監督・・・ピーター・スペリエッグ、マイケル・スペリエッグ 『アンデッド』
2006年10月19日 映画 コメント (2)
B級映画の面白さ、ここにあり!
「何じゃこりゃ!」な笑いを保証します。
地球は突如、地球外の何かに侵略されました。隕石は節操なく降ってくるし雨は全て酸性雨。空気も汚染され、選ばれた生き物は空へ吸い上げられます。死んだ人はゾンビとなり、生きている人を食べます。
ヒーローは・・・何だか冴えない感じのおじさん。終末思想の持ち主。救世主を自称。三又戟のような形の銃がお気に入り。もみ上げと繋がっているあごヒゲやまん丸の目が可愛い。普段は動作がの〜んびり。でもむちゃ強いです! 何あの身体能力!? 町一番の変わり者という設定とはいえジャンプして回転して逆さ体勢のまま銃を発射。しかも百発百中。「ウワァ〜」と言いながら起き上がってきたゾンビに頭突き。またゾンビが起き上がってくると頭突き。頭突き。ゾンビたちを車で轢き、フロントガラスが血まみれになって前が見えずこりゃ困ったこれじゃ逃げられん、という時にサッとワイパーを動かしたり・・・笑いどころ満載です。飛び掛ってくる魚ゾンビにはグーでパンチ! パンチ! 銃でバキュン。
(監督はB級パニックアクションを作りたかったんじゃない。こりゃコメディだ)とワタクシは早いうちに確信致しました。痛みが治まっているとはいえ既に陣痛が始まっている妊婦が階段を駆け上がったり、ゾンビがコミカルにブルブル震えたり、胴体から下しかないのに動いているゾンビの脊髄をやたら強調したり、監督の趣味全開です。四の五の考察は要りません。監督の趣味です。
生き残りは前述のヒーローとミスコン優勝者のヒロインと、妊娠中の元ミスコン優勝者とその夫と、ビビリな中年男性警察官とその部下で怖すぎて銃を撃てない若手女性警察官。町に閉じ込められたことが判明した上、敵はゾンビだけだと思っていたのに真の敵はエイリアンだとわかり、ヒーロー以外は大混乱。酸性雨がまた降ってきました。濡れた服を着たままだと火傷するのでみんな服を脱ぎだしました。みんな下着姿に。・・・なんとヒーローは、ただ1人だけ全裸になりました。その後彼は無人になった町のお店へ行って、新しい服を調達しましたが。・・・全裸の時に酸性雨降ってきたら大変じゃありませんか?
ヒロインがゾンビの頭にスコップを垂直に刺し、ゾンビがスコップが天井にひっかかって前に進めなくなるのも面白いです。ヒロインがゾンビを一掃した時にオーストラリアの国旗が映し出されるのもセンスありますね(この映画はオーストラリアの映画です)。
今ならGyaOでこの映画を観ることができるので興味のある方は是非(11/16(木)正午まで)。超低予算、スタッフも少ない(監督も製作も脚本も音楽もVFXも2人だけでやっている)中で作ったとは思えない出来栄えです。CGは自宅パソコンで作ったとか。
特にラストは絶品。
ブラックユーモアが好きな方、特に映画『ダークシティ』が好きな方におすすめ。
ミスコン優勝者にはこんな仕事が待ってい・・・る?
「何じゃこりゃ!」な笑いを保証します。
地球は突如、地球外の何かに侵略されました。隕石は節操なく降ってくるし雨は全て酸性雨。空気も汚染され、選ばれた生き物は空へ吸い上げられます。死んだ人はゾンビとなり、生きている人を食べます。
ヒーローは・・・何だか冴えない感じのおじさん。終末思想の持ち主。救世主を自称。三又戟のような形の銃がお気に入り。もみ上げと繋がっているあごヒゲやまん丸の目が可愛い。普段は動作がの〜んびり。でもむちゃ強いです! 何あの身体能力!? 町一番の変わり者という設定とはいえジャンプして回転して逆さ体勢のまま銃を発射。しかも百発百中。「ウワァ〜」と言いながら起き上がってきたゾンビに頭突き。またゾンビが起き上がってくると頭突き。頭突き。ゾンビたちを車で轢き、フロントガラスが血まみれになって前が見えずこりゃ困ったこれじゃ逃げられん、という時にサッとワイパーを動かしたり・・・笑いどころ満載です。飛び掛ってくる魚ゾンビにはグーでパンチ! パンチ! 銃でバキュン。
(監督はB級パニックアクションを作りたかったんじゃない。こりゃコメディだ)とワタクシは早いうちに確信致しました。痛みが治まっているとはいえ既に陣痛が始まっている妊婦が階段を駆け上がったり、ゾンビがコミカルにブルブル震えたり、胴体から下しかないのに動いているゾンビの脊髄をやたら強調したり、監督の趣味全開です。四の五の考察は要りません。監督の趣味です。
生き残りは前述のヒーローとミスコン優勝者のヒロインと、妊娠中の元ミスコン優勝者とその夫と、ビビリな中年男性警察官とその部下で怖すぎて銃を撃てない若手女性警察官。町に閉じ込められたことが判明した上、敵はゾンビだけだと思っていたのに真の敵はエイリアンだとわかり、ヒーロー以外は大混乱。酸性雨がまた降ってきました。濡れた服を着たままだと火傷するのでみんな服を脱ぎだしました。みんな下着姿に。・・・なんとヒーローは、ただ1人だけ全裸になりました。その後彼は無人になった町のお店へ行って、新しい服を調達しましたが。・・・全裸の時に酸性雨降ってきたら大変じゃありませんか?
ヒロインがゾンビの頭にスコップを垂直に刺し、ゾンビがスコップが天井にひっかかって前に進めなくなるのも面白いです。ヒロインがゾンビを一掃した時にオーストラリアの国旗が映し出されるのもセンスありますね(この映画はオーストラリアの映画です)。
今ならGyaOでこの映画を観ることができるので興味のある方は是非(11/16(木)正午まで)。超低予算、スタッフも少ない(監督も製作も脚本も音楽もVFXも2人だけでやっている)中で作ったとは思えない出来栄えです。CGは自宅パソコンで作ったとか。
特にラストは絶品。
ブラックユーモアが好きな方、特に映画『ダークシティ』が好きな方におすすめ。
ミスコン優勝者にはこんな仕事が待ってい・・・る?
