた〜♪ ば〜らが咲いた〜♪ ピンクのばらが♪
2007年6月22日
携帯から読んでくださっている方は写真を見ることができないと思います。ごめんなさい。m(><)m
蕾がゆっくりと開いていく過程が好きです。
この薔薇、青白さを帯びたピンク色をしていて、光が当たると花びらの際が発光しているように見えます。
わたしはサボテンにも名前をつけているので、この薔薇にもそろそろ名前をつけたいと思います。名前って大事ですよね。名前ってその「もの」がその「もの」であるように祈る呪文だと思います。・・・車にも名前をつけました・・・車弐乗子(くるまに のりこ)。のりこぉ〜!
こほん。咳払いをして軌道修正致しましょう。
薔薇は湿気に弱いお花です。湿度の高〜い熊本で、しかも6月下旬の梅雨の季節に、この薔薇にいかに元気でいてもらうかが糖分のわたしの課題です。・・・違った、当分の、でした。普段の食生活を曝してどうするのだ。
出かけている間もエアコンの除湿をかけなければいけませんね。且つ、エアコンの風が薔薇に当たらぬよう配慮せねば。サボテンも同じく、エアコンの風が当たらないように。とげを持つもの同士仲良くして欲しいです。
蕾がゆっくりと開いていく過程が好きです。
この薔薇、青白さを帯びたピンク色をしていて、光が当たると花びらの際が発光しているように見えます。
わたしはサボテンにも名前をつけているので、この薔薇にもそろそろ名前をつけたいと思います。名前って大事ですよね。名前ってその「もの」がその「もの」であるように祈る呪文だと思います。・・・車にも名前をつけました・・・車弐乗子(くるまに のりこ)。のりこぉ〜!
こほん。咳払いをして軌道修正致しましょう。
薔薇は湿気に弱いお花です。湿度の高〜い熊本で、しかも6月下旬の梅雨の季節に、この薔薇にいかに元気でいてもらうかが糖分のわたしの課題です。・・・違った、当分の、でした。普段の食生活を曝してどうするのだ。
出かけている間もエアコンの除湿をかけなければいけませんね。且つ、エアコンの風が薔薇に当たらぬよう配慮せねば。サボテンも同じく、エアコンの風が当たらないように。とげを持つもの同士仲良くして欲しいです。
原恵一監督 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』
2007年6月19日 映画
アクション仮面大活躍。
ヒーローは現実でもヒーローなのです。
前半ではかすかべ防衛隊が、後半ではしんちゃんも頑張っていたのに、わたしは最後のアクション仮面の戦いに目が釘付けになってしまいました。
いくら自分のファンである子どもたちが見ているからといっても、いかれた相手と自分の現実の力で戦い傷つきながらも諦めずに戦い続けるような、ヒーロー役の俳優さんは・・・いるのでしょうか?(いて欲しいな) 更に、ダイナマイトを持っている相手へ向かって猛然と空を飛んでいき、相手の空飛ぶ乗り物にしがみついて、落とされそうになりながらも懸命に耐え、最後には勝つなんて。しかも子どもの夢を壊さない。しんちゃんの願いがあったからとはいえ、アクション仮面は相手にとどめを刺すチャンスがあったのに相手を助けた。
すごいよ本当のヒーローだよ!
子どもの感性は本物を見抜きます。紛い物のヒーローにしんちゃんが魅了されるはずがない。アクション仮面も俳優さんも本物のヒーローだから、しんちゃんはアクション仮面に夢中。
…でもわたし、対照的なぶりぶりざえもんも好きです。色んなタイプのヒーローがいて、そのヒーローにしか対処できないことってありますよね。もしも今回の映画に出てきたのがアクション仮面ではなくぶりぶりざえもんだったら、とか、カンタムロボだったら、と想像すると面白いです。…ぶりぶりざえもんだったら「わたしは強い者の味方だ」と相手側についちゃったかも?
ヒーローは現実でもヒーローなのです。
前半ではかすかべ防衛隊が、後半ではしんちゃんも頑張っていたのに、わたしは最後のアクション仮面の戦いに目が釘付けになってしまいました。
いくら自分のファンである子どもたちが見ているからといっても、いかれた相手と自分の現実の力で戦い傷つきながらも諦めずに戦い続けるような、ヒーロー役の俳優さんは・・・いるのでしょうか?(いて欲しいな) 更に、ダイナマイトを持っている相手へ向かって猛然と空を飛んでいき、相手の空飛ぶ乗り物にしがみついて、落とされそうになりながらも懸命に耐え、最後には勝つなんて。しかも子どもの夢を壊さない。しんちゃんの願いがあったからとはいえ、アクション仮面は相手にとどめを刺すチャンスがあったのに相手を助けた。
すごいよ本当のヒーローだよ!
子どもの感性は本物を見抜きます。紛い物のヒーローにしんちゃんが魅了されるはずがない。アクション仮面も俳優さんも本物のヒーローだから、しんちゃんはアクション仮面に夢中。
…でもわたし、対照的なぶりぶりざえもんも好きです。色んなタイプのヒーローがいて、そのヒーローにしか対処できないことってありますよね。もしも今回の映画に出てきたのがアクション仮面ではなくぶりぶりざえもんだったら、とか、カンタムロボだったら、と想像すると面白いです。…ぶりぶりざえもんだったら「わたしは強い者の味方だ」と相手側についちゃったかも?
超常現象シンクロニシティ?
2007年6月9日 美容・おしゃれ全般 今日、わたしは友人とこのような会話をしておりました。
わたし「カップが1つ欠けちゃってさ、ソーサーもないから可愛いティーセット欲しいな〜。でもなかなか好みのってないよね」
友人「○○(わたし)ってジノリとかイマンみたいな花模様好きだよね」
わたし「うん。お花がついてて可愛いのが好き。あんまり強い色じゃなくて淡い色してたら最高だなあ。ワンポイントじゃなくて小花がたくさんある、とかさ。あー、Victorian maidenがそういうの売り出してくれないかなあ」
友人「maiden、よく小物出してるもんね。フォークも出してるし。でもティーセットは無理でしょーさすがに」
わたし「だよねえ。お洋服のメゾンだもんねえ・・・でもmaidenのティーセットがあったら絶対可愛いのになあ・・・最近maidenはロココな感じの服とか髪飾り出してて、わたし『下妻物語』でロココにも目覚めたからそういうの欲しいんだぁ」
友人「最近もmaidenでいろいろ買ったのにまだ買う気か(笑) 値段もねー。あんまり高いのはきっついよね。食器ってよく割るしさあ。予算は?」
わたし「ティーセットだから多少高くなるとして・・・うーん、でもやっぱ5000円くらいが限界かなあ・・・」
こうして会話を並べてみると、暴走しがちなわたしを友人がさりげなく抑制してくれているのがよくわかります。ありがとう友よ。
レストランで共に夕食をとったあと友人と別れ、わたしは帰宅いたしました。
そして先ほど、わたしはVictorian maidenの公式オンラインショッピングページを見ました。
新作が入荷されておりました。
何かなあとわたしは画面を覗き込みました。
ぱんぱかぱーんと入荷されていたものの商品名はずばり『ロココローズティータイムセット』。お値段は5040円。
・・・。
・・・・・・?
シ、シンクロニシティ!?
シンクロニシティとは偶然の一致のこと。
お値段まで一致してしまいました。
『ロココローズティータイムセット』はブルー(ブルーといっても水色)とピンクのバリエーションがあって、水玉模様と小花模様が施されていて可愛〜い♪ しかもティーカップとソーサーだけでなくお皿も1枚ついています。そのうえリボンのかかった丸いお化粧箱に入って届けられるという、可愛さをどこまでも追求する姿勢が素晴らしい。
http://www.victorianmaiden.com/VM/index.html
わわわ、今月のバイト代が入る前に売り切れてしまわないか心配です。
わたしと同じようなことを思っていた人、たくさんいたでしょうから。
でも売り切れれば売り切れたで嬉しいです。早期に売り切れてしまえばVictorian maidenが「ティーセット関連もうちのは売れる。潜在的需要がこんなにあったのか」と手ごたえを感じて後々新作を他にも出してくれるでしょうから、それはそれですっごく嬉しいのです。
むーん、シンクロニシティの神秘・・・。
今わたしの心に浮かんだ「ヴィクトリアンって名前がついているメゾンなのになぜロココと名前がつく商品を出すのか?」という素朴な疑問はそっとどこかに置いておきましょう。
わたし「カップが1つ欠けちゃってさ、ソーサーもないから可愛いティーセット欲しいな〜。でもなかなか好みのってないよね」
友人「○○(わたし)ってジノリとかイマンみたいな花模様好きだよね」
わたし「うん。お花がついてて可愛いのが好き。あんまり強い色じゃなくて淡い色してたら最高だなあ。ワンポイントじゃなくて小花がたくさんある、とかさ。あー、Victorian maidenがそういうの売り出してくれないかなあ」
友人「maiden、よく小物出してるもんね。フォークも出してるし。でもティーセットは無理でしょーさすがに」
わたし「だよねえ。お洋服のメゾンだもんねえ・・・でもmaidenのティーセットがあったら絶対可愛いのになあ・・・最近maidenはロココな感じの服とか髪飾り出してて、わたし『下妻物語』でロココにも目覚めたからそういうの欲しいんだぁ」
友人「最近もmaidenでいろいろ買ったのにまだ買う気か(笑) 値段もねー。あんまり高いのはきっついよね。食器ってよく割るしさあ。予算は?」
わたし「ティーセットだから多少高くなるとして・・・うーん、でもやっぱ5000円くらいが限界かなあ・・・」
こうして会話を並べてみると、暴走しがちなわたしを友人がさりげなく抑制してくれているのがよくわかります。ありがとう友よ。
レストランで共に夕食をとったあと友人と別れ、わたしは帰宅いたしました。
そして先ほど、わたしはVictorian maidenの公式オンラインショッピングページを見ました。
新作が入荷されておりました。
何かなあとわたしは画面を覗き込みました。
ぱんぱかぱーんと入荷されていたものの商品名はずばり『ロココローズティータイムセット』。お値段は5040円。
・・・。
・・・・・・?
シ、シンクロニシティ!?
