10月初めに懸ったのにまだ完治しないのです。
 まだまだ頭がギ~~ンと痛いし、体中の発疹は消えてくれないし顔には痕が残りそうで精神的にキツいし・・・。熱はさすがに下がったのですがまだまだ医師から「仕事に行っていいよ」との許可が下りないため家庭療養を続行せねばならず、家庭療養と言ってもわたしは一人暮らしですから退屈、退屈、退屈~っ。近所の住宅地をねぐらとする半野良にゃんこでも遊びに来ないかとソワソワしながら窓を見ても、台風につきにゃんこの訪れなっしんぐ! しくしく。
 懸る前は侮っていたのですが・・・水疱瘡って厄介ですね!
 皆様もお気をつけ遊ばせ。
自炊は続けています
皆様、本当に本当にお久しぶりです。
いただいているコメントにお返事も書けず、ご心配おかけしております。
昨日は朝9時から夜の1時まで仕事をしていました。残業代は1円も出ません。妻子持ちの上司も2時までサービス残業してますしね…。けれど就職して1年経たずに辞めると転職する際差し支えるのでまだまだ頑張る所存です。
節約のため自炊も続けています。…買えば少しは楽が出来るのですが節約出来るところは節約して、仕事を辞めても半年は暮らせるくらいのお金を貯めねば! と思って自炊を続けています。時間と体力の節約が出来ないのが難点ですが…。料理の練習になるから結構楽しいです。
今日はお弁当の画像を載せます。…お弁当箱ではなくタッパーに入ってますけどね。ノープロブレムっ!
 P62の、「この国のこの状況を作ったのは僕ら自身だ」という言葉にハッとさせられます。


 日本は介護職がどんなに頑張っても報われない国です。
 わたし自身介護施設で働いていますが、やり切れない気持ちにならない日はありません。
 うちの施設では今月は同期が2人辞め、先輩も2人辞めていきました。
 ところが、毎月4人くらいのペースで職員が辞めていくのに、新しい職員は入ってきません。
 募集はしているのですが、なかなか応募が来ないのです。
 不況のおかげで介護に職を求めてくる人がいるにはいるのですが、2週間くらいで辞める人がほとんど。
 給料の安さ、身体的疲労、精神的疲労、時間拘束の長さ、社会的地位の低さ・・・、辞めたくなる理由は沢山。
 せめて介護職の社会的地位がもっと高ければいいのですけれどね。
 看護師ですと自己紹介すると「すごい」と言ってもらえたりするのに、介護士ですと自己紹介すると「偉いわね。わたしにはとても出来ないわ。汚いものには触りたくないもの」と言われたりしますもの・・・。
 せめて「人のために働いている」という誇りが持てれば良いのですが・・・、認知症のある方に叩かれたり引っ掻かれたりしながら失禁衣類を替えないといけない時もあり・・・、・・・やりきれないですよ、とてもじゃないですけど。
 「これはご家族が介護するには大変だ。ご家族のためにがんばろう」という気持ちで何とかモチベーションを保てる人はいいけれど(わたしはこのタイプ)、ご家族の中には介護施設を姥捨て山のように考えていて職員にも冷たい方もいるので、そういうご家族と出会うと心が折れそうになります。・・・ご家族を変えることは出来ないので、そこは仕方がないのですが。お年寄り自身にも感謝されず、ご家族にも感謝されず、給料も少なく、休日にも「加勢に来い」と言われて無償の休日出勤があることもあって、・・・とこんな風なのに働き続けられる方が不思議でしょう。
 日本にいる何名かの教授や医師は「介護職が専門的スキルを身につけていないから給料が安いし社会的地位が上がらないのだ。介護職は認知症の改善方法や歩行介助方法をもっと学んで、素人が持たない専門性を身につけるべきだ」とおっしゃっており、わたしもそれには一理あると思うのですが、その専門性を身につける前に辞めてしまう人が多い現状に危機感を抱いています。
 

