米林宏昌監督 『借りぐらしのアリエッティ』
2011年12月8日 映画 コメント (2)
同じ世界に生まれていたならば、一緒に居られたかもしれない。でも、そうではなかった。だから、お別れしなくてはいけない。
小人と人間の、禁断の淡い初恋。
この切ない物語を彩る、ケルト音楽の優しい音色に、涙さえ誘われます。
心の震えと、弦楽器の響きが、とてもよく合っていて…。
この映画は、音の使い方がとても上手。例えば、ショウがアリエッティに初めて触れるシーンでは、ふいに音が消えます。いかにその一瞬がお互いにとって特別なものか、伝わってきます。
とはいえ、特筆すべきは家政婦ハルの存在です。
小人を探し、捕らえ、「み~つけた!」とはしゃぐハル…。
小人を「泥棒小人」と表現するハルの傲慢さに、わたしはショックを受けました。
確かに、小人は人間の家から砂糖やティッシュなどを泥棒しています。けれど、人間だって自然に寄生して、小人よりよっぽど多くのものを自然から泥棒しているではありませんか。
この映画の中では、絶滅した生き物についても語られます。好奇心に任せて小人を捕らえようとするハルの姿は、毛皮などを奪うために動物を狩ったり、木を伐採しまくって砂漠と化した、身勝手な人間の姿と重なります。
小人たちは必要な分だけ取っていくけれど、人間の貪欲さは限度というものを知らない。
自然から自分たちが物をもらうのは当然、と思っているからこそ、自分たちと同じように生きているはずの小人を「泥棒」なんて言えるのです。
それでいて、ハルは自分が間違っていたと気づくと、まるで自分が被害者であるとでも言うかのようにわざとらしくフラついて見せる。
アリエッティとショウの恋心が美しければ美しいほど、ハルの醜悪さが際立ちます。
アリエッティは引っ越していったけれど、どんな土地でもきっと懸命に生きるでしょう。
ハルは心臓の手術次第ではあるけれど、きっと生きていく。
けれど、果たして「ハル=人間」はどうなのでしょう…。…きっと…。
小人と人間の、禁断の淡い初恋。
この切ない物語を彩る、ケルト音楽の優しい音色に、涙さえ誘われます。
心の震えと、弦楽器の響きが、とてもよく合っていて…。
この映画は、音の使い方がとても上手。例えば、ショウがアリエッティに初めて触れるシーンでは、ふいに音が消えます。いかにその一瞬がお互いにとって特別なものか、伝わってきます。
とはいえ、特筆すべきは家政婦ハルの存在です。
小人を探し、捕らえ、「み~つけた!」とはしゃぐハル…。
小人を「泥棒小人」と表現するハルの傲慢さに、わたしはショックを受けました。
確かに、小人は人間の家から砂糖やティッシュなどを泥棒しています。けれど、人間だって自然に寄生して、小人よりよっぽど多くのものを自然から泥棒しているではありませんか。
この映画の中では、絶滅した生き物についても語られます。好奇心に任せて小人を捕らえようとするハルの姿は、毛皮などを奪うために動物を狩ったり、木を伐採しまくって砂漠と化した、身勝手な人間の姿と重なります。
小人たちは必要な分だけ取っていくけれど、人間の貪欲さは限度というものを知らない。
自然から自分たちが物をもらうのは当然、と思っているからこそ、自分たちと同じように生きているはずの小人を「泥棒」なんて言えるのです。
それでいて、ハルは自分が間違っていたと気づくと、まるで自分が被害者であるとでも言うかのようにわざとらしくフラついて見せる。
アリエッティとショウの恋心が美しければ美しいほど、ハルの醜悪さが際立ちます。
アリエッティは引っ越していったけれど、どんな土地でもきっと懸命に生きるでしょう。
ハルは心臓の手術次第ではあるけれど、きっと生きていく。
けれど、果たして「ハル=人間」はどうなのでしょう…。…きっと…。
コメント
>人間の貪欲さは限度というものを知らない。
>自然から自分たちが物をもらうのは当然、と思っているからこそ、
>自分たちと同じように生きているはずの小人を「泥棒」なんて言えるのです。
至言だと思います。
わたしもそんなハルと同じ人間なのですが(苦笑)、
この映画に出てくる屋敷の女主人のような人間に近づきたいです。