クレヨンしんちゃん一致団ケツ!かすかべシティ大開発!プレイ日記9
クレヨンしんちゃん一致団ケツ!かすかべシティ大開発!プレイ日記9
クレヨンしんちゃん一致団ケツ!かすかべシティ大開発!プレイ日記9
だいーぶお久しぶりにログインしたら、ゲーム内容が色々追加されていました!
↑5ヶ月もログインしていなかったんだから当たり前!!

なんと野原家をリフォーム出来るようになっているではありませんか!

ふっふっふ、これでトオルちゃんちより大きなマンション建設も夢ではないのかもしれません。

いっそタワーマンションを建設しちゃおうか。

或いは『クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』に登場した武蔵国春日部城のような城を築いて一国一城の主になることも夢ではない…か…も?

と思いきや、何ですかこれは。

最初にリフォーム出来るのは…、

「アンテナ付きの野原家」

…それってリフォームってレベル…?

デフォルトの野原家にアンテナ付けただけやーーーん!!!

とはいえ、ひろしとしんちゃんが頑張ってDIYしてくれる姿を見て嬉しくなりました。

手作りの我が家で喜びもひとしお。


プレイ日記8はこちら↓
http://20756.diarynote.jp/201705122320319824/


プレイ日記10はこちら↓
http://20756.diarynote.jp/201710142204353390/
ニューヨーク現地時間9月30日。
マリリン・マンソンがライブ中に、2挺の銃をモチーフにしたセットの下敷きに。

そのニュースに世界中のファンが驚かされた翌日。
ラスベガス現地時間10月1日。
米史上最悪の銃乱射事件が発生。

1999年にコロンバイン高校で銃乱射事件が起きた時、犯人の少年2人が彼のファンだったと報道されたため(後にそれは間違いだったことが判明しましたがその事実はほとんど報道されず、はじめに流れた間違った情報は拡散していく一方でした)、当時世間は「マリリン・マンソンが暴力的な音楽で少年たちに悪影響を与えたせいで銃乱射事件が起きた」と激しくバッシング。

彼はそんな批判に対して、

「なぜ世間が俺を攻撃するのか分かるよ。俺のせいにすれば都合がいいからだ。俺は悪者のシンボルとして分かりやすいからな」

「アメリカはよその国を爆撃している。だが大統領の影響で今回の事件が起きたとは誰も言わない。俺は大統領の比じゃないっていうのに皮肉なもんだ」

「アメリカ経済の基盤は恐怖を抱かせて物を買わせることにある」

と冷静に対応。

今回セットの下敷きになった彼は一時その安否が不明だったため、危篤説などのデマがネット上を飛び交いましたが、「命に別状はない」「自宅で療養する」という公式発表が行われ、ファンは安堵しました。

かつて銃社会の矛盾を指摘した彼が銃をモチーフにしたセットの下敷きになり、その翌日に米史上最悪の銃乱射事件が起きる…。

何とも皮肉な話ですがご無事で何よりです。

わたしは学生時代からずーっとマリリン・マンソンを聴き続けているし、同じく学生時代から聴き続けてきたリンキン・パークのチェスター・ベニントンが今年亡くなって大変ショックだったので、この上万が一にもマリリン・マンソンにまで何かあれば今後誰の曲を聴いて暮らせば良いのか途方に暮れてしまいそうです。

自宅療養中の彼は今回の銃乱射事件に何を思うのでしょうか?

マリリン・マンソンの数ある名曲の中でも特に『The Love Song』は発売されてから軽く15年以上経っても全く色褪せず、

「Do you love your guns? 」
(汝は汝の銃を愛すか?)

「God?」
(神は?)

「Your government?」
(政府は?)

とシャウト。

その絶叫は力強いまま。

この曲が全く色褪せない、というのが良いことなのか悪いことなのか…。

どちらかと言えば悪いことなのでしょうね、銃社会を批判しているこの曲が今もかっこいいということは、相変わらずアメリカが一般人も銃を乱射出来る社会のままで相変わらず罪無き人々が殺されている世の中のままだからとも言えるでしょうから。

何人殺されようともいまだに銃規制は行われない…。
それどころか他人の銃から身を守るために自分用の銃を買い求める…。
これが先述の「恐怖を抱かせて物を買わせる」経済基盤を表していそうですね。
でも経済が回ることの方が命より大事なのでしょうか?

いつか社会から銃が消え去り、未来を生きる人たちが『The Love Song』を聴いて「昔は銃ってものがあったんだなぁ。今は平和なのになぁ」と思う、そんな日がきますように。
※注※ 結末を明かすネタバレがあります。




クリストファーとその坊やは地球に戻って来られるのでしょうか?

地球時間にして20年もの長きに渡り、宇宙船が地球に留まるしかなく、エイリアンたちが大人も子どもも関係なく地球人から虐殺され続けてもなお、故郷の惑星から助けは来なかったというのに。

クリストファーはヴィカスに約束しました、

「故郷の惑星に帰って助けを呼んでくる」

「そうすればお前を治せる」

「3年経ったら必ず地球に戻る」

と。

けれど…。

もし故郷の惑星が無事なら、20年もの間、彼らを救助するための宇宙船が現れなかったのは何故でしょうか?