シンクロニシティとは偶然の一致のこと。
お値段まで一致してしまいました。
『ロココローズティータイムセット』はブルー(ブルーといっても水色)とピンクのバリエーションがあって、水玉模様と小花模様が施されていて可愛〜い♪ しかもティーカップとソーサーだけでなくお皿も1枚ついています。そのうえリボンのかかった丸いお化粧箱に入って届けられるという、可愛さをどこまでも追求する姿勢が素晴らしい。
http://www.victorianmaiden.com/VM/index.html
わわわ、今月のバイト代が入る前に売り切れてしまわないか心配です。
わたしと同じようなことを思っていた人、たくさんいたでしょうから。
でも売り切れれば売り切れたで嬉しいです。早期に売り切れてしまえばVictorian maidenが「ティーセット関連もうちのは売れる。潜在的需要がこんなにあったのか」と手ごたえを感じて後々新作を他にも出してくれるでしょうから、それはそれですっごく嬉しいのです。
むーん、シンクロニシティの神秘・・・。
今わたしの心に浮かんだ「ヴィクトリアンって名前がついているメゾンなのになぜロココと名前がつく商品を出すのか?」という素朴な疑問はそっとどこかに置いておきましょう。
格好いいものは格好いいのです
2007年6月8日 音楽 DAITAさんのギターを聴いていると思わず「かっけー!」と叫んでしまいます。
↑お下品な言葉遣いだわ。
こほん。(咳払いでごまかします)
でも思わずそう叫んでしまうのです。
DAITAさんのギターは、ガッと人の心を掴んでガッと別の世界へ持って行く力があります。
ご存知ない方のために書きますと、DAITAさんはSIAM SHADEのメインギタリストだった方です。
ギターも弾けるし曲も書けます。・・・書けます、なんていうと失礼なレベルですが。ギターは主に早弾きが、曲はハード且つ切なくメロディアスなものがお得意。ギターにおいても作曲・編曲においてもメリハリをつけてドラマチックにするのが物凄く上手い、と素人のわたしが聴いても思います。
http://www.youtube.com/watch?v=fhPkOkiShig
DAITAさんが音楽を手がけた映画『火山高』で使われ、以後日本のTV番組でも挿入曲として使用されることの多い「VOLCANO HIGH」。
『火山高』のサントラCDを持っているので何度もこの曲を聴いてきたのですが、聴く度に新しい発見があります。新鮮さを失わない曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=CAB_8-WxpkA
SIAM SHADE時代、ライブで披露したギターソロ。
なんですかこの速度は。
怒涛。
http://www.youtube.com/watch?v=-898HQxxqDc
本来はこういう切ない曲がお得意です。
終わりに近づくほど哀愁を帯びていきます。
http://www.youtube.com/watch?v=57nVk-Q6L7U
SIAM SHADE時代にテレビ出演した時のもの。
アイマスク装着でギターを弾いてらっしゃいます。
SIAM SHADEボーカルの栄喜さんのはじけっぷりが素晴らしいのでご紹介します。←DAITAさんは?
髪型も服装も、時代を感じますねえ・・・。
↑お下品な言葉遣いだわ。
こほん。(咳払いでごまかします)
でも思わずそう叫んでしまうのです。
DAITAさんのギターは、ガッと人の心を掴んでガッと別の世界へ持って行く力があります。
ご存知ない方のために書きますと、DAITAさんはSIAM SHADEのメインギタリストだった方です。
ギターも弾けるし曲も書けます。・・・書けます、なんていうと失礼なレベルですが。ギターは主に早弾きが、曲はハード且つ切なくメロディアスなものがお得意。ギターにおいても作曲・編曲においてもメリハリをつけてドラマチックにするのが物凄く上手い、と素人のわたしが聴いても思います。
http://www.youtube.com/watch?v=fhPkOkiShig
DAITAさんが音楽を手がけた映画『火山高』で使われ、以後日本のTV番組でも挿入曲として使用されることの多い「VOLCANO HIGH」。
『火山高』のサントラCDを持っているので何度もこの曲を聴いてきたのですが、聴く度に新しい発見があります。新鮮さを失わない曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=CAB_8-WxpkA
SIAM SHADE時代、ライブで披露したギターソロ。
なんですかこの速度は。
怒涛。
http://www.youtube.com/watch?v=-898HQxxqDc
本来はこういう切ない曲がお得意です。
終わりに近づくほど哀愁を帯びていきます。
http://www.youtube.com/watch?v=57nVk-Q6L7U
SIAM SHADE時代にテレビ出演した時のもの。
アイマスク装着でギターを弾いてらっしゃいます。
SIAM SHADEボーカルの栄喜さんのはじけっぷりが素晴らしいのでご紹介します。←DAITAさんは?
髪型も服装も、時代を感じますねえ・・・。
SIAM SHADE 『Life』
2007年6月7日 音楽
今、疲れ果てている・・・深く悩んでいる・・・という人にこそ聴いて欲しい曲です。
言葉に出来ない気持ちをこの曲の歌詞が代弁して歌ってくれると思います。
わたしが解釈したこの曲の物語は以下の通りです。PVを観ながらこの曲を聴いたうえで感じた勝手な解釈なので鵜呑みにせず、自分なりの物語をこの曲から感じ取ってくだされば嬉しいです。
年老いた旅人は、目的地もなく長い長い間歩き続けていた。旅人がどんな理由で旅を始めたのかは、今はもう旅人しか知らない。きっと様々な場所で様々な悲しみと出逢い、望んではいなくても罪を重ねてきたことでしょう。道無き道を進む旅。旅人は乾いた大地を、ぬかるみを、年老いた体で踏みしめていく。これまでの旅を見つめながら。これまでの自分を見つめながら。一つ歩みを進める度、足取りはどんどん重くなり歩みも遅くなるばかりで、自分自身もどんどん歳を取っていく。一人きりの旅。同じ道を行く人は誰もいない。旅人は孤独のなか疲れ果て、もう歩みを止めてしまおうか迷い、遂には倒れてしまうけれど、夢の中で聖地と思える場所へ辿り着く。その聖地で旅人は、これまで歩き続けていた自分の人生を肯定され、先に進め、と言われたように感じます。旅人は目を覚ましました。体は疲れきったまま。このまま倒れていればきっと死んでしまって、旅からも解放され楽になれるけれど、自分は先へ進まなければならない。進みたい。旅人は次の歩みに希望を持って立ち上がります・・・。再び歩き出したその足取りは重く、歩みも遅く、孤独のまま目的地もないけれど、歩き続けます。確実に、一歩一歩。
「我」という言葉を「きみ」と歌う部分があるので、ああ、これは旅人が自分自身へ歌っている曲なのかもしれないな、と思います。旅人が歩いている一人きりの旅・・・きっと、それは人生そのもの。自分自身を見つめながら歩く旅。だからこの曲は『Life』という名を持っているのでしょう。しかしそのLifeという言葉は単に「人生」だけを指すのではなく、「夢」も指すような気がします。
旅が自分にとって長かったのか短かったのか、楽しかったのか辛かったのかは、旅が終わるその時にしかわからない。だから簡単に終わらせてはいけない。
目を閉じてこの曲を聴き情景を思い浮かべると、自分も旅人の一人だ、と感じます。
SIAM SHADEはこの曲を出した1年後に解散しました。けれどそれは旅を終えたからではないと思います。幸運にも同じ道を歩く仲間を見つけ、その仲間と旅を続け、ある時から分かれ道と出逢い、それぞれが一人の旅に戻っただけ。旅は続いています、きっと。
この曲はSIAM SHADEの最高傑作と言っても過言ではありません。この曲を聴いて少しでも自分自身を褒めるなり叱るなりして認めてあげられたら、今度は同じくSIAM SHADEの『曇りのち晴れ』を聴いてみるのはいかがでしょうか。
言葉に出来ない気持ちをこの曲の歌詞が代弁して歌ってくれると思います。
わたしが解釈したこの曲の物語は以下の通りです。PVを観ながらこの曲を聴いたうえで感じた勝手な解釈なので鵜呑みにせず、自分なりの物語をこの曲から感じ取ってくだされば嬉しいです。
年老いた旅人は、目的地もなく長い長い間歩き続けていた。旅人がどんな理由で旅を始めたのかは、今はもう旅人しか知らない。きっと様々な場所で様々な悲しみと出逢い、望んではいなくても罪を重ねてきたことでしょう。道無き道を進む旅。旅人は乾いた大地を、ぬかるみを、年老いた体で踏みしめていく。これまでの旅を見つめながら。これまでの自分を見つめながら。一つ歩みを進める度、足取りはどんどん重くなり歩みも遅くなるばかりで、自分自身もどんどん歳を取っていく。一人きりの旅。同じ道を行く人は誰もいない。旅人は孤独のなか疲れ果て、もう歩みを止めてしまおうか迷い、遂には倒れてしまうけれど、夢の中で聖地と思える場所へ辿り着く。その聖地で旅人は、これまで歩き続けていた自分の人生を肯定され、先に進め、と言われたように感じます。旅人は目を覚ましました。体は疲れきったまま。このまま倒れていればきっと死んでしまって、旅からも解放され楽になれるけれど、自分は先へ進まなければならない。進みたい。旅人は次の歩みに希望を持って立ち上がります・・・。再び歩き出したその足取りは重く、歩みも遅く、孤独のまま目的地もないけれど、歩き続けます。確実に、一歩一歩。
「我」という言葉を「きみ」と歌う部分があるので、ああ、これは旅人が自分自身へ歌っている曲なのかもしれないな、と思います。旅人が歩いている一人きりの旅・・・きっと、それは人生そのもの。自分自身を見つめながら歩く旅。だからこの曲は『Life』という名を持っているのでしょう。しかしそのLifeという言葉は単に「人生」だけを指すのではなく、「夢」も指すような気がします。
旅が自分にとって長かったのか短かったのか、楽しかったのか辛かったのかは、旅が終わるその時にしかわからない。だから簡単に終わらせてはいけない。
目を閉じてこの曲を聴き情景を思い浮かべると、自分も旅人の一人だ、と感じます。
SIAM SHADEはこの曲を出した1年後に解散しました。けれどそれは旅を終えたからではないと思います。幸運にも同じ道を歩く仲間を見つけ、その仲間と旅を続け、ある時から分かれ道と出逢い、それぞれが一人の旅に戻っただけ。旅は続いています、きっと。
この曲はSIAM SHADEの最高傑作と言っても過言ではありません。この曲を聴いて少しでも自分自身を褒めるなり叱るなりして認めてあげられたら、今度は同じくSIAM SHADEの『曇りのち晴れ』を聴いてみるのはいかがでしょうか。
*注意*
長文すぎる長文です。
読み終えることができた方には感謝状を贈りたいくらい。
エリザベートの魂を、瀕死の彼女が埋葬されたいと望んだ地・ギリシアのコルフ島へ連れて行けたらいいのに。オーストリア皇后として棺に閉じ込めるのではなく、解き放てたらいいのに。
どうして彼女は心臓を刺されているのに平然と歩き続けたのでしょうか?
この本が示してくれた1つの答えは、彼女がとうに異界の住人だったから、というものでした。確かに、自分が死にそうだというのに慌てている周りの人に「何事です」と尋ねるだなんて奇妙です。痛い、とも刺された、とも言わずに次に乗るべき船へ向かって歩き続けた彼女・・・。オーストリア皇后という日々から逃れるため、わざと病気になるよう体を傷つけたり美貌を損うよう自分を痛めつけた彼女だから、早く死んでしまいたくて歩き続けたのかもしれません。或いは刺されたことに無関心で、痛みにも無関心で、自分が死ぬということにも大して心が動かなかったのかもしれません。
彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう要請したのはなぜなのでしょうか?
突然現れたその男が自分を刺したことで、自分は間違いなく死に至るだろうというのに。彼女はその男が自分に死を与えてくれたことに感謝していたのでしょうか? 愛する人たちが去ってしまったこの世界から自分も去りたかったのでしょうか? 彼女はこの世界で苦しみばかりを感じていたのでしょうか?