 ・・・すみません、この本のレビューを書こうと思ったのに愚痴ばかりになってしまいました。



 けれどこの本が指摘するように、こうなったのは「国のせい」ではなく、「そんな国にした自分たち」のせいなんですよね・・・。
 「そんな国にした自分たち」のせいで介護職が減って、介護の質が落ち(介護士が少ない為お年寄り全員にきめ細かな介護が出来ないし、すぐ介護士が辞めるので技術の継承が難しくほとんど素人の集まりのような状態になってしまう)、結局は自分たちが苦しむことになる。
 わたし自身も長生きすれば必ずお年寄りになって、きっと介護を必要とするようになります。
 そうした時にこの国の介護がどうなっているのか・・・。
 想像すると恐ろしいです。
 今からでも何とかしなければなりません。
 安心して老いることが出来る社会にするために。
 DiaryNoteのレビュー機能が不調なので画像無しで失礼いたします。


 これを飲むと、冷え症のワタクシでも体の芯から指先までポカポカになります。
 婦人病予防も美容もまず「温める」ことなので、今後も飲み続けようと思います。
 ただ、味がザ・漢方です。他に何も味をつけずに飲み干すのは一苦労です。
 そのためわたしはこれに蜂蜜を加えるようにしています。
 うま~くザ・漢方な味が緩和されて、飲みやすくなりますよ。(^v^)
 生まれてこの方アバラが浮いていないことがなかった痩せすぎ少食のワタクシですが、最近この漫画と出会い、食事というものとの付き合い方が変わりつつあります。
 今までは好きなものを好きな時に好きなだけ食べる生活をしており、そのせいで体のバランスを崩していました・・・。2日間の間で1食しか食べなかったこともありました。
 食材の様々な効果を知ったことで、今まで自分で買ってまでは食べようとしなかった食材をスーパーで見かけると「あ、これも食べようかな」と買い、自分で調理して食べるようになりました。例えば白きくらげやクコの実。今まで余り馴染みがなかったのに、体に入れると不思議に精神が安定する気がします。勿論、体も。
 ワタクシは今まで疎かにしてきましたが、食べることは美味しいし楽しいし嬉しいし・・・体にいいんですよね。実際に食事をとっていてそれを実感しました。
 ワタクシは好きなものを好きなだけ好きな時に好きなだけ食べるのを良し、足りない栄養素はサプリで補えば良い・・・と考えてきたのですが、それは心と体を痛めつける行為だったのかもしれませんね・・・。反省。
 ちなみにワタクシがこの漫画に出会ったきっかけは、ハッキリ言ってこの漫画に登場するマダムが美人だったからです。わたしは男でも女でも美しい人が好きなので。特にこの漫画は女体をとても綺麗に描いているのがワタクシ好みです。女性の体、ではありません。女性の体、と表現するより女体、と表現した方が艶っぽくてこの漫画にピッタリなので敢えてこう書かせていただきます。(*注* この漫画に女体盛りは登場しません・・・)
 そして何よりもワタクシが気に入ったのは、この漫画のマダムが心からの「ありがとう」を言える女性だということです。「いただきます」を言うだけでも素晴らしいけれど、「(食べてくれて)ありがとう」という精神を持てることはとても尊いと思います。


 --------
 <翌日追記しました>
 45話目からの急展開についていけなくなりました。
 突然、物語の舞台が100年後に切り替わるんですもの。
 薬膳の心が未来にも受け継がれるということを描きたいのでしょうけれど、読み手としては戸惑ってしまいました。
 続きを読むかどうか考え中・・・。
 ネットサーフィンをしていてこれを発見。
 http://store.shopping.yahoo.co.jp/cosmetamo/cma-sail005.html
 嗚呼! ワタクシはついつい在庫を見てしまいました。
 そりゃ、これを着たからといってワタクシがあの美少女になれるとは夢にも思いませんけれども。
 子どもの頃の憧れは今も強し。
 短編小説集。「伊良部シリーズ」の3作目です。
 自分自身が高齢者となった時、わたしはこの本の冒頭に収録されている『オーナー』を読み返したくなると思います。


