レストランなどでカレーを頼んだ時。
 「こちらカレーになります」と言われたことありませんか?

 わたしは一度でいいので、
 「カレーになった状態で持って来てください」と店員さんに言ってみたいです。

 焦らしプレイは要らないんだああぁ!
 こっちはカレーが食べたいんだああぁ!

 店員さんがテーブルに置いてくれた、どう見てもカレーなのに店員さんの「カレーになります」という言葉によって今現在カレーではないと否定されてしまった謎の料理を見つめながら・・・。

 今 食 べ て い い の か迷います。

 
 画像は『カウントダウン・オブ・「スカイ・クロラ」』より。

 *注*
 わたしは原作を読んだことがありません。
 以下は映画を見て、わたしがわたしなりにキルドレを解釈した文です。
 正しいとは限りません。
 ネタバレ注意。

 

 キルドレは突然変異によって生まれた「戦争で死なない限り死なない人間」ではない・・・、わたしにはそう思えました。
 彼らはその死の理由が戦争であっても戦争でなくても死ぬ。けれどそれは、完全なる死ではない。
 体を再利用されている。
 人為的な輪廻転生。
 この世界は、そういう技術を持った世界。
 キルドレは、戦争というショーを全人類に魅せる為に作り出された、全人類が所有する奴隷のようなもの。
 だからキルドレは人間扱いしてもらえない。
 生きる自由も死ぬ自由もないから。
 人々はキルドレの戦いを見て、「自分たちには生きる自由も死ぬ自由もある」と優越感に浸る。
 

 キルドレは、戦争をするため子どもの頃から戦闘機に乗せられる。
 戦争であるからには、いつ敵に殺されてもおかしくない。
 子どもの頃から日常的に戦っているから、全員が大人になるまでに戦死してしまう。
 だから、キルドレは「永遠に大人にならない子ども」と呼ばれる。

 
 復活したキルドレは新たな名を与えられ、以前居た基地にやって来る。
 本人は最初からその名を持っていたつもりだし、新しく配属されてきたつもりだ。
 基地の人間もそのことを理解しているし、そのキルドレが以前の記憶を持たないとわかっているので、基地の人間はそのキルドレを新しい配属者として扱う。
 けれど。死んでしまえば脳の中の記憶は消失するとはいえ、記憶を覚えているのは脳だけではない。体にも記憶というものは染み付いている。だから、キルドレは以前していた行動を繰り返す。
 例えば、マッチを折ってから捨てる癖。
 例えば、新聞を几張面に折りたたむ癖。
 そして、同じ人間を愛す。

 
 愛する人もやがては死んで違う人間になり、自分もまた違う人間になっていく。
 それでもまた愛し合う。

 
 そんな繰り返しの日々を変えたいと願う。
 「生きる自由、死ぬ自由、愛する自由を望む自分」でいる自由が欲しい。
 「空で戦っていない時も生きていることを実感できる自分」になりたい。

 だからキルドレは「決して勝てない敵」に挑む。
 挑んで、たとえ散ろうとも、また挑み続ける。
 空の上で。

 −−−−−−−−−
 興味のある方は是非劇場でご覧になってはいかがでしょうか。
 テーマからいっても、御自身が1日でも若いうちに見た方が良いです。
 寂しくも美しいオルゴールの音色だけでも、聴きに行く価値あり。レクイエムでありながらも子守唄でもある、そんな音色は稀少です。是非あの音色に体を包まれてみてください。
 わたしは上記(「−」の区切りの上)を恋愛メインで書いていますが、実際は戦争の是非も問いかけてくる映画です。
 DiaryNoteの楽天レビューが、とうとう機能しなくなってしまいました。
 マニアックな商品が出ないとかそういうレベルではないのです。
 「あ」という言葉で検索しても、何の商品も出なくなったのです。
 「い」も「う」も「え」も「お」もぜーんぶダメ。

 
 以前はDiaryNoteも、amazonレビューと楽天レビュー両方を使えたものでした。
 しかし今。
 もはやその両方がありません。

 
 もともとDiaryNoteにはアフィリエイト機能などないので、レビューが出ないことによって金銭的に困るユーザーはいないでしょう。
 けれど記事に、商品画像という彩りを合法的に添えたいユーザーにとっては困りもの。
 わたしは後者です。
 読んでくださる方たちに「こういう面白いものがありますよ」と画像つきで説明出来たら、読んでくださる方たちがイメージを掴みやすいと思うのです。

 ユーザーの中には、自らが所有している本の表紙をデジカメなどで撮り、その画像を掲載するなど努力している人もおられるようです。

 
 うーん。
 DiaryNoteの管理人さんは今年2月「夏に大幅リニューアルを行う」とおっしゃっていたのですが、実際に夏となり、8月に至った現在もそんな兆しはありません・・・。
 リニューアルどころか、突然DiaryNoteがサービス停止!・・・なんてことになりそうで怖いです。


 移転を検討すべき時が来たのでしょうか。


 わたしは中学生の時から大学4年の今に至るまでDiaryNoteで書き続けてきたので、「移転した方がいいのかな」と考えること自体とても寂しいです。(><)
お嬢さん、見えてますよ
 MMO『R.O.H.A.N』にて。

 レベル13になったUlianaさんは、元老院から彼の地まで、極秘の品々を運び届けるよう依頼されました。
 しかし「運び屋」と聞いてすぐ思い浮かぶような銀色のアタッシュケースなど、この世界にはございません。
 あるのは木箱などの、入れ物そのものが重いものばかり。
 馬車を使いたいところですが、なんせ極秘の品々ですので目立ってはなりません。