自分たちが地球に居ることを連絡するための通信手段を失っていたとしても、故郷の惑星から捜索隊くらいは派遣されて来ても良いのでは?

けれど救助も捜索隊も来ないまま、エイリアンたちは20年もの間、地球での難民生活を強いられ続けました。

エイリアンたちは劣悪な住環境の「第9地区」に収容され、時には実験材料として殺され、時には「中絶してやった。卵を焼くとポップコーンが弾けるみたいな音がする」と地球人に笑われながら卵を焼き殺されるという悲惨な目に遭い続けていました。

それでも助けは来ませんでした。

それらのことを考えると、一つの仮説が成り立ちます。

故郷の惑星は既に滅んでいる。
地球に現れたエイリアンたちは故郷の惑星から命からがら地球に逃げて来た避難民。
もはや生き残りは彼らだけ。
だから故郷の惑星からの助けは来ない。
…という仮説が。

そもそも、地球に宇宙船が現れた当初。

地球人が宇宙船の扉をこじ開けた時…、

宇宙船の中に居たのは、栄養失調で、気力を失い、宇宙船を動かすための燃料も失い、弱り切ったエイリアンたちでした。

故郷の惑星に何か大変な事態が起きたとしか考えられません。

あれだけ沢山のエイリアンが地球にいたのに、宇宙船を動かすエイリアンはクリストファーとその坊やしか居なかった(もしかしたら地球人に殺されたクリストファーの友人も動かせたかも知れないけれど)のはそのせいでしょう。

宇宙船を動かす技術を持っているのがクリストファーたちだけだったから、というよりも、

むしろ、

宇宙船を動かして故郷の惑星に戻っても無意味だ、

どんなに絶望を味わおうとも地球で生きていくしか生きる道はない、

と他のエイリアンたちが知っていたからでは?

宇宙船を動かすための燃料を手に入れるのが大変だとしても、故郷の惑星に帰りさえすればどうにかなるのなら、エイリアンたちは協力し合ったはず。

けれど20年もの間、諦めずに燃料を集めていたのはクリストファーたちのみ…。

もしこの仮説が正しいのなら…、クリストファーたちは故郷の惑星から地球に戻って来られるのでしょうか?

クリストファーたちは地球から故郷の惑星までの片道の燃料しか宇宙船に積んでいません。

もし故郷の惑星に生き残りが居ないにしても、資源が残っていれば戻りの燃料を手に入れ、ヴィカスを治すための薬か何かを持って地球に戻ることは可能でしょうが…。

もし、資源が一切残っていなかったとしたら?

クリストファーたちは故郷の惑星に留まるしかありません。

もし故郷の惑星が核戦争か何かで汚染されでもしていたら、そこへ帰ることはすなわち死を意味します。

それを分かった上で帰ったのかもしれません。

地球人の気まぐれでいつ殺されるか分からずに怯えながら地球で屈辱的な暮らしをするよりは、故郷の惑星へ帰り、そこで死のう…と。

「帰りたい」という欲求はどんなものより強いものですから。

帰りたい。

懐かしい故郷に。

…もしわたしが考えるこの仮説が完全なる誤りで、故郷の惑星には仲間が沢山いて、資源も豊富にあり、仲間を沢山引き連れて地球に戻れる可能性もあります。

けれどその場合、地球人がただで済むとは思えません。

感染が進み、外見上は完全にエイリアンたちの仲間と化したとはいえ、地球人側として散々エイリアンたちを虐殺して笑っていたヴィカスも報復の例外では無いでしょう。

迫害する側が迫害される側に回るのも、迫害される側が迫害する側に回るのも、あっと言う間のことなのですから。

地球人の歴史もずっとその繰り返しだったのですから。

この映画の続編にあたる『第10地区』の製作の話はまだ立ち消えていないようですので、是非作っていただきたいです。

続編が出来れば、やはり物語の鍵を握るのはヴィカスでしょう。

ヴィカスの心はまだ地球人のようです。

感染し、エイリアンに変身し始めたことで、妻からあんなに拒絶されたにもかかわらず、それでもなおヴィカスは妻を愛し続けていて、妻に花を贈りました。

決して枯れることのない花を。

もはやヴィカスは外見上は完全にエイリアンと化しているから妻を怖がらせてしまうだろうし、妻と接触することをきっかけとして地球人側に捕まって人体実験の材料にされるわけにもいかないので、どんなに会いたくても妻と直接会うことは出来ないし、メッセージを添えることも出来ないけれど、そっと玄関先に花を置かずにはいかれなかった…。

続編がどんな内容になるかは分かりませんが、ヴィカスがエイリアンと地球人の仲裁役になれるのか、それともヴィカスも地球人としてエイリアンの報復の対象となるのか…気になります。

運良くエイリアンと地球人が和解し、エイリアンたちが故郷の惑星に帰っていったとしても、この騒動でエイリアンたちだけでなく多くの地球人をと殺害してしまったヴィカスはやはり元の生活には戻れないでしょう。

殺人を犯したことで地球人の法で裁かれた死刑となるか、或いはエイリアンたちだけでなくヴィカスをも人体実験の材料にしようとした人間の行いを暴露されないよう口封じされるのか…?

