監修・・・千足伸行 『すぐわかる 画家別 幻想美術の見かた』
2009年6月16日 おすすめの本一覧
幻想絵画の中でも有名な作品をピックアップしている本です。
しかし幻想絵画はどの作品も基本的にマニアック。そのせいでしょうか、「一体どんな妄想をしたらこんな絵を描けるの?」と困惑させられる絵画も多数見受けられます。ある意味ではそんなところがマニア心をくすぐるのかもしれません、幻想絵画って。
例えば、P17で紹介されている、Giuseppe Arcimboldoの作品『春』(ルーヴル美術館蔵)にわたしは衝撃を覚えました。
これはGiuseppe Arcimboldoが春という季節を擬人化し、人の頭から胸あたりまでを草花に例えて描いた絵です。髪も、目も、頬も、耳も、衣服も、人体のあらゆるものが花びらや葉の集合によって形作られているように見えます。
・・・正直言って、わたしは天然痘など皮膚にも症状が出てくる病気をひときわ恐れているので、この絵で描かれる人物の頬や瞳にゾクリとしてしまいました。しかしジックリと見てみれば、この作品の斬新さは称賛に値しますし、だんだんこの人物がユーモラスに見えてきて親しみも抱くことが出来そうです。「・・・やっぱ駄目だ天然痘に見える、・・・いやしかしこの独創性は凄い」。そんな風にわたしは唸りながらこの絵を見つめ続けます。見つめ続けるわけですから、わたしはこの絵が好きなのでしょうね。
『春』は描き手の意図が推測できるので他の作品よりも人にすすめやすいですが・・・。P11で紹介されているHieronimus Boschの『快楽の園』(プラド美術館蔵)はどうでしょうか。
この作品には、作品名の通りエデンの園を追われた人間の辿る運命が描かれているようです。この絵の左側には地上の楽園が、中央には好色の罪が、右側には地獄が描かれています。きっと人間もこの絵で描かれるように、左から右へと状態を移ろわせているのでしょう。・・・しかし左側には、あたかも『犬神家の一族』を彷彿とさせる姿で、湖から脚を出している人物が描かれています。この人物は股を大きく広げたまま犬神家ポーズ(水面から脚を出しているが顔は見えない、というポーズをわたしは勝手に犬神家ポーズと呼んでいます)をしており、股の間に大きくて丸くて赤い果実のようなものを乗せており、その果実のようなものには鳥が2羽乗っかっています。
・・・意味不明です。わたしはこの絵の人物に語りかけました、「苦行中なのですか?」と。この絵においては右下に描かれているアダムとイヴと思しき人物2人に注目が集まりがちなのですが、わたしはこの謎の苦行者(?)から目が離せません。
P23で紹介されているPhilipp Otto Rungeの『朝(大)』(ハンブルク美術館蔵)などは純粋に美しいです、なんたって女神さまを描いていますしね、しかも朝日を司る女神を。
P38で紹介されているJohn Martinの『忘却の水を探すサダク』(サウサンプトン市立美術館)も崇高。岩山の向こうで燃え盛る炎が描かれています。不思議ですね、炎は恐ろしいものであるはずなのに、わたしはその炎の色に何故だか見惚れます。この作品は、炎は人を守ってくれる懐かしいものでもある、ということを思い出させてくれます。
P105で紹介されているIl’ya Repinの『サトコ』(ロシア美術館蔵)は特にわたしのお気に入り。海底を照らす、ぼんやりとしていてあたたかそうな光・・・。海で暮らす生き物たちが芸術品に見えます。わたしもこんな世界へ行ってみたいです。そして、泡となった人魚姫がただの泡として消えてしまわぬよう、こんな綺麗な光のある海の中で、その泡を大事に包み込みたい。・・・別にアンデルセンの『人魚姫』がこの作品のモチーフとなったわけではないのに唐突にこんなことを思ってしまい、恐縮です。けれどそんな想いを強く抱いてしまうのです。
・・・そんな美しい作品も多数ありながらも・・・、やはりSalvador Daliの作品のインパクトは測りしれません!彼の場合は人物的にも強烈なわけですけれど。・・・わたしが幻想絵画に興味を抱くきっかけとなったのは彼の作品なんですけれどもね・・・。妄想を飛び越えて、「なんじゃこりゃ!」の世界ですよね全く。彼は天才なのでしょうか変態なのでしょうか? 変態です。変態だから天才なのです、彼は。嗚呼、そんな彼の作品に引き込まれてしまいます。これは喜ぶべきことなのでしょうか嘆くべきことなのでしょうか。喜びますよポジティブシンキング!
しかし幻想絵画はどの作品も基本的にマニアック。そのせいでしょうか、「一体どんな妄想をしたらこんな絵を描けるの?」と困惑させられる絵画も多数見受けられます。ある意味ではそんなところがマニア心をくすぐるのかもしれません、幻想絵画って。
例えば、P17で紹介されている、Giuseppe Arcimboldoの作品『春』(ルーヴル美術館蔵)にわたしは衝撃を覚えました。
これはGiuseppe Arcimboldoが春という季節を擬人化し、人の頭から胸あたりまでを草花に例えて描いた絵です。髪も、目も、頬も、耳も、衣服も、人体のあらゆるものが花びらや葉の集合によって形作られているように見えます。
・・・正直言って、わたしは天然痘など皮膚にも症状が出てくる病気をひときわ恐れているので、この絵で描かれる人物の頬や瞳にゾクリとしてしまいました。しかしジックリと見てみれば、この作品の斬新さは称賛に値しますし、だんだんこの人物がユーモラスに見えてきて親しみも抱くことが出来そうです。「・・・やっぱ駄目だ天然痘に見える、・・・いやしかしこの独創性は凄い」。そんな風にわたしは唸りながらこの絵を見つめ続けます。見つめ続けるわけですから、わたしはこの絵が好きなのでしょうね。
『春』は描き手の意図が推測できるので他の作品よりも人にすすめやすいですが・・・。P11で紹介されているHieronimus Boschの『快楽の園』(プラド美術館蔵)はどうでしょうか。
この作品には、作品名の通りエデンの園を追われた人間の辿る運命が描かれているようです。この絵の左側には地上の楽園が、中央には好色の罪が、右側には地獄が描かれています。きっと人間もこの絵で描かれるように、左から右へと状態を移ろわせているのでしょう。・・・しかし左側には、あたかも『犬神家の一族』を彷彿とさせる姿で、湖から脚を出している人物が描かれています。この人物は股を大きく広げたまま犬神家ポーズ(水面から脚を出しているが顔は見えない、というポーズをわたしは勝手に犬神家ポーズと呼んでいます)をしており、股の間に大きくて丸くて赤い果実のようなものを乗せており、その果実のようなものには鳥が2羽乗っかっています。
・・・意味不明です。わたしはこの絵の人物に語りかけました、「苦行中なのですか?」と。この絵においては右下に描かれているアダムとイヴと思しき人物2人に注目が集まりがちなのですが、わたしはこの謎の苦行者(?)から目が離せません。
P23で紹介されているPhilipp Otto Rungeの『朝(大)』(ハンブルク美術館蔵)などは純粋に美しいです、なんたって女神さまを描いていますしね、しかも朝日を司る女神を。
P38で紹介されているJohn Martinの『忘却の水を探すサダク』(サウサンプトン市立美術館)も崇高。岩山の向こうで燃え盛る炎が描かれています。不思議ですね、炎は恐ろしいものであるはずなのに、わたしはその炎の色に何故だか見惚れます。この作品は、炎は人を守ってくれる懐かしいものでもある、ということを思い出させてくれます。
P105で紹介されているIl’ya Repinの『サトコ』(ロシア美術館蔵)は特にわたしのお気に入り。海底を照らす、ぼんやりとしていてあたたかそうな光・・・。海で暮らす生き物たちが芸術品に見えます。わたしもこんな世界へ行ってみたいです。そして、泡となった人魚姫がただの泡として消えてしまわぬよう、こんな綺麗な光のある海の中で、その泡を大事に包み込みたい。・・・別にアンデルセンの『人魚姫』がこの作品のモチーフとなったわけではないのに唐突にこんなことを思ってしまい、恐縮です。けれどそんな想いを強く抱いてしまうのです。
・・・そんな美しい作品も多数ありながらも・・・、やはりSalvador Daliの作品のインパクトは測りしれません!彼の場合は人物的にも強烈なわけですけれど。・・・わたしが幻想絵画に興味を抱くきっかけとなったのは彼の作品なんですけれどもね・・・。妄想を飛び越えて、「なんじゃこりゃ!」の世界ですよね全く。彼は天才なのでしょうか変態なのでしょうか? 変態です。変態だから天才なのです、彼は。嗚呼、そんな彼の作品に引き込まれてしまいます。これは喜ぶべきことなのでしょうか嘆くべきことなのでしょうか。喜びますよポジティブシンキング!
