妊娠8か月の女性が恋人の後を追って身を投げた・・・。
 ジャンヌ・エビュテルヌという女性はそんな死に方をしました。
 彼女のお腹にいたのはモディリアーニとの間に授かった2人目の子ども。
 子どもは父に会えなかっただけでなく生まれることもできませんでした。
 この本を読むまで、正直わたしには彼女の行動がさっぱり理解出来ませんでした。「せめてあと2か月待って産んでから、1人で後を追えば良かったのに」「1人目の子どもを連れて逝かなかったことは不幸中の幸いか・・・」などという感想ばかり浮かびました。
 モディリアーニの描いた、瞳のある彼女と瞳のない彼女。彼女の自画像に描かれた彼女の瞳の強さ。この本のP69,70に書かれている見解。

 
「彼女は子育てができず、乳母に預けっぱなしでした。すべての愛情はモディリアーニに集中して注がれたのであり、モディリアーニなしには生きてゆけなかったのです」


 これらを知って、わたしも少しは彼女の気持ちを考えることが出来ました。
 彼女は少なくとも6:4で物事を好きか嫌いかに分ける女性ではなかった・・・わたしはそう思います。7:3か8:2か9:1か、10:0か。それは彼女自身に聞いてみないとわかりませんが、少なくとも6:4のバランスではない。
 モディリアーニが描いた絵で、彼女は短刀で胸を突いて自殺しています。この絵の題は「自殺」。(この本ではP73に掲載)
 モディリアーニは彼女の自殺を予想していたのでしょう。彼は当時まだ不治の病だった結核に罹っていました。結核に罹っているにしては長く生きてこれたものの、多分自分は長くない。もし自分が死んだら彼女は死ぬだろう・・・。そう思って描いたのではないでしょうか。
 彼女をよく知る彼がこの行動を予想した、ということからも彼女の価値判断の独特さが読み取れます。もしかしたら彼女が「あなたが死んだらわたしも死ぬわ」とハッキリ彼に言っていた可能性もありますね。
 実際には彼女は短刀自殺ではなく、アパルトマンの6階から身を投げたのですが。
 突然の事故や病で彼を失ってパニックになった訳ではなく、あらかじめ彼は長くないと予想できていながらも後追い自殺をする・・・。「彼がいなくなった世界では生きない」という意思が固かったのでしょう。それはわたしにも何となく理解できます。大切な人が亡くなった時、世界が急速に色褪せて見えた経験がありますから。彼女は「今ここにあの人がいたらこう言うんだろうな」と思い出しては「でも決して言うことはない」などと思い知らされる未来を放棄したのでしょう。ほんの少し彼女を羨ましく思います。わたしも6:4で物事を好きになるタイプではないから。
 けれどお腹の子どもにとってはいい迷惑だったでしょうね。実際これって無理心中でしょう。あと2か月もすれば生まれてこれたのに・・・。わたしには彼女の行動を責める権利など無いのですが、賛同は出来ません。実の親がいなくても子どもは生きられます。生きるチャンスを与えてあげて欲しかったです。・・・けれど彼女にとってモディリアーニへの愛とモディリアーニの子どもへの愛は別だったのでしょうね。
 線引きのハッキリした女性です。
 舞台は昭和が平成へと変わった頃。
 季節は原爆が落ちたのと同じ、夏。
 孫たちは夏休みをばあちゃんの家で過ごしました。じいちゃんは原爆を長崎に落とされて死亡。ばあちゃんはじいちゃんを探しに長崎へ行った際被爆しています。

 孫たちは原爆のことを知ってアメリカ人を嫌いになりかけました。
 ばあちゃんは孫たちに言いました。「みんな戦争のせいたい。戦争が悪かとやけん。戦争で日本人もたくさん死んだけどアメリカ人もたくさん死んだ」と。
 実際に戦争を経験したばあちゃんがそう言ったので、孫たちは少し冷静になれました。
 孫たちはアメリカ人の機嫌を窺う日本人に対しても嫌悪を露わにします。孫たちよりばあちゃんの方が余程この嫌悪を強く感じていたことでしょう。この映画では、ばあちゃんがアメリカに帰化した兄のことを思い出せない、ということでこの嫌悪が描かれています。ばあちゃんは10人以上いた兄弟の名前を黒板に書いていき、その兄以外の全ての兄弟の名前を書くことができたのに、なぜかその兄の名前にはピンとこなかったのです。その兄の上と下の兄弟のことは思い出せる上、真ん中に誰かいたということも覚えているのに。
 この理由については直接的に描かれませんでしたが・・・わたしは以下のように考えます。ばあちゃんは当時兄を「裏切り者」と強く思った。戦時中は鬼畜米英と叫びながら戦後はアメリカかぶれしていく者たちと同じだと思った(別の映画ですがわたしは『火垂るの墓』の最後あたりでこれを強く感じました。レコードを聴き洋服を着る日本人に対して「嫌だなあ」と思いました)。兄を初めからいなかったと思いこもうとした。普通の物忘れとは違い「思い出したい」と思わないから、全く思い出せない。・・・と。