・・・わたしはそうは思いません。まず1つめの、なぜ彼女が歩き続けたのかについて。彼女は船に乗って自分の居場所を探しに行きたかっただけだと思うのです。ずっと旅を続けていた彼女でしたが、どこへ行っても彼女は滞在中のオーストリア皇后エリザベートであり、ハンガリーに行けばハンガリー女王でありハンガリーの恋人エルジェーベトになれるけれど、「シシィ」と呼ばれていた昔の自由な自分に戻れる場所がわからなくなっていたのだと思います。生まれ育ったバイエルンに帰ってももう昔には戻れない。15歳のあの日から全てが変わってしまった。彼女の姉と結婚するはずだった23歳の皇帝フランツ・ヨーゼフは、見合いの席に同席した彼女に一目惚れし結婚を申し込んでしまった。断ることは許されない。乗馬が好きで詩を書くのが好きで空想が大好きで勉強が嫌いで行儀良くすることが嫌いで作り笑いも嫌いだった彼女は、厳しい皇后教育をされ皇后として振る舞うことだけを求められ綺麗なドレスを着せられ微笑みを求められた。それらから逃げるために自分を傷つけ、その代償に旅に出られるようになった彼女。彼女は「シシィ」を殺してしまった、とこの本には書かれています。・・・でも、それは違うと思います。「シシィ」が「オーストリア皇后エリザベート」に殺されてしまったのなら、彼女が旅に出る必要なんてない。「シシィ」を生かし続けるために、彼女は歩き続けたのだと思います。「シシィ」が生きられる場所を求めて。
2つめの、なぜ彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう望んだのかについて。それは彼女がマイノリティとされる人々を愛していたからだと思います。身体障害者、負傷兵、政治亡命者、コレラ患者、危篤患者、精神病者(P124から引用)、この本には書かれていないけれど知的障害者や同性愛者や犯罪者にも彼女は共感と理解を示しました。彼女はオーストリア皇后でありハンガリー女王ではあったけれど君主制を嫌う熱烈な共和主義者でもありました。ソルフェリーノ戦争の際救護所を作り早く戦争を終わらせるよう皇帝に働きかけたり、普墺戦争(プロイセンとオーストリアの戦争)の際看護婦として病院を慰問して回りマリア・テレジアを彷彿とさせるパフォーマンスを行いハンガリーの支援を勝ち取ったり、そしてその支援の見返りにハンガリーを独立させることまで成し遂げました。精神病院を慰問した際など、彼女に向かって「なんて無礼な女なの。その女は偽者です。わたしがエリザベートです」と精神病を患う女性が言い放った時、彼女はその女性に労わりの言葉をかけたそうです。彼女は自分と同じように何かに苦しんでいる人を更に苦しめるようなことはしませんでした。その人が少しでも幸せになれるよう自分に出来ることをしたいと思っていたのです。そんな彼女だから、自分を刺してしまった男の恩赦を願ったのは当然だとわたしは思うのです。皇后であり女王である彼女を殺してしまったら、その男が死刑か終身刑になるのは目に見えていますから。結局彼女の死後、彼女のその要請は叶わず男は終身刑になってしまったのですが、彼女自身は男が救われることを願っていた・・・とわたしは思わずにはいられないのです。
真実は彼女にしかわかりません。彼女の気持ちは彼女だけのものですから。
なんだか少々この本の悪口を言ってしまったようですが、勿論この本に感謝もしていますよ。悪く評されがちな彼女の姑・ゾフィーの名誉を回復させる文章を紹介してくれましたし、皮肉なことに生涯美貌を保った彼女の写真も絵も沢山見ることが出来ましたし、彼女が自己嫌悪を持ちつつも自己愛もちゃんと持っていたことを教えてくれました。皇帝が彼女に寄せた友情と愛を感じることができました。そして皇帝以外に彼女を女王以上の存在として愛した人たちの存在を知ることができました。それから・・・エリザベートが最期に言った言葉を知ってわたしは不謹慎にも嬉しくなったのです。
ああ、彼女には留まりたいと思える場所があったのだ、と。
彼女を本当にそこへ連れて行くことは不可能です。だからわたしは彼女が愛した、想像という手段によって彼女を連れて行きましょう。コルフ島の海辺へ。わたしは想像します。彼女が鳥になって自由に飛んでいる姿や(どんな鳥でもいいけれど、ハプスブルクのシンボル・双頭の鷲だけは嫌ですよ)、乗馬を思いっきりしている姿、風変わりな父親と彼女がツィターやマンドリンを弾いて笑っている姿、彼女がコルフ島に埋葬され棺が朽ち彼女が土と同化できることなどを。・・・所詮はただの想像でしかないのですけれど。実際は彼女の遺体は彼女が嫌ったオーストリア皇后の遺体としてお墓にあるのです。けれど無力さを感じても、ついついわたしはそんな想像をしてしまうのです。わたしは彼女が大好きですから。
長文すぎる長文です。
読み終えることができた方には感謝状を贈りたいくらい。
エリザベートの魂を、瀕死の彼女が埋葬されたいと望んだ地・ギリシアのコルフ島へ連れて行けたらいいのに。オーストリア皇后として棺に閉じ込めるのではなく、解き放てたらいいのに。
どうして彼女は心臓を刺されているのに平然と歩き続けたのでしょうか?
この本が示してくれた1つの答えは、彼女がとうに異界の住人だったから、というものでした。確かに、自分が死にそうだというのに慌てている周りの人に「何事です」と尋ねるだなんて奇妙です。痛い、とも刺された、とも言わずに次に乗るべき船へ向かって歩き続けた彼女・・・。オーストリア皇后という日々から逃れるため、わざと病気になるよう体を傷つけたり美貌を損うよう自分を痛めつけた彼女だから、早く死んでしまいたくて歩き続けたのかもしれません。或いは刺されたことに無関心で、痛みにも無関心で、自分が死ぬということにも大して心が動かなかったのかもしれません。
彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう要請したのはなぜなのでしょうか?
突然現れたその男が自分を刺したことで、自分は間違いなく死に至るだろうというのに。彼女はその男が自分に死を与えてくれたことに感謝していたのでしょうか? 愛する人たちが去ってしまったこの世界から自分も去りたかったのでしょうか? 彼女はこの世界で苦しみばかりを感じていたのでしょうか?
・・・わたしはそうは思いません。まず1つめの、なぜ彼女が歩き続けたのかについて。彼女は船に乗って自分の居場所を探しに行きたかっただけだと思うのです。ずっと旅を続けていた彼女でしたが、どこへ行っても彼女は滞在中のオーストリア皇后エリザベートであり、ハンガリーに行けばハンガリー女王でありハンガリーの恋人エルジェーベトになれるけれど、「シシィ」と呼ばれていた昔の自由な自分に戻れる場所がわからなくなっていたのだと思います。生まれ育ったバイエルンに帰ってももう昔には戻れない。15歳のあの日から全てが変わってしまった。彼女の姉と結婚するはずだった23歳の皇帝フランツ・ヨーゼフは、見合いの席に同席した彼女に一目惚れし結婚を申し込んでしまった。断ることは許されない。乗馬が好きで詩を書くのが好きで空想が大好きで勉強が嫌いで行儀良くすることが嫌いで作り笑いも嫌いだった彼女は、厳しい皇后教育をされ皇后として振る舞うことだけを求められ綺麗なドレスを着せられ微笑みを求められた。それらから逃げるために自分を傷つけ、その代償に旅に出られるようになった彼女。彼女は「シシィ」を殺してしまった、とこの本には書かれています。・・・でも、それは違うと思います。「シシィ」が「オーストリア皇后エリザベート」に殺されてしまったのなら、彼女が旅に出る必要なんてない。「シシィ」を生かし続けるために、彼女は歩き続けたのだと思います。「シシィ」が生きられる場所を求めて。
2つめの、なぜ彼女が自分を刺した男に恩赦が与えられるよう望んだのかについて。それは彼女がマイノリティとされる人々を愛していたからだと思います。身体障害者、負傷兵、政治亡命者、コレラ患者、危篤患者、精神病者(P124から引用)、この本には書かれていないけれど知的障害者や同性愛者や犯罪者にも彼女は共感と理解を示しました。彼女はオーストリア皇后でありハンガリー女王ではあったけれど君主制を嫌う熱烈な共和主義者でもありました。ソルフェリーノ戦争の際救護所を作り早く戦争を終わらせるよう皇帝に働きかけたり、普墺戦争(プロイセンとオーストリアの戦争)の際看護婦として病院を慰問して回りマリア・テレジアを彷彿とさせるパフォーマンスを行いハンガリーの支援を勝ち取ったり、そしてその支援の見返りにハンガリーを独立させることまで成し遂げました。精神病院を慰問した際など、彼女に向かって「なんて無礼な女なの。その女は偽者です。わたしがエリザベートです」と精神病を患う女性が言い放った時、彼女はその女性に労わりの言葉をかけたそうです。彼女は自分と同じように何かに苦しんでいる人を更に苦しめるようなことはしませんでした。その人が少しでも幸せになれるよう自分に出来ることをしたいと思っていたのです。そんな彼女だから、自分を刺してしまった男の恩赦を願ったのは当然だとわたしは思うのです。皇后であり女王である彼女を殺してしまったら、その男が死刑か終身刑になるのは目に見えていますから。結局彼女の死後、彼女のその要請は叶わず男は終身刑になってしまったのですが、彼女自身は男が救われることを願っていた・・・とわたしは思わずにはいられないのです。
真実は彼女にしかわかりません。彼女の気持ちは彼女だけのものですから。
なんだか少々この本の悪口を言ってしまったようですが、勿論この本に感謝もしていますよ。悪く評されがちな彼女の姑・ゾフィーの名誉を回復させる文章を紹介してくれましたし、皮肉なことに生涯美貌を保った彼女の写真も絵も沢山見ることが出来ましたし、彼女が自己嫌悪を持ちつつも自己愛もちゃんと持っていたことを教えてくれました。皇帝が彼女に寄せた友情と愛を感じることができました。そして皇帝以外に彼女を女王以上の存在として愛した人たちの存在を知ることができました。それから・・・エリザベートが最期に言った言葉を知ってわたしは不謹慎にも嬉しくなったのです。
ああ、彼女には留まりたいと思える場所があったのだ、と。
彼女を本当にそこへ連れて行くことは不可能です。だからわたしは彼女が愛した、想像という手段によって彼女を連れて行きましょう。コルフ島の海辺へ。わたしは想像します。彼女が鳥になって自由に飛んでいる姿や(どんな鳥でもいいけれど、ハプスブルクのシンボル・双頭の鷲だけは嫌ですよ)、乗馬を思いっきりしている姿、風変わりな父親と彼女がツィターやマンドリンを弾いて笑っている姿、彼女がコルフ島に埋葬され棺が朽ち彼女が土と同化できることなどを。・・・所詮はただの想像でしかないのですけれど。実際は彼女の遺体は彼女が嫌ったオーストリア皇后の遺体としてお墓にあるのです。けれど無力さを感じても、ついついわたしはそんな想像をしてしまうのです。わたしは彼女が大好きですから。
危険な趣味こそ面白い
2007年6月3日 刺繍。
『下妻物語』を観てからというもの、刺繍をしたくてしたくてたまりません。
刺繍。
途方もない時間を1つの作品に費やす、危険な趣味のひとつ。1つの作品に20時間以上かかることだって珍しくはないのです。黙々と針を刺していく作業。集中力と忍耐が必要とされます。
それでいて優雅でお洒落な趣味のひとつ。センスを試されます。何かを作り出したり美しく装飾することは、心の栄養になります。
惹かれます☆
今日わたしの足は正直に、手芸屋さんに向かいました。
手芸屋さんでレースやレース糸やビーズなどを見ているうちに「いつも使っているバッグに刺繍をしてリメイクしたいな」「どんな刺繍がいいかな」「古着にレースをつけてみたいな。レースを自分で編みたいな」「レースそのものの色ではなく染色したらどうなるんだろう?」と胸が躍りました。
今月は出費がかなり多く、刺繍代を捻出できないため来月! 刺繍を始めたいと思います。それまでに本を読んでイメージを豊かにしておかなくっちゃあ♪
『下妻物語』を観てからというもの、刺繍をしたくてしたくてたまりません。