気になります。

出来るなら、エイリアンたちは無事に故郷の惑星へ帰り、ヴィカスは元の体に戻って妻のもとへ帰る、そういうラストにして欲しいです。
どんぶりに山盛り4杯のご飯と毎食1リットルの牛乳を飲む!
これは入門時に68キロしかなかった横綱白鵬関が新弟子検査前に課されたノルマだそう。
これを実践することにより、約2カ月で体重が80キロまで増加したんだとか。(P31参照)
食べる量も飲む量も一般人とは桁外れ…。

「幕内力士ともなると、立ち合いにぶつかり合うその圧力は、800キロから1トンにもなるのだとか! (中略)頭から当たることを繰り返すうちに前頭部に血が溜まり、まずはブヨブヨになってしまうのだそうです。これを相撲界では「頭がわく」といい、その後に硬く固まっていき、1トン近い圧力にも耐えられるほどの、丈夫で頑丈な頭になっていくのです」
(P52から引用)

という記述にも圧倒されました!

そ、それは脳出血とか、頚椎を痛めたりはしないんでしょうか!?

肋骨とかは折れないの!?

日本の国技、恐るべし…!

さて、この本のP64~65には、力士の番付ごとの服装の違いがイラストで描かれています。
わたしは街で力士を見かけても今までは「あ、お相撲さんだ」と思うだけだったのですが、今後は「あ、この人は三段目だな」「幕下だな」とか、違いを見分けられる人になりたいです。

力士のインタビューや、相撲に関わる色んな職業も紹介されていて楽しい一冊。

読んでいるうちに、相撲観戦に行ってみたくなりました。
奨学金問題、ワーキングプア、ネットカフェ難民、ホームレス、ブラック企業、非正規労働、生活保護の不正受給、DV、セクシャルマイノリティ…。

この本は、「貧困」は誰にでも起こりうること、単に金銭的なことだけでなく複合的な様々な問題が絡んでいることを学んでもらうために子ども向けに書かれたレクチャーブックです。

一ヶ月にかかる生活費はいくらか?
貧困に陥るのは自己責任と言えるのか?
一人ひとりの生活と国の財政どちらが大事か?
などを読み手に考えさせる本なので、大人にもおすすめ。

わたしは特に、貧困者を食い物にする貧困ビジネスの是非について非常に考えさせられました。

例えば脱法ハウス。
わたしが住んでいる市町村にもあります。
連帯保証人がいなくても住居スペースを借りられたり、費用が安く済む反面、劣悪な住環境です。
古い上にとにかく狭いので、もし火災や地震などが発生した時に住民が無事に逃げられるのか心配です。
もし自分が貧困に陥ったらこうした脱法ハウスに頼らざるを得ないのかもしれないし、ここがあるおかげで路頭に迷わずに済んでいる人たちがいるのは事実だけれど、ここに入ったからと言って貧困から抜け出せるかどうかと言うと…どうでしょうか?
心身共にリラックス出来るとは言いがたい環境なので健康を害し、かえってどんどん状況が悪化するような気がしてなりません…。

自分だっていつ生活に困るか分からないですよね。

わたしはそもそも安月給の仕事なので裕福とは言えませんが、今は頑張ってフルタイムで働いているけれど、身体や心を病んだり怪我をしたりすれば働けなくなるかもしれないし、災害が発生すれば住むところを失うかもしれないし、認知症になってあちこち彷徨っているうちに素性不明者として保護されて生活保護を受給させていただくことになるかもしれないし、…と貧困に陥る可能性は数え切れないですね。

自分自身にも降りかかることとして貧困問題について考えていきたいと思います。
カラフルなのにけばけばしくない、絶妙な色彩感覚のインテリアが載っている本。

特にP48〜53掲載の「100年以上前の家」が素敵です。

「ナポレオン3世時代の様式を色濃く残す、ブルジョワ風のとてつもなく大きな3階建てで、部屋数は20もある。どの部屋もシナモンと蝋燭の香りがする」(P49から引用)

と言う歴史ある建物のドアに開けられた恐らく猫用の出入り穴から(それとも郵便受け用の穴?)、猫がちょこんと顔を覗かせていたりして、何だかたまりません。

内装は過去と現在が程良く調和している感じで、暖炉もシャンデリアも燭台もごてごてせず、現代的な壁紙やライトや写真のディスプレイなどともマッチしています。

居心地のよさそうな家!

