監修…徳田竜之介『どんな災害でもネコといっしょ』
被災して、飼い主とペットが離れ離れになると、お互いに辛い思いをすることになります。

しかし、ペットに対して良い感情を持っていない人や、アレルギーを持つ人も居るため、同じ避難所で受け入れてもらうのはなかなか難しい現状があります。

この本は、災害時に飼い主とペット両方が安心して避難生活を送るため、飼い主が普段から「もしも」に備えて行っておくべきことをまとめた本です。

犬の飼い主向けに書かれた別の本もあるようですが、これは猫の飼い主向けに書かれた本。

実際に東日本大震災や熊本地震で猫と一緒に被災した方々の体験談も載っているので、実践的なアイディアを学べます。

例えば、主なアイディアは、

・猫が迷子になっても必ず再会出来るように、身元が分かる物を猫に身につけさせておき、探しやすくなるように猫の写真も用意しておく

・単なる移動手段としてだけではなく、避難場所としても使えるように、日頃から猫をキャリーバッグに慣らしておく

・最低でも3日分の、普段から慣れているキャットフード、薬、飲料水、猫砂、猫用食器などを非常持ち出し袋に入れておく

・猫にワクチンの接種、ノミ・ダニの予防、定期的な健康診断を受けさせておく

・猫にトイレのしつけをしておく

・ペット同行可の避難訓練に猫と一緒に参加して、いざという時のシミュレーションを行う

・猫が出血や骨折などをした際の応急処置について飼い主が学んでおく

・猫が避難所でパニックにならないように、飼い主以外の人間や他の生き物に慣れさせておく

といったもの。

こうしたアイディアを紹介する中で、特に強調されているのは、「飼い主が無事でなければ猫の命を守ることは出来ないので、自分の身の安全を確保することを忘れないこと」。

意外と、これが盲点になりがちですよね。

自分のことより猫のことを最優先に考えてしまいがちですから。

それについてはわたしも身近な事例を知っています。

わたしの友人は熊本地震の際に、「猫が他の人間や生き物を怖がるから」「他人に頼るのは嫌」と言って、避難所へ行くことも、わたしを含めた友人たちの家や親族の家へ一時避難することも嫌がり、猫と一緒に軽自動車の中で車中泊を何日も続けた結果、エコノミー症候群になりかけましたし、猫もいつもと違う環境がストレスとなり持病が悪化しかけました。

「猫のために」と思って行ったはずのことが、飼い主にとっても猫にとっても良くない事態を招きました。

ただ、友人が悪いとは言い切れません。

友人の場合は「避難所に行ったら女性は性被害にあう」という不安も感じていたため避難所に行きたくても行けない事情もあったからです。

もし友人が日頃から猫を飼い主以外の人や生き物に慣れさせていたら少しは違う結果になったのかもしれませんし、「他人に頼るのは嫌だ」と意地を張らずに避難して他の人に頼るということも選択肢の1つに入れておくべきだったのでしょうし、そもそも「避難所は安全だ」と言い切れる安心感があれば良かったのに…と思います。

同じようなことを繰り返さないために、日頃から人間・ペット両方のためになる災害対策を行っていきたいです。
原作…志名坂高次 作画…粂田晃宏『モンキーピーク』第12巻の感想
※注※
結末を明かすネタバレがあります!
未読の方は要注意!




『モンキーピーク』、ついに完結。

完結を機に、わたしは改めて、第1巻から第12巻(最終巻)まで読み直してみました。

その結果、「正義とは何なのか?」と問われているかのような気分になりました。

安斎の目指す「正義」は、「我々の会社が存続することで、今後沢山の人たちを薬で救える。藤谷製薬が作った薬で8人が死んだといっても、たかだか8人に過ぎない。藤谷製薬の方が遥かに社会的価値が高い。そして、自分が生き残るためなら、薬害事件に全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。

林さんたちの目指す「正義」は、「悪いことをした人間は裁きを受けなければならない。だから、藤谷製薬の社員を、必ず殺す〝S〟、出来たら殺す〝A〟、出来るだけ生き残らせてこの薬害事件の語り部として生かす〝Z〟に分ける。〝S〟と〝A〟を可能な限り残酷で特殊なやり方で殺することで、悪は必ず滅ぶ、という伝説を作り上げ、この薬害事件が何百年と語り継がれるようにしたい。そのためには、薬害事件と全く関係ない人だって殺しても構わない」といったもの。

…わたしは正直言って、どちらの「正義」もいけ好かないな、と思います。

それぞれの「正義」には、一見正しそうに思える面もあります。

安斎の言う通り、もしかしたら藤谷製薬が今後生み出す薬で非常に沢山の人たちの命を救えるのかもしれません。
だとしたら、その藤谷製薬の貴重な人材を次々に殺害し、会社として存続できないほどの大ダメージを与える林さんたちの行動は、その本来救えるはずだった人たちを間接的に殺すことになるのかもしれません。

また、林さんの言う通り、もしかしたら薬害事件被害者たちの家族が起こしたこの連続殺人事件は、世の中の様々な「悪」に対して「悪は必ず報いを受ける」という非常に強い警告となり、犯罪抑止力となるのかもしれません。
また、憎い社員を直接自分の手にかけることで復讐を果たし、家族の仇討ちが出来たぞ、と林さんたちの気持ちが少しは晴れるのかもしれません。

世の中には絶対的な「正義」の基準は無く、結局、人間一人一人によって「何が正義か」はまるっきり異なるわけですから、安斎の「正義」も、林さんの「正義」も正義であると言えるのでしょう。

けれど、わたしにはどちらの「正義」も不愉快。

安斎の「正義」は、多数のために少数を切り捨てることを躊躇しないからです。
命を救う薬を作り出す会社の社員でありながら、たった一つの命さえ大切に扱えない冷酷さがあります。

