死刑を前にしたソクラテスと、彼に脱獄を勧めても断られ続けるクリトンの対話集。
 色々ツッコみどころがあります。 


 例えばわたしはこうツッコみを入れてみましょう。
 作戦もっと練ってから来ようぜクリトンよ、と。
 クリトンが脱獄を勧めるのは純粋に友情からかと思いきや、クリトンは説得を開始した段階でこう言うのです。

 「それだけじゃない。君や僕を個人的に知らない人たちは、僕のことを、お金を出せば君を救えたのに、何もしなかったと思いこんでしまうだろう。僕にとっちゃ大変な不名誉だよ。親友より金が大事だなんて思われたくないんだよ。大衆はね、僕が逃げるよう勧めたのに君が拒否したなんてことは信じないんだよ」(青空文庫内の訳文より引用)と。

 おいおい自分のためかよ、とソクラテスもカチンときたかもしれません。
 クリトンは他にも「救われることができるのに、自分で命を捨ててしまうなんて間違ってるよ」などと言って懸命に脱獄を勧めますが、ソクラテスは動じず。
 ああクリトンよ、純粋に友情のみによって「死なないで欲しい」と訴え続ければ、まだソクラテスは心を揺らしたかもしれませんのに。
 問答勝負に持ち込むとは。
 一体誰が問答でソクラテスに勝てるというのでしょうか。
 ・・・わたしもソクラテスに脱獄を勧める自分を想像してみましたが、その想像の中でソクラテスに「正しくないことはすべきではない」と言われてしまいました。むむぅ。
 見ると歌いたくなる映画。

 一人ではなく、みんなで。



 わたしは主人公よりも、主人公の在籍する合唱部にとってライバルとなる湯の川学院高校合唱部を好ましく思いました。
 時代錯誤なヤンキースタイルを貫き、時間を知りたい時はなぜかケータイで時報を聞こうとする(何故すぐにケータイの時計機能を使わぬのだ?)、けれどまっすぐな彼ら。
 わたしは主人公の恋愛話よりも、湯の川学院高校合唱部の面々がどんな練習をしてどのようにお互い叱咤激励し合っているのかが気になってしまいます。
 彼らが歌う尾崎豊の『15の夜』が心を掴んで放さないからです。
 彼らは指揮者を無視して想いのたけを爆発させ、全員で歌うのです、『15の夜』を。観客にその想いを届けるというよりも、ぶつけるのです、懸命に。
 いいじゃないですか。格好いいじゃないですか。
 まだ荒削りな歌唱法の彼らが今後どんどん磨きをかけ(彼らなら出来る)、『15の夜』を大会で出してきたら・・・この映画の主人公が在籍する合唱部は彼らに勝てるのでしょうか? 是非双方の合唱を聴きたいです。
 中村うさぎさんがかつて1人のホストに貢いで貢いで貢ぎまくっていた頃の窮乏のさまと心情を嘘偽りなく書き綴った本です。


 「オヤジな遊びをしてみたい」と始めたホスト遊びにどっぷり浸かり。
 気づけば高級シャンパン抜き放題、序盤から120万円以上が文字通りに泡と消ゆ。
 昔からありのままの自分を愛そうとして愛せずにいる中村うさぎさんは、美しい顔と無垢な心を持つ男に「ありがとう」と感謝される自分を愛そうとした・・・そう振り返っておられます。
 中村うさぎさんのコンプレックス。それは、凡庸な容姿に生まれついたこと。
 読者であるわたしから見れば、中村うさぎさんは整形する以前から綺麗な顔をなさっていると思うのですが・・・。
 自分は美しくない。・・・きっと頭が良い分、事実を誤魔化しなく捉えることが出来るのでしょうね(前述した通り、わたしには事実とは思えませんが)。こんな自分は愛せない。けれど自分を愛したいという欲求はある。その欲求は強い。だからかえって理想は高くなってしまうのかもしれません。けれど自分は自分のまま。自分を愛したいのに。・・・それらの想いがせめぎ合う。
 そのたとえようもない欠落感を埋めるために、中村うさぎさんはお金を遣って遣って遣いまくったそうです。
 自分の武器は美貌ではなくお金だ、お金を遣って何が悪いの、と思っていたから。
 お気にいりのホストをお店の上位ホストにするためにドンペリを抜きまくり、ホストと互いを祝福し合い、シャンパンに酔うというよりもホストとの一体感に酔った。
 その男の美しさに見惚れ、「自分もこんなに美しかったなら自分の人生はもっと素晴らしかったのだろうか」と考える。・・・その男を、自分が失った或いは自分が得られなかった自分として見つめた。だから中村うさぎさんは自分のために浪費を続けた。理想の自分に「あなたが必要だ」と言われ、「ありがとう」と言われたかったから・・・。そう言われる自分なら愛せる気がしたから・・・。
 そのために月200万円以上ものお金を躊躇いながらも遣い、夫の父が危篤だというのに駆けつけることなくホストクラブへ向かい、預金口座にはもはや数万円のお金も残っていないのに1本100万円のブランデーを入れ、・・・ついに区役所に預金口座を差し押さえられ預金残高0となったそうです。1円すら残らぬ、0。


 中村うさぎさんは頭が良いけれど愚かだ、そう思う方も多いことでしょう。
 けれど、その行いを笑うことが出来る女性はいるのでしょうか?
 わたしはこの本を泣きながら読みました。