 こういう戦争の傷もあるんですね・・・。
 頭では「戦争が悪いのであって人が悪いのではない」と思っていても・・・。
ギャップがある人に魅力を感じる 〜後編〜
 *お詫び*
 最後までこの画質でした。m(;0;)m

 彼女はこの状態になるまで「これはまずい」と思わなかったようです。
 既に腰の上まで海水きてるんですけど!Σ(=゜ω゜=;)
 もしかしたら彼女は傲慢なわけではなく、ただ単に天然なのかもしれません。
 命の危険を感じた彼女は、淑女であらんとする自らのポリシーと自らの命とを秤にかけ、決断を下しました。
 大切なのは命。
 うん、彼女の思考を少しずつ理解出来るようになってきました。
 しかしやっぱり天然ですね。
 今日は王宮の人間が出払っている、ということには気付いても「今日わたしが王宮に行こうとしたのって無駄足だったわ!」とは気付かないのですから。
 無駄足を踏んだことで死ぬかもしれない、ということに気づいていながらも「何とかしてみせるわ!」とポジティブに考える強さを持っている可能性もありますね。海水に浸かりながら、貝殻のネイルアートをしようかと考えていたくらいですし。

 その後のことを御紹介しましょう。
 結局、淑女のポリシーを捨てて全力で叫び続けても、誰も助けに来てはくれませんでした。ステレオタイプのお嬢様ならば、我が身を儚んだままここで力尽きてしまうでしょう。
 彼女は諦めませんでした。
 この傾斜の崖を自力で登りきって生還を果たしました。

 うーん。
 傲慢なのか天然なのか逞しいのか・・・。
 『R.O.H.A.N』はお試し気分で始めたのですが、彼女を育てて、彼女の行く末を見届けたくなってきました。
ギャップがある人に魅力を感じる 〜中編〜
 *お詫び*
 これも画質が悪いです。m(>0<;)m

 Uliana(ウリアナ)という名は、Ulyana Lopatkinaさんというバレリーナの御名前からいただきました。(*^v^*) 優美さが共通しているような気がして。名前を決める時正しいスペルがわからなかったので、読みをそのまま使ってUlianaにしました。ま、間違えたわけじゃないんだからね!(と、ツンデレっぽさを演出してみる)

 この状態になってすぐにわたしが思ったことは「ドレスが! クリーニングに出さなきゃっ」でした。
 しかし彼女は慌てませんでした。
 ドレスを気にするどころかそのまま座り、次に参加する予定の舞踏会にどんなネイルアートをして行くか考え始めたのです。
 さ、さすがダークエルフの貴族社会を生き抜く女性。
 多分新しいドレスを沢山持っているので一着くらい海水でダメにしても平気だし、普段召使を従える生活をしているのでわざわざ自分から助けを求めたりしないのです。
 うーむ。
 カルチャーショックならぬ階級ショック・・・。(o゜д゜o)
ギャップがある人に魅力を感じる 〜前編〜
 *お詫び*
 画質が悪いことをお詫びいたします。m(><;)m

 他プレイヤーと交流すればするほど強くなるMMO『R.O.H.A.N』(ロハン)をプレイし始めました。
 つい先日『信長の野望Online』に復帰するか考えていたばかりなのに節操がありませんね。(>0<;) だって女の子なんだも・・・(以下自主規制)すみません、冗談言ってないで正直に告白します。これを見たからなのです。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3702979 これを見て、ダンに憧れて、「ダンになろう!」と思って始めたのです。
 ダンは和風のように見えるけれど和風ではない文化を持つ暗殺一族。ダンは人間ではあるけれど正義のヒーローではありません。むしろ悪役。ダンを秘境の地へと追いやったヒューマン(正義のヒーロー的な人間)への復讐を公言してやまぬ一族。近接武器を自在に操り、1撃、2撃で敵を倒す戦闘一族。ダンは誰もが怜悧な美貌を持ち、悪役の美学めいたものを匂わせます。
 
 ・・・あれっ?
 