 高齢な主人公は、他の同期が第一線を退いていっても地位ある役職を守り通しています。
 しかし主人公は・・・時折パニックを起こします。
 カメラが焚くフラッシュと、暗闇と、狭いところに対して。
 そのため主人公は伊良部医師の神経科を受診するのです。
 伊良部は「パニック」という極めて適切な診断を下しました。伊良部はやっぱり名医なのだと思います。

 
 強い光は、人が死に臨む時に感じるという光を彷彿とさせる。
 暗闇は、沈黙は、死を思わせる。
 その狭い世界は、棺桶。


 主人公は、いつの間にか自分が死んでしまっている、そんな事態を恐れていたのです。
 自分が成さねばならぬことがまだまだ沢山あるから。


 ・・・大分ネタバレをしてしまい申し訳ありません。続きは小説を読んで確かめてください。
 この短編集『町長選挙』は、表題の『町長選挙』以外の作品は明らかに実在の人物をモデルにして書いてあるため評価が分かれがちですが、それでもやっぱり面白いですよ。伊良部が名医ぶりを発揮している分、伊良部のはちゃめちゃ振りを期待する人には物足りないかもしれませんが。今までの伊良部シリーズ作品より、「考えさせる」要素が濃くなっていると感じます。
 まず、タイトルがまるで呪文のように長いことをお詫び申し上げます。
 長すぎて変身できそう。
 テクマクマヤコン☆ テクマクマヤコン☆ hydeさんにな~れ☆(←こらこら)


 さて。
 安野モヨコさんは以前著書の中でおっしゃいました、容器のデザインはとても重要であると。ちなみにその著書は『美人画報』だったか『美人画報ハイパー』だったか、とにかくあのシリーズの本です。更に詳しく説明すると、安野さんは洗剤の容器が醸し出す生活感をお気に召さないようでした。
 そうなのです。わたしもあの実用主義が気に入らないのです。
 いくら部屋のインテリアに気をつかい、お洒落な空間を精一杯作り出そうとも、例えば「激落ち!」とか「しつこいカビに」とか書いてある容器のせいで、気持ちは一気に現実に引き戻されてしまうのです。
 ・・・そりゃ、気に食わないなら普段は容器をしまっておけばいいだけの話なのですけれど。
 ・・・実際に劇的に汚れを落としてくれ、しつこいカビを落としてくれる洗剤にはとても感謝しているのですけれども。
 ・・・嗚呼、現実よ。


 そんな想いを言語化しイラスト化し出版して世に広めてくれた安野さんが、shu uemuraとコラボして美しい容器のクレンジングオイルを作り、しかもそのデザインが和風且つ可愛い女の子のイラストだというのですから、これは入手せずにはいられません。
 わたしはピンク色の『フレッシュ』を購入しました。正直言って『フレッシュ』の香りは、わたしには今いちしっくりきません。紫の『ホワイトREXプラス』の香りの方が好みです。しかし、『フレッシュ』に描かれている桜と菊の家紋と、「たまき」という女の子の微笑みに惹かれて『フレッシュ』を購入しました。
 肝心のクレンジングオイルとしての性能はどうかというと、さすがshu uemuraのクレンジングオイル。角栓がポロポロ落ちるのに、洗い上がりはしっとり。乳化から完全にメイクが浮き上がるまでのタイミングがいまいち掴みづらいのと(わたしが不器用なだけですが)、お値段がマイナスポイントですが・・・。


 そもそもクレンジングオイルは、顔を綺麗にしてくれたメイクを落とすためのもの。
 極論ですが、綺麗なものを落とすのですから美しくないものと言えるのです。
 しかしこのクレンジングオイルはメイクを落とすものでありながらも見た目が麗しい。
 素晴らしいです。
 もっとこういう洒落たデザインの製品が日本に増えればいいのに!
波平さんに降臨して欲しい。そして剪定の技を見せていただきたい。
 去年の6月からわたしと暮らしている山もみじの盆栽は、今も元気にしています。