 ・・・わたしはハードカバーでこの本を読んだのですが、この本の文庫あとがきには後日談として、そのホストが枕営業を仕掛けてきて幻滅したことが書かれているようです。
 ホストは結局ホストであって理想の自分どころか自分ではない、理想の自分はどんなにお金を遣おうとも手に入らない、手に入るのは結局ホストという職業をしている男に過ぎないのだ、ということに気づく瞬間だったでしょうね・・・。
 わたしは今後文庫も手に取ってみようと思います。
 このブログの紹介文を一新したいです。
 「慣れ親しんだものは今のあなたにとって本当に必要なのかしら? 変える時期が訪れたのでは?」と、最近アイコンとして使用させていただくようになったポンパドゥール夫人がおっしゃっているような気がするからです。


 パソコンからこのブログを読んでくださっている方、画面左上で微笑んでいる愛らしい女性が彼女です。
 しかし愛らしいけれど彼女は凄い人なのです。
 フランス国王15世を虜にして、フランス国政を影から操っていたというのですから。
 通称Madame de Pompadour, 本名Jeanne Antoinette Poisson。
 平民出身且つ結婚している身ではあったけれどその美貌、教養、美的センスなどがフランス国王ルイ15世に気に入られ、彼女は侯爵夫人の称号を与えられ、ルイ15世の公式の寵姫となり、彼女の承認なしには税の徴収も出来ないほどの実力者となっていきました。
 彼女のおかげで甘ったるくて優雅なロココ様式が花開いたことも有名です。


 そんな彼女にアイコンとして登場していただいたのはほとんど偶然だったのですが(参照→http://20756.diarynote.jp/200906061418029826/)、こうなると「何かよくわからないけれどテコ入れしなければならない気がする」というものです。
 早速、現在の紹介文を読みながら検討していきましょう。正式には「日記サブタイトル」というのですが、「紹介文」の方がわかりやすい表現だと思うのでこのままこの表現を使用していきます。



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 現在の紹介文
 「清く正しくデンジャラス☆に生きております、をんなです。(^v^) 「心に引っかかる」本を紹介していけたらと思っています。 ・・・が他ジャンルもどんどん書いてます(^皿^) 基本的に毎日更新。時間つぶし等にどうぞ♪  以上、G−darkより」

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 わたしは清く正しく在ることを目指しています。清い、とか正しい、の定義はわたしにもよくわからないのですが、醜く邪悪に在ることを目指すより良いと思います。

 デンジャラス☆の意味・・・。ええ、わたしは住み慣れた家の中でよく家具に足をぶつけたり(足の小指、ではなく足です)、側溝のフタが開いていることに気づかず歩いていこうとしてズボッと落っこちたりするのです。・・・ん? それってデンジャラスというよりただの不注意なんじゃぁ・・・?

 をんな=おんな=女。わたしが女であることはパスポートにも記載されているので間違いありません。・・・ん、パスポートの期限切れてました、更新せねば。

 「心に引っかかる」本を紹介。これはもうずーっとずーっと続けていきたいことです。わたしが読んだ本を「面白い」と思うだけではなくて、他の方にも「面白そう。自分も読んでみようかな」と思っていただきたいのです。そして他の方が実際に読んでくださったらいいなぁと思います。人それぞれ「面白い」と思う要素は違うと思うので、わたしは出来るだけ沢山の本を読んで情報を発信していきたいのです。沢山の人の心に引っかかるように。だからこそわたしは1年に100冊の本を読もうと頑張っているのです。・・・い、いつも2年半かかってますけどねっ!

 他ジャンルもどんどん書く。これは単に「このブログは読書メインだから」と遠慮せず、わたしの関心を引いたものについてその時々で好きなように紹介したいからです。映画、音楽、絵画、ほらとっても文化的・・・ん? 『綺麗な部屋で暮らしたい』の存在については誰もツッコまないでくださいよ! 「これ間違いだろ、正しくは『或る汚部屋住人の記録だろ!』とツッコまないでくださいよ! ・・・すみませんすみません本当にすみません。

 基本的に毎日更新。これも最近は実践できています。「最近は」がつくのがポイント。以前は1日飛びなら良い方、更新が1週間あいたこともありました。「長期旅行へ行っていたのです」と嘘をつければ良いのですがわたしは上手い嘘をつけない性分です、正直に言います、だってサボりたかったんだも~ん・・・ぐはっ(どこかからパンチが飛んできた!)。

 時間つぶし等にどうぞ♪ これもずーっとずーっとそんな風に役立てていただけたらと思います。旅先で移動時間が退屈だから何か本でも読みたいけれど何にしようかな、と思った際にこのブログで紹介している本を書店で探してみるとか・・・。・・・なんか責任重大! 今後もわたしは面白い本を紹介していきますね。

 G-dark。こりゃわたしの名前です。最近わたしがオヤヂくさいということがとうとう他の方にもバレまして(バレたのは最近です決して昔からではありません多分)、わたしの本名が「オヤヂーダーク」であることもバレました・・・。嘘です本名ではありません多分。・・・全力で否定できない我が身は本当に女なのでしょうか、期限切れのパスポートには女であることが証明されているのですが何たって期限切れですからね、説得力がいまいち。