スティーブン・シャインバーグ監督 「セクレタリー」
2006年10月4日 映画
*注*15歳未満の方はこの記事を読まないでください。
スケベでもエッチでもエロでもありません。偏愛且つ純愛映画です。開始から1分しないうちにわたしは「この映画を絶対に好きになる」と確信しました。
華やかな母、華やかな姉を持ちながら容姿に恵まれなかったリー。彼女は自分に自信がなく、うつむいてばかり。いつも猫背。男性経験も就職経験もゼロ。小学7年生から自傷行為を繰り返していて、家族に自傷しているところを見つかり精神病院に入院。退院後、社会復帰するため就職先を探していた時、グレイ法律事務所の「秘書募集」の広告を見つけます。
面接の結果は、見事採用! 秘書。その言葉の響きに彼女はうっとり。グレイ弁護士に貧乏ゆすりやだらしない服装や鼻をすする癖や声の小ささなどを注意されながら、彼女は仕事を覚えていきます。仕事をしていく中で彼女はグレイ弁護士も苦しみを抱えている男性なのだということに気づきます。他人にはわかってもらえない苦しみを同じように抱える者同士の親近感。自傷について親身になってくれる彼に、彼女は恋をするようになります。彼に「もう自傷はしないと誓ってくれ」と言われ、彼女はその日から自傷しなくなりました。
しかし他のことは改善されても彼女のタイピングのミスは直りません。最初のうちはミスしたところに赤ペンで印をつけ「やり直せ」と言っていた彼でしたが、彼女のミスは直らない。とうとう彼は・・・彼女がミスする度に・・・お尻ぺんぺんの罰を与えるようになるのです。
彼女は大変なショックを受けます。しかし! 自傷したい気持ちをしばらく抑えていた彼女です。お尻が痛いけれど、何と! 喜びに震えるようになります。サドとマゾが出逢ったのです。運命的な出逢いですね。(^−^)b
手枷を嵌められたまま書類を口に咥えて運んできて、彼に渡す。これはお尻ぺんぺんが始まる前のことですが、「書類をゴミと一緒に捨ててしまったから探してくれ」と言われればゴミ箱の中に入ることだって彼女はへっちゃら。へっちゃらどころか充実した表情をしています。人参を咥えさせられて檻の中に入れられるのもオールオッケー。食事を極端に少なく制限されるのも彼女は大変喜びました。
彼だって彼女が好き。しかし2人が1つになるのを阻むのは雇い主と使用人の関係だけではありません。グレイ弁護士は弁護士という社会的な職業に就いていながらも社会と隔絶して生きている人。禁欲的な生活を自らに課し、室内で趣味の菌栽培をし室内で体を鍛え室内で仕事をする人。表情もほとんど変わらない。笑っていても笑うのは口元だけ。目は微かに優しくなるだけ(この辺が非常にセクシーですが)。大声をあげて笑うということと完全に無縁の人です。心を開かせるのは容易ではありません。それは彼女だってよくわかっています。けれど彼をたまらなく好きで好きでたまらなくて、ある日彼に想いを打ち明けます。結果は、解雇。「2度とわたしの前に現れないでくれ」と彼は言い放つのです。
彼女は幼なじみとエッチすることで彼への想いを断ち切ろうとします。彼以外の男性が与える痛みによって。幼なじみと婚約までしました。けれど断ち切ることは出来ませんでした。深く深くグレイ弁護士を愛しているから。
ウェディングドレスを着た彼女は走ります。彼の弁護士事務所へ。新しい秘書がいるけれどそんなの気になりません。彼の部屋へ駆け込み、再び想いを伝えます。「わたしを愛していると言うのならわたしが戻るまでここを動くな」と言って彼は部屋を出て行きます。
そして彼女は。従いました。動きませんでした。椅子に座り机に手を置いた体勢のまま全く動きません。幼なじみにそこから引き剥がされても全力で抵抗し、元の体勢に戻ります。トイレにも行かず。当然失禁し放題。不眠不休。彼女の目は輝いています。耐え抜けば、耐え抜けば、きっと彼に想いが届くと信じて。野次馬も集まってきます。食事は家族が届けてくれました。そして3日が経過。
結末はあなたの目と耳で確かめてくださいませ。
彼女が父親と和解したり過保護な母親から自立していく姿も、この映画の見所です。
観終わった時、わたしは猛烈に感動していました。
スケベでもエッチでもエロでもありません。偏愛且つ純愛映画です。開始から1分しないうちにわたしは「この映画を絶対に好きになる」と確信しました。
華やかな母、華やかな姉を持ちながら容姿に恵まれなかったリー。彼女は自分に自信がなく、うつむいてばかり。いつも猫背。男性経験も就職経験もゼロ。小学7年生から自傷行為を繰り返していて、家族に自傷しているところを見つかり精神病院に入院。退院後、社会復帰するため就職先を探していた時、グレイ法律事務所の「秘書募集」の広告を見つけます。
面接の結果は、見事採用! 秘書。その言葉の響きに彼女はうっとり。グレイ弁護士に貧乏ゆすりやだらしない服装や鼻をすする癖や声の小ささなどを注意されながら、彼女は仕事を覚えていきます。仕事をしていく中で彼女はグレイ弁護士も苦しみを抱えている男性なのだということに気づきます。他人にはわかってもらえない苦しみを同じように抱える者同士の親近感。自傷について親身になってくれる彼に、彼女は恋をするようになります。彼に「もう自傷はしないと誓ってくれ」と言われ、彼女はその日から自傷しなくなりました。
しかし他のことは改善されても彼女のタイピングのミスは直りません。最初のうちはミスしたところに赤ペンで印をつけ「やり直せ」と言っていた彼でしたが、彼女のミスは直らない。とうとう彼は・・・彼女がミスする度に・・・お尻ぺんぺんの罰を与えるようになるのです。
彼女は大変なショックを受けます。しかし! 自傷したい気持ちをしばらく抑えていた彼女です。お尻が痛いけれど、何と! 喜びに震えるようになります。サドとマゾが出逢ったのです。運命的な出逢いですね。(^−^)b
手枷を嵌められたまま書類を口に咥えて運んできて、彼に渡す。これはお尻ぺんぺんが始まる前のことですが、「書類をゴミと一緒に捨ててしまったから探してくれ」と言われればゴミ箱の中に入ることだって彼女はへっちゃら。へっちゃらどころか充実した表情をしています。人参を咥えさせられて檻の中に入れられるのもオールオッケー。食事を極端に少なく制限されるのも彼女は大変喜びました。
彼だって彼女が好き。しかし2人が1つになるのを阻むのは雇い主と使用人の関係だけではありません。グレイ弁護士は弁護士という社会的な職業に就いていながらも社会と隔絶して生きている人。禁欲的な生活を自らに課し、室内で趣味の菌栽培をし室内で体を鍛え室内で仕事をする人。表情もほとんど変わらない。笑っていても笑うのは口元だけ。目は微かに優しくなるだけ(この辺が非常にセクシーですが)。大声をあげて笑うということと完全に無縁の人です。心を開かせるのは容易ではありません。それは彼女だってよくわかっています。けれど彼をたまらなく好きで好きでたまらなくて、ある日彼に想いを打ち明けます。結果は、解雇。「2度とわたしの前に現れないでくれ」と彼は言い放つのです。
彼女は幼なじみとエッチすることで彼への想いを断ち切ろうとします。彼以外の男性が与える痛みによって。幼なじみと婚約までしました。けれど断ち切ることは出来ませんでした。深く深くグレイ弁護士を愛しているから。
ウェディングドレスを着た彼女は走ります。彼の弁護士事務所へ。新しい秘書がいるけれどそんなの気になりません。彼の部屋へ駆け込み、再び想いを伝えます。「わたしを愛していると言うのならわたしが戻るまでここを動くな」と言って彼は部屋を出て行きます。
そして彼女は。従いました。動きませんでした。椅子に座り机に手を置いた体勢のまま全く動きません。幼なじみにそこから引き剥がされても全力で抵抗し、元の体勢に戻ります。トイレにも行かず。当然失禁し放題。不眠不休。彼女の目は輝いています。耐え抜けば、耐え抜けば、きっと彼に想いが届くと信じて。野次馬も集まってきます。食事は家族が届けてくれました。そして3日が経過。
結末はあなたの目と耳で確かめてくださいませ。
彼女が父親と和解したり過保護な母親から自立していく姿も、この映画の見所です。
観終わった時、わたしは猛烈に感動していました。
監修・・・大塚康生 『ルパン三世 風魔一族の陰謀』
2006年9月5日 映画 コメント (2)
五右衛門が結婚! しかも純愛w 雨宿り中に出逢う2人。18歳くらいにしか見えない、年下の女の子。五右衛門、手編みの可愛いマフラーを貰います☆ やがて結婚。婿養子。石川五右衛門の名は絶えてしまうけれど拙者幸せ者でござる。けれどあと少しで結婚が成立するという時に邪魔が入ってしまいます。
風魔一族の陰謀は五右衛門の結婚を阻止することですか? いいえ違います。五右衛門の結婚相手、紫(むらさき)ちゃんのお家に代々伝わる壷を奪い、隠された財宝を手に入れることです。五右衛門は頑張りましたが壷を奪われてしまいます。ルパンに頼ることは出来ません、自分自身の問題ですしルパンが財宝を盗んでしまうかもしれないからです。五右衛門は奮闘します。可愛い紫ちゃんは「五右衛門さまw」と言って後をついてきます。ルパンも次元も羨ましがります。