 Ulianaさん、仕方なく自力で、たった一人で運ぶことになりました・・・。
 優雅でありつつも根性のあるUlianaさんは「どうしてわたくしがこんなことを?」なんて泣きごとを言ったりはしません。
 一所懸命運びました。
 
 しかし道中にはモンスターがいっぱい。
 まだUlianaさんはレベル13。とても弱いです。モンスターは弱いものに情けをかけたりはしません。Ulianaさんはモンスターと戦い、尚且つ勝たねば先へ進めないのです。
 されどこの大荷物。
 これらを運びながらモンスターを何十体、もしかすると何百体も倒すのは骨が折れます。おまけに時間だってかかるでしょう。

 賢いUlianaさんは考えました。

 どうすればより速く、無事に任務を遂行できるのか。

 モンスターに発見されそうになったら、
 荷 物 の 中 に 隠れてしまおう。

 かくしてUlianaさんは、自らの体の上に木箱を積み重ねてモンスターをやり過ごすという荒技を実行したのでありました。
 しかしスカートが見えている・・・!
BONSAI 経過報告
 山もみじのBONSAIは元気に育っています。
 余りにも長く伸びてしまった葉があったので、葉を切って花瓶に挿してみました。
 本当はこの時期、剪定はしない方が良いのですが・・・(^^;)
 臨機応変に♪

 

 そろそろ、BONSAIに名前をつけようかと思います。
 水をやる際に、名前で呼びかけた方がいいような気がして。

 
 今考えている名前案は、

 ●「凡才くん」
  (ひどい!)
 
 ●「ぼん」
  (坊ちゃん、という意味で。性別はわかりませんが)

 ●「梵斎さん」
  (なんか格好いい雰囲気)

 

 BONSAIへ音楽を聴かせる実験は続行中。

 こんな感じで経過報告を終わらせていただきます。
 m(^v^)m
 http://f4.aaacafe.ne.jp/~jiscald/
 上はサークル様HP。

 近未来の病院を舞台としたシュミレーションゲーム。
 フリーソフトです。
 どのエンディングになろうとも必ず主人公が死ぬゲーム。
 主人公の死によって医学研究の文献が増え、次回プレイ時に活かせるというスタイル。
 主人公は一人で多くの患者を診ている貧乏医者。看護師はいるけれど、医者はただ一人。
 主人公は診療に、機材集めに、研修に、と常にオーバーワーク。専門がどうとか言っていられない。ERの如く何でもこなす。眠りたくても急患がやって来て、断れば当然評価が下がります。
 尊厳死を望む患者を尊厳死させたら、患者の家族に訴訟を起こされることもあります。患者にがん告知をしたら患者がパニックを起こして飛び降り自殺することもあります。もちろん「病院側の落ち度」として糾弾されます。
 しかもこのゲームは、患者を完治もしくは完治に近い状態にしないと評価が下がるのに、セーブを重ねれば重ねるほど評価が下がっていく仕組み。
 主人公は貧乏だし過労だし、患者の症状は様々なので、主人公が治療に必要な物資や体力を欠いているのはよくあること。だからそういう時はロードをしてベストコンディションで臨みたいのに・・・。
 作者様サークルはその辺に厳格なようです。
 リアリティーの追及。
 現実ではロードなんて出来ない。
 わたしは自分の評価より患者の命を優先(セーブもロードも重ねました)したので評価は毎回Eランク。なんでだあああああああ!! 医者って何なんだああああああああ!! ・・・すみません、つい未成年の主張の如く叫んでしまいました。
 ・・・しかしながら、ツッコミどころも満載なのでゲームとして中毒性が高いです。

 

 例えば、「ケンジさん」から赤ん坊が生まれたりします。
 例えば、90歳の女性が生理痛を訴えて受診に訪れます。
 例えば、冷子という悲しいエピソードを背負う少女が初登場した際「は、初めてまして・・・」と言う。て、が多いよとツッコミたいけどツッコめない。

 

 −−−−−−−−−−−−−−−−
 以下はわたしなりの攻略まとめ。

    ちょっぴり腹痛→同上。
    睡眠不足と過労→注射と点滴。
  突然めまいで倒れた→同上。
    なんかフラフラ→同上。
       腰が痛い→マッサージと湿布など。
     う、うまれる→手術と「とりだす」など。マッサージも効果あり。
       熱っぽい→ひんやりゼリーなど。
   はっくしょん!!→喉飴と風邪薬など。
      かゆい!!→ひんやりゼリーとハーブティーなど。
      ものもらい→消毒液と目薬など。
 竹の枝が目にピシャッ→同上。
  インフルエンザ流行→抗インフルエンザ薬と風邪薬など。
     リストカット→縫合と包帯など。
    右下腹部が痛い→盲腸手術か手術と痛み止めなど。
    夜なべして手袋→マッサージと湿布など。
隣家がうるさいので頭痛→痛み止めとハーブティーなど。
 し・・・心臓がああっ→手術と人工心臓など。
  学校に行きたくない→会話とハーブティーなど。
   痛い痛い痛い痛い→透析と輸液など。
     ヘビが・・・→血清と痛み止めなど。
   腹痛。血も吐いた→抗生物質と手術など。
  息をすると肺が痛い→抗がん剤と手術など。
階段から突き落とされた→ひんやりゼリーと包帯など。
やる気がなくてイライラ→ハーブティーと会話など。
あいたたたた・・・!!→手術と痛み止めなど。
       酔っ払い→輸液など。
    睡眠薬多量摂取→透析と輸液など。
熱いやかんが落ちてきた→ひんやりゼリーと包帯など。
  起きる度に膝が痛い→マッサージと湿布など。
    赤い斑点が出る→ひんやりゼリーとハーブティーなど。