利用者さんの動きを邪魔せず無理なく介助するための介護技術を提案している本。
自分の手の親指のつけ根部分を利用者さんの脇の下に当てるような形で利用者さんの脇の下に手をさし入れると介助しやすい・・・ということをわたしはこの本で学びました。
これを知っただけで、日頃利用者さんを介助する上でとても楽になりました。・・・今までわたしは、親指と人差し指の間を開けてそのV字部分を利用者さんの脇の下に当てていました・・・。道理でやり辛いわけです。わたしは今まで先輩が介助している姿を見て真似をしていたつもりだったのですが、指がどうなっているかまではよく見えなかったのです。・・・反省。
この本では離床介助のことも学ぶことが出来ました。
わたしは横になっている利用者さんに膝を曲げていただき、自分の片手を利用者さんの逆側の肩甲骨あたりにさし入れ、利用者さんの膝の下にもう片方の手を差し入れて離床・・・という方法を取っていました。
しかし、膝の下に手は入れないのですね。入れると介助者の腰に負担がかかるから膝に手を当てるだけでいいんですね・・・。・・・わたしは自分の腰を自ら痛めていたわけですね。トホホ。
読み進めていくことに嬉しいことにも気づきました。
わたしも今まで角を曲がる時など、この本のP66、67に載っているような車椅子の押し方をしていたから。
わたしは単純に「自分は小柄だから」と思って前かがみになっていただけなのですが、考えてみればそのおかげで利用者さんの目線とより近くなれたし、フットレストから利用者さんの足が落ちていないかどうかすぐわかったのですね。
未熟な中でも少しは出来ていたんだ、とホッとしました。
わたしも少しは怪我防止に役立っていたかも!
自分の手の親指のつけ根部分を利用者さんの脇の下に当てるような形で利用者さんの脇の下に手をさし入れると介助しやすい・・・ということをわたしはこの本で学びました。
これを知っただけで、日頃利用者さんを介助する上でとても楽になりました。・・・今までわたしは、親指と人差し指の間を開けてそのV字部分を利用者さんの脇の下に当てていました・・・。道理でやり辛いわけです。わたしは今まで先輩が介助している姿を見て真似をしていたつもりだったのですが、指がどうなっているかまではよく見えなかったのです。・・・反省。
この本では離床介助のことも学ぶことが出来ました。
わたしは横になっている利用者さんに膝を曲げていただき、自分の片手を利用者さんの逆側の肩甲骨あたりにさし入れ、利用者さんの膝の下にもう片方の手を差し入れて離床・・・という方法を取っていました。
しかし、膝の下に手は入れないのですね。入れると介助者の腰に負担がかかるから膝に手を当てるだけでいいんですね・・・。・・・わたしは自分の腰を自ら痛めていたわけですね。トホホ。
読み進めていくことに嬉しいことにも気づきました。
わたしも今まで角を曲がる時など、この本のP66、67に載っているような車椅子の押し方をしていたから。
わたしは単純に「自分は小柄だから」と思って前かがみになっていただけなのですが、考えてみればそのおかげで利用者さんの目線とより近くなれたし、フットレストから利用者さんの足が落ちていないかどうかすぐわかったのですね。
未熟な中でも少しは出来ていたんだ、とホッとしました。
わたしも少しは怪我防止に役立っていたかも!
プラトン 『クリトン』
2009年6月10日 おすすめの本一覧 死刑を前にしたソクラテスと、彼に脱獄を勧めても断られ続けるクリトンの対話集。
色々ツッコみどころがあります。
例えばわたしはこうツッコみを入れてみましょう。
作戦もっと練ってから来ようぜクリトンよ、と。
クリトンが脱獄を勧めるのは純粋に友情からかと思いきや、クリトンは説得を開始した段階でこう言うのです。
「それだけじゃない。君や僕を個人的に知らない人たちは、僕のことを、お金を出せば君を救えたのに、何もしなかったと思いこんでしまうだろう。僕にとっちゃ大変な不名誉だよ。親友より金が大事だなんて思われたくないんだよ。大衆はね、僕が逃げるよう勧めたのに君が拒否したなんてことは信じないんだよ」(青空文庫内の訳文より引用)と。
おいおい自分のためかよ、とソクラテスもカチンときたかもしれません。
クリトンは他にも「救われることができるのに、自分で命を捨ててしまうなんて間違ってるよ」などと言って懸命に脱獄を勧めますが、ソクラテスは動じず。
ああクリトンよ、純粋に友情のみによって「死なないで欲しい」と訴え続ければ、まだソクラテスは心を揺らしたかもしれませんのに。
問答勝負に持ち込むとは。
一体誰が問答でソクラテスに勝てるというのでしょうか。
・・・わたしもソクラテスに脱獄を勧める自分を想像してみましたが、その想像の中でソクラテスに「正しくないことはすべきではない」と言われてしまいました。むむぅ。
色々ツッコみどころがあります。
例えばわたしはこうツッコみを入れてみましょう。
作戦もっと練ってから来ようぜクリトンよ、と。
クリトンが脱獄を勧めるのは純粋に友情からかと思いきや、クリトンは説得を開始した段階でこう言うのです。
「それだけじゃない。君や僕を個人的に知らない人たちは、僕のことを、お金を出せば君を救えたのに、何もしなかったと思いこんでしまうだろう。僕にとっちゃ大変な不名誉だよ。親友より金が大事だなんて思われたくないんだよ。大衆はね、僕が逃げるよう勧めたのに君が拒否したなんてことは信じないんだよ」(青空文庫内の訳文より引用)と。
おいおい自分のためかよ、とソクラテスもカチンときたかもしれません。
クリトンは他にも「救われることができるのに、自分で命を捨ててしまうなんて間違ってるよ」などと言って懸命に脱獄を勧めますが、ソクラテスは動じず。
ああクリトンよ、純粋に友情のみによって「死なないで欲しい」と訴え続ければ、まだソクラテスは心を揺らしたかもしれませんのに。
問答勝負に持ち込むとは。
一体誰が問答でソクラテスに勝てるというのでしょうか。
・・・わたしもソクラテスに脱獄を勧める自分を想像してみましたが、その想像の中でソクラテスに「正しくないことはすべきではない」と言われてしまいました。むむぅ。
中村うさぎ 『さびしいまる、くるしいまる。』
2009年6月8日 おすすめの本一覧 コメント (2)
中村うさぎさんがかつて1人のホストに貢いで貢いで貢ぎまくっていた頃の窮乏のさまと心情を嘘偽りなく書き綴った本です。
「オヤジな遊びをしてみたい」と始めたホスト遊びにどっぷり浸かり。
気づけば高級シャンパン抜き放題、序盤から120万円以上が文字通りに泡と消ゆ。
昔からありのままの自分を愛そうとして愛せずにいる中村うさぎさんは、美しい顔と無垢な心を持つ男に「ありがとう」と感謝される自分を愛そうとした・・・そう振り返っておられます。
中村うさぎさんのコンプレックス。それは、凡庸な容姿に生まれついたこと。
読者であるわたしから見れば、中村うさぎさんは整形する以前から綺麗な顔をなさっていると思うのですが・・・。
自分は美しくない。・・・きっと頭が良い分、事実を誤魔化しなく捉えることが出来るのでしょうね(前述した通り、わたしには事実とは思えませんが)。こんな自分は愛せない。けれど自分を愛したいという欲求はある。その欲求は強い。だからかえって理想は高くなってしまうのかもしれません。けれど自分は自分のまま。自分を愛したいのに。・・・それらの想いがせめぎ合う。
そのたとえようもない欠落感を埋めるために、中村うさぎさんはお金を遣って遣って遣いまくったそうです。
自分の武器は美貌ではなくお金だ、お金を遣って何が悪いの、と思っていたから。
お気にいりのホストをお店の上位ホストにするためにドンペリを抜きまくり、ホストと互いを祝福し合い、シャンパンに酔うというよりもホストとの一体感に酔った。
その男の美しさに見惚れ、「自分もこんなに美しかったなら自分の人生はもっと素晴らしかったのだろうか」と考える。・・・その男を、自分が失った或いは自分が得られなかった自分として見つめた。だから中村うさぎさんは自分のために浪費を続けた。理想の自分に「あなたが必要だ」と言われ、「ありがとう」と言われたかったから・・・。そう言われる自分なら愛せる気がしたから・・・。
そのために月200万円以上ものお金を躊躇いながらも遣い、夫の父が危篤だというのに駆けつけることなくホストクラブへ向かい、預金口座にはもはや数万円のお金も残っていないのに1本100万円のブランデーを入れ、・・・ついに区役所に預金口座を差し押さえられ預金残高0となったそうです。1円すら残らぬ、0。
中村うさぎさんは頭が良いけれど愚かだ、そう思う方も多いことでしょう。
けれど、その行いを笑うことが出来る女性はいるのでしょうか?
