むかしむかしあるところに、
 心のきれいな怪物が、お城にひとりぼっちで住んでいました。
 怪物は姿かたちは人間ですが、手はハサミでした。
 ひとりぼっちの怪物は、ある日人間の世界に入っていきます。
 やがて彼は人間の少女に恋をしました。
 けれど彼は少女を抱きしめることは出来ません。
 傷つけてしまうから。
 彼は氷を削って天使の像を作り、その舞い散る氷の屑の中で少女は踊ります。
 そのハサミをうまくさけて、腕の中へ。
 彼はほんのつかの間、大切な人を抱きしめることができました。
 けれど人々は彼が怪物であることを思い出し、叫び出します。
 少女の機転で救われたけれど、またお城の中にひとりぼっち。
 ずっとずっとひとりぼっち。
 かつての少女はおばあさんになり、孫娘にお話をします。
 初めて会った時、びっくりして悲鳴をあげてしまったこと、彼の愛に、戸惑いながらも惹かれていったこと。みんなの目には見えなくとも、自分にはちゃんと見えていたこと。今もきっと彼はあのお城で、自分を忘れないでいてくれているだろうこと。
 心のきれいな怪物のお話。

 なぜ彼は手だけが人と違ったのでしょう。誰よりやさしい、きれいな心を持ちながら。
 ティム・バートン監督ならではの、暗く繊細でどこか歪んだ世界の中に、きらきら輝きながら舞い散る氷の屑たち。悲しくも美しいおとぎ話を思わせます。
 いつか、少女の孫娘が彼に会いに行けば良いのに、と願わずにはいられません。
 いつか、悲しい雪が止まって、
 最後には幸せなものに変わりますように。
 異彩を放つサイコホラーの傑作。
 美しい蝶を標本にするのを病的に愛好する銀行員の男が、ある日高額の宝クジに当選する。男は郊外に屋敷を買い、街で女を拉致する。女は監禁される。その行動は監視されている。入浴も食事も常に男の影がある。しかし男は女に何もしない。ただ「見ているだけでいい」と言う。女は必死で逃げようとする。屋敷を訪れた訪問者に自分が監禁されていることを知らせようと風呂の水を溢れさせたり、「太陽の光にあたりたい」と外に出してもらって逃げようとしたり、男を誘惑して同情を乞うたり。だが男は変わらない。長い時が経過し、女は病気になるが、医者にも診せてもらえずに、死んでしまう。二人目の「蝶」を求める男は再び街へ行き、新たな女をさらう・・・・・・。
 恐怖というより戦慄を覚えたい方に。初めてこの作品を観た時、主演のテレンス・スタンプの素とさえ思えるきめ細かい演技に悲鳴をあげそうになりました。しかしただのホラーではないのです。人間の狂気と他人を理解しようとしないことの寂しさ、悲しさも描かれているのです。
 またご覧でない方は是非。
 1のみ観ました。
 マカオで実際に起こった事件を元にした、有名なグロ系スプラッタ映画。内容は、店主が従業員やその家族たちを次々に殺害し、解体し、ミンチ状にし、肉まんにして客に出すというもの。 自分を調べに来た警官たちにも、お土産としてタダで何箱か持たせています。肉まんの肉が何の肉か知らない警官たちは、美味しい美味しいと食べてしまいます。
 見どころはやはり、店主役のアンソニー・ウォン(黄秋生)の鬼気迫る演技。もはや演技には見えない。刑務所内で自殺すべく、手首をトバン板に押し付けてギッギッ(!)と擦っているシーンには悲鳴をあげそうになりました。
 わたしは大丈夫でしたが、大概の方は食後に観た方が良いと思われます。また、食後でも吐きやすい方にはお奨めしません。更に言いますが決して一般の方にはお奨めしません、泣き叫ぶ子どもたちを一人一人殺害するシーンなどもありますので。あくまで特殊な趣味をお持ちの方にのみお奨めです・・・特殊な趣味をお持ちの方にお奨めしていいのか謎ですが(爆)。 まぁ、店主はカッとなって無計画に殺人を繰り返しているだけなので(だけ、と言ったら不謹慎ですが)、「セブン」のような怖さはありません。ストレートな内容です。
 わたしの場合、むしろ殺害シーンよりも、警察が被害者の弟と店主を同じところに置いて、リンチするように仕向けたり、全く眠らせず自白を引き出そうとしたりといった、警察側の残酷さに目を瞠りました。当時の中国警察がよくとった方法だとのこと。それにしても肉まんを食べた警官たち、気の毒だったなぁ。^^; そして肉まんの肉が何の肉だったか告げた店主の時の表情、満足げで恐ろしい。