        心冷子→会話で十分。
             慰めるより会話が大事。
             足りない時はハーブティーなど。
              名前が何とも悲しい。
 −−−−−−−−−−−−−−

 心冷子ちゃんを助けられるエンディングは存在しているのでしょうか・・・?
 わたしは見れませんでした。(><)
 *注* 実物を見た上でのレビューではありません。
 

 むー。むー。
 ワタクシは、これの赤とピンクどちらを買うか迷っています。
 従兄弟夫婦に1人目の子ども(女の子)が生まれたのです。
 ワタクシは出産祝いにこれをプレゼントしたいのです。
 しかし問題は色ですよ。
 赤はハッキリとイチゴですよね。イチゴ狩りに来て行ったら面白いことになりそうな。ここまでハッキリ赤いとよだれも目立たなそうだし。
 けれどピンクも捨てがたい。何たって女の子なのですよ。生後1か月に満たないピュアな女の子ですよ。赤は男の子の方が似合いそうな気がしますよ。
 むー。
 あいにく「2つとも買ってプレゼントする」財力はワタクシにはありません! ニートにリーチがかかってる大学4年就活続行中の身ですし。最近立て続けにお祝いごとがあって財布は既にピンチ!
 けれど従兄弟夫婦には何かプレゼントしたいのです。これまでお世話になってきたし多分これからもお世話になってしまうだろうし、赤ちゃんで遊ばせて欲しいし☆
 ・・・ん? 赤ちゃんと、の間違いでは?
 いいえ間違いではありません・・・。ふわふわほっぺをぷにぷにするのがワタクシの喜びなのです!(^皿^)b 勿論、新生児のお肌は弱いので、薬指で頬に軽く触れるのみ。人差し指だと強く押してしまう気がするので、薬指を使用するのであります。
 話が逸れてまいりました。軌道修正いたします。
 赤・・・。いやピンク・・・。赤・・・。むむー。

 −−−−−−−
 <追記>
 赤に決めました。(○^v^○)
 何故、陽子は勿忘草の香水をつけ続けていたのでしょう。
 華やかな容姿を持ち、お金持ちの家に生まれ、誰にも忘れられないような自信を見せていたというのに。
 何故、陽子は牧子に近づいたのでしょう。
 お姫様扱いしてくれる取り巻きが大勢いたというのに。

 この物語を結末まで読むと、陽子の行動の理由がわかります。
 読み手の胸の中に、思春期に思い悩んでいたことが蘇ります。
わたしは一生をかけてでも、どの色がどんな名を持つのか知りたいと思っています。
 青の名を「青」しか知らず、赤の名を「赤」しか知らず・・・、寂しいではありませんか。
 色の名には、名付けた人の想いや時代背景があるはず。
 例えば「萌葱(もえぎ)」。草木が芽吹く季節が訪れたことの喜びを感じさせます。この本のP17によると、『平家物語』には若さの象徴として萌葱縅しの鎧が出てくるそう。Wikipediaによると、この萌葱は平安時代から近世まで常用されている色で、現在陸上自衛隊の武器科の職種色にもなっているそう(*注*萌黄の可能性あり)。人は時代を経ても、色に同じパワーを感じているのかもしれませんね。
 
 この本は、どの色がどんな風に使われてきたか、カラー写真をで紹介してくれています。例えばP27に載っている南禅寺金地院茶室「八窓席」のカラー写真を見ながら、「この茶室には七官や祗陀利院が使われているのかな・・・? 元々は違う色だったけれど色褪せて今の色になったのかな?」と考えることが出来ます。
 解説も丁寧なので、今後も読み返したい本です。 
 アルバム『京』に収録されたこの『徒然謌』は、わたしにとっては「織姫の心情を歌った曲」です。

 「今宵もまた彼の人の夢 頬を染めて咲かせようか」
 織姫は364日の間、夢を見るのを楽しみにしているかもしれません。
 7月7日、今夜だけは彼の人は目の前に。
 それなのに今宵もまた・・・なんて言いながら頬を染めている、そんな織姫を、わたしは星空の下から想像します。
 パーサーが着けているバッジの色でパーサーの階級がわかるんですね。初めて知りました。
 赤ならアルバイト。えんじなら社員。社員の中でも、改札業務を任されていると緑。グリーン車の責任者をしているなら青。列車全体をフォローしているなら紫。新人研修の講師をしているなら黒。(*注*業務内容についてはところどころ省略しました)
 赤<えんじ<緑<青<紫<黒
 
 この本の著者はえんじ色のバッジ。著者は2006年に、著者が在籍する東京列車営業支店において売り上げNo.1パーサーになったそう。
 
 この本では、著者がなぜ売り上げNo.1になったかが書かれています。
 著者曰く「努力と笑顔が理由」。その努力と笑顔のためにはお客様への気遣いが必要だ・・・ということがこの本の全体を通して書かれているのです。
 
