もうすぐ不動産を買って大家になるよ、という方に観ていただきたい映画です。そういう方にとってこの映画は恐怖映画です。「大家になったら自分も貸借人にこんな目に遭わされるかも・・・」と御覚悟を。
 アレックス役はベン・スティラー、ナンシー訳はドリュー・バリモア。中でもバリモアの演技が印象的です。夫人に冷静に接しようとするバリモアの固まった表情や、夫人の死に様を想像するバリモアの微笑みを見ていると・・・。思わずこちらまで夫人の死に様を想像してニヤリとしてしまいます。

 *注*完全ネタバレの上、詳しく書きすぎて恐ろしい長文になってしまいました。m(><)m

 新婚カップルのアレックスとナンシーは家を探していました。2人は不動産屋に「掘り出しものですよ」と導かれて、ある家を見に行きます。
 外装も内装もクラシックな家です。2階建て。年数を経た木の内装の色と香りが、アンティーク好きの心をくすぐります。大きな本棚が備え付けられており、暖炉が3つあり、黒い廻階段が1つあります。黒い廻階段はなめらかな曲線を描き、薔薇の花と葉を思わせるような細工が施されています。浴室の壁にはオリジナルのタイルが嵌められています。リビングには大きな窓があって日の光がよく入るうえ、窓の1つには孔雀を描いたステンドグラスが使われていて勿論このステンドグラスからも光が差し込みます。家の広さは167平米とはいえ、2階建てで2階にも浴室がついているので将来子どもが生まれても部屋に困りません。周辺は交通量も少なく、近くには児童公園やお店もあります。
 2階にはコネリー夫人という100歳近い女性が1人で住んでいます。賃貸法により、もし2人がこの家を買って大家になったとしても、夫人を追い出すことは出来ません。その場合2人は大家としての義務を果たさねばならないのです。1階に大家である2人が住み、2階に賃借人である夫人が住むという形で。とはいえ不動産屋は「優しいおばあさんです。それに夫人は体が弱い」と言いました。アレックスとナンシーがコネリー夫人に会ってみると実際夫人の人柄は良さそうでしたし健康状態は思わしくないようでした。2人は2〜3年もしたら子どもが欲しいと思っていたので、ちょっと意地悪な考えではありますが、その頃にはコネリー夫人は亡くなったり施設に行ったりしているだろうから2階を使えるようになるだろう、と考えました。不動産屋が提示したこの家の値段は2世帯住宅としては考えられないほど安く、しかも不動産屋は「(あなたたちが早く決めないと)この家にはすぐ他に買い手がつく」と言ったので・・・。
 2人はこの家を買い、夫人の大家になってしまいました。
 そう。なってしまった、のです。2人は1階に住み始めてすぐ後悔し始めます。
 まず後悔したのは音のことでした。クラシックな家なので2階の音が1階にはっきり聞こえてしまうのです。夫人は高齢で耳が遠いためテレビの音量を上げるのですが、夜だろうとお構いなしに大音量でテレビを観るのです。日常的に。それに夫人は音楽を好むため、大音量で音楽も聴くし演奏もします。ダンスもします。1階で眠ろうとしている2人は全然眠れません。2人が「静かにして」と頼んでも、夫人はお構いなし。
 次に困ったのは、夫人が雑用をひっきりなしに頼んでくること。大家の義務を超えた雑用ばかりです。ごみ出しを頼んだり、買い物に付き合わせたり、ペットを捕まえさせたり、ただのレーズンを「ネズミのふんでしょ?」としつこく聞いてきたり。とにかくしょっちゅう声をかけてくるのです。2人が「2人とも働いているから、緊急の困りごとの時だけ声をかけて」と頼んでも、夫人はお構いなし。
 最も2人にストレスを与えたのは、夫人が2人に感謝や謝罪をしないこと。前述したように夫人は2人の頼みごとを聞いてくれません。それなのに夫人は自分の頼みごとは叶えられて当然と思っているのです。例えばこんなことがありました、夫人が喉にチョコレートを詰まらせたので2人が夫人を救命した、ということが。アレックスが夫人にチョコを吐きださせて人工呼吸を施し、ナンシーは心臓マッサージを施したのです。それなのに夫人は「(2人がチョコレートに薬を仕込んでいて)わたしはチョコレートを食べたら気を失った」「気を失っている間(アレックスに)強姦されかけた。キスもされた」「ナンシーは(夫の強姦を助けるために)わたしを押さえつけていた」と警察に訴えたのです。その上、ごみ出しを頼まれた時ごみの中から夫人の下着が飛び出してしまってそれをアレックスが拾い上げただけなのに、夫人は「(アレックスは)わたしの下着を盗んで匂いを嗅いだ」と警察に訴えたのです。そんな稀少なフェチいるんかいな? ・・・否、いるかも。年上好みと下着愛好を極めし者が。しかも100歳以上をストライクゾーンとする猛者が!・・・話が逸れました。しかし夫人は「とても良い夫婦だから」となぜか告訴はしませんでした・・・。その後も夫人は2人にこういった行為を続けたのです。
 2人は、夫人が死んでくれればいいのに、と願います。夫人の死にざまを想像する時の2人の顔は輝いています。2人は色々考えました。階段から落ちる夫人。生きたまま袋に入れられて海に落とされる夫人。他にも首を折る、ショック死させる、殴り殺す、首を切る、溺死させる、小さく切り刻むなど様々な殺し方をお互いに話しては想像し合って、「お互いに悪魔ね」と夫婦の絆を強くしました。2人はこの段階ではただ夫人の死を想像して楽しむだけでした。
 しかし夫人は、アレックスが書いた完成原稿が入った(アレックスは作家です)パソコンを火の燃えている暖炉に投げるということまでやってしまいました。燃えるパソコン・・・燃える原稿・・・燃える・・・燃える・・・あああああああ。ついに2人は決意しました。夫人を殺そう、と。夫人にインフルエンザをうつそうとしたり、電気ショックを与えようとしたり、ガス爆発を起こそうとしたり・・・、でも全て大失敗。それどころか自分たちだけがひどいインフルエンザに苦しみ、電気ショックを受け、ガス爆発で顔にひどいヤケドを負いました。2階を水漏れさせることで床材を腐らせ夫人ごと床を落とそうとも試みましたが、これも大失敗。
 思い余ってアレックスは銃を買ってきましたが、夫人を撃つ前にアレックスの股間が撃たれてしまいました(銃が暴発したのです)。とうとう2人は殺し屋を雇いました。殺し屋を雇うための料金は思った以上に高かったため、2人は全ての家具を売り払うしかありませんでした。しかし夫人を殺せると考えると家具を売り払うのも楽しいもの。かくして2人は殺し屋を雇いました。しかし夫人はなぜかモリ銃を所持しており、モリで殺し屋の胸をぐっさり刺しました。殺し屋はモリが刺さったまま逃げ去ったのでその後どうなったか不明。亡くなっていないと良いのですが・・・。当然まだまだ夫人は生きています。
 2人は決意しました。この家を売ろう、と。もう十分戦った、と。2人は買った時より非常に安い値段で不動産屋にこの家を売り、この家には新たな買い手がつきました。2人が別れを言うため夫人を訪問すると・・・。なんと夫人は、椅子に座ったまま動きませんでした。息もしていませんでした。不動産屋は夫人の首や手首に手を当てて脈をはかり、「夫人が亡くなっている」と2人に告げました。2人は大ショックを受けました。まさか! あれだけ自分たちが殺そうとしても死ななかった夫人なのに! 2人はショックを受けつつも、この家を後にしました。
 ・・・しかし当然この映画には続きがあります。2人がこの家を去った後、2階では夫人と不動産屋と警察官(夫人が2人の行いを訴えた警察官)の3人がお茶を楽しんでいました。ぴんぴんしている夫人は言いました、「今度からはもっとわたしの取り分を多くしてくれよ」。不動産屋は言いました、「でもママ。今だって随分渡してるだろう?」。
 アレックスとナンシーは詐欺被害に遭ったのです。大家がこの家を買い値より安く売れば売るほど儲かる仕組み。新しい大家はすぐ決まるのですから。何たってこの家はとても魅力的なのです。けれど詐欺被害に遭ったことを知らないまま2人はこの家を去りました。きっと、夫人と不動産屋と警察官はこれからも、次の大家をカモにして詐欺を続けていくのでしょう・・・。