 でもこの画像(前述した動画ではなくこの記事の)を見てわかる通り、どう見てもこのキャラクターの耳は人間の耳じゃない・・・。
 そうです、わたしは浮気者です。しばらくダンを育ててみて、ふと「他の種族も試してみようかな〜」と思ってダークエルフを選んだらこんなことになって愛着が湧いてしまったのです。
 この本の第1章には紅を差してから外出する84歳の女性が登場。第2章には庭の梅の木が咲くのを楽しみにしている男性(80歳台くらい?)が登場します。
 どちらもピンク色に関係した老後ですね(男性の庭の梅の木は紅いようなので、厳密にはピンクと言えないかもしれませんが)。この2人はホームヘルパーである著者が実際に出逢った利用者のようです。2人はそれぞれ一人暮らしのようですが、自分なりに生活を楽しんでいる様子。著者独自の「テープ版画」で描かれるこの2人は、皺があるせいなのか・・・何だかとても表情が豊か。
 それに対して、この2人と向き合う著者自身と思しき若い女性の表情は硬いです。この若い女性は1人目の女性に対して、この人の生き方いいなあ、と思っています。2人目の男性に対しては、梅が咲くのを待つ以外には特に何かするわけでない男性に歯がゆさを感じ、歯がゆく思う自分を恥じているようです。
 この若い女性は第3章では1人で登場します。ほとんど無表情で。この若い女性は何故かはわかりませんが毛虫駆除をしつつ、自分の老後について考えています。庭の手入れはホームヘルパーの業務ではないので、この女性は自宅の庭の手入れをしているのかもしれません。
 自分が歳を取って一人暮らしをしたらどんなことを思うだろうか。
 気楽だと思うか。
 家事は大変か。
 さみしいと思うか。
 あの2人のように自分なりに楽しめることを見つけられるか。
 何もすることがないのではないか。
 寝たきりになったかどうしようか・・・。
 そして第3章は、この若い女性の後ろ姿しか見えない画と「今からそんなことを考えたって仕方ないけど、でもね、そのとき私はどうなんだろう」という文章とで締めくくられます。

 ――――――――
 <備考>
 わたしはこの若い女性の後ろ姿を好ましく思いました。この若い女性が今どんな表情をしているかわからないことによって、この本を読んでいる読者も自分の老後がどうなるかわからないということに気づかされるように思います。
 わたしはこうも思いました。この女性は未来のことについて色々悩んでいるからこそ、感情を表情に出す暇がないのかもしれない・・・と。そうだとしたら、第1章の女性と第2章の男性との巧い対比が出来ているなあと思います。
 著者の画についてわたしが特に気に入ったところは、第1章に登場する女性の顔と腕の色と足の色とを変えているところ。文章を読まなくても画を見ただけで、この女性がストッキングを履いているということがわかります。これにより、この女性は自分の肌の色より明るい色のストッキングが好みなのかもしれないなあ、と想像する楽しみが生まれました。著者の細かな美意識を感じます。
帰宅する度ドキリとします
 『真・三國無双Online』には副将というものがあります。

 
 副将とは、プレイヤーが操るキャラクターの部下。
 キャラクターは戦場で戦っている最中に、副将になりうるNPCと出逢うことがあります。
 キャラクターがNPCを打ち負かし、その戦場で見事勝利を収めて自宅へ帰ると、自宅の中にはNPCが立っているのです。扉を叩くわけではなく、既に中にいます。ピッキングでもして入ったのでしょうか。
 NPCは「あなたの強さに感じ入りました。部下にしてください」という意味のことを言ってきます。
 これを承諾すればそのNPCはキャラクターの副将になり、断ればどこかへいなくなります。
 わたしは見た目が好みでないNPCの場合はお願いを断るのですが、その度にわたし自身が就職試験で落とされまくっていることを思い出して切なくなります。『真・三國無双Online』において、見目麗しい美女NPCやツンデレ美少女NPCやイケメンNPCは非常に人気が高いのですが、おじさん臭が馨るNPCやガラガラ声のおばさんNPCは就職難の模様・・・。切ない。ただ、体はおっさん声は少年!なNPCは一定の人気があるらしく、時々戦場で他キャラクターが連れ歩いているのを見かけます。
 NPCは副将として採用されると、これまで使っていた名前を自ら捨て、キャラクターから新たな名前を授かります。
 そして副将として、キャラクターと共に戦場を駆け抜けるのです。

 わたしの副将は現在4人。
 1人目は外見も性格も素晴らしい金髪碧眼イケメン。2人目は熊とダンディーなおじ様の中間にあたる外見を持つ渋い中年(けれど熊っぽいので、ダンディーなことを言ってもイマイチ決まりません)。3人目は後述。4人目はよく頭を傾げているミニスカ美少女。

 画像参照をお願いします。
 先ほど後述すると言った3人目の副将がこの金髪美女です。
 名前は伊邪那美命。
 わたしが帰宅すると「お帰りになられたのですね」と、この輝く笑顔で言ってくれるのであります。
 ・・・「ばっかもーん!」という声がどこかから聞こえたような・・・。そうです。わたしはNPCに、恐れ多くも日本の神々を産んだ女神にあらせられる伊邪那美命の御名を付けたのです。彼女は金髪なのに何故日本の女神の名を? ズバリ、美 人 だ っ た か らです。美人には良き名を、それが我がポリシー。美人=素晴らしい=神。彼女からは伊邪那美命の神話に出てくるような薄幸さも感じましたし。声も綺麗なんですー。
 されど。
 神の名を持つ者を副将にして使役・・・。
 彼女の微笑みと引き換えに何らかの罰を受けないか、わたしは少しだけドキドキしております。
 わたしは算数が苦手です。
 はっきり言って、中学生の数学どころか小学生の算数のテストで満点を取れる自信さえもありません!(^皿^)b ←いばるな!
 高校の成績は、ハッキリ言って現代文が100点に近くても数学は30点台というのが常でした。
 そのためわたしは現在就職活動において、SPIという巨大な壁に苦戦しております。
 わたしは大学受験をする際は、数学を受験科目としない大学を受けたのです。
 けれど就職となるとそうはいきません。
 さながら、万里の長城を壊そうと頑張っているモンゴル人になったような気分。
 「SPIなんて何度も過去問解けば満点取れるって〜」と言った我が友よプリーズエクスチェンジ頭脳!
 嗚呼、なんという壁でしょう。
 たとえ算数レベルの問題であろうとも、SPIを解こうとすると頭痛がするのです。わたしの脳味噌には算数が不得意になるようなチップが埋め込まれているのかもしれません。呪われているのかもしれません。どんな呪いだ。