わたしはこの本を泣きながら読みました。
・・・わたしはハードカバーでこの本を読んだのですが、この本の文庫あとがきには後日談として、そのホストが枕営業を仕掛けてきて幻滅したことが書かれているようです。
ホストは結局ホストであって理想の自分どころか自分ではない、理想の自分はどんなにお金を遣おうとも手に入らない、手に入るのは結局ホストという職業をしている男に過ぎないのだ、ということに気づく瞬間だったでしょうね・・・。
わたしは今後文庫も手に取ってみようと思います。
「オヤジな遊びをしてみたい」と始めたホスト遊びにどっぷり浸かり。
気づけば高級シャンパン抜き放題、序盤から120万円以上が文字通りに泡と消ゆ。
昔からありのままの自分を愛そうとして愛せずにいる中村うさぎさんは、美しい顔と無垢な心を持つ男に「ありがとう」と感謝される自分を愛そうとした・・・そう振り返っておられます。
中村うさぎさんのコンプレックス。それは、凡庸な容姿に生まれついたこと。
読者であるわたしから見れば、中村うさぎさんは整形する以前から綺麗な顔をなさっていると思うのですが・・・。
自分は美しくない。・・・きっと頭が良い分、事実を誤魔化しなく捉えることが出来るのでしょうね(前述した通り、わたしには事実とは思えませんが)。こんな自分は愛せない。けれど自分を愛したいという欲求はある。その欲求は強い。だからかえって理想は高くなってしまうのかもしれません。けれど自分は自分のまま。自分を愛したいのに。・・・それらの想いがせめぎ合う。
そのたとえようもない欠落感を埋めるために、中村うさぎさんはお金を遣って遣って遣いまくったそうです。
自分の武器は美貌ではなくお金だ、お金を遣って何が悪いの、と思っていたから。
お気にいりのホストをお店の上位ホストにするためにドンペリを抜きまくり、ホストと互いを祝福し合い、シャンパンに酔うというよりもホストとの一体感に酔った。
その男の美しさに見惚れ、「自分もこんなに美しかったなら自分の人生はもっと素晴らしかったのだろうか」と考える。・・・その男を、自分が失った或いは自分が得られなかった自分として見つめた。だから中村うさぎさんは自分のために浪費を続けた。理想の自分に「あなたが必要だ」と言われ、「ありがとう」と言われたかったから・・・。そう言われる自分なら愛せる気がしたから・・・。
そのために月200万円以上ものお金を躊躇いながらも遣い、夫の父が危篤だというのに駆けつけることなくホストクラブへ向かい、預金口座にはもはや数万円のお金も残っていないのに1本100万円のブランデーを入れ、・・・ついに区役所に預金口座を差し押さえられ預金残高0となったそうです。1円すら残らぬ、0。
中村うさぎさんは頭が良いけれど愚かだ、そう思う方も多いことでしょう。
けれど、その行いを笑うことが出来る女性はいるのでしょうか?
わたしはこの本を泣きながら読みました。
・・・わたしはハードカバーでこの本を読んだのですが、この本の文庫あとがきには後日談として、そのホストが枕営業を仕掛けてきて幻滅したことが書かれているようです。
ホストは結局ホストであって理想の自分どころか自分ではない、理想の自分はどんなにお金を遣おうとも手に入らない、手に入るのは結局ホストという職業をしている男に過ぎないのだ、ということに気づく瞬間だったでしょうね・・・。
わたしは今後文庫も手に取ってみようと思います。
この本に書いてある「今は〝老い〟とは縁がないと思っているあなたも、いずれは自分の老いと向き合い、それを受け入れなければならないときがきます」(P6より引用)を踏まえながら読むべき本だと思います。
自分が誰かを介護する、という思いだけでなく、自分もいつか介護される、という思いを持って読むことで、結果として自分が誰かを介護する際役立つのではないでしょうか。
この本の第一章『お年寄りがいやがる介護をしていませんか?』では、各問題別に家族がしてしまいがちな誤り、お年寄りの本心、なぜお年寄りがそう思うかということ、対処の仕方が紹介されます。
例えば、「何度もトイレに行きたがる」場合、家族は「さっき行ったばかりなのに」などと叱ってしまいがちだけれど、お年寄りは「早めにトイレに行かないと、もし失敗したら困る」「このごろとにかく、トイレの感覚が短くなっているんだ」という本心を持っているかもしれず、前者ならばかつてトイレを失敗して注意された経験があるのかもしれない(心理的な要素によるもの)ので粗相をしても叱らないことが必要であり、後者ならば膀胱炎などの排尿障害が原因かもしれないし尿道括約筋の締まりが悪いのかもしれないので病院での診察を受けることが必要である・・・ということがP53に書かれています。
第二章『自宅でできるやさしい介護、気持ちいい介護』では食事介助、排泄介助、入浴介助などをお年寄りに出来るだけ負担がないように行う方法が紹介されています。この章においても、ついやってしまいがちな介助の誤りや、お年寄りの本心が書かれています。
わたしはこの本に書かれていることを少しでも多く実際の介護に役立てていきたいと思います。
自分が誰かを介護する、という思いだけでなく、自分もいつか介護される、という思いを持って読むことで、結果として自分が誰かを介護する際役立つのではないでしょうか。
この本の第一章『お年寄りがいやがる介護をしていませんか?』では、各問題別に家族がしてしまいがちな誤り、お年寄りの本心、なぜお年寄りがそう思うかということ、対処の仕方が紹介されます。
例えば、「何度もトイレに行きたがる」場合、家族は「さっき行ったばかりなのに」などと叱ってしまいがちだけれど、お年寄りは「早めにトイレに行かないと、もし失敗したら困る」「このごろとにかく、トイレの感覚が短くなっているんだ」という本心を持っているかもしれず、前者ならばかつてトイレを失敗して注意された経験があるのかもしれない(心理的な要素によるもの)ので粗相をしても叱らないことが必要であり、後者ならば膀胱炎などの排尿障害が原因かもしれないし尿道括約筋の締まりが悪いのかもしれないので病院での診察を受けることが必要である・・・ということがP53に書かれています。
第二章『自宅でできるやさしい介護、気持ちいい介護』では食事介助、排泄介助、入浴介助などをお年寄りに出来るだけ負担がないように行う方法が紹介されています。この章においても、ついやってしまいがちな介助の誤りや、お年寄りの本心が書かれています。
わたしはこの本に書かれていることを少しでも多く実際の介護に役立てていきたいと思います。
上野千鶴子 『発情装置 エロスのシナリオ』
2009年5月14日 おすすめの本一覧
わたしはこの本で「対幻想」というものの存在を知りました。
対幻想とはこの本のP117によれば、「関係」という「他者とつながりたい欲望」(P117より引用)であり、対幻想は人をつがわせるのだそうです。人がつがうのは性的欲求のためだけでなく孤独を感じないためでもあり、この二つは同じものと言えるようです。
わかりやすく説明するならば未婚者が「自分は一人身では不完全なのではないだろうか。配偶者がいて、子どももいなければ一人前ではないのでは・・・」などと悩んで婚活するのも対幻想のせいであると言えましょう。更に身近な例で説明すると、当ブログを読んでくださっている方々も友人から「彼氏又は彼女がいないので欲しいのだがどうすれば良いかわからない」という相談を受けた経験はあることと思いますのでその例を用いて説明致します。恋人がいないということが日常生活に支障をきたすわけでもないのに思い悩むというのも、「一人では不完全である」という思い込み故なのかもしれません。勿論、恋人がいればいたで楽しいことも沢山あります。とはいえ、わたし自身はこれまで「○○さんのことが好きだから恋人になって欲しい」と悩んでばかりだったので、「恋人が欲しいから出会いを求めて何か行動する」という実体験は特別ありません。しかしいつかわたしも実際に行動し始めるかもしれません、恋人や配偶者を得るために。その際わたしはきっと「嗚呼、わたしは今対幻想にとらわれているのか?」と自らに問うでしょう。そしてこの本を思い出します。
他にこの本で興味深いのは、いわゆるBL作品になぜ女性読者が夢中になるのかについて「女性読者にとって少年は女である。少年は異性であるため、女性読者は少年と同一化せずに済む・・・」という考察をしているところです。(御存知でない方のために説明いたします。BLとはボーイズラブのこと。BL作品は少年同士など男性同士の恋愛を描いているのです)。
同一化。
わたしも時々BL作品を読むのですが、実際わたしも「なぜわたしは少年同士の恋愛をこんなに美しく感じるのか。男性と女性の恋愛を描いた作品は、妙な息苦しさを持っているというのに」と度々考えてきました。同一化せずに済むから、という説明は至極納得のいくものです。
この本も言及している通り、BL作品に登場する少女たちは女性が「これは女性の嫌な部分」と感じる部分をあからさまに体現しているように思います。身勝手だったり、嫉妬深かったり・・・。そういった部分は勿論男性だって持っているでしょうが、女性自身が「女性である自分」に辟易しているからこそ、女性読者はBL作品を求めるのかもしれません。そしてBL作品に登場する少女は、何か酷い体験をするというのがポピュラー。
この本は「(BL作品に登場する)少女たちが不当な扱いに遭うのは、彼女たちが『女だから』である」(P146より引用)とも述べます。・・・確かにそうでしょうね・・・。女だから・・・。女性読者は女性が女性であるがために自己嫌悪することを知っているから、BL作品に登場する少女が何か苦しみを負わねば自然に感じないのかもしれませんね。・・・ううむ。
対幻想とはこの本のP117によれば、「関係」という「他者とつながりたい欲望」(P117より引用)であり、対幻想は人をつがわせるのだそうです。人がつがうのは性的欲求のためだけでなく孤独を感じないためでもあり、この二つは同じものと言えるようです。