 ちなみに一緒に暮らし始めた時の画像はこちらにあります。お暇な方はどうぞ。(http://20756.diarynote.jp/200806111843150000/

 うーん、1年という時の流れの中で、かなり自由に育ったことがわかります。

 この山もみじはどうやら左へ行きたいらしいです。
 おお、どんどん行きたまへ、左へと。
 ・・・ただ単にわたしが剪定の技術に自信が無いから切らないだけ、ということは秘密。
 これ欲しー。

 リラックマ浮き輪。

 ワタクシ、浮き輪を使ってぷかぷか海の波間をただようのが好きなのです。

 こんな可愛い浮き輪なら、さぞかしの~んびりとくつろげることでしょう。

 今年こそは海水浴へ行くぞ~。
 浮世絵は庶民のためだけのものではなかったのですね。
 全ての貴い人が浮世絵に触れたというわけではないようですが、庶民に流行しているもののうち自分のレベルに合うものを、望めば愛でることが出来たのですね。
 例えば光格天皇は浮世絵師の代表格と言える葛飾北斎の『西瓜図』を気に入っていたようです。
 いいですよね、この絵。スイカが食べたくなります。皇族もそんな風に感じるのかな? と想像しながらこの絵を見ると、皇族へ親しみが湧いてくるから不思議です。


 わたしはこの本に登場する中では特に、葛飾北斎の『二美人図』や勝川春章の『美人鑑賞図』が好きです。
 『二美人図』にはいやらしくない色気を感じますし、『美人鑑賞図』は自分もこの絵の中に混じってお姉さんたちと語らいたくなりますし狩野探幽の掛け軸を登場させている所に遊び心を感じます。


 この本を読んで勢いづいたので、今後は浮世絵に関する本も沢山読んでいこうと思います。
 魚、野菜、動物をどのように流通させ食品として加工・調理するのか・・・というシーンはないので「いのちの食べかた」という邦題はいささか不適当かもしれませんが(現代は「OUR DAILY BREAD」)、魚や野菜や動物がどのような手順で命を奪われるのかがわかるドキュメンタリーです。
 本物の血や内臓が映し出されるので、そういったものが苦手だという方は見ない方が良いと思います。


 商品として誕生し、育ち、選別され、殺され、まだピクピク動いているうちに吊るし上げられ、切断される。


 このドキュメンタリーにはナレーションがありません。
 淡々と映像が映し出され、動物の体を運ぶ機械の音が聴こえます。
 人間の声は聴こえません。
 この演出によって、動物はもがいて抵抗しようとするのに人間は感情を露わにすることなく手際よく仕事として命を捌いていく・・・ということがダイレクトに伝わってきます。
 人間たちの手つきからも、表情からも、命をいただく、という慈しみは感じられません。
 人間が動物の体を食べるシーンは何度かありますが、「いただきます」など感謝の言葉を言うシーンはありません。


 ・・・このドキュメンタリーを見てしまったら・・・、もはや食事前に「いただきます」と言うのを怠ることは出来なくなります。
 わたしは動物にばかり注目してこのレビューを書いてしまいましたが、このドキュメンタリーは野菜も扱っています。野菜は動物と違って鳴き叫んだりは出来ませんが、刈り取られる時はやっぱり痛いんだろうな・・・。魚だってそう。
 このドキュメンタリーを見たからと言って、「もう動物も野菜も魚も食べない」というわけにはいきません。生きるためには食べなければいけない。けれど自分は最初から肉となっていたものを食べているのではなく、命をいただいて生かしていただいているのだ、ということを忘れずにいなくては・・・。
 <こんな方におすすめ>
 ストーリーの破綻はどうでもいい。
 とにかく可愛い女の子を見たい!
 出来ればその子のエッチなシーンも見たい。
 ・・・という方におすすめ。