 就職試験を受け始めたのが3月。
 6月も下旬に近づいた現在も、わたしは未だにSPIで落とされてばかりです・・・。
 言語能力重視の筆記試験を課す会社からは内定をいただけたのですが、言語能力も数理能力も見る会社からは悉く不採用通知をいただきました。
 言語能力の問題ではかなり満点に近い点を取れていると思うのですが、数理能力の問題ではかなり低い点を取っていると思います。
 昨日もまた不採用通知をいただいたので、現段階で21社(業界はバラバラ)受けて3社(全てソフトウェア)しか受かっていない状況です。勝率はいい方なのかもしれませんが熊本←→東京、大阪などの往復を繰り返したので経済的にも精神的にもへこみました。3社のうち1社は、まだ他の会社の結果待ちをしている時に承諾書提出を急がされたため内定辞退済み。
 残り2社はどちらもハッキリ言ってブラック企業なので(特に2社のうちの1社は、会社説明会の段階で既に「あれ?」と思うことがあったのですが、内定者懇親会で社員含め内定者一同が社長をヨイショするという空気になり、わたしはびびってしまいました・・・)、多分内定は辞退すると思います。入社しても3年持たない気がするので。
 SPIと向き合うのが苦しいので最後の1社に承諾書を出して就職活動を終えたいのはやまやまなのですが・・・、その選択を逃げだと思う自分がいます。
 幸いまだまだ募集をかけている企業はたくさんあるので、今後も会社を受け続けようと思います。
 解き続けます、SPIを。
 せめて壁にヒビくらいは入れたいと思います。

 一般企業への就活に加えて福祉系の就活もしているので交通費もかかるわ睡眠時間も削られるわなのですが、最近はランナーズハイというか開き直ってきました。
 「〜あそばす」「お召しになる」「ございます」などの言葉使いで書かれているので、とても気持ち良く読めました。
 と言っても、内容が堅苦しく書かれているわけではありません。
 例えば、この本のP59、60でなめ子さんが竹田さんに「よく、おばさんが『美智子様〜』と気安く手を振っていますが、これはいかがなのでしょうか?」と質問しています。竹田さんはまず「実はその『様』というのは、やめてほしいのです。『様』というのは誰にでもつけますよね?」と言った後、皇后なので「陛下」の敬称をつけるべきなのにおかしくなっているという事と、雅子様の場合は皇太子妃なので「雅子殿下」「皇太子妃」「皇太子妃雅子殿下」などが正しいということも教えてくれます。
 わたしは、なめ子さんが率直な質問をし、竹田さんがなめ子さんの質問にただ答えるだけではなく上手く情報を付け加えて答えるという形式に読者への配慮を感じました。この1冊で庶民が知りたいこと(皇族方はインターネットをするのか? など)が知れるので、他の本を読まずに済みます。わたしは日本人として生まれ育ちながらも皇室についてほとんど何も知らないので、「皇室について知りたいなあ」と思いついた時にこの本と出会えて幸運でした。
 そして。わたしはこれについても書かねばなりません。
 この本のP195からは、マスコミによる雅子殿下へのバッシングについての竹田さんの意見も書かれています。竹田さんはこう言っています。天皇のご公務は国事行為として定められているけれど、皇太子妃のご公務は法律上何の規定もないのです、雅子殿下はご公務を自主的にしているのです、ということを。
 ・・・わたしは規定があるのかと思っていました・・・。規定があるのに御休みになっているものとばかり・・・。知らないって恐ろしい。
 この映画に登場する「種まく人」はわたしが理想とする神の姿にかなり近いです。
 「種まく人」は生きものを懲らしめることも、救うこともありません。
 「種まく人」はただ、生きものが生きられる環境を創るだけ。
 「種まく人」は環境が出来上がるまでの間は、その土地を守ります。
 「種まく人」は環境が出来上がった後は、そこに留まることなく去り、また新たな土地に命を生み出していきます。
 「種まく人」が去ったということは、そこに生きる生きものに全てが委ねられたということ。戦争をしようが、環境破壊をしようが、絶滅しようとも・・・全てが委ねられているのです。
 けれど「種まく人」は生きものを身捨てているわけではありません。見守っています。この生きものには生きる資格がない、とかこの世界はもう駄目だ、などと悲観せず、その世界がどうなるか見守っているのです。手を出したりしません。