もしここがホテルだったら泊まりに行きたい!
「毎日お手入れをするとき、「美しくなりたい」という願望を唱えるのではなく、「美しくなる!」と決意しながら行うこと。あとは当たり前のことを継続するだけで、何歳になっても美しくなれる」
(P11から引用)

「醜い人とは、自分は醜いと諦めて何の手入れもしない人、逆に自信過剰で「このままで十分。手入れなど必要ない」と考えている人」
(P14から引用)

「メイクをするのが面倒くさい、どうせ何をやってもダメだから。こんなふうに面倒がったり、諦めたりする気持ちの代償が老け顔をつくります」
(P21から引用)

「美しくなくなったのを何かのせいにするのはいけません。よく、忙しいせい、結婚のせい、子どもが小さいせいにするでしょう。でも、本当はそうじゃない」
(P46から引用)

「女が現役を降りるのはあごのラインがもたついたとき」
(P131から引用)

といった、美容の教科書に載せるべき名言がずらりと載った本。

つい目を逸らして最初から気づいていないフリをしてしまいがちな真実が書かれています。

特に、

「人から見られる確率が最も高いのは、横。実は横は、自分にとって最大の死角なのです。だからこそ、顔もカラダも側面部分のお手入れがとても大切。側面を制することで、美しさは確実にアップする」
(P74から引用)

という言葉にドキッ!!とさせられました。

自分が思う自分と、他人が思う自分は違う、ということに改めて気づかされます。

鏡などを使い、色んな角度からセルフチェックをしたいですね。
マット・クーゲルマン監督『ハリケーン・ビアンカ』
※注※
以下のレビューはネタバレ全開なのでご注意ください!



わたしは何も知らずに偶然この映画を「ふーん…ハリケーン・ビアンカか…どんな映画だろう」と観始めたので、テレビ画面にビアンカ・デル・リオが現れた瞬間コーヒーを噴きました。

ビアンカ・デル・リオ!!

『ル・ポールのドラァグ・レース』シーズン6の優勝者ではありませんか!!

わたしは「ビアンカ!! 何してるの!?」と咳き込みながら、テレビに向かって叫びました。

テレビ画面に映るビアンカがいつもの得意の毒舌で「バカね、映画に出てるに決まってんでしょ!!」と返事をした…ような気がしました。

ビアンカが演じる主人公リチャードは気弱な科学教師。

リチャードは「ゲイだから」という差別的な理由で高校を解雇されます。

これが転機となり、リチャードは女装をスタート。

リチャードは女性教師ビアンカ・デル・リオとして、短期間ではあるけれど直前まで勤めていた高校の教壇に立つことに!

つまりドラァグクイーンのビアンカ・デル・リオが映画で女教師ビアンカ・デル・リオを演じるわけです。

そのまんまな役名ですがそれもまた、良し!

なお、映画のクレジットでは、ビアンカはビアンカ・デル・リオではなく「ロイ・ヘイロック」名義となっています。

ややこしい! だけど、良し!

ビアンカはまるで『よしもと新喜劇』のすち子みたいな毒舌&強烈キャラ。

ビアンカは生徒たちを圧倒!しながらも意外と生徒たちへ細かいケアをするので、あっと言う間に人気教師になります。

もともと現実のビアンカ・デル・リオ自身が、演技力もトーク力もあるし、観ていて応援したくなる魅力の持ち主なので、俳優として他の映画にも出演出来そうな気がします。

また、ビアンカ・デル・リオも魅力的ですが、他の出演者も素敵。

『ル・ポールのドラァグレース』シリーズのファンには特にお馴染みのドラァグクイーンたちが数名ではありますが出演しています。

ウィラム(ビアンカの友人役)。
シャンジェラ(ビアンカの友人役)。
ル・ポール(お天気おネエさん役)。
ジョスリン(酒場の店員役)
そして、アリッサ・エドワーーーーーズ!!(酒場でステージに立つ役)
…なぜ名前の語尾をそんなに伸ばすのかって?
ファンとしては伸ばさずにはいられないのです。
アリッサが美人なのに変顔せずにはいられないのと同じです。
ル・ポールがアイビー・ウィンターズを「アイビーーー・ウィンターーーーーズ!」と呼ばないと気が済まないのと同じです。
そういうシステムなんです。

もっともっと他のドラァグクイーンたちにも出演して欲しかったなぁ。

あまりにも多すぎると映画全体のバランスが崩れるからこの人数に絞ったのかもしれないけれど。

個人的にはビアンカと共に『ル・ポールのドラァグ・レース』シーズン6で戦ったドラァグクイーンたちを中心に、他のシーズンに登場したドラァグクイーンたちも出して欲しいです。

他シーズンだとわたしは個人的には特に、レイブン、ジュジュビー、ラジャ、マニラ・ルゾン、アレクシス・マテオ、ラトリス・ロイヤル、ジンクス・モンスーンたちに出て欲しいです。
なぜそのメンバーなのか? って?
それはズバリ好きだからです!
他にもここに書ききれないくらい、好きなクイーンが沢山います。

『ハリケーン・ビアンカ』の続編に期待しております!
「AIによって代替することが難しく、人間ならではといえる能力とは何であるか、その能力を身に付けるためにはどうすればいいのか」
(P58から引用)

という、この本にも登場する問いについて真剣に考え、着実にスキルアップしていかなければ、人間が失業する時代へ既に突入しました。

この本のP64~65掲載の「各職種の代替可能確率と就業人口の分布図」は、ホラー小説を読むよりずっと恐ろしいです。

この分布図によると、直接人と関わるタイプの仕事はAIに取って代わられる可能性は今のところは低い、とされているけれど、あくまで確率であって、今後もずっと安泰とは限らないですよね…。

100点以上の部品のデータを把握していて故障原因を特定したり、顧客ひとりひとりの好みを判断して1万2000通りのDMを送ったり、電子メールを分析して情報漏えいの恐れがある社員を抽出したり…。

仕事ぶりが凄い!!