 薄ピンクや薄ブルーが似合う金髪の美少女・キャンディがまるで「不思議の国のアリス」の如く彷徨う映画です。
 キャンディはとにかく可愛いです。
 スタイル抜群且つイノセントな可愛さを輝かせています。
 これがこの映画の最大にして唯一の売り。


 果たしてこの映画が「不思議の国のアリス」のエッチなヴァージョンとして作ろう、と企画されたものなのかはわかりませんが(多分違う)、作り手たちが各々「こんな風に美少女が行きずりの男と○○しちゃったらいいな~」と言い合って作ったであろうことが、各シーンに透けて見えます。
 詩人にいいようにされかけるが詩人を気の毒に思って介抱する心優しき美少女。庭師にダーツ台に押し倒され服を破られレイプされてしまうが悲鳴をあげるわけでもなく訴訟も起こさない美少女。長年女っ気のなかった軍人に「裸を見せろ」と懇願されたため「お国のためなら」と服を脱いでしまい、「わしの子を産め」と詰め寄られる美少女。
 ・・・そんなうまい話があるもんか! とこの映画を見る者としては思うのですが、当のキャンディはトロ~ンと潤んだ目でひたすら歩き続け走り続けるばかり・・・。警察に助けを求めればいいのに、と思うのですが警察官さえもキャンディの魅力に負けて「細かくボディーチェックをしよう」と言いだす始末。


 それでもこの映画、後半の途中まではストーリーがあるのです。
 庭師とのスキャンダルで引っ越す→庭師の姉に「弟の名誉を傷つけられた」と襲撃されキャンディの父が負傷→軍人に保護され父が輸血を受けるがキャンディは軍人に襲われそうになる→病院で父が手術を受けるが、その担当医にキャンディが手をつけられ、その担当医を慕う女性看護師にキャンディが病院を追い出される→逃げるうちに喉がかわいたので酒場へ入ったら何故かカメラマンにトイレへ連れ込まれて水びたしにされる→服がビショビショになったので乾いた服を探していると、何だかよくわからない男にどこかの御屋敷に案内され、この男にピアノの上へ追い込まれて襲われる。襲われているキャンディの上に男の上が何故か羽根を沢山降り積もらせる→警察官に保護というか逮捕されるも細かいボディーチェックをされそうになる→キャンディを乗せたパトカーがオカマパブ(?)に突っ込む→行き場をなくしたキャンディがトレーラーをヒッチハイクしたらトレーラーの中に似非聖人がいた→
 以下意味不明のストーリー展開となります。仏像めいたものが出てきたり。けれどキャンディはいつまでも歩き続け、走り続けるのです。もはや当てもなく。


 わたしが思うに、製作者の「こんな風に美少女が行きずりの男と○○しちゃったらいいな~」を叶えるためにも、差別用語を使って申し訳ないですが・・・キャンディはまさに白痴とも言うべきイノセントさを持っていなければならず、キャンディを言いようにする男たちを「かわいそう」と思う母性めいたものも兼ね備えていなければならなかったのでしょう。そうしないと男たちが「だって彼女が嫌がらなかったんだもん!」と言い訳することが出来なくなりますからね。フン。(←すみません本音が出ました)
 或いは、キャンディのトロ~ンとした目から察するに、キャンディというキャラクターの設定は「薬物で訳わかんなくなって歩き回る美少女」なのかもしれません。
 多分前者ですが。この映画のエンディングテーマを聴く限り。


 良くも悪くも60年代のサイケデリックな香りのする映画です。
 来月、わたしの父が60歳になります。
 還暦祝いをしなくては! と思うのですがどうやればいいのかわからないので調べてみました。


 <わかったこと>
 ●最近は還暦だからといって必ずしもちゃんちゃんこを着るわけではない。
 ●けれど今も還暦のテーマ(?)は「赤」らしい。赤ん坊へ回帰するという意味で。
 ●孫が祖父にちゃんちゃんこを着せる、という演出をした方もいるらしい。
  (*備考* 我が父に孫はいないのでこのアイデアは使えません)
 ●儀式めいたものはしなくて良いが贈り物は必要かも。


 ふむふむ。
 じゃあ赤い色をした贈り物をすれば良いのではありませんか!