 初見の時は気づかなかったのですが、わたしは2回目にこの映画を観た時あるシーンに釘付けになりました。問題のシーンはかなり前半の方、2人が大家になったばかりの時にあります。なぜわたしは初見の時に気付かなかったのでしょう、アレックスが夫人に「困った時は声をかけて」と言った時夫人が不気味に笑っていたのを・・・。

記憶に残るチラシ

2008年2月3日
 ユーキャンのチラシを貰いました。就職活動をしている学生向けの、ではなくごく一般向けに講座内容を知らせるチラシです。チラシは普通のチラシ(固い素材の紙1枚だけで、すぐ内容がわかるもの)ではなくて、開かないと中身がわからないタイプ。例えば紙を折ってサイコロを作る時、紙を内側に向かって折っていきますよね。その原理を使って、横方向に長い長方形の紙を内側に折って封をしたチラシなのです(わかりにくい表現で申し訳ありません)。
 何の気なしに開いてみたらびっくり。案内資料申し込みのハガキはチラシの中面にあったのですが、普通そういうチラシって切り取り線に従ってハサミで切り取るか、片手でチラシを押さえつつもう片方の手でやや力を入れて切り取ったりしますよね? その動作が要らなかったのです。このチラシの場合、チラシを親指と人さし指だけでペリッとはがすことができたのです。切り取るのではなく、はがせました。
 ユーキャンのコンセプトの中に「忙しい人でもOK!」というのがあるので、このハガキの取りやすさは忙しい人にはありがたいでしょうね。チラシの封を開けなければハガキを取れない、という動作を必要とするため結局はプラマイゼロになってしまうわけですが・・・これを考えた人はすごいと思います。こういうことをやったら見た人の記憶に必ず残りますし。封を開けにくいわけではないので、封を開けなければならないとはいえ嫌な感じはしないですし・・・。
 わたしも上手くすればいずれどこかへ就職するわけですが、もし就職出来たなら働く中でこのようなアイディアを出し、アイディアを実現させたいなと思います。
?美しい人?によるコーチングの成果 <後編>
 美しい人による舞いのコーチングを受けた結果・・・。
 戦場で、ルティレ(両脚を外側に開き、片足の膝を曲げて、軸にしている足の膝に片足のつま先をつける)に似たポーズを取るのが習慣化してしまいました。
 ・・・呂布に「戦場で踊るような奴は俺の軍にはいらん!」と追い出されるのは時間の問題かも(>0<)

 ちなみにこの武器が、美しい人も愛用している武器です。爪を模した武器で、飛んだり一回転したりしながら敵兵を華麗に倒していく武器なのです。戦いにくそうだ、と皆さんおっしゃるのですが、戦いにくい代わりに攻撃を受けにくいのが長所です。トリッキーな動きをするため、敵兵や敵武将が動きについてこれないのです。
 ハッ、「華麗に」という言葉を使ってしまいました!
 美しい人に華麗に洗脳されつつあります。
 ・・・いっそのこと呂布も洗脳しちゃえ。
 アン・ドゥー・トロワ♪
?美しい人?張儁乂氏とツーショット・・・? <中編>
 逃げさせてはもらえませんでした。

 ガッシリ捕まえられ、美しい人の軍団がいつも戦場で舞っている(!?)という踊りをマスターさせられる羽目に。
 その様子をまた写真に撮らせていただいたのですが、シャッターを押そうとする度に美しい人はすぐさまわたしの前に出ます・・・。さすがです。

 美しい人「私が手本となります。華麗に舞うのです! 戦場でより輝くために……。さあ、特訓の用意はいいですか」
 わたくし「(観念するしかないみたいだわ)・・・はい」
 美しい人「美の追求は尽きません…。さあ、もっと花開くのです。優雅に! 典雅に! 美しく!」
 わたくし「は、はいっ」
 美しい人「我らの美、敵兵の胸に刻みつけてやるのです!」
 わたくし「はいっ、コーチ」
 美しい人「コーチではありません。張儁乂です」

 後編へと続く・・・。
 
?美しい人?張儁乂氏とツーショット・・・? <前編>
 画像あり。
 ビットマップからJPEGに画像を変換したら画質が落ちてしまいました。(><)

 *注*
 以下はただのジョークです。
 美しい人はこのようなことを言いそうな武将ではありますが、実際『真・三國無双Online』の中ではこのようなことは言いません☆

 MMO『真・三國無双Online』にて。
 通称?美しい人"張儁乂(ちょう しゅんがい)氏にツーショット写真をお願いしてみました。
 美しい人は普段から自らを「美しい」と公言してやまぬ男性です。美しい人は爪を模した武器を愛用し、戦場で美しく舞いながら敵兵を葬っていく武将なのです。
 わたし(王麗月というキャラクター)は呂布という武将の部下なのですが、最近美しい人が使っているのと同じ武器を使い始めたこともあって、美しい人に挨拶に行って参りました。そして同じ武器を使っている者同士意気投合し、記念にツーショット写真をお願いすることになりました。
 2人仲良く並んで、はい、チーズ。
 したはずなのですが・・・。
 シャッターを切る瞬間、美しい人がずずずいと前に出てしまわれました。
 これではもはやツーショット写真とは言えません。

 美しい人「フフフ、美しい人は常に前に出なければならないのです!」
 わたくし「そっそんな・・・遠近法を恐れないだなんて・・・!」
 美しい人「日々のたゆまぬ美容が、この張儁乂をアップになればなるほど美しい美貌にしているのです!」
 わたくし「ひ、ひげが無い・・・! 儁乂さま永久脱毛なさったのね! さすがですわ」
 美しい人「この張儁乂の好敵手になり得るのは上杉Gackt氏だけなのです!」
 わたくし「なんだか会話が噛み合っていないみたい。どうしましょう」