また、林さんたちの「正義」は、自分たちが殺す社員たちにも家族が居て、遺族となる人たちがかつて自分たちが家族を亡くした時のように悲しくて苦しくて辛い思いをするということに考えが至っていない、とわたしには思えます。
逃げようとする社員の背中を斬りつけたり、食料と水と通信手段を絶って心身共に追い詰めたり…。
狂気の沙汰としか思えません。
なぜ自分たちが大きな猿に殺されるのか訳がわからないまま、喉の渇き、飢え、疲労、恐怖、猜疑心、凍傷といった極限状態に追い詰められて無残に殺されていった社員の心情を想像すると、ここまでむごいことをしなくても、と震えてきます。

しかも、安斎の「正義」も、林さんたちの「正義」も、無関係な人たちまで殺すことを厭いませんでした。

この山でまさかこんな殺戮が繰り広げられているとは知らずにただ偶然やって来ただけの登山客も。
救助隊も。
警官隊も。
みんなそれぞれ、安斎や林さんたちに殺されてしまいました。

そこにも正義はあるのか!?とわたしは安斎と林さんたちに問いたいです。

きっと、両者とも「ある」と答えるでしょう。

そして、歴史というのはそうした「正義」と「正義」がぶつかり合う争いの中、勝った方の都合の良いように書き換えられていくもの。

やりようによっては、安斎だって、林さんたちだって、ヒーローに成り得たはず。

…何だか嫌な感じ。

頭では理解出来ますが、心では納得したくありません。

そんな理不尽なこの世界において、わたしは佐藤さんの「決意」に惹かれました。

いよいよ絶体絶命の状況に追い込まれた佐藤さん。

自分も仲間もほとんど死にかかっている状態なのに、無情にもまたあの恐ろしい猿が近づいて来ています。

佐藤さんは、もうダメだ…と絶望するのではなく、かつての仲間「遠野」の遺品を手に取りました。

遠野の遺品は、焼け焦げて半分に壊れたメガネただ一つ。

佐藤さんは遠野のメガネを握り締めて、「戦わなくちゃ、わたしも」と覚悟を決めました。

死ぬのがとても怖かったはずなのに、それでも猿を倒すため、自ら作った爆弾を爆発させて死んでいった遠野の姿を思い浮かべて。

佐藤さんは立ち上がりました。

左手には火のついた縄を、右手には火薬を持って。

佐藤さんは「やれる…やれる…っ私はやれる!!」と自らを鼓舞。

そして、「行こう! 遠野!!」と心の中で叫びました。

佐藤さんはそのまま猿へ向かって突進。

すぐに爆発が起きました。

自分に命のバトンを託すため死んでいった遠野の死を絶対に無駄にはしない、そのためなら自分の身体を一部失っても構わない、猿に致命傷を与えるため決して自分の手から火薬を放さず確実に猿の至近距離で爆発させる、絶対に猿を倒す! と全身全霊で叫ぶかのような佐藤さんの目を、わたしは好ましく思いました。

ただ、くれぐれも言っておきたいのですが、わたしは特攻を良しとするわけではありません。

特攻は美談じゃない。

これまでも、そしてこれからも、美談にしてはいけないのです。

美談にしてしまったら、また戦争が起きて、また特攻が繰り返されてしまうから。

わたしはただ、佐藤さんがあの時、死んでいった仲間の姿を思い浮かべ、仲間の名前を呼んで突撃していったことが、素直に嬉しかったのです。

遠野の死は無駄ではなかったと思えるから。

「成長」と言うと口はばったい言い方ですが、まさに佐藤さんの成長を見せてもらった気がします。

元から肝が据わった女性ではあったけれど、良い意味でとても変わりました。

『モンキーピーク』第1巻〜第12巻まで、正直言って、あまりの残酷描写の多さに、読んでいてしんどい所も多々ありましたが、わたしは佐藤さんのあの目、そしてあの叫びに、心地よい衝撃を覚えました。

ここまで読んできて良かったです。

「正義」をぶつけ合っていた安斎と林さんたちは両者とも死亡。

しかし、佐藤さんは生き延びました。

右目と右腕を失ったものの、これからもたくましく生きていってくれそうです。
B’z『兵、走る』
「ゴールはここじゃない」

「まだ終わりじゃない」

こういう言葉を言える人間に、自分もなりたい。

そう思って、ラグビー日本代表の試合を応援したら、この歌詞通りの選手たちのひたむきな姿に、そして観客たちの熱い声援に、わたしは心を突き動かされました。

汗だくで、ケガをしていないところは無いんじゃないかってくらい身体中ボロボロで、それでもなお必死に走り抜けて何度も何度もトライを決めようとする選手たち。

声が枯れるまで、いや、枯れたとしても必死に腹の底から声を絞り出して、全身全霊で選手を応援しようとする観客たち。

これは現実なんだろうか? 映画のワンシーンでも見ているんじゃないだろうか? と我が目と我が耳を疑うくらい、感動しました。

今夜の「日本対南アフリカ戦」は、残念ながら日本が負けてしまったけれど、観客たちがいつまでもいつまでも選手たちへ歓声をあげていて、選手たちは観客たちへ手を振っている、それが堪らなく素敵。

そして、選手たちが、観客たちの中にいた家族のもとへ走っていく姿に、わたしはハッとしました。

ああ、B’zの『兵(ツワモノ)、走る』の曲において、ツワモノたちは試合を戦い抜くため走っていたけれど、ツワモノたちは戦が終われば家族のもとへ走るんだ…と気づいたら、わたしもついもらい泣き。