 それがわたしの理想にかなり近いのです。
 わたしは大人になった今でも時々「どうして神様は助けてくれないの?」と不満を感じることがあります。
 けれど、自分にとっての救いは誰かにとっての苦しみになるかも知れません。それを考えると、「神様がいたかどうかもわからない」世界に生まれてきて良かったと思えるのです。
 何が起こったとしても神様のせいにせず、自分で解決策を考えられるから。
 多分、神様がいちいち助けてくれていたら、いつまで経っても成長できません。
 神様がいたかどうかもわからない世界にいることによって、神様に自分で考えるチャンスを与えてもらっている気がします。
 ただ、わたしはこの考えを他人に押し付けるつもりはありません。
 犯罪に巻き込まれたり、病気になったり、被災した人などは神様に救いを求めて当たり前。
 人それぞれ理想の神の姿は違って当たり前。
 わたしは他の人がどんな神を理想とするのか知りたいので、今後は宗教の勉強もしようかなと思います。(人間に罰を与えたり御褒美をくれる「神様」は信用できませんけどね・・・)
ジジと一緒にいたはずなのに
  
 どう見ても小顔になったトトロです。
 

 サボテンが上手いこと成長しましたよ♪
 もしや、ジジは魔法を使えるようになったのでしょうか。
 対象を思うままの姿に変える魔法。
 ジジはサボテンに「トトロにな〜れ」と魔法をかけたのでしょう。
 ・・・最近わたしの視力がガタ落ちしているのですが、まさかこれってジジが「ムスカにな〜れ」と魔法をかけているのではありませんよね。
 そうかわたしはラピュタの正当な王位継承者の1人になるのか・・・。
 ラピュタのいかずちを使ってレーシック(角膜屈折矯正手術)をしてくれよう!
 メガネっ娘及びメガネ男子を全地上から消し去るのだ。誰もが視力1.5以上となるのだ。伊達メガネっ娘及び伊達メガネ男子しかいなくなるのだ。天然もののメガネ萌えな君たちに、ラピュタは恐怖の帝国として名を轟かせるのだ!
 うーん。ムスカにしては善行すぎる。
 わたしがムスカだったらラピュタのお墓に彫ってある字を読みたいなあ・・・。パズーが「彫ってある字が読めるといいんだけど」と言っていたやつ。人類にとって何か大切なことが彫られている気がする。ムスカは読まなかったんだろうな。
 
 火曜の夕方に買ったBONSAI。
 先ほど苔を見たら、苔の中からいろんな草が生えてきていました。茶色くて細い草や、緑色のちょこんとした草などが。
 昭和天皇の「雑草などという草はない」という言葉を最近知って感銘を受けたばかりなので、敢えて雑草という言い方はせず「いろんな草」と呼ばせていただきます。
 お店で買った当初は生えていませんでしたし、このいろんな草は多分抜かねばならぬものだと思います。
 なので抜きました。
 盆栽用ピンセットは無いので、手で。

 

 苔も一緒に取れました。

 
 w(・Д・☆)w!

 取れた苔を、元あったところに戻しておきました。(*^v^*) ←意味ないw

 今さら気づいたのですが、わたしはネイルアート用のピンセットを持っています。これって使えますよね? ネイルアート用のピンセットって、先が細く作ってあるので、細かな草も引き抜けそうですし・・・。
 試してみました。
 抜きやすい!
 苔と苔の間に生えた草をうまいこと抜けます。
 今後はBONSAIとネイルアート用ピンセットをシェアしようっと。
BONSAIをお迎えしました(^∀^)
 一昨日のこと。
 1年近く育ててきた薔薇が病気で弱って枯れてしまいました。(;0;)
 喪に服そうと思うので(わたしがもっと適切な処置をしていれば今も生きてくれていたでしょうし・・・)、当分の間は新たな薔薇をお迎えしないことに決めました。

 
 昨日のこと。
 けれど緑に飢えるわたしは、昨夜のジョージ・ウィンストンのコンサート会場へ行く前に、福岡のIMSに入っている『Plants.Plants』へ足を伸ばしました。
 そこで。目が合ったのです。
 山もみじのコケ玉BONSAIと。
 「盆栽に目なんて無いだろ!」と思ったアナタ、その通りでございます。でも、目が合ったのです。
 カエルのピック(画像参照をお願いします。なんだかセサミストリートのカーミットを思い出しませんか?)も買ったので1万円近くかかってしまったのですが、購入。
 そのままコンサート会場へ。
 ところが会場である福岡国際会議場へ行ってみると、クロークが無い! コインロッカーも19時に閉まる!(+0+)
 というわけで、会場に持ち込むことに。
 この山もみじはジョージ・ウィンストンの生演奏を聴きました。
 演奏中、わたしは山もみじの葉が瑞々しくなっているように感じました。

