長期間降り続く雨により、九州各地に避難指示が発令されています。

わたしの住んでいる地域(鹿児島県)は警戒レベル4で、複数の避難所が開設されています。

わたしは福祉関係の仕事をしているので、わたし自身はまだ避難せず、体の不自由な方や高齢者の避難を手伝っていますが、それが一段落したらわたしも避難所に行こうと思っているところです。

そこで、先日当ブログに掲載した、緊急持ち出しリストの例などを加筆修正した上で再掲します。

わたしが日頃、緊急時の持ち出し用リュックに入れている物のリストです。

概ね3日程度生還出来る量を入れています。

なぜその物品が必要なのかという理由なども書き添えます。

なお、火災を引き起こさないよう、ロウソクやライターやマッチなどは敢えて省いています。

子どももペットもいない一人暮らしの女性向けのリストですが、それ以外の方にも参考になれば幸いです。

まだまだ不十分なリストだとは思いますが、あれもこれもと欲張ってリュックが重くなって避難に支障が出たら元も子もないので、中身を厳選しているつもりです。

緊急の時は、着の身着のままでも「とにかく逃げて命を守る」ことが大切ですが、避難所に十分な物資が無いことが予想されるので、自分に必要な物資を可能な限り自分で持ち込むのがベストだと思います。

また、ハザードマップをチェックしたり、テレビやラジオをチェックするなどして、最新情報を得る努力もしましょう。


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〈わたし(特に持病も障害もなく、子どももペットもいない一人暮らしの女性)の緊急持ち出しリュックの中身〉

※水害を想定し、リュック本体が撥水加工や防水加工だと何かと安心です。


●蓄光素材または蛍光反射材をリュックにつけておく

蓄光素材のものがリュックについていれば停電時に暗闇の中でもリュックを探しやすいし、蛍光反射材をつけておけば捜索隊などに発見してもらいやすくなります。


●現金を一万円以上入れた緊急時用の財布1個

千円札×8枚、残りは小銭という内容にしています。
停電時に電子マネーは使えないので、現金が必須です。


●ポリ袋に入れた保険証のコピー1枚

原本はいつも普段使い用の財布に入れていますが、コピーがあると安心です。
最悪、災害で亡くなった場合や意識が無い場合の身元確認にも使ってもらえます。
ポリ袋に入れるのは防水のため。


●ポリ袋に入れた保険証のコピー1枚

最悪、災害で亡くなった場合や意識が無い場合の連絡先。
緊急連絡先にして良いか確認してOKをくれた方3名のフルネーム・住んでいる市町村名(詳しい住所は防犯のため書いていません)・スマホの電話番号・続柄を書いています。
ポリ袋に入れるのは防水のため。


●ミネラルウォーターのペットボトル500ml×3本

後述しますが、水の入ったペットボトルと懐中電灯を組み合わせてランタンとしても使えるので、ジュースやお茶よりも水の入ったペットボトルがおすすめです。


●懐中電灯1個+それに対応する乾電池

暗い時間帯に歩行しやすくなりますし、灯りがあるというだけで人間はホッとするものです。
「スマホのライトで大丈夫」と油断するのは危険です、意外とバッテリーを消耗しますから。
懐中電灯が正常に使えるか事前に確認をしておきましょう。
後述しますが、懐中電灯と水の入ったペットボトルで簡易ランタンも作れます。


●ラジオ+それに対応する乾電池

出来ればラジオとサイレンと手回し式でスマホの充電も出来るタイプが望ましいけれど(ソーラータイプだと天気次第では使えないので、手回し式が良いです)、小さくて簡易な物でも十分最新の災害情報が得られるので、ラジオを必ず用意しましょう。
停電でテレビがつかなくても、乾電池式のラジオなら情報が得られます。
「スマホのラジオアプリで聞けばいいじゃん」と思うかもしれませんが、スマホのバッテリーは少しでも節約すべきです。
ラジオが正常に使えるか、事前に確認しておきましょう。


●緊急トイレ3個

登山の時に買いました。
どの規模の災害でも1個では足らないと思うので、最低でも3個は必要。
緊急トイレがすぐに手に入らない、もしくは使い切った場合の簡易トイレの作り方は後述します。


●靴1足

裸足で瓦礫の上を歩くのは危険なので靴が必要です。
豪雨災害等で様々な物があちこちに流れ着いている場合、危険な物質が含まれていることもあるので、裸足はNG。
ヒール有りの靴はいざという時走れないし、スニーカーなら足を覆って保護出来るので、スニーカーがおすすめ。
荷物の空きに余裕があれば長靴も欲しいところですが、よほど大きなリュックで無い限り長靴は入りきらないのでスニーカーがおすすめ。
「わざわざ靴をリュックに入れなくても、靴を履いて外に出ればいいじゃん」と思うかもしれませんが、意外といざという時は焦って裸足で外へ飛び出す人もいるので、事前に入れておくと安心です。