選手たちが我が子を抱きしめるシーンでは、自分の涙でTV画面が見えなくなりました。

涙なんて出てもらっちゃ困る! この光景を目に焼き付けておきたいのに! と涙を拭っても、互いに健闘を称え合う選手たちの様子にも、選手たちの家族の表情にも、胸が熱くなるばかり。

選手たちだけでなく、選手たちを応援した全ての人たちに、「お疲れさま」という労いの言葉だけで無く、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたいです。

そしてわたしはまた『兵、走る』をじっくり聴き込みます。

なんてかっこいい曲なんだ!
著…渡邉由『顔診断で不調を治す・防ぐ』
吹出物もホクロもシミも、意味なく出てくるわけではないので、顔の状態を見れば体のどこが弱っているか分かる、という本。

例えば、目の下のクマ。
東洋医学において「青」の病変は肝の不調と捉えられており、青っぽいクマが出ている時は肝臓や胆のうが弱っている時だそうです。
また、「黒」の病変は腎の不調と捉えられており、黒っぽいクマが出ている時は腎臓が弱っているのだそう。
目の下の皮膚は薄いので、血液がどんな状態なのか読み取りやすいそうです。

あくまでも「目安」であって、精密検査をするわけではないので、「体の〜が〜の状態だから〜の病気だ」と断言することは出来ません。

しかし、それでも、「目安」となる知識があれば、自分自身の体調を把握出来るだけでなく、周りの人の体調不良にいち早く気づけると思いますので、わたしもこうした知識を身につけていきたいです。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20191012-00425505-fnn-soci

低い所に居る人は、少しでも高い所へ避難してください。

川や崖の近くといった危険箇所からも、少しでも遠くに逃げてください。

「〝逃げろ〟と言われたって、どこに逃げようもない。どうしろって言うんだ」と嘆いている方たちも多いでしょうが、そういう方は例えば2階建の家にお住まいなら浸水被害を避けるため2階で就寝したり、土砂災害に備えて山側ではない部屋で就寝するなど、少しでも命を最優先にする行動を取ってください。

皆さんどうかご無事で!
昨日、友人たちと写真を撮りました。

見てビックリ!

わたしだけ、首が前ににょっと出ているではありませんか!

何という前傾姿勢。

何というストレートネック。

人間じゃなくて「ろくろっ首」に見えます。

わたしは「自分は人間だ」と思い込んでいたけれど、いつの間にか妖怪になっていたようです。

横から撮った写真だけでなく、正面から撮った写真もひどい。

友人たちは美しく微笑んでいるというのに、わたし一人だけ「アイーン」しているみたいに何やら物凄くひどい有様。

この悲惨な現実を目の当たりにして、わたしは友人たちに「もしかしてわたしっていつもこの状態? 正直に言って! 気をつかわなくていいから」と聞きました。

すると「いつもこんな感じ。気づいてるかと思ってた」という即答が!

気づいてない!

全く気づいてない!

「そういうの、スマホっ首っていうらしいよ。CMでやってた」とも教えてもらいました。

新種の妖怪ですか!?

というわけで、わたしは主に以下の3つのことを今日からやってきます。



1.前傾姿勢にならないよう意識する

2.首、背中、腰を鍛えるトレーニングを取り入れる

3.完全にへたった枕やマットレスを新調する



特に3については、腰痛もあるので早急に手配します。

…と言い切ったものの、枕やマットレスを扱っているお店の多いこと多いこと多いこと!

どこのお店で買えば良いやら…。
著…大谷憲『薬を使わずにぐっすり眠る方法』
ぐっすり眠る方法や、すっきり起きる方法について、イラストを豊富に使って分かりやすくまとめた本。

一言で「睡眠障害」と言っても、「中途覚醒タイプ」「入眠障害タイプ」「熟眠障害タイプ」「早朝覚醒タイプ」など様々なものがあり、それぞれ症状も要因も異なるので、むやみに睡眠薬に頼らず、生活習慣などを見直すことが大切だと気付かされます。

すっきり起きるためのアイディアとして、

「寝室のカーテンを閉め切らずに10センチだけ開けて眠ることで、朝日が室内に差し込んできて、自然なかたちで明るくなり、目覚めを促してくれる」

「就寝前は暖色系の照明で過ごす」

「平日、休日に関わらず、同じ時刻に起きるようにする」

といったものが紹介されています。

わたしもこの三つについてはここ数年間実践しており、確かに目覚めが良くなったのでおすすめです。
エブリ カラートリートメント 「カーキ」を使ってみた感想
エブリ カラートリートメント 「カーキ」を使ってみた感想
わたしはエブリ カラートリートメントのファンで、

・ブルー
・グレー
・ブラック
・グリーン

を愛用しています。

まめに美容室へ行かなくても、自分好みの髪色に自分で調整出来るので便利。

ほんのりとしか髪が染まらないのでコストパフォーマンスは決して良い方ではありませんが、ポジティブに言い換えれば、染まり過ぎて大失敗することが無いので気軽に使用可能。

わたしは赤みが強い髪質なので、主に赤みを打ち消す色を混ぜ合わせて使用しています。

最近やっと「カーキ」も入手しました!