刺繍。
途方もない時間を1つの作品に費やす、危険な趣味のひとつ。1つの作品に20時間以上かかることだって珍しくはないのです。黙々と針を刺していく作業。集中力と忍耐が必要とされます。
それでいて優雅でお洒落な趣味のひとつ。センスを試されます。何かを作り出したり美しく装飾することは、心の栄養になります。
惹かれます☆
今日わたしの足は正直に、手芸屋さんに向かいました。
手芸屋さんでレースやレース糸やビーズなどを見ているうちに「いつも使っているバッグに刺繍をしてリメイクしたいな」「どんな刺繍がいいかな」「古着にレースをつけてみたいな。レースを自分で編みたいな」「レースそのものの色ではなく染色したらどうなるんだろう?」と胸が躍りました。
今月は出費がかなり多く、刺繍代を捻出できないため来月! 刺繍を始めたいと思います。それまでに本を読んでイメージを豊かにしておかなくっちゃあ♪
中島哲也監督 『下妻物語』
2007年6月2日 映画
冷めたロリータと純情なヤンキーのおはなし。
原作は嶽本野ばらさん。
本編が始まる前の画面にバーンと黄色い「和亜任愚」の文字が出てきました。ワーニング・・・ワーニングを当て字に? 暴走族が着る特攻服の刺繍風の書体で? 映画が始まる前のその注意事項は「どーぞなにゆえ、ご理解ください」とシメられてしまいました。はーい、ご理解致しました。
これは絶対面白い映画だぞ、遊び心あるぞ、とわくわくしているうちに本編スタート。
ふりふりのBABY,THE STARS SHINE BRIGHTのお洋服を着た深田恭子さん、可愛いっ。BABYのお洋服はレースとフリルと刺繍が満載の、乙女のためのお洋服。そのお洋服が似合うくるくるの金髪をしている女の子、それが深田恭子さん演じる竜ヶ崎桃子。好きな音楽はヨハン・シュトラウス。好きなイラストレーターは高橋真琴(ですよね?)。趣味は刺繍。腕力も握力もないし泳ぐこともできません。体育はいつも見学。ちょっとしたことですぐ気を失うところなんて、ロココ時代の貴婦人のよう? 彼女の楽しみは、茨城県下妻から東京代官山のBABYのお店までお洋服を買いに行くこと。BABYの真っ白な靴で牛さんの落とし物を踏んでしまい落とし物を取ろうと一生懸命地面に靴をこすり付けているところ、下唇をぷくっと出して困った表情をしているところ、イチコの名前を知って作り笑いではなく心からニマッと笑っているところ、竜二が白いエナメルの靴を履いていることに気づき口をあんぐり開けている表情・・・可愛いところを挙げだしたらきりがありません。けれど彼女は冷めたロリータ。可愛いのにどこか残酷な香り。「人は一人じゃ生きられないなんて、だったらわたしは人じゃなくていい」と桃子は言います。友達はいないし友達を必要ともしません。彼女は全てを客観視しているようです。
長〜いスカートを穿きサングラスをかけ黒い口紅を塗り目を黒く濃く囲んだ土屋アンナさんは、純情なヤンキー・白百合イチコ役・・・でも本当はイチコじゃないんですよ(彼女の意思を酌んで「イチコ」と書き続けますね)。ばりばりに改造したバイク・・・ではなく原動機付き自転車でぱらりらぱらりらと御登場。ぶうんぶうんと砂埃をあげ、睨みを効かせ、ガムをくちゃくちゃ噛みながら気だるそうに歩みを進めるその姿。なんか格好いい!とわたしはうっかりキャーキャー言ってしまいました。「ならば桃子さんに、お引継ぎ、いただけますでしょうか」。・・・イチコ、日本語が不自由です。「〜コラァ!」「すっげえ」「〜ねえかよ!」。特攻服の背中には「御意見無様」の文字。・・・マジで無様っすアネゴっ・・・。髪の毛は金色と黒が混じっているいわゆるプリン状態で、所作もワイルド。白目もむきます。けれどイチコはとっても純情なのです。人なつっこいのです。熱いのです。はっきり言うと、転校生の女の子へ淡い恋心を抱いているガキ大将みたいなのです(わかりにくいたとえですねー)。自分と全然違うタイプの桃子に興味津々で、何かと桃子の家へ遊びに行っては自分の主義や夢について長々と語り、桃子に将来のことについてお説教をし、構ってもらえないとストローで飲み物に泡を立てたり桃子が音楽を聴いているのにヘッドフォンを取ったり自分の鼻の穴にタバコを入れて火をつけてみたりとちょっかいを出してばっかりで、頭突きやら蹴りやら暴力もふるいます。でもイチコの目はきらきらしています。パチンコ屋で尾崎豊の曲が流れてきたことにニヤリと笑い「負ける気がしねぇぜ☆」と挑んだのに惨敗してパチンコ台に倒れかかったところ、可愛かった。
育った環境も主義も服装も全然違う2人ですが、やがては仲良くなっていきます。
それはきっと、お互いがお互いの分身のような面を持っているから。
桃子にも気性の激しい面があるし、イチコにも女の子らしいウブな面がある。人に誤解をされることを恐れていない。極端な服装(桃子いわく「人は見ためだもの」。服装は本人を表すんですよね)。自分自身に正直。でも桃子は「ねじまがってまーす」と本人が言う通りやっぱりどこかが極端に曲がっていて、イチコはまっすぐ。
お互い同じ面がありつつも全然違うから惹かれ合うのだと思います。磁石のS極とM極みたいに。
けれど、もしこの2人が同性同士ではなく異性だったとしても恋愛には発展しそうにない感じがします。イチコは桃子に惚れまくりかもしれませんが、桃子は一生恋愛に興味を示すことがないかもしれませんから。だってロリータなのですもの。
以下は徒然なるままにつぶやきを書いていきます。
-------------------
高橋真琴さんの本『ロリータの一生』、実際に出版されていたらいいのに(あれって高橋真琴さんのイラストですよね?)。
桃子とパチンコ屋の店長と店員が偶然3人とも赤いチェック柄を着ていて、桃子だけがそれに気づいていたのには笑いました。桃子って、色んなことをよく見ているのですね。竜二の白いエナメルの靴にもすぐ気がついたし。
この映画のナレーターは深田恭子さん。甘い声なのに淡々と話すのが素敵。
竜二役の安倍サダヲさん、まさか1人2役をやっていたとは・・・。てっきり産婦人科医役は及川ミッチーかと。
BABYの社長さんが本当に岡田義徳さんが演じてらっしゃるような方(小指を立ててる感じ)だったら面白いのに。でも実際の磯部社長はごく普通の方だそうですよ。虚構と現実とはちゃんと区別しなくっちゃあね。
篠原涼子さん、せくしー!!
わたしも希林樹木さん演じる桃子の祖母のように、誰かに「おめの道を行け」と言えるようになりたいです。こういうこと言ってくれる人、なかなかいないですもの。わたしも誰かに言って欲しいですし。
あの八百屋さんどうなったのでしょ。野菜が結ぶ恋の行方は?
それにしても「自分捨てなきゃ大人になれねぇんだったらアタイはガキのまんまでいいっすよ!」と啖呵を切った時のイチコ、格好良かったなあ。
原作は嶽本野ばらさん。
本編が始まる前の画面にバーンと黄色い「和亜任愚」の文字が出てきました。ワーニング・・・ワーニングを当て字に? 暴走族が着る特攻服の刺繍風の書体で? 映画が始まる前のその注意事項は「どーぞなにゆえ、ご理解ください」とシメられてしまいました。はーい、ご理解致しました。
これは絶対面白い映画だぞ、遊び心あるぞ、とわくわくしているうちに本編スタート。
ふりふりのBABY,THE STARS SHINE BRIGHTのお洋服を着た深田恭子さん、可愛いっ。BABYのお洋服はレースとフリルと刺繍が満載の、乙女のためのお洋服。そのお洋服が似合うくるくるの金髪をしている女の子、それが深田恭子さん演じる竜ヶ崎桃子。好きな音楽はヨハン・シュトラウス。好きなイラストレーターは高橋真琴(ですよね?)。趣味は刺繍。腕力も握力もないし泳ぐこともできません。体育はいつも見学。ちょっとしたことですぐ気を失うところなんて、ロココ時代の貴婦人のよう? 彼女の楽しみは、茨城県下妻から東京代官山のBABYのお店までお洋服を買いに行くこと。BABYの真っ白な靴で牛さんの落とし物を踏んでしまい落とし物を取ろうと一生懸命地面に靴をこすり付けているところ、下唇をぷくっと出して困った表情をしているところ、イチコの名前を知って作り笑いではなく心からニマッと笑っているところ、竜二が白いエナメルの靴を履いていることに気づき口をあんぐり開けている表情・・・可愛いところを挙げだしたらきりがありません。けれど彼女は冷めたロリータ。可愛いのにどこか残酷な香り。「人は一人じゃ生きられないなんて、だったらわたしは人じゃなくていい」と桃子は言います。友達はいないし友達を必要ともしません。彼女は全てを客観視しているようです。
長〜いスカートを穿きサングラスをかけ黒い口紅を塗り目を黒く濃く囲んだ土屋アンナさんは、純情なヤンキー・白百合イチコ役・・・でも本当はイチコじゃないんですよ(彼女の意思を酌んで「イチコ」と書き続けますね)。ばりばりに改造したバイク・・・ではなく原動機付き自転車でぱらりらぱらりらと御登場。ぶうんぶうんと砂埃をあげ、睨みを効かせ、ガムをくちゃくちゃ噛みながら気だるそうに歩みを進めるその姿。なんか格好いい!とわたしはうっかりキャーキャー言ってしまいました。「ならば桃子さんに、お引継ぎ、いただけますでしょうか」。・・・イチコ、日本語が不自由です。「〜コラァ!」「すっげえ」「〜ねえかよ!」。特攻服の背中には「御意見無様」の文字。・・・マジで無様っすアネゴっ・・・。髪の毛は金色と黒が混じっているいわゆるプリン状態で、所作もワイルド。白目もむきます。けれどイチコはとっても純情なのです。人なつっこいのです。熱いのです。はっきり言うと、転校生の女の子へ淡い恋心を抱いているガキ大将みたいなのです(わかりにくいたとえですねー)。自分と全然違うタイプの桃子に興味津々で、何かと桃子の家へ遊びに行っては自分の主義や夢について長々と語り、桃子に将来のことについてお説教をし、構ってもらえないとストローで飲み物に泡を立てたり桃子が音楽を聴いているのにヘッドフォンを取ったり自分の鼻の穴にタバコを入れて火をつけてみたりとちょっかいを出してばっかりで、頭突きやら蹴りやら暴力もふるいます。でもイチコの目はきらきらしています。パチンコ屋で尾崎豊の曲が流れてきたことにニヤリと笑い「負ける気がしねぇぜ☆」と挑んだのに惨敗してパチンコ台に倒れかかったところ、可愛かった。
育った環境も主義も服装も全然違う2人ですが、やがては仲良くなっていきます。
それはきっと、お互いがお互いの分身のような面を持っているから。
桃子にも気性の激しい面があるし、イチコにも女の子らしいウブな面がある。人に誤解をされることを恐れていない。極端な服装(桃子いわく「人は見ためだもの」。服装は本人を表すんですよね)。自分自身に正直。でも桃子は「ねじまがってまーす」と本人が言う通りやっぱりどこかが極端に曲がっていて、イチコはまっすぐ。
お互い同じ面がありつつも全然違うから惹かれ合うのだと思います。磁石のS極とM極みたいに。
けれど、もしこの2人が同性同士ではなく異性だったとしても恋愛には発展しそうにない感じがします。イチコは桃子に惚れまくりかもしれませんが、桃子は一生恋愛に興味を示すことがないかもしれませんから。だってロリータなのですもの。
以下は徒然なるままにつぶやきを書いていきます。
-------------------
高橋真琴さんの本『ロリータの一生』、実際に出版されていたらいいのに(あれって高橋真琴さんのイラストですよね?)。
桃子とパチンコ屋の店長と店員が偶然3人とも赤いチェック柄を着ていて、桃子だけがそれに気づいていたのには笑いました。桃子って、色んなことをよく見ているのですね。竜二の白いエナメルの靴にもすぐ気がついたし。
この映画のナレーターは深田恭子さん。甘い声なのに淡々と話すのが素敵。
竜二役の安倍サダヲさん、まさか1人2役をやっていたとは・・・。てっきり産婦人科医役は及川ミッチーかと。
BABYの社長さんが本当に岡田義徳さんが演じてらっしゃるような方(小指を立ててる感じ)だったら面白いのに。でも実際の磯部社長はごく普通の方だそうですよ。虚構と現実とはちゃんと区別しなくっちゃあね。
篠原涼子さん、せくしー!!