 飛行機ではお客様が途中下車することはない。
 けれど、新幹線の場合はいくつかの駅で停車するので、その度下車するお客様も乗車するお客様もいる。
 だから、もしも接客で失敗しても挽回するチャンスは無いと思った方がいい。接客チャンスは一度きり。
 その一度に心を込める。お客様の抱えている背景を想像しながら接客する。お客様は機嫌が悪いのかもしれないし、体調が悪いのかもしれないし、悲しいことがあったかもしれない。
 そういったお客様に出逢った際、「接客にあたっての五A」を思い出す。
 アタマニクルナ。アワテルナ。アセルナ。アキラメルナ。(先輩を)アテニスルナ。

 著者はそういった心がけを、接客業として当たり前のことであり、当たり前のことを丁寧にやれば結果に表れる・・・と捉えているようです。

 
 −−−−−−−
 わたしも接客のアルバイトをしているので、この本に出会えて良かったです♪ 思い返せばわたしは五Aが出来ていませんでした・・・反省。
 まず、タイトルでおやぢ風な発言をしてしまったことを深くお詫びいたします。
 ワタクシは体は女、中身はおやぢですので今後ともよろしくお願いいたします。

 
 −−−−−−−−−−−
 
 西山茉希ちゃんが、アメブロで書いてきたオフィシャルブログ『MAKI LIFE』を今月7日に終了してしまうとのことです。明後日です。
 
 知らない人のために説明しよう☆
 西山茉希ちゃんとは!
 可愛い女性である。
 以上。

 ・・・いやさすがに簡潔すぎる。
 西山茉希ちゃんはCanCam専属モデル。
 K−1リポーター。
 ブログでの一人称は「おいら」。
 全国放送でボビー・オロゴンの物真似をやれちゃう人。
 ヘアピンを使って変な魅力のあるキャラを作ることが出来る。名前はヘアピン族。(気になる人は『MAKI LIFE』の5月8日の記事をチェック)
 茉希ちゃんの魅力はレミー・ボンヤスキーにも認められている。

 茉希ちゃんはブログを1日に2回更新。
 日々喜んでいたり困っていたりする自分の顔画像と、天然なギャグを織り交ぜた文章を載せています。
 「芸能人のブログだから」ではなく「楽しくなれるから」読みたくなるブログです。
 ヘアメイクさんや他のモデルさんなど周りの人と撮った画像も時々載せてくれるので、ファンは「茉希ちゃんはこういう人たちとお仕事してるんだな〜♪」と知ることも出来ました。

 それなのにブログ終了・・・。
 よりにもよって7月7日に。
 七夕のテーマ「今まで会えなかった者同士が会えるかもしれないし、会えないかもしれない」の後者にいっちゃいましたよ! <(XoX)>
 ブログ終了の理由は、7月7日にブログが書籍化されるから。
 ・・・もう今後はブログを読めないという状況になれば書籍が売れるだろう、という大人の事情があるのでしょうか・・・。それとも、茉希ちゃんが時々「眠れない」とか「好きな人がいる」と書いていることが大人の事情でまずかったのでしょうか・・・。(><)

 けれどあくまで「アメブロ卒業」であって「ブログ卒業」ではありません。
 わたしは希望を持っています☆
 茉希ちゃんがまた書いてくれることを☆ ネっ(o^-’)b

 −−−−−−−
 いつになるかはわからないけれど、アメブロ以外のところでまた書いてくれるそうです。やったー! (^0^)
 *注*
 実年齢18歳以上、精神年齢20歳以上の方にしかおすすめ出来ない映画です。
 

 Scotty doesn’t know♪ Scotty doesn’t know♪ Scotty doesn’t kno〜w〜♪
 マット・デイモンが歌うこの曲が鼻歌に出るようになったら、あなたも「お馬鹿映画好き」の仲間入り! あれ? 嬉しくない?(^皿^)
 マット・デイモンは主人公スコッティーから彼女を奪って「スッコティーは知らねえ 毎週末俺が彼女と車で(以下略) 教会に行くと言って(以下略) 奴の誕生日に(以下略)」と歌うのです。その歌をスコッティーが聴いてしまったので歌詞を「Skotty does know」に変えるべきなのですが、変えたら余計悲惨さがアップするのでやめておきましょう。マット・デイモンがやたら楽しそうなのが何よりです。今ではもう周りが止めてしまうので、こんなB級お馬鹿映画には出られないでしょう。一生の記念ですね♪(^皿^)b
 何たってこの『ユーロ・トリップ』は青春お馬鹿映画の傑作です。
 健全な青少年としてのエロネタ、ゲイネタ、フーリガンネタのみならず、ドイツの口髭が生えてて右腕上げてるあの人のネタや、教皇が亡くなったことを知らせる鐘を鳴らしちゃったりと不謹慎の極みなのに、うまいこと爽やかに仕上がっている傑作なのです。

 <あらすじ>
 主人公たちは高校を卒業したばかりの若者4人。4人のうち3人がノーマルな男性。1人はノーマルな女性。
 彼らはメル友に会うためアメリカからベルリンを目指して旅立ちました。
 しかしなかなかベルリンまで辿り着きません! 