 
 今日のこと。
 気のせいなのかどうなのか確かめるため、今、わたしは部屋に音楽を流して山もみじの葉の反応を確かめています。曲によっては、葉から空気のような何か(?)が出てくるような気がして。多分これが出てくる曲=山もみじが気に入った曲、ではないかと思うのです。画像でも山もみじの右側(ちなみに右側にはスピーカーがあります)から何か出ているような・・・。ただ単にピンボケ?(^皿^)
 色々聴かせてみようと思っています。まずジョージ・ウィンストンのCD。次は東儀秀樹のCDを。
 わたしの部屋にはサボテンもいるので、サボテンと山もみじ両方の反応を見ていきたいです。
 結果(と言ってもわたしが「多分これが好きなんだろうな」と思っているだけなのですが・・・)はまた後日。
 ゾンビに萌えることができる映画。
 60年代の香り漂うブラックコメディ。

 以下はネタバレを含むあらすじです。
 この映画の世界では、首を切断されない限り、人間はゾンビになってしまいます。ゾンビは人間の肉を食べようとします。そこで人間は、ゾンビの食欲を抑える特別な首輪を開発。首輪をつけられたゾンビは大人しくなる上、ある程度は知能を有しているため、人間はゾンビを召使いとして使役するようになりました。ゾンビは何も食べないし眠らないし、何より賃金を要求しません。労働基準法の適用なんてありません。
 しかし首輪は時々故障を起こしてしまいます。そのため人間は子どもの頃から、首輪が壊れたゾンビを殺せるよう射撃の授業を受けます。子どもたちは「脳ミソを吹っ飛ばせ♪」と歌いながら、的の頭を集中的に撃ちまくります。
 新聞配達員もゾンビ。牛乳配達員もゾンビ。葬式スタッフもゾンビ。学校の用務員もゾンビ。公園の管理人も・・・やっぱりゾンビ。一般家庭にも、一家に1人はゾンビ。子どもたちはゾンビに縄をつけて、遊び相手として連れ歩きます。
 ティミーという小学生男子の家にも男性ゾンビが1人います。ティミーはいじめられっ子。男性ゾンビがいじめっ子からティミーを守ってくれたので、ティミーと男性ゾンビは仲良しになり、ティミーは男性ゾンビに「ファイド」という名前をつけました。ファイドって犬につける名前らしいのですが・・・仲良きことは美しきかな。ファイドは雷を怖がったり、ジュースを飲む真似をしたりと感情が豊かなゾンビです。
 しかし近所に住むおばあさんがファイドの首輪を壊してしまったので、ファイドはおばあさんを食べちゃいました! 人を食べたゾンビは殺されてしまいます・・・。
 ・・・ティミーは冷静な判断をしました。まず、おばあさんの死体を放置。ファイドについた返り血を手早く洗い流し、夜になってからスコップを持って現場に戻りました。けれど戻ってみると、おばあさんはゾンビになっていました。そこでティミーはスコップで、ゾンビ化したおばあさんの頭部を殴りまくり、首を切断することに成功。ティミーは「花が好きだったよね」と言いつつ、ゾンビ化したおばあさんの体を公園の花壇に埋めました。・・・何ちゅう小学生?
 おばあさんが壊したファイドの指輪は、近所に住む変人のシアポリスさんが修理してくれました。本当は、一般人が勝手に首輪を修理するのはいけないことなのですが。シアポリスさんは、若くして亡くなった美人ゾンビ・タミーと2人暮らし。シアポリスさんは色々と変人要素を兼ね備えているのですが、何よりタミーの首輪の機能を解除した状態でタミーとムニャムニャ・・・(以下略)するのが趣味。タミーに食べられかけて首についたという歯形がご自慢の模様。
 返り血は洗い流したし、ゾンビ化したおばあさんは埋めたし、首輪も直って万々歳。
 ・・・と思いきや。ティミーはミスをしました。実は、ゾンビ化したおばあさんはティミーと出会う前に人を襲っていたのです。襲われた人は死亡してゾンビになりました。そして人の肉を食べ、食べられた人もまたゾンビに! 本来は地獄絵図のはずですが、なんだか面白い光景で、笑いを誘います。ネズミ算式に被害者が増え、ついに警察は、ファイドがおばあさんを食べたことが事の発端であると突き止めました。
 ファイドは連れて行かれてしまいました・・・。けれどファイドはゾンビの中でも優秀なゾンビだったので殺されず、工場で働かされているとのこと。
 ティミーはシアポリスさんとタミーと共に、ファイド救出に向かいました。しかしシアポリスさんは無茶をしました。故意にゾンビに人を襲わせて大混乱が起こった隙に救出、という無茶な作戦を実行したのです。多くの犠牲者が出ました。犠牲者の中には、ティミーのパパや、ティミーのガールフレンドのパパも含まれていました・・・。亡くなってしまったのです。が、ティミーはファイドが父親代わりになって喜んでいるようですし、ティミーのガールフレンドも元は父親だったゾンビに首輪をつけて「今の方が優しいしイケてるわ」と喜んでいる模様。
 めでたしめでたし♪
 ・・・すごい映画だ。
 auのニュースに『日本最後に電気が来た「タイマグラ」 20年で人口7倍』というのが出ていて、わたしはある事を思い出しました。
 わたし自身はタイマグラに行ったことはありません。
 タイマグラで暮らしていた(今はもう亡くなったそうで・・・)マサヨさんというおばあさんを映したドキュメンタリーのことを思い出したのです。
 そのドキュメンタリーは確か『マサヨばあちゃんの天地』という題名だったように思います。
 父がそのドキュメンタリーをβビデオに録画しておいてくれたので、幼稚園から中学生にかけてのわたしは、よくそれを見ていました。あんまり見すぎて、高校に上がる頃にはテープが掠れていましたが。
 以下はわたしの記憶していること。
 マサヨばあちゃんは高齢。岩手県のタイマグラという山奥に暮らしていた。つれあいが亡くなってからもそこに暮らし続けていた。タイマグラには人口が少なく、確かお隣さんもいなかったので、本当の一人暮らし。自給自足の生活。マサヨばあちゃんは畑仕事をしたり、お味噌を作ったり、お豆腐を作ったり、水団のようなものを作ったりしていた。この水団のようなもの、が美味しそう。お味噌やお豆腐を買いに、たまに人が訪ねてきた。川から引いている水が出なくなった時は、問題を起こしていると思われるところまで歩いていって、自力で水道管(? 確か竹で作ったお手製だった気がする)を直していた。足が痛い時は草で作ったお灸を据えていた気がします。生前のおじいさんは薪割りをしてくれていたけれど、今は一人なので・・・どうしたんだっけ? マサヨばあちゃんは毎日、畑の状態など生活の諸々を日記に書き綴っていた。その時タイマグラに電気が通っていたので、マサヨばあちゃんはテレビを見ていた気がする。
 今はマサヨさんは亡くなっていて、でもタイマグラの人口は増えたそう。その中には、『マサヨばあちゃんの天地』の続編にあたるドキュメンタリー映画を撮った人がタイマグラに移住したので、その人も含まれるようです。
 そうかあ。人口増えたんだな・・・。
 タイマグラの様子は、『マサヨばあちゃんの天地』の頃とさほど変わらないのか。
 それとも全く違っているのか。
 この目で確認してみたいです。