わかりやすく説明するならば未婚者が「自分は一人身では不完全なのではないだろうか。配偶者がいて、子どももいなければ一人前ではないのでは・・・」などと悩んで婚活するのも対幻想のせいであると言えましょう。更に身近な例で説明すると、当ブログを読んでくださっている方々も友人から「彼氏又は彼女がいないので欲しいのだがどうすれば良いかわからない」という相談を受けた経験はあることと思いますのでその例を用いて説明致します。恋人がいないということが日常生活に支障をきたすわけでもないのに思い悩むというのも、「一人では不完全である」という思い込み故なのかもしれません。勿論、恋人がいればいたで楽しいことも沢山あります。とはいえ、わたし自身はこれまで「○○さんのことが好きだから恋人になって欲しい」と悩んでばかりだったので、「恋人が欲しいから出会いを求めて何か行動する」という実体験は特別ありません。しかしいつかわたしも実際に行動し始めるかもしれません、恋人や配偶者を得るために。その際わたしはきっと「嗚呼、わたしは今対幻想にとらわれているのか?」と自らに問うでしょう。そしてこの本を思い出します。
他にこの本で興味深いのは、いわゆるBL作品になぜ女性読者が夢中になるのかについて「女性読者にとって少年は女である。少年は異性であるため、女性読者は少年と同一化せずに済む・・・」という考察をしているところです。(御存知でない方のために説明いたします。BLとはボーイズラブのこと。BL作品は少年同士など男性同士の恋愛を描いているのです)。
同一化。
わたしも時々BL作品を読むのですが、実際わたしも「なぜわたしは少年同士の恋愛をこんなに美しく感じるのか。男性と女性の恋愛を描いた作品は、妙な息苦しさを持っているというのに」と度々考えてきました。同一化せずに済むから、という説明は至極納得のいくものです。
この本も言及している通り、BL作品に登場する少女たちは女性が「これは女性の嫌な部分」と感じる部分をあからさまに体現しているように思います。身勝手だったり、嫉妬深かったり・・・。そういった部分は勿論男性だって持っているでしょうが、女性自身が「女性である自分」に辟易しているからこそ、女性読者はBL作品を求めるのかもしれません。そしてBL作品に登場する少女は、何か酷い体験をするというのがポピュラー。
この本は「(BL作品に登場する)少女たちが不当な扱いに遭うのは、彼女たちが『女だから』である」(P146より引用)とも述べます。・・・確かにそうでしょうね・・・。女だから・・・。女性読者は女性が女性であるがために自己嫌悪することを知っているから、BL作品に登場する少女が何か苦しみを負わねば自然に感じないのかもしれませんね。・・・ううむ。
中川真 『[増補] 平安京 音の宇宙 サウンドスケープへの旅』
2009年4月28日 おすすめの本一覧 コメント (2)
音環境という視点から都市論をまとめようとする著者が書いた、京都をフィールドとしたサウンドスケープ論の本です。
わたしはこの本を読んでから、梵鐘の中で共鳴しているノイズなどに魅力を感じるようになりました。
枕草子や源氏物語に登場する音に注目して書かれている本なので、日本の古典文学に興味がある方は楽しく読めるかもしれません。
音は目に見えないけれど自由に空間を作ることが出来る、清少納言は熟知しておりその「けはひ」によって宮中を把握していた・・・という意味のことを述べる箇所(P93あたりに書かれています)ではなるほどなと思いました。
音は空間を分ける力があるのですね。
P55では京都に残る梵鐘の配置について考察されています。昔の人は音による空間を設計したのかもしれませんね。凄いですね・・・。音の反響によって空間の大きさを感じられるでしょうし、場所によって音調も違うでしょうから自分が京都のどこにいるのかという感覚も掴めるような気がします。
昔の人には負けていられません、わたしも音を活用して美学の域まで極めたいと思います。(←それ以前の問題としてわたしは汚部屋をお部屋に改善しなければならないのですが)
全体にわたり、この本はアジア的なサウンドスケープ論を意識しているようです。
わたしの読み解く力が足りない為、この本の全てを理解することはわたしには出来ませんでした。また読み解く力がついた際は読み返したい本です。
鬼の語る声についても触れているのも印象に残りました。
わたしはこの本を読んでから、梵鐘の中で共鳴しているノイズなどに魅力を感じるようになりました。
枕草子や源氏物語に登場する音に注目して書かれている本なので、日本の古典文学に興味がある方は楽しく読めるかもしれません。
音は目に見えないけれど自由に空間を作ることが出来る、清少納言は熟知しておりその「けはひ」によって宮中を把握していた・・・という意味のことを述べる箇所(P93あたりに書かれています)ではなるほどなと思いました。
音は空間を分ける力があるのですね。
P55では京都に残る梵鐘の配置について考察されています。昔の人は音による空間を設計したのかもしれませんね。凄いですね・・・。音の反響によって空間の大きさを感じられるでしょうし、場所によって音調も違うでしょうから自分が京都のどこにいるのかという感覚も掴めるような気がします。
昔の人には負けていられません、わたしも音を活用して美学の域まで極めたいと思います。(←それ以前の問題としてわたしは汚部屋をお部屋に改善しなければならないのですが)
全体にわたり、この本はアジア的なサウンドスケープ論を意識しているようです。
わたしの読み解く力が足りない為、この本の全てを理解することはわたしには出来ませんでした。また読み解く力がついた際は読み返したい本です。
鬼の語る声についても触れているのも印象に残りました。
一人では出来ないことを誰かと一緒にすることでその何かから卒業する・・・という喜びが描かれている小説です。
『卒業』の他に、『まゆみのマーチ』、『あおげば尊し』、『追伸』を収録。いずれの話においても、子どもというものは大人が思うほど子どもではなく大人が思うほど大人ではない、という視点が大事にされているようです。
それぞれの話を簡潔に説明すると、
『まゆみのマーチ』は父と息子が一緒に引きこもりから卒業していこうとする話。
父が息子に対してその愛情をわかりやすく示したことによって息子に変化が現れる描写が素敵です。辛い時は「~しなければ後で自分が困るんだぞ」と厳しく言われるよりも、「お前のことが好きだからお前と一緒に乗り越えていきたい」と言われる方が嬉しいですものね。
『あおげば尊し』は教師という仕事から誇りを持って卒業していく話。
憎まれ役(生活指導など)の教師だったため教え子から結婚式に招待されることも昔を懐かしんで訪ねて来られることもなかった老人が、自分の死にゆく姿を自分と同じく教師の道を選んだ息子の教え子に見せることによって最後まで教師として生きる話です。お葬式で「あおげば尊し」が歌われるラストがじんわり胸にきます。
『追伸』は死んだ生みの親を想うあまり育ての親を顧みなかったことから卒業する話。
幼い頃に生みの親を亡くし、やがて新しく育ての親がやってきて、周りの人も生みの親について余り話さない。そんな状況で主人公は、自分が生みの親を想い続けなければ生みの親の存在が完全に無くなってしまう・・・そんな気がしていたのかもしれません。育ての親は不器用なせいでうまく愛情を示せないし、主人公は生みの親をひたすら想い続けたままで・・・それから長い時間が経ってからもギクシャクした関係のまま・・・。それでもお互いが生きている以上、お互いの歩み寄りがあれば和解できる。そんな話だとわたしは解釈しました。
そして『卒業』は・・・説明するのが一番難しいです。
自殺した男性についてみんな彼の存在を出来るだけ思い出さないようにしていたけれど、彼の娘が「なぜあの人は死んだのか」を知るため情報収集を始めたことをきっかけに、みんなそれぞれ彼の思い出や死と改めて向き合い、その人なりにスッキリした・・・だから『卒業』と題されたのだと思います。
他の話と比べれば釈然としないラストではあるのですが、わたしはこの『卒業』を読み、今まで向き合おうとしてこなかった「乗り越え難きもの」と向き合おうと決心しました。
『卒業』の他に、『まゆみのマーチ』、『あおげば尊し』、『追伸』を収録。いずれの話においても、子どもというものは大人が思うほど子どもではなく大人が思うほど大人ではない、という視点が大事にされているようです。
それぞれの話を簡潔に説明すると、
『まゆみのマーチ』は父と息子が一緒に引きこもりから卒業していこうとする話。
父が息子に対してその愛情をわかりやすく示したことによって息子に変化が現れる描写が素敵です。辛い時は「~しなければ後で自分が困るんだぞ」と厳しく言われるよりも、「お前のことが好きだからお前と一緒に乗り越えていきたい」と言われる方が嬉しいですものね。
『あおげば尊し』は教師という仕事から誇りを持って卒業していく話。
憎まれ役(生活指導など)の教師だったため教え子から結婚式に招待されることも昔を懐かしんで訪ねて来られることもなかった老人が、自分の死にゆく姿を自分と同じく教師の道を選んだ息子の教え子に見せることによって最後まで教師として生きる話です。お葬式で「あおげば尊し」が歌われるラストがじんわり胸にきます。
『追伸』は死んだ生みの親を想うあまり育ての親を顧みなかったことから卒業する話。
幼い頃に生みの親を亡くし、やがて新しく育ての親がやってきて、周りの人も生みの親について余り話さない。そんな状況で主人公は、自分が生みの親を想い続けなければ生みの親の存在が完全に無くなってしまう・・・そんな気がしていたのかもしれません。育ての親は不器用なせいでうまく愛情を示せないし、主人公は生みの親をひたすら想い続けたままで・・・それから長い時間が経ってからもギクシャクした関係のまま・・・。それでもお互いが生きている以上、お互いの歩み寄りがあれば和解できる。そんな話だとわたしは解釈しました。
そして『卒業』は・・・説明するのが一番難しいです。
自殺した男性についてみんな彼の存在を出来るだけ思い出さないようにしていたけれど、彼の娘が「なぜあの人は死んだのか」を知るため情報収集を始めたことをきっかけに、みんなそれぞれ彼の思い出や死と改めて向き合い、その人なりにスッキリした・・・だから『卒業』と題されたのだと思います。