 
<彼らの寄り道の数々を、大人の事情で端折りつつ御紹介しましょう>
 1. 経由のため、まずロンドンに着く。うっかりフーリガン専用バーに入る。命惜しさにフーリガンと仲良くなってしまい、試合が行われるパリまで拉致される。
      
 2. せっかくパリに来たからルーヴル美術館へ。美術館前でロボットダンス(?)をしている大道芸人と出会う。主人公もふざけて対抗。ロボットダンスで通行人からお金をゲット!  「ここは俺のシマだ」と大道芸人が怒ったのでロボットファイトをする。勝つ。

3. 列車の中でロボット大道芸人と再会! ロボット大道芸人はゲイだった。主人公のうち男性は触 ら れ る。

 4. ヨーロッパ1のヌーディストビーチへ♪ わくわくしながら行ってみた。けれど女性なんていやしない。いるのは女性目的にやってきた全裸の男性たちのみ。主人公たちのうち1人は女性がおり、この女性が水着姿で現れたのでビーチにいた男性たちが寄って来た。・・・想像してください、ゾンビが食欲じゃない欲に特化してしまったバイオハザードを! 主人公たちは無事逃げ切りました。
 
 5. 高校を卒業したんだもん、オトナのお店へGo♪ ヨーロッパ美女に囲まれて幸せ〜と思いきや。うっかり女王様と下僕のお店に入ってしまった! ・・・翌朝、痛い思いをしながら旅行する羽目に。
 
 6. ヒッチハイクに失敗。スロバキア共和国へ。アブサンを飲んでぶっ飛んで、近親(キスしかしてないけど以下略)をやらかしてしまう。
 
 7. やっとメル友の家へ辿り着いた! だがメル友は旅に出てしまっていた。主人公たちはメル友を追いかけてバチカンへ。
 
 8. 教皇が死んだことを知らせる鐘を鳴らした。新しい教皇が決まったことを知らせる白い煙をあげた。主人公はここでメル友を発見! 慌てる主人公は司教帽(?)を被り、杖(?)を持ち、金色のカーテンが体に巻いた状態で群衆の前に出てしまった。群衆は「新しい教皇だ!」と勘違い。歓声があがる。世界規模でTV中継をされる。とりあえず手を振って歓声に応えてみる。(‘ ▽‘)ノ
 
 9.... 結末は御自分でどうぞ♪

 しかしくれぐれも実年齢18歳以上、精神年齢20歳以上じゃないと見ちゃダメですよー。これに該当する方も、家族や恋人と一緒に見ないようにお気をつけください♪
明日も就活です
 友達のほとんどが就職先決まったようです。
 いいなー。追いつくぜっ。
 わたしは友達みんなに「就職先が決まった人は決まっていない人全員に御飯を御馳走することにしよう」と3月頃に提案したので、最近は奢ってもらいっぱなしです。
 フフフ、わたしには予知能力があったのSA☆
 ・・・嬉しいような悲しいような能力・・・(+ε+、)

 明日は福岡で就活です。
 Ulianaさんにも代理お参り(?)をお願いしました。
 内定よ来はし給へ〜。
 雨が降りそうな湿度だけれど、晴れた空の下。たくさんの人たちが熊本市民会館前に大集合しておりました。地元中学校の制服を着た女の子もいましたし、奥様らしき白髪の婦人と連れ立った白髪の紳士もいらっしゃいました。まるで違う人生を歩んでいる人たちが同じ時間同じ場所におそらく数か月前から楽しみにして集うのだから何だか幸福な気分です。
 公演は第一部、第二部の構成で始まりました。

 
 <第一部 相馬の千太郎>
 第一部はお芝居。
 太一さんは若い渡世人役(今でいうチンピラですね)。名は千太郎。
 千太郎は妹・お美代と共に、十何年かけて母を捜し続けてきました。父は明暦の大火で亡くなっており、千太郎とお美代は兄妹二人で苦労してきたようです。苦労しながらも、もしかしたら母はお金に困っているかもしれないと思い、千太郎はお金を貯めてきました。そのお金を貯めるために渡世人になったようなのです。二人が持っているものといえば、お美代が「おっかさんの鈴」と言って大切にしている鈴くらいでしたから。
 母らしき人が見つかったとわかって喜ぶ余りお美代の姿を見失う千太郎の姿はお客さんを笑わせました(お美代は千太郎のすぐ後ろにいました)。千太郎はお美代がおぶっていた赤ん坊を兄貴分にホイッと渡してサッと出発してしまいました。・・・兄貴分困ってた(^皿^)
 この、千太郎とお美代の関係がまた良いのです。天真爛漫なお美代に千太郎の心はどれだけ救われてきたことでしょう。お美代が「おっかさんに会いたいよ〜ぅ」と素直に何度も言ってくれるので、千太郎自身が言わなくて済むのです。自分も母に会いたいけれど、それよりもまずお美代と母を会わせてやりたいという想いが強くなるから。
 お美代は千太郎のことが大好きなようです。お美代は千太郎に母がどんな顔をしているのか尋ねます。千太郎に似ているのか、それともお美代に似ているのか。千太郎はお美代に似ていると答えたのですが(*注*すみません、うろ覚えです・・・)、お美代は母が千太郎に似ている場合も喜んだでしょう。
 千太郎がおにぎりを渡すと、お美代は笑顔ですぐ食べ始めます。そんなお美代に千太郎は「あんまり急いで食べるなよ(*注*セリフはうろ覚えです)」と優しく言いました。お美代はおにぎりを食べて眠くなってきた様子。眠くなったお美代の頭はだんだん傾いてきて、大きな石にぶつかりそうになりました。千太郎は、お美代の頭にそっと手を添えてやりました。起こさないように、そっと。
 そんな兄妹でした。
 それなのに。母の元へ向かう千太郎とお美代を、渡世人たちが追ってきたのです。千太郎はお美代を隠して、渡世人たちと戦いました。けれど渡世人がお美代を見つけ・・・。兄貴分も駆けつけてくれましたが、間に合いませんでした。
 千太郎の肉親は母のみになったのです。
 千太郎はお美代の遺髪と、お美代が「おっかさんの鈴」と大事にしていた鈴を持って、母の元へと向かうのです。お美代と母を会わせたくて。