さて不二子ちゃんは? 不二子ちゃん、痒がっています。ライダース姿です。敵のアジトに囚われて、縛られて、見張りの人に背中が痒いから掻いてと言っています。くねくねしながら。ルパン三世アニメ放送第1話を彷彿とさせるシーン。これだけでも見る価値あり! 近づいてきた見張りの人、死んじゃうんじゃないかと思うほどの強烈な一撃をくらいます。不二子ちゃんはいつだって不二子ちゃんなのです。
この映画ではアニメ版とは全く違う声優陣が採用されています。この役はこの声優さんじゃないと嫌だ、と意地を張らないで聞いてみると、どの方もかなりはまっています。何と銭形警部の声は『巨人の星』の星一徹を演じた加藤精三さん。五右衛門役は塩沢兼人さんなんですよ〜! 影を感じさせる声が五右衛門にぴったり。
全体として内容は完全に子ども向けで、難しい心理描写などはありません。そのため大人には少し退屈かもしれませんが、洞窟内に仕掛けられた罠を巧みにかわしたり、現実ではあり得ない屋内でのカーチェイスなど見所は満載です。
風魔一族の陰謀は五右衛門の結婚を阻止することですか? いいえ違います。五右衛門の結婚相手、紫(むらさき)ちゃんのお家に代々伝わる壷を奪い、隠された財宝を手に入れることです。五右衛門は頑張りましたが壷を奪われてしまいます。ルパンに頼ることは出来ません、自分自身の問題ですしルパンが財宝を盗んでしまうかもしれないからです。五右衛門は奮闘します。可愛い紫ちゃんは「五右衛門さまw」と言って後をついてきます。ルパンも次元も羨ましがります。
さて不二子ちゃんは? 不二子ちゃん、痒がっています。ライダース姿です。敵のアジトに囚われて、縛られて、見張りの人に背中が痒いから掻いてと言っています。くねくねしながら。ルパン三世アニメ放送第1話を彷彿とさせるシーン。これだけでも見る価値あり! 近づいてきた見張りの人、死んじゃうんじゃないかと思うほどの強烈な一撃をくらいます。不二子ちゃんはいつだって不二子ちゃんなのです。
この映画ではアニメ版とは全く違う声優陣が採用されています。この役はこの声優さんじゃないと嫌だ、と意地を張らないで聞いてみると、どの方もかなりはまっています。何と銭形警部の声は『巨人の星』の星一徹を演じた加藤精三さん。五右衛門役は塩沢兼人さんなんですよ〜! 影を感じさせる声が五右衛門にぴったり。
全体として内容は完全に子ども向けで、難しい心理描写などはありません。そのため大人には少し退屈かもしれませんが、洞窟内に仕掛けられた罠を巧みにかわしたり、現実ではあり得ない屋内でのカーチェイスなど見所は満載です。
ピーター・ウィアー監督 『トゥルーマン・ショー』
2006年8月31日 映画
エデンの園を出たアダムも、こんな気持ちだったのかもしれない。与えられた世界は確かに居心地が良い。けれど、それだけだ。
トゥルーマンにとってシルヴィアはイヴ。彼女は別の世界があると教えてくれた。神様はシルヴィアを追放し「この世界こそ真実だ」と彼に語るけれど、彼は出て行く。知らない世界。神様のいない世界。けれど怖くはない。その世界にはシルヴィアがいるから。
『The Truman Show』はまさにTrue man showだ。
トゥルーマンは生まれてからずっと閉じられた世界で生きてきた。テレビ番組の中で。彼の姿は24時間放送されている。けれどそのことを彼は知らない。彼が暮らす家、働く会社、卒業した大学、いつも行く店、それらは全てセットだ。父親も母親も妻も友人も同僚も店の店員も、決められたセリフを喋っている。彼はそのことを知らなかった。その世界を信じていた。シルヴィアが現れるまでは。
この映画の怖いところは、観ているこちらまで神様の視点になりそうになるところだ。トゥルーマンは与えられた世界を出て行く。その時、わたしは嬉しいが寂しいと思った。なぜだ。これはハッピーエンドなのに。出て行って欲しくないと思った。
もしもエデンを出るアダムとイヴの背中を神様が見つめていたとしたら、神様はこんな思いを感じていたのかもしれない。閉じ込めることも出してやることもできなかった寂しさを。今までは、2人がそこに居たいと願っていたからこそ2人をそこに置けたのだ。2人が出たいと願うなら神様はそれを止められない。愛しているから。さよならと言うことも出来ず神様は2人の背中を見つめているのだ。いつまでも。
トゥルーマンのその後は描かれていない。シルヴィアは彼の傍にいるだろうが彼はこの世界に悲しみ、苦しむことになるだろう。この世界へ来たことを後悔することもあるだろう。だが大丈夫だ。映画の外のアダムとイヴだって、悲しみ、苦しみながらも、ちゃんと生きているのだから。
さよなら神様。ごめんなさい。ありがとう。
トゥルーマンにとってシルヴィアはイヴ。彼女は別の世界があると教えてくれた。神様はシルヴィアを追放し「この世界こそ真実だ」と彼に語るけれど、彼は出て行く。知らない世界。神様のいない世界。けれど怖くはない。その世界にはシルヴィアがいるから。
『The Truman Show』はまさにTrue man showだ。
トゥルーマンは生まれてからずっと閉じられた世界で生きてきた。テレビ番組の中で。彼の姿は24時間放送されている。けれどそのことを彼は知らない。彼が暮らす家、働く会社、卒業した大学、いつも行く店、それらは全てセットだ。父親も母親も妻も友人も同僚も店の店員も、決められたセリフを喋っている。彼はそのことを知らなかった。その世界を信じていた。シルヴィアが現れるまでは。
この映画の怖いところは、観ているこちらまで神様の視点になりそうになるところだ。トゥルーマンは与えられた世界を出て行く。その時、わたしは嬉しいが寂しいと思った。なぜだ。これはハッピーエンドなのに。出て行って欲しくないと思った。
もしもエデンを出るアダムとイヴの背中を神様が見つめていたとしたら、神様はこんな思いを感じていたのかもしれない。閉じ込めることも出してやることもできなかった寂しさを。今までは、2人がそこに居たいと願っていたからこそ2人をそこに置けたのだ。2人が出たいと願うなら神様はそれを止められない。愛しているから。さよならと言うことも出来ず神様は2人の背中を見つめているのだ。いつまでも。
トゥルーマンのその後は描かれていない。シルヴィアは彼の傍にいるだろうが彼はこの世界に悲しみ、苦しむことになるだろう。この世界へ来たことを後悔することもあるだろう。だが大丈夫だ。映画の外のアダムとイヴだって、悲しみ、苦しみながらも、ちゃんと生きているのだから。
さよなら神様。ごめんなさい。ありがとう。
ドン・マンシーニ監督 『チャイルド・プレイ チャッキーの種』
2006年8月1日 映画
お馬鹿映画かと思いきや、アイデンティティの問題に迫っています。
主人公は前作で誕生したチャッキーとティファニーの子ども。この子も人形です。前作で2人が死亡したため親子は離れ離れになっていたのですが、子どもが2人の魂を人形の中に復活させたため感動の親子初対面となりました。自分に子どもがいると知ってチャッキーがひっくり返るのが面白いです。ティファニーはすぐに子どもを抱きしめるのですけれど。ティファニーは「親になった以上殺しをやめるわ」と誓います。結局は衝動に負けて殺してしまうのですが、殺さないよう彼女なりに我慢しますし殺した後は後悔します。しかしチャッキーは殺人鬼で在ることをやめようとせず殺しを楽しみます。この違いが結末に関係します。
父親であるチャッキーは男の子を望み子どもを「グレン」と呼び、母親であるティファニーは女の子を望み子どもを「グレンダ」と呼びます。子どもの性は2つに引き裂かれてしまいました。両親が口汚く喧嘩したり人を殺しているところを目の当たりにし、両親に「パパには(or)ママには秘密だよ」と秘密の共有を迫られるなどして、子どもは不自然にパチパチ瞬きするようになります。明らかにチック症です。チャッキーとティファニーは人間の体に乗り移るため準備を始めます。自分たちのために大人の男女を用意、子どものためには赤ちゃんの男女を用意しました。両親に「男か女か選びなさい」と言われ、子どもはパニックに陥ります。自分は何なのか。人形? 人間? 自分は誰なのか。グレン? グレンダ? 自分は男なのか女なのか? 子どもが選択したのは引き裂かれたままであること。自分を2つにして、2人の赤ん坊の中に入っていったのです。男の赤ん坊はとても優しい子に成長しましたが、女の赤ん坊は人を傷つけたり物を奪う子に成長しました。
1〜3作目はホラー。前作である4作目はコメディ(スプラッタコメディとでも名づけましょう)。だから今作もコメディかと思いきや意外に社会風刺的な映画です。わたしはこの映画によって、もしも自分がいつか親になったら子どもに物事を強要せずありのままの子どもを受け入れる親になりたいと切に願うようになりました。
蛇足の扱いになってしまいますが、ジェニファー・ティリーの演技がすごいです! 本人役を熱演。「尻軽のイメージを裏切ったら仕事をほされるの」というセリフには実感がこもっているように感じました。
アイデンティティ・・・。まさか『チャイルド・プレイ』シリーズを観てアイデンティティについて考えることになるとは!