 赤い色・・・。


 赤い薔薇とか? けれど我が父は既に赤い薔薇を栽培しています。
 赤い口紅とか? ・・・父が父でなくなる~~~!!
 赤いソファー? 実家のナチュラル系インテリアに合わない。
 赤い自動車は? こちとら月給10万の身でぃっ! 無理!
 赤い靴下とか? しかし父はSeattle Marinersのファンです。


 一番喜びそうなのは「孫」ですけれどね~。
 こればっかりは天の配剤。
 わたしの姉と義理の兄の間にはまだ子どもはいませんし、わたしは結婚さえしていませんし出来ちゃった婚をしたいという希望もありません。

 
 ・・・むむむ・・・。
 今月末にいただけるであろう(あくまで予定)初ボーナスで何か買ってあげたいのですが・・・。
 以下は産経ニュースの記事「トヨタが脳波で動く車イス開発」のurlです。
 http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090629/biz0906292137015-n1.htm


 >人が頭の中で考えるだけで、その脳波を感知して動く電動車イス
 >手による操作は一切不要


 是非、庶民にも手に入るような価格で流通させて欲しいです!

 わたしはこのニュースを見てすぐ、一人のお年寄りを思い浮かべました。
 わたしの勤めている施設に入居している要介護5(一番介護度が重いレベル)のお年寄りです。

 その方は「あー」など声を発することは出来るのですが、声を言葉とすることが出来ません。
 「あー」という声もなかなか出せないので、その方が今何を食べたいのか、などその方の希望がわからないのです・・・。
 「~したいですか?」「~したくないですか?」と尋ねると頷くことがかろうじて出来るレベル。
 頷くだけでもかなり疲れるらしいので(ちなみに首を左右に振ることは困難)、何か意思表示して欲しい時に毎回頷いてもらうわけにもいきません。
 首から下がピクリとくらいしか動かないので、指さしてもらうことも正直厳しいです・・・。
 その方は以前いた病院で「寝かせきり」にされていたらしく、うちへ来た当初はかなり状態が悪かったのですが、わたしの勤めている職場のリハビリのスタッフや介護スタッフが頑張って、徐々にですが表情が豊かになってきました。
 リハビリのスタッフは当然リハビリを。介護スタッフはその方をベッドに「寝かせきり」にすることはせず、毎朝その方をスタッフ2人がかりでパジャマから服へ更衣介助をし、特殊な車椅子への移乗をし(座位が取れないので普通の車椅子には座れません)、低栄養にならないよう付きっきりで食事介助をし、2人がかりでトイレへ座ってもらい、午後は他のお年寄りと一緒にお散歩にお連れし・・・、夜はまた2人がかりでパジャマに着替えてもらって、2時間おきにオムツ交換と体位変換(その方は寝返りを打てないので、床ずれが出来ないように誰かが体を向きを変えてさしあげる必要があります)など行っています。
 けれどそれでも、以前いた病院で「寝かせきり」になっていた期間が長かったのが今後の状態改善にネックとなってきます。・・・リハビリは早めに取り掛からなければいけないのに・・・。
 御家族には「(その方と)自宅で一緒に暮らしたい」という思いがあるのですが、この状態の重さではたとえ訪問看護サービスなどを利用したとしても御家族への介護負担が相当かかってしまいます。
 そういう理由もあり、わたしは出来るだけその方の状態を良くしてさしあげたいです。御家族と暮らせるように。