この本のタイトルは「AIが同僚」ですが、はじめは「同僚」としてAIと人間が働けても、やがて「AIが上司」に変貌を遂げる可能性は高いですね。

そして「AIが社長」になり、「AIが政治家」になり、やがて「AIが内閣総理大臣」とか、「AIが大統領」になるのもそう遠くないかもしれません。

そうなったら大抵の人たちは失業ですね…。

いえ、もしかしたらAIの台頭によって人間は失業するだけでなく、命すら危ういかも。

映画『バイオハザード』の1に登場するAI「レッドクイーン」が、まだ建物内に生存者がいるにも拘らず、ウイルスを外部にもらさないために生存者ごと建物を閉ざして全員を死に至らしめたシーンを、あくまでも映画だと思って呑気に観ていられるのは今だけかも。

映画『ドラえもん のび太とブリキの迷宮』にも、人間が仕事をみんなロボットに押し付けて自分たちは遊んで暮らしていたら、ロボットに政権を奪われて、「人間は役に立たない」という理由で危うくみんな殺処分されそうになるというシーンがありましたよね。

AIが人間以上に世の中を掌握したら…、そんな映画たちが現実となる可能性は0ではありません。

人間同士でさえも殺し合うのだから、その人間が作り上げたAIが人間を殺すのは無理のないことだと思います。

けれどAIには人間がいまだかつて成し遂げられていないことを是非成し遂げて欲しいですね。
世界平和を。
強い者が弱い者を足蹴にして踏みにじる世の中ではなく、みんなが助け合える世の中を。
四季折々にどんな花材をどんな風にどんな花器に生けるか、というアイディアが詰まった本。

様々な流派の作品が紹介されています。

わたしは池坊で生け花を教えていただいていますが、この本を参考にしつつ、他の流派のやり方の良いところを取り入れていきたいと思います。

流派によって花・草・枝の生かし方も花器の選び方も違うということが写真で見比べやすい本なので、「生け花を始めたいけど、どの流派が自分の好みに合うか分からない」という方にもおすすめしたい一冊です。

作品のページにも、巻末に載っている作者別索引にも流派の名前が載っています。

カタログのようにこの本を捲ってみて、好みに合う流派を見つけたら、お住まいの近くにその流派の教室がないか電話帳やネットなどで探して電話をかけてみてはいかがでしょうか。

中には「どなたかのご紹介がないと」とまるで京都の一見さんお断りのお茶屋さんみたいな教室もありますが、最近は残念ながら生け花人口が減っているため(先生もお弟子さんも高齢化の一途を辿っており、先生が入院や施設入所をすることになった時に後を引き継げる若い世代がおらず、教室自体を閉めることを余儀なくされるケースを身近で沢山見てきました…)、後世に生け花文化を口伝していけるかどうかが危ぶまれているので、生け花を習う方が増えてくれることを願うばかりです。
枝物について、春は花を愛で、夏は葉を鑑賞し、秋は紅葉と実もの、冬はふかし物のマツを楽しむ、と季節感の取り入れ方を分かりやすく教えてくれる本。
教え方が何だか徒然草みたいで素敵。

例えば、
花はサクラ。
葉はリョウブ。
紅葉はドウダンツツジ。
実ものはウメモドキ。
ふかし物はウメ。
マツはマツ。

季節が巡るのが待ち遠しくなりますね。

この本には、良い枝を見極める方法、枝を矯めたり編んだりするコツや、枝を生かしたブーケの作り方、枝が折れてしまった時の接着方法も載っていて、生け花をする上で参考になりました。
P47掲載の、キャンドルを持つ雪だるまの写真が、哀しくも美しいです。

火が灯るキャンドルなんて持ってしまったら雪だるまの命はどんどん短くなってしまうのに、

それでも美しい灯りに憧れる…、

とか、

大好きな人がここへ帰って来るための目印となるように火を灯して待っている、

とか、

そういう物語を想像させます。
特に、

「必要ない努力を過剰に積み重ねる人もいるでしょ。ディテールばっかりにこだわるの。髪の毛の色だとか爪の形だとか」
(P20から引用)

「男にとって、若い女の子がこだわっているありとあらゆるものは必要悪なんだよ。たとえば洋服、下着、お化粧……。そんなのはぜーんぶ取っ払ったものが最大の価値なんだもの」
(P20から引用)

「そういうのぜんぶ取っ払ったあとのものに、投資をすればいいのにな。まあでも男の子も同じよね。脱いだ自分が中身空っぽじゃあ、抱いてても、抱かれていても、仕方がないかもしんないね」
(P20~21から引用)