 とにかく、わたしには「饅頭」と名のつくもの全てが「人肉饅頭」の表記に見えるという後遺症が残ったことを、ここに明記させていただきます。・・・トホホ。
 純粋な愛を持ち続けることの難しさを感じさせる映画です。「死が二人を別つまで」と誓っても、長く過ごしてゆくほどに恋の熱さも痛みも消えて、それでも恋の時代の甘えは残る。「いつもわたし(僕)を愛して」「いつもわたし(僕)を理解して」「いつもわたし(僕)を最優先して!」。けれど相手は自分の思い通りになるとは限らない。子育てもあるし、働かなくてはならないもの。自分を良く見せようともしなくなるし、容姿も衰えてゆく。そしてステップフォードの夫たちは、自分の思い通りにならなくなった妻たちを、夫を愛し夫に従い、女としての魅力も決して失わぬ妻に変えてしまうけれど・・・。結末は映画で☆
 少しスリリングな展開もあるけれど全体的にコメディ路線で、ニコールも綺麗です。(^−^) 恋愛で行き詰まった時に観て欲しい映画の一つ。奥様がたの装いも、街並みもきれいです。
 DVD化されるのをどんなに待ちわびていたことか!
 空想の世界が好きな女の子、セアラ(サラ、セーラとも)は少女から女性へと変わりゆく年頃で、真珠のような愛らしさと透き通るような美しさ。まだまだ親にかまって欲しいのに、腹違いの弟の子守を押し付けられて、ゴブリンの王が子どもを連れ去るための呪文を言ってしまう。振り向くとベビーベッドにいたはずの弟がいない! 窓がバーンと開く! 出た!デビッド・ボウイ! セクシー魔王!(以下略/笑) 魔王は弟を迷宮へと連れ去ってしまった。13時間以内に弟を取り戻さなければならない。

 <以下ネタバレ>
 魔王役のデビッド・ボウイの怪しさと妖しさは鼻血もの。ファンでなくてもこれを観よ! セクシーで大人で屈折した魔王が貴女の望む世界を作って待ってるんですよ! 乙女の夢!(そーか?) 「正しいと思うことが正しいとは限らない」という教訓に満ちたお話でもあります。1986年の映画だから、映像技術、特にパペットの動きは今見ると拙いはずなのに、わくわくする! 夢がある! 特に後半に出てくる赤くて頭や手や足をとって遊ぶ謎のゴブリン3匹はかなり強烈です(彼らの頭を投げてしまったセアラは「ヘイ姉ちゃん! 人の頭を投げるのはルール違反だ!」と彼らに追いかけられてしまうのです)。迷宮へと近づくにつれて仲間が増えていくのも心強くて楽しい限り。魔王とセアラが仮面舞踏会で踊るシーンは文句なしに魅惑的。最後に魔王がセアラに恋心を打ち明けるシーンでは思わず魔王を応援してしまった☆(笑) わたしはふと、もしかして魔王もセアラの弟と同じように迷宮にやってきて、でも誰も彼を助けに来てくれず、或いは諦めてしまったり失敗してしまったりして、成長してゴブリンの王になってしまったのかもしれない、と思ったりもします。深読みしすぎかもしれませんけど。