わたしも希林樹木さん演じる桃子の祖母のように、誰かに「おめの道を行け」と言えるようになりたいです。こういうこと言ってくれる人、なかなかいないですもの。わたしも誰かに言って欲しいですし。
あの八百屋さんどうなったのでしょ。野菜が結ぶ恋の行方は?
それにしても「自分捨てなきゃ大人になれねぇんだったらアタイはガキのまんまでいいっすよ!」と啖呵を切った時のイチコ、格好良かったなあ。
この曲、PVが面白いのでPVをストーリー仕立てで御紹介いたします。
PVは昭和ちっくで素敵です。
このストーリー、わたしが思いっきり脚色しているので鵜呑みにしないでください。PVにセリフはありません。
工場で働いているお父さん。ただいま〜と家へ帰ってみると娘(木村多恵)が男(西川貴教)を居間に連れて来ていました! 平静を装いつつ男に作り笑いで挨拶するお父さん。お母さんが飲み物を運んできて、みんなで談笑して表面上は和やかムード。しかし娘が男に「どんなセーターを編もうかしら」と雑誌を見ながら相談し始めたのを見て、お父さん、ジェラシーめらめら。
お父さん、夜になると行きつけの飲み屋に行きました。工場の仲間っぽい同じ年代のおじさんに「実は今日、うちの娘が男を連れて来てな・・・」と愚痴をこぼします。仲間は「○○ちゃんも年頃だからなあ。息子が出来るかもしれないぞ。いいことじゃないか」とお父さんを励まします。浮かない顔のお父さん。同じく同年代っぽい飲み屋のママも微笑みながら「寂しがってちゃだめよ。どんな人なの?」とお父さんに尋ねます。お父さんはハッとしました。飲み屋のテレビ画面に、今日娘が連れて来た男が映っていることに気づいたのです! 男、歌っています。お父さん、テレビを指差して「あ、あの男だ!」。工場の仲間は「あー、ありゃ○○だろ?」。飲み屋のママも「まあ、最近人気の歌手なんですよ」と男を褒めます。お父さん、がっかり。テーブルに突っ伏して嘆きます。「大事に育ててきた可愛い一人娘を歌手ふぜいに取られるのか?」
お父さん、ヘロヘロで家に帰って来ました。ちょっと飲みすぎたみたいです。娘の様子を見ると、娘はセーターを編み始めているようでした。雑誌を見ながら心を込めて編んでいる・・・。あの男のために編んでいるのか・・・!? お父さんの心が火を噴きました。お父さん、工場へ向かいます。お父さん、腕まくりをしたかと思うと何と腕に電動ノコギリ(?)を当てました!
あくる日。男はスーツを着てネクタイを締め髪もセットして花束を持って家へやって来ました。娘も妙にそわそわとお洒落をしています。もしかして「娘さんを僕にください」「お父さん、わたしこの人が好きなの!」なんて言うつもりなのでしょうか。男が玄関に来たのを察知したお父さん、男の前に立ち塞がり、腕まくりをし、何と肘からロケットを発射しました!
そうです、お父さんは自分の腕を武器に改造してしまったのです。
男、ロケットをくらってしまいます。しかし無事。しかしスーツはびりびりに裂けて、へそだしルックになってしまいました。男も「来るなら来い」と拳を構えます。
お父さん、「こしゃくな・・・」と諦めずにもう1発。
男、逃げます。しかし、ただ逃げるのではなく戦況を見て反撃するつもりのようです。
娘は何が起こっているのかわからず混乱。玄関はすっかり火事です。
お父さん、男を追いかけます。男、「来いやあー!」と叫びます。男、こっちは腕そのものを発射。男もこの時のために腕を改造していたようです。娘さん美人だもんなあ。お父さんも負けじと肘からロケットを発射。
大変なことが起きます。娘が「2人とも喧嘩はやめて!」と2人の間に入ってしまったのです。娘は男が発射した腕と、お父さんが発射したロケットをつかみます。これにはお父さんも男もびっくり。お父さん、「○○、放しなさい。それを持ってちゃ危ない!」。男、「だめだ! ○○さんっ!」。けれど娘は放そうとはしません。「わたしにはどっちも大切なの・・・」とぎゅっと目をつむり、ぎゅうっと腕とロケットを抱きしめてしまいます。
爆発。
静まり返った家。
お母さんはお父さんにあるものを見せてくれました。娘が既に編みあげていたセーターです。そのセーターの上には『お父さんへ。祝 六十五歳』と書かれた封筒が置かれていました。娘がセーターを編んでいたのは、男のためではなくお父さんのためだったのです。
お父さんは肘を痛そうにさすりながら、1人で晩酌をします。
娘はどうなってしまったのでしょうか・・・。
PVは昭和ちっくで素敵です。
このストーリー、わたしが思いっきり脚色しているので鵜呑みにしないでください。PVにセリフはありません。
工場で働いているお父さん。ただいま〜と家へ帰ってみると娘(木村多恵)が男(西川貴教)を居間に連れて来ていました! 平静を装いつつ男に作り笑いで挨拶するお父さん。お母さんが飲み物を運んできて、みんなで談笑して表面上は和やかムード。しかし娘が男に「どんなセーターを編もうかしら」と雑誌を見ながら相談し始めたのを見て、お父さん、ジェラシーめらめら。
お父さん、夜になると行きつけの飲み屋に行きました。工場の仲間っぽい同じ年代のおじさんに「実は今日、うちの娘が男を連れて来てな・・・」と愚痴をこぼします。仲間は「○○ちゃんも年頃だからなあ。息子が出来るかもしれないぞ。いいことじゃないか」とお父さんを励まします。浮かない顔のお父さん。同じく同年代っぽい飲み屋のママも微笑みながら「寂しがってちゃだめよ。どんな人なの?」とお父さんに尋ねます。お父さんはハッとしました。飲み屋のテレビ画面に、今日娘が連れて来た男が映っていることに気づいたのです! 男、歌っています。お父さん、テレビを指差して「あ、あの男だ!」。工場の仲間は「あー、ありゃ○○だろ?」。飲み屋のママも「まあ、最近人気の歌手なんですよ」と男を褒めます。お父さん、がっかり。テーブルに突っ伏して嘆きます。「大事に育ててきた可愛い一人娘を歌手ふぜいに取られるのか?」
お父さん、ヘロヘロで家に帰って来ました。ちょっと飲みすぎたみたいです。娘の様子を見ると、娘はセーターを編み始めているようでした。雑誌を見ながら心を込めて編んでいる・・・。あの男のために編んでいるのか・・・!? お父さんの心が火を噴きました。お父さん、工場へ向かいます。お父さん、腕まくりをしたかと思うと何と腕に電動ノコギリ(?)を当てました!
あくる日。男はスーツを着てネクタイを締め髪もセットして花束を持って家へやって来ました。娘も妙にそわそわとお洒落をしています。もしかして「娘さんを僕にください」「お父さん、わたしこの人が好きなの!」なんて言うつもりなのでしょうか。男が玄関に来たのを察知したお父さん、男の前に立ち塞がり、腕まくりをし、何と肘からロケットを発射しました!
そうです、お父さんは自分の腕を武器に改造してしまったのです。
男、ロケットをくらってしまいます。しかし無事。しかしスーツはびりびりに裂けて、へそだしルックになってしまいました。男も「来るなら来い」と拳を構えます。
お父さん、「こしゃくな・・・」と諦めずにもう1発。
男、逃げます。しかし、ただ逃げるのではなく戦況を見て反撃するつもりのようです。
娘は何が起こっているのかわからず混乱。玄関はすっかり火事です。
お父さん、男を追いかけます。男、「来いやあー!」と叫びます。男、こっちは腕そのものを発射。男もこの時のために腕を改造していたようです。娘さん美人だもんなあ。お父さんも負けじと肘からロケットを発射。
大変なことが起きます。娘が「2人とも喧嘩はやめて!」と2人の間に入ってしまったのです。娘は男が発射した腕と、お父さんが発射したロケットをつかみます。これにはお父さんも男もびっくり。お父さん、「○○、放しなさい。それを持ってちゃ危ない!」。男、「だめだ! ○○さんっ!」。けれど娘は放そうとはしません。「わたしにはどっちも大切なの・・・」とぎゅっと目をつむり、ぎゅうっと腕とロケットを抱きしめてしまいます。
爆発。
静まり返った家。
お母さんはお父さんにあるものを見せてくれました。娘が既に編みあげていたセーターです。そのセーターの上には『お父さんへ。祝 六十五歳』と書かれた封筒が置かれていました。娘がセーターを編んでいたのは、男のためではなくお父さんのためだったのです。
お父さんは肘を痛そうにさすりながら、1人で晩酌をします。
娘はどうなってしまったのでしょうか・・・。
メイドさんと執事さんがいる生活を想像してみる
2007年5月29日 もしもお家にメイドさんや執事さんが居たら・・・♪
そんな空想をせずにはいられぬ今日この頃でございます。
朝は、栗山千明さんのように見目麗しく繊細で優雅で話題が豊富で、でも怒ると怖い戦闘派メイドさんに起こして欲しいです。ぱっちり目が覚めると思います。そのメイドさんの武器ははたき。ちなみに鉄製。制服は黒を基調とし白いアンティークレースをあしらったヘッドドレス付きで、腰は中原淳一ちっくにキュッと細いものを。制服制作にはVictorian maidenに協力してもらおう。時々、このメイドさんと明治チョコレートのCM(桑田佳祐さんが出ている)のようにチェスがしたいです。・・・負ける気満々ですが、何か?(爆)
毎日の送迎は『DEATH NOTE』に登場するワタリのように慈愛に満ち冷静さも兼ね備え狙撃もできるスーパー・じいちゃんにお願いしたいです。執事頭としての待遇を約束したいです☆ 毎日運転してもらうお車は、BENTLEYの1952年 R-type Continentalがとってもとっても素晴らしい。クラシック!(あくまで希望なので・・・。実際走ったら環境破壊もいいとこなのでは?)。この執事頭さんと、ぽかぽか陽気の日は一緒に縁側に座ってひなたぼっこしたいなあ。眠れない夜は詩や小説も朗読してもらうのです。ゲーテの『ファウスト』とか。ダンテの『新曲』もいいないいな。絵本ならエロール・ル・カインの『おどる12人の王女さま』も素敵。
執事さんはもう1人居て欲しくって、お茶の時間にはイ・ジュンギ似のスッとした艶っぽい、でも目を細めてにこっと笑う顔がとっても純朴な執事さんにお茶を淹れたり手作りクッキーを焼いたりして欲しいです。お花を育てたりペットの世話もして欲しい☆(*^v^*) 教室に忘れものも届けて欲し〜い。わざと忘れ物しよう。この執事さんは黒縁眼鏡装備で、その黒縁眼鏡のフレームを指で摘むとまるで『セーラームーン』のセーラーマーキュリーの眼鏡の如くレンズにハイテク画面が現れる仕掛け。この執事さん、表向きは執事で本業はネクタイ戦士なのです。特にネーミングに意味はありません。
・・・わたし、もう5月も末だというのに今から5月病でしょうかね? それとも新入社員がかかるという6月病?