主人公は前作で誕生したチャッキーとティファニーの子ども。この子も人形です。前作で2人が死亡したため親子は離れ離れになっていたのですが、子どもが2人の魂を人形の中に復活させたため感動の親子初対面となりました。自分に子どもがいると知ってチャッキーがひっくり返るのが面白いです。ティファニーはすぐに子どもを抱きしめるのですけれど。ティファニーは「親になった以上殺しをやめるわ」と誓います。結局は衝動に負けて殺してしまうのですが、殺さないよう彼女なりに我慢しますし殺した後は後悔します。しかしチャッキーは殺人鬼で在ることをやめようとせず殺しを楽しみます。この違いが結末に関係します。
父親であるチャッキーは男の子を望み子どもを「グレン」と呼び、母親であるティファニーは女の子を望み子どもを「グレンダ」と呼びます。子どもの性は2つに引き裂かれてしまいました。両親が口汚く喧嘩したり人を殺しているところを目の当たりにし、両親に「パパには(or)ママには秘密だよ」と秘密の共有を迫られるなどして、子どもは不自然にパチパチ瞬きするようになります。明らかにチック症です。チャッキーとティファニーは人間の体に乗り移るため準備を始めます。自分たちのために大人の男女を用意、子どものためには赤ちゃんの男女を用意しました。両親に「男か女か選びなさい」と言われ、子どもはパニックに陥ります。自分は何なのか。人形? 人間? 自分は誰なのか。グレン? グレンダ? 自分は男なのか女なのか? 子どもが選択したのは引き裂かれたままであること。自分を2つにして、2人の赤ん坊の中に入っていったのです。男の赤ん坊はとても優しい子に成長しましたが、女の赤ん坊は人を傷つけたり物を奪う子に成長しました。
1〜3作目はホラー。前作である4作目はコメディ(スプラッタコメディとでも名づけましょう)。だから今作もコメディかと思いきや意外に社会風刺的な映画です。わたしはこの映画によって、もしも自分がいつか親になったら子どもに物事を強要せずありのままの子どもを受け入れる親になりたいと切に願うようになりました。
蛇足の扱いになってしまいますが、ジェニファー・ティリーの演技がすごいです! 本人役を熱演。「尻軽のイメージを裏切ったら仕事をほされるの」というセリフには実感がこもっているように感じました。
アイデンティティ・・・。まさか『チャイルド・プレイ』シリーズを観てアイデンティティについて考えることになるとは!
『バットマン リターンズ』のペンギンについての考察
2006年7月25日 映画
クリスマスの日に捨てられた赤ん坊。赤ん坊は下水道を流れていき、だが死ななかった。赤ん坊はやがてペンギンと呼ばれることになる。ゴッサムシティのゴミが行き着くところで彼は生きていた。
白すぎる肌、隈で縁取られた瞳、くちばしのように長く大きく伸びた鼻、黒い汁を出す口、脂ぎった縮れ髪と、低い身長、胴体だけが異様に太ったその姿。水かきのように、中指と薬指と小指とがくっついている手。気性は利己的で凶暴。
怪物である。人間でありながら怪物である。だが彼の悲劇は、彼が怪物でありながら人間であったことにある。彼は自分がなぜ捨てられたのか、自分の本名は何なのか、何よりも両親を知りたいと願った。だからゴッサムシティへ現れる。シルクハットを被り、産着の上にネクタイを締め、ステッキの代わりにパラソルを持って。
彼は自分の本名を知る。オズワルド・コブルポット。両親が彼にくれた名前である。同時に彼は両親の名を知り、両親の死も知った。愛して欲しいひと、怒りと悲しみをぶつけたいひとはもうこの世にはいない。彼は自分の居場所をゴッサムシティに見出そうとする。ペンギンではなくオズワルド・コブルポットとして生きようとする。だが、駄目だった。怪物は怪物だからである。
ティム・バートン監督は他の映画でも奇形の者を描いている。ペンギンと同じく手が奇形の男。『シザーハンズ』のエドワードである。エドワードの手はハサミであった。エドワードもペンギンも最初は人々に受け入れられるが、最後には追われるという運命を持つ。だがエドワードとペンギンには圧倒的な違いがある。エドワードの手はハサミ。触れるだけで人を傷つける。ペンギンの手は水かき。触れることで人を傷つけはしない。だがペンギンは人を傷つけた。エドワードの心が最後まで人への愛でいっぱいだったのに対し、ペンギンは最期に「殺してやる」と言ってバタリと倒れるのである。
アヒルの乗り物。おもちゃのパラソル。もしかしたら彼の持ち物の全てはゴミとして流れてきたものだったのかもしれない。彼自身もそうだったように。そして彼の死体もまた、下水道を流れていく。
ペンギンは悪役だが、滑稽で、哀れで、魅力的でもある。崩壊しているが安定しているのだ。このようなキャラクターを演じることができるダニー・デビートも、描くことができるティム・バートン監督もまた、「人間でありながら怪物、怪物でありながら人間」という存在なのかもしれない。
白すぎる肌、隈で縁取られた瞳、くちばしのように長く大きく伸びた鼻、黒い汁を出す口、脂ぎった縮れ髪と、低い身長、胴体だけが異様に太ったその姿。水かきのように、中指と薬指と小指とがくっついている手。気性は利己的で凶暴。
怪物である。人間でありながら怪物である。だが彼の悲劇は、彼が怪物でありながら人間であったことにある。彼は自分がなぜ捨てられたのか、自分の本名は何なのか、何よりも両親を知りたいと願った。だからゴッサムシティへ現れる。シルクハットを被り、産着の上にネクタイを締め、ステッキの代わりにパラソルを持って。
彼は自分の本名を知る。オズワルド・コブルポット。両親が彼にくれた名前である。同時に彼は両親の名を知り、両親の死も知った。愛して欲しいひと、怒りと悲しみをぶつけたいひとはもうこの世にはいない。彼は自分の居場所をゴッサムシティに見出そうとする。ペンギンではなくオズワルド・コブルポットとして生きようとする。だが、駄目だった。怪物は怪物だからである。
ティム・バートン監督は他の映画でも奇形の者を描いている。ペンギンと同じく手が奇形の男。『シザーハンズ』のエドワードである。エドワードの手はハサミであった。エドワードもペンギンも最初は人々に受け入れられるが、最後には追われるという運命を持つ。だがエドワードとペンギンには圧倒的な違いがある。エドワードの手はハサミ。触れるだけで人を傷つける。ペンギンの手は水かき。触れることで人を傷つけはしない。だがペンギンは人を傷つけた。エドワードの心が最後まで人への愛でいっぱいだったのに対し、ペンギンは最期に「殺してやる」と言ってバタリと倒れるのである。
アヒルの乗り物。おもちゃのパラソル。もしかしたら彼の持ち物の全てはゴミとして流れてきたものだったのかもしれない。彼自身もそうだったように。そして彼の死体もまた、下水道を流れていく。
ペンギンは悪役だが、滑稽で、哀れで、魅力的でもある。崩壊しているが安定しているのだ。このようなキャラクターを演じることができるダニー・デビートも、描くことができるティム・バートン監督もまた、「人間でありながら怪物、怪物でありながら人間」という存在なのかもしれない。
昔見た、タイトルのわからない映画
2006年7月6日 映画 時々思い出す映画があります。
タイトルがわかりません。
全体のストーリーも思い出せません。
でも印象的なシーンがあるので、そこだけは覚えているのです。
洋画です。
相当古い映画だと思われます。
男の人が、太陽と月が住むところに行きます。
多分雲の上とかです。
なぜ、どうやって行くのかは覚えていないのですが、とにかく行きます。
太陽と月は夫婦です。太陽が夫で月が妻です。
太陽は男の人を帰そうとしません。
月は気の毒に思います。
月は太陽がいない時を見計らい、自分の体をベッドに置いて、顔だけは家?の外におります(体がばらばらになるんですね〜)。
月は男の人を逃がすため自分の髪を地上へと垂らし、男の人はその髪を伝って下りていきます。
しかし途中で太陽が家?に帰ってきて、ベッドの中の月が体だけということに気づき猛烈に怒ります。
男の人、ピンチ!