 音楽もかっちょいい作品です☆ デビッド・ボウイの歌も楽しめます。このDVD、ジャケットの3つの水晶がハート型に見えません? この映画の宣伝コピーは「見せてあげよう 愛と夢の彼方・・・。」ですものね☆^−^ ハートw
 「ロミオ&ジュリエット」の監督による「椿姫」。美と真実と自由と愛の物語。導入部分ではカメラがめいっぱい動くので目が疲れます(笑)。舞台は1900年のはずなのに現代曲が使われるなど遊び心が効いていて、映像も音楽もとっても華やか。
 歌劇「地獄のオルフェイス(天国と地獄)」、「紳士は金髪がお好き」の「ダイヤモンドは女性の親友」、マドンナの「ライク・ア・バージン」「マテリアル・ガール」、エルトン・ジョンの「ユア・ソング」、ビートルズの「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」、U2の「プライド」、ホイットニー・ヒューストンの「アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー」、クイーンの「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン」、デビッド・ボウイの「ネイチャー・ボーイ」「ダイアモンド・ドッグス」「ヒーロー」、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」、そしてサウンド・オブ・ミュージック・・・。 ミュージカルシーンにご注目☆ もうお腹いっぱいです(笑)。
 サティーン役のニコール・キッドマンは勿論綺麗だし、世間知らずの文学青年クリスチャンにユアン・マクレガーはぴったり。二人の仲を引き裂く公爵役のリチャード・ロクスバーグ(リンクして頂いている方に教えて頂くまでゲイリー・オールドマンだと思ってました!/汗)も激昂すると何をするかわからないという怖さがあって良い配役でした☆
 ショコラもサティーンが好きなのかもしれない、そして公爵に二人の仲をばらした女性はクリスチャンがタイプなのかもしれない、と色々想像すると楽しいです。
 「カンカン」が好き♪ 「ロクサーヌ」も情熱的で、サントラが欲しくなってしまいました。^^
 「ミャーオ!」は健在、ハル・ベリーによるキャットウーマン。悪女要素の強かった「バットマン リターンズ」のミシェル・ファイファーのものと比べると、こちらは昼間でも十分暮らしていけそうで、悪女というよりは強い女という印象。キャットウーマンになる以前の主人公には親友と呼べる友達がいて、個人としてそう抑圧されてはおらず、やはり「バットマン〜」のキャットウーマンの方が開放感や悪の華があるように思います。孤独と悲劇という化粧もある。対してこの作品はまず脚本や人物設定の作りこみがぬるく、社長は不倫をしていて独善的な以外そこまで悪人でもないし、主人公の恋人役も彼女が普通の人間でなくキャットウーマンだということに不思議と恐れを感じていない。映像もこのテーマにしては制作費がなかったのかな?と首を傾げる仕上がり。何よりアクションシーンに猫っぽさが欠けていたのが大変残念。わざわざキャットウーマンを映画のヒロインにすることもなかったように思います。ただし、ハル・ベリーの肉体美とポージングに見惚れてしまう一作であることは間違いなし。シャロン・ストーンもきれい。
 クロコダイルは獲物を食べる前に涙を流す。スティーヴンは、自分を愛する人の血を飲まなければ生きられない体。しかし女性たちは殺される際に彼への愛を恐怖や憎しみに変えてしまい、その血は彼の体を蝕んでゆく。ジュード・ロウが体温を感じさせない演技をしているのが印象的です。凍りついたその体に熱が生まれるのは、血が流れるその時だけ。スティーヴンが何者だったのかが語られずに終わったのは、余韻と謎を含み、かえって良かったように思います。多くの女性を殺してきた彼は心から愛せる女性に出逢えるけれど、彼女は彼が普通の人間でないことに気づく。逃げる彼女を彼は追う。彼女の愛がなければ死んでしまう。彼女の血が。ラストは彼なりのハッピーエンドだったのかもしれません。