「カーキがあれば、グレーとグリーンを買って混ぜて使わなくても、カーキだけで事足りそう!」と期待して購入したのです。

色を比較したかったので、添付画像の通り、グレー、グリーン、カーキをにゅるっと出してみました。

適当に出してみた結果…、なぜか桃屋の「ごはんですよ」や、漢字の「三」を思い出しました。

単ににゅるっと出すだけでなく、顔を描いたりすれば良かった。

へのへのもへじとか。

さて、残念ながら1枚目の添付画像だと、「グレーとカーキってほとんど同じ色じゃない?」と首を傾げたくなりますが、肉眼で見るとグレーはやや紫がかった印象があるため(わたしの浴室の照明のせい? ちなみに白熱灯です)、グレーとカーキは明らかに違う色です。

そのため、「カーキがあればグレーとグリーンを買わなくても済む」というわたしの目論見は大外れ。

試しに、「グレーとグリーンを同量ずつ混ぜたもの」と「カーキのみ」を比べるため、2枚目の添付画像を撮ってみました。

うーん、やっぱり違いますね。

さすがにグレーを混ぜた方は暗くなります。

そして自分の雑さに我ながら驚きます、なぜもっと綺麗な円を描けないのか?

カラートリートメントというより、もはや海苔の佃煮にしか見えない!

ちなみに、使い心地については、「カーキ」も他の色と同様、特に嫌な香りはしません。

「カーキ」を乾いた髪に塗布し、10分後に洗い流してシャンプーをしてドライヤーで乾かしてみると、やや緑がかったブラウンに髪がほんのり染まったのが分かりました。

髪質にもよると思いますが、わたしの場合は塗布して10分放置するだけではあまり染まらないため、塗布して30分放置するのがベストです。

色みについては、グレー+グリーンを使用した時よりも、カーキの方がやや髪が明るくなる印象を受けました。

わたしはカラーの専門家では無いので、あくまで個人的感想ですが。

購入を検討している方の参考になれば幸いです。
オペラ ティントオイルルージュ リップティント N 07 ベイビーピンク
今日初めてこのリップをつけて仕事に行ったら、小学生たちに「先生、口紅キレー!」と褒められました。

ちなみにわたしは先生ではありません。

仕事で小学生たちと長年関わっているため、たまにスーパーなどでばったり出会うと小学生から「なんか知ってる人が居るんだけど!」とニヤニヤしながら話しかけてこられる、慕われているというよりどちらかと言えばからかわれているというのが正しい、そんな大人でございます。

似合っていないと容赦なく「ちょっとー。何それー」とファッションチェックしてくる子たちなので(君たちは『ヒルナンデス!』の植松さんかね?)、今回は本当に綺麗な色だと思ってもらえた様子。

さすが「ベイビーピンク」という名前だけあって、数年前まで赤ちゃんだったような子どもたちに好感度が高いのかもしれません。

男子・女子ともに好評でした。

「優しそうに見える」そうです。
(いつもはどう見えているって言うんだね君たち?)

何もしていない唇にそのまま塗っても綺麗ですが、コンシーラーやファンデーションで元々の唇の色を消してから塗るとより綺麗に発色します。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM924S2SM92TLTB005.html%3Fusqp%3Dmq331AQPKAFwAZgB5ab_t4GKjIdW

わたしは社会福祉士として、虐待のケースにも関わってきました。

実の親や祖父母などから虐待されたり、今回出水市で起きた事件のように親の交際相手から虐待されるなど、世の中にはここに書き切れないくらい様々なケースがあります。

わたしの職権で出来ることは限られているので、虐待の内容や家族状況などに応じて、医師・看護師・保健師・警察官・児童相談所の職員といった他の職種と協力し合いながら、日々仕事をしています。

わたしは「たとえ肉親から虐待されていても肉親に育てられるのが子どもにとって一番良いのだ」とは全く思っていませんし、性善説も全く信じていないから言葉は悪いけれど更生出来る人間と出来無い人間は明確に分かれると思っているので、まずは子どもから引き離して、子どもの命を最優先に!と考えています。

かといって虐待加害者とわたしが敵対関係になってしまうと、かえって子どもに危険が及ぶ場合があります。

虐待加害者の表情や仕草などを観察しながら、
「敵ではありません」「あなたのことも子どものことも助けたいです」と伝えながら、虐待加害者の「本当は暴力をふるいたくないが交際相手の機嫌を取るために虐待している。子どもよりも交際相手が好きだ」「そもそも子どもは欲しくなかったが性行為をしたら出来たので渋々産んだ。元々子どもが嫌いなので、我が子でも全く可愛くない」「望んで子どもを持ったが、育児で悩んで手をあげてしまうので自己嫌悪に陥っている。休みたい」といった本音を引き出し、まずは子どもの保護に繋がるように努めています。

「なぜ虐待するのか」とか、「一番誰が悪いのか」と考察している間に、子どもの命はどんどん死に近づきます。

意味があって「経過観察」するならともかく、特に意味もなく「経過観察」するのは、「放置している」のと同じです。

素早い対応が大切です。

子どもを保護したら、子どもに支給されているお金が親の懐に入らなくなるので、だいたいの親は子どもを手元に置いておこうと抵抗しますが、それで怯んではいけません。

と、偉そうなことを書いてしまいましたが、わたしは自分の仕事の成果が100%立派なものだとは言い切れませんし、試行錯誤の日々なのですが、今回の出水市の事件について詳細が分かる度に憤りを覚えています。

心ある人たちが璃愛來ちゃんの状況を見かねて何度も通報してくれて、璃愛來ちゃんを保護するよう何度も求めたにもかかわらず、児童相談所は璃愛來ちゃんを「母親によく懐いていたから」と保護せず、薩摩川内市も出水市も「適切な対応をした」「プライバシーの問題なので踏み込めなかった」と発表しています。