他の話と比べれば釈然としないラストではあるのですが、わたしはこの『卒業』を読み、今まで向き合おうとしてこなかった「乗り越え難きもの」と向き合おうと決心しました。
石川 拓治 『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』
2008年12月21日 おすすめの本一覧
木村さん自身のすごさを伝えつつも、木村さんを支えた人たちのすごさも伝えてくれる本です。
まず、御家族がすごい。
「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」。
木村さんが御家族への罪悪感から「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いた際、娘さんが言った言葉だそうです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代に服にツギをあて、学用品をまともに買えず、PTA会費を払えず、外食が出来ず、健康保険証もなく、父親は周りから「カマドケシ(竈消し。竈の火を消してしまう、家の生計をダメにする人ということ)」という最悪のあだ名で呼ばれ「頭がおかしくなった」と言われている・・・そんな状況のなかこう言った娘さんはすごいです。
わたし自身田舎の出身ですから、御家族がどれほど苦しまれたか想像に難くありません。
奥さんもよく、娘さんたちを連れて出て行きませんでしたね・・・。この本に書かれていないだけかもしれませんが。出て行こうにも、木村さんが婿養子である為、奥さんに「実家に帰る」という手段がなかったのかもしれませんが。少なくとも離婚はしていないようです。
こういった場合わたしの地元なら離婚して当たり前。家族が精神を病むなんて珍しくありません。田舎という狭いコミュニティは、変わりものに対して極めて残酷なのです。
御家族の苦しみを知っているからこそ木村さんも「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いたのです。
それでも娘さんは「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」と言ったし、奥さんも離婚しなかった。
そして、無農薬で栽培したリンゴの花が咲いた時、木村さんと奥さんの二人でその可憐な花が咲くのを感じた。
きっと娘さんもその花を見たでしょうね。
・・・鳥肌ものです。
木村さんもおっしゃっていますが、木村さんは一人だけの力で現在に至ったのではないのです。
木村さんがリンゴの木を自然から切り離すことは出来ないと気付いたのと同じように、木村さん自身もまた周りの人たちから切り離すことはできません。
木村さんのお母さんはこっそり玄関の前に米や味噌を置きに来てくれたそうですし、木村さんがアルバイトをしていたキャバレーのホステスさんはお弁当を作ってくれたそうですし、近くの畑の持ち主は木村さんの畑から害虫がもれるところなど見なかったということを近所の農家にも話してくれたそうですし・・・。挙げようとすればキリがありません。
わたしはそうした木村さんを支えた人がこの本のあとがきを書けば良かったのではないかな・・・と思います。茂木さんには申し訳ないですが。
まず、御家族がすごい。
「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」。
木村さんが御家族への罪悪感から「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いた際、娘さんが言った言葉だそうです。
ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代に服にツギをあて、学用品をまともに買えず、PTA会費を払えず、外食が出来ず、健康保険証もなく、父親は周りから「カマドケシ(竈消し。竈の火を消してしまう、家の生計をダメにする人ということ)」という最悪のあだ名で呼ばれ「頭がおかしくなった」と言われている・・・そんな状況のなかこう言った娘さんはすごいです。
わたし自身田舎の出身ですから、御家族がどれほど苦しまれたか想像に難くありません。
奥さんもよく、娘さんたちを連れて出て行きませんでしたね・・・。この本に書かれていないだけかもしれませんが。出て行こうにも、木村さんが婿養子である為、奥さんに「実家に帰る」という手段がなかったのかもしれませんが。少なくとも離婚はしていないようです。
こういった場合わたしの地元なら離婚して当たり前。家族が精神を病むなんて珍しくありません。田舎という狭いコミュニティは、変わりものに対して極めて残酷なのです。
御家族の苦しみを知っているからこそ木村さんも「もう(無農薬のリンゴ栽培を)諦めた方がいいかな」と弱音を吐いたのです。
それでも娘さんは「そんなの嫌だ。なんのために私たちはこんなに貧乏してるの?」と言ったし、奥さんも離婚しなかった。
そして、無農薬で栽培したリンゴの花が咲いた時、木村さんと奥さんの二人でその可憐な花が咲くのを感じた。
きっと娘さんもその花を見たでしょうね。
・・・鳥肌ものです。
木村さんもおっしゃっていますが、木村さんは一人だけの力で現在に至ったのではないのです。
木村さんがリンゴの木を自然から切り離すことは出来ないと気付いたのと同じように、木村さん自身もまた周りの人たちから切り離すことはできません。
木村さんのお母さんはこっそり玄関の前に米や味噌を置きに来てくれたそうですし、木村さんがアルバイトをしていたキャバレーのホステスさんはお弁当を作ってくれたそうですし、近くの畑の持ち主は木村さんの畑から害虫がもれるところなど見なかったということを近所の農家にも話してくれたそうですし・・・。挙げようとすればキリがありません。
わたしはそうした木村さんを支えた人がこの本のあとがきを書けば良かったのではないかな・・・と思います。茂木さんには申し訳ないですが。
嶽本野ばら 『エミリー』
2008年12月4日 おすすめの本一覧
短編『readymade』、『corset』、そして表題作『emily』を収録した一冊。
この一冊は、読み進めれば読み進めるほど読み手を葛藤させます。
『readymade』は誰もが読めるであろう作品。ミステリアスな異性に釣り合うよう、少し背伸びをしようとする主人公は共感を呼ぶでしょう。
『corset』は主人公が浮気相手となりやがて不倫相手となってしまうので、読む人を選んでしまうかもしれません。しかし、比較的平常心で読むことが出来そうです。現代という時代を生きていることに辟易し、常々「死にたい」と思い、実際に身辺整理をして自宅に縄をぶら下げて「今度こそ死のう」と思っていた主人公が、恋する相手を得たことで死のうと思わなくなる作品ですから。この作品の題となっているコルセットは体を締め付ける物です。主人公の「死にたい」という思いが、恋する相手の出現によって抑えられたからこの作品は『corset』なのかもしれません。
しかし表題作である『emily』は、読む人を選んでしまうでしょう。わたし自身、読んでいる途中で「もう読むのをやめてしまいたい」と幾度もこの本を閉じましたから。
『emily』を読んでいると、嗚呼、実際にこういう想いをしている人たちは現実に沢山いるのだろうな、と気付かされます。読んでいるだけで、自分自身が石つぶてを何十個も何百個も手加減なくぶつけられて血を流し、傷口から肉が見え、その傷口を狙ってまた石つぶてを投げられるような耐えがたい気分になるのです。
性犯罪。「いじめ」というたった3文字の言葉で片づけることは本来許されないはずの、「殺人未遂」と言うべき余りにも残酷な仕打ち。同性愛者への偏見、罵倒、嘲笑。
そういった事柄が、この『emily』では容赦なく描写されるのです。
はっきり言って、わたしは『emily』を読むことを他人にすすめたくありません。すすめてはいけない気がします。けれどすすめます、ごめんなさい。理由は以下の通り。
『emily』は番う(つがう)ことの幸福を感じさせてくれるのです。
『emily』では、自分が生きているということを実感できる場所を何処にも持てないような男女が出会い、番います。男は女を好ましいとは思っているけれど、男は女性という生き物を性的対象とすることが出来ないため、体が反応しません。女は恋の延長上に男を性的に求めるけれど、男の体が反応しない以上、性的に最後まで交わることは出来ません。どんなに試みても、駄目。だから2人は裸の身体と身体を重ねて眠るだけ。それだけだけれども、2人は、少なくとも女は、お互いの温かさや呼吸を感じ、お互いの身体が1つに溶け合うような感覚に到達します。そして思うのです。
「生まれてきて良かった」と。
この一冊は、読み進めれば読み進めるほど読み手を葛藤させます。
『readymade』は誰もが読めるであろう作品。ミステリアスな異性に釣り合うよう、少し背伸びをしようとする主人公は共感を呼ぶでしょう。
『corset』は主人公が浮気相手となりやがて不倫相手となってしまうので、読む人を選んでしまうかもしれません。しかし、比較的平常心で読むことが出来そうです。現代という時代を生きていることに辟易し、常々「死にたい」と思い、実際に身辺整理をして自宅に縄をぶら下げて「今度こそ死のう」と思っていた主人公が、恋する相手を得たことで死のうと思わなくなる作品ですから。この作品の題となっているコルセットは体を締め付ける物です。主人公の「死にたい」という思いが、恋する相手の出現によって抑えられたからこの作品は『corset』なのかもしれません。
しかし表題作である『emily』は、読む人を選んでしまうでしょう。わたし自身、読んでいる途中で「もう読むのをやめてしまいたい」と幾度もこの本を閉じましたから。
『emily』を読んでいると、嗚呼、実際にこういう想いをしている人たちは現実に沢山いるのだろうな、と気付かされます。読んでいるだけで、自分自身が石つぶてを何十個も何百個も手加減なくぶつけられて血を流し、傷口から肉が見え、その傷口を狙ってまた石つぶてを投げられるような耐えがたい気分になるのです。