 ・・・さて新しい紹介文を考えねば・・・。
 ・・・このままでいいような気がするけれど、今変えないといけない気がします。



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 <数時間後に追記しました>
 変えました。
 変えて良かったです。
 なんだかスッキリしました、気持ちが。
 デザイン変更作業、無事に完了しました♪
 ふっふっふ・・・。
 皆さまもまさか予想しておりますまい。



 わたしが予想する皆さまの声「ま、交  ぜ  や  が  っ  た・・・!」


 実際には皆さま「ハナからわかっていたさ」と冷静に受け取られるかもしれません。
 迷ったら交ぜる。
 嗚呼なんと安易な。
 ええ、ワタクシは和風とロココ(ポンパドゥール夫人)を交ぜました。


 ヘッダー部分は「Next.D」様(http://onestoaccess.com/index.html)のバナープレート「和風21~40」より頂戴し、ぼかすなどの加工をさせていただきました。
 アイコン部分は画家フランソワ・ブーシェによるポンパドゥール夫人の肖像画(ウォーレス・コレクション)を、こちらもやはりぼかさせていただきました。
 花びらの色と頬の色、背景の色と唇の色を合わせたつもりです。
 自分ではかなり気に入っているのですが、いかがでしょうか?
 死者の哀れを想う映画。
 冒頭からクライマックスに至るまで画面がぐらぐら揺れるので酔いやすい人にはおすすめできない映画ですし、俳優さんのうち何人かの演技もハッキリ言って今いちですけれど・・・。
 惹かれます。
 死者を「害成す者」というよりは「とてもとても強く生きていたいと切望している者」として描いているところに。


 身体は残っていないのに想いだけがそのまま。
 愛する人に触れても、気づいてはもらえない。
 体が欲しい。けれど体は無い。自分はここにいるのにここにはいない。
 せっかく体を持って死の国から戻ってきても、もはや自然に生きている者ではないが故に、かつての友達にもかつての恋人にもおびえられる。拒絶される。
 死者はやりたいこと全てを「自分は死んでいるのだから仕方がない」と諦めなければならないのか?
 このままずっと生きていたくても、「死者だから」という理由で再び死の国へ追いやられることに、納得しなければいけないのか?


 そんな悲しみを追う少女・莎代里の恋の成就を願わずにはいられません。
 ・・・莎代里は彼女の想い人である文也と共に、死の国へと沈んでいきました。
 ・・・これは恋の成就と言えるのでしょうか?
 そうは言いたくありません、悲しすぎます。


 既に亡くなっている莎代里と違い、文也は生きているにも関わらず死の国へいきました。
 生者を受け入れた死の国はどうなるのでしょうか?
 生者の国が死者を死の国へと強引にも送り返したのと同じように、文也も又、送り返されてくるのでしょうか。生きたまま。
 ・・・否、死者の国はかつて生者だった者がいく場所なのですから送り返されてはこないのでしょうか?
 ・・・何なのでしょうか?
 その意図は??


 以下はeiga.comの記事『人気絵本「ウォーリーをさがせ!」が実写映画化!』へのリンクです。
 http://eiga.com/buzz/20090603/4


 ・・・ふぅむ。
 映画館のスクリーンにウォーリーそっくりな人物が小さくそしてび〜〜〜〜〜〜〜っちりと映し出され、ウォーリーがどこにいるのか観客が探す・・・という映画になるのでしょうか?
 謎です。
 もしそうならば、観客は双眼鏡を使用せねばなりませんね。
 なんと斬新な!!
 この本に書いてある「今は〝老い〟とは縁がないと思っているあなたも、いずれは自分の老いと向き合い、それを受け入れなければならないときがきます」(P6より引用)を踏まえながら読むべき本だと思います。
 自分が誰かを介護する、という思いだけでなく、自分もいつか介護される、という思いを持って読むことで、結果として自分が誰かを介護する際役立つのではないでしょうか。


 この本の第一章『お年寄りがいやがる介護をしていませんか?』では、各問題別に家族がしてしまいがちな誤り、お年寄りの本心、なぜお年寄りがそう思うかということ、対処の仕方が紹介されます。
 例えば、「何度もトイレに行きたがる」場合、家族は「さっき行ったばかりなのに」などと叱ってしまいがちだけれど、お年寄りは「早めにトイレに行かないと、もし失敗したら困る」「このごろとにかく、トイレの感覚が短くなっているんだ」という本心を持っているかもしれず、前者ならばかつてトイレを失敗して注意された経験があるのかもしれない(心理的な要素によるもの)ので粗相をしても叱らないことが必要であり、後者ならば膀胱炎などの排尿障害が原因かもしれないし尿道括約筋の締まりが悪いのかもしれないので病院での診察を受けることが必要である・・・ということがP53に書かれています。 


 第二章『自宅でできるやさしい介護、気持ちいい介護』では食事介助、排泄介助、入浴介助などをお年寄りに出来るだけ負担がないように行う方法が紹介されています。この章においても、ついやってしまいがちな介助の誤りや、お年寄りの本心が書かれています。


 わたしはこの本に書かれていることを少しでも多く実際の介護に役立てていきたいと思います。
 先ほど母から電話がありました。


 「お前の同級生に○○っておったどが。死んだぞ。今日お通夜。昼はレストラン、夜は飲み屋ってところに就職して、お客さん同士の喧嘩の仲裁に入って倒れて、打ちどころが悪かったってよ。●●(わたしのハトコ。交通事故で意識不明になった後亡くなりました)みたいに一週間くらい苦しんだんじゃないか。(○○と)大学の入学式で挨拶した覚えがあるけどねぇ」