・・・で、多分男の人は助かったんだと思いますが、結末が気になって仕方がありません。検索しようとしてもいかんせん覚えている部分が少なくて探せません。タイトルや結末をご存知の方いらっしゃいませんか?
映画ではなく海外ドラマなのかも??
タイトルがわかりません。
全体のストーリーも思い出せません。
でも印象的なシーンがあるので、そこだけは覚えているのです。
洋画です。
相当古い映画だと思われます。
男の人が、太陽と月が住むところに行きます。
多分雲の上とかです。
なぜ、どうやって行くのかは覚えていないのですが、とにかく行きます。
太陽と月は夫婦です。太陽が夫で月が妻です。
太陽は男の人を帰そうとしません。
月は気の毒に思います。
月は太陽がいない時を見計らい、自分の体をベッドに置いて、顔だけは家?の外におります(体がばらばらになるんですね〜)。
月は男の人を逃がすため自分の髪を地上へと垂らし、男の人はその髪を伝って下りていきます。
しかし途中で太陽が家?に帰ってきて、ベッドの中の月が体だけということに気づき猛烈に怒ります。
男の人、ピンチ!
・・・で、多分男の人は助かったんだと思いますが、結末が気になって仕方がありません。検索しようとしてもいかんせん覚えている部分が少なくて探せません。タイトルや結末をご存知の方いらっしゃいませんか?
映画ではなく海外ドラマなのかも??
監督・・・ベン・シャープスティーン、ハミルトン・ラスク 『ピノキオ』
2006年6月20日 映画
ゼペットじいさんのお店のあたたかそうなこと! 色鮮やかなおもちゃや時計がいっぱいで、暖炉はオレンジ色に光っている。なんだか奇跡が起こりそうな予感!
わたしはジミニー・クリケットが好きです。ぴょ〜んぴょ〜んと飛んでピノキオを追いかけるけれど、大抵報われない。でもめげずに追いかけ続けます。ピノキオがいつか本当の子どもになれるように。
遊んでばかりの子どもがロバに変えられてしまうなど、残酷さもあるこの映画。子どもの頃見ても怖かったですが今も怖いです。ストロンボリもコーチマンも怪物に見える。でも、この映画の色の輝き。フィガロ。クレオ。美人な女神様もいます(笑)。最後のジミニーのあの得意そうな顔! そして流れる「星に願いを」のメロディー。いいわあ。
昔から「オネスト・ジョンとギデオンはどうして人間じゃないんだろう?」と不思議だったのですが、今気づきました。あの二人は本当の子どもになれなかったんだろうな・・・。
わたしはジミニー・クリケットが好きです。ぴょ〜んぴょ〜んと飛んでピノキオを追いかけるけれど、大抵報われない。でもめげずに追いかけ続けます。ピノキオがいつか本当の子どもになれるように。
遊んでばかりの子どもがロバに変えられてしまうなど、残酷さもあるこの映画。子どもの頃見ても怖かったですが今も怖いです。ストロンボリもコーチマンも怪物に見える。でも、この映画の色の輝き。フィガロ。クレオ。美人な女神様もいます(笑)。最後のジミニーのあの得意そうな顔! そして流れる「星に願いを」のメロディー。いいわあ。
昔から「オネスト・ジョンとギデオンはどうして人間じゃないんだろう?」と不思議だったのですが、今気づきました。あの二人は本当の子どもになれなかったんだろうな・・・。
堤幸彦 監督 『トリック 新作スペシャル』
2006年6月17日 映画 コメント (2)
ウニャニュペェィギュゥリュ星人。ああ、何て言いにくい名前でしょう。
橋爪功橋、いや功爪橋。
TRICKのゆる〜い世界が好きです。
阿部寛さんも仲間由紀恵さんもお二人とも美形なのに、コミカルな役がとてもはまっている。
仲間さん演じる奇術師の奈緒子はウニャニュペェイギュゥリュ星人といつでもどこでも一緒。手を動かしたり腹話術に使ったりして、彼女はご機嫌。まるでお人形を抱えている女の子のような愛らしさ・・・抱えているのは宇宙人ですが。大事にしてくれた奈緒子に、ウニャニュペイギュゥリュ星人はお別れの時ウインクをします☆
安部さん演じる上田は自分でトリックを解いているように見せかけつつ実際は奈緒子にトリックを解いてもらっている物理学者。上田は橋幸夫橋、いや幸夫橋で何者かに後頭部を殴打され三拓谷川に転落するも、まず金平糖を食べ「ファイト100ぱーつ!」と叫んだ後生還を果たしました。
二人が事件の真相を想像する際、その映像の右下に「イメージ映像」と表示されるのも、犯人とおぼしき人物の顔にモザイクがかかっているのも芸が細かい。
ハハハではなくフッフッフと笑わせてくれる作品です。
橋爪功橋、いや功爪橋。
TRICKのゆる〜い世界が好きです。
阿部寛さんも仲間由紀恵さんもお二人とも美形なのに、コミカルな役がとてもはまっている。
仲間さん演じる奇術師の奈緒子はウニャニュペェイギュゥリュ星人といつでもどこでも一緒。手を動かしたり腹話術に使ったりして、彼女はご機嫌。まるでお人形を抱えている女の子のような愛らしさ・・・抱えているのは宇宙人ですが。大事にしてくれた奈緒子に、ウニャニュペイギュゥリュ星人はお別れの時ウインクをします☆
安部さん演じる上田は自分でトリックを解いているように見せかけつつ実際は奈緒子にトリックを解いてもらっている物理学者。上田は橋幸夫橋、いや幸夫橋で何者かに後頭部を殴打され三拓谷川に転落するも、まず金平糖を食べ「ファイト100ぱーつ!」と叫んだ後生還を果たしました。
二人が事件の真相を想像する際、その映像の右下に「イメージ映像」と表示されるのも、犯人とおぼしき人物の顔にモザイクがかかっているのも芸が細かい。
ハハハではなくフッフッフと笑わせてくれる作品です。
松子を好きになった人の一生
2006年5月30日 映画 今日は『嫌われ松子の一生』を観ました。
本当に「一生」でした。川尻松子には一生分の感情と想いが詰まっていました。滞りながら爆発しながら、失くさずに持ち続けていました。松子は登場人物でも主人公でもなく、人間でした。嬉しい時も悲しい時も夢を見て、歌っている。
わたしはすっかり松子を好きになり、観ている間ずっと泣いていました。人は一人だけれど独りではないということを誰かに伝えるのは難しいです。自分で信じるのも難しいです。でも、この映画にはそれを信じさせるパワーがありました。
頭ではなく心で作られた映画を久しぶりに観ることができ嬉しいです。映像と音楽もとってもおしゃれで、壮絶なストーリーにも関わらず観ていて辛くならなかったです。作品中で使われた歌、覚えて歌いたいです。
本当に「一生」でした。川尻松子には一生分の感情と想いが詰まっていました。滞りながら爆発しながら、失くさずに持ち続けていました。松子は登場人物でも主人公でもなく、人間でした。嬉しい時も悲しい時も夢を見て、歌っている。
わたしはすっかり松子を好きになり、観ている間ずっと泣いていました。人は一人だけれど独りではないということを誰かに伝えるのは難しいです。自分で信じるのも難しいです。でも、この映画にはそれを信じさせるパワーがありました。
頭ではなく心で作られた映画を久しぶりに観ることができ嬉しいです。映像と音楽もとってもおしゃれで、壮絶なストーリーにも関わらず観ていて辛くならなかったです。作品中で使われた歌、覚えて歌いたいです。
ジェームズ・キャメロン監督 「タイタニック」
2006年5月8日 映画
ラストのあの美しい光景が現実となったと知り涙が溢れました。タイタニック号の最後の米国人生存者が亡くなったそうです。もしかしたらその方の魂は今頃タイタニック号へ向かっているのかもしれません。他の乗客や当時亡くなった家族に会っているのかもしれません。
救命ボートに背を向けジャックを救いに行くローズに、この映画の公開当時恋も愛もわからぬお子ちゃまだったわたしは大変なショックを受けたものです。救命ボートに乗った後も彼女はジャンプして船へ戻って彼を抱きしめる。彼は彼で彼女を救命ボートに乗せるために嘘をついたり、自分の死を悟った時「決して諦めるな」と彼女に言っている。そして彼女はその言葉によって彼の手を放し生きることができた。何十年もの時が経って、あれは夢なのでしょうかそれとも、二人は再会する。他の乗客たちに祝福されながら。あのラストシーンを観ると心が震えます。