性犯罪。「いじめ」というたった3文字の言葉で片づけることは本来許されないはずの、「殺人未遂」と言うべき余りにも残酷な仕打ち。同性愛者への偏見、罵倒、嘲笑。
そういった事柄が、この『emily』では容赦なく描写されるのです。
はっきり言って、わたしは『emily』を読むことを他人にすすめたくありません。すすめてはいけない気がします。けれどすすめます、ごめんなさい。理由は以下の通り。
『emily』は番う(つがう)ことの幸福を感じさせてくれるのです。
『emily』では、自分が生きているということを実感できる場所を何処にも持てないような男女が出会い、番います。男は女を好ましいとは思っているけれど、男は女性という生き物を性的対象とすることが出来ないため、体が反応しません。女は恋の延長上に男を性的に求めるけれど、男の体が反応しない以上、性的に最後まで交わることは出来ません。どんなに試みても、駄目。だから2人は裸の身体と身体を重ねて眠るだけ。それだけだけれども、2人は、少なくとも女は、お互いの温かさや呼吸を感じ、お互いの身体が1つに溶け合うような感覚に到達します。そして思うのです。
「生まれてきて良かった」と。
竹内正明 『椅子さがし 建築めぐり』
2008年11月27日 おすすめの本一覧
「椅子は単に座るためのもの」というイメージを変えてくれる本です。
椅子はその椅子が置かれている空間や、椅子の形によって、それぞれ置かれている意味が違う・・・。そう想像する楽しみをくれます。
休むために置かれているものもあれば、ただ物思いに耽るために置かれているものもあり、空間の豊さを表現するために置かれているものもあり・・・、空間の自由度を上げるために置かれているものもあるようです。
旅先で椅子を探したくなります。
特にわたしは94ページから取り上げられる、河井寛次郎記念館の椅子に興味を持ちました。わたしは以前河井寛次郎記念館に行ったことがあり、その際「鞍型スツール」を含む椅子たちを見ることが出来ました。しかしその際は「おや? よく見ると椅子がある」と思っただけ。座ろうともしませんでした。今思えば、あの空間において椅子は「ここに椅子がありますよ」と主張せず、その場に溶け込む心地よいものとして存在していたように思います。
ああ。また行きたいです、河井寛次郎記念館。そして椅子をもっと意識したい・・・。とはいえ、あの空間において余り椅子を意識できない、ということは椅子を置いた人の意図にぴったり当てはまるのかもしれません。疲れた人が「椅子はないだろうか」と探すとそこに椅子が見つかる。けれど疲れていない人は特に意識しない。さっぱりしていて素敵です。
椅子はその椅子が置かれている空間や、椅子の形によって、それぞれ置かれている意味が違う・・・。そう想像する楽しみをくれます。
休むために置かれているものもあれば、ただ物思いに耽るために置かれているものもあり、空間の豊さを表現するために置かれているものもあり・・・、空間の自由度を上げるために置かれているものもあるようです。
旅先で椅子を探したくなります。
特にわたしは94ページから取り上げられる、河井寛次郎記念館の椅子に興味を持ちました。わたしは以前河井寛次郎記念館に行ったことがあり、その際「鞍型スツール」を含む椅子たちを見ることが出来ました。しかしその際は「おや? よく見ると椅子がある」と思っただけ。座ろうともしませんでした。今思えば、あの空間において椅子は「ここに椅子がありますよ」と主張せず、その場に溶け込む心地よいものとして存在していたように思います。
ああ。また行きたいです、河井寛次郎記念館。そして椅子をもっと意識したい・・・。とはいえ、あの空間において余り椅子を意識できない、ということは椅子を置いた人の意図にぴったり当てはまるのかもしれません。疲れた人が「椅子はないだろうか」と探すとそこに椅子が見つかる。けれど疲れていない人は特に意識しない。さっぱりしていて素敵です。
雑穀ってスープ、シチュー、ポタージュなど色々使えるんですねぇ。
この本には雑穀の種類、雑穀の栄養、旬の野菜を使うことが体に及ぼす影響、たまねぎ以外の野菜は皮つきで煮込んだ方が美味しい・・・などのことに触れるとともに、雑穀を使ったレシピが書かれています。
作り方は野菜を好みの大きさに切って水と一緒に鍋に入れて沸騰させて沸騰したら塩を加え・・・など簡単なものなので、雑穀を使った料理に詳しい方には物足りないかもしれません。
あくまで初心者向けだと思います。
わたしは雑穀料理初心者です。
早速、この本で紹介されている「つぶつぶミネストローネ」を作ってみました。わたしはガルバンゾ豆も入れてみましたが・・・美味しい! 塩でしか味付けしていないのに、野菜の甘み(?)が感じられて美味しいですね。
ごちゃごちゃ味付けしないことで、食べるとほっとする料理が出来上がるということを再認識しました。
今度はこの本の「フカヒレ風ヒエと糸寒天のスープ」も作ってみようと思います。
この本には雑穀の種類、雑穀の栄養、旬の野菜を使うことが体に及ぼす影響、たまねぎ以外の野菜は皮つきで煮込んだ方が美味しい・・・などのことに触れるとともに、雑穀を使ったレシピが書かれています。
作り方は野菜を好みの大きさに切って水と一緒に鍋に入れて沸騰させて沸騰したら塩を加え・・・など簡単なものなので、雑穀を使った料理に詳しい方には物足りないかもしれません。
あくまで初心者向けだと思います。
わたしは雑穀料理初心者です。
早速、この本で紹介されている「つぶつぶミネストローネ」を作ってみました。わたしはガルバンゾ豆も入れてみましたが・・・美味しい! 塩でしか味付けしていないのに、野菜の甘み(?)が感じられて美味しいですね。
ごちゃごちゃ味付けしないことで、食べるとほっとする料理が出来上がるということを再認識しました。
今度はこの本の「フカヒレ風ヒエと糸寒天のスープ」も作ってみようと思います。
山口公女 『すっぴん芸妓 京都・祇園のうっかり日記』
2008年11月3日 おすすめの本一覧
四季ごとに章を分け、この芸妓さんの季節ごとの気持ちを書いた本。
タイトルに「日記」とありますが、日々の仔細が書かれているわけではありません。
この本では、京都ではないところを出身地とする芸妓さんの、普段離れて暮らす家族への想いや祇園で芸によって身を立てている誇りなどを知ることが出来ます。それも、ユーモラスに。
わたしは特に「虎芸妓」のエピソードが好きです。
阪神が優勝するかわからないのに着物の八掛の裾の返しに「2003年阪神優勝」と染め抜くなんて結構な博打ではありませんか。それで本当に優勝して、「虎芸妓」として名前が売れたというのだから格好いい。
お誕生日のエピソードも好きです。
お父さんから「俺、お前の親父になって二十八年と一日。俺、おめでとう」というメールがきたという・・・。
何だかキュンとします。単におめでとうと言うよりも、喜びが伝わって。
タイトルに「日記」とありますが、日々の仔細が書かれているわけではありません。
この本では、京都ではないところを出身地とする芸妓さんの、普段離れて暮らす家族への想いや祇園で芸によって身を立てている誇りなどを知ることが出来ます。それも、ユーモラスに。
わたしは特に「虎芸妓」のエピソードが好きです。
阪神が優勝するかわからないのに着物の八掛の裾の返しに「2003年阪神優勝」と染め抜くなんて結構な博打ではありませんか。それで本当に優勝して、「虎芸妓」として名前が売れたというのだから格好いい。
お誕生日のエピソードも好きです。
お父さんから「俺、お前の親父になって二十八年と一日。俺、おめでとう」というメールがきたという・・・。
何だかキュンとします。単におめでとうと言うよりも、喜びが伝わって。
相原恭子 『京都発 極上作法で魅せる舞妓さんマナー集』
2008年10月22日 おすすめの本一覧
芸妓さんや舞妓さんがシーン毎にどう振る舞っているか、自分はそのシーンでどうすれば美しく見えるか、美しく見えることによって自分や周りの人がどんな気分になれるか・・・ということを教えてくれる本。
読んでいるとモチベーションが上がります。いざという時に常日頃の自分が出てしまうので、常日頃から心がけていこう、というモチベーションが。
例えば、P28に書かれている履き物の脱ぎ方について。「(源氏物語の)光源氏が御簾の陰から美しい長い髪や着物の裾をチラリと見て、恋心を抱くというのもうなずけます。履物もその人の一部です。恋の小道具となるかもしれません」(P28)ということが書かれています。わたしはこれを読んで以来、靴の手入れと玄関の掃除を毎朝欠かさなくなりました。
わたしは今まで、「作法を学ぶのは義務」と思っていました。けれど、今思えばそれって違いますよね。心を込めなかったら、たとえ立ち振る舞いが礼儀作法として「正しい」としても、誰も「良い気分」にはなれません。これからは何のための作法か、ということを考えながら作法を学んでいこうと思います。
・・・光源氏が早く来るといいなぁw
読んでいるとモチベーションが上がります。いざという時に常日頃の自分が出てしまうので、常日頃から心がけていこう、というモチベーションが。
例えば、P28に書かれている履き物の脱ぎ方について。「(源氏物語の)光源氏が御簾の陰から美しい長い髪や着物の裾をチラリと見て、恋心を抱くというのもうなずけます。履物もその人の一部です。恋の小道具となるかもしれません」(P28)ということが書かれています。わたしはこれを読んで以来、靴の手入れと玄関の掃除を毎朝欠かさなくなりました。
わたしは今まで、「作法を学ぶのは義務」と思っていました。けれど、今思えばそれって違いますよね。心を込めなかったら、たとえ立ち振る舞いが礼儀作法として「正しい」としても、誰も「良い気分」にはなれません。これからは何のための作法か、ということを考えながら作法を学んでいこうと思います。
・・・光源氏が早く来るといいなぁw
岩井志麻子 『死後結婚(サーフキョロン)』
2008年10月20日 おすすめの本一覧
死後結婚をした後も来世はあるのでしょうか。
この小説を読んでいて、それが気になりました。
死者が生まれ変わるとすれば、死後結婚した夫婦は離婚しなければならない?