 ○○・・・彼はわたしと小学校も中学校も大学も同じでした。
 高校が違っただけで、他は一緒。
 今年の春同じ大学を卒業したばかり。


 中学校時代は彼とわたしの友達が付き合いだしたことをきっかけに(キューピットはわたし)、わたしと彼の親友が付き合うようになった・・・という思い出があります。ダブルデートもして、その際は海や公園に行きました。
 彼とわたしの友達が付き合う前、中学校から家までの帰り道が同じだったことから(彼の実家とわたしの実家は近所なのです)、「◎◎さん(わたしの友達)俺のことどう思ってるかな」などの相談をしながら帰ったことを思い出します。その際他の同級生にその様子を見られて、「あんたたち付き合ってるの?」と同級生に誤解されたこともあります。
 そんな帰り道を何度か繰り返して彼とわたしの友達は付き合い始めた後も、彼らの仲がこじれかけると彼が帰宅しようとするわたしを「~さん!(わたしのこと)」と呼び止め、一緒に帰りながら恋愛相談をする・・・ということがありました。


 彼は地元の高校へ、わたしは隣の市の高校へ。
 その間にわたしは友達から、彼と友達が別れたことを知らされました。別れた理由はわたしは知りません。


 わたしは県外の大学へ進み、大学の入学式で彼と再会して驚きました。茶髪になってる!と。←驚くところが違う  
 大学ではわたしと彼とは学部もサークルも違ったのであまり会わなかったのですが、教室前や学食前などですれ違うといつも挨拶を交わしました。


 彼は小学校の時からずっとわたしを「~さん」とさん付けで呼び、同い歳であるわたしへの挨拶もしっかり頭を下げて行う青年でした。
 そんな彼だから喧嘩に巻き込まれて・・・という姿を想像することは可能です。喧嘩を止めに入る姿が想像できます。
 けれど。
 そんなスタンド・バイ・ミーみたいなかっこいい死に方はやめてくれ。生きててくれ。・・・嗚呼。
 彼が数日間苦しみ抜いた末に亡くなったのだとすれば、「よく頑張ったね」と言うべきなのかもしれません。けれど言いたくないです。
 嗚呼、喧嘩をしたお客が無性に憎い!!
 喧嘩は外でしろ!! 店員を死なせるな!!




 ――――――――――――
 <数時間後に追記>
 わたしは迷っています。
 わたしの友達、つまり彼の元彼女に彼の死を伝えるべきか否かを。
 ・・・実は友達には自傷癖があるのです。
 元彼が亡くなったと知ったらショックを受け、いつも以上に深く多くリストカットをしてしまうかもしれません。
 けれど時間が経ってから知ったら「なぜ教えてくれなかったの」とそれはそれで苦しむことになるでしょう。
 ・・・迷います、とても。
 わたしはこの映画に登場する屋敷の内装、ピアノやヴァイオリンを優雅に使った音楽、景色の中でも特に光と緑とを美しく撮る画面、登場人物の心模様をうまく表現しようと動くカメラワークに惹かれました。
 わたしの文章力が無い故説明が抽象的になってしまうことをまずお詫びします。


 金色に縁どられた額入りの絵画が勿体ぶる事無くごく自然に壁に掛けられ、灯りには燭台を用い、花瓶に彩りよく活けられた花が他の調度品より主張し過ぎず調和している・・・などの内装には「嗚呼、ここに住みたい」と模様替えへの意欲を刺激されました。
 劇中を通して流れる音楽には「わたしもこうやって軽やかに踊れたら気分が良いだろうな」と思いました。
 景色には「緑ってキラキラして綺麗だな」と外を歩きたくなりました。雨の日に主人公エリザベスが林(?)を走るシーンには「ああ、久しぶりに濡れた木々や草花の匂いを嗅いでみたい」と切なく思いました。
 そして特にカメラワークについては、主人公エリザベスとその恋の相手ダーシーの体温を感じさせるので好きです。うまく説明出来ないのですが、二人の心臓がそのシーン毎にどんなリズムで鼓動しているのか、画面越しに伝わってくるように感じるのです。


 わたしはDVDをレンタルしてこの映画を見ましたが、わたしは「DVDを買おう」と思うくらいこの映画を気に入りました。お部屋の中でBGMとしてこの映画を再生したいです。

 *注*ネタバレがあります!




 この映画を見ていて、わたしは「自分は最期の瞬間誰の名を呼ぶのだろう・・・誰に救いを求めるのだろう」と考えずにはいられませんでした。


 「Mama,be with me.(=お母さん、わたしのそばにいて)」
 もう悲鳴さえあげられなくなった婦人警官シビルは、そう言って焼かれていきます。
 自分こそが正義と信じて疑わぬ人々によって、彼女は命を奪われるのです。


 間違いなく自分は今死ぬ、そう悟った時人は母が傍らにあることを望むのでしょうか。
 余談ですが、わたしが勤めている介護施設にて過日利用者さまの1人が亡くなった際、その方が亡くなりそうだということは他の利用者さまには一切お伝えしていないのに(看取りのために入所された方なので他の利用者さまとは面識もなかったはずです)、その最期の日と前後して数名の利用者さまが「お母さんと会いに家へ帰る」とおっしゃいました。その数名の利用者さまは普段そんなことをおっしゃらないのに。亡くなった利用者さまには入所時から意識が無かったらしく、わたしだけでなく他の職員もその方とは一度もお話することが出来なかったようなのですが・・・、わたしは他の数名の利用者さまを通してその方の声を聞いた気がしました。