 ジュードがひたすら美形なので女性におすすめ☆
 ラストはかなりドキドキします。
 ネルは翼がなくても空を飛んでいける、そんな無垢な女性。現代社会から離れて育った。だから彼女はガラスを知らない。ガラスの向こうに死んだ妹の姿を見つけて駆けていくシーンは印象に残っています。文明は進歩したけれどその文明に縛られて生きていくのは進歩と言えるのか?と疑問を与えてくれる作品。
 ただ、テーマそのものは素晴らしいのに出来はあまり良くありません。勿論自然が美しく、映像は好きなのですが、ネル役のジョディ・フォスターの演技が役柄と合っていない(現代社会で育った者特有の知性がある・・・)のが気になります。ネル語を開発したのは立派なのですけれど。違うキャスティングで観てみたく、リメイクを希望しています。
 復讐の相手は、神。
 繊細なディテールのドラキュラ映画をご賞味あれ☆
 ドラキュラはキリスト教のための戦いのさなか、愛する王妃を亡くす。王妃は「彼は死んだ」という敵の偽りの手紙を信じ、死んで彼に会うために、川へ身を投じたのだ。キリスト教のために戦い、勝利し、その中で愛する人を失った彼にキリスト教側が告げたのは、「自殺した者は神の国へは行けず地獄へ行くしかない」という言葉。だから彼女とは死しても二度と逢えることはない、と。彼はキリスト教に背を向けた。そして不死の怪物となった。4世紀もひっそりと過ごしたのち、彼は彼女の生まれ変わりと出逢い、彼女も前世のことを憶えていると知り、・・・彼女を不死にして、共に永久を生きたいと願うのだけれど、最後まで愛する彼女を自分の血で汚すのを躊躇った。異形の姿になってしまった自分を、見ないでくれと叫んだ。
 ドラキュラ伯爵役のゲイリー・オールドマンが悲愴で、セクシーw 見つめる瞳にほの暗い炎が揺らぐ。
 影の使い方も効果的。
 この映画の主役はバットマンではない。ダニー・デビートが怪演した「ペンギン」その人である。手の代わりに水掻きが生えた赤ん坊は、両親に河に投じられた。しかし生き続けた。地下水道のすえた匂いと空気と共に彼は育ち、また恨みと愛情への渇望も育てていった。彼は地上、ゴッサム・シティへ出ていく。しかし愛して欲しかった両親は既にこの世にいなかった。彼を完全に置き去りにして。「俺は人間じゃない!」。異形のものの悲しみと、拒絶される痛みが伝わってくる。人間に愛されることのなかった彼は、ペンギンたちによる葬列に運ばれてゆく。永遠に地上にかえることなく。
 キャットウーマンも危険な魅力でバットマンを誘惑、ペンギンを誘惑。求めるものがわからない悲哀も感じさせる。死に様も艶かしく、美しい。
 ティム・バートン監督の代表作の一つと言えるだろう。雪の降るゴッサム・シティーに、絵本のような「シザーハンズ」の世界を、そしてどんな夢より美しい悪夢を想った。
 自分は本当に、「自分」?
 舞台は太陽が昇ることのない、閉ざされた街。「外」に出た者はいない。「外」に出て知る「真実」を、受け入れるのか、狂うのか。カルト的な恐怖があります。「映像は閉塞感があり、ダークで少しヴィジュアル系w 
 SF好きで、且つミステリー要素も求める方におすすめ。最後までどうぞご覧ください。後半から急速に流れが変わります。
 「秘密の花園」(1949年)のビデオは、もう発売されていないのでしょうか。DVDにもならないのでしょうか。フランシス・コッポラが製作総指揮をとった、アニエスカ・ホランド監督によるリメイク版(1993年)も観てみたのですが、やはり1949年版の方が、花園にロマンがあった。花園に大切な秘密が隠されていた。結末にも哀しさがあった。
 1949年版のビデオ探しています(><)
 