それって、「救えなかった」のではなく、「救わなかった」んですよね。

職員は、「なぜ子どもを見殺しにしたのか」と世間から非難されたとしても、異動になったり退職すれば、この事件の話題から逃れることが出来ます。

けれど、職員とは違い、璃愛來ちゃんはこの事件から逃れることは出来ません。

死んでしまったのですから。

生き返ることは無いのです。

もう、友達を作ることも、大人になることも、恋をすることも、無い。

璃愛來ちゃんが裸足や下半身裸で一人で出歩いていたのも、たった4歳の璃愛來ちゃんからの精一杯のSOSだったかもしれないのに…。

みんなでよってたかって、痛くて苦しくて悲しくて寂しくて辛い思いを、璃愛來ちゃんに強いたのと同じです。

今回のように、「母親によく懐いていたから」というのは「虐待されていない」という根拠には成り得ません。

多くの虐待ケースでは、虐待されている子どもは虐待加害者を庇うからです。

子どもは、殴られたり蹴られたりご飯を貰えなかったとしても、なぜ自分がそんな酷い扱いをされるのか分からず、ただただ愛されたくて、虐待加害者に向けて精一杯可愛らしく振る舞って、愛されようとするのですから。

虐待加害者だって、虐待がバレるとまずい!という保身のために、さも親子関係は良好です、というフリをするので、専門職はまんまとその演技に騙されてはいけません。

虐待を見破るためには、服の上からは見えない部分の傷やアザなども実際に確認すべきです。

子どもに限らず、大人への暴力事件でも、加害者は大抵は服の上からは見えないところに暴力をふるうものです。

また、「適切な対応をした」と言い訳するのでは、反省点はありませんと言い切っているのと変わりませんから、今後何人の子どもが殺されても何も変わろうとはしないでしょう。

ここ数年だけでも、何人もの子どもたちが虐待で命を奪われたというのに…。

挙げ句、「プライバシーの問題」を振りかざしてしまったら、堂々と職務放棄を宣言したのと同じで、虐待事件を無くそうというやる気すら感じられません。

福祉って、そもそもプライバシーだらけですよ。

何でもかんでもプライバシーのせいにするなら、福祉の仕事は出来ません。

あくまでも、不必要に個人情報を晒すのがいけないのであって、今回のように人命が関わっているケースでプライバシーを言い訳にしていたら、救えるものも救えません。

「家庭」という、プライバシーの塊である場所に踏み込まなければならない仕事なのにプライバシーを言い訳にして、家庭に介入するのを躊躇するなんて、極端な例えではありますが例えば目の前で人が倒れたのに「下手に関わって面倒なことになったら嫌だから」と救急車も呼ばずAEDや心臓マッサージも行わず「自分以外の誰かが何とかしてくれないかな」と放置してその人が死んでから「自分には何も出来なかった。仕方なかった」と言うのと同じくらい異常なことです。
何も出来ないなら出来ないなりに、救急車くらい呼びましょう。
見殺しにするのが一番良くありません。

と、また偉そうなことを長ったらしく書いてしまいましたが、今回出水市で起きた事件を忘れず、同じことを繰り返さないために、わたしも出来る限りの試行錯誤を続けていきたいと思っています。

そのために、今日は、仕事で日頃関わっている専門職の方々と「どんな些細なことでも協力し合いましょう」「自分たちが持っている情報をお互い教え合って共有しましょう。出水市の件も、母親の交際相手について情報があったらもっと違う結果になったはずです。情報は大事です」と話し合いました。

今この瞬間も、命の危険に晒されている子どもがどこかに居るだろうから、一人でも多く、少しでも早く発見して保護したいです。

それは子どもへの虐待問題に限ったことではありません。

他の様々な問題でも同じ。

偽善と言われようが、見殺しにするよりはマシです。

国としても、外国にばかりお金を回すのではなく、日本国内で苦しんでいる日本国民のために税金を使えば良いのに。

「少子高齢化」を謳う割に、本腰を入れているとは思えません。

アメリカのように子どもを放置したら親が処罰の対象になるとか、子どもの保護施設を増やすとか、児童相談所にもっと権限を持たせて親の同意が無くても問答無用ですぐに子どもを保護出来るようにして人員も給与もアップすることでお役所仕事的にでは無く問題意識を取り組む人材を確保するとか、もっとうまい税金の使い方があるだろうに。

今のままでは、国を挙げて自ら少子高齢化に突き進んでいるとしか思えません。
菅野文『薔薇王の葬列』1〜12巻を読んだ感想
当初、わたしはこの漫画を、大事に大事に日数をかけて読むつもりでした。

けれど、1巻を読み始めたら、もう、続きが気になって気になってページを捲る手が止まらない!

結局わたしは今日だけで1〜12巻まで一気に読み切ってしまいました…。

不覚…!

ペース配分が全然うまくいきませんでした。

けれど、反省はしていますが後悔はしていません。

昼ドラの登場人物も真っ青になりそうなくらい愛憎と陰謀がドロドロ渦巻く世界観に、超美麗な絵が合わさって、更に、どの登場人物にも光と闇両方の性質が描かれていてみんなそれぞれ魅力的で…。

わたくし、どハマりいたしました。

「またエドワードって名前の人が出てきた! また出てきた! えっ、この人もエドワード? リチャードも複数いる! エリザベスも多い!!」と混乱しそうになったので、わたしは自分なりに人物相関図をノートに描きながらこの作品を読み進めていきました。

その人物相関図に、登場人物たちの関係も書き込んでいくと、「この人とこの人が憎しみ合っていて、この人がこの人に片思いしていて実は両想いで、えっ…これ三角関係とか四角関係どころの状況じゃないんだけど何角関係なの!?」と驚くくらいたっぷり書き込む結果となり、かなり真っ黒な人物相関図が出来上がりました。