 ああ、あの水団が食べたい。
 伊良部総合病院神経科唯一の看護師マユミさん。
 わたしは前作を読んでからというもの彼女がどんな人物なのか知りたいのですが、続編となる今作でも彼女の情報は小出しに描かれています。奇人・伊良部医師の傍にいる謎の看護師として。
 なんたって服装です。看護師が看護婦であった頃の理想(誰の理想?)の服装。ミニスカートで、Fカップの胸の谷間がくっきり見える白衣を着ているのです。香水だってつけています。けれどいつも無表情。くわえ煙草で患者の前に現れたり、診察中に雑誌を捲っていることもあります。尖端恐怖症の患者にお尻を触られた時は、爪を患者の顔に近づけ、患者がびびっている間に無言でいなくなりました。・・・かっこいい。そうかと思えばサーカスの子どもと追いかけっこを始め(多分無表情のままで)、子どもを捕まえて「ただでいいですよ」とインフルエンザの予防注射を打ったりします。患者が書いた小説を読んで感激し、患者に照れながらお礼を言ったこともあります。マユミさんは不思議な魅力の人です。
 なぜマユミさんは伊良部総合病院神経科にいるのでしょうか。
 もしかしたら、マユミさんもかつては伊良部医師の患者だったのかもしれません。
 伊良部医師とマユミさんが出会った頃のエピソードも、もしあるならば読みたいです。無ければ書いていただきたいです。
 ・・・もしかしてマユミさん・・・、看護師免許を持っていないコスプレイヤーだったりして!? いやまさか・・・でも神経科の医師は伊良部医師だけ。伊良部医師のことですから「いいよ、だって注射するだけだし」とマユミさんの存在をしれっと許している可能性は0ではありません。
 気になる。

 
 ―――――――
 <備考>
 Amazonでこの『空中ブランコ』の次の作品『町長選挙』を検索したところ、マユミさんの魅力があまり出ていないそうなので残念です。
 わたしは『町長選挙』を読まずに、その次に出てくれるであろう作品に期待したいと思います。
これを機に気品を身につけたいです
 例によって画像がピンボケしていて申し訳ございませんm(><)m
 ネームタグを撮りました。
 ネームタグもぬかりなく薔薇色なんですよ♪

 下は、Victorian maidenのリボンローズルームウェアセットのURLです。
 http://www.victorianmaiden.com/shopping/dress/ribbon-rose.html