●折りたたみ出来る薄いヘルメット1個

頭を守るため。
ヘルメットが無い場合は、目立つ色の帽子やタオルで頭を保護した方が良いです。
なぜ目立つ色を勧めるかというと、目立つ色を身につけていた方が、残念ながら遺体となってしまった場合や意識が無くて助けを求められない場合に発見してもらいやすいからです。


●個包装のお菓子10個

個包装だと、保存がしやすいので便利。
他の人にも分けてあげやすいです。
わたしはビスケット、チョコなどの甘いものだけでなく、塩分をとれるように、塩分入りの飴や、カリカリ梅も入れています。


●常温保存が出来る食料

わたしの場合は今のところ、サバの缶詰×3個、レトルトのカレー×3袋、レトルトのスープ3袋、おつまみ用のチーズ×1袋、お粥×4袋、inゼリー(マルチビタミン)×3、災害備蓄用ミニ羊羹×1個を入れています。


●紙皿とフォーク・スプーン・割りばし 3個ずつ

それぞれラップを巻いて使うのがおすすめ。
使用する度にラップを捨てれば、食器を洗う必要が無いので、水を節約出来ます。
紙皿等が無い場合は、お皿にラップを巻いても良いし、ラップそのものをお皿代わりにしても良いです。


●ラップ1本

ラップは万能アイテムです。
状況に応じて包帯代わりにも、食器代わりにもなり、マルチに活躍します。


●軍手3セット

災害時は何かと瓦礫が発生します。
怪我をするとそこから化膿して熱発するなど、良くないことだらけです。
怪我をしないで済むよう手を守りましょう。
意外と夏場でも時間帯によっては冷え込む場合があるので、保温目的で手袋としても使えます。


●レインコート 上下1セット

豪風雨の中、傘をさそうとしても傘が壊れがち。
レインコートがあると、雨に濡れて体が冷えて体調不良になることを防げます。
災害時は車のドライバーが焦って運転していることもあるので、ドライバーに歩行者が居ることを気づいてもらいやすいという意味でも、出来れば目立つ色のレインコートがおすすめ。


●コンタクトレンズの予備(1か月分)とメガネの予備1個

目が悪い人にとっては、これらが無いと避難どころではありません。
避難所ですぐに自分にぴったり合う手に入るわけではないので、事前準備が必要。


●スマホ用のモバイルバッテリー1個

自分が必要でなくても誰かに充電させてあげられますし、必ず1個はフル充電したものを持っておきましょう。
もちろん、スマホ本体は前もって出来る限り充電しておきましょう。
また、災害時にあちこちから「大丈夫!?」と連絡を貰うのは有難いのですが、スマホのバッテリーをキープするため、SNSのアイコンなどを「無事です。充電を節約するため連絡を控えています。何かありましたらこちらから連絡します」等のメッセージ付きのものに変えておきましょう。


●色付き(出来れば黒)・透明それぞれのポリ袋の大5枚、小を10枚

ゴミ袋や給水袋としてだけでなく、簡易トイレを作るのにも使えるし、穴をあければ着替える時や排泄時の目隠しポンチョにもなるし、特に透明のものは懐中電灯にかぶせてランタン代わりにもなるし、何かと便利です。


●布ガムテープ1個

ガムテープは何にでも応用可能な便利なアイテム。
簡易トイレを作るのにも、場合によっては止血にも使えて超優秀。


●トイレットペーパー 2ロール

ティッシュ代わりにもなるから。
芯を抜いておくと少しコンパクトになるので、リュックの中のスペースを少し広く使うことが出来ます。


●歯磨きシート3袋

水を浪費しなくても歯磨きが出来て、健康維持が出来るから。


●拭くだけメイク落としシート 3袋

水を浪費しなくても、メイク落としとしてだけでなく、洗顔用としても使えるから。


●救急セット 1セット

絆創膏3枚、消毒液1本、綿棒3本、ガーゼ3枚、包帯1本、爪切り1個、毛抜き1個、ハサミを1個入れています。


●アイマスクと耳栓 1個ずつ

就寝時用に用意しています。
避難所で他人の目やいびきを気にせず寝るため。
なお、わたしのアイマスクは友達がくれた、『銀魂』の沖田愛用のアイマスクと全く同じデザインのふざけたアイマスクです。


●マスク5枚

感染症予防にもなるし、すっぴん隠しとしても使えます。


●薬

わたしは特に持病は無いのですが、ドラマ・映画などで「仲間がケガをした!化膿して熱が出て命が危ない! 抗生剤があれば助かるのに!」と薬を求めてさまよう人たちの様子を観たりしているので、抗生剤を入れています。
影響受けまくりですね。
持病がある方は持病の薬を入れておくことをおすすめします。