 この映画は「宗教は人を無慈悲に殺すこともある。人にとっては母こそが救いである」と言いたいのかもしれません。
 だからこそこの映画の主人公は母親であり、この主人公が娘を救うため奮闘するのでしょうし、この映画の世界でどれだけ残酷なことが起ころうと神が現れないのもそのためかもしれません。神はいるかもしれないけれど神は人を救わない、そう言いたいのかもしれません。人それぞれ異論はあるでしょうけれど。
 わたしはこの映画の元となったゲームを一度もプレイしたことが無いので、もしかしたらわたしの解釈は間違っているかもしれませんが・・・、この映画は灰と霧の暗闇に包まれたこのサイレントヒルという町において母だけが光だと言っているような気さえします。


 観終わった後「あ~怖かった」で終わらない、何だか考えさせられる映画です。
 わたしはこの本で「対幻想」というものの存在を知りました。
 対幻想とはこの本のP117によれば、「関係」という「他者とつながりたい欲望」(P117より引用)であり、対幻想は人をつがわせるのだそうです。人がつがうのは性的欲求のためだけでなく孤独を感じないためでもあり、この二つは同じものと言えるようです。
 わかりやすく説明するならば未婚者が「自分は一人身では不完全なのではないだろうか。配偶者がいて、子どももいなければ一人前ではないのでは・・・」などと悩んで婚活するのも対幻想のせいであると言えましょう。更に身近な例で説明すると、当ブログを読んでくださっている方々も友人から「彼氏又は彼女がいないので欲しいのだがどうすれば良いかわからない」という相談を受けた経験はあることと思いますのでその例を用いて説明致します。恋人がいないということが日常生活に支障をきたすわけでもないのに思い悩むというのも、「一人では不完全である」という思い込み故なのかもしれません。勿論、恋人がいればいたで楽しいことも沢山あります。とはいえ、わたし自身はこれまで「○○さんのことが好きだから恋人になって欲しい」と悩んでばかりだったので、「恋人が欲しいから出会いを求めて何か行動する」という実体験は特別ありません。しかしいつかわたしも実際に行動し始めるかもしれません、恋人や配偶者を得るために。その際わたしはきっと「嗚呼、わたしは今対幻想にとらわれているのか?」と自らに問うでしょう。そしてこの本を思い出します。


 他にこの本で興味深いのは、いわゆるBL作品になぜ女性読者が夢中になるのかについて「女性読者にとって少年は女である。少年は異性であるため、女性読者は少年と同一化せずに済む・・・」という考察をしているところです。(御存知でない方のために説明いたします。BLとはボーイズラブのこと。BL作品は少年同士など男性同士の恋愛を描いているのです)。
 同一化。
 わたしも時々BL作品を読むのですが、実際わたしも「なぜわたしは少年同士の恋愛をこんなに美しく感じるのか。男性と女性の恋愛を描いた作品は、妙な息苦しさを持っているというのに」と度々考えてきました。同一化せずに済むから、という説明は至極納得のいくものです。
 この本も言及している通り、BL作品に登場する少女たちは女性が「これは女性の嫌な部分」と感じる部分をあからさまに体現しているように思います。身勝手だったり、嫉妬深かったり・・・。そういった部分は勿論男性だって持っているでしょうが、女性自身が「女性である自分」に辟易しているからこそ、女性読者はBL作品を求めるのかもしれません。そしてBL作品に登場する少女は、何か酷い体験をするというのがポピュラー。
 この本は「(BL作品に登場する)少女たちが不当な扱いに遭うのは、彼女たちが『女だから』である」(P146より引用)とも述べます。・・・確かにそうでしょうね・・・。女だから・・・。女性読者は女性が女性であるがために自己嫌悪することを知っているから、BL作品に登場する少女が何か苦しみを負わねば自然に感じないのかもしれませんね。・・・ううむ。
 *注*
 結末を明かすネタバレをしております。
 「ネタバレは嫌いだ」という方は以下の文を読まない方が良いです。
 




 ――――――――――――――――
 夜明け前に見たくなる作品。
 見終わった時ちょうど朝がきてくれたら本当に嬉しい。


 少々意地悪な言い方でこの作品のあらすじを説明するならば、この作品のあらすじは「青年が可愛い女の子に一目惚れした。青年には既に彼女がいるのだが、青年は彼女がいることを隠してその女の子に告白し、女の子と交際し始める。やがて青年は女の子が解離性同一性障害(いわゆる多重人格)であり、女の子の中に男の人格がいること、しかもその男の人格が女の子に恋しているということを知る。青年は男の人格に女の子と会うなと言われショックを受けた。青年は、女の子が今後どんな男を好きになったとしてもこの男の人格がその恋を妨害してしまい女の子はいつまでも幸せになれないだろう・・・と考えた。青年は男の人格に女の子の幸せを考えるよう訴えた。男の人格は女の子のことがとても大事だったので自らが消滅することを選んだ。青年はその際、男の人格と約束をした。その約束とは男の人格が消滅する前に男の人格が現れている時の女の子の写真を撮っておき、男の人格が消滅した後でその写真を女の子に見せる・・・というもの。青年はその約束を果たしたので、友人との約束を守った、と満足しているようだ。しかし青年が結局彼女と別れて女の子と真剣に交際し始めたのかは不明であるし、男の人格がいなくなったことが女の子にどんな悪影響があるかはわからないまま物語は終わる」・・・というあらすじになると思います。