と書いてあるのが、本当にその通りだな、と読んでいて痛感させられました。

どんなにうわべだけ綺麗に取り繕っても、中身が伴わなきゃダメ。

果物に例えるなら、美味しそうなミカンだな~と思って皮を剥いてみて肝心の中身が空っぽだっだら、なーんだ出来損ないかぁ、とゴミ箱に捨てられるだけ。

中身を育てましょう。
「ル・ポールのドラァグレース」
12人のドラァグクイーンたちが様々な課題を出されて毎週1人ずつ脱落していき、最後に残った1人がドラァグスターとして君臨☆

という番組。

いかに自分を美しくするかというヘアメイクの上手さは勿論、お喋りや振る舞いのセンスも求められるし、華麗な衣装を作る能力も必要とされます。

自分以外の人を素敵に変身させるセンスも問う課題も出るから、自分だけが完璧でもダメ。

ハイレベルな戦いが繰り広げられます。

この番組で特に重要視されるのは、見る人みんなを惹きつけるカリスマ性。

12人のドラァグクイーンはそれぞれ、お笑い担当、綺麗キャラ担当、みたいに違う個性を持っていて、全員に共通しているのは彼らの色気。

色気とカリスマ性って、密接に関係し合っているような気がします。

みんな体は男性ですが、その辺の本物の女性よりずっとセクシー!

課題がバーレスクダンスの回(シーズン2 エピソード2)ではわたしの大好きなディタ・ヴォン・ティーズがゲスト審査員として登場していて、さすが彼女は他の人とはもはや生きている次元が違うのですが、みんなディタに負けないくらい素敵。

わたし、この番組を観て、ドラァグクイーンたちの女子力の高さに驚愕すると共に、己の女性としてのレベルの低さを痛感し、慌ててネイルケアをしたり、ブラにパットを詰めたり、傷んだ服や靴を捨てたりしました。

特にシーズン2に登場する12人のドラァグクイーンのうち、レイヴンは女性に変身する前の男性の姿でもセクシーで、ゲスト審査員にも「あなたがストレートなら良かったのに!」と言われていたほど魅力的。
もしレイヴン姐さんが歌舞伎町とかにお勤めだったら、わたし、レイヴン姐さんを指名しにお店へ通うのに〜!

現在この番組はシーズン2からシーズン8までNetflixで配信中。
わたしはシーズン2を見終わって、ル・ポールがいつも言う「If you can’t love yourself,how in the hell you gonna love somebody else?」という言葉も気に入ったし、ル・ポールの曲『Jealous Of My Boogie』もメイク中のBGMとしてリピートし続けるくらいハマっています。

これからシーズン3以降を観ていきます。

Start your engines.

And may the best woman win!
世代別の恋愛観・結婚観の違い、友人格差などについての本。

「「一生に一度の運命の相手に出会って恋に落ち、結婚して、子どもをつくって死ぬまで添い遂げる」ことを当たり前であるとする考え方のことを、ロマンティック・ラブ・イデオロギーと呼ぶ。この考え方は、以前は全く「当たり前」ではなかった。まず多くの人が結婚しなかった。宗教や学問に身を捧げたりする人もいたし、農家の次三男以下は結婚できないことも多かった。また遊女などもいた。みんなが結婚するということ自体が、そもそも近代以前はありえなかったのだ。いわゆる適齢期を過ぎた人なら一度は聞かれたことがあるはずの「なんで結婚しないの?」というお決まりの質問は、むしろ皆が結婚することになったからこそ、出てきているのである」
(P53から引用)

という記述は特にわたしは心を癒してくれました。
ゴールデンウィーク中に親戚たちから「彼氏はいないの?」「結婚はまだなの?」「結婚して子どもを産んで育ててはじめて一人前の大人よ」と言葉の暴力でメッタ打ちにされた心が癒されたのです。
ご先祖様たちは結婚してても結婚してなくっても色んな仕事を成し遂げて今の日本の礎を築いてくださったんですよ、結婚=立派なわけじゃないですよ、と親戚たちに言いたいけど、そうしたらお盆の集まりで「あんたは何も分かっていない」というセリフもプラスされるかもしれないので、ぐっと我慢。

「私が中学生のときですが、ある女性の先生が女子生徒たちに「いいですか、これからの人生で女の子というのは、若いうちは結婚していなければ『いつ結婚するの?』と言われ続け、結婚したら『子どもはまだですか?』と言われ続け、一人目を生んだら『二人目はまだですか?』と言われ続けますけどね、でも離婚してしまえばもう誰も何も言ってきません」と淡々とおっしゃっていたんですね」
(P198から引用)
という文にはゾーッとしました。
結婚するのだって一人じゃ出来ないわけだからハードル高いのに、子どもだって作ろうと思って必ず授かれるものでもないのに、一人産むのだって命がけなのに、二人目…だと…!?
そして二人目を産んだら「三人目は?」と来るんでしょうね、あな恐ろしや!
結婚していないわたしには離婚もハードル高い!
離婚したい!
↑結婚していないのに離婚は出来ません!
かつては、一人で暮らす老後はみじめだと考えられてきました。
でも今の時代は違います。
むしろおひとりさまだからこそ、「家にいて何かあっては心配だ」という家族の反対によって施設や病院での死を余儀なくされることなく、住み慣れた自宅での死を選択できたりします。
また、家族がいる場合でも、元気なうちからいざという時のことを家族と話し合い、事前指示書やエンディングノートに自分の意思を書くなど書面にしておくことで、在宅療養が可能となる。
…という本。