 
 だからわたしはその方がこの車椅子に乗れるようになることを期待します。
 頭で考えるだけで車椅子が動くのだから、その方を車椅子へ移しさえすれば、その方は自分の好きな時に好きな場所へ行けるようになるではありませんか。
 勿論、誰かが車椅子へ移さないといけないという手間は変わりませんし、この車椅子がご飯を食べさせてくれるわけではないけれど、それでもどこかへ出かける時の御家族の負担は減ると思います。この車椅子が屋外で使用可能なのかどうかは冒頭で挙げた記事では不明ですが・・・、置内で使用可能なだけでも全然違うと思います。何故なら、その方がトイレ前まで行けるようになるではありませんか。トイレを誰かに手伝ってもらった後、どこかへ自分で行けるようになるではありませんか。
 「そんな短距離を自分で行けたからって、今までと大して変わらないじゃないか・・・」と思う方もいらっしゃるでしょう。確かにその通り。その方が大邸宅に住んでいるならまだしも、普通の家の中での移動なんて短距離ですし、短時間しかかかりません。御家族にかかる負担は重いままです。
 けれど、その僅かでも短縮された時間の間に、御家族は好きなことが出来ると思います。
 ・・・本当に僅かな時間ですが・・・。
 「いつも付きっきりでないといけない」という精神的負担も減ると思いませんか? ・・・「目を離すと何かありそうで怖い」という不安が加わるかもしれませんが・・・、けれど・・・、それでも今までとは全然違う。
 凄いことです。


 長くなってしまい申し訳ありません。
 言いたいことは以下のこれだけ。
 この車椅子の開発に期待しています! 
 ☆こんな方へおすすめ☆
 自分のことを余り好きではないけれど、好きになりたいと切望している。
 説教臭い映画は苦手。風刺が効いているコメディーは好きだ。
 ・・・という方へおすすめです。(^v^)


 ----------------


 もっと早く見れば良かったです。
 この映画は、人類が古来より抱えてきた悩み「理想の外見と実際の外見が違う」「好きな人に自分の心を理解してもらえない」「大きな幸せのためには沢山の小さな幸せを犠牲にして良いのか」などについて改めて考えさせつつ、大いに笑わせてくれる映画です。
 特に、ハンサムスーツがお湯に弱いのを忘れてうっかりシャワーを浴びてしまうシーンの前後は笑いが止まりません。スーツがだめになったのでコッソリ裸で逃げ帰ろうとする途中でスタンドを倒してしまい、それを上手く静かに受け止めるところなど愉快です。
 それでいて、「自分を演じる自分」を描くなど、この映画が扱うテーマはとても深いです。


 わたしはこの映画を最後まで見て、この映画が「外見も中身も含めたものが『自分』である。『自分』の中には別の『自分』もいて、その存在を受け入れると生きるのが楽になる」という結論を出しているように感じました。
 どんな自分も自分なんですよね・・・。わたしはこの映画がとても好きです。わたしもわたしの中にいるであろう別の自分に、この映画のエンディングのように「ナイス・キャッチ!」と祝福してもらいたくなったし、祝福してあげたくなりました。


 主人公・琢郎(たくろう)を演じた塚地武雅さんも、琢郎がハンサムスーツを着た姿・光山杏仁(ひかりやまあんにん)を演じた谷原章介さんも、二人ともはっちゃけてて素敵。全然違うこの二人が本当に同一人物に見えてくるのだから、演技って素晴らしいですね。
 塚地さんも格好いいんですよ。ネタバレになってしまいますが・・・、後半、琢郎はハンサムスーツを脱ぎ捨てます。琢郎は自分の顔を鏡で見てとっても嬉しそうに笑って言います、「琢郎。お前はほんまにブサイクやな。でも、それでええ」と。わたしはそのセリフを言う時の塚地さんにキュンとしました。


 ああ。わたしもハンサムスーツを着たいです。
 美女スーツでもブスーツでもいいけれど。
 オヤジスーツとか、おばあちゃんスーツもあるのかないのかわかりませんが、気になります。
 にゃんこスーツなんてものも作ってもらえないでしょうか。「にゃ~ん♪」とすり寄ってきたかと思ったらツンとそっぽを向き、そうかと思えば「もっと撫でれ」と上目遣いで要求してきたりする、そんな猫様にわたしはなりたい。