 心のどこか一部分が繊細なだけで、心は世界を拒絶する。製作総指揮・主演がウィノナ・ライダーということは、むしろ良い方に働いたと思います(彼女自身も不安定な精神と闘っているから)。原作はスザンナ・ケイセンの「思春期病棟の少女たち」。ありがちな、狂気のみを表現した映画ではなくて、誰もがかつて経験したであろう思春期の揺らぎが彼ら自身の視点で描かれているため、押し付けられるような感じがなく、鑑賞後に負の影響はさほど受けないように思います。むしろ自分の青春期を思い出して、未来につながる何かを考えることが出来るかもしれません。少なくともわたしはこの映画から「自分自身をゆるすこと」を学んだように思います。たくさんの女優さんが良い演技をしているけれど、特にリサ役のアンジェリーナ・ジョリーは際立っていた。どうしようもない気持ちを、演技という形でうまく表現していたように思います。ウィノナファン、アンジェリーナファンには勿論のこと、「自分自身をゆるせない人」にも是非観て欲しい映画です。同じ状態で苦しんでいるのは自分一人じゃない、独りじゃない、ということを再認識できると思います。
 色彩がとても鮮やか、音楽も元気の出るガールズポップ☆  内容は、金髪でおしゃれで明るくて優しくて人気者のエルが、彼氏に「結婚するなら金髪以外の、頭のいい真面目な女の子」と振られてしまい、自分は彼にふさわしいことを証明するため、必死に勉強し彼を追いかけてハーバードへ進学、しかしやがて彼を取り戻すためではなく、自分のなりたい自分になるために頑張り始める、というお話。相手がダメ男だとわかっていてもそれでも好きという気持ちには共感できるし、周りにどんなに誤解されてもしっかりと自分自身を持ち続けたエルが、次第に味方を増やしていくところに元気づけられました。わたしは最初、エル役のリーズ・ウィザースプーンの独特の顎が苦手だったのですが、いきいきと輝くエルを観ているうちにそれは気にならなくなり、それどころか可愛さは造作では決まらない(というと彼女に失礼ですが/汗)という発見もでき、嬉しかったです。
 エルが大学に提出したビデオ論文の内容、それを見たハーバードの教授陣の顔など、笑いどころがたくさんあります(笑)。わたしはやはりエルがバニー姿でパソコン(オレンジ色のiMac☆)を買い求めているシーンが好きです。音楽もぴったり合っている。エクササイズをしながらもニュースを観て、美容室でヘアをキメながらも勉強をするエルはとてもかっこいいです。友達の恋を演技で助けるシーンも好き。彼女なりの差し入れ(クリニークの情報やコスモポリタン)の選び方にも納得。
 おしゃれへのモチベーションを高めたい方、そしてこの映画はどの人物もはっきりと発音をしてくれているので、英語学習者にお奨めです☆ 音声解説つきで製作にまつわる話も聞けます^^
 忘れられない映画の一つ。ある日やってきた女の子が人々を変える、というのはありがちですが、この映画はありがちなラストを迎えない。舞台となる森はとても綺麗で、激流は記憶に残ります。派手さはありませんが、ゆったりとした映画が好きな方には良いのではないでしょうか。悲しいけど悲しいだけじゃない、あたたかさがあります。
 音の狂ったピアノと、「また歌える・・・」、同じタトゥーを入れた二人。導入部分がとても素敵です。蛍の光に照らされる水たまりを、黄泉がえった男の子が少しためらいながら踏むのも物語を予感させます。葬儀の途中黄泉がえる少年がいるけれど、これは葬儀中、彼を想う少女が「生き返って」と願ったからなのでしょう。
 電車の中で黄泉がえった少年と男の子が浦沢直樹の「20世紀少年」を読んでいるのには少しくすりとさせられました。登場人物を多くしたのには賛否両論がありますが、これはこれで良いと思います。想像する楽しみがありますから。黄泉がえるには体の一部がないと駄目、という設定も良いと思います。現実でも、人間は死んだって消えはしません。どんな葬り方であろうと、ほぼ例外なく、骨は残るのですから。骨は、確かにその人なのですから。後半で、石田ゆり子さん演じる女性(役名を失念)が生死の境を彷徨いますが、この時彼女の夫は(彼は「黄泉がえり」)彼女をつれていこうか迷っていると思います。観客をハッとさせるシーンです。ただ・・・、ここで「黄泉がえり」側の葛藤を描くならば、もう少しそれに重点を置いても良かったのではないでしょうか。余りにもみんな、いい子に「あちら」へかえっていく。抗えない現実だとしても、もし自分が「黄泉がえり」だったなら、こんなに大人しく諦めるのはきっと無理です。冷静に事実を受け入れることなんて出来ない。大好きな人たちとまた離れ離れになってしまうんですよ? きっと思いきり悲鳴をあげて、留まりたいと願う。「黄泉がえり」は死んだ人たちだから、生きている人間とは違う思いがあるのだとしても。そういう境地にいるのだとしても。残される生きている人間のために、潔くかえっていくのだとしても。全体を通して演出家が心を砕いたことが窺える映画ではあるけれど、脚本の段階でそこまで突き詰めていないのかな、と首を傾げてしまいました。ともあれ、好きな映画です。
 RUIのライヴのシーンが心にぐっと迫ります☆
 観ていて、黄泉がえりが本当にあったら良いのに・・・と、思わずにはいられませんでした。
 歌うことの悲しみを教えてくれた映画。
 息子を愛するセルマ。遺伝性の病を抱える息子の目を治すため働くセルマ。心の中ではいつも大好きなミュージカルを歌い続けている。愛する息子の目を治したいセルマ。自分の目はもう全く見えなくなっているのに。目が見えないのを周りに隠しながら働き続ける彼女は、大事に大事に貯めてきた治療費を隣人に盗まれて、揉み合ううちに誤って彼を撃ってしまう。何発撃っても彼はお金を離さない。パニックになった彼女は彼を金庫で殴り、殺してしまったことに気づく・・・。警察に捕まる前に、彼女は医師にお金を預ける。彼女は頭の中でずっと歌い続けている。
 裁判で口を閉ざすセルマ。目が見えるフリをしていたせいで、彼女はどんどん凶悪な強盗殺人犯にされていく。目が見えないと嘘をついて減刑を狙っているのだ、何て卑怯なのだ、と。お金を盗んだ隣人は、自分の妻に「セルマが自分の金を盗んだ」と嘘をついていたのだ。有能な弁護士によって死刑が延期になる可能性はあったけれど、「息子の手術代が無くなってしまう」と彼女は死刑を続行させた。
 死刑直前。歌うセルマ。
 「これは最後の歌なんかじゃない・・・最後から二番目の歌・・・」
 歌は途切れる。
 死刑執行。 