 わたしはこちらのピンクローズを予約し、入手致しました。
 青みがかった淡いピンクの薔薇とレースのプリント。胸はふっくらするように、背中はすっきりするように施されたゴムシャーリング。袖はパフスリーブ。襟元には薔薇と同系色のケミカルレース。胸の中央には白い薔薇を模した飾りボタンが3つ、胸の中央にはベビーピンクとローズピンクの中間色をしたリボン。裾はピンク色のプレードのおかげでひらひら。お揃いのキャップもふわふわ。
 ワタクシは入手してから1週間かけて「このルームウェアに相応しいお部屋にせねば」とお部屋の大掃除を行い、その間はこのルームウェアに指を触れることさえしませんでした。
 今、ワタクシはこのルームウェアを着ています。
 涙が出そうです。
 新しい自分に出逢いました。
 これからただ眠るだけだというのに髪を巻き、薄づきとはいえお化粧もしてしまいました。このルームウェア、身長146?のワタクシでも裾を引きずらず歩くことが出来るのですが、自然と手が裾へ伸びます。裾をつまんで歩くのがとても楽しいです。キャップも被っていますし♪ もしもこのルームウェア及びキャップに汚れをつけてしまったならば、ワタクシは映画『下妻物語』の桃子の如く絶叫するでしょう。
 ワタクシは、こういうものを作り出せるVictorian maidenが大好きです。
 ラモン・サンペドロは実在した人物。
 首を折ったことが原因で頭から下の感覚を失い、動かすことも出来なくなった男性。
 彼は事故から約30年間ずっとベッドの上で生きてきました。
 今、ラモンは実在「した」人物。
 彼は死を望み、友人が手を貸したのです。

 この映画は尊厳死を肯定もしなければ否定もしません。
 この映画は観客がラモンを応援したくなるように、しかし時には尊厳死に反対する側を応援したくなるように作ってあります。
 誰も悪くないから。
 ラモンは愛されていなかったわけではありません。愛していなかったわけでもありません。だからこそ彼は約30年間待ったのです。「何故僕は死にたいんだ」と苦しみ続けたのです。
 けれど、今の体では愛する人に触れられません。愛する人が触れてくれたとしても、今の体は感じることが出来ません。だから彼は魂を体から自由にして、魂となって愛する人を感じたかった。大好きな海に、車椅子などに縛られず、自由に行きたかった。
 それが彼にとっての「生きる」ということ。
 だから彼の友人は彼が生きられるように、尊厳死を合法化するため裁判に協力しました。けれど努力は報われず、裁判所は彼が尊厳死することを許してはくれませんでした。最終手段として友人は、コップの水に青酸カリを混ぜ、ストローをさし、ラモンの傍に置くという方法によって彼が死ぬのを手助けしました。
 彼と友人の行動を責められる人はいるのでしょうか。
 責める人はいたでしょう。特に宗教関係者が。この映画にも神父が登場します。神父もラモンと同じく四肢麻痺なのですが、神父は尊厳死に反対する立場。神父は自分の考えをラモンやラモンの家族に押し付けようとします。そのせいでラモンの家族は心に一生忘れられない傷を負いました。
 ・・・この神父が正しいのか正しくないのかはわたしにもわかりませんが、一つハッキリしていることがあります、わたしはこの神父が嫌いです。けれどこの映画には、神父の登場シーンも含めたどのシーンも飛ばさずに何度もリピートさせる力があります。それは多分神父に悪意があるのではなく心底「尊厳死はいけない」と思って言っているからであり、ラモンの家族も友人も彼を応援しつつも(ただしラモンの兄は応援しない立場)気持ちが揺らいでいるからであり、ラモンの魂が海の上を飛んでいくシーンが美しいからではないかと思います。
 「バレエを“生きている”の。愛しているでは弱すぎる」
 第一舞踊手マリ=アニエス=ジロが言ったこの言葉が『エトワール』を象徴しています。

 『エトワール』はパリ・オペラ座のダンサーたちを撮ったドキュメンタリー映画です。通し稽古、舞台裏、レッスン風景、ダンサーや振付家へのインタビューなどを見ることが出来ます。
 ベジャールは言いました、「芸術に解説は不要」と。だからわたしも『エトワール』の解説はしません。バレエに限らず踊りが好きな方は是非見てください。
 昨夜23時に見た時、ワタクシのアパートのごみ捨て場には他の住民が捨てたごみがギッシリありました。
 それなのにワタクシが今朝6時半に萌える・・・じゃなくて燃えるごみ(漢字変換して一発で出てきたのが悲しい)を出しに行くと、昨夜あったはずのごみたちが全部無くなっていました。
 

 もう回収車きちゃった!?Σ(゜艸゜||)

 いや・・・まさか・・・さすがに6時半はないでしょ・・・うちの地区は8時前にごみを出すように決められているし・・・いやしかし6時半って確かに8時前だよな・・・うーん。

 <可能性>
 ?真夜中に、「アパートの管理人」という名の妖精さんがごみ捨て場の惨状を見るに見かねて回収してくれた。
 ?回収車 is gone.
 ?ごみたちの中に刑事事件に関わる物的証拠が含まれている可能性があったので、警官が極秘に持って行った。
 ?カラスが袋ごと全て食べた。

 
 最も可能性があるのは?ですかね。
 ?だと困ります・・・待って〜わたしのごみも持って行って〜!

 <その後>
 燃えるごみをごみ捨て場に置いて、一旦帰宅。
 「生ごみも入ってるし、もし?だったらまずいなあ」と思い、8時半になってごみ捨て場に行ってみると・・・。
 あれ?
 無い。
 やっぱり?が正解で、わたしの燃えるごみは通常通りやって来た回収車が持って行ってくれたのでしょうか。謎。

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