 何と言うか・・・、わたしもこの映画の主人公・琢郎(たくろう)のように、自分というものをグーッと客観的に見つめ直してみたいです。
 そのためにもまず、この映画に登場する『人の幸せ探してお家に帰ろうゲーム』を誰かとやってみたいです。友達や、家族や、恋人と。このゲームを通して自分自身のことや他の人のことが理解できる気がするから。何を幸せに感じるか、というのは案外個性が出ると思うのです。
 ・・・とはいえ。誰か幸せそうにしている人を見つけたらその様子をケータイでぱしゃりと撮って10歩進む、というこのゲーム・・・、実際にやってしまうと「勝手に写真を撮らないでよ!」と怒られる可能性が高いので注意が必要ですね。
 「ニーズのある分野ほどリターンも期待できる」。
 わたしはこの本のP39に書いてあるこの一言に勇気づけられました。リターンは必ずしもお金という形にはならないだろうけれど、きっと「成すべきことをしている」という充実感を得られるでしょう。それに、自分自身も社会の一員なのだから、社会が良くなれば、社会の一員である自分自身もその恩恵を受けることが出来るでしょう。そういった意味でも、世の中を自分が必要とする世の中に変えていくべきではないでしょうか。
 わたし自身はというと、わたしはまだまだコドモなので、ついつい「自分を必要としてくれる世の中」を必要としてしまいます。
 未熟ですよね。
 それよりもまず、自分がどんな世の中を必要としているのか突き詰めないと。
 この本には、紛争を和解に導く、とか、敵対民族の子どもを集めて交流キャンプを開く、とかなかなか実行に移せないようなことをしている人も紹介されています。けれどどんな凄いことをしている人も、「なぜこんな風になってしまったんだ」と疑問を抱くことから出発しているように感じます。
 わたしもまずは「なぜ・・・」とアンテナを張ることから始めたいと思います。
 *注*
 実際に品物を手にしてのレビューではありません。



 なんて格好いいシガレットケースでしょうか。
 特に黒。
 何かの物語に登場しそう・・・。
 そう・・・、暗くとも神秘的な物語の、物憂げ且つ端整な顔立ちの登場人物が携えていそうな気がします。
 イメージはファイナルファンタジー・・・。
 わたしは是非Gacktにこれを持ってほしいです。「おいおい実在の人物じゃないか!」と思った方、大丈夫です。Gacktは生けるファイナルファンタジーですから。(←意味がわかりません)


 見れば見るほど、このデザインの凝りように惚れぼれします。
 わたしは喫煙者ではないので、これを買っても意味がないのですが、それでも欲しくなりました。
 値段がこれ程までに高価でなければ(18,900円もするのです・・・一体どういう御仁がこれを買うのでしょうか)、インテリアの一つとして飾ってしまいたいです。
わたしは紫のバラの人・・・ではなく紫のバラと暮らしている人
 ここ3か月、水をあげるくらいしか世話が出来なかったのに、綺麗に咲いてくれています。
 ミニバラの「チェリーベル」。
 ピンク色と紫がまざった、不思議な色合い。
 「チェリーベル」の花びらは、桜や桃の花びらのような小ささ。
 ちっちゃくって可憐で、けれど肥料や農薬に気を使わずにいてもひとりでに咲く力を持っている、結構たくましいミニバラです。
 明日わたしは仕事が休みなので、病気予防のスプレーを散布してあげようと思います。いつまでも健やかでいてね。(^v^)


 <翌日追記しました>
 きちんと散布しましたよ♪
 22日に鹿児島で早乙女太一さんの公演があったのですが、わたしは行けませんでした。
 ・・・行きたかったさ。
 ・・・でも休みを貰えなかったのさ。
 ・・・どうかまた鹿児島へ来てくださいまし。
 それを目標の一つとして頑張りますから。


 以前公演に行ってからというもの、わたしはあの舞いの虜となりました。
 圧倒的にレベルの違う努力を重ねに重ねたからこそひたすらに美しい、あの舞いにもう一度見惚れたいです。

< 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索