冷たい海の底に秘められたもの。
しかし本当に着目すべきはこの二人以外の乗客、いえ、この二人も含めた乗客たち。陸でも繰り広げられている人生のドラマが、タイタニック号という舞台で葛藤し合っているのですから。
救命ボートに背を向けジャックを救いに行くローズに、この映画の公開当時恋も愛もわからぬお子ちゃまだったわたしは大変なショックを受けたものです。救命ボートに乗った後も彼女はジャンプして船へ戻って彼を抱きしめる。彼は彼で彼女を救命ボートに乗せるために嘘をついたり、自分の死を悟った時「決して諦めるな」と彼女に言っている。そして彼女はその言葉によって彼の手を放し生きることができた。何十年もの時が経って、あれは夢なのでしょうかそれとも、二人は再会する。他の乗客たちに祝福されながら。あのラストシーンを観ると心が震えます。
冷たい海の底に秘められたもの。
しかし本当に着目すべきはこの二人以外の乗客、いえ、この二人も含めた乗客たち。陸でも繰り広げられている人生のドラマが、タイタニック号という舞台で葛藤し合っているのですから。
カーク・ワイズ監督 「ノートルダムの鐘」
2006年4月7日 映画
カジモドはあなた自身でもある。「お前はここから出ることはできない」とフロローに教え込まれ、?聖域?の中に20年も閉じ込められている。だがカジモドを閉じこめているのはフロローではなく自分自身。カジモドは大聖堂に住みながらも人間は平等ではないことを知っている。だが町を見下ろして人間の何たるかを知り、自分以外の人間も醜いと考えることはなかった。自分一人が醜いのだと信じて閉じこもってしまっている。お祭りの様子を見て、お祭りに行きたいと思いながらも。自分を傷つけるものはフロローしかいない大聖堂の中が自分にとって一番快適な場所だと思い込んでいる。
カジモドはある年の祭りの日に自分の力で大聖堂を出て行く。醜い彼はすぐに笑いものにされ恐れられ傷つくが、だがそこで彼はエスメラルダに出逢う。フィーバスに出逢う。外に出る限り人に評価されることは避けられない、だがそれで全ての人が彼を嫌うとは限らない。自分以外の人間が他の全ての人間に好かれているかと言ったら決してそうではないように。エスメラルダは美しく奔放だがジプシーという身の上から役人に嫌われる。フィーバスも美しく勇敢だが兵隊という身の上から人々に嫌われる。そして彼が絶対の存在であると信じていたフロローは兵隊にも人々にも嫌われている。
この映画は壮大な?解放?の物語である。だがカジモドは誰かによって救われたのではない、自分の足で大聖堂を出て行くことによって自分を救ったのだ。これを読んでいるあなたにも、カジモドに鐘を撞くという仕事があったように、自分の存在を自分を知らない誰かに届ける力があるはず。外に出てみればいい。やってみれば簡単なことだ。カジモドはフロローと対決するが、超えられない存在だと思い込んでいたのに闘ってみればフロローより自分の方が強かったのだ。あなたもあなたにとってのフロローを、超えることができるかもしれない。
カジモドはある年の祭りの日に自分の力で大聖堂を出て行く。醜い彼はすぐに笑いものにされ恐れられ傷つくが、だがそこで彼はエスメラルダに出逢う。フィーバスに出逢う。外に出る限り人に評価されることは避けられない、だがそれで全ての人が彼を嫌うとは限らない。自分以外の人間が他の全ての人間に好かれているかと言ったら決してそうではないように。エスメラルダは美しく奔放だがジプシーという身の上から役人に嫌われる。フィーバスも美しく勇敢だが兵隊という身の上から人々に嫌われる。そして彼が絶対の存在であると信じていたフロローは兵隊にも人々にも嫌われている。
この映画は壮大な?解放?の物語である。だがカジモドは誰かによって救われたのではない、自分の足で大聖堂を出て行くことによって自分を救ったのだ。これを読んでいるあなたにも、カジモドに鐘を撞くという仕事があったように、自分の存在を自分を知らない誰かに届ける力があるはず。外に出てみればいい。やってみれば簡単なことだ。カジモドはフロローと対決するが、超えられない存在だと思い込んでいたのに闘ってみればフロローより自分の方が強かったのだ。あなたもあなたにとってのフロローを、超えることができるかもしれない。
ロバート・スティーブンソン監督 「メリーポピンズ」
2006年3月21日 映画 コメント (5)
強い風が吹き始めたその瞬間、ついつい傘を広げてしまいたくなる。メリーゴーラウンドに乗る度「これからきっとこの馬は外れるに違いない」とわくわくしてしまう。階段だって誰かが見ていなければ手すりに乗って降りてしまう。掃除を始める前にはまず、指をパチン☆ そんな魔法をかけてくれる映画です。
時報がもたらされる数秒前には定位置につかないと家具が移動する日常。揺れながら鏡を見る英国紳士。大人になった今観ても楽しいです。音楽も心を明るくしてくれます♪
時報がもたらされる数秒前には定位置につかないと家具が移動する日常。揺れながら鏡を見る英国紳士。大人になった今観ても楽しいです。音楽も心を明るくしてくれます♪
堀川とんこう監督 「千年の恋 ひかる源氏物語」
2006年2月16日 映画 コメント (3)
吉永小百合さんが紫式部を演じていらっしゃいます。十二単と長い黒髪、仕草のどれをとっても優雅なり。語る姿も宣孝や道長への想いもいじらしい。
紫式部の夫・宣孝とその従兄弟である藤原道長役に渡辺謙さん。この方の素晴らしいところはその人間として存在できるところ。宣孝が身ぐるみはがされてお尻を出して死んでいるのを見てわたしは笑ってしまったのですけど、まさか渡辺謙さんだったとは。道長を誰が演じているのかも、全く気づかず。キャストロールを見て拍手しました。
また、色が何とも美しい。
しかしこの映画、わたしは好きになりきれませんでした。サブタイトルに「光源氏の恋」とあるからには光源氏が主役なのだろうと思いきや、どうやら紫式部の心模様を描きたかったらしいのですけど、それにしては源氏物語の場面が多い。そして夕顔が登場しないなど(それらしい女性は出てくるのですが、あの花は夕顔ではないのでは)、盛り上がりに欠けている。光源氏役の天海祐希さんの凛とした美しさに許そうかと思いましたが、松田聖子さんが突如現れてカメラ目線で歌いだし、ワイヤーで飛んでしまうのにはびっくり。せめて誰か源氏の恋人役で出てきてくれれば救いようがあったのですが、妖精という設定らしく、屋根の上や炎の中で歌っていたりして、もう諦めました。明石の上が光源氏と海で泳ぐのも興ざめ。明石の上の嗜みは何処に? 「パロディだ」と言われればそれまでですが、これはちょっと、いえ、大分ひどい。
源氏物語ファンとしては軽々しさを感じてしまう出来でしたが、ただ、紫の上役の常盤貴子さんが明石の上の娘を愛そうと決めた時の笑みには救われたような気が致します。そして源内侍が岸田今日子さんだったのには笑いました(笑)。道長が自分を満月にたとえるシーンにもにやり。わたしも道長さんに「ぞっこんじゃ」と言われたい〜w
紫式部の夫・宣孝とその従兄弟である藤原道長役に渡辺謙さん。この方の素晴らしいところはその人間として存在できるところ。宣孝が身ぐるみはがされてお尻を出して死んでいるのを見てわたしは笑ってしまったのですけど、まさか渡辺謙さんだったとは。道長を誰が演じているのかも、全く気づかず。キャストロールを見て拍手しました。
また、色が何とも美しい。
しかしこの映画、わたしは好きになりきれませんでした。サブタイトルに「光源氏の恋」とあるからには光源氏が主役なのだろうと思いきや、どうやら紫式部の心模様を描きたかったらしいのですけど、それにしては源氏物語の場面が多い。そして夕顔が登場しないなど(それらしい女性は出てくるのですが、あの花は夕顔ではないのでは)、盛り上がりに欠けている。光源氏役の天海祐希さんの凛とした美しさに許そうかと思いましたが、松田聖子さんが突如現れてカメラ目線で歌いだし、ワイヤーで飛んでしまうのにはびっくり。せめて誰か源氏の恋人役で出てきてくれれば救いようがあったのですが、妖精という設定らしく、屋根の上や炎の中で歌っていたりして、もう諦めました。明石の上が光源氏と海で泳ぐのも興ざめ。明石の上の嗜みは何処に? 「パロディだ」と言われればそれまでですが、これはちょっと、いえ、大分ひどい。