離婚などせずとも、生まれ変わったら婚姻は自然に解消されるのでしょうか?
生まれ変わっても、かつて愛した人を覚えていられるのでしょうか?
この小説を読んでいて、それが気になりました。
死者が生まれ変わるとすれば、死後結婚した夫婦は離婚しなければならない?
離婚などせずとも、生まれ変わったら婚姻は自然に解消されるのでしょうか?
生まれ変わっても、かつて愛した人を覚えていられるのでしょうか?
編・・・秋田県二ツ井町 『日本一心のこもった 恋文』
2008年10月13日 おすすめの本一覧
「この恋文が一番好きだなあ」と思いながらページを捲るとまた心臓をドキドキさせる恋文が現れてくる、そんな本です。
この本を読んでいると、活字ではなく直筆の恋文を読みたくなります。誰かが誰かへ向けて書いたものでもいいし、自分宛てに書かれたもの、自分が誰か宛てに書いたものもいいなぁ。
わたしは特に『おじいちゃんからおばあちゃんへ』と題された恋文を気に入りました(218ページに載っています)。
70歳の男性が、結婚約50年の奥さん宛てに書いた恋文です。おじいちゃんとは御本人のこと、おばあちゃんとは奥さんのこと。おじいちゃんは心筋梗塞で入院したけれど、「死んでもいいから家へ帰りたい」と思い、少し回復すると隙を見て病院から逃走し、おばあちゃんと一緒に暮らせる家へ帰った・・・という内容。
胸がキュンとしました。
逃走するとは!
おばあちゃんはビックリしつつ呆れつつ、嬉しかったかもしれませんね。
これからもお幸せに!
戦争関係の恋文には胸がチクチクしました。
帰ってきたら一緒になるはずだったのに相手が帰って来なかったとか、「往きたくない」と言う彼をお国の為にと送り出してしまった、とか・・・。
読み手を亡くした恋文を世に知らせる方が、教科書等で戦争を教えるよりもずーっとずーっと戦争が再び起こるのを防げると思います。
戦争で旦那さんを亡くした80歳の女性が32歳で戦死した旦那さんへ宛てて「もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。力いっぱい抱きしめて絶対はなさないでくださいね」とおっしゃるのですよ。戦争さえなければ、もう一度なんて言う必要はなく、手紙にする必要もなく、旦那さんの傍にいるだけで願いが叶えられたかもしれないのに・・・。
この本を読んでいると、活字ではなく直筆の恋文を読みたくなります。誰かが誰かへ向けて書いたものでもいいし、自分宛てに書かれたもの、自分が誰か宛てに書いたものもいいなぁ。
わたしは特に『おじいちゃんからおばあちゃんへ』と題された恋文を気に入りました(218ページに載っています)。
70歳の男性が、結婚約50年の奥さん宛てに書いた恋文です。おじいちゃんとは御本人のこと、おばあちゃんとは奥さんのこと。おじいちゃんは心筋梗塞で入院したけれど、「死んでもいいから家へ帰りたい」と思い、少し回復すると隙を見て病院から逃走し、おばあちゃんと一緒に暮らせる家へ帰った・・・という内容。
胸がキュンとしました。
逃走するとは!
おばあちゃんはビックリしつつ呆れつつ、嬉しかったかもしれませんね。
これからもお幸せに!
戦争関係の恋文には胸がチクチクしました。
帰ってきたら一緒になるはずだったのに相手が帰って来なかったとか、「往きたくない」と言う彼をお国の為にと送り出してしまった、とか・・・。
読み手を亡くした恋文を世に知らせる方が、教科書等で戦争を教えるよりもずーっとずーっと戦争が再び起こるのを防げると思います。
戦争で旦那さんを亡くした80歳の女性が32歳で戦死した旦那さんへ宛てて「もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。力いっぱい抱きしめて絶対はなさないでくださいね」とおっしゃるのですよ。戦争さえなければ、もう一度なんて言う必要はなく、手紙にする必要もなく、旦那さんの傍にいるだけで願いが叶えられたかもしれないのに・・・。
著・写真・・・山本敏晴 『シエラレオネ 5歳まで生きられない子どもたち』
2008年10月8日 おすすめの本一覧
この本には以下のことが書いてあります。
シエラレオネに起こったこと。
シエラレオネ南東部で採れるダイアモンド欲しさに、リベリアが内乱を装って侵攻してきた。子どもたちは誘拐され、麻薬を打たれ、恐怖を感じず戦い続ける兵士にされた。シエラレオネの大人たちも国力を削るためだけに手足を切断され、働くことができなくなった。そうして国は貧しくなり、誰もが栄養失調になり、寿命が25~35歳になってしまった。
国境なき医師団(MSF)の働きによって、そうした状況が少しずつ改善されてきているということ。
けれど、それだけでは足りない。シエラレオネの人々が自力で自分たちの環境を良くしていけるような支援を続けていくことが必要。
この本を5歳以上の全ての人に読んで欲しいです。
この本の写真には5歳以上らしき子どもたちと、5歳以下らしき子どもたちが写っています。今、この子どもたちは全員生きているのでしょうか・・・。生きていて欲しいです。
シエラレオネに起こったこと。
シエラレオネ南東部で採れるダイアモンド欲しさに、リベリアが内乱を装って侵攻してきた。子どもたちは誘拐され、麻薬を打たれ、恐怖を感じず戦い続ける兵士にされた。シエラレオネの大人たちも国力を削るためだけに手足を切断され、働くことができなくなった。そうして国は貧しくなり、誰もが栄養失調になり、寿命が25~35歳になってしまった。
国境なき医師団(MSF)の働きによって、そうした状況が少しずつ改善されてきているということ。
けれど、それだけでは足りない。シエラレオネの人々が自力で自分たちの環境を良くしていけるような支援を続けていくことが必要。
この本を5歳以上の全ての人に読んで欲しいです。
この本の写真には5歳以上らしき子どもたちと、5歳以下らしき子どもたちが写っています。今、この子どもたちは全員生きているのでしょうか・・・。生きていて欲しいです。
著・・・西川和子 『スペイン宮廷画物語 王女マルガリータへの旅』
2008年10月3日 おすすめの本一覧
第1章から第6章までページを割いてマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャへと続くスペインの歴史が書かれています。241ページある中で、この本が目指すマルガリータ(マルガリータという名前の王女は他にも沢山登場します)が登場するのは199ページから!