 美しい人に圧倒されているうちに美しい人が画像のようなことを言い出したので、わたしは逃げ出そうとしました・・・が・・・。
 
 続く。
 この映画は、ラストをどう解釈するかによって自分の性格が良いか悪いかわかってしまう映画でもあります。

 *注*以下は完全ネタバレを含むあらすじです。
 この映画の主人公はハロルド・クイック。端整でもなく不細工でもない容姿(失礼な・・・)の中年男性で、職業は国税庁の会計検査官。独身で一人暮らし、恋人もいない生活をずっと続けてきました。
 彼はある日突然、自分にしか聞こえない女性の声に気付きます。女性の声は「〜彼は知る由も無かった」などと、小説の三人称の語り口で彼の人生を語り続けるのです。女性の声は、彼の行動全てを忠実になぞって描写していきます・・・。女性の声は、彼がじき死ぬということさえほのめかしました! 彼は危機感を持ちます。「僕はもしかすると小説の登場人物なのかもしれない」「そして、筋書きで僕は死ぬことになっているのかも・・・」。そう恐れた彼は文学の研究家のもとを訪ね、「自分は本当に小説の登場人物なのか」「もしそうであるとしたら、その小説はハッピーエンドで終わるのか」「一体その小説家を書いているのは誰なのか」を探っていきます。
 探っている間に、彼には恋人ができました。恋人は、ケーキ屋を経営している女性アナ・パスカルです。出会いのきっかけは、アナが店の税金を「税金を戦争に使わないで」と政府に主張するため滞納していたこと。アナが彼女のお店へ税金の調査に行ったことが二人の出会いでした。アナは美味しいお菓子が人生を楽しくしてくれることを知っている女性です。彼はアナといる時人生で初めての安らぎを感じました。彼はよりいっそう「死にたくない」という思いを強くしました。
 そしてついに、なんと彼は自分の生きているのと同じ世界(小説家が作り出した異世界ではない)に生きている女性小説家を見つけ出します。彼女はこれまで執筆してきた小説全てで、結末には必ず主人公を死なせてきた小説家。全ての主人公に対して「非常に好ましい人物」と親愛の念を抱いていながらも、ずっと死なせ続けてきたのです。なので彼女はこの小説でも、いつものように主人公を死なせようとしていました。しかし彼女の目の前にハロルド・クイックが現れます。ハロルドは彼女に訴えます、「僕を殺さないでくれますよね?」と。
 まさか自分が執筆している小説の主人公の人生と実在の人物の人生がリンクしているとは思いもよらなかったため、彼女は驚愕。「その目・・・その口・・・」彼女はハロルドを見て微笑みました。まるで生みの母親と息子が初めて会ったかのようなシーン。彼女はハロルドに「僕を殺さないでくれますよね?」と聞かれる以前から彼を死なせたくないと思っていたため、この時彼女の心は彼を死なせない方向に大分傾きます。
 しかし彼女は強い恐れを感じます。現在執筆中のこの小説は彼が死ななければ最高傑作にはなり得ません。彼女は小説家として、どうしても彼を死なせなければならないのです。彼を生かしてしまえば作品の出来が落ちてしまう。けれど主人公を死なせれば、実在するハロルドまで死んでしまう。彼女は迷い続け、ぶるぶる震えながら「彼は死・・・」とまで書いてしまいました。けれど「彼は死んだ」とまでは書けず、彼女は苦しみます。苦しんだ末、彼女はこんな結末を書き終えました。彼は交通事故に遭ってしまったけれど奇跡的に生還し、以後恋人と共に幸せに暮らした・・・と。結末が書き終えられたことによって、小説の主人公とハロルドを繋いでいたものは切れ、ハロルドは自由の身になりました。もはや彼は小説家によって殺されはしないのです。
 この結末によって小説の出来はぐんと落ちてしまいましたが、小説家は言います。「だってこれは、自分が死ぬと知らずに死んでいく男の話よ」。「細部を書きなおすわ」。


 *注*「良かった、ハロルドが死ななくて」とホッとしたあなたは性格が良いと言えます。以下の文を読むことはおすすめできません。

 「あれ? なんか腑に落ちない」と思ったあなたはわたしと同類! どうぞ以下の文へ。
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 以下はわたしが解釈した、この小説家の考えです。彼女の「細部を変える」という選択をこう解釈するか否かで、この映画にブラックな要素を感じるか否かが分かれると思います。
 (ハロルドは自分が死ぬかもしれないと知っていた。自分が小説の登場人物かもしれない、ということ気づいていた。気づいている上で、今まで何日間も生活してきたしこのわたしを探し当て、わたしに殺さないでくれと言った。自分が死ぬと知らずに死んでいく普通の男の話より、こっちの方が面白い小説になるわ!)
 彼女は以上のように考えたのではないでしょうか? 小説家であれば誰しも作品の出来を何より大切にするものです。もちろん小説家も人間ですから、人によっては違うでしょうが・・・。人の命か作品の出来かならば、作品の出来。だからこそ彼女はハロルドが実在の人物だと知った時すぐに結末を変えたりはしなかったのです。彼女が細部を変えるという素晴らしいアイディアを思いつかなければハロルドは・・・(><) 殺されていたでしょうね。そして彼女の小説は、自分が死ぬと知らずに死んだ普通の男を主人公にした最高傑作になった。そう思うとこの映画にブラックな要素を感じざるを得ません。
 商品名の中に「おいしい」とあるものの、はっきり言って美味しくない・・・。
 おっと! うっかり本音が飛び出してしまいました。
 けれどこれを飲んだ翌日は、顔の毛穴がきゅっと引き締まっているのを実感できます(医学的根拠は不明。事実が大切)。紀文はこれより遥かに飲みやすい『豆乳飲料 麦芽コーヒー』も出してはいるけれど、効果はこれの方が上。
 だから飲みたい。でもまずい。
 ワタクシは、どうすれば飲めるか考えました。

 試行錯誤した結果、KATAOKAの『バンホーテン ミルクココア』のホットに混ぜるという方法が最も飲みやすく且つ無理がない、ということが判明致しました。味が反発し合わないのです。