源氏物語ファンとしては軽々しさを感じてしまう出来でしたが、ただ、紫の上役の常盤貴子さんが明石の上の娘を愛そうと決めた時の笑みには救われたような気が致します。そして源内侍が岸田今日子さんだったのには笑いました(笑)。道長が自分を満月にたとえるシーンにもにやり。わたしも道長さんに「ぞっこんじゃ」と言われたい〜w
ブライアン・ヘンソン監督 「ビーンストーク ジャックと豆の木」
2006年2月11日 映画
海外ドラマ。
オープニングは「昔々・・・」で始め、劇中では「おとぎ話が本当におとぎ話とは限らない」と語り、エンディングは「二人は末永く幸せに暮らしました」で締める。
この作品はただ単純にジャックと豆の木という「おとぎ話」を描いたわけではありません。
このドラマの主人公・ジャックは現代に生きる男性。しかしジャックは400年前に先祖が犯した罪(金の卵を産むガチョウとハープを盗み、巨人を殺した)の責任を問われて、雲の上の世界の人々に死刑を求刑されます。400年前の事件で巨人を失い正常なバランスを保てなくなった雲の上の世界は荒廃してしまっています。雲の上の世界の人々はこう考えます、ジャックには子供がおらず両親もいない、だから彼一人を犠牲にすればいい・・・と。雲の上の世界の人々は、ジャックが死ねば世界のバランスは元に戻ると考えているのです。
これって今の環境問題にも言えるのではないでしょうか。子孫自身が望む望まないに関わらず、先祖のツケを払わされる。命すらも脅かされる。「自分さえ良ければいい」(=今、自分が生きているうちに生命が滅びなければそれでいい)という意識が子孫にどんな被害をもたらすか。なかなか考えさせられます。
<備考>
平穏だった頃の雲の上の世界がお世辞にも美しくないことと、オーディンなど名だたる神々が登場するのにほとんどがただ登場しただけだったことなど不満な点は多々ありますが(女神さまがニューハーフっぽかったのが何とも悲しい・・・きっと地獄には美形な女悪魔がいるに違いない!☆)、海外ドラマの実力を感じました。
オープニングは「昔々・・・」で始め、劇中では「おとぎ話が本当におとぎ話とは限らない」と語り、エンディングは「二人は末永く幸せに暮らしました」で締める。
この作品はただ単純にジャックと豆の木という「おとぎ話」を描いたわけではありません。
このドラマの主人公・ジャックは現代に生きる男性。しかしジャックは400年前に先祖が犯した罪(金の卵を産むガチョウとハープを盗み、巨人を殺した)の責任を問われて、雲の上の世界の人々に死刑を求刑されます。400年前の事件で巨人を失い正常なバランスを保てなくなった雲の上の世界は荒廃してしまっています。雲の上の世界の人々はこう考えます、ジャックには子供がおらず両親もいない、だから彼一人を犠牲にすればいい・・・と。雲の上の世界の人々は、ジャックが死ねば世界のバランスは元に戻ると考えているのです。
これって今の環境問題にも言えるのではないでしょうか。子孫自身が望む望まないに関わらず、先祖のツケを払わされる。命すらも脅かされる。「自分さえ良ければいい」(=今、自分が生きているうちに生命が滅びなければそれでいい)という意識が子孫にどんな被害をもたらすか。なかなか考えさせられます。
<備考>
平穏だった頃の雲の上の世界がお世辞にも美しくないことと、オーディンなど名だたる神々が登場するのにほとんどがただ登場しただけだったことなど不満な点は多々ありますが(女神さまがニューハーフっぽかったのが何とも悲しい・・・きっと地獄には美形な女悪魔がいるに違いない!☆)、海外ドラマの実力を感じました。
ヤン・シュヴァンクマイエルの作品が気になる
2006年2月8日 映画 とある本屋さんに数年前からあるDVD。
「ファウスト」。
まるでわたしが買うのを待っているかのように、いつ見に行っても、ある。
http://columbia.jp/dvd/titles/artanime/yan.html
↑持っているだけで呪われそうな、悪魔呼んじゃいそうな、そんな作品。人間と、人形と、クレイアニメ。道化と悪魔。本当に魂をとられてしまう結末。現実と非現実とが交錯しているのですって。やめて〜(><)
こういう悪趣味なの苦手なのになぜか作品に呼ばれてしまう。
どうせなら「ファウスト」じゃなくて「アリス」に呼んで欲しかった。
・・・今日お店を見て、まだあったら買うと思います。
煮るなり焼くなり好きにしとくれ。でも来るなら絶対美形の悪魔がいいの(爆)。
---------------
お店に行ったらありませんでした。
売れたのか、或いは撤去されたのか(汗)。
でもまだ、呼ばれている気がする。
不思議〜。
タワーレコードに「アリス」があるようなので明日買いに行ってみます。
「ファウスト」。
まるでわたしが買うのを待っているかのように、いつ見に行っても、ある。
http://columbia.jp/dvd/titles/artanime/yan.html
↑持っているだけで呪われそうな、悪魔呼んじゃいそうな、そんな作品。人間と、人形と、クレイアニメ。道化と悪魔。本当に魂をとられてしまう結末。現実と非現実とが交錯しているのですって。やめて〜(><)
こういう悪趣味なの苦手なのになぜか作品に呼ばれてしまう。
どうせなら「ファウスト」じゃなくて「アリス」に呼んで欲しかった。
・・・今日お店を見て、まだあったら買うと思います。
煮るなり焼くなり好きにしとくれ。でも来るなら絶対美形の悪魔がいいの(爆)。
---------------
お店に行ったらありませんでした。
売れたのか、或いは撤去されたのか(汗)。
でもまだ、呼ばれている気がする。
不思議〜。
タワーレコードに「アリス」があるようなので明日買いに行ってみます。
ロニー・ユー監督 「チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁」
2006年2月6日 映画
これを観てからというもの、わたくしはある衝動に駆られます。
「Hi, I’m Chucky…Wanna play ?」
偉そうに言っているチャッキーの髪の毛をつかんで洗濯機に投げ込んでみたいと!「Ohaaaaaaa!」と叫びながら回るチャッキー。バックには中島みゆきの「時代」が流れて。ティファニーと紅茶を飲むわたくし。なんてね。
雑貨屋さんで明らかに売れ残って、しかも首を吊られているチャッキー人形を見る度に笑ってしまう。店員さん、彼をや(殺)ったのですか?(笑)
さて作品についてですが、はっきり言ってこれはギャグです。ホラーじゃない。チャッキーシリーズでまともに怖いのは2作目まで。これは・・・下ネタが平気で、「パルプ・フィクション」で笑える人向きですね。ちなみに冒頭のネタは、ティファニーがレンジでチンされるのを観て思いつきました。1作目の面影はいずこへ。
「Hi, I’m Chucky…Wanna play ?」
偉そうに言っているチャッキーの髪の毛をつかんで洗濯機に投げ込んでみたいと!「Ohaaaaaaa!」と叫びながら回るチャッキー。バックには中島みゆきの「時代」が流れて。ティファニーと紅茶を飲むわたくし。なんてね。
雑貨屋さんで明らかに売れ残って、しかも首を吊られているチャッキー人形を見る度に笑ってしまう。店員さん、彼をや(殺)ったのですか?(笑)
さて作品についてですが、はっきり言ってこれはギャグです。ホラーじゃない。チャッキーシリーズでまともに怖いのは2作目まで。これは・・・下ネタが平気で、「パルプ・フィクション」で笑える人向きですね。ちなみに冒頭のネタは、ティファニーがレンジでチンされるのを観て思いつきました。1作目の面影はいずこへ。
ラース・ブチェル監督 「ヤンババ! ばばぁ強盗団がやって来る!」
2006年2月1日 映画
いつか年を取って死ぬのも悪くない、そう思わせてくれる映画。