彼女の肖像画がベラスケスによって描かれた背景のみ知りたい、という方には第7章のみ読むことをおすすめします。
ただ、彼女の生涯を詳しく知りたい、という方にはこの本自体おすすめしません。彼女のことが書かれている第7章には、彼女の生涯は簡潔にしか書かれていませんから。
わたしはこの本を読むまで「マルガリータの肖像画は、マルガリータの成長を彼女の結婚相手に知らせるために描かれたのだろうな」くらいにしか思っていませんでした。しかしこの本を読んだことによって、彼女の幼い頃の肖像画については、彼女が王位を継承できるように彼女が宮廷の普段の生活の中で中心となっていることを示したい、という狙いがあったのだと知ることができました。
実際には、有名な肖像画「ラス・メニーナス」が描かれた後、王位継承権を持つ男子が生まれたためマルガリータは王位継承者にはならず。彼女はハプスブルク家の君主且つ神聖ローマ帝国皇帝レオポルトⅠ世と結婚。4人子どもを産んだもののそのうち3人は夭折、彼女も22歳の若さで逝去してしまいました。
もしも彼女に弟が生まれていなければ、この本のタイトルは『~女王マルガリータの旅』だったかもしれませんね・・・。もしそうなっていなかったら、運命の悪戯によって彼女も若くして亡くならずに済んだのかも・・・。
・・・と言ってしまうと彼女の弟であるカルロスⅡ世を否定しているようで、彼に対して申し訳ない気がしますが。あくまでも、わたしは肖像画の中のマリガリータに魅力を感じているので彼女が女王になったらどうなっていたのだろうと想像したいだけ。
わたしはカルロスⅡ世にも興味を引かれています。高貴な身分でありながらも、「悪魔」「呪われている」と評されるその容姿のせいで、まるでエレファントマンのような扱い(頭に布を被せられていた)を受けていた彼。彼は亡くなった妻の遺体を掘り起こして手元に置く、という行動を取ったこともあるようです。わたしはそうした彼の行動にも興味を引かれます。お互いに愛がある結婚だったかどうかはわたしは存じません。ただ、彼の行動が異常だとはわかりますが、たとえ亡くなっても配偶者と一緒にいたいという気持ちはわからないでもないから・・・。
今後はカルロスⅡ世についても調べてみようと思います。この本はわたしにそう思わせてくれるきっかけをくれました。
彼女の肖像画がベラスケスによって描かれた背景のみ知りたい、という方には第7章のみ読むことをおすすめします。
ただ、彼女の生涯を詳しく知りたい、という方にはこの本自体おすすめしません。彼女のことが書かれている第7章には、彼女の生涯は簡潔にしか書かれていませんから。
わたしはこの本を読むまで「マルガリータの肖像画は、マルガリータの成長を彼女の結婚相手に知らせるために描かれたのだろうな」くらいにしか思っていませんでした。しかしこの本を読んだことによって、彼女の幼い頃の肖像画については、彼女が王位を継承できるように彼女が宮廷の普段の生活の中で中心となっていることを示したい、という狙いがあったのだと知ることができました。
実際には、有名な肖像画「ラス・メニーナス」が描かれた後、王位継承権を持つ男子が生まれたためマルガリータは王位継承者にはならず。彼女はハプスブルク家の君主且つ神聖ローマ帝国皇帝レオポルトⅠ世と結婚。4人子どもを産んだもののそのうち3人は夭折、彼女も22歳の若さで逝去してしまいました。
もしも彼女に弟が生まれていなければ、この本のタイトルは『~女王マルガリータの旅』だったかもしれませんね・・・。もしそうなっていなかったら、運命の悪戯によって彼女も若くして亡くならずに済んだのかも・・・。
・・・と言ってしまうと彼女の弟であるカルロスⅡ世を否定しているようで、彼に対して申し訳ない気がしますが。あくまでも、わたしは肖像画の中のマリガリータに魅力を感じているので彼女が女王になったらどうなっていたのだろうと想像したいだけ。
わたしはカルロスⅡ世にも興味を引かれています。高貴な身分でありながらも、「悪魔」「呪われている」と評されるその容姿のせいで、まるでエレファントマンのような扱い(頭に布を被せられていた)を受けていた彼。彼は亡くなった妻の遺体を掘り起こして手元に置く、という行動を取ったこともあるようです。わたしはそうした彼の行動にも興味を引かれます。お互いに愛がある結婚だったかどうかはわたしは存じません。ただ、彼の行動が異常だとはわかりますが、たとえ亡くなっても配偶者と一緒にいたいという気持ちはわからないでもないから・・・。
今後はカルロスⅡ世についても調べてみようと思います。この本はわたしにそう思わせてくれるきっかけをくれました。
読み終わってみて、「もしこの本を読み始める前に著者の写真を見ていたら、わたしはこの本にどんな印象を抱いただろう?」と不思議な気分になりました。
もし先に著者の写真を見ていたら、「いい加減な本なのかな」と読むのをやめたかもしれません。
著者の髪型がアフロヘアだから。
アフロヘア=陽気=不真面目、という思い込みがわたしにもあるのです。
この本はその「思い込み」について書かれています。人は第一印象をどのように感じ取るのか? それは無意識に行われるのか? どの程度の時間をかけて行われるのか?
著者の考えによると答えは以下の通り。無意識で行われる。時間はたったの2秒。
時間がこんなに短い理由は、人は相手に関する情報が過多だと正しい判断を下せないから・・・だそうです。
けれどその2秒間の間に下される判断は必ずしも正しいとは言えない。
それについて著者は自身の体験を紹介することで説明しています。
髪型をアフロヘアにしたら、警官たちに事件の犯人と間違われて取り囲まれたという体験を。著者と犯人の共通点はアフロヘアのみ。身長も体格も年齢も違った。それなのに警官たちが「犯人にそっくりだ」という第一印象を抱いてしまった為、著者はその誤解を解く為に20分以上を費やしたそう。
・・・第一印象を過信するのも困りものですね・・・。
わたしは特にこの本のP210,211を気に入りました。
意識して笑顔を作ると、人は「今自分は楽しい気分なのだ」と思うらしいのです。
これも第1感かもしれませんね。
なんとなく楽しい気がする、という、自分の気持ちへの思い込み。
この思い込みをうまく活用できるようになりたいです。
もし先に著者の写真を見ていたら、「いい加減な本なのかな」と読むのをやめたかもしれません。
著者の髪型がアフロヘアだから。
アフロヘア=陽気=不真面目、という思い込みがわたしにもあるのです。
この本はその「思い込み」について書かれています。人は第一印象をどのように感じ取るのか? それは無意識に行われるのか? どの程度の時間をかけて行われるのか?
著者の考えによると答えは以下の通り。無意識で行われる。時間はたったの2秒。
時間がこんなに短い理由は、人は相手に関する情報が過多だと正しい判断を下せないから・・・だそうです。
けれどその2秒間の間に下される判断は必ずしも正しいとは言えない。
それについて著者は自身の体験を紹介することで説明しています。
髪型をアフロヘアにしたら、警官たちに事件の犯人と間違われて取り囲まれたという体験を。著者と犯人の共通点はアフロヘアのみ。身長も体格も年齢も違った。それなのに警官たちが「犯人にそっくりだ」という第一印象を抱いてしまった為、著者はその誤解を解く為に20分以上を費やしたそう。
・・・第一印象を過信するのも困りものですね・・・。
わたしは特にこの本のP210,211を気に入りました。
意識して笑顔を作ると、人は「今自分は楽しい気分なのだ」と思うらしいのです。
これも第1感かもしれませんね。
なんとなく楽しい気がする、という、自分の気持ちへの思い込み。
この思い込みをうまく活用できるようになりたいです。
舞妓さんのお店出しから上唇に紅を引く頃までを収めたフォトガイド写真集。
舞妓さんたちは先輩舞妓を姉、後輩舞妓を妹と呼ぶそうなのですが、この写真集では本当に血のつながった姉妹で舞妓をしている女性たちが登場します。
お二人共とっても綺麗。
和の風景はただそれだけでも美しいけれど、その中に舞妓さんがいると風景が輝くように思えます。
勿論舞妓さんだけでなく、人がいれば風景は生きいきすると思うのですが、やはり和の風景に合うのは着物を着た人。そして当たり前だけれど、舞妓さんは着物をとっても素敵に着こなしている。
こういうのを見ていると、わたしも和の風景に合う女性になりたいなと思います。
この本自体は、特に「舞妓さんになってみたいな。でもどんな感じなのかな?」と舞妓さんに興味を持っている中高生に宛てて書かれているように思えます。
舞妓さんになることのデメリット(学歴云々)は書かれていないので、中高生の方にはその点を留意して読んで欲しいですけれど。自分にも舞妓さんになるという選択肢がある、ということを早めに知っておくことは決してマイナスにはならないと思うので、是非読んでみてください。わたしも中高生の頃にこの本と出逢っていたかったです。
舞妓さんたちは先輩舞妓を姉、後輩舞妓を妹と呼ぶそうなのですが、この写真集では本当に血のつながった姉妹で舞妓をしている女性たちが登場します。
お二人共とっても綺麗。
和の風景はただそれだけでも美しいけれど、その中に舞妓さんがいると風景が輝くように思えます。
勿論舞妓さんだけでなく、人がいれば風景は生きいきすると思うのですが、やはり和の風景に合うのは着物を着た人。そして当たり前だけれど、舞妓さんは着物をとっても素敵に着こなしている。
こういうのを見ていると、わたしも和の風景に合う女性になりたいなと思います。
この本自体は、特に「舞妓さんになってみたいな。でもどんな感じなのかな?」と舞妓さんに興味を持っている中高生に宛てて書かれているように思えます。
舞妓さんになることのデメリット(学歴云々)は書かれていないので、中高生の方にはその点を留意して読んで欲しいですけれど。自分にも舞妓さんになるという選択肢がある、ということを早めに知っておくことは決してマイナスにはならないと思うので、是非読んでみてください。わたしも中高生の頃にこの本と出逢っていたかったです。