わたしはランカスター家のエドワード王子が一番好きです。
傲慢なところはあるけれど、好きな人をただひたすら一途に想い、思いを遂げるチャンスがあった時も、大大大好きだからこそ襲ったり出来ず、そのせっかくのチャンスをフイにしたのも好感が持てます。
6巻でエドワード王子が言った「神なんて信じるな! くだらん。決められた運命などくそくらえだ! 欲しいものは己の力で手に入れろ!」というセリフも好き。
王という重責から逃れたがっている人や、逆に王を裏切って自分が王に成り代わろうと謀略の限りを尽くす人たちより、エドワード王子の王族としての生き様の方が遥かに好印象でした。
自分が何者なのか葛藤する登場人物たちの中にあって、ほとんど揺らぐことのない「自分」を持ち続けた人だとも思います。
エドワード王子のあの様子なら、もし好きな人がひた隠しにしてきた「真実」を知ったとしても、きっとやっぱり気持ちは変わらなかったのではないか…とわたしは思います。
だから7巻は読むのが辛かった。
辛かったけれど、エドワード王子にとってせめてもの救いになっていれば幸いです。
スティーヴン・スピルバーグ監督『ターミナル』
※注
ネタバレを含みます!




スーパーで買い物カートを見る度に、わたしはこの映画のことを思い出します。

「どんだけ頻繁に思い出してるんだ!スーパーって日常生活の中でしょっちゅう行くだろうが!」とツッコミを入れられるかもしれませんが、本当に思い出しています。

わたしが買い物カートを所定の位置に返却したとしても、ビクターが空港のカートを片付けた時みたいに25セントをゲット出来るわけではないけれど。

わたしは「アポイント」という言葉を聞いた時も、「薄いグリーンの紙」を文房具店で見た時も、「ナポレオン」についての本を読む時も、この映画のことを思い出します。

思い出す頻度がやたら高いのは、きっと、この映画の世界がとっても居心地の良い所だから。

主人公・ビクターの人柄が良いのは勿論、登場人物のほとんどが優しい人ばかり。

ビクターにとって敵役となる登場人物が居るには居るけれど、あくまでもその登場人物は職務を全うするためにビクターの前に立ち塞がるのであって、根っからの悪人というわけではないし、勤め人の辛さのような部分に共感出来るところもあります。

インド人のおじさんの行動にも大変驚かされましたし、あれは絶対やっちゃいけないことなのですが、おじさんが走り出した時、何故だかわたしは無性に感動しました。

もしわたしがあの飛行機に乗ろうとしている乗客の立場だったら「あのおじさんのせいで飛行機が遅れた!」とカンカンになるかもしれませんが。

「友達が俺を守るために夢を諦めようとしている」と知って、走り出さずにはいられなかったおじさんの気持ちは本当に尊いと思います。

わたしも、友達の足枷になんてなりたくない。

わたしも、友達の背中を押せる人になりたいから。

おじさんの走る姿を観る度、友達って素敵だなと思います。

わたしが乗客の立場だったら「あのおじさん何してくれとんじゃー!」とブチ切れるとは思いますが。(大事なことなので2回言いました)

わたしは正直言って、この映画を初めて観た時までは、空港ですれ違う人たちの顔を見ることはありませんでした。

パイロット、客室乗務員、チケットカウンターで働く人、保安検査をする人、掃除をする人、整備をする人、警備をする人、レストランで働く人、などなど他にも書ききれないくらい沢山の人たちが働いているからこそ飛行機に乗れるのに。

乗客たちだって本当に様々。
もしかしたら、ビクターみたいに何らかの事情で足止めをくらっている人や、不倫をしている人や、世界中を飛び回っているビジネスマンや、麻薬を運んでいる人(いけません!)などなど、色んなドラマを一人一人が生きているのかもしれません。

そう考えると、色んな人とすれ違う空港ってとても面白いところですよね。

他の人の様子をじっと見つめてしまうと「何見てんのよ!」と不愉快にさせるかもしれないので、チラッとしか見ないようにしていますが、わたしはこの映画を初めて観た時から、空港で繰り広げられる人間模様に興味を抱くようになりました。

みんな、どこから来てどこへ向かうのでしょう?

そしてあのインド人のおじさんはその後どうなったのでしょう…?
著…中山和彦、小野和哉『図解 よくわかる思春期の発達障害』
発達障害があることが周りの人に理解されず、適切なサポートを受けられないまま思春期を迎えてしまうと、「変わっている」「扱いにくい」と孤立しがち。

非難されたり叱責されて傷つき、発達障害だけでなく、うつ病などの心の病も重なってしまう…。

そんなことにならないように、この本は、発達障害と他の障害との違い、治療方法、思春期に陥りがちな状況別の対応方法を紹介しています。

発達障害の有無や、年齢や性別も関係なく、何だか生き辛い、という方にもおすすめです。

この本で紹介されている、「友だちの輪に入れない」「努力しても成績が上がらない」「いじめがひどくなって学校に行くのが怖い」といった悩みは、発達障害がある子だけでなく、多かれ少なかれ誰もが抱えている悩みだから。

苦しんでいるのは自分だけじゃない、一人で抱え込まなくていいんだ、と思えてきます。
著…森恒二『自殺島』
※注 ネタバレを含みます!