年を取ったといっても恋もするし目指すは男たちにかしずかれてのクルージングよ!な3人のおばあちゃんたちの物語。
全く誰がこんな邦題つけたんでしょ? コメディではないです。かと言ってまじめでもない。おばあちゃんたち、万引きでクルージング費用を貯めているし(笑)。その費用を強盗に奪われてしまうのだけれど、その後に「なら、わたしたちも強盗をするわ!」と発想するのがすごい。銀行強盗に強盗の仕方を習いに行く行動力にも拍手。前半はおばあちゃんたちのパワーに圧倒されます。でも後半では、もうすぐ人生を終える彼女たちの、最後まで親友と一緒に居られる喜びが伝わってきて心に沁みます。演じている女優さんたち自身もおばあちゃんなので、セリフの一つ一つ、表情一つ一つに真実を感じます。彼女たち自身は若い男が好みなのだけれど、やっぱり恋する相手はおじいちゃんたち。おじいちゃんたちの恋人を見つめる瞳には、若者のそれとは違う熱があります。慈しみ、最後の恋、どれも言い得ているようで違うかもしれないけれど。
風が吹いていく、花が海面に浮かぶ、ラストがとても好き。
社会福祉を勉強していく中でこの映画に出会えたことをとても幸運に思います。
年を取ったといっても恋もするし目指すは男たちにかしずかれてのクルージングよ!な3人のおばあちゃんたちの物語。
全く誰がこんな邦題つけたんでしょ? コメディではないです。かと言ってまじめでもない。おばあちゃんたち、万引きでクルージング費用を貯めているし(笑)。その費用を強盗に奪われてしまうのだけれど、その後に「なら、わたしたちも強盗をするわ!」と発想するのがすごい。銀行強盗に強盗の仕方を習いに行く行動力にも拍手。前半はおばあちゃんたちのパワーに圧倒されます。でも後半では、もうすぐ人生を終える彼女たちの、最後まで親友と一緒に居られる喜びが伝わってきて心に沁みます。演じている女優さんたち自身もおばあちゃんなので、セリフの一つ一つ、表情一つ一つに真実を感じます。彼女たち自身は若い男が好みなのだけれど、やっぱり恋する相手はおじいちゃんたち。おじいちゃんたちの恋人を見つめる瞳には、若者のそれとは違う熱があります。慈しみ、最後の恋、どれも言い得ているようで違うかもしれないけれど。
風が吹いていく、花が海面に浮かぶ、ラストがとても好き。
社会福祉を勉強していく中でこの映画に出会えたことをとても幸運に思います。
ブレイク・エドワーズ監督 「ピンクの豹」
2006年1月18日 映画
いつ観てもクルーゾー警部が気の毒な映画(笑)。オープニングはもちろんあの曲で、ピンクパンサーが楽しそうに動き回っている。女優さんはみんな美人で音楽も素敵(本編が始まってすぐマンドリンを使った音楽が流れて、これから始まる物語にわくわくしました)、品の良いコメディですね。怪盗ファントムと王女様の恋もロマンティック。
しかし特筆すべきはやはりクルーゾー警部! まあ、よくこけること。美人の奥さんにいいように扱われても、愛する妻を敬い慕い従います。ベッドに入ってさあこれからと言う時「電灯を消して」「寒いから毛布を取ってきて」「温かいミルクが飲みたいわ」などじらされっぱなし。10年前に結婚したのに子どもがいないのはこのせいか!? 怪盗ファントムを捕まえに奮闘するけれど空振りもいいとこ。火傷もするし缶から手は抜けなくなるし、実は妻の浮気相手でもあるファントムにお気に入りのコートを盗まれてしまうし妻も盗まれてしまうし(笑)。更にラストで彼が受けた辛苦には涙誘われます。このせいで「クルーゾー警部を幸せにして!」と続編が作られたのでしょうか。幸せになってないけど。ドジで美人にめっぽう弱いクルーゾー警部は、これからも不朽の名作の主人公として生き続けるのでございました♪
しかし特筆すべきはやはりクルーゾー警部! まあ、よくこけること。美人の奥さんにいいように扱われても、愛する妻を敬い慕い従います。ベッドに入ってさあこれからと言う時「電灯を消して」「寒いから毛布を取ってきて」「温かいミルクが飲みたいわ」などじらされっぱなし。10年前に結婚したのに子どもがいないのはこのせいか!? 怪盗ファントムを捕まえに奮闘するけれど空振りもいいとこ。火傷もするし缶から手は抜けなくなるし、実は妻の浮気相手でもあるファントムにお気に入りのコートを盗まれてしまうし妻も盗まれてしまうし(笑)。更にラストで彼が受けた辛苦には涙誘われます。このせいで「クルーゾー警部を幸せにして!」と続編が作られたのでしょうか。幸せになってないけど。ドジで美人にめっぽう弱いクルーゾー警部は、これからも不朽の名作の主人公として生き続けるのでございました♪
二階健監督 「下弦の月 ラスト・クォーター」
2006年1月4日 映画
幻想的。夜に観たい映画です。
原作の漫画ではモノローグが効果的に使われていたので、これを映画でどう表現するのかと思っていたのですが、観てみるとかなり練りこんで作ったのだなということがうかがえました。
原作にあったギャグテイストをなくしたことで、より物語はシリアスに。美月も今時の女子高生から、少し清楚な女子大生にチェンジ。そして美月が「Last quarter」の記憶を持っているという設定に。絵描きのおじさんを登場させたことによって、この映画が現実と幻想のはざまを描いているのだということが伝わってきました。ラストの美月の笑みによって、月と人間たちの結びつきも表現されていたように思います。観ているうち、もしかしたらアダムも生前、さやかのことをイヴと呼んでいたかもしれない、と感じました。
しかし気になったのがアダムの描き方。美月を連れ去りたいという衝動や葛藤が感じられない。原作で美月が柵の向こうの世界を「全てを見渡せる、そんな世界」と言っていることから、アダムは彼女がついて来ないということをわかっていて、それでも会いに来たのかもしれないと解釈するのは可能だけれど。生前からあまり感情を歌以外には示さない人だったのだろうけれど。そもそも死人なのだから生きている人とは違うのだろうけれど。衝動や葛藤を見せて欲しかったなぁ。残念。
そのせいで、この映画はとっても映像が綺麗なのに、うすっぺらい印象になってしまったのかもしれない。これじゃhydeのPVです。
原作を読んでから月を見上げるようになったけれど、これからもきっとそう。19歳の誕生日、わたしは夜空を見つめます。月が、生まれた時にくれたたくさんのメッセージを、もう一度聴かせてくれるでしょうから。
原作の漫画ではモノローグが効果的に使われていたので、これを映画でどう表現するのかと思っていたのですが、観てみるとかなり練りこんで作ったのだなということがうかがえました。
原作にあったギャグテイストをなくしたことで、より物語はシリアスに。美月も今時の女子高生から、少し清楚な女子大生にチェンジ。そして美月が「Last quarter」の記憶を持っているという設定に。絵描きのおじさんを登場させたことによって、この映画が現実と幻想のはざまを描いているのだということが伝わってきました。ラストの美月の笑みによって、月と人間たちの結びつきも表現されていたように思います。観ているうち、もしかしたらアダムも生前、さやかのことをイヴと呼んでいたかもしれない、と感じました。
しかし気になったのがアダムの描き方。美月を連れ去りたいという衝動や葛藤が感じられない。原作で美月が柵の向こうの世界を「全てを見渡せる、そんな世界」と言っていることから、アダムは彼女がついて来ないということをわかっていて、それでも会いに来たのかもしれないと解釈するのは可能だけれど。生前からあまり感情を歌以外には示さない人だったのだろうけれど。そもそも死人なのだから生きている人とは違うのだろうけれど。衝動や葛藤を見せて欲しかったなぁ。残念。
そのせいで、この映画はとっても映像が綺麗なのに、うすっぺらい印象になってしまったのかもしれない。これじゃhydeのPVです。
原作を読んでから月を見上げるようになったけれど、これからもきっとそう。19歳の誕生日、わたしは夜空を見つめます。月が、生まれた時にくれたたくさんのメッセージを、もう一度聴かせてくれるでしょうから。