 理不尽でたまらない気持ちになる映画ですが、わたしはこの映画により、歌が幸せな時ばかりに存在するのではないと知りました。二度と観たくない映画だけれど、忘れられません。

 They say it’s the last song.
 They don’t know us,you see.
 It’s only the last song.
 If we let it be...
 ルパン三世作品の中で、わたしが一番好きなヒロインはこのテレビスペシャル「ワルサーP38」のエレンです。血と死の影に染まり、絶望の淵でも強くあろうとし、でも彼女が本当に闘っているのは恐怖と過去、いつも空を見上げて自由を求めている・・・。「カリオストロの城」で五右衛門がクラリスに「可憐だ・・・」と呟くように、わたしもエレンを愛しく思うのです。痛々しいけれど、可憐だと思うのです。彼女の死にゆく時の微笑みがきれいで、白い鳥が大空を自由に飛ぶエンディングがきれいで、泣きました。
 彼女と同じオルゴールが欲しいです。

 ただし、作品自体は星3つ。はっきり言ってこの物語をやるならわざわざルパン三世じゃなくても良いのです。銭形のとっつぁんが心臓が停止したのに「ルパン」という言葉を聞いた途端「バイオハザード」もびっくりの奇跡の復活を遂げるのには笑いましたし(笑)、島から出られないようにする毒や衛星という設定もダークな世界を作り出すのに効いていますが、ルパンファミリーが全く活躍していません。特に不二子ちゃんがただの安い女に描かれているのにはわたしはムッとしております(苦笑)。だから、この物語をやるならわざわざルパンスペシャルでやる必要は無いのです。リメイク版を作ってください。観ますから。(笑) しかし新米刑事も伏線と思いきや全く動かず、いる意味無し。あの人は削ってOK。
 
 <余談>
 でもなぜわざわざワルサーP38なんでしょう。ヒットラーが自殺する際使用した銃とも言われていますよね。
 大規模な核戦争が起こり、北半球が死滅。放射能がゆるやかに、ゆるやかに残りの南半球を冒していく物語。

 種の断絶・・・、絶滅する絶望を味わってみたい方に是非。
 一切、希望はありません。
 主人公サイドの生存はありません。
 事態の好転はありません。
 全人類滅亡です。
 全生物滅亡です。
 死を前に、愛する人を見つめる人々の眼が泣かせます。
 それはただの死ではない。全ての、全ての時が止まる。映画がエンドロールへ変わる瞬間、それは地球上から生命が消滅した瞬間。
 
 59年製作の名作SFドラマ『渚にて』のリメイク作。

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