「遅かれ早かれ「なにかある」のです。なにかあった時、本人がいちばん安心できる場はどこかを想像し、その実現のためにどうすべきかを逆算して考えることが必要」
(P27から引用)

「それが自宅であるなら、できるだけ元気なうちに地域の在宅ホスピス緩和ケアチームまたは訪問看護ステーションなどを探し、在宅療養をサポートしてくれるネットワークをイメージしておくことです。さらに「最期まで家にいたい、家で死にたい」という自分の意思をはっきり家族に伝え、これが死ぬ前の最後の願いであると宣言することです。もちろん途中で考えが変わって入院することがあるかもしれませんが、その時はその時です。できれば自分の意思を書面に書いておきましょう。事前指示書やエンディングノートという形でもかまいません」
(P36から引用)

「そこをわかっていただけない家族に対し、私は「ある意味、もっとも安心・安全なのは刑務所だと思いますが、刑務所に自ら行きたいという人はいると思いますか?」などと尋ねることがあります」
(P79から引用)

などの記述が、自分の親や自分自身の老後を考える上で参考になりました。

死について考えることは、生について考えることでもあります。

小笠原先生のおっしゃる「納得死」、親にもして欲しいし、わたしもしたい。

それは納得して生きることにも繋がるから。
※注※
結末に関するネタバレを含みます。



ペイジの友人ジミーが交通事故で意識不明に。

彼は結婚が決まったばかりで、妻との間に女の子が生まれたらペイジという名前にする、と言うくらい2人は仲が良かったのに、ペイジが懸命に治療にあたっても彼はいっこうに意識を取り戻しませんでした。

病院長と弁護士はペイジにこう告げます。

ジミーの生命維持装置を外しなさい。

意識が戻る見込みはない。

家族はこれ以上治療にかかる費用を負担できない。

今日あなたの手で彼の生命維持装置を外しなさい。

と。

「答えてちょうだい! 聞こえるの? 目を開けなさい!」
と顔をくしゃくしゃにして泣きながらペイジは必死に呼びかけます。

でも、ジミーは反応しません。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
とペイジは謝りながらジミーの頬にキスをします。

すると…。

まるで「眠り姫」のような奇跡が起こります。



この小説は他にも読みごたえのあるシーンが沢山ありますが、わたしはこのペイジとジミーのシーンが一番好き。
現実でもこんな奇跡が沢山起きたら良いのに。

逆に、キャットの身に起きたようなことが現実の女性たちに起きませんように…。
キャットは義父からレイプされ続けて男性不信となり、「わたしの体は、二度と男に触らせない。どんなことがあっても絶対に!」と決めて生きてきて、でもやっと男性を愛せるようになって、好きな人の赤ちゃんをお腹に宿したのに。
…この仕打ち!
ひどい。
ひどすぎる。
キャットが好きになったのはろくでもない男で、キャットはお腹の赤ちゃんごと、男に殺されてしまいました!
キャットの死後、キャットの度胸と医師としての腕を高く評価していたルー・ディネット親分が脱税の罪で15年の刑を言い渡された理由…、分かる気がします。
わざと捕まったんですよね、親分は。
キャットとその赤ちゃんを殺した男が居る刑務所に入るために。
親分が刑務所に入って一週間後、男は自分の房の中で刺し殺されているのが発見されました。
親分にとっては、15年の服役なんてへっちゃらだったんでしょうね。
キャットとその赤ちゃんの仇を討つためなら。
親分グッジョブ!
でも、出来るなら、キャットとその赤ちゃんが殺されてしまう前に、親分でも親分の子分でも誰でもいい、誰かに助けて欲しかった…。
この小説の主人公は、新人研修医として働く3人の女性。

ペイジ、キャット、ハニーという愛称をそれぞれ持つ3人は、性格も容姿も今まで歩んできた人生もバラバラで、でもとても親しくなりました。

もしわたしが患者の立場で、担当医を自由に選べるとしたら、ペイジかキャットにお願いしたいです。

ペイジもキャットも努力して医学的知識と技術を身につけていて、こういう時はこう対処するんだ、という判断も行動も出来るから。

絶対に担当医になって欲しくないのがハニー。

もしハニーが担当医になったら、わたしは転院します。

もし転院が叶わなければ病院から脱走します。

カーテンでもシーツでも何でも使って窓から逃走します。
↑迷惑な患者!!