●使い捨てにしても良い下着の替え3セット

服は着の身着のままでも数日は過ごせるけど、下着は替えが必要です。
掃除機を使わなくても圧縮できる袋に入れておくと便利。


●ジャージ上下1セット

日中着る服としてもパジャマとしても使えるので便利。


●生理用ナプキン15個

自分が必要としなくても他の被災者にあげられるメリットもありますし、滅菌消毒されたガーゼなどが無い時に怪我をした場合、ガムテープと組み合わせて止血にも使えます。


●バスタオル3枚

枕代わりや、タオルケット代わりとしても使えるし、避難所で着替えたい人を隠してプライバシーを保護してあげることも出来ます。


●ドライシャンプー1本

水を浪費しなくても、髪と頭皮がギトギトになるのを防げます。
最近はミニスプレータイプも市販されていてとても便利。


●体拭きシート1袋

お風呂に入れない状況でも汗を拭けて清潔を保持できます。


●消臭スプレー1本

避難所のトイレを使う時、前の人が使った直後に自分がトイレを使ったり、自分の後にすぐ他の人がトイレを使う場合、匂いが気になりがちです。
小さめでも良いので消臭スプレーがあるとトイレを使いやすくなります。


●防犯ブザー1個

被災して弱った人を狙う犯罪が起きやすいので、防犯ブザーが必要です。
「自分はブスだから or 年配だから性犯罪の被害にはあわない」「自分は男だから犯罪者に狙われない」と油断している人は要注意です。
犯罪者は自分より弱いと見なしたら誰であろうと狙いますから。
特に性犯罪に関しては「ブスでも美人でもヤレればどうでもいい」と美醜に頓着しない犯罪者も多いですし、子どもだろうが年配だろうが犯罪者の性癖によってはターゲットになりますので、5歳くらいの子や70歳を超えたおばあちゃんが被害に遭うケースもあるのですから油断大敵です。
性別も関係ないです。
お互いに被災者で且つ同性であっても、たとえば避難所で着替えている他の被災者を盗撮してマニアに売るような犯罪者もいますから、恐怖を感じたら誰かに助けを求められるよう防犯ブザーを持つべきです。
「悲鳴をあげれば良い」と思っていても、いざとなると恐怖で声が出なくなるものです。
また、防犯ブザーがあれば、どこかに閉じ込められた時に助けを求めることも可能なので、最低1個は持ちましょう。

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また、ご自身またはご家族の病気、障害、乳幼児がいる、ペットがいる、などの理由で高台への避難が難しいという方は、浸水等の被害を避けるため、せめて、

・二階建ての家なら二階で寝る
・リュックに入れられる最低限必要な荷物、軍手、靴、懐中電灯を枕元に置く
・断水時に備えて浴槽に水をためる
・見物目的で海や川に近づかない
・家族が散り散りになって連絡がつかない時の集合場所を決めておく

などの行動をしてください。



<簡易ランタンの作り方>
停電したら、懐中電灯で簡易ランタンを作りましょう。
懐中電灯の上に、水を入れたペットボトル(ラベルは剥がしましょう)を乗せるだけで、光が乱反射するのでランタン代わりになります。
ペットボトルが無い場合は、懐中電灯に透明なビニール袋を被せても良いです。


<簡易トイレの作り方>

断水した時でもトイレには行きたくなります!

まず、45リットルゴミ袋(色付き。出来れば黒が望ましい)を2枚と、新聞紙を10枚くらい(新聞紙が無ければチラシやティッシュやトイレットペーパーで可)と、消臭スプレーとガムテープを用意します。

1.便座を上げて、1枚目のゴミ袋で便器を覆います。

2.便座を下げて、1枚目のゴミ袋を固定します。便座だけではズレそうだなと不安な場合は、念のためガムテープを貼って1枚目のゴミ袋を便器に固定します。

3.2枚目のゴミ袋を2.の上から、排泄物をキャッチ出来る受け皿になるように設置します。

4.新聞紙5枚を短冊状に破くか、くしゃくしゃに丸めて、3.の中に敷き詰めます。

5.用を足します。

6.新聞紙5枚を短冊状に破くか、くしゃくしゃに丸めて、排泄物を隠せるように排泄物に乗せます。

7.排泄物に消臭スプレーをかけます。

8.排泄物が入っているビニール袋をきつく縛って、食料品などから離れた場所で保管します。出来ればフタ付きのゴミ箱を汚物入れにするのがおすすめ。フタ付きのゴミ箱が無ければバケツで代用可能。災害がおさまってゴミ収集が再開したらゴミとして出せる状態にしておきます。

9.その後また用を足したくなったら、既に1.〜2.で下準備は出来ているので、3.〜8.を繰り返すだけでOKです。2.で1枚目のゴミ袋をガムテープで固定していた方が、2枚目のゴミ袋を処理する時に1枚目のゴミ袋がくっついてきちゃって戻すのが面倒くさい、なんてことを避けられます。

45リットルのゴミ袋が無ければ、普通のビニール袋を二重にしても良いし、便器そのものが使えない状態なら、バケツや段ボールを便器代わりにしても良いです。
大学卒業後すぐ亡くなった友達の携帯電話の番号とメールアドレスを、「もしかしたら連絡がくるかも」という訳の分からない気持ちがあって(死んだ人から連絡があるわけ無いのに。間違いなく亡くなっているんです、ちゃんと葬儀にも行ってご遺体を見送ったのですから)、ガラケーからスマホにしてからも何年もずっとわたしの電話帳に登録したままでした。