 ・・・。これから見る方のために、この先のストーリー紹介は省かせていただきます。・・・けれど少しだけ! どうしても書きたいので書かせてください。
 わたしは千太郎がお美代の仇である渡世人たちに「親はいるか? 子は? いなきゃ斬る」と訊く殺陣シーンも好きですが、最後のシーンが最もグッときました。千太郎の、母の元へ行きたいという想いと、やはり行けないという想いの両方が強くて・・・。たくさん降っていた紙吹雪は、千太郎の涙なのだと思います。わたしは千太郎が斜め下を見ているような気がしました(*注*前列の方の頭に隠れてよく見えなかったのですが)。もしかしたら振り向こうとしていたのかもしれません。振り向いて欲しい・・・。けれどもしかしたら千太郎は、一度渡世人になった人間が傍に居たらおっかさんの迷惑になる、とも考えていたかもしれません。・・・嗚呼。

 
 <休憩時間>
 25分間の休憩がありました。
 この間に太一さんは千太郎からお姫様へミラクルチェンジ☆
 お客さんの層は幅広かったのですが、年配の方も多かったのでお手洗いや水分補給などをゆっくりしていただく為に丁度良い休憩時間だったと思います。
 わたしものんびり自分のペースで休憩して会場へ戻れました。
 休憩時間の間、会場内では太一さんが百人一首を朗読したCDが流されていました。聴く者を照れさせる声・・・。罪だわ。

 
 <第二部 蒼伝説>
 第一部では話に集中してしまって気付かなかったのですが、蒼伝説の舞いを見ていて気が付きました。劇団朱雀って太一さんと同じくらいの若い方もたくさんいらっしゃるんですね。役のためなのか、茶髪の方もいらっしゃる。こういう環境の中で太一さんはお稽古をなさっているんですね。劇団の座長さんはお父様で、座員の中にはお母様もいて、従兄弟もいて(*注*多分従兄弟さんが出ていたと思うのですが・・・違うかも? 弟さん?)。公演が終わったら座員みんなで「ここはこうした方がいい」などと反省会をしたりするのでしょうか? 家族でありライバルである・・・月並みですがそんな快い空気を感じました。
 さあ。
 姫君の登場です。
 わたしは心臓止まるかもと思いました。否、割と座席がアンプの近くだったので、激しい音楽が心臓に響き、実際やばいかもと思ったのですが。
 指先まで綺麗・・・。
 恥じらう時の手の形、争いを止める手の形。何て綺麗なのでしょう。
 見ていてふと、広隆寺にある弥勒菩薩の指を思い出しました。あの指を真っ白にした感じ。
 わたしは姫君の周りで舞う女性たちの踊りにも魅せられました。なめらかな曲線を描きつつ、表情は誇らしげ。この女性たちは姫お付きの女官なのでしょうか? 龍神や風神(多分・・・)が登場するくらいなので、この女性たちも精霊か何かなのかもしれませんね。
 竜宮城の王様とお妃さま(多分・・・)が登場し、舞台は終わりへと向かいます。王様とお妃さまの距離が縮まっていくところが何とも自然。わたしは「この二人はどんな物語を持っているんだろう」とドキドキしました。
 姫君の御顔は、登場する度にどんどん眩くなっていくように見えました。わたしは姫君の御顔を見ないように見ないようにしておりました。だって。あの、冷たくも美しい笑み。見たら竜宮城から帰れなくなるんです〜!
 クライマックス。
 太一さんのお辞儀。座員皆さんのお辞儀。踊りをしている人たちはこんなお辞儀が出来るのですね・・・。如何に稽古に打ち込んだかがここに集約されるのかもしれません。正直言って、若い座員さんの中には普通の歩き方の足運びをしている方がいらっしゃったのですが、あの方はどんなお辞儀をしていたのでしょう。出来れば見たかったです。

 
 <送り出し>
 座長さんと太一さんによるお見送り。熊本でもちゃんとありましたよ〜♪
 お客さんの中には送り出しのことを知らなかった方もいたようです。わたしの近くに座っていた女子高生二人が、目を見開いて、顔を見合わせて、キャーッと悲鳴をあげていましたよ。それを見てわたしも思わず微笑んでしまいました。良かったねー。
 お客さんは全員、会場の右側通路からロビーへと出て行きました。座長さんと太一さんはロビーで待ってくださっているのです。スタッフさんが「写真撮影は禁止です! 撮影された場合お見送り中止となることもあります!」という内容を何度も叫んでくださったこともあり、お客さんの流れは良い方に入ったと思います。ロビーへ近づくにつれて、お客さんの期待が高まっていくのがわかりました。
 わたしの近くには、浴衣を着た女性とその彼氏らしき男性がおりました。ロビーへ近づくにつれ、彼氏らしき男性がそわそわし始め、女性の腰を抱こうとしておりました。周りに人がたくさんいるから彼女を守ろう、というのではなく多分彼女の心が一時的とはいえ自分から離れたのが不安だったのかも・・・? 彼女がその手を除けようとしても、その男性は尚も手を伸ばしていました。結局その男性が本当に彼女の腰を抱いてしまい、彼女の浴衣の帯がぐしゃっとなってしまったのが哀れでした。(>0<;) 不安なのはわかるけれど、彼女はこの時のために浴衣を着つけてきたでしょうに・・・。もー。その彼女、帯を乱されて怒っていたようですが(当然です!)、座長さんと太一さんの前にくるとパッと笑顔になっていましたよ。(^v^) これも当然ですw
 ・・・わたしはハッキリ言ってびびってしまったので、座長さんと太一さんの傍に寄ることもせず、遠くで「ありがとうございました」と言って会釈をして、それで帰って来てしまいました。
 嗚呼。自分の馬鹿。
 座長さんも太一さんも疲れているのに、お客さんのためにとお見送りしてくださったのに・・・。パワーは貰うものじゃなくて借りるものだから、返さなくちゃいけなかったのに・・・。借りっぱなしです。(><)