そのくらいハニーはやばい。

ハニーは表向きは超優秀な成績をおさめる研修医。
でも、その評判とは裏腹に、実際の診察も処方も、まるっきり的外れなことをしてばかり。
何故かというと、その素晴らしい成績が彼女の実力によるものではないから。
彼女の成績は、彼女について評価する立場にある男性たちの下半身にアプローチした賜物。
彼女は本当は看護婦(現在は「看護師」ですが、この作品では「看護婦」が使われているのでそのまま表記させてください)になりたかったそうですが、医者になれという親の命令に逆らえず医師の道を歩みました…が、男性たちに媚びてばかりで医師としての自己研鑽を積むことを怠って患者の命を危険に晒している時点で、看護師にも医師にもなる資格はありません。

ハニーが担当した患者さんはいつか医療ミスで後遺症を負ったり、場合によっては死んでしまうかも…!と、この小説のページをめくる度に読み手はハラハラさせられます。

逆に、ペイジとキャットのことはすごく応援したい。

下巻もすぐ読んでみます。
図書館のあの静まり返った空間で、わたしのお腹はよくグウゥゥゥ〜と鳴ります。

恥ずかしい!
次行く時はお菓子を食べてから行こう!

と思ってお菓子を食べてから図書館へ行くと、

「もっとお菓子をよこせ」と言わんばかりにやっぱりグウゥゥゥ〜と鳴ってしまいます。

『天空の城ラピュタ』でムスカが「言葉を慎みたまえ。君はラピュタ王の前に居るのだ」と言っていたあのまんまの口調で「我が腹よ、鎮まりたまえ。君は図書館に居るのだ」とお腹に心で語りかけたら、グウゥゥゥ〜と返事をされてしまい、もう、お手上げ!

音姫みたいな感じで、人に聴かれたくない音をごまかせる装置が欲しい今日この頃。

次はウイダーinゼリーを食べてから行こう。
と思ったけど、また「もっとよこせグウゥゥゥ〜パターン」になるかな?
この本のはじめに出てくる、「きょうよう」と「きょういく」は以前同窓会のスピーチで誰かが言っているのを聞いて以来、わたしも好きな言葉の一つです。

『「今日、行く(きょういく)」ところがあるか、そして「今日、用(きょうよう)」があるかどうかが大切」
(P10から引用)

この「きょうよう」と「きょういく」が無いと、いくらお金があったって幸せな老後はきっと送れないですよね。

でも人間、お金が無くっちゃ、そもそも生きていけやしない!

食べるのにも住むのにも着るのにも、何でもかんでもとにかくお金がかかるから!

死ぬことにさえもお金はかかる!(葬儀費用など)

この本は、老後の生活に実際どの程度かかるのか、老後どの程度収入があれば老後破産しないのか、それらを考慮して一体いくらくらい老後のために蓄えておけば良いのか…についての本。

以下余談になります。
わたしはアラサーのおひとりさまで、多分このまま独りの老後に突入すると思うので、この本のタイトルにある「45歳から」ではなく、30歳である今のうちから老後のことを考えておきたいです。
はっきり言って、わたしの世代は年金を掛けるだけ掛けといて将来貰える年金額は少ないことが予想されます。
介護保険制度も見直しされてこの先どんどんどんどん自己負担率は上がるでしょう。
わたしは甥っ子と姪っ子がいるのですが、彼らにわたしの介護問題などで迷惑をかけたくないので、施設に入所するか介護サービスを受けながら在宅で何とか暮らしていける額は是が非でも貯めておきたいです!
今はまだわたしは友達の結婚式に呼ばれることが多く、しかも同じ友達の再婚のお式に呼ばれることも多いので、貯金はスッカラカン!
結婚式1回につき友人はご祝儀3万って誰が決めたんだよー!もうやめて!わたしのHP(貯金)は0よ!と心の中で悲鳴をあげつつも受付で「おめでとうございます」と笑顔でご祝儀を差し出しているのですが、結婚式の半年後に「離婚したけど、もう新しい彼氏出来てラブラブだよ〜。あんたは彼氏まだ出来ないの?」とか言われると泣きたくなります。
泣いていいですか?
もう少し年齢が上がれば結婚式に呼ばれる頻度は減ってくるでしょうし、そうしたら老後に向けた貯蓄を頑張りたいです。

さて、話をこの本に元に戻します。
この本の推奨する「老後不安の最強の解決法」…それは…定年後も働くこと!

確かに、働き続けるなら、「きょうよう」も「きょういく」も失うことはありません。

完全にリタイアして、趣味や旅行に老後を費やす人生を送る人もいるけれど、それは恵まれた人たちの話。

フルで働いても正直言って年収300万を超えていないわたしのような人たちは現役時代に大した貯蓄が出来ず、老後は年金以外にも収入が無いとやっていけないだろうし。
投資は元本割れしそうで迂闊に手を出せないし。
働くことで頭を使えば認知症予防にもなるし。
在宅仕事以外なら家から外出するから閉じこもり予防にもなるし。
日頃から仕事で誰かと関わっていれば、仮に家で倒れてそのまま死んでしまっても「あれ? あのばあちゃん今日出勤してないんじゃない?」と気づいてもらえて家の中で腐敗する前に発見してもらえそう…!
いや、ほんと、死はやむを得ないとしても、腐る前に見つけてもらわないと色んな方々に多大なる迷惑をかけることになるので…!
特に第一発見者の方に「腐った遺体を見た」という衝撃を与えるだけでなく、「もっと早く見つけてあげていたら…」という心の傷まで負わせることになるので、それは絶対に避けたい!

よし…働き続けることが出来るよう、色んなスキルを身につけよう。

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