自殺未遂を繰り返した人間が送られる「自殺島」。

この島には、電気・水道・ガスといったライフラインは存在しません。

昔この島に住んでいた人たちが使っていたお店・学校・病院といった建物と、こんな看板が立てられているのみ。

「あなた方は生きる権利と義務を放棄して本島にいます。あなた方のIDは我が国で死亡と言う形で消滅しており我が国におけるすべての権利をあなた方は有しておりません。あなた方は我が国における義務や権利を遵守する必要はありません。あなた方は本島及び周囲1km以内の海域において自由です。あなた方は本島から周囲1km以上の周辺海域に侵入する事は出来ません。それ以上の海域は領海侵犯となり、それを侵犯した場合生命の保証は致しません。
日本国政府」

自殺未遂者たちはこの状況により更に絶望し、一人、また一人と自殺していきます。

しかし、中にはこの状況の中でも「生きよう」とする人たちも現れます。

この漫画には、大きく分けて2つのグループが登場します。

仮にグループA、グループBとします。

グループAには、狩の達人「セイ」や、みんなの兄貴分的な「リョウ」、知識豊富な「スギ」といったリーダー格のメンバーがいます。
男性も女性もそれぞれ役割分担がありますが、女性が性処理の役目を強制されることはありません。
時折男性が女性を襲おうとしても、他の男性が止めに入ります。
仕事として自ら売春をする女性が現れてからは、それ以外の女性に無理やり乱暴しようとする男性は居なくなったようです。
リーダー格に不安があれば他のメンバーが代わってリーダーになる、という仕組みも出来ました。

グループBは「サワダ」の独裁状態。
「サワダ」はまずニワトリやヤギを捕らえて卵や乳を得たことでこのグループBのリーダーとなった後、男性はヤギを追い魚を獲り家を直し畑を耕す、女性は貝を採りバナナを収穫し食事を作り男性を慰める、という徹底した役割分担を定めました。
グループBのメンバーたちは自分で物事を考えなくても、「サワダ」の指示通りに働けばいい、といった風に洗脳されています。
サワダの言う通りにしていれば、モテない男性でも女性を抱けるので、男性にとっては良いグループ。
しかし、このグループに女性の人権はありません。
一見、このグループは、「性処理の役目がある分、女性は重労働を免除されている」ように見せかけられてはいます。
けれど、女性たちを全裸にして外を歩かせて、男性の盾代わりとして利用するなど、ロクなグループではありません。
しかもサワダは、人間の肉を食べます。
どう考えたってまともじゃない。
また、このグループでは、サワダが他のメンバーとリーダーを交代することはありません。

グループAは「合議制の村」ですが、グループBは「サワダの独裁王国」であると言えます。

グループAもグループBも、元々は自殺未遂者たちなのに、どうしてこんなに差がついたのでしょうか。

それはきっと、人間は集団になると必ずリーダーを必要とし、そのリーダーに良くも悪くも影響されてしまうから。

この「自殺島」へ送られたことでお互いに協力し合い、果物を採集し、海で魚を獲り、動物を狩り、獲物を捌き、火を起こし、畑を耕し…、と努力を重ねているのは共通しているのですが、リーダーによって随分生き方に差が出てしまうのは、人の業というものでしょう。

グループAのメンバーたちだって、もしサワダがリーダーになっていたらサワダに洗脳されていたかもしれませんし、グループBのメンバーたちだって、もしセイたちがリーダーになっていたら、グループAの振る舞いを非難して女性たちを救い出そうとしていたかもしれません。

現実世界においても、「誰を自分たちのリーダーにするか」について、よく考えないといけません。

また、もし「自分がリーダーになる」なら、自分はグループAとグループBどちらを目指したいのか、また、全く違うタイプのグループCを目指したいのか、ビジョンをしっかり持っていなければなりません。

でなければ、設計図無しでめちゃくちゃな家を建てたみたいに、グループはいつか必ず崩壊します。
おかげさまで現実でもゲームの中でも図書館通いが出来ます
おかげさまで現実でもゲームの中でも図書館通いが出来ます
おかげさまで現実でもゲームの中でも図書館通いが出来ます
以前もこのブログに書いた通り、かねてからわたしはゲーム『アーシャのアトリエ ~黄昏の大地の錬金術士~』に登場する超巨大図書館『弐番館』に行きたくてウズウズしています。
(以前の記事はこちら→https://20756.diarynote.jp/201811201747175286/

しかし、残念ながら弐番館はあくまでも架空の図書館。

実際には行けません。

悔しい〜!

弐番館の蔵書は何といっても8000万冊以上!

あんな本とかこんな本とかありそうなのに!

しかもわたしが『アーシャのアトリエ ~黄昏の大地の錬金術士~』のデータを入れていたPS3が寿命で壊れてしまったため、美少女錬金術師アーシャちゃんの身を借りて弐番館に本の貸出及び返却に行くのも、もはや不可能!

わたしは「マインクラフトで弐番館を自力で作ろうかな。でも、図書館ってどうやったら建てられるんだろう?」とひとり言をいいました。

すると、ちょうど夏休みで遊びに来ていたわたしの甥っ子(小1)が、「図書館の作り方を教えてあげるから一緒に作ろう! 僕、もうすぐ帰らないといけないから、凝ったのは作れないけど、石のレンガで作れる簡単な図書館だったら30分くらいで作れるよ!」と快く協力してくれました。

甥っ子とわたしで分担しながら、床、壁、窓、階段、屋根、本棚、本棚に付ける看板(「作品名「あ〜お」等)、照明、貸出と返却のカウンターを作っていくと、甥っ子の宣言通り30分で、3階建の図書館が完成しました!

また、甥っ子は「1階から3階まで本を持って移動するのは、図書館を利用する人も司書さんも大変だろうから、エレベーターも作っておくね」と、あっという間にエレベーターも作ってくれましたし、「絵本の読み聞かせに必要でしょ」とわざわざ本棚付きキッズスペースまで作ってくれました。

図書館の入り口にわたしが「私立図書館」と看板を建てたら、甥っ子が「図書館ってみんなのための物なんだから、私立図書館じゃなくて市民図書館って名前にしたら?」と提案してくれたのにもビックリ!

甥っ子よ、君、本当に小1かい?