そんな空想をせずにはいられぬ今日この頃でございます。
朝は、栗山千明さんのように見目麗しく繊細で優雅で話題が豊富で、でも怒ると怖い戦闘派メイドさんに起こして欲しいです。ぱっちり目が覚めると思います。そのメイドさんの武器ははたき。ちなみに鉄製。制服は黒を基調とし白いアンティークレースをあしらったヘッドドレス付きで、腰は中原淳一ちっくにキュッと細いものを。制服制作にはVictorian maidenに協力してもらおう。時々、このメイドさんと明治チョコレートのCM(桑田佳祐さんが出ている)のようにチェスがしたいです。・・・負ける気満々ですが、何か?(爆)
毎日の送迎は『DEATH NOTE』に登場するワタリのように慈愛に満ち冷静さも兼ね備え狙撃もできるスーパー・じいちゃんにお願いしたいです。執事頭としての待遇を約束したいです☆ 毎日運転してもらうお車は、BENTLEYの1952年 R-type Continentalがとってもとっても素晴らしい。クラシック!(あくまで希望なので・・・。実際走ったら環境破壊もいいとこなのでは?)。この執事頭さんと、ぽかぽか陽気の日は一緒に縁側に座ってひなたぼっこしたいなあ。眠れない夜は詩や小説も朗読してもらうのです。ゲーテの『ファウスト』とか。ダンテの『新曲』もいいないいな。絵本ならエロール・ル・カインの『おどる12人の王女さま』も素敵。
執事さんはもう1人居て欲しくって、お茶の時間にはイ・ジュンギ似のスッとした艶っぽい、でも目を細めてにこっと笑う顔がとっても純朴な執事さんにお茶を淹れたり手作りクッキーを焼いたりして欲しいです。お花を育てたりペットの世話もして欲しい☆(*^v^*) 教室に忘れものも届けて欲し〜い。わざと忘れ物しよう。この執事さんは黒縁眼鏡装備で、その黒縁眼鏡のフレームを指で摘むとまるで『セーラームーン』のセーラーマーキュリーの眼鏡の如くレンズにハイテク画面が現れる仕掛け。この執事さん、表向きは執事で本業はネクタイ戦士なのです。特にネーミングに意味はありません。
・・・わたし、もう5月も末だというのに今から5月病でしょうかね? それとも新入社員がかかるという6月病?
お気に入りのアクセサリーショップ、何処へゆかん
2007年5月27日 美容・おしゃれ全般 わたしは「妙々。Handmade Accessories MYO ̄MYO.」さんというネットショップのアクセサリーが大好きです。
妙々。さんのアクセサリーはお菓子のようなパステルカラーやビタミンカラーをしているのが特徴。お砂糖をまぶしたような加工を施したものもあります。
シガレットケースなどにCHANELの有名すぎるシンボルマークを使ったりペンダントにPLAYBOYのうさぎちゃんをつけるなどの志の低さを感じさせることはありますが(辛辣で失礼致します)、派手すぎず地味でなく、美味しそうできらきら。貴重なお店です。
これまでにわたしは何度も妙々。さんの可愛いアクセサリーを買わせていただきました。
しかし3月27日に、商品ページの改装と新作大量UPとメンテナンスのため一時休業をする、とのお知らせがお店のトップページに掲載されてから早くも2か月。ご病気やご不幸ではないのね、と安心しつつ再開決定次第メールマガジンで知らせる、というトップベージの文を信じメールマガジン登録を済ませ今日に至るまでずーっと待っているのですが、いつまでも客の側には再開の兆しがさっぱりわからぬ現状にいい加減苛立ってまいりました。途中経過くらいメールマガジンで連絡してくれたら嬉しいのですが。店主のpurekoさんに直接メールを出して進捗状況を聞きたくても、今までアクセサリーを買った時の控えをわたしは掃除の折に捨ててしまいましたし、トップページにはメールアドレスが掲載されていないのです。
むむう。
夏のお出かけに向けて、また新しいのが欲しいのに・・・。
商品ページの改装と新作大量UPとメンテナンスが早く、そして成功することをお祈りしています。
でもあと1か月以上もかかるようなら他のお店を本命にしちゃいますからねっ(戻らぬ恋人を待つ男性或いは女性の気持ちってこんな感じですかね?)。
妙々。さんのアクセサリーはお菓子のようなパステルカラーやビタミンカラーをしているのが特徴。お砂糖をまぶしたような加工を施したものもあります。
シガレットケースなどにCHANELの有名すぎるシンボルマークを使ったりペンダントにPLAYBOYのうさぎちゃんをつけるなどの志の低さを感じさせることはありますが(辛辣で失礼致します)、派手すぎず地味でなく、美味しそうできらきら。貴重なお店です。
これまでにわたしは何度も妙々。さんの可愛いアクセサリーを買わせていただきました。
しかし3月27日に、商品ページの改装と新作大量UPとメンテナンスのため一時休業をする、とのお知らせがお店のトップページに掲載されてから早くも2か月。ご病気やご不幸ではないのね、と安心しつつ再開決定次第メールマガジンで知らせる、というトップベージの文を信じメールマガジン登録を済ませ今日に至るまでずーっと待っているのですが、いつまでも客の側には再開の兆しがさっぱりわからぬ現状にいい加減苛立ってまいりました。途中経過くらいメールマガジンで連絡してくれたら嬉しいのですが。店主のpurekoさんに直接メールを出して進捗状況を聞きたくても、今までアクセサリーを買った時の控えをわたしは掃除の折に捨ててしまいましたし、トップページにはメールアドレスが掲載されていないのです。
むむう。
夏のお出かけに向けて、また新しいのが欲しいのに・・・。
商品ページの改装と新作大量UPとメンテナンスが早く、そして成功することをお祈りしています。
でもあと1か月以上もかかるようなら他のお店を本命にしちゃいますからねっ(戻らぬ恋人を待つ男性或いは女性の気持ちってこんな感じですかね?)。
顔ちぇき!の結果
2007年5月24日 本日の日記は秘密日記のみです(秘密日記とはDiaryNoteユーザーで且つわたしと相互リンクしてくださっている方だけが読めるものです。読めない方ごめんなさい)。
デイビッド・フランケル監督 『プラダを着た悪魔』
2007年5月23日 映画
働く女性たちへの強いメッセージだけでなく、映画として楽しませようという作り手の想いも感じられる映画。そして様々なファッションの中でも特別な存在として描かれているのが、靴。
高い高いヒールの靴で颯爽と歩く女性を、わたしは尊敬しています。歩きにくさや痛さなんて傍目からは微塵も感じさせず顔には笑顔さえ浮かべて、時にはその高い高いヒールの靴のまま走り回ることだって出来る。並大抵の体力・美意識・根性では不可能です。気を抜けばそのヒールの高さゆえに体はいつの間にか前傾姿勢を取ってしまうため、常に背筋を伸ばした姿勢でいる集中力も必要。『プラダを着た悪魔』にはそれらの力を備えた女性たちが登場します。高いヒールの靴が履いていて辛いものならば低いヒールの靴を履けばいいのに、という考えは不適切です。靴は人を今居る場所とは違う場所へ連れて行ってくれる物。もしその人が高いヒールの靴以外は相応しくない場所へ行くことを望み、更にその場所に居続けたいのであれば、高いヒールの靴は絶対に必要なのです。
『プラダを着た悪魔』はファッション誌の編集部を舞台にした映画。しかもただのファッション誌ではなく世界的に有名な雑誌という設定。それなのに主人公・アンドレアはおしゃれに疎いまま、その雑誌に目を通すこともしないまま、編集長付きアシスタントとして採用されてしまいました。スタイリッシュという言葉からどこまでも縁遠い服を着る彼女・・・。特に、編集部に面接のためやって来た時の彼女の髪は「ぼさぼさ」という言葉以外では形容しがたいです。そんなアンドレアを演じるのは天使のような魅力も小悪魔のような魅力も併せ持つアン・ハサウェイ。彼女はこの映画によって、どんなに元が美しい女性でもいい加減な格好をしていると内面までいい加減に見えるという教訓を示してくれました。アンドレアは中身が変わっていくと同時に、着る服も履く靴も髪型もメイクも変化していきます。その変化を観客が常に追えるようにこの映画のカメラワークは展開されています。
結末についてはきゅっと口を噤もうと思います。結末におけるアンドレアの変化も、観る人によっては非常に意見の分かれるものですし・・・。けれどこれだけは言わせてください。結末の、ある登場人物2人の表情に注目です。その2人もアンドレアと同様葛藤を抱えて生きてきて、アンドレアによって今その葛藤を少しでも自分なりに受け入れることが出来たのだ、と感じさせる表情。きっとその表情を見るだけで、この映画を観て良かったと思えますから。
高い高いヒールの靴で颯爽と歩く女性を、わたしは尊敬しています。歩きにくさや痛さなんて傍目からは微塵も感じさせず顔には笑顔さえ浮かべて、時にはその高い高いヒールの靴のまま走り回ることだって出来る。並大抵の体力・美意識・根性では不可能です。気を抜けばそのヒールの高さゆえに体はいつの間にか前傾姿勢を取ってしまうため、常に背筋を伸ばした姿勢でいる集中力も必要。『プラダを着た悪魔』にはそれらの力を備えた女性たちが登場します。高いヒールの靴が履いていて辛いものならば低いヒールの靴を履けばいいのに、という考えは不適切です。靴は人を今居る場所とは違う場所へ連れて行ってくれる物。もしその人が高いヒールの靴以外は相応しくない場所へ行くことを望み、更にその場所に居続けたいのであれば、高いヒールの靴は絶対に必要なのです。
『プラダを着た悪魔』はファッション誌の編集部を舞台にした映画。しかもただのファッション誌ではなく世界的に有名な雑誌という設定。それなのに主人公・アンドレアはおしゃれに疎いまま、その雑誌に目を通すこともしないまま、編集長付きアシスタントとして採用されてしまいました。スタイリッシュという言葉からどこまでも縁遠い服を着る彼女・・・。特に、編集部に面接のためやって来た時の彼女の髪は「ぼさぼさ」という言葉以外では形容しがたいです。そんなアンドレアを演じるのは天使のような魅力も小悪魔のような魅力も併せ持つアン・ハサウェイ。彼女はこの映画によって、どんなに元が美しい女性でもいい加減な格好をしていると内面までいい加減に見えるという教訓を示してくれました。アンドレアは中身が変わっていくと同時に、着る服も履く靴も髪型もメイクも変化していきます。その変化を観客が常に追えるようにこの映画のカメラワークは展開されています。
結末についてはきゅっと口を噤もうと思います。結末におけるアンドレアの変化も、観る人によっては非常に意見の分かれるものですし・・・。けれどこれだけは言わせてください。結末の、ある登場人物2人の表情に注目です。その2人もアンドレアと同様葛藤を抱えて生きてきて、アンドレアによって今その葛藤を少しでも自分なりに受け入れることが出来たのだ、と感じさせる表情。きっとその表情を見るだけで、この映画を観て良かったと思えますから。
生けるビスクドール・・・いいえ、美女。