が、スマホの機種変更をする際、電話帳の移行がうまくいかず、ついに亡き友の連絡先が消えてしまいました。

断捨離できた、とポジティブに捉えるべきなのでしょうし、これから年を重ねていくにつれて色んな人が亡くなってその度に連絡先を消していかざるを得ないでしょうから慣れないといけないのでしょうが、消えたと気づいた瞬間に、今度こそ本当にこれで友達とサヨナラだと思えて泣けてきました。

連絡先を残したままでいれば、「最近会ってないけど、どこかで元気にしているんだろうなぁ」と思える気がして。
 先ほど母から電話がありました。


 「お前の同級生に○○っておったどが。死んだぞ。今日お通夜。昼はレストラン、夜は飲み屋ってところに就職して、お客さん同士の喧嘩の仲裁に入って倒れて、打ちどころが悪かったってよ。●●(わたしのハトコ。交通事故で意識不明になった後亡くなりました)みたいに一週間くらい苦しんだんじゃないか。(○○と)大学の入学式で挨拶した覚えがあるけどねぇ」


 ○○・・・彼はわたしと小学校も中学校も大学も同じでした。
 高校が違っただけで、他は一緒。
 今年の春同じ大学を卒業したばかり。


 中学校時代は彼とわたしの友達が付き合いだしたことをきっかけに(キューピットはわたし)、わたしと彼の親友が付き合うようになった・・・という思い出があります。ダブルデートもして、その際は海や公園に行きました。
 彼とわたしの友達が付き合う前、中学校から家までの帰り道が同じだったことから(彼の実家とわたしの実家は近所なのです)、「◎◎さん(わたしの友達)俺のことどう思ってるかな」などの相談をしながら帰ったことを思い出します。その際他の同級生にその様子を見られて、「あんたたち付き合ってるの?」と同級生に誤解されたこともあります。
 そんな帰り道を何度か繰り返して彼とわたしの友達は付き合い始めた後も、彼らの仲がこじれかけると彼が帰宅しようとするわたしを「~さん!(わたしのこと)」と呼び止め、一緒に帰りながら恋愛相談をする・・・ということがありました。


 彼は地元の高校へ、わたしは隣の市の高校へ。
 その間にわたしは友達から、彼と友達が別れたことを知らされました。別れた理由はわたしは知りません。


 わたしは県外の大学へ進み、大学の入学式で彼と再会して驚きました。茶髪になってる!と。←驚くところが違う  
 大学ではわたしと彼とは学部もサークルも違ったのであまり会わなかったのですが、教室前や学食前などですれ違うといつも挨拶を交わしました。


 彼は小学校の時からずっとわたしを「~さん」とさん付けで呼び、同い歳であるわたしへの挨拶もしっかり頭を下げて行う青年でした。
 そんな彼だから喧嘩に巻き込まれて・・・という姿を想像することは可能です。喧嘩を止めに入る姿が想像できます。
 けれど。
 そんなスタンド・バイ・ミーみたいなかっこいい死に方はやめてくれ。生きててくれ。・・・嗚呼。
 彼が数日間苦しみ抜いた末に亡くなったのだとすれば、「よく頑張ったね」と言うべきなのかもしれません。けれど言いたくないです。
 嗚呼、喧嘩をしたお客が無性に憎い!!
 喧嘩は外でしろ!! 店員を死なせるな!!




 ――――――――――――
 <数時間後に追記>
 わたしは迷っています。
 わたしの友達、つまり彼の元彼女に彼の死を伝えるべきか否かを。
 ・・・実は友達には自傷癖があるのです。
 元彼が亡くなったと知ったらショックを受け、いつも以上に深く多くリストカットをしてしまうかもしれません。
 けれど時間が経ってから知ったら「なぜ教えてくれなかったの」とそれはそれで苦しむことになるでしょう。
 ・・・迷います、とても。
 まだまだしたいこと、伝えたいことが沢山あったでしょうに・・・。


 アシュリー・ヘギの時間は17歳で止まりました。
 今月21日午前9時のことだったそうです。


 かつてアシュリーと同じ病気・プロジェリアを患ったジョン・タケットくん(享年15歳)は言いました、
 「人生はどう生きるかなんだ。長さは重要じゃない
  こんな病気で僕って何てかわいそうと思いながら
  一生悲しいパーティーを続けるのか
  それとも前へ進み
  人生を意味あるものにするか
  僕は自分の命を最大限に生きたい」
 と。


 アシュリーは大好きなジョンより2年長く生きました。
 プロジェリア患者としては最高齢。


 辛かったことでしょう。
 治療法が確立されていない遺伝子の病気になって。
 自分がいなくなった時の家族の悲しみについてまでも、少女のうちから向き合わねばならなくて。
 それでもアシュリーは自分の命を懸命に生きたのです。
 そして、そんな状況にありながらも、生きることの喜びを教えてくれました。