配慮が行き届いているので、おばちゃんは君が顧客のニーズを瞬時に掴むベテラン敏腕営業マンに見えてきたよ…。

図書館の建て方を教えてもらったので、これからはコツコツ自力で弐番館を建てるつもりですが、甥っ子と一緒に楽しく建てたこの図書館のデータはいつまでも大切に残しておくつもりです。
今夜の『金曜ロードSHOW!』は『千と千尋の神隠し』でした。

わたしは公開当時に映画館で2回観て、Blu-rayもよく再生しているのに、地上波で放送されるとまた観ています。

今夜も最後まで観て、心地よい余韻に浸っていたら、友達からLINEがきました。

「エンディングが切られてたね! 楽しみに観てたのに、ノーカットじゃないなんてがっかり」

と。

「切られてたかな? 最後まで放送された気がするけど」

と返信すると、

「千尋がハクと別れた後、両親と一緒に引越し先の家まで着いて、引越し業者の人とやり取りしたり、銭婆から貰った髪留めのことで親と話すシーンがあったでしょ。新しい家の近くに小さな川が流れてて、千尋がハクのことを思い出して終わり、だった」

と友達からすぐ返信が。

「え、そんなシーンあった?」

と尋ねると、

「絶対あった! 何度もテレビで観た!」

と友達は断言。

うーん…、ありましたっけ?

少なくともわたしは一度も観た覚えが無いのですが…。

そもそも宮崎駿監督は、「もっと続きが観たい」と思わせるところで敢えて作品を終わらせて、余韻を残したり、観客に想像の余地を持たせる方だとわたしは思うので、もしそのエンディングが本当にあるなら、宮崎駿監督らしくないような気がします。

気になって他の友達にも聞いてみると、

「引越し業者なんて出てきた?」

「そんなエンディングはそもそも作って無いって公式が否定してたはず」

「映画館でそのエンディングを観たよ! え、観たこと無い人いるの?」

「前に地上波で放送した時もそのエンディングやってたじゃん」

と意見はバラバラ。

うーん、友達が嘘をついているとは思えないし、思いたくないし…。

何なのでしょう、この意見の食い違いは?

ネットを検索してみると、「幻のエンディングを観たことがある人」の主張も、「幻のエンディングを観たことが無い人」の主張も、悪気があって嘘をついているのではなく、本気で自分が正しいと思っていることが伝わってきます。

うーん。

となると、

・幻のエンディングが存在するパラレルワールド

・幻のエンディングが存在しないパラレルワールド

が何かの理由でくっ付いてしまって、それぞれのパラレルワールドの住人が「あった」「無かった」と主張しているのかもしれません!

もし幻のエンディングが本当にあるなら、ほぼ間違いなくYouTubeに動画が違法アップロードされるか、或いはスクリーンショットがどこかに掲載されると思いますが、それらが見当たらず、「観た」と主張する根拠が言葉のみで動画や画像による証拠が無いことを踏まれると、

・幻のエンディングが存在するパラレルワールドの一部の人が神隠しにあい、幻のエンディングが存在しないパラレルワールドに来てしまい、絶対にあったはずのものが無くて混乱している

という説もあり得そうな気がします。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6332785

もう誰も核兵器の加害者にも被害者にもならないためにはどうしたら良いのだろう?

と毎年特にこの時期に考えさせられます。

「他の人が銃を持っているから、自分も自衛のために銃を持とう」という考え方と、核保有国の考え方は似ている気がします。

けれど、自衛のために銃を持っているのだとしても、第三者から「あいつは銃で俺を撃つかもしれないから先に撃ってやろう」と撃ち殺される人もいます。

核兵器もそうなりそうで恐ろしいです。

かつて日本で想像を絶するほど多くの人たちが命を奪われたのだから、せめて日本は核兵器を持たない国であり続けて欲しいです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190807-00000013-jct-soci

何度読み直しても意味が分からないニュース。

最初読んだ時、全く頭に入らず、2回、3回読んでもやっぱり理解不能。

なぜ中国企業が「羽生結弦」を商標登録申請しようとしているのか。

これまでは商標登録を試みた中国企業が「拒否、却下または無効」になっていたのに、なぜ今回は「現在審査中」なのか。(今回も却下されますように!)

羽生選手を勝手に利用してお金儲けをする思惑があるのだということは頭では把握出来るのですが、「お金のためなら良心は痛まないの?」と呆れるやら悲しいやら腹が立つやら。

「厚顔無恥」という四字熟語が即座に頭に浮かんだけれど、たった四文字だけではこのモヤモヤをうまく言い表すことが出来ません。

せめて「人名は本人以外による登録申請自体不可」にしたら良いのに…。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00050126-yom-soci

8月6日と8月9日は、沢山の罪無き一般市民たちが命を奪われた日です。

生き残った人たちやその家族が、被曝の後遺症やいわれなき差別に苦しむことになった日でもあります。

亡くなっていった人たちがどんなに苦しくて、痛くて、熱くて、怖くて、苦しくて、無念だっただろうか…と想像すると耐え難いものがあるけれど、今を生きる人たちにとっても、全然「他人事」では無いし、「過去のこと」でも無いんですよね。

もしかしたら今自分が居る場所にあと5分したら核爆弾が投下されるかもしれないという可能性は常にあるし、もしかしたら5分も猶予は無いのかも。

この世にはまだ核兵器があるのだから。

広島や長崎でこんなに酷いことが起きたのに…。

世界平和を祈ります。

もう誰も殺したり殺されない世の中になりますように。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190730-00000293-nnn-soci

寂しいです。

ただただ寂しいです。

今夜はお通夜だと思って、ディープインパクトのこれまでの映像を沢山観ようと思います。

翔ぶように走る馬だから、天国でも楽しく翔んだり、駆け回ったり、のんびり好きなことをして欲しいです。

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