2007年5月18日 美容・おしゃれ全般 コメント (4) PEACH JOHNの今夏のカタログ表紙でDita Von Teese嬢が微笑んでおられます。
もはや生身の人間とは思えぬ麗しさ。
熱烈なDita嬢ファンであるわたしは、Dita嬢が今夏のPJモデルに起用されたと知った当初「Dita嬢に安カワ下着ブランドは似合わないわっ。Dita嬢なら高級オートクチュールランジェリーでしょう」と思っていたのです・・・が結局カタログ買っちゃいました☆
カタログ表紙を見た瞬間、改めてDita嬢に惚れ直したのです。
彼女は彼女自身が作り上げ磨き上げた超一級の芸術品といっても過言ではありません。
マンソンよ、わたしがあなただったならせっかくDita嬢と結婚できたのに浮気するようなことはすまいぞ。自分の浮気のせいで離婚することになったのに「Ditaがいなくなってとてもショックを受けた」とは何ごとじゃ。そしてDita嬢のサイン済み離婚届けをまだ提出していないのも、未練がましいぞ、元夫よ。事実上は完全に離婚しているというのに法律的にはまだ夫婦、でもやっぱり元夫と呼ばせていただきます。もしかしたら離婚届を提出しないのはDita嬢への未練からではなく、自分が支払う慰謝料の額のこととかDita嬢が一緒に連れて行ったペットの養育権争いなどを考えてのことかもしれないけれど、どっちにしろ何だかなあ。わたしは今もマンソンの音楽は好きなのですが本人については・・・。
・・・コホン。話がそれました。失礼致しました。
Dita嬢がこの仕事のオファーを受けた理由については色んな憶測が飛び交っているのですが、わたしが一番可能性が高いだろうなと思うのは以下の理由。以前Dita嬢が来日中にPJの下着を買うなどしていたことや(水玉のギンガムチェックのショーツ)、高級感のあるブランドものよりも自分が心から好ましいと思えるものを優先して身につける彼女の性格(Emily Temple cuteなどの可憐さや少女性を追求するお洋服も好きみたいです。もともと彼女は挑発的なタイプではなくエレガントなタイプですしね)から推測するに、彼女は純粋にPJが好きだったので受けたのだろう・・・と思うのです。PJの過剰なデコラティブさやチープな可愛さは、世界的バーレスククイーンというDita嬢のゴージャスなイメージとは対極をなすように感じますが、日常的な非日常を表現するという共通点があるようにも感じられます。
彼女が彼女らしく在る限り品位を落としたり落とされることはないし、彼女はより一層美しくなっていくのだとわたしは信じています。
いまPJで通販をするとDita嬢のサイン入りポストカード3枚がもれなく貰えるのですって。嗚呼、お化粧台の上に飾って毎日拝みたい(変な宗教??)。けれどPJの通販って注文して2か月後に届くということがしょっちゅうなのです。下手をしたら2か月経っても届きません。緊急度の低いものだけ僅かな数を買うという手もあるのですが・・・んもう。
もはや生身の人間とは思えぬ麗しさ。
熱烈なDita嬢ファンであるわたしは、Dita嬢が今夏のPJモデルに起用されたと知った当初「Dita嬢に安カワ下着ブランドは似合わないわっ。Dita嬢なら高級オートクチュールランジェリーでしょう」と思っていたのです・・・が結局カタログ買っちゃいました☆
カタログ表紙を見た瞬間、改めてDita嬢に惚れ直したのです。
彼女は彼女自身が作り上げ磨き上げた超一級の芸術品といっても過言ではありません。
マンソンよ、わたしがあなただったならせっかくDita嬢と結婚できたのに浮気するようなことはすまいぞ。自分の浮気のせいで離婚することになったのに「Ditaがいなくなってとてもショックを受けた」とは何ごとじゃ。そしてDita嬢のサイン済み離婚届けをまだ提出していないのも、未練がましいぞ、元夫よ。事実上は完全に離婚しているというのに法律的にはまだ夫婦、でもやっぱり元夫と呼ばせていただきます。もしかしたら離婚届を提出しないのはDita嬢への未練からではなく、自分が支払う慰謝料の額のこととかDita嬢が一緒に連れて行ったペットの養育権争いなどを考えてのことかもしれないけれど、どっちにしろ何だかなあ。わたしは今もマンソンの音楽は好きなのですが本人については・・・。
・・・コホン。話がそれました。失礼致しました。
Dita嬢がこの仕事のオファーを受けた理由については色んな憶測が飛び交っているのですが、わたしが一番可能性が高いだろうなと思うのは以下の理由。以前Dita嬢が来日中にPJの下着を買うなどしていたことや(水玉のギンガムチェックのショーツ)、高級感のあるブランドものよりも自分が心から好ましいと思えるものを優先して身につける彼女の性格(Emily Temple cuteなどの可憐さや少女性を追求するお洋服も好きみたいです。もともと彼女は挑発的なタイプではなくエレガントなタイプですしね)から推測するに、彼女は純粋にPJが好きだったので受けたのだろう・・・と思うのです。PJの過剰なデコラティブさやチープな可愛さは、世界的バーレスククイーンというDita嬢のゴージャスなイメージとは対極をなすように感じますが、日常的な非日常を表現するという共通点があるようにも感じられます。
彼女が彼女らしく在る限り品位を落としたり落とされることはないし、彼女はより一層美しくなっていくのだとわたしは信じています。
いまPJで通販をするとDita嬢のサイン入りポストカード3枚がもれなく貰えるのですって。嗚呼、お化粧台の上に飾って毎日拝みたい(変な宗教??)。けれどPJの通販って注文して2か月後に届くということがしょっちゅうなのです。下手をしたら2か月経っても届きません。緊急度の低いものだけ僅かな数を買うという手もあるのですが・・・んもう。
大和 和紀 『はいからさんが通る』
2007年5月17日 漫画
紅緒さんの破壊力に脱帽です。もしも紅緒さんが漫画のヒロインではなく現実世界にいる人だったなら、世界征服くらいできちゃう気がします。ある日無実の罪で牢獄に入れられた紅緒さんは特に気にせず御飯をもりもり食べて歯ぎしりしながらぐっすり眠って女囚のリーダーを寝込ませて、釈放される頃には勿論紅緒さんは元気いっぱい、女囚たちは寝不足と恐怖でげっそりしていたのです。1人の女性の周りを美少年や美青年が取り囲んでいる逆ハーレムものの作品は数あれど、こんなヒロイン紅緒さんしか知りません。紅緒さんの1つ歳下で幼なじみの美少年・蘭丸くんは、「どうして紅緒さんの周りはハンサムばっかりなんだろ。本人ははかいされているっていうのに」(細部不正確で申し訳ありません)と嘆きます。
おそらく良い男というものは紅緒さんの表面的なところ、例えば化粧っけがゼロだったり胸がペタンコだったり酒乱だったり喧嘩っぱやいところ(言い過ぎですね)だけではなく彼女の内面を見抜けるのでしょう。竹を割ったようにすかっとした性格。何事にも一所懸命で、細かいことは気にしない彼女には女性特有のねちっこさが無い。くじけそうな時も弱音を吐かず前向きで、いつも笑顔。米屋の打ち壊し現場に記者として取材に行ったのに、米屋を許せずに自分も打ち壊しに参加してしまう強い正義感。多少のことにはひるまない度胸。喧嘩は連戦連勝という腕っぷしでとっても健康的。それでいて姉御タイプではなく妹キャラで、華美ではないけれどいつもおしゃれな格好をしているし、誰かの人格を否定したりはしない心配りと、自分だって命が危ないのに子犬を助ける優しさと、自分の気持ちよりも恋敵の気持ちを優先してそっと身を引く思いやりと不器用さも持っている。けれど身を引いてもなお、一途にただ1人の男性を想い続けている紅緒さん。良い男が惚れぬはずはあるまいて。紅緒さんの伊集院忍少尉を想う時のモノローグを読んでいると切なくて胸がきゅんとします(「この漫画ってそういえば少女漫画だったんだ」とハッとしたりもします)。そして恋をしていても破壊力が全く衰えない紅緒さんにやっぱり脱帽。なぜだっ? けれどそれが紅緒さんらしさです。
1975年から連載された漫画なのに今読んでも面白いです。絵もきれ〜い! また、登場人物のほとんどが酒乱という面も持つ前衛的(?)少女漫画です。文庫版の最終巻では各主要登場人物の番外編漫画が載っていますよ。恋物語あり、友情物語あり。印念中佐は番外編でもやらかしてくれていますねー。好きですわ、あの人。悪役なのになんだか憎めない。
また、この漫画の舞台が大正時代でありこの漫画の物語が女性視点で展開する、というところにも是非注目していただきたいです。紅緒さんは女学校を出て職業婦人になります。この頃は職業婦人への偏見があって当たり前という時代で、この漫画のところどころに紅緒さんが性差別を受ける描写が出てきます。更にこの漫画では女性が仕事をするということへの偏見だけでなく、恋愛をはしたないもの・庶民以下がするものと捉える風潮も描かれています。紅緒さんの女友達・環(たまき)も紅緒さんとは違うタイプではあれど(美女! しかも心も美しい)同じくハイカラな精神の持ち主で、男性が女性を選ぶのではなくわたしたちが男性を選ぶのだという価値観のもと、見合い結婚を拒否し自由恋愛を楽しみます。しかし女学校の女教師は環を「思想かぶれ」と叱ります。そもそも女学校は職業婦人ではなく良妻賢母を育成するための学校ですから、そう思っている教師がいて当然なのです。その上、環は華族の女の子。環の親は、我が家から職業婦人を出すわけにはいかない、親が決めた相手との結婚でないと認めない、という考えを持っています。生活に困っているわけではないのに働きたいという気持ちがわからない。家の利益になる結婚ではなく自分の好きな相手と結婚したいという気持ちがわからない。女性は家にいて子どもを生み育て家長である父親或いは夫に従順たれという常識のあった時代。賢母は良くても賢妻はいけない、という考えのあった時代・・・。そういう時代を紅緒さんや環のような自立の精神を持った女性が変えてきたのだ・・・と勉強にもなる漫画ですよ。大正時代まだ差別されていた外国人とのハーフをヒーローに据えているあたりもハイカラですね。伊集院忍少尉は美形だから当然モテモテなのですが、保守的な女性なら「日本人の血統を汚しているわ」と好きにならなかったかもしれません(そもそも日本人だって色んな血が混ざっているというのに、今でもこういう考えの人いますよねー)。紅緒さんは彼の外見も中身も好きになりました。うーん、紅緒さん大好き。