 このあらすじの書き方でわかると思いますが、わたしは青年のことが余り好きではありません。男の人格の方が好き。女の子を愛しているからこそ消えていく男の人格が、愛おしくて切なくてならないのです。
 男の人格は、女の子の両親が突然亡くなってしまった時から女の子の中に生まれました。男の人格は女の子と手紙のやりとりをしながら女の子を励まし続けてきました。ただし、女の子の中に他の人格がいるということが女の子に気づかれぬように、どこかに一人の人間としての体を持って存在する男の子のフリをしながら。その理由はこの作品の中でハッキリとは語られませんが、それはきっと、女の子が「なぜ自分の中に他の人格がいるのか」を考える時、幼い頃両親は遊園地からの帰り道に交通事故で亡くなった、わたしが遊園地に行きたいと言わなければ両親は死なずに済んだのに・・・!!と再び自分を責めるかもしれないという理由でしょう。だからこそ男の人格はずっとずっと、静かに、手紙だけを通して女の子を見守り続けてきたのです。
 わたしは男の人格が割れた鏡にキスをするシーンが好きです。男の人格は、女の子の中に存在するが故に、女の子に触れることが出来ません。自分の正体を女の子に知らせることも出来ません。そんな想いの中、愛しい女の子の姿が映った鏡にキスをする・・・。・・・胸が締め付けられます。
 女の子を愛しているからこそ、青年に「女の子の幸せのため」と言われた男の人格は消えることを選びました。もっと女の子を守り続けていたい、離れるのは嫌だ、そう苦しみながらも。
 青年の父親も言っているのですが、男の人格は女の子にとって必要だから存在していたはず。わたしも、誰かの中に他の誰かがいたからとしても必ずしも人格を統合したりする必要はないという考えを持っています。だから青年の行動が考えなしの行動にしか思えません。男の人格は消えたのではなく死んだのだとしか思えません。純粋すぎて美しすぎて、哀れです。


 ああ、悲しいです。
 この作品に流れるリストの曲が、まるで男の人格が流す涙の音のように聴こえて。


 けれど結末で女の子は晴れやかな表情をしています。それが何よりの救い。
 男の人格はいなくなってしまったけれど、その深い愛が女の子の心に沁み込んで、女の子の心はいつまでもいつまでも平安なままなのだ・・・とわたしは信じることに致します。
 そして女の子がこれからも夢に見続けると嬉しいです、「すごく大切な誰かなんだけど、思いだせない」人のことを。
 さて、今年はいかがいたしましょうか・・・。
 皆様はどうなさいます?
 母の日のプレゼントを。

 わたしは去年、母の日と父の日を1日にまとめ、両親に1つプレゼントを渡しました・・・。
 「せこくないか?」と思った方、その通りです!
 とはいえ、1つは1つなのですがハート型のペアのマグカップをあげたので2つと言えば2つなのですよ。

 今年はどういたしましょう・・・。
 予算は4千円くらいまで。
 先日初任給をいただいたのですが、社員寮の敷金や家賃などをトータルすると赤字だったので高価なものは買えません。(><)

 
 今のところ候補は以下の4つ。



 ピンク色の洋ラン。注文は今日まで。
 http://item.rakuten.co.jp/kajoen/haha_kotyouran/


 お花で作ったケーキ。
 これは食べられないようですし、飾り付けは自分でするのかも?
 だとすると実家から1時間以上離れたところに住んでいて、不定休のわたしには不向き?
 本物のケーキも付いてきます。
 http://item.rakuten.co.jp/ohanaya/cake-cake/


 透かし和文様のバッグとポーチのセット。
 我が母だけでなくわたしもこういうの好きなので。
 http://www.rakuten.co.jp/yumemiya/538682/1878499/1808086/


 予算オーバーなのですが気になります。
 名前入りロゼとカーネーションのセット。
 http://www.rakuten.co.jp/tamaki-web/669251/1870370/



 最終的に何にするかはまだまだ未定です。
 良いアイディア募集中です♪



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 <翌日追記>
 結局は前述した候補には含まれていない、「プリザーブドフラワー『たまごちゃん』」カーネーションタイプを今年の母の日プレゼントとして選びました。
 http://item.rakuten.co.jp/hanahana/tamago/


 決め手となった理由は、主に以下の4つ。
 ●今年わたしは社会人のたまご(新社会人)になったので。
 ●わたしが生まれた時、体がとても小さかったためわたしが看護師さんたちに「たまごちゃん」と呼ばれていた、とのことを母が母子手帳に記していたので。
 ●大きさからしてトイレなどに飾れそうなので。
 ●送料込みで2000円以内! 予算内♪

 母が喜んでくれると嬉しいです(^v^)
 音環境という視点から都市論をまとめようとする著者が書いた、京都をフィールドとしたサウンドスケープ論の本です。
 わたしはこの本を読んでから、梵鐘の中で共鳴しているノイズなどに魅力を感じるようになりました。
 枕草子や源氏物語に登場する音に注目して書かれている本なので、日本の古典文学に興味がある方は楽しく読めるかもしれません。