 彼女は凄いです。
 彼女に、改めてお礼を言いたいです。
 うまく言えませんが、彼女のことを知らなければ決して得られなかったものをいただいた気がします。
 ありがとうございます、アシュリー。
 あなたが天国でジョンと再会出来るよう、わたしは心から祈っています。
 同級生が亡くなりました。
 彼には婚約者がいて、彼女との結婚式を目前に控えていたというのに、事故のため22歳の若さで亡くなったそうです。
 ・・・不思議で仕方ありません。彼とわたしは同じクラスにいて同じ学校を卒業したというのに、彼は亡くなってしまいわたしは生きているということが。一体何が運命を分けるのでしょう?
 こういう若い人の死に「必然」という言葉は絶対に使いたくないし、かといって「偶然」と片付けるのも辛すぎます。
 彼が死を望んだわけでもないのに、むしろ生きたくて生きたくてたまらなかっただろうに・・・どうして?


 ・・・わたしは彼や彼の婚約者に謝らなければなりません。
 わたしは人づてに、彼と婚約者との間に子どもはいない、ということを聞いて「せめてもの救いだった。もし子どもがいたら彼女はシングルマザーとして生きることを余議なくされてしまう」と考えてしまったのです。
 考えてすぐハッとして、わたしは自己嫌悪に陥りました。
 もしかしたら彼女は忘れ形見が欲しかったかもしれないのに。
 シングルマザーという大変な生活を選択してでも、愛する人の忘れ形見が欲しかったかもしれないのに・・・。
 「せめてもの救いだった」なんて、外野が勝手に思っていいことではありません。
 彼女の気持ちは彼女にしかわからないのです。
 ごめんなさい・・・。
 昨日こんな現場を目撃しました。



 自動車の通りが多い場所にて。
 1人の中年男性が何やらブツブツ言っていました。
 その男性は助走をつけて、道路に飛び出しました。
 車が来ました。
 男性はそれを見て道路に寝転がりました。

 ちょうどその道路が珍しく渋滞気味になっており(普段はビュンビュン自動車が走っています)、やって来た車のスピードが遅かったので男性は死なずに済みました・・・。
 が、男性はフラフラとその場を去りました。
 その後どうなったのかわたしは知りません。

 何か声をかけたかったのですが、わたしはただボーゼン。



 この男性は何をしたかったのでしょうか。


 <可能性1>
 この道路で死のうと計画しており、折悪しく(折良くと言いたいですが)渋滞気味だけれどもしかしたら死ねるかもしれないと思い飛び出した。

 <可能性2>
 もっとスピードの速い、例えば電車などへ飛び込む練習をしていた。

 <可能性3>
 幻の声がこの男性に「飛び込め!」と命じた。 



 ・・・もし可能性3なら、正しい治療をすれば幻聴が聴こえなくなってくることもあるので、どうか精神科病院に行ってください・・・。何ならわたしが今実習をさせてもらっている病院を紹介します・・・。
 リンク先は「ジョニー・デップら、ヒース・レジャーの遺児に出演料を全額寄贈」の記事。
 http://www.cinemacafe.net/news/cgi/gossip/2008/08/4484/

 
 ヒース・レジャーの代役を務めたジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが映画『The Imaginarium of Doctor Parnassus』の出演料全額をヒースの愛娘マチルダに贈ったそうです。
 この3人にはいずれも、子を愛す父親。
 3人は、ヒースがいかに無念であるかを考え、この行動を取ったのでしょう。

 この3人の出演料ともなれば、ヒースの愛娘は一度たりともお金に困ることなく生活し、成長していけるでしょう。
 そして、現在まだ2歳である彼女はやがて知るでしょう。
 自分が、そうする価値のある人間を父に持てたということを。

 彼女は実際に父と会うことはもう出来ないけれど、父が成し遂げてきた仕事を見ることはできる。
 彼女は父の仕事仲間だった人や、ファンや、身近な人たちから、自分の父がどれほど愛された人だったか知ることができる。
 いかに彼が子煩悩で、自分を愛していたか知ることができる。

 以上3つのことが実現する可能性が高いということが、今回の出演料贈与で示された・・・わたしはそう思います。
 とても良いニュースです。
 わたくし、ここ数日ネットの繋がらぬ場所におりました。
 鹿児島の実家です。
 お盆には帰省できなかったけれどせめて彼岸のこの時期には帰省せねばなあ、と思い帰省したのです。
 この度の帰省中、鹿児島に住む同級生カップルにベイビーが誕生いたしました。生まれた日に撮った写メがその日のうちに送られてまいりました。生まれたてほやほやのベイビー・・・なんだかベイビーベイビー言うと気持ち悪いので以下「赤ちゃん」に改めます。生まれたてほやほやの赤ちゃんって本当に赤いですねえ。仏様の如くきれいな顔の赤ちゃんでした。えー、この赤ちゃんの父親とも母親とも顔見知りのわたくしとしましては(小学校からの知り合い)、顔が父親に似なくて良かったね、母親似で良かったね、と赤ちゃんに話しかけとうございました。しかしわたくしの脳みその前頭葉が「いけません。ただ、おめでとう!と言いましょう」とストップをかけました。
 ふーむ。子どものいる同級生は既に何人かいるけれど、また1カップル増えたかあ。みんなそういう年齢になったんだなあ。子どもが生まれるとみんな親の表情になるのでびっくり。ならない人もいるけれど・・・。なる人は、もう、完全に子ども→大人→親になっている。生命の神秘だ。子どもが生まれるということも、親の表情になるということも。
 愛情のあたたかさを感じさせてくれるニュース。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070515-00000013-rcdc-cn
 場所は中国の山東省。
 最近飼い犬が頻繁にいなくなることに気づいた飼い主。どこかへ歩いていく飼い犬の後をつけてみると、まだ1歳に満たず出産経験もないその犬(メス)は、ダンボールに捨てられた子猫たちにお乳を与え育てていたそうです。
 出産経験がないのにお乳が出ることも驚きなら、犬が子猫を育てていることも驚き。
 飼い主は4匹いる子猫たちのうち2匹が死んでしまっていることに気づき「このままでは残る2匹も死んでしまうかも」と考え、知人に1匹の世話を頼みました(もう1匹はいつの間にかいなくなってしまったそう。誰かが飼ってくれていると良いですね)。
 するとこの犬は子猫たちがいなくなってしまってすっかり元気を失くしてしまいました。
 慌てて飼い主が知人に1匹の子猫を返してもらうと・・・犬はたちまち元気に! 子猫の姿を見て「ワン!」と吠え、子猫も犬の姿を見て「ニャー」と鳴きました。犬は自分のもとへ戻ってきた子猫の体を愛しそうにずっと舐めていたそうです。
 このニュースではその後のことが書かれていないのですが、もしかしたらこの犬は子猫の母親としてずっと傍にいるかもしれませんね。
 多分この犬は捨てられた子猫を見つけた時、「自分が守るんだ。自分が育てなければこの子猫たちは死んでしまう」というたまらない強い気持ちに駆られたのでしょうね。だからお乳が出たのかもしれません。それで飼い主の傍から離れて、しょっちゅう子猫の世話をしに行って・・・。

 対照的に浮かび上がってくるのは、子猫たちを捨てたであろう人物の姿。
 子猫たちはダンボールに入っていたわけですからほぼ間違いなく誰かが捨てたのでしょう。
 わたしは人間の中には父性や母性を発揮できない人がいる、なんて言いたくはありませんし、困っている他の人を思いやることが出来ない人がいるなんてことも言いたくはないですし、まして人間もこの犬を見習え、なんて言うつもりはありません。しかし最近の赤ちゃんポストのニュース(設置後すぐに、既に物心ついている3歳幼児がポストに入れられたという)とも合わせて、やりきれない気持ちになりました。
 この犬は自分の子どもではない子たちを、しかも種が違う生き物を愛情いっぱいに育てていたというのに。
 子猫たちの生みの親である母猫も、子どもたちを奪われて泣いていたかもしれません。
 子猫を産むことを奪う権利は人間に無いし自分も子猫を飼えないから飼い猫に避妊手術はせず子猫が生まれたら崖に捨てて殺す、自分の行為は動物虐待ではない、と公言した作家の坂東眞砂子さんのニュースを知った時にも思ったことですが、母親である母猫の気持ちをなぜもっと思いやれないのでしょうか。
 母猫は子どもたちを奪われてしまっても、体からはお乳が出続けるし乳房は張るし全身全霊で子どもたちを求めていたでしょうに。どこへいったの、と探し続けていたでしょうに。体も心も子どもたちを育てるための準備が整っているのに、子どもたちだけがいないなんて。
 母猫はまた次の発情期を迎え交尾をして子猫を産んでまた奪われて・・・殺されて。その繰り返しが果たして本当に母猫の幸せなのでしょうか?
 子猫を飼えないなら飼い猫に避妊手術或いは虚勢手術をしてください。それが出来ないなら発情期にメス猫とオス猫を引き合わせないよう努力してください。「交尾をして子猫を産むのがメスとしての(或いはオスとしての)幸せなのでは」と思うかもしれませんが、子猫を飼えないのであれば飼い猫の発情期が過ぎ去るまでぐっと耐えてください。それも出来ないなら・・・里親を探す努力も出来ずどこかに捨てたり殺してしまうくらいなら、最初から猫を飼わないで欲しいです。
 子猫だって、生まれたら生き続けたいのです。
 ペットを飼い始める時。
 ペットを飼っている間。
 「いつか死んでしまう」という考えはいつも頭の中にあって、けれどまだそれを想像することはない。
 「人間だっていつか死ぬのだから」「いつか死んでしまうからこそ、生きていることを慈しめるのだから」という考えが助けてくれるから。
 悲しんだり泣いたりするのは、死を目の当たりにした時だけで済むように。それまでは、生きているペットを心の底から愛せるように。
 けれどその瞬間が訪れた時、もうそれらの考えは生きている側を助けてはくれない。
 体の半分をもぎ取られたような喪失感。
 その状態に陥ってしまった人にとって、新しいペットとの出逢いは更に苦しみを増すことにも救いになることにも成り得る。

 わたしの伯父の場合は救いの方になったらしい。
 長年一緒に暮らしてきた飼い猫が死んでひどく落ち込んでいた伯父は、ある日死んだ猫とそっくりな子猫を見つけ、拾って帰って来たと言う。わたしがその子猫を見て以前いた猫を思い出すくらいだから、伯父はいつもいつも思い出しているだろう。失ってしまったことも。
 それでも伯父はその子猫を拾わずにはいられなかったのだろう。
 ふわふわで小さくて可愛いアメリカンショートヘアの子猫。目つきまで何だか以前の猫と似ているけれど、性別が違うから同じ猫だと混同することはないだろう。
 今度は、「以前の猫が死ななければきっとこの子とは出逢えなかった。出逢えたとしても一緒に暮らそうとは思わなかっただろう」という考えが助けてくれる。心の底から愛せるようにしてくれる。
 きっと。
 みのむし、いなくなってしまいました。
 桜の枝も花瓶の中もパソコン付近も探してみましたが、どこにもいません。
 立派な蛾になって飛んでいったのでしょうか。
 それとももっと住み良い場所を求めて移動していったのでしょうか。
 みのむしが動いているのを観察したり応援するのがわたしの日課となっていたので、寂しいです。
 たかがみのむし。
 されどみのむし。
 無事を祈っています。
 綺麗なお花の蜜で生き、奇麗な光の中で死ねることも祈ります。
みのむしよ どこへゆく
 わたしは実家に帰省している時書斎のパソコンを使っています。
 パソコンを置いている机の上には花瓶があります。
 その花瓶に岩手の石割桜の切り花を生けているのですが、桜の枝に何やら動くものを発見。
 みのむしでした。
 まさか桜にくっついたまま、岩手から鹿児島までやってきたの??
 みのむしなので「みの」とか「みのさん」と呼ぼうかと思いましたがやめました。
 パソコンを使う時いつも視界に入るみのむし。
 みのむしはわたしが見る度に移動していて、桜の枝の上の方にいたり下の方にいたり花瓶にくっついていたりいなかったり。
 蓑(みの)から体を半分くらい出している時もあります。
 「おーいまだ2月だぞ」と話し掛けると、5回に1回くらいは体を蓑に引っ込めます。
 羽根がついていないのでメスかな〜と思いましたが、蛾に羽根が生えるのは6月くらいからなのでまだ性別はわかりませんねぇ。
 で、昨夜わたしがパソコンのふたを閉めずに寝たところ、朝になるとみのむしはパソコンの画面にくっついてました。
 ガーン。
 パソコン起動したら強い光で死んじゃったりしませんかね??
 パソコンのふたをしめたら潰れちゃう。
 ガーン!
 と思っているうちにみのむしはパソコン画面からパソコンのふちへと移動してくれました。やがてパソコンの裏へと(画像参照。みのむしより書斎の散らかり具合が気になるかも)。
 ・・・書斎が暖かいからいけないのでしょうか? クーラーをつけたらちゃんと冬眠してくれるのでせうか? しかしそうするとわたしも冬眠しそうです。わたしも冬の間はこたつの中でみのむしになっているので・・・みのむしに親近感を抱きつつあります。
 指でつまんで桜の枝に戻そうかとも思うのですが、みのむしにも事情があってパソコンにくっついているのかもしれないので今のところは放っておきます〜。

 −−−−
 その後みのむしは行方不明になりました。
 無事立派な蛾になってくれますように。
 大学の構内で「ニャア」という声を聞きました。
 振り向くと植え込みのかげに小さな子猫が。
 黒と黄色がまだら模様になっている毛の子猫。
 生後1か月を過ぎたくらい? ふわふわの毛並み。
 最初見た時は変わった色のわたあめかと思いました。(^v^)
 わたしが「ニャア」と言うと子猫はわたしの方を見て、「?」という表情をして周りをきょろきょろ見回しました。あんまり可愛いのでまた「ニャア」と言ってみると、今度は間違いなくわたしの目を見て「??? 変だな変だな」という顔をしました。可愛い〜とわたしが笑っているうちに、子猫は植え込みの木に登り、細い枝に乗りました。大人の猫には乗れないような枝。それがまた子猫の可愛らしさを引き立たせました。ビー玉のような、小さくて黒く澄んだ子猫の瞳。
 わたしはすっかり夢中になっていたようで、背後から掃除のおばちゃんが「子猫は可愛かろ〜」と声をかけてくるまでその場所に留まってしまいました(急いで別の場所に移動しなければならなかったのに)。
 ああ、あのしっぽだけでも触りたかった。
 にゃんこ・・・。
 今日は知人の飼い猫が死んだという知らせを聞いて悲しくなっていたのですが、「年寄り猫が死んでもどこかで生まれている子猫がおるんやな」としみじみ思いました。
 普段なら子猫を見つけると「母猫はどうしたのかな・・・」「捨て猫かな・・・」などと連れて帰れない罪悪感を感じてしまうのですが、今回は嬉しさを感じながらその場を去ることができました。
 良かった。
 この世に子猫や子犬など、色んな生き物の赤ちゃんがいてくれて良かった。
 今日、YouTubeで松浦亜弥さんの『ね〜え?』やDir en greyがMステで『残』をやった時のムービーを見ていたら。
 Raphaelのムービーを見つけました。
 HEY!HEY!HEY!に出た時の。
 見ようか見まいかしばらく迷いました。
 これを見るのは初めて。
 この後授業がある。暗い顔で友達に会うわけにはいかない。
 でも見ないわけにはいかない。だって大好きだから。
 見ました。
 華月くんは笑っていました。18歳。華月くんが一重まぶたを二重に整形した話に触れて、松本人志さんが「今度また二回目出た時鼻ごっつ高なってるかもしれんで」と言って、それにも笑って。
 次にBEAT MOTIONに出た時のムービーを見ました。これはわたしも当時放送されているのを見ました。華月くんに笑顔がなかった。目に光がない。死の1週間前。19歳の彼。
 もう6年。6年か。
 こんなに時が過ぎて、もう涙は出ない。
 なのに今も心乱される。
 他の生き物が死ぬ瞬間。
 この無力感はたまらない。
 人は傷つけることはできても救うことはできないと知る。
 そして自分の体が死によって生かされていることを知る。
 あの日の小鳥はわたしの手の中で冷えていった。
 あの日大切な人は既に冷たくて、燃やされてしまった。
 そして今日もわたしはまた大切な一人を失った。
 友人のお兄さんで、わたしとも仲が良かった。
 覚悟はしていたつもりだったけれど、できているはずもなかった。
 死は身近で、目を背けたくて、それでも受け入れて生きていかなければならない。いつか自分の番が来る日まで。それまで誰かの死に慈しみを。誰かの生に慈しみを。自分自身にも慈しみを。たとえそれが気休めにしかならなくても・・・。与えることはきっと力になるから。
 後輩が亡くなって一年が経った。
 なぜ彼女が今この世にいないのか、今でもよくわからない。
 センター試験2日目の午前、突然逝ってしまったのだった。
 わたしはその頃試験を受けていた。何も知らずに。

 今日の夢には三途の川が出てきた。
 川の中に落ちてしまったわたしを女の子が引っ張りあげてくれた。
 女の子が。あれは誰?
 どうしてわたしはあなたを引っ張り上げられないんだろう。
 漫画「MASTERキートン」の「14階段」に登場したロッカの台詞が、骨身に沁みる今日この頃。
 13階段から生還し、決闘からも生還、しかし彼は、死にかかった瞬間感じた死のあたたかさに、いつかくるその時を待ち望むようになった。しかし二度目の決闘から生還した時、彼はキートンに言う。
 「大切なのはこの世だ」。
 そうして再び、14階段目に足を乗せるのです。
 一昨日の夜。
 Evanescenceの「Hello」を聴いていたわたしは、何か違和感を覚えました。そしてすぐ、その理由を悟りました。
 歌詞の順序はバラバラですが、「Hello」はこんな感じの歌詞です。

 微笑んで、信じなければいい
 彼女が息をしていないことを
 きっとすぐにこの夢から目覚めるわ
 わたしは壊されたりしない
 だけど突然わたしは眠っていないと思い知らされる・・・

 亡くなった後輩の女の子を思い出しました。
 亡くなったのはアメリカ人女性テリ・シャイボさん(41)。
 彼女は心臓発作に伴う脳の酸素欠乏で15年前に植物状態になり、尊厳死を主張する夫と「娘は死を望んでいない」とする両親の間で7年越しの法廷闘争が続き、尊厳死の象徴的存在となっていました。
 そして18日、州裁判所の決定によりチューブが外され、昨日31日に亡くなったとのこと。

 ここで考えて欲しいのは彼女が15年前から植物状態であったということ、過去2回、今回と同様に栄養補給装置が外されたけれど、両親の訴えで再装着されたということです。 
 明日四月一日、香港の名優レスリー・チャン(張國榮)がとうとう三回忌を迎えます。
 もう二年も経ってしまったのですね・・・。
 「もういちど逢いたくて」(原題は「星月童話」)でその憂いと陰のある容姿に惚れ惚れし、「さらば、わが愛」(原題は「覇王別姫」)でその演技力に惚れ惚れし。今でも彼のファンです。
 二十四階から飛び降りたと知った時は本当に驚きました。享年四十六歳。悩みに悩んでとのこと、けれどそれでも惜しまれます。

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