おそらく良い男というものは紅緒さんの表面的なところ、例えば化粧っけがゼロだったり胸がペタンコだったり酒乱だったり喧嘩っぱやいところ(言い過ぎですね)だけではなく彼女の内面を見抜けるのでしょう。竹を割ったようにすかっとした性格。何事にも一所懸命で、細かいことは気にしない彼女には女性特有のねちっこさが無い。くじけそうな時も弱音を吐かず前向きで、いつも笑顔。米屋の打ち壊し現場に記者として取材に行ったのに、米屋を許せずに自分も打ち壊しに参加してしまう強い正義感。多少のことにはひるまない度胸。喧嘩は連戦連勝という腕っぷしでとっても健康的。それでいて姉御タイプではなく妹キャラで、華美ではないけれどいつもおしゃれな格好をしているし、誰かの人格を否定したりはしない心配りと、自分だって命が危ないのに子犬を助ける優しさと、自分の気持ちよりも恋敵の気持ちを優先してそっと身を引く思いやりと不器用さも持っている。けれど身を引いてもなお、一途にただ1人の男性を想い続けている紅緒さん。良い男が惚れぬはずはあるまいて。紅緒さんの伊集院忍少尉を想う時のモノローグを読んでいると切なくて胸がきゅんとします(「この漫画ってそういえば少女漫画だったんだ」とハッとしたりもします)。そして恋をしていても破壊力が全く衰えない紅緒さんにやっぱり脱帽。なぜだっ? けれどそれが紅緒さんらしさです。
1975年から連載された漫画なのに今読んでも面白いです。絵もきれ〜い! また、登場人物のほとんどが酒乱という面も持つ前衛的(?)少女漫画です。文庫版の最終巻では各主要登場人物の番外編漫画が載っていますよ。恋物語あり、友情物語あり。印念中佐は番外編でもやらかしてくれていますねー。好きですわ、あの人。悪役なのになんだか憎めない。
また、この漫画の舞台が大正時代でありこの漫画の物語が女性視点で展開する、というところにも是非注目していただきたいです。紅緒さんは女学校を出て職業婦人になります。この頃は職業婦人への偏見があって当たり前という時代で、この漫画のところどころに紅緒さんが性差別を受ける描写が出てきます。更にこの漫画では女性が仕事をするということへの偏見だけでなく、恋愛をはしたないもの・庶民以下がするものと捉える風潮も描かれています。紅緒さんの女友達・環(たまき)も紅緒さんとは違うタイプではあれど(美女! しかも心も美しい)同じくハイカラな精神の持ち主で、男性が女性を選ぶのではなくわたしたちが男性を選ぶのだという価値観のもと、見合い結婚を拒否し自由恋愛を楽しみます。しかし女学校の女教師は環を「思想かぶれ」と叱ります。そもそも女学校は職業婦人ではなく良妻賢母を育成するための学校ですから、そう思っている教師がいて当然なのです。その上、環は華族の女の子。環の親は、我が家から職業婦人を出すわけにはいかない、親が決めた相手との結婚でないと認めない、という考えを持っています。生活に困っているわけではないのに働きたいという気持ちがわからない。家の利益になる結婚ではなく自分の好きな相手と結婚したいという気持ちがわからない。女性は家にいて子どもを生み育て家長である父親或いは夫に従順たれという常識のあった時代。賢母は良くても賢妻はいけない、という考えのあった時代・・・。そういう時代を紅緒さんや環のような自立の精神を持った女性が変えてきたのだ・・・と勉強にもなる漫画ですよ。大正時代まだ差別されていた外国人とのハーフをヒーローに据えているあたりもハイカラですね。伊集院忍少尉は美形だから当然モテモテなのですが、保守的な女性なら「日本人の血統を汚しているわ」と好きにならなかったかもしれません(そもそも日本人だって色んな血が混ざっているというのに、今でもこういう考えの人いますよねー)。紅緒さんは彼の外見も中身も好きになりました。うーん、紅緒さん大好き。
守りたい、一緒に生きたい、という気持ちってやつ
2007年5月16日 命について 愛情のあたたかさを感じさせてくれるニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000013-rcdc-cn
場所は中国の山東省。
最近飼い犬が頻繁にいなくなることに気づいた飼い主。どこかへ歩いていく飼い犬の後をつけてみると、まだ1歳に満たず出産経験もないその犬(メス)は、ダンボールに捨てられた子猫たちにお乳を与え育てていたそうです。
出産経験がないのにお乳が出ることも驚きなら、犬が子猫を育てていることも驚き。
飼い主は4匹いる子猫たちのうち2匹が死んでしまっていることに気づき「このままでは残る2匹も死んでしまうかも」と考え、知人に1匹の世話を頼みました(もう1匹はいつの間にかいなくなってしまったそう。誰かが飼ってくれていると良いですね)。
するとこの犬は子猫たちがいなくなってしまってすっかり元気を失くしてしまいました。
慌てて飼い主が知人に1匹の子猫を返してもらうと・・・犬はたちまち元気に! 子猫の姿を見て「ワン!」と吠え、子猫も犬の姿を見て「ニャー」と鳴きました。犬は自分のもとへ戻ってきた子猫の体を愛しそうにずっと舐めていたそうです。
このニュースではその後のことが書かれていないのですが、もしかしたらこの犬は子猫の母親としてずっと傍にいるかもしれませんね。
多分この犬は捨てられた子猫を見つけた時、「自分が守るんだ。自分が育てなければこの子猫たちは死んでしまう」というたまらない強い気持ちに駆られたのでしょうね。だからお乳が出たのかもしれません。それで飼い主の傍から離れて、しょっちゅう子猫の世話をしに行って・・・。
対照的に浮かび上がってくるのは、子猫たちを捨てたであろう人物の姿。
子猫たちはダンボールに入っていたわけですからほぼ間違いなく誰かが捨てたのでしょう。
わたしは人間の中には父性や母性を発揮できない人がいる、なんて言いたくはありませんし、困っている他の人を思いやることが出来ない人がいるなんてことも言いたくはないですし、まして人間もこの犬を見習え、なんて言うつもりはありません。しかし最近の赤ちゃんポストのニュース(設置後すぐに、既に物心ついている3歳幼児がポストに入れられたという)とも合わせて、やりきれない気持ちになりました。
この犬は自分の子どもではない子たちを、しかも種が違う生き物を愛情いっぱいに育てていたというのに。
子猫たちの生みの親である母猫も、子どもたちを奪われて泣いていたかもしれません。
子猫を産むことを奪う権利は人間に無いし自分も子猫を飼えないから飼い猫に避妊手術はせず子猫が生まれたら崖に捨てて殺す、自分の行為は動物虐待ではない、と公言した作家の坂東眞砂子さんのニュースを知った時にも思ったことですが、母親である母猫の気持ちをなぜもっと思いやれないのでしょうか。
母猫は子どもたちを奪われてしまっても、体からはお乳が出続けるし乳房は張るし全身全霊で子どもたちを求めていたでしょうに。どこへいったの、と探し続けていたでしょうに。体も心も子どもたちを育てるための準備が整っているのに、子どもたちだけがいないなんて。
母猫はまた次の発情期を迎え交尾をして子猫を産んでまた奪われて・・・殺されて。その繰り返しが果たして本当に母猫の幸せなのでしょうか?
子猫を飼えないなら飼い猫に避妊手術或いは虚勢手術をしてください。それが出来ないなら発情期にメス猫とオス猫を引き合わせないよう努力してください。「交尾をして子猫を産むのがメスとしての(或いはオスとしての)幸せなのでは」と思うかもしれませんが、子猫を飼えないのであれば飼い猫の発情期が過ぎ去るまでぐっと耐えてください。それも出来ないなら・・・里親を探す努力も出来ずどこかに捨てたり殺してしまうくらいなら、最初から猫を飼わないで欲しいです。
子猫だって、生まれたら生き続けたいのです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000013-rcdc-cn
場所は中国の山東省。
最近飼い犬が頻繁にいなくなることに気づいた飼い主。どこかへ歩いていく飼い犬の後をつけてみると、まだ1歳に満たず出産経験もないその犬(メス)は、ダンボールに捨てられた子猫たちにお乳を与え育てていたそうです。
出産経験がないのにお乳が出ることも驚きなら、犬が子猫を育てていることも驚き。
飼い主は4匹いる子猫たちのうち2匹が死んでしまっていることに気づき「このままでは残る2匹も死んでしまうかも」と考え、知人に1匹の世話を頼みました(もう1匹はいつの間にかいなくなってしまったそう。誰かが飼ってくれていると良いですね)。
するとこの犬は子猫たちがいなくなってしまってすっかり元気を失くしてしまいました。
慌てて飼い主が知人に1匹の子猫を返してもらうと・・・犬はたちまち元気に! 子猫の姿を見て「ワン!」と吠え、子猫も犬の姿を見て「ニャー」と鳴きました。犬は自分のもとへ戻ってきた子猫の体を愛しそうにずっと舐めていたそうです。
このニュースではその後のことが書かれていないのですが、もしかしたらこの犬は子猫の母親としてずっと傍にいるかもしれませんね。
多分この犬は捨てられた子猫を見つけた時、「自分が守るんだ。自分が育てなければこの子猫たちは死んでしまう」というたまらない強い気持ちに駆られたのでしょうね。だからお乳が出たのかもしれません。それで飼い主の傍から離れて、しょっちゅう子猫の世話をしに行って・・・。
対照的に浮かび上がってくるのは、子猫たちを捨てたであろう人物の姿。
子猫たちはダンボールに入っていたわけですからほぼ間違いなく誰かが捨てたのでしょう。
わたしは人間の中には父性や母性を発揮できない人がいる、なんて言いたくはありませんし、困っている他の人を思いやることが出来ない人がいるなんてことも言いたくはないですし、まして人間もこの犬を見習え、なんて言うつもりはありません。しかし最近の赤ちゃんポストのニュース(設置後すぐに、既に物心ついている3歳幼児がポストに入れられたという)とも合わせて、やりきれない気持ちになりました。
この犬は自分の子どもではない子たちを、しかも種が違う生き物を愛情いっぱいに育てていたというのに。
子猫たちの生みの親である母猫も、子どもたちを奪われて泣いていたかもしれません。
子猫を産むことを奪う権利は人間に無いし自分も子猫を飼えないから飼い猫に避妊手術はせず子猫が生まれたら崖に捨てて殺す、自分の行為は動物虐待ではない、と公言した作家の坂東眞砂子さんのニュースを知った時にも思ったことですが、母親である母猫の気持ちをなぜもっと思いやれないのでしょうか。
母猫は子どもたちを奪われてしまっても、体からはお乳が出続けるし乳房は張るし全身全霊で子どもたちを求めていたでしょうに。どこへいったの、と探し続けていたでしょうに。体も心も子どもたちを育てるための準備が整っているのに、子どもたちだけがいないなんて。
母猫はまた次の発情期を迎え交尾をして子猫を産んでまた奪われて・・・殺されて。その繰り返しが果たして本当に母猫の幸せなのでしょうか?
子猫を飼えないなら飼い猫に避妊手術或いは虚勢手術をしてください。それが出来ないなら発情期にメス猫とオス猫を引き合わせないよう努力してください。「交尾をして子猫を産むのがメスとしての(或いはオスとしての)幸せなのでは」と思うかもしれませんが、子猫を飼えないのであれば飼い猫の発情期が過ぎ去るまでぐっと耐えてください。それも出来ないなら・・・里親を探す努力も出来ずどこかに捨てたり殺してしまうくらいなら、最初から猫を飼わないで欲しいです。
子猫だって、生まれたら生き続けたいのです。