 音は目に見えないけれど自由に空間を作ることが出来る、清少納言は熟知しておりその「けはひ」によって宮中を把握していた・・・という意味のことを述べる箇所(P93あたりに書かれています)ではなるほどなと思いました。
 音は空間を分ける力があるのですね。
 P55では京都に残る梵鐘の配置について考察されています。昔の人は音による空間を設計したのかもしれませんね。凄いですね・・・。音の反響によって空間の大きさを感じられるでしょうし、場所によって音調も違うでしょうから自分が京都のどこにいるのかという感覚も掴めるような気がします。
 昔の人には負けていられません、わたしも音を活用して美学の域まで極めたいと思います。(←それ以前の問題としてわたしは汚部屋をお部屋に改善しなければならないのですが)


 全体にわたり、この本はアジア的なサウンドスケープ論を意識しているようです。
 わたしの読み解く力が足りない為、この本の全てを理解することはわたしには出来ませんでした。また読み解く力がついた際は読み返したい本です。
 鬼の語る声についても触れているのも印象に残りました。
 まだまだしたいこと、伝えたいことが沢山あったでしょうに・・・。


 アシュリー・ヘギの時間は17歳で止まりました。
 今月21日午前9時のことだったそうです。


 かつてアシュリーと同じ病気・プロジェリアを患ったジョン・タケットくん(享年15歳)は言いました、
 「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない
  こんな病気で僕って何てかわいそうと思いながら
  一生悲しいパーティーを続けるのか
  それとも前へ進み
  人生を意味あるものにするか
  僕は自分の命を最大限に生きたい」
 と。


 アシュリーは大好きなジョンより2年長く生きました。
 プロジェリア患者としては最高齢。


 辛かったことでしょう。
 治療法が確立されていない遺伝子の病気になって。
 自分がいなくなった時の家族の悲しみについてまでも、少女のうちから向き合わねばならなくて。
 それでもアシュリーは自分の命を懸命に生きたのです。
 そして、そんな状況にありながらも、生きることの喜びを教えてくれました。


 彼女は凄いです。
 彼女に、改めてお礼を言いたいです。
 うまく言えませんが、彼女のことを知らなければ決して得られなかったものをいただいた気がします。
 ありがとうございます、アシュリー。
 あなたが天国でジョンと再会出来るよう、わたしは心から祈っています。
 わたしは『信長の野望Online』と『ラグナロクオンライン』のアカウント及びキャラクターを所有しているのですが、最近困ったことになりました。
 今年の春引っ越しをしたため、わたしのネット環境が無敵のフレッツISDNになったからです。

 ・・・説明します。
 ISDNとは!
 例えばYouTubeに投稿されている10分の動画を詠み込むのに調子が良い時でも30分以上の時間を要する、『ウサギとカメ』の童話を読んだ後ならば「ISDNってきっと物凄く素晴らしいに違いないわ」と思えるであろうと思いたいけれど思えない、そんなシロモノなのです。

 ・・・ADSL未提供エリアに引っ越したのが運のつき・・・。
 今住んでいるのが社員寮なので光も引けませんし。社員寮の建物に穴を開けないといけないので工事は駄目だと言われました。ショボーン。(><)
 前述の『ラグナロクオンライン』はチケットの有効期間が切れているので放置していても良いのですが、『信長の野望Online』の方は今現在も料金が引き落とされ続けています。
 困りました・・・。
 課金中止の手続きをしないと・・・。

 けれど課金中止してしまうと、今までに育てたキャラクターがみんな消えてしまいそうで怖いのです。
 課金中止しても消えなくて済むのかどうか調べるべきですね。
 調べるべきなのですが眠くなったので皆様おやすみなさい。ぐぅ。(-v-)zzz
        こんな方におすすめ:色っぽい美女を見たい方
 こんな方にはおすすめしません:非情な展開が嫌な方



 女性は女性に対してどこまでも残酷になれる生き物だ・・・、とわたしはこの映画を見ながら改めて感じました。
 この映画の冒頭には、虫眼鏡を使って太陽光で蟻を焼き殺す少年たちが登場します。けれど相手の痛みを思いやれないのは大人も同じ。

 マレーナは夫と父を戦争によって失いました。町の人々はこれまでずっと彼女を異質な者として見るばかりだったので、彼女が孤独な身となってからも、彼女の心に寄り添ってくれる人は誰もいませんでした。それでも戦争は彼女の気持ちことなどお構いなしにまだまだ続きます。食糧もお金も頼れる人もない戦時中を女一人で生きていくために、マレーナがその美しさを活用して娼婦という道を選択したからといって誰が責められましょうか。