 
 皆さん、素敵な時間をありがとうございました。
 また公演に行きたいです♪m(*’v’*)m
 次こそはお礼を伝えたいと思います。
 
 お客さんの雰囲気も良かったなあ〜。
 *お詫び*
 わたし自身普段のマナーが良い方ではないので、こんな偉そうなお願いをするのは恥ずかしいのですが・・・。
 以下を読んで、「言われなくても当たり前に出来る」と不快に思う方もいらっしゃると思います。
 いらっしゃって欲しい、と思いながらも書きます。
 あらかじめお詫び申し上げます。
 

 明日、熊本での蒼伝説に行く方々へ。(行く方はこれで何の公演のことかわかるはず・・・)
 蒼伝説、心苦しいことながら他の会場でのお客さんのマナーが悪かったそうです。
 公演自体は盛況だったようですが、問題は送り出し。
 写真撮影は禁止なのに無断で写真撮影をしていたり、ケータイでムービーを撮っていたり、そうしてお客さんが立ち止まってしまうせいで他のお客さんがつかえてしまったりと色々あったようで・・・。

 熊本ではそういうことが無いようにしませんか。
 「熊本ってマナーいいな!」と思ってもらえて、また気持ち良く公演に来ていただけるようにしませんか?(*^0^*)

 
 なので提案です。
 ●写真撮影はしない。
  どうしても撮る必要があるのなら、お目当ての役者さんに了解を得てから撮影する。(蒼伝説は原則写真撮影禁止です)
 ●ムービーも勿論撮らない。
  これも、どうしても撮らないといけないなら了解を得ましょう。
 ○「ありがとうございました」「良かったです」などと役者さんに感謝の気持ちを伝える
 ○長く立ち止まらず、スッとその場を離れる

 
 いかがでしょうか。
 わたしも明日の熊本の夜公演に行きます♪
 一緒に参加なさる方、楽しみましょう♪ヽ(^▽^)人(^▽^)ノ
 
 妊娠8か月の女性が恋人の後を追って身を投げた・・・。
 ジャンヌ・エビュテルヌという女性はそんな死に方をしました。
 彼女のお腹にいたのはモディリアーニとの間に授かった2人目の子ども。
 子どもは父に会えなかっただけでなく生まれることもできませんでした。
 この本を読むまで、正直わたしには彼女の行動がさっぱり理解出来ませんでした。「せめてあと2か月待って産んでから、1人で後を追えば良かったのに」「1人目の子どもを連れて逝かなかったことは不幸中の幸いか・・・」などという感想ばかり浮かびました。
 モディリアーニの描いた、瞳のある彼女と瞳のない彼女。彼女の自画像に描かれた彼女の瞳の強さ。この本のP69,70に書かれている見解。

 
「彼女は子育てができず、乳母に預けっぱなしでした。すべての愛情はモディリアーニに集中して注がれたのであり、モディリアーニなしには生きてゆけなかったのです」


 これらを知って、わたしも少しは彼女の気持ちを考えることが出来ました。
 彼女は少なくとも6:4で物事を好きか嫌いかに分ける女性ではなかった・・・わたしはそう思います。7:3か8:2か9:1か、10:0か。それは彼女自身に聞いてみないとわかりませんが、少なくとも6:4のバランスではない。
 モディリアーニが描いた絵で、彼女は短刀で胸を突いて自殺しています。この絵の題は「自殺」。(この本ではP73に掲載)
 モディリアーニは彼女の自殺を予想していたのでしょう。彼は当時まだ不治の病だった結核に罹っていました。結核に罹っているにしては長く生きてこれたものの、多分自分は長くない。もし自分が死んだら彼女は死ぬだろう・・・。そう思って描いたのではないでしょうか。
 彼女をよく知る彼がこの行動を予想した、ということからも彼女の価値判断の独特さが読み取れます。もしかしたら彼女が「あなたが死んだらわたしも死ぬわ」とハッキリ彼に言っていた可能性もありますね。
 実際には彼女は短刀自殺ではなく、アパルトマンの6階から身を投げたのですが。
 突然の事故や病で彼を失ってパニックになった訳ではなく、あらかじめ彼は長くないと予想できていながらも後追い自殺をする・・・。「彼がいなくなった世界では生きない」という意思が固かったのでしょう。それはわたしにも何となく理解できます。大切な人が亡くなった時、世界が急速に色褪せて見えた経験がありますから。彼女は「今ここにあの人がいたらこう言うんだろうな」と思い出しては「でも決して言うことはない」などと思い知らされる未来を放棄したのでしょう。ほんの少し彼女を羨ましく思います。わたしも6:4で物事を好きになるタイプではないから。
 けれどお腹の子どもにとってはいい迷惑だったでしょうね。実際これって無理心中でしょう。あと2か月もすれば生まれてこれたのに・・・。わたしには彼女の行動を責める権利など無いのですが、賛同は出来ません。実の親がいなくても子どもは生きられます。生きるチャンスを与えてあげて欲しかったです。・・・けれど彼女にとってモディリアーニへの愛とモディリアーニの子どもへの愛は別だったのでしょうね。
 線引きのハッキリした女性です。
 舞台は昭和が平成へと変わった頃。
 季節は原爆が落ちたのと同じ、夏。
 孫たちは夏休みをばあちゃんの家で過ごしました。じいちゃんは原爆を長崎に落とされて死亡。ばあちゃんはじいちゃんを探しに長崎へ行った際被爆しています。