 飲み続けるぞ〜ヽ(^∀^)ノ
 中村うさぎさんと高梨真教さんとの対談、高梨さんによる美容整形に関する説明などが載っている本です。

 真実を伝えたい、という中村うさぎさんの思いから、とても赤裸々な内容になっています。血や傷口などグロテスクなものが苦手な方は裏表紙を見ないように・・・。中村さんの術後すぐの顔が写っていますから。裏表紙だけでなく、至るところにグロテスクな描写があるので御覚悟を。
 美容整形をしてみたい、と考えている方には必読の本だと思います。大きく顔が崩れてから手術をするとリスクが高くなるということ、顔のパーツの形を整えることはできるが顔の系統までは変えられないということ、変身願望と若返り願望は別だということ、新しく登場した美容法に「新しいのだから、きっと既存のものより良いのだろう」と安易に飛びついてはいけないということ、などが書かれていますので。
 ただしこの本は美容整形を勧める本ではありません。中村さんはあくまでこの本によって、美容整形が如何に現代的テーマを孕んでいるか明らかにしたい、とのことです。それを御理解ください。
 この本は、別人になりたいという願望が美容整形に結び付くという人間心理が病的なテーマを孕んでいる、ということを明らかにしています。
 中村さんは美容整形の実体験を正直に語り、写真も載せてくださっています。写真を見ると、美容整形はたとえ「プチ」という名がついたとしても手術は手術なのだ、ということが伝わってきます。特に中村さんは今回リフトアップ手術をなさったので手術規模が大きい。わたしは中村さんの術後の、いわゆるダウンタイム中の顔の腫れ方に驚きました・・・。こういったら失礼ですけれど顔が・・・アンパンマンみたいに腫れています(ごめんなさい!)。中村さんもこの本の中でおっしゃっているのですが、美容整形で綺麗になるためには人生で一番の不細工期間を過さなければならないのですね。このダウンタイムに耐えられるか否か、美容整形を考えていらっしゃる方には自己分析していただきたいです。
 勿論、ダウンタイムに耐えられるか否か自己分析するだけでは足りません。自分がどんな顔になりたいのか目標を具体的に設定し(変身したいのか? 若返りたいのか? ということだけでも)、希望する手術内容がどんなものなのか確認し、手術が失敗したらどうするか考えることも必要。医師に任せっきりにして、後から「聞いてなかった」と文句を言うのは駄目。医師は本当にこの手術内容で良いのか、などと確認を取っているのですから。この本の中で中村さんと高梨真教さんが対談中におっしゃっているのですが、医師の説明を上の空で聞いていて、「任せますから」と手術に同意したにも関わらず後で文句を言う人っているんですね・・・。自分の顔のことなのに・・・。中村さんが「自己判断して責任取るの嫌なんだろうね」(P32)とおっしゃっているのですが、その通りではないかと思います。恐らくそうやって文句を言う人は、わたしの推測に過ぎないのですが「手術すれば自分の人生全て良い方に変わるはず。今までは顔が悪かったから駄目な人生だったんだ、性格のせいじゃない。早く手術したい! 手術に失敗すれば医師の責任にすればいい! 自分で判断していたら時間がかかってしまう! 早く手術を!」と考えていらっしゃるのではないでしょうか・・・何だか悲しい推測ですが。いや、わたしもそういう風に考えていた時期があったので・・・共感してしまうんですよ。「自分の顔が悪いんだ」と思いつめてしまうのって。自分の顔に対して誰よりも自分自身が残酷な判定を下してしまって、でも自分は自分を嫌いになりたくないから顔を変えたい、と願うのは当然の帰結だと思うのです。けれど美容整形は手術なのだから失敗することもあるので、医師任せはやめた方がいいと思いますよ。(><) 時間が経てば経つほどリスクは高くなってしまうけれど(顔の崩れ方がひどくなればなるほど手術規模が大きくなるという意味です)、それでもじっくり検討した方がいい。
 別人になりたいから美容整形をしたい、という人と若返りたいから美容整形をしたい、という人では心の持ちようが全く違うようですから。恐らく前者はダウンタイムに耐えられない。美容整形だけでは治療できない苦しみを抱えているのでしょうから。そういった例として、この本ではマイケル・ジャクソンが例に挙げられています。なぜマイコー(ごめんなさい、いつもマイケルをマイコーと呼んでいるので呼ばせてくださいっ)が黒人から白人になり鼻や唇が崩壊したのか? 中村さん曰く「マイケル・ジャクソンが妖怪になったのは、諦めていたことの実現なんですよ。白人になるとか」(P108)。マイコーは「どうせ無理だろうからダイアナ・ロスになろう」と美容整形を始め、やってみたら結構ダイアナ・ロスになれてしまったので「もっと試そう」と考えてしまったようです。
 ・・・マイコーのように自暴自棄になってはいけません・・・。人は若返る方法はいくつか持っています。けれど人は、自分以外の人間にはなれないのですから。

イシャドンの謎

2008年1月24日 笑い
 我が男友達Fくんと久し振りに会ったら、こんなことを聞かれました。
 「イシャドンって何?」
 Fくん曰く、Fくんが働いている博多の料亭に鹿児島からのお客さんが来て、そのお客さんが「この間イシャドンがどうのこうの」と言っていたのだそうです(どうのこうの、の部分は詳細不明)。
 Fくんは「イシャドンって鹿児島のネッシーみたいなもん?」と興味津々。
 さて何でしょうね。イシャドン。
 ワタクシはFくんにこうヒントを出しました。「イシャドンはね、生き物だよ。イシャドンのメスは人間の体を切り裂くんだよ。でも最近鹿児島ではイシャドンの数が減ってるんだ」。
 さて、読者の皆様はおわかりになったでしょうか・・・。イシャドンの正体。
 答えは・・・NHKなどで鹿児島の離島における医者不足などの特集を見ればお判りになるかと存じます。イシャドン。医者どん。「どん」には敬称という用法がございます(*注*現代において、一人称で自分のことを「おいどん」という人はいません)。
 Fくんが聞いたお客さんの言葉「イシャドン」が本当に「医者どん」なのかはわかりませんが、その可能性は高いのではないかなあ、と鹿児島出身のわたくしは思います。
 嗚呼、本当に鹿児島に怪獣イシャドンがいたらいいのに〜。桜島に群れをなして棲息するイシャドン。桜島が噴火する度に生まれてきて、灰と共に風に吹かれてどこへなりと移動する。主な栄養源は桜島大根。イシャドンの姿は清らかな心の持ち主にしか見ることが出来ない。けれどイシャドンがやってくると洗濯物や車が問答無用で灰まみれになるためイシャドンは害獣指定されている、なんて如何でしょうか・・・。

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 後日この話を他の友達に話したら、「イシャドンってテポドンの仲間?」と言われました。むーん。ミサイルよりは怪獣の方がなんぼか可愛らしいですな。
 最近身の周りでもニュースでも、思わぬ悲報を知ることが多くなってきました。悲報を知る度にわたしはこの曲を聴きたくなります。マドンナの『ダイ・アナザー・デイ』。「わたしが死ぬのは今日じゃない」と歌ってくれるから。
 この曲のPVで、マドンナは処刑されようとしている女性を演じています。なぜ処刑されるのかはわかりませんが、処刑人たちはひどく彼女を殺したがっています。この曲が映画『007 ダイ・アナザー・デイ』のテーマであることを考えると、もしかすると彼女はスパイ行為をした罪で処刑されようとしているのかもしれません。彼女の心の中では、生きようとする衝動と死のうとする衝動とが闘います。彼女は髪を振り乱し、処刑人に唾を吐き、必死にもがいて生きようとします。彼女はこう歌います。「わたしが死ぬのは今日じゃない」「今はわたしが逝く時じゃない」「この(悪)循環を壊してみせる」「(わたしを殺そうとする)決まりをめちゃくちゃにしてみせる」。彼女の生きようとする衝動は死のうとする衝動に打ち勝ち、彼女は処刑場から脱出します。その一部始終の格好いいこと!
 この曲を聴いていると、「今この時自分以外にも生きている人がいるんだ」と思い出して安心できます。いえ、当たり前なのですけれどね・・・自分以外に生きている人がいるのは。けれど悲報を知ってしまうと、「今はもうあの人はこの世界にいないんだ」という現実と直面してしまうのです。そして「自分が知らないだけで、今この時誰かが死んでいるかもしれない」と思い至ってしまうのです。だから悲報を聞いた後はこの曲が必要。また、昨日うっかり久し振りに映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観てしまったので、わたしは余計この曲に聴き入ってしまいます・・・。
 わたしも生まれてきた以上は必ずいつか死ぬのですが、どんなにみっともなくても構わないので死ぬまでは懸命に生き続けたいと思います。
エルモの災難 〜後編〜
 画像あり。

 実はこのエルモはティッシュカバーなのです。
 試しにティッシュを2枚分引っ張ってみたら、ティッシュが羽根のように見えました。
 わたしは「天使のようなエルモを写真に収めよう」と思ったのです、最初は。
 けれどわたしは好きなものほどいじめたくなる性分。
 ついつい前編のような行為を働いてしまいました。
 ごめんよエルモ。(><)

 わたしは時々、この天使なエルモが部屋をパタパタ飛んでいる夢を見ます。夢じゃなかったらいいのに♪ 捕まえていじめたい(^皿^)←いけません!! ちなみにエルモの羽根は『鼻セレブ』で出来ています。
エルモの災難 〜前編〜
 画像あり。
 一度に画像を複数載せられないため、前編と後編に分けて載せますね。

 ごめんよエルモ。
 初めは君の体の大きさと対比させるために野菜ジュースを君の目の前に置いてみたのです。けれどわたしは、君の目が野菜ジュースを飲みたがっているように見えたのです。だからわたしは思いついてしまったのです。どうすれば、永久に微動だにせぬ君が野菜ジュースを飲んでいるかのように見えるか、ということについて。わたしが思いついた方法は主に幼児がやりがちな行為であり、君は幼いという年齢設定のキャラクタァなのです。
 わたしは迷わなかった。
 迷えば良かった。
 ごめんよ、エルモ(^皿^)

 *画像を見れない方のために、エルモが自分の置かれている状況を説明してくれました・・・*

 エルモ「Look♪ I did it♪ I can drink the vegetable juice through my nose♪」
 余りにも秀逸なタイトルに惹かれて読み始めました。
 著者曰く著者自身もハゲ。著者はテレビディレクターであり、ハゲがテーマの番組を作ったことをきっかけにこの本を著したそうです。
 この本では、「自分たちはハゲることの何を恐れるのか?」ということについて考察がなされています。ハゲている人たちの話を聞いたり、著者自身が自分のことを考えたりしながら、考察していくのです。
 著者は、スキンヘッドにしたことでハゲゆく苦悩と決別しただけでなくスキンヘッドに合う服装を始めたことで女性にモテ始めた・・・という人の話を聞き、このように考えます。「ハゲゆく者が未練を持ち続けているのは、おそらく髪自体にではないのだ。〜(中略)おそらくは、抜けていく髪は僕らが失いたくないものの象徴でしかない」(P34)。
 スキンヘッドにする以外のハゲ対処法は以下の通り。ヘアケア治療、投薬治療、植毛、増毛(カツラもここに含まれる)。しかしハゲの根治治療は未だ無い。生えなかったからといって訴訟するのも難しい。副作用もあって、その副作用ゆえに更にハゲが進むこともある。例えば植毛なら頭皮が炎症を起こしてしまって、毛を引っこ抜かねば治療できなくなってしまうことがある。増毛なら、増毛した毛によって自毛が負担を受け、自毛が抜けてしまうことがある。カツラは1個30〜50万はするしすぐボロボロになってしまうので何度も買い替えねばならず、金銭的負担が凄まじい。おまけに育毛関連企業はハゲゆく人の不安に巧みに付け込んでくるので、ハゲゆく人は夜逃げしなければならなくなるほどお金を使う羽目になってしまう・・・。
 けれどハゲゆく人の中には、断固としてスキンヘッドという道を拒む人がいるのです。スキンヘッドの人は自分に嘘をついている、本当は髪の毛が欲しいはずだ! と。また、周囲に自分がカツラ使用者であることをカミングアウトしたいと考えている人の中にも、カミングアウトした後もカツラは絶対に外したくない、と考えている人がいるのです。・・・カツラをかぶっていることを隠し続けるのは、ハゲていること以上に辛い。だからカミングアウトして、カツラを隠さずに堂々と生きたい。しかし、そもそもハゲていることを隠すためにカツラをかぶっているのだから、カミングアウトしてもカツラは脱がない・・・と。
 ハゲゆく人の心の機微について、著者はこう考えます。「ハゲている自分の姿をさらすか否かということ。しかし、それが大きな違いなのである」(P103)。
 自分がハゲていると認めるか、否か。それが、スキンヘッドという道に行くか、ヘアケア治療・投薬治療・植毛・増毛という道に行くかを左右する。では、自分がハゲていると認めるか否かを決めるのは何なのか? 著者は考えます。「(恋愛においてもビジネスにおいても)外見至上主義社会における不平等こそが、ハゲを苦しめているものの正体なのかもしれない」(P103)と。しかし、ハゲゆく人に向けられる外見至上主義の視線とは、他者の視線ではない。ハゲゆく人が自分自身に向ける視線である・・・と著者は考えるのです。
 「自分がハゲていなかった時代にハゲに対して思っていた気持ちが、そのままハゲになった自分に返ってくる。だからハゲを憎んでいればいるほどハゲに悩む。ハゲを嫌ったりバカにしたりする人たちの心象とハゲで深く悩む人の心象というのは、実はコインの裏表ではないのか」(P113)

 なるほど・・・。真理かもしれません。スキンヘッドにできる人はハゲに対して偏見を持たない人なのかも。
 ちなみにわたしはスキンヘッド推奨派です。我が男友達の1人が20歳にしてハゲ始めたのですが、育毛などにかかる莫大な費用に愕然としてスキンヘッドにしたところ、周りの女性から「潔い」「個性的」「坊主萌え〜」などと高評価を受けたからです(最後の坊主萌えは一体何なのだろう・・・)。本人は大変喜び、スキンヘッドが似合う男になれるようイメチェン真っ最中です。
 そういった例を知っていたので、わたしはこの本を読むまで「ハゲはハゲに対抗する過程が哀しいんだよな。みんなスキンヘッドにしちゃえば一気に悩みが解決するのに」などと軽く思っていたのですが・・・。この本によって、「サラリーマンがスキンヘッドにしたら威圧感が出て仕事に差し障るなあ。カツラをかぶるのも納得だなあ」「自分がハゲていると認めるのは辛いよな・・・自分で自分に辛い評価を下すのだから」と考えを変えていくことが出来たと思います。
環境が厳しければ厳しいほど、綺麗な花が咲く?
 画像あり。
 例によってピントがぼけています。
 赤い薔薇の画像です。
 『美少女戦士セーラームーン』のタキシード仮面がピュッと投げそうな真っ赤な薔薇。

 80歳を超える祖母が祖母の家の庭で、薔薇をてきとうに栽培しているのです。
 わたしも薔薇を鉢植えで育てているのですが、祖母の薔薇の方がはるかに花が大きいし色も綺麗。環境の違いや、品種の違い(わたしが育てているのは『フォーエバーローズ』。しかし、しょっちゅうフォーエバーヤングと言い間違えます)もあるのでしょうけれど。気になる。知りたい。
 わたしが「どんな手入れをしてるの?」と聞いたところ、祖母は「何にもしてないよー」と返しました。「水遣りは? 肥料は?」と聞いたところ、「雨が水遣りの代わりよー。肥料はあげてないよー」。えっ! 薔薇って水も肥料もたっぷり必要なのに・・・。唖然としていたら祖母が「この辺にはノラ猫がいっぱいいるからねー。わたしが肥料あげなくてもいいのよー」。・・・ガーン。そんな濃い肥料では薔薇が根負けしませんかっ?
 わたしは、花は厳しい環境であればあるほど綺麗な花を咲かせる、という話を本で読んだことがあります。逆に心地良い環境では安心して少しの花しか咲かせなくなる、のだとか。確かに心地良い環境であればその花自身が長く生きられるため、無理に子孫を残さなくて良いのでしょうね。栄養を花に回さなくて済む分、栄養を根や茎に回すことが出来るのかも。
 けれどそれにしたってノラ猫の何かが肥料代わりってあんまりじゃありませんかー!(><) もしかしてノラ猫の何かが水遣りの役割も果たしているのでしょうか?
 それでも綺麗な花が咲くならば結果オーライなのでしょうけれど。
 時々通りかかった人が祖母の庭を見て「綺麗な薔薇だねー」と褒めてくださるのですが、・・・真実は告げられません。
左近寺(さこんじ)さんというのは『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場するキャラクターです。

左近寺さんは男性警察官。
男性警察官専用の独身寮(ちなみに名前はニコニコ寮)に住んでいます。
柔道大好き。
プロテインを愛飲しているので物凄いマッチョ。
いかつい顔。
女性と付き合った経験なし。
あるのは苦い初恋経験のみ。
女性など不要、筋肉こそ全て、という考えの持ち主。
そんな左近寺さんがゲーム『どきどきメモリアル』のヒロイン早乙女沙織に夢中になったから、さあ大変!

左近寺さんは沙織とラブラブになるべく『どきどきメモリアル(以下どきメモ)』に熱中。
夜な夜などきメモをやっては「うぉおお何故だ沙織ぃいいい!(10 回以上も誘っているのにデートを断られた)」「デートのお誘いお誘いデートに誘ってくれたあああw(沙織がデートに誘ってくれた)」などと熱狂。
沙織に「大嫌い!」と言われた日には、左近寺さんは絶望のあまり暴走。
ゲーム機とテレビ以外の部屋の家具をめちゃめちゃにしてしまいました。
奇声をあげたり壁に頭突きをするので、独身寮に住む他の警察官は大迷惑。
しかし左近寺さんは止まりません。
どきメモグッズを買い漁り、沙織と一緒に写れるプリクラを撮り、柔道の試合の最中も沙織とじゃれ合っている気分でニヤニヤして負けてしまう始末。
見かねた両津勘吉が左近寺さんからどきメモに関する全てを取り上げましたが、左近寺さんは魂が抜けたようになってしまいました…。(´Д`)  

左近寺さんは虚ろな目をしながら夜道を歩き続けるように。
それだけに留まらず、ゲームが再生されていないテレビ画面に向かってどきメモのオープニングテーマを歌…って…。
沙織に飢えすぎる余り、至るところで失禁を…。

だめです、書いているうちに不憫になってきてしまいました。

なんでそんなにハマるのか?

左近寺さんの気持ちを知るべく、わたしも『ときめきメモリアル(以下ときメモ)』をやってみました。
我が友が何故か所有していたからです。
彼はときメモのためだけにセガサターンを捨てずに取っているとのこと。
…わたしの身近にも左近寺さんがいたようです!

実際にときメモをやってみてビックリ。
まさか本当にフルボイスだとは。
こち亀が大袈裟に脚色してどきメモをフルボイスにしているのかと思っていました。
また、主人公の名前もあだ名も設定可能で、詩織と親しくなるとあだ名で呼んでもらえるようになる。
デートも様々なところを選べ、アプローチの仕方によって詩織の態度が変わっていく。
遊び続けていくうちに詩織の他にも沢山可愛い女の子が登場。
しかもどの女の子も、多少の差はあれど主人公に気がある。

…こりゃー思春期の男子中学生とか、女性に免疫のない男性がやったら熱狂的にハマるだろうなあ…。
 脳損傷を負ってしまった子どもと生きる家族の気持ちを知ることが出来る本です。
 脳損傷は交通事故に遭う、暴力を受ける、高い熱を出す、など様々な原因で起こります。どうしても「自分の子どもには起こらない。他人事」と思いたいものですが、起こる時は起きてしまうのです。「子どもの脳損傷とは一体どのようなものなのか?」「同じように脳損傷を負った子どもを持つ他の家族は、どのように考えどのようなことをしているのか?」「無理に前向きになりたくない。後ろ向きにはなりたくないけれど、今すぐには前向きになれない。ゆっくり前向きになれるような本を読みたい」という家族に読んでいただければな・・・と、わたしはこの本を読んでいて思いました。
 この本にはかなりのページを割いて、低酸素性脳症後遺症になった男の子の事例とその子の母親の気持ちが書かれています。その子はプールで泳いだ後嘔吐し意識を失い心肺停止し、脳損傷を負ってしまったそうです。けれど原因はあくまでも不明。なぜ我が子が? と問うても答えられる人はいません。母親にはその子の元気だった姿がはっきりと思い出せるのに、突然の出来事でその子は以前と違ってしまっています。母親は、朝目が覚めたら我が子が元に戻っていますように、と願いました。けれど残念ながら元に戻ったりはしません。母親は苦しみます。母親は苦しみながらも少しずつ、我が子が少しでも回復するにはどうしたら良いのか、ということを考えたり行動したり出来るようになっていきました。母親は、『多くの人に(子どもが脳損傷を負ったことを)受容できたのね」と言われて辛かった』(P61)といいます。以下、P62の内容を要約して御紹介します。・・・我が子の状況を客観的に見たり、子どもを回復させるために考えたり行動したり出来るようになることを「受容」と言うならば自分たちは「受容」できたことになるだろう。けれど我が子が障害を負ってしまったことについては多分一生受け入れられないと思う。それよりも今どう生きていくか、日々をどう過ごすかの方が大切な気がする。・・・とも母親は言います。この、ショック→否認→悲しみと怒り→適応→再起の流れ。脳損傷の子どもを持つ御家族にも参考になるのではないでしょうか・・・。
 他にも発熱後原因不明の急性脳症になった男の子の事例、交通事故で脳外傷を受けた男の子の事例を読むことができます。また、アトムの会(脳損傷を負った子どもと家族のための会)が家族に行ったアンケートの結果もP108から読むことができます。このアンケート結果には、家族の日常生活の悩みや工夫などが挙げられており、わたしは特にP117の「(家族の)心のケアをする職種が欲しい。ボランティアでなく」という意見が胸に残りました。確かに現在、日本には課題を抱えている本人を支援する職種は多いにも関わらず、その家族を支援する職種は非常に少ないのですよね・・・。日本も家族支援に力を入れるべきだ、と強く感じます。
却下されました。
 画像あり。
 田んぼの何かをむしゃむしゃ食べている鶴たちの画像です。
 画像のピントがボケています。(><) ←ワタクシの頭のピントも?

 ワタクシはこのお正月の間に家族の大切さを実感いたしました。なので、地元では特に珍しくも何ともない鶴を見に、田んぼへと行って参りました。鶴って毎年冬になると家族連れでシベリアから飛んでくるんですよね。何か食べる時も、飛び立つ時も家族一緒。シベリアへ飛んでいく時も、来た時と同じように家族連れ。人間の場合は必ずしもこうはいかないので、羨ましいですね。
 ワタクシは田んぼの何かをむしゃむしゃ食べている鶴たちに「美人に撮るからこっち向いてー」と大声で呼びかけてみました。すると10羽ほどの鶴がこちらを向きました。ワタクシの脳裏にこんな考えが浮かびました。
 (鶴は賢いなあ。もしかしたらゲゲゲの鬼太郎の猫娘みたいに、鶴にヒモをつけて空を飛べる日がくるかも・・・)
 そんな考えが浮かんだ瞬間、こちらを向いていた鶴たちがパッと顔を背けたではありませんか!
 うーん、鶴はテレパシーが使えるらしいですね。賢いわ〜。
 ワタクシのよからぬ考えは却下されました。
 本日の画像は、鶴に顔を背けられた時にパシャリと撮ったものでございます。涙でピントがぼけてしまいました・・・いえ、嘘です。ピント調整を忘れていたのでございます。

 ワタクシの2008年はこんな感じで始まりました。
 皆様の年明けはいかがだったでしょうか。(^V^)
 
 ある日突然イヌみたいな宇宙人とネズミみたいな宇宙人が日本の女の子のところへやってきて、自分たちの星の王子の妃になるよう要求するアニメ。原作者は藤子・F・不二雄先生です。
 イヌみたいな宇宙人の名前はワンダユウ。眼鏡を外した時ののび太の如く、いつも目が「3」の形になっているマール星人です。ダックスフントに似た容姿。敬愛するルルロフ王子に妃を! と力の限り奔走するおじいさんです。奔走し過ぎて暴走しております。
 ネズミみたいな宇宙人の名前はチンプイ。ネズミの顔の輪郭をまる〜くして、耳もまる〜くした感じの容姿。ネズミっぽいのでドラえもんには敬遠されているらしいです(><) マール星の大学を主席で卒業した子ども。頭は良いけれど何せまだ子どもなので、口調といい佇まいといい行動といい、どれをとっても可愛いです。ワンダユウとは対照的に、焦らずのんびりしています。
 そして突然宇宙人の妃になれと要求された日本人の女の子は、春日エリちゃん。12歳。活発で大雑把な性格。外出大好き。いつもいきいきしています。家に帰る際玄関まで行くのが面倒臭いのか、よく庭の垣根を飛び越えて家に帰ろうとしてひっくり返り、パンツが見えてしまっています。しかしパンツが見えようとも堂々としています。スポーツもほぼ万能。お姫様への憧れは余りないようです。綺麗な服は好きだけれど服に縛られるのは嫌い。母親にあれこれ言われるのも嫌い。家の手伝いも出来る限りしたくない。エリちゃんはワンダユウとチンプイの「妃になって!」という要求にハッキリNOと言います。けれどエリちゃんは2人を無下に扱うようなことはしません。友人として2人と接するのです。
 初めは仕事として(初めからワンダユウは使命感にめらめら燃えていたにしても)エリちゃんのところへやって来たワンダユウとチンプイですが、2人は個人的にもエリちゃんを好きになりました。2人はますます、エリちゃんをルルロフ王子の妃に! と頑張ります。その頑張りにほだされることなく、エリちゃんは要求を断り続けます。
 そんな3人の様子がほのぼのと描かれているアニメ。

 幼い頃わたしは『チンプイ』を夢中になって観ていました。(^V^) 当時自分が何歳だったかわかりませんが・・・大人になった今も変わらずに「チンプイ可愛い〜♪」「エリちゃんええ子〜」「ルルロフ殿下の顔が見たいよう」などと楽しく観れるアニメがあって、とても嬉しいです。
 当時は気づかなかったのですが、やたらとジャイアンやスネ夫やのび太にそっくりなキャラクターが登場することにもびっくり! 同じ原作者の作品に友情出演(?)。何だかいいなあ。
 以前はよくクリスマスの時期に『グレムリン』がテレビ放送されていたものですが。ここ数年は放送されていないような気がします。動物愛護の意味合いから放送されなくなったのでしょうか。・・・単にわたしが放送されていることに気づいていないだけなのかも?

 グレムリンは人間にとって悪い悪戯をする妖精。
 モグワイは水に濡らしたり太陽の光に当てたり12時以降に餌をやってはいけない小さな生き物の種族名。宇宙からやってきた生物、という設定があるようです(宇宙から地球にやってきたモグワイをチャイナタウンのおじいさんが拾って云々)。水に濡れるとモグワイの体はぶくぶく膨らみ始め、モグワイの体からポン! ポン! ポン! と新しいモグワイが一度に数匹も飛び出してきてしまいます。太陽の光に当てるとモグワイは死んでしまいます。しかし一番やってはいけないことは、12時以降に餌をあげるという行為。12時以降に餌をあげてしまうとモグワイは蛹になり、蛹の中で変態(変化という意味の変態ですよ)して凶悪なモグワイになってしまうのです。この凶悪なモグワイがグレムリンとして街を引っ掻き回すのです。
 ギズモは、この映画の主人公ビリーの父がモグワイのうちの1匹につけた名前。もこもこの毛並み。体は大人なら片手で持てるサイズ。大人しい性格で、歌うのが好き。映画鑑賞も好き。ラッパをぷぷぷぷぷっぷーっ、と吹くこともあります。飼いたいぃぃ。
 しかしビリーの不注意でギズモに水がかかってしまい(正確に言うとオレンジジュースですが)モグワイが増えてしまいました。それだけに留まらず、ビリーは再び不注意なことをやらかしました。時計の針が止まっていることに気づかず、12時前だから大丈夫だ、と思って・・・。ビリーはもう12時を過ぎているというのに、増えたモグワイに餌を与えてしまったのです! 増えたモグワイは蛹になって、凶悪なグレムリンになってしまいました。グレムリンたちは目が赤く、体毛がなく、体は黒っぽい緑で、鋭利な牙を持っています。グレムリンたちはビリーの部屋から出ていきます。ここで食い止めなければグレムリンたちが家の外へ出てしまい、街が大変なことになってしまうでしょう。
 ここでビリーのママがまさかの大活躍。普通の主婦のはずなのですが。家の中に何かいる・・・! 異変を察知したママは、刺身包丁のような細長い包丁(ペティナイフ?)を握り締めながら、慎重に慎重に家の中を歩き、グレムリンたちの居所を探します。ママは凶悪なグレムリンがキッチンを荒らしているのを発見。グレムリンはママが焼いたクリスマスクッキーをむしゃむしゃ食べていました。あいつわたしのクッキー食べてるわ・・・! ママの頭の中で何かが切れちゃった模様。ママはグレムリンをミキサーにかけました。仲間を殺されて怒った他のグレムリンがママに皿を投げつけてきます。ママは素早くキッチンに置いてあった折りたたみ式テーブル(?)を盾にし、皿投げ攻撃を防ぎます。グレムリンが皿を投げる度にお皿が割れていきます。こんなに割っちゃってどうしてくれるのよ! ママは攻撃を防ぎながらもグレムリンとの距離を素早く詰め、包丁でグレムリンをめった刺しにしました。これにまた他のグレムリンが怒り、ママに残りのクッキーを投げつけてしまいました。何という命知らず。ママはクッキーを焼き直さなくてはなりません。ママはこのグレムリンの顔に何かのスプレーを噴射して怯ませた後、レンジに入れてチンしてしまいました。グレムリンはレンジの中で弾けてしまいました。・・・次にクッキーを焼く時はこのレンジを使わないで欲しいですね。グレムリンの香りがほのかに香るクッキーになってしまいますもの。更にママは、まだ他の奴が残っているはずだわ・・・、と包丁を持ってリビングに移動。リビングで息を潜めていたグレムリンはママに向かってツリーを倒し、ママの動きを封じました。しかしママは動きを封じられながらも包丁で応戦! ・・・ママの経歴を知りたいです。
 テレビ放送がされていないのはママの功績に因るところが大きいのではないでしょうか。グレムリンが太陽の光で溶けるシーンの気色悪さもさることながら・・・、ママ最強☆
 結局ビリーがグレムリンのリーダーを取り逃がして、街を引っ掻き回されることになるのですが。

 グレムリンは「悪い悪戯をする妖精」。この悪戯が微笑ましいものばかりなので、これから『グレムリン』観るよー、という方は是非注目してみてください。勿論ママにも。(^皿^) また、この映画の中で、スティーブン・スピルバーグが特に意味もない感じにカメオ出演しているのでその辺にも注目を。
 斧男が出現する前のストーリー展開は善人が極めて残忍な方法で殺されていくものなので、そういったものが苦手な方はご注意を・・・。
 怖さを求める方は斧男が出現した時点でプレイするのをやめた方が良いです。斧男が出現した後から急速にストーリーが崩壊してしまいますので。ネタを求める方は最後までプレイしてみましょう。

 CAPCOMはこのゲームによって新たなジャンルを開拓しました。アクションホラーギャグ魔女っ娘変態演劇です。何だそりゃ、って? そう、このゲームをプレイする者は「何だこりゃ?」と頭を抱えるのです。これまでホラーゲーム『クロックタワー』『クロックタワー2』を作ってきた会社・ヒューマンの元社員は泣いているかもしれません。ヒューマン倒産後クロックタワーはCAPCOMに引き継がれましたが、CAPCOMの「自分たちなりのクロックタワーを」というチャレンジ精神のせいでゲーム史に残る迷作になってしまいました。
 冒頭のストーリーを御紹介します。
 14歳の主人公アリッサは寄宿舎で暮らしています。父はアリッサが赤ん坊の頃に死んでしまい、祖父は行方不明。アリッサの家族は母だけ。しかし母は、絶対に家に帰って来てはいけないと言って、嫌がるアリッサを寄宿舎に入れました。母の真意を知らぬままアリッサは寄宿舎で暮らしてきましたが・・・、15歳の誕生日を前にアリッサのもとへ母から手紙が届きました。手紙の内容は誕生日を祝うものではありませんでした。「誕生日が過ぎるまで、どこかに隠れて!」。胸騒ぎを覚えたアリッサは、帰るなと言われていたにも関わらず家に帰ってきてしまいます。けれど家の中に母の姿はありません。家の中には見知らぬ老紳士がいて、「お母さんは出かけた。〜永久に帰って来ないかもしれない。つまり今日からお前は一人ぼっちという訳だ。ハハハハハハ・・・可愛いアリッサ」と言いながらアリッサを抱き寄せてきます。唇にキスしそうな勢いで顔を近づけてきます。変態です。警戒するアリッサを見て、変態老紳士はまたも「ハハハハハハ・・・」と笑いながら去って行きます。アリッサは母に関する手がかりを見つけるため家の中を探索。探索しているうちに、唐突にもアリッサは過去にタイムスリップしてしまいました! しかもどうやら運悪く戦争が起こっている時代の街にタイムスリップしてしまった模様。アリッサのいる街は爆撃を受けます。か弱い女学生という設定のアリッサですが、なぜかアリッサは特殊訓練を受けたかのような見事さで爆撃をよけ、倒れてくるバスをよけ、怪我1つ負いませんでした。
 冒頭から何かおかしい匂いがプンプンします。
 アリッサがすべきことは以下の通り。聖水のビンに水を汲んでその水をかけることによって、幽霊や敵を怯ませたり、封印された場所の封印を解いたり、魔法陣を発動させること。この世に未練のある幽霊に遺品を渡してやることで幽霊を成仏させアイテムや情報を貰うこと。アリッサはこれらのことをしながら現在に戻ったり過去へ行ったりを繰り返し、謎解きを進めていきます。
 アリッサを襲ってくるのは、無残な死に方をしてこの世に未練を残した幽霊と、「魔のモノ」と呼ばれる正体不明のものに魅入られた殺人鬼たち。幽霊に捕まってしまうとアリッサはバキッという音と共に殺されます。首を折られるのかもしれませんね。敵はハンマー男、硫酸男、斧男、シザーマン、シザーウーマン、そして黒幕(ネタバレになってしまうので「黒幕」とだけ書かせていただきます)。敵はそれぞれの名が示す通りの方法で襲いかかってきます・・・と言いたいところですが、なぜか唐突にハンマーがトゲのあるハンマーに変化したり斧が鎌になったりします。敵は全員変態です。斧男はややまともと言えるかもしれませんが。黒幕の変態っぷりは凄まじいです。アリッサは敵に襲われたら、逃げたり隠れたり聖水をかけて怯ませるなどして回避するのですが、回避せずに敵と戦うことも可能です。敵と戦う場合・・・アリッサの足元に魔法陣が出現し、聖水のビンが宙に浮かんで光り始め、聖水のビンがなぜか弓に変身するのでその弓を使って戦います。アリッサが矢を空に放つと空に魔法陣が出現し、魔法陣が光を帯びて強力な光となって敵に向かって落ちていきます。敵は消滅。・・・どういうことなのでしょうか。
 キャラクターたちの話し方やリアクションはやたらめった大げさで、演劇を見ているかのような気分にさせてくれます。メイクと衣装のない宝塚? 歌わない劇団四季? どう例えれば最もしっくりくるのかわかりません。このゲームのCGムービーの監督を担当したのは故・深作 欣二監督なので、爆撃シーンや善人が極めて残忍な殺され方をするシーンには非常に気合が入っているのですが、他のシーンがどうもおかしい。空飛ぶ時計盤に乗って空を飛ぶアリッサが、まだ空を飛んでいるのに立ち上がって「うふっ♪」と笑って両手を広げるシーン・・・。・・・。色々な意味で危ないですよ。
 黒幕はアリッサを殺そうとする時、わざわざアリッサを古代ギリシャの服(キトンと言うべき? ペプロスと言うべき?)をミニスカート及び右胸が見えそうで見えないようアレンジした衣装に着替えさせるし、アリッサに攻撃されている間なぜか悦んでいる様子だし変態にも程があります。

 ・・・『クロックタワー3』という名前にすべきではなかったのではないかと思います。1、2と余りにも違いすぎて、ほとんど違う作品。一応、時計と塔とバロウズ家は登場しますので、『CAPCOMが作ったクロックタワー 番外編』などと「番外編」を名前に組み込めば良かったかもしれません。
 散々指摘してしまいましたが、嫌いなゲームではありません。むしろわたしはこのゲームが好きです。このゲームには、敵の変態っぷり、善人が殺される不条理さ、幻想即興曲の美しさなど他のゲームには無いものが多々あります。そして一番の魅力は、アリッサが四つんばいのまま後ろに進めることです。・・・アリッサ、ミニスカートでそれはやめときな!

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