 けれど女性たちは群衆の前で彼女の髪を引っ張り、メッタ打ちにし、お腹を蹴り、彼女が口元や膝から血を流し始めてもおかまいなしに暴力をふるい続け、男性も見ている前で彼女の胸を露出させ、泣き叫んで抵抗しようとする彼女を抑えつけながら彼女の髪をほとんど坊主頭の短さに切り・・・、「この町から出て行け!」と叫ぶのでした。
 それを男性たちも止めません。
 この映画の主人公である少年すらも止めません。
 容赦ない制裁を受けたために立ち上がることも容易にはかなわず、ガクガク震え、嗚咽しながらも裸の胸を隠そうとする彼女に、誰も服を着せてあげないし傷も手当てしてくれません。
 ただ見ているだけ。
 ・・・この映画って、「少年が年上の美女に恋をして、その恋心を打ち明けることも出来ずただ彼女を見守り続けた映画」とロマンティックに評されることも多いのですが、少年はただ見ていただけではありませんか!
 ただ見ていただけ。
 少年は彼女が町から追われた後、戦地から生きて帰ってきた彼女の夫に「みんな彼女を悪く言うけれど、僕は真実を知っている。彼女はあなた一人を愛していた」と教えてくれたけれど・・・。
 彼女が悲鳴をあげている間、少年はただ見ていただけではありませんか。
 その時少年自身も、彼女をその沈黙と視線によって追い詰める人々のうちの一人になっていたではありませんか。
 少年の視線に他の人のような冷たさがないと理解する余裕など、その時の彼女には無かったことでしょう。

 そういうこともあってこの映画は見ていると辛くなる映画です。
 けれど、彼女は美しい。
 集団リンチを受けた町に戻ってくるという彼女の度胸も称賛に値します。

 けれど、彼女の心にまで深い深い傷を負わせた女性たちは、町へ戻ってきた彼女の服装が地味になったこと、目尻にシワが出来たこと、彼女が太ったことを見て笑みを浮かべました。そして女性たちは、彼女が女性たちに「こんにちは」と挨拶したその瞬間、満足そうに安堵したように微笑んだのでした。
 ・・・その微笑みにゾッとします。
 女性たちは、「彼女が自分たちと同じ町の女になった」と思ったのでしょうか? それとも「彼女は自分たちが暴力をふるったことを許した」と思ったのでしょうか? ・・・許せるはずなんて無いのに。
 けれど女性たちが微笑まなかったら彼女は再び町を追われることになったかもしれないから、女性たちを非難するわけにもいきません・・・。
 ・・・う~ん・・・。
 ・・・。
 ・・・嫌です、やっぱり。
 非難したいです!
 そして、実際に彼女のような運命を辿った女性たちのために祈りたいです。
 イエス・キリストがかつて娼婦へ言ったとされる言葉を思い出しながら・・・。


 「もう、それでいい。
  わたしはあなたの悲しみを知っている」。


 Yahoo!Japan記事URL
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090416-00000052-jij-ent


 好奇心に打ち克つことは難しいです。
 けれどわたしは彼女に関しては、「そっとしておいてあげて」という気持ちの方が強いです。

 お墓を荒らさないで。
 彼女の遺体を壊して中を調べたりしないで。
 彼女の知らない人々の好奇の目に晒さないで。

 そう思います。
 正直に言えば、わたしだって彼女のことを知りたいです。
 彼女のミイラが見つかれば、彼女が実際にどんな顔をしていたのかCG等で想像図を作ることが出来るでしょう。
 もしかしたら他殺か自殺かも判明して、「クレオパトラは毒蛇に乳首を噛ませて自殺した」という有名な歴史が覆るかもしれません。

 けれど、それらは彼女の望むことなのでしょうか?
 もし彼女が他殺だったとしても、判明させることが出来るのは他殺だったということだけで、誰が殺したのかということまではわからないのでは?
 そうだとしたら、お墓を荒らされ遺体をいじくり回されることを彼女は望むでしょうか?
 一度お墓を発掘されてしまえば、彼女の遺体はお墓から運び出され、どこか彼女も彼女の近しかった人たちも知らない場所へ連れて行かれてしまうでしょう。
 ただ、歴史上有名な人物のミイラである、というだけで。

 それに、もし彼女が本当に自殺だったとしたら?
 失意のまま亡くなった彼女を、後世の人間が更に苦しめることになりませんか・・・?

 彼女は既に遺体なのだから、墓が暴かれることには気づいていないかもしれません。
 けれどだからといって、わたしは「本当の彼女を見れる!」などと無邪気には期待できないのです。
 友達からこんなメールを貰いました。
 「ライトセーバーの資格取ったよ」と。

 
 ・・・。
 ・・・。
 想像中・・・。






 友達「ブオォォォン!(ライトセーバーを振る音)」
わたし「ライトセーバーの資格を取るとは腕を上げたな、○○よ。
    ・・・な、なにっ、赤い刃だと・・・!」
 友達「フフフ、もはやかつての私ではない」
わたし「なんと嘆かわしいことか。
    かつて共に懐中電灯をライトセーバーと主張して振り回した友よ!」
 友達「そなたこそなんと嘆かわしいことか。
    懐中電灯に新しい電池を入れるのを面倒くさがっているのか。
    今そなたが持っているのは大根ではないか!」
わたし「くっ。
    今月は無駄遣いがひど・・・ゲフンゲフン何でもないぞ(咳払い)。
    清きフォースの持ち主にはこのライトセーバーの真の姿が見えるのだ」
 





 想像していたら友達からメールが届きました。
 「ごめん! ライフセーバーだよ」とのことでした。


 かなり早い段階でオチに気づきながらも最後まで読んでくださった心優しいそこのアナタ!
 最近ネット上でも話題になった、ライトセーバー風懐中電灯の画像でお楽しみください。
 それほど本物に似てはいませんが、シューンという音はするらしいですよ。

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