 孫たちは原爆のことを知ってアメリカ人を嫌いになりかけました。
 ばあちゃんは孫たちに言いました。「みんな戦争のせいたい。戦争が悪かとやけん。戦争で日本人もたくさん死んだけどアメリカ人もたくさん死んだ」と。
 実際に戦争を経験したばあちゃんがそう言ったので、孫たちは少し冷静になれました。
 孫たちはアメリカ人の機嫌を窺う日本人に対しても嫌悪を露わにします。孫たちよりばあちゃんの方が余程この嫌悪を強く感じていたことでしょう。この映画では、ばあちゃんがアメリカに帰化した兄のことを思い出せない、ということでこの嫌悪が描かれています。ばあちゃんは10人以上いた兄弟の名前を黒板に書いていき、その兄以外の全ての兄弟の名前を書くことができたのに、なぜかその兄の名前にはピンとこなかったのです。その兄の上と下の兄弟のことは思い出せる上、真ん中に誰かいたということも覚えているのに。
 この理由については直接的に描かれませんでしたが・・・わたしは以下のように考えます。ばあちゃんは当時兄を「裏切り者」と強く思った。戦時中は鬼畜米英と叫びながら戦後はアメリカかぶれしていく者たちと同じだと思った(別の映画ですがわたしは『火垂るの墓』の最後あたりでこれを強く感じました。レコードを聴き洋服を着る日本人に対して「嫌だなあ」と思いました)。兄を初めからいなかったと思いこもうとした。普通の物忘れとは違い「思い出したい」と思わないから、全く思い出せない。・・・と。

 こういう戦争の傷もあるんですね・・・。
 頭では「戦争が悪いのであって人が悪いのではない」と思っていても・・・。
ギャップがある人に魅力を感じる 〜後編〜
 *お詫び*
 最後までこの画質でした。m(;0;)m

 彼女はこの状態になるまで「これはまずい」と思わなかったようです。
 既に腰の上まで海水きてるんですけど!Σ(=゜ω゜=;)
 もしかしたら彼女は傲慢なわけではなく、ただ単に天然なのかもしれません。
 命の危険を感じた彼女は、淑女であらんとする自らのポリシーと自らの命とを秤にかけ、決断を下しました。
 大切なのは命。
 うん、彼女の思考を少しずつ理解出来るようになってきました。
 しかしやっぱり天然ですね。
 今日は王宮の人間が出払っている、ということには気付いても「今日わたしが王宮に行こうとしたのって無駄足だったわ!」とは気付かないのですから。
 無駄足を踏んだことで死ぬかもしれない、ということに気づいていながらも「何とかしてみせるわ!」とポジティブに考える強さを持っている可能性もありますね。海水に浸かりながら、貝殻のネイルアートをしようかと考えていたくらいですし。

 その後のことを御紹介しましょう。
 結局、淑女のポリシーを捨てて全力で叫び続けても、誰も助けに来てはくれませんでした。ステレオタイプのお嬢様ならば、我が身を儚んだままここで力尽きてしまうでしょう。
 彼女は諦めませんでした。
 この傾斜の崖を自力で登りきって生還を果たしました。

 うーん。
 傲慢なのか天然なのか逞しいのか・・・。
 『R.O.H.A.N』はお試し気分で始めたのですが、彼女を育てて、彼女の行く末を見届けたくなってきました。
ギャップがある人に魅力を感じる 〜中編〜
 *お詫び*
 これも画質が悪いです。m(>0<;)m

 Uliana(ウリアナ)という名は、Ulyana Lopatkinaさんというバレリーナの御名前からいただきました。(*^v^*) 優美さが共通しているような気がして。名前を決める時正しいスペルがわからなかったので、読みをそのまま使ってUlianaにしました。ま、間違えたわけじゃないんだからね!(と、ツンデレっぽさを演出してみる)

 この状態になってすぐにわたしが思ったことは「ドレスが! クリーニングに出さなきゃっ」でした。
 しかし彼女は慌てませんでした。
 ドレスを気にするどころかそのまま座り、次に参加する予定の舞踏会にどんなネイルアートをして行くか考え始めたのです。
 さ、さすがダークエルフの貴族社会を生き抜く女性。
 多分新しいドレスを沢山持っているので一着くらい海水でダメにしても平気だし、普段召使を従える生活をしているのでわざわざ自分から助けを求めたりしないのです。
 うーむ。
 カルチャーショックならぬ階級ショック・・・。(o゜д゜o)

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