女児保護しなかった児相「親子の愛着感じた」 4歳死亡
2019年9月3日 時事ニュース コメント (2)https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM924S2SM92TLTB005.html%3Fusqp%3Dmq331AQPKAFwAZgB5ab_t4GKjIdW
わたしは社会福祉士として、虐待のケースにも関わってきました。
実の親や祖父母などから虐待されたり、今回出水市で起きた事件のように親の交際相手から虐待されるなど、世の中にはここに書き切れないくらい様々なケースがあります。
わたしの職権で出来ることは限られているので、虐待の内容や家族状況などに応じて、医師・看護師・保健師・警察官・児童相談所の職員といった他の職種と協力し合いながら、日々仕事をしています。
わたしは「たとえ肉親から虐待されていても肉親に育てられるのが子どもにとって一番良いのだ」とは全く思っていませんし、性善説も全く信じていないから言葉は悪いけれど更生出来る人間と出来無い人間は明確に分かれると思っているので、まずは子どもから引き離して、子どもの命を最優先に!と考えています。
かといって虐待加害者とわたしが敵対関係になってしまうと、かえって子どもに危険が及ぶ場合があります。
虐待加害者の表情や仕草などを観察しながら、
「敵ではありません」「あなたのことも子どものことも助けたいです」と伝えながら、虐待加害者の「本当は暴力をふるいたくないが交際相手の機嫌を取るために虐待している。子どもよりも交際相手が好きだ」「そもそも子どもは欲しくなかったが性行為をしたら出来たので渋々産んだ。元々子どもが嫌いなので、我が子でも全く可愛くない」「望んで子どもを持ったが、育児で悩んで手をあげてしまうので自己嫌悪に陥っている。休みたい」といった本音を引き出し、まずは子どもの保護に繋がるように努めています。
「なぜ虐待するのか」とか、「一番誰が悪いのか」と考察している間に、子どもの命はどんどん死に近づきます。
意味があって「経過観察」するならともかく、特に意味もなく「経過観察」するのは、「放置している」のと同じです。
素早い対応が大切です。
子どもを保護したら、子どもに支給されているお金が親の懐に入らなくなるので、だいたいの親は子どもを手元に置いておこうと抵抗しますが、それで怯んではいけません。
と、偉そうなことを書いてしまいましたが、わたしは自分の仕事の成果が100%立派なものだとは言い切れませんし、試行錯誤の日々なのですが、今回の出水市の事件について詳細が分かる度に憤りを覚えています。
心ある人たちが璃愛來ちゃんの状況を見かねて何度も通報してくれて、璃愛來ちゃんを保護するよう何度も求めたにもかかわらず、児童相談所は璃愛來ちゃんを「母親によく懐いていたから」と保護せず、薩摩川内市も出水市も「適切な対応をした」「プライバシーの問題なので踏み込めなかった」と発表しています。
それって、「救えなかった」のではなく、「救わなかった」んですよね。
職員は、「なぜ子どもを見殺しにしたのか」と世間から非難されたとしても、異動になったり退職すれば、この事件の話題から逃れることが出来ます。
けれど、職員とは違い、璃愛來ちゃんはこの事件から逃れることは出来ません。
死んでしまったのですから。
生き返ることは無いのです。
もう、友達を作ることも、大人になることも、恋をすることも、無い。
璃愛來ちゃんが裸足や下半身裸で一人で出歩いていたのも、たった4歳の璃愛來ちゃんからの精一杯のSOSだったかもしれないのに…。
みんなでよってたかって、痛くて苦しくて悲しくて寂しくて辛い思いを、璃愛來ちゃんに強いたのと同じです。
今回のように、「母親によく懐いていたから」というのは「虐待されていない」という根拠には成り得ません。
多くの虐待ケースでは、虐待されている子どもは虐待加害者を庇うからです。
子どもは、殴られたり蹴られたりご飯を貰えなかったとしても、なぜ自分がそんな酷い扱いをされるのか分からず、ただただ愛されたくて、虐待加害者に向けて精一杯可愛らしく振る舞って、愛されようとするのですから。
虐待加害者だって、虐待がバレるとまずい!という保身のために、さも親子関係は良好です、というフリをするので、専門職はまんまとその演技に騙されてはいけません。
虐待を見破るためには、服の上からは見えない部分の傷やアザなども実際に確認すべきです。
子どもに限らず、大人への暴力事件でも、加害者は大抵は服の上からは見えないところに暴力をふるうものです。
また、「適切な対応をした」と言い訳するのでは、反省点はありませんと言い切っているのと変わりませんから、今後何人の子どもが殺されても何も変わろうとはしないでしょう。
ここ数年だけでも、何人もの子どもたちが虐待で命を奪われたというのに…。
挙げ句、「プライバシーの問題」を振りかざしてしまったら、堂々と職務放棄を宣言したのと同じで、虐待事件を無くそうというやる気すら感じられません。
福祉って、そもそもプライバシーだらけですよ。
何でもかんでもプライバシーのせいにするなら、福祉の仕事は出来ません。
あくまでも、不必要に個人情報を晒すのがいけないのであって、今回のように人命が関わっているケースでプライバシーを言い訳にしていたら、救えるものも救えません。
「家庭」という、プライバシーの塊である場所に踏み込まなければならない仕事なのにプライバシーを言い訳にして、家庭に介入するのを躊躇するなんて、極端な例えではありますが例えば目の前で人が倒れたのに「下手に関わって面倒なことになったら嫌だから」と救急車も呼ばずAEDや心臓マッサージも行わず「自分以外の誰かが何とかしてくれないかな」と放置してその人が死んでから「自分には何も出来なかった。仕方なかった」と言うのと同じくらい異常なことです。
何も出来ないなら出来ないなりに、救急車くらい呼びましょう。
見殺しにするのが一番良くありません。
と、また偉そうなことを長ったらしく書いてしまいましたが、今回出水市で起きた事件を忘れず、同じことを繰り返さないために、わたしも出来る限りの試行錯誤を続けていきたいと思っています。
そのために、今日は、仕事で日頃関わっている専門職の方々と「どんな些細なことでも協力し合いましょう」「自分たちが持っている情報をお互い教え合って共有しましょう。出水市の件も、母親の交際相手について情報があったらもっと違う結果になったはずです。情報は大事です」と話し合いました。
今この瞬間も、命の危険に晒されている子どもがどこかに居るだろうから、一人でも多く、少しでも早く発見して保護したいです。
それは子どもへの虐待問題に限ったことではありません。
他の様々な問題でも同じ。
偽善と言われようが、見殺しにするよりはマシです。
国としても、外国にばかりお金を回すのではなく、日本国内で苦しんでいる日本国民のために税金を使えば良いのに。
「少子高齢化」を謳う割に、本腰を入れているとは思えません。
アメリカのように子どもを放置したら親が処罰の対象になるとか、子どもの保護施設を増やすとか、児童相談所にもっと権限を持たせて親の同意が無くても問答無用ですぐに子どもを保護出来るようにして人員も給与もアップすることでお役所仕事的にでは無く問題意識を取り組む人材を確保するとか、もっとうまい税金の使い方があるだろうに。
今のままでは、国を挙げて自ら少子高齢化に突き進んでいるとしか思えません。
わたしは社会福祉士として、虐待のケースにも関わってきました。
実の親や祖父母などから虐待されたり、今回出水市で起きた事件のように親の交際相手から虐待されるなど、世の中にはここに書き切れないくらい様々なケースがあります。
わたしの職権で出来ることは限られているので、虐待の内容や家族状況などに応じて、医師・看護師・保健師・警察官・児童相談所の職員といった他の職種と協力し合いながら、日々仕事をしています。
わたしは「たとえ肉親から虐待されていても肉親に育てられるのが子どもにとって一番良いのだ」とは全く思っていませんし、性善説も全く信じていないから言葉は悪いけれど更生出来る人間と出来無い人間は明確に分かれると思っているので、まずは子どもから引き離して、子どもの命を最優先に!と考えています。
かといって虐待加害者とわたしが敵対関係になってしまうと、かえって子どもに危険が及ぶ場合があります。
虐待加害者の表情や仕草などを観察しながら、
「敵ではありません」「あなたのことも子どものことも助けたいです」と伝えながら、虐待加害者の「本当は暴力をふるいたくないが交際相手の機嫌を取るために虐待している。子どもよりも交際相手が好きだ」「そもそも子どもは欲しくなかったが性行為をしたら出来たので渋々産んだ。元々子どもが嫌いなので、我が子でも全く可愛くない」「望んで子どもを持ったが、育児で悩んで手をあげてしまうので自己嫌悪に陥っている。休みたい」といった本音を引き出し、まずは子どもの保護に繋がるように努めています。
「なぜ虐待するのか」とか、「一番誰が悪いのか」と考察している間に、子どもの命はどんどん死に近づきます。
意味があって「経過観察」するならともかく、特に意味もなく「経過観察」するのは、「放置している」のと同じです。
素早い対応が大切です。
子どもを保護したら、子どもに支給されているお金が親の懐に入らなくなるので、だいたいの親は子どもを手元に置いておこうと抵抗しますが、それで怯んではいけません。
と、偉そうなことを書いてしまいましたが、わたしは自分の仕事の成果が100%立派なものだとは言い切れませんし、試行錯誤の日々なのですが、今回の出水市の事件について詳細が分かる度に憤りを覚えています。
心ある人たちが璃愛來ちゃんの状況を見かねて何度も通報してくれて、璃愛來ちゃんを保護するよう何度も求めたにもかかわらず、児童相談所は璃愛來ちゃんを「母親によく懐いていたから」と保護せず、薩摩川内市も出水市も「適切な対応をした」「プライバシーの問題なので踏み込めなかった」と発表しています。
それって、「救えなかった」のではなく、「救わなかった」んですよね。
職員は、「なぜ子どもを見殺しにしたのか」と世間から非難されたとしても、異動になったり退職すれば、この事件の話題から逃れることが出来ます。
けれど、職員とは違い、璃愛來ちゃんはこの事件から逃れることは出来ません。
死んでしまったのですから。
生き返ることは無いのです。
もう、友達を作ることも、大人になることも、恋をすることも、無い。
璃愛來ちゃんが裸足や下半身裸で一人で出歩いていたのも、たった4歳の璃愛來ちゃんからの精一杯のSOSだったかもしれないのに…。
みんなでよってたかって、痛くて苦しくて悲しくて寂しくて辛い思いを、璃愛來ちゃんに強いたのと同じです。
今回のように、「母親によく懐いていたから」というのは「虐待されていない」という根拠には成り得ません。
多くの虐待ケースでは、虐待されている子どもは虐待加害者を庇うからです。
子どもは、殴られたり蹴られたりご飯を貰えなかったとしても、なぜ自分がそんな酷い扱いをされるのか分からず、ただただ愛されたくて、虐待加害者に向けて精一杯可愛らしく振る舞って、愛されようとするのですから。
虐待加害者だって、虐待がバレるとまずい!という保身のために、さも親子関係は良好です、というフリをするので、専門職はまんまとその演技に騙されてはいけません。
虐待を見破るためには、服の上からは見えない部分の傷やアザなども実際に確認すべきです。
子どもに限らず、大人への暴力事件でも、加害者は大抵は服の上からは見えないところに暴力をふるうものです。
また、「適切な対応をした」と言い訳するのでは、反省点はありませんと言い切っているのと変わりませんから、今後何人の子どもが殺されても何も変わろうとはしないでしょう。
ここ数年だけでも、何人もの子どもたちが虐待で命を奪われたというのに…。
挙げ句、「プライバシーの問題」を振りかざしてしまったら、堂々と職務放棄を宣言したのと同じで、虐待事件を無くそうというやる気すら感じられません。
福祉って、そもそもプライバシーだらけですよ。
何でもかんでもプライバシーのせいにするなら、福祉の仕事は出来ません。
あくまでも、不必要に個人情報を晒すのがいけないのであって、今回のように人命が関わっているケースでプライバシーを言い訳にしていたら、救えるものも救えません。
「家庭」という、プライバシーの塊である場所に踏み込まなければならない仕事なのにプライバシーを言い訳にして、家庭に介入するのを躊躇するなんて、極端な例えではありますが例えば目の前で人が倒れたのに「下手に関わって面倒なことになったら嫌だから」と救急車も呼ばずAEDや心臓マッサージも行わず「自分以外の誰かが何とかしてくれないかな」と放置してその人が死んでから「自分には何も出来なかった。仕方なかった」と言うのと同じくらい異常なことです。
何も出来ないなら出来ないなりに、救急車くらい呼びましょう。
見殺しにするのが一番良くありません。
と、また偉そうなことを長ったらしく書いてしまいましたが、今回出水市で起きた事件を忘れず、同じことを繰り返さないために、わたしも出来る限りの試行錯誤を続けていきたいと思っています。
そのために、今日は、仕事で日頃関わっている専門職の方々と「どんな些細なことでも協力し合いましょう」「自分たちが持っている情報をお互い教え合って共有しましょう。出水市の件も、母親の交際相手について情報があったらもっと違う結果になったはずです。情報は大事です」と話し合いました。
今この瞬間も、命の危険に晒されている子どもがどこかに居るだろうから、一人でも多く、少しでも早く発見して保護したいです。
それは子どもへの虐待問題に限ったことではありません。
他の様々な問題でも同じ。
偽善と言われようが、見殺しにするよりはマシです。
国としても、外国にばかりお金を回すのではなく、日本国内で苦しんでいる日本国民のために税金を使えば良いのに。
「少子高齢化」を謳う割に、本腰を入れているとは思えません。
アメリカのように子どもを放置したら親が処罰の対象になるとか、子どもの保護施設を増やすとか、児童相談所にもっと権限を持たせて親の同意が無くても問答無用ですぐに子どもを保護出来るようにして人員も給与もアップすることでお役所仕事的にでは無く問題意識を取り組む人材を確保するとか、もっとうまい税金の使い方があるだろうに。
今のままでは、国を挙げて自ら少子高齢化に突き進んでいるとしか思えません。
コメント
もっと国の方でちゃんと対策をとってほしいです。
虐待事件が少しでも無くなるようにしていかないといけませんよね。
今日も現場の職員たちと、今回の鹿児島の件だけでなく他の地域で起きた虐待事件の件も含めて会議をしたのですが、人手が足らず現場の職員たちは疲弊してメンタルも病んでいるし、現場の職員たちを統括する立場の役職者の頭がガチガチな上に福祉の専門職というわけではなく、現場の職員たちが動きたくても動けない現実がある、とつくづく痛感させられました。
わたしの上司も頭が固くて、「現行通りでいい。何も変える必要は無い」「うちの管轄でそんな虐待事件が起きるはずがない」と断言し、わたしたちが今回のケースについて話し合う会議を開いたのも「変なことしないでよ」と不満そうでした(この会議は自分たちの就業時間が終わってから自主的に集まって行ったので、残業代の申請などはしていませんし、職場には迷惑をかけていないのに)。
国レベルで何